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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved







 まったく、ままならないものだ。
 色々悩んで悩んで一生懸命頑張って上手くいかない時っていうのは長い人生だからってワケでもなく、まだまだ少年と言ってしまっても差し支えないであろう俺の短い人生であっても度々経験している。
 んでもって腹立たしいのは、そういう時に限って息抜きだとか、悩みを頭の片隅にも存在しない程に遥か彼方に放り投げてると唐突に解決策が閃いたりする事だな。しかも答えはひどく至極あっさりさっぱりと簡単だったりするもんで、余計に自分の馬鹿さ加減が恨めしくなったりするもんだ。あの時の虚しさといったらないな。
 でだ。何が言いたいかというと。

「居たーーっ!!」

 サクッと正くんを発見してしまったりするのだ。
 俺らが汗水垂らしてせっせと走り回って走り回って見つからなかった我らが探し人である孤児院を勝手に出て行った正くん(七歳)は、隣でこれでもかとばかりに大きく口を開けて商店街中に響きそうな程に大声で叫ぶ咲の指の先を真っ直ぐに辿っていった所に居た。
 しかもこっちは暑い外。一方で正くんは快適な空調の効いた喫茶店の中。グラスの中で氷が漂う冷たそうなジュースを飲みながら見知らぬ老紳士と向き合っていた。ちくしょう、美味そうだな。
 だがそんな俺の思いとは裏腹に正くんの方はふてくされているようで、それでいて何だか申し訳無さそうにしながらストローに口を付けていた。
 対して向かい合う老人は、好々爺然とした笑顔を浮かべて正くんに何事かを語りかけていた。

「何を話してるんだろうな」

 先輩が独り言の様に呟くが、そんなもの俺に分かるはずもない。雰囲気としてはお爺さんに説教されている孫みたいな構図だが、はてさて、あの老人は何者なんだろうな。正くんに家族は居ないはずだし。
 話が終わったのか正くんが頷くと、ご老公は正くんの頭を一撫でして伝票を手に取り立ち上がった。それを見て俺達も喫茶店の方へと走り寄る。
 店の前に着いた時にはちょうど正くん達が会計を済ませたところで、俺達はちょうど入り口の所で鉢合わせることになった。

「正くん、だね?」

 咲がスマホの写真と目の前の少年の姿を照らし合わせ、その前に先輩が立ちはだかって見下ろしながら尋ねた。その様子はさながらワルガキを叱るオカンだが、相手は子供だし、もうちっと優しそうに尋ねてほしいものだが。

「おや、貴女たちは……?」

 遅れて出てきた老人が丸いメガネの奥にある、深いシワの寄った瞼を瞬かせて尋ね返してくる。まあ、当然の反応だよな。
 老人を正面から改めて見てみると、アジア系というよりは欧米に近い容姿のようだ。発音はきれいで日本語が達者なようだ。歳と共に刻まれた年輪である皺のせいで分かりづらいところもあるが、ハーフっぽい印象で、顔は優しそうだがこっちを見定めるように見てくる。

「ああ、失礼した。私達は……」
「……あっ!」
「え、あ、こらっ! 逃げないでっ!」

 事情を説明しようと先輩が老人の方に向き直った瞬間、それまでぼーっと俺らの姿を見上げていた正くんが、急に我に返ったみたいにハッとすると一目散に逃げ出した。
 どうやら先輩の姿を見て、孤児院から自分を連れ戻しにやって来たらしいと察したようだ。咲の静止の声に微塵も耳を貸すこともなく逃げるその脚はまさに脱兎のごとく。あっという間に商店街の人混みの中に紛れていった。
 って、そんなのんびり観察してる場合じゃねぇよ!

「くくく……」
「……先輩?」
「はーっはっはっはっはっはっはっ!!」

 突然先輩が低い声で笑い始めたかと思うと、ついには顔を片手で抑えて華麗な高笑いを始めた。まさか、この暑さにやられたか?

「この灼熱地獄の中走り回ってやっと追い詰めたのだ! 逃げられると思うなぁっ!!」
「先輩、それ完全に悪役のセリフですっ!?」

 いかん、マジで先輩の頭が茹だってしまってるらしい。せっかく見つけた獲物に逃げられた肉食獣の如く先輩が眼を血走らせて正くんの後ろを全力疾走で追いかけていく。なるほど、さっき野郎連中をタコ殴りにしたのは暑さでイライラしてたんですね。
 夕暮れが近くなって人通りも増えてきた商店街で先輩は全力を出せるのか……と心配になったが、どうやら先輩の形相に恐れをなした通行人たちは進んで道を開けてくれている。後は幼気な少年を追いかける露出女として通報されないことを祈るばかりである。

「悪ぶった河合先輩……カッコいい……」

 そしてその後ろを何やら不穏な呟きを残して咲が追いかけていくのである。アイツも暑さで頭がやられたのかもしれんな。
 ともあれ、そうなると当然俺と老紳士が残されるわけで。

「……」

 互いに掛けるべき言葉を失って奇妙な沈黙が雑踏の中に広がるのみである。
 さて、なんて事情を説明しようか?
 一人思案しているそんな中、先に口火を切ったのは、流石は年の功というべきか、茶色の草臥れたスーツを着た老紳士の方だった。

「コホン……つかぬことを伺いますが、もしかすると貴方がたはあの子のご兄妹か何かでしたか?」
「あ、いえ……まあ正確には違いますが似たようなもんです」

 もっと正確に言えば今しがたが初対面ですが。

「そうでしたか……それは申し訳ないことをしましたな」
「え?」
「あの子を探しておられたのでしょう? それなのに儂の様な爺が店の中に連れ込んでおっては中々見つけられなかったのではないかと思いましてな。このようなお暑い中、ご家族に余計な労力を使わせてしまったのが申し訳がありませんで」
「い、いえ! そんな事はありませんって! むしろ事故や事件に巻き込まれずに済んで良かったと思ってますから!」

 申し訳無さそうに頭を下げてくるこの老紳士に対して慌てて手を横に振った。なんだ、どんな人かと思ったけどスゲーいい人じゃんか。

「ほっほ。そう言ってくださると儂も助かります。良かれと思っての事でも相手にもキチンと思いが届くとは限りませんからな」
「逆に誘拐だと思われて通報されたりだとか、親に怒鳴られるなんてこともあるみたいですからね」

 俺もあくまでネットで見聞きしただけだから本当にそういう事があるのかは知らんがな。なんにせよ、変に訝しがるんじゃなくて善意は善意として受け取れるような人間になりたいもんだ。

「そうですな。想いが正しく伝わらないというのが何よりも悲しい事ですからの。お若い見かけによらず、中々話が分かる方ですな」
「そんなに中身が老けてますかね?」
「ホホ。儂から見ればまだまだですがの。
 それよりも……君もあの少年を追いかけなくて良いのですかな?」
「あ、やっべ!」

 流石に先輩の身体能力なら小学生に負けるとは思わねーけど、ヘタすると正くんの頭に噛み付きそうな勢いだったからな。正くんの身が危ないかもしれん。
 それに、正くんがどうして孤児院から勝手に逃げ出したのかその理由も聞いてみたい。

「それじゃあ俺は三人を追いかけますんで! ありがとうございました!」
「いえいえ。それじゃあお気をつけて。あの少年の事をよろしくお願いします。何やら思い悩んでいたようですので」

 帽子を取って軽く頭を下げる老人に、俺は深々と頭を下げると老人に背を向けて先輩たちが走っていった方へと駆け出した。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 老人は直を笑顔で見送った。走って行くその姿を見る目は柔らかく、しかし直の姿を見て遠くを見ているようでもあった。

「……元気でいらっしゃりましたなぁ」

 老人はスーツの内ポケットから写真を一枚取り出した。いや、写真では無く、一枚の紙に描かれた精密な絵だ。それを見た老人は眼を細め、しわくちゃの瞼の下にある双眸が鋭く絵を捕らえて離さない。

「大きく……なりました」

 感慨深げにそうため息を漏らす。
 絵を丁寧に折りたたむと再び内ポケットに仕舞い、真っ白の髪の毛を撫で付けて帽子を被り直す。そして直が走っていった方とは逆の方へ歩き始めた。歳に似合わず、その足取りはしっかりしていた。

「やっと、見つけましたよ」

 誰にも聞こえないその呟きを残して、老人は人混みの中から・・姿を消した。その事に、誰も気づきはしなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 すっかり陽も傾き始めて、青空の端が茜色に変わり始めた。
 あの人の良さそうな老紳士と別れた後で商店街を出て咲に電話を掛けると、川の土手の方へ向かったと告げてきた。どうやら正くんはしばらく逃走を続けたようだが、流石に先輩に追いつかれて観念したらしい。
 確保された正くん――正義まさよし少年と共に今は先輩と並んで歩いているが落ち着いた様子らしく、特に逃げ出す様子も無いので俺に焦らないでも大丈夫だと伝えてくれた。

「分かった。んじゃのんびり歩いて行くわ」
「うん。こっちもゆっくり歩いてるから。気を付けてね」
「おう。サンキュ」

 電話を切ると俺の肺から勝手に大きなため息が出ていった。

――まったく、人騒がせなガキだな

 そんな感想がつい零れ出てくるが、これも無事に見つかったからというものだろう。何より、あの爺さんと一緒に居る事ができたのが最大の幸運だろう。これがあの商店街で先輩と咲に絡んできたようなクソッタレ共みたいな連中だったら、今頃どうなっていたことか。
 もう一度嘆息しながら頭を掻く。土手に向かう脚はさすがに走り回ったせいで疲れて重いが、それでも精神的な支えが解消されたからか、足取りは自分で思った以上に軽かった。
 微かに茜色に染まった小学生連中がすれ違っていくのを横目で見ながらポケットに手を突っ込んで歩く。その姿を見て、家でのんびりしてるだろう雅の事を思い出した。予想以上に時間掛かっちまったからな。遅くなるって言っとかねぇとまた小言言われちまう。

「……――そういうわけなんで、先に飯食っててくれ、っと」

 雅にメールを送り終えるとちょうど咲から連絡があった土手に到着した。両脇の草が健やかに伸び始めた上り道を昇って三人の姿を探す。

「直くん」
「咲」

 声が聞こえて振り返ると咲がこっちに向かってぴょんぴょん飛び跳ねながら手を振っていて、その子供っぽい仕草に苦笑しながらも駆け寄った。

「先輩と正くんは?」
「あっちで二人でお話してるんだけど……」
「何かあったのか?」

 言いよどむ咲が指さした方向に土手縁に並んで座っている二人の姿があった。赤く染まる二人。先輩は何か話しかけているみたいだが、正くんの方はじっと俯いて特に反応を示しているわけじゃなさそうだ。

「さっきから何を話し掛けても答えてくれないの。私が居ると話しづらいのかなって思って河合先輩に任せてここで直くんを待ってたんだけど……」
「そっか……」

 だがここから見ている限りだと、その作戦も上手くいってないみたいだな。咲もそれが分かってるからこそここで俺を待ってたのか。

「直くんなら何とかできない、かな……? ほら、直くんには雅ちゃんもいるし、小さい子と話すのに慣れてるかなって」
「……どうだろうな」

 縋る様な眼で咲が見上げてくるが、先輩が俺に変わった事で何が変わるとも思えん。別に話を聞き出すのが上手いわけでもないし、気の利いた話が出来るわけでもないしな。

「だけど……」

 先輩は俯いたままの正くんに向かって必死に話しかけてる。返事がなくっても諦めずに正くんの本音を聞き出そうと頑張ってる。反応が無くてしょげてもまたすぐに気を取り直して話を再開する。少し離れたここからでもそんな姿が見て取れた。

「……やるだけやってみるか」

 どうなるかは分からんが、先輩だけに任せきりにするのもアレだしな。
 小さく溜息を吐いて頭を掻き、俺は先輩たちの方へ歩み寄っていった。
 先輩はまたしてもアプローチに失敗したらしく、空を仰いだ後に頭を抱えて項垂れる姿が見えた。
 これは手強そうだ。

「せんぱ……」
「どうして」

 しかし俺が声をかけようとしたその時、正くんが初めて口を開いた。
 声に続いて正くんの顔が上がった。小学生らしい、決して太ってるわけじゃないがふっくらとした顔。少し長めの髪の毛と、幼年期から少年期に移り変わる時期のやや甲高い声、それにその顔立ちのせいで女の子と見間違いかねないくらいには可愛い。
 だが、その顔も今は溢れる涙で濡れていた。
 そして彼は――

「どうして――いつも作り話の中だけでしか・・・・・ヒーローは勝てないの?」

 その歳に似合わない冷たい声で俺達に問いかけた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



『――正くんは非常に頭の良い子です。同世代の子たちと比べて、かなり早熟です。そして』

 正くんを探しに孤児院を飛び出す前、正くんの人となりについて尋ねた俺達に職員さんはそう答えた。
 そして、付け加えてこうも言った。

『――そして、あの子のご両親は……強盗事件の犯人によって殺されたと聞いています。――正くんを庇って』

 俺の頭の中で、その言葉がずっと繰り返されていた。



「ねえ、どうして? 答えてよ、お姉ちゃん」

 正くんは先輩に稚拙な憎悪が篭った眼を向け、小さな声は確かに俺に届いた。
 その声に、俺は答えを持っていない。だから答えられなかった。
 世界は理不尽に満ちている。
 才能だけの人間が全てを捧げて努力してきた人の上を容易くいってみたり。
 ただ生まれだけで優劣が決められてしまったり。
 正直で清廉な人間ばかりが損を押し付けられて悪事に手を染めきった人間ばかりが得をしたり。
 何の罪もない人が突然命を奪われたり。そして、その犯人を裁く手段を誰も持ち得なかったり。
 或いは――突然の事故で命を落としてしまったり。
 よく悪いことをすればバチが当たるだとか言われるが、どれだけ善行と呼ばれる事をしようが報われるとは限らず、悪いことをしたって罰が下される保証は無い。罰が下されたからといって心が楽になることなど無い。どんな言葉で慰められても、本当の意味で慰められることなんて、きっと――
 知らず、俺の拳が強く固く握りこまれていた。
 残された人たち俺たちにできることは、ただ悲しみを胸の内に携えて、痛みに耐えていくことしか出来ない。
 痛みの記憶に蓋をして。ただひたすらに記憶が薄れていくのを待つ事しか、俺らにはできない。

(だけど……)

 だけど、俺はこの子に何と伝えれば、いい?
 世の中の理不尽をただ受け入れて、時が心の傷を癒してくれるのを待てと言えばいいのか?
 ――俺自身の傷もまだ、癒えていないというのに。

「それは……」
「――弱いからだ」

 え……?

「世の中の理不尽に、悪に打ち勝てるほど私達は強くない。悪い奴らはいつだって強くて、どれだけ泣き叫んだって君が望む様なヒーローはやってこない。やってくるのはヒーローになりそこねた正義の味方のなりそこないばっかりだ。何があっても悪に勝つ、そんなヒーローはどこにも居ない。だから私達はいつだってそんなヒーロー空想を求めるんだ」
「ちょ、ちょっと! せんぱ……」
「――私の両親も殺された」

 心臓が一瞬、動きを止めた。
 突然の告白に思考が空白になって、先輩の口を塞ごうとした腕が伸びきる前に止まって動かない。正くんも涙に濡れたままの眼で、大きな眼を更に大きくして先輩の顔を見ていた。
 先輩は川の対岸を真っ直ぐに見つめていた。

「――私はこの国の生まれではない。だが、ここと同じくらい平和だった。君と同じくらいの年齢の時の私は、無邪気にそんな幸せな時間が続くと……信じていたんだ」
「……何が起きたの?」
「戦争だよ」

 正くんの問いに先輩は間髪入れず答えた。
 川から風が一瞬吹き荒んだ。
 川岸から俺の足元にかけて広がっていた茜色の雑草たちが突然意思を持った生き物みたいに暴れ、座っていた紫にも見える先輩の髪がたなびく。
 砂埃が舞い、眼にゴミが入らぬように無意識に眼を閉じかけた直前に、先輩の顔が眼に入った。
 何処かを見つめるその視線は鋭くて、そして見ているこっちの胸が抉られる程に悲しい顔をしていた。
 だけどもその顔は俺自身の瞬きに遮られて、もう一度眼を開いた時には穏やかな薄い笑みを湛えていた。

「突然敵国に攻められて……というのは私の主観だろうな。当時の私は国の情勢など知らなかったし、知ろうともしなかった。ただ与えられた毎日を疑いもせずに明日も続くものだと思っていたのだから。
 しかし現実は戦争が始まり、私が居た国は劣勢となって私が過ごしていた家も戦火に飲み込まれた。どうしようもなく怯える私を、私だけを父と母は逃がし――そして死んだ」
「そいつらは――悪いやつらだ」
「敵国の事をいっているのか? 確かにそうかもしれん。悪の帝国なのかもしれんな。だが、今となってはどっちが正しかったのかなど分からんし、もしかしたら――負けた私の国が悪だったのかもしれんな。だとすれば、君が望んだ通りヒーローが勝ったわけだな」
「違う……そんなの、ヒーローじゃない」
「そう、だな……私もそう思う」優しい眼を、先輩は正くんに向けた。「だが少なくとも私を守ってくれた父と母は間違いなくヒーローだった。弱かったから負けてしまったけど、それでもヒーローだ。そして、それは君の父君と母君もそうだろう? それとも君はご両親をヒーローじゃないと思うかな?」
「……思わない」

 先輩は正くんの方を振り向き、優しく頭を撫でた。

「そうだろう? 物事は単純な勝ち負けじゃない。君の父君も母君も君を守るという大きな役割を果たしたんだ。確かに強くないかもしれない。物語のヒーローみたいに悪を蹴散らす強さはない。それでも自分より強いやつに立ち向かって君を守りぬいたんだ。これはもうヒーローご両親にとっては大勝利だろう」
「……でも……」
「納得がいかない、か?」

 先輩の掌の下で正くんは小さく頷いた。

「そうか……今話したように考えてはいるが……正直、私自身も納得はしていない。誰にも負けない、どんな悪にだって負けない強いヒーローが居てくれれば。私も何度もそう願った。だがさっき話した通り、現実はそう簡単ではない。だから私は――せめて誰かにとってのヒーローになりたいと努力しているのだよ」
「誰かにとってのヒーロー?」
「そうだ。私も誰かを暴力から守れる程には強くない。だが誰かが困っている時に手を差し出して手助けするくらいはできるのだと気づいたのだ。ほんのちょっとだけ、頼りない自分の力を貸すだけでも誰かにとってのヒーローになれるかもしれないと思ったんだ。そうすることで……父と母の死に意味があった。そう思いたいのかもしれないな」
「悔しく……ないの、お姉ちゃんは? お父さんもお母さんも……殺されて」
「悔しくない、といったら嘘だな。父と母が死んだ。その直後は苦しくて苦しくて、耐えられなくて二人を殺した敵国を心の底から恨んだこともある。だが恨んだからといって私には何もできることは無かった。ただただ、父と母の笑顔を思い出して辛くなるだけでね。
 だからそんなことにエネルギーを使うくらいなら、もっと別の事に一生懸命になるべきだと、そう思ったんだ。
 誰もを救うヒーローにはなれない、だけども誰かは救えるかもしれないヒーローになるために。そのために私は色んな事に一生懸命取り組んでいるんだ」

 そう語る先輩の顔は少し誇らしげで。

「だから」
「わっ」

 正くんを引き寄せると先輩はその胸の中に抱き締めた。

「君にも過去じゃなくて今を生きてほしい。誰かを恨むくらいなら、同じように苦しんでる人を助けられる人になってほしい。それでも納得がいかないなら――君が君の望むヒーローになればいい」
「……お姉ちゃんの言うことは難しい」
「それもそうだな。小学生に言う話では無かったな。許せ」
「でも……何となく分かった気がする」

 そう言うと正くんの方から先輩の体に顔を押し付けて、微かに聞き取れるくらいの小さな声で言った。

「……頑張ってみる」

 その時の先輩の顔は、とても優しい顔をしていて、その顔に俺は何となく見とれてしまっていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「すみません、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ遅くなりまして申し訳ないです」

 女性職員と先輩が互いに頭を下げあい、その隣で正くんは居心地が悪そうな顔で頭をさすっていた。
 あれから俺達は四人で一緒に孤児院に帰った。すでに深音とゴンザレスことフローラは孤児院で俺達を待っていて、その前で施設の女性職員さん達が腰に手を当て、肩を怒らせて仁王立ちをしていた。
 正くんを差し出すと正くんは一度俺達の方を振り向いて助けを求めるような眼で縋ってきたが当然俺らは皆その眼差しに気づかない振りをした。正くん自体の思いはどうあれ、心配を掛けたのも色んな人に迷惑を掛けたのも事実である。小学生といえども罰は甘んじて受けねばなるまい。
 正くんも覚悟を決めたのか、恐る恐るながらも皆の方に近づいていく。
 震えながらも顔を上げて一言。「ごめんなさい」と告げると同時に待ち受けていた職員さんたちから次々にゲンコツの嵐を食らっていた。愛のムチであることは分かるのであるが、見ているこちらの方が痛くなってくるくらいなのだから、きっとゲンコツを振り下ろしていた職員さん達はさぞかし痛かったろうと思う。
 だが最後には皆から次々に抱きしめられ、抱きかかえられ、涙を流しながら叱られた事は、きっと正くんの中で良い思い出に変わっていく事だろう。だからといってゲンコツを喰らいたいとは思わないがな。
 そんな感じで職員さんたち一同+正くんから頭を下げられて、この件は一件落着といったところだ。
 しかし――

「やっぱ先輩は凄いな」
「ん? 何がだ?」
「俺だったら正くんの質問にたぶん答えられませんでしたから。何か言わなきゃって思ってはいましたけど、何て答えてやればいいのか分からなかったんです」

 それだけじゃない。先輩の生い立ちも信じられないくらいのものだったし、それから立ち直れた先輩の強さを、俺も見習いたいって思った。これは口には出さねーけど、今までとんでもなくぶっ飛んだ先輩だと思って呆れることが多かったけど、すっげぇ尊敬できる人だって思った。

「私もだよ」
「え?」
「直と同じだ。私もあの子に何て言葉を掛けてやれば良いか分からなかった。だが何か言わなければいけない、あの瞬間の私の一言で少年の人生が決まってしまうんじゃないかって直感的に思ったんだ。そうしたら自然と、な」

 悩む前に自然と話すべきことが口に出せるというところが凄いと俺は思うんだがな。

「直」
「なんですか?」
「私は――私は正しい事をあの子に伝えられたのだろうか?」

 夕陽に照らされた先輩の顔を見る。その表情はいつもどおりに見えるが、果たしてその心中はどうなのだろうか。

「……どうなんでしょうね。何を以て正しいって言えるかなんて断言できるほど俺は人生生きてませんから。まだ中学卒業したてのクソガキですからね」
「そうか……」
「ただ、まあ――正くんにとっては無駄じゃなかったと思いますよ」

 まるでいつぞやの捕まった宇宙人みたく両手を引かれて孤児院の中に入っていく正くんの表情は、出会った時とは違ってとても楽しそうで、引きずっているものは何処にもなさそうだ。
 先輩もそんな正くんを見て安心したみたいで、小さく笑った。

「そうか――そうだな」

 まあ、そんなわけで。

「じゃあ俺たちも帰るとするか」
「そうだな」

 朝からの長い一日がやっと終わりだ。

「はぁ〜、疲れたぁ〜。さっさと帰って早くシャワー浴びたぁ〜い」
「アタシもぉ。もうベタベタで汗臭いしぃ気持ち悪ぅ〜い」
「気持ち悪いのはアンタのそのしゃべり」
「あ゛あ゛?」
「イエ、ナンデモアリマセン」

 ドスの聞いたゴンザレスの脅迫に竦み上がりながらツッコミを中断。今の声はどう聞いてもヤクザの親分にしか聞こえなかったが、果たしてコイツは男なのか女なのか。そこのところを確認する勇気はないので永久に謎にしておこう。聞いたら最後、何も思い出せない様な目に遭う気がする。

「いっぱい走リ回ったもんね」
「咲ちゃんもごめんねー。急に呼び出したりしてさ」
「ううん、全然大丈夫! むしろ……嬉しかったかな、なんて」
「? なんだよ、咲」
「ううん、なんでもなーい」

 明後日の方を振り向いて咲は楽しそうに笑った。
 まったく、お気楽なやつだな……
 嘆息しながら歩いていたその時、隣を咲と同じく楽しそうに歩いていた先輩の姿が不意に消えた。
 ドサ、という音がして振り向くと――

「先輩……?」

 先輩が倒れていた。

「先輩っ!!」



















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