現在の閲覧者数:

(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved








―――拝啓、碇ゲンドウ様



すっかり日が落ちる時間も早くなり、日本でも朝晩の冷え込みが厳しい季節がやってきていると思いますが、お体にさし障って居られないでしょうか。
私は現在イギリスの方に住んでおりますが、こちらではすっかり冬で、毎朝ベッドから出るのが億劫に感じてしまいます。そして夏とは違う季節が来る度に嫌でも月日の変化を実感させられます。

夏とは違う季節、つまりは秋が来る度に思い出されるのはやはり十五年前のあの日です。
あの日を境に、世界は大きく変わりました。その事は今更こちらから言わずとも貴方なら良くご存じだと思います。その気になればもっと遡る事が出来るのでしょう。例えばセカンドインパクトであり、もしくは貴方が母さんに出会った日がそうと言えるのかもしれません。
ですが、世界を自分の周りと定義するならば恐らくほとんどの方があの日を挙げる事だと思います。目に見える変化と言えば季節くらいで、特に他には見当たりませんでしたが、それでも確実に、大きく変わった日でした。少なくとも私はそう感じました。









父からの手紙













世界全体としてはその日ですが、私個人に関してはそれよりもずっと前に変化は始っていた。そう思います。
私にとって全てが変わり始めたのは、インパクトの起こるおよそ半年前でしょうか。正確な日時は覚えていませんが、私が貴方からの手紙を手に第三新東京市に来たあの日から私の人生は一変しました。
貴方がご存じかどうかは知りませんが、それまでの私は生きているのか死んでいるのか分からない状態でした。
自分という存在を内へ内へと押し込み、愛想だけを振りまき、友達らしい友達も居ませんでした。それは家の中でも同じで、常におじさんとおばさんの様子をうかがい、怒られないよう、疎まれないよう―――すでに半ば以上疎まれていましたが―――自分を殺し、他人に流される生き方をしていました。それはすでに生きているとは言えないでしょう。今ならそう思うことが出来ます。また悪い事にそうした生き方を否定してくれる人も居ませんでした。誰も私に興味が無くて何をしようが構わず、そして私も他人に興味が薄かったのです。


だからでしょうか。貴方に呼ばれて素直に第三新東京市へと向かったのは。
最近になってあの時の事を考える事が増えました。何故第三新東京市へと私は向かったのか。
当時の私は先程も書きましたが、他人への興味が非常に薄かったと思います。何もかもが私を傷つけるものだと思い込んでいました。だから自分を守る事で精一杯で、意識が他者へと向かう事は少なかったのです。
だからこそ貴方の元へ向かいました。
私は貴方が憎かった。自分を捨て、次第に遠ざかる貴方の後ろ姿は今でも鮮明に思い出せます。それと同時に貴方に期待していたのではないか。唯一の私の肉親である貴方だけは私を見てくれる。私を捨てたのにも、何かそうしなければならない理由があったのではないか。そして、もうそうしなければならない理由は消え去った。だから私を貴方の元に呼び寄せ、その何の根拠もない想像にすがって内心で望みを持ってリニアに乗った。その様にも当時を振り返れば考えられます。


ですが、その希望は砕かれました。少なくともあの時の私はそう信じ、その思いだけが頭を占めていました。不安と期待を多分に詰め込んだ、私にとって一世一代とも言える決意でしたが、結局得られたのは深い絶望だけでした。
貴方は私に特に掛ける言葉も持たず、ただ一言「出撃」とだけ言いました。そして周りの大人達―――ミサトさんやリツコさんを始めとした多くの人が私に要求しました。
それは恐怖でした。これから死ぬかもしれない。それも確かに恐怖です。時に私は死を怖くないなどと嘯いていましたが、その実、私は人並みには死を怖がっていました。
しかし私が真に恐れていたのは、私という個人が認められない事。
期待された成果を上げる事が出来ず、皆に、特に貴方に要らないと思われる事が私にとって何よりの恐怖だった。その様に記憶しています。
だから私はあの時、初号機に乗りました。直前に綾波がケージに連れてこられましたが、その怪我を見て、というよりもやはり恐怖感の方が強かった気がします。綾波を見ての死の恐怖が四割、不要と思われる恐怖が六割でしょうか。



結果はあの通りでしたが、間違いなくあの日を境に私の生活は変わりました。
始めに独り暮らしをするよう言われましたが、その事に私は何ら疑問を抱きませんでした。
ケージでの出来事のお陰で貴方と一緒に暮らす、という選択肢はすでにありませんでした。ネルフに来るまではわずかにそんな期待と不安もありましたが、もう諦めていましたし、ただこれまでと何ら変わらない日常が始まるのだと思っていました。
だからミサトさんと半ば強引に暮らす様になった時、正直迷惑でした。
一人にして欲しい。
なのに、私の口からその言葉が出る事はありませんでした。どうせ口に出したところで何も変わらない。一種の諦観に似た感情がありました。ですが、それと同時に希望がありました。どんなに裏切られても、まだ私の中では微かに期待がありました。恐らく他人に飢えていたのだと思います。自分を疎まない、ただそれだけの存在を願ったのです。
そして願いは叶いました。今度は叶いました。
ミサトさんに変わりゆく第三新東京市の街並みを見せられ、私が守ったのだと言われ、そしてマンションの入り口で「お帰りなさい」と言われたあの時……
初めての経験に嬉しくて、でも何処かこそばゆい、温かい気持ち。それを見守る笑顔のミサトさん。私は、本気であの街に来て良かったと思いました。もっとも、ミサトさんの部屋を見るまででしたが。


こうやって振り返ってみて、やはりあの街に来てから全てが始まったのだと思います。 全てが好転したとは言えません。私はクラスメートの妹を傷つけ、そしてクラスメートを殺してしまいそうになりました。それでも少しずつ私にとって良い方に変わり始めていました。
初めて友人もでき、綾波という戦友も得る事が出来ました。
エヴァに乗る事はまだ好きではありませんでしたが、段々と肯定的に捉えられるようになったのも大きな変化だったと思います。
綾波が守ってくれた。彼女はきっと「僕」だから守ってくれたわけではないでしょう。恐らく命令だから、というのが一番しっくりとくる理由だとは分かります。
それでもあのヤシマ作戦で彼女が守ってくれた、という事実は私の中にしっかりと残りました。



それから間もなくして、二度目の転機が訪れました。
アスカです。
惣流アスカラングレー。どこまでも傲慢で、わがままで、いつも私をバカにし、でも時には気遣いを見せてくれた優しい女性でした。そして、心の内に暗い思いを抱いていた、悲しい少女でした。
彼女と出会ったのは海の上。何という名前の戦艦だったかはもう覚えていませんが、その甲板で彼女に叩かれたのは鮮明に覚えています。
何故貴方が私に彼女の元へ行かせたのか、よくわかりません。エヴァのパイロットで、顔見せという意味もあったでしょうが、別に船の上でやらせる理由も特にありませんでした。今考えてみれば、あの時船が使徒に襲われた事から使徒がやってくるのが分かっていて、私に撃退させたかったのかも知れませんが、だとしたら初号機を持って行かなかった事の説明がつきません。
貴方がどういうつもりだったのか。きっと今尋ねたとしても貴方は答えてはくれないでしょう。もしくは冷たく適当な答えをくれるかもしれません。
貴方の人となりはそれなりに理解しているつもりですから。
理由が何にせよ、その事がきっかけとなり、私とアスカは悪くない出会いをする事が出来ました。


その後、使徒対策のトレーニングからなし崩し的に彼女と一緒に住むようになりました。
悪くない日々でした。
世界に彩りが広がり始めた、といっても過言ではないでしょう。無機質で他人におびえ続けた毎日に明確な他人が入り込み、あの街に来る前の、おじさん達と過ごしていた時と比べれば確実に潤いがありました。もっとも、当時の私にはそれを自覚することはありませんでしたが。
相変わらず言われるがままにエヴァに乗る毎日でしたが、アスカに罵られ、ミサトさんにからかわれ、友人たちとはしゃいで、恐らく普通の中学生らしい毎日を送れる様になっていたと思います。まだ胸の内では他人に恐怖し、皆に嫌われまいと曖昧な態度を取る事も珍しくなかったですが、少なくとも生きている、と実感は出来ていました。


そして空から降ってくる使徒戦。奇跡的な確率を自分たちの物にしたあの戦いの後、貴方は私に向かって初めて声を掛けてくれました。覚えていますでしょうか。
初めてエヴァに乗って戦った後も貴方は何も声をかけてくれませんでした。どれだけ使徒を倒そうとも、どれだけ私が傷つこうとも、貴方は何も語りかけてくれませんでした。もしかしたら見舞いくらいには来てくれていたのかもしれませんが、いずれにせよ、私と貴方の間に綾波が持っていたような絆は感じれませんでした。
私も諦めていたつもりでした。貴方は私に興味が無く、私も貴方に期待しない。貴方が私に何かを与えてくれる事は無く、望んでも裏切られるだけだ。そう感じていました。
ですが貴方は私にくれました。短い言葉でしたがはっきり覚えています。「よくやったな」。それは私が待ち望んでいた言葉でした。
なのに私は始め戸惑いしか感じえませんでした。何を貴方が言ったのか、それすらも理解するのに咀嚼が必要でした。
痛む腕の事も忘れ、暗いエントリープラグの中で救助が来るのを待つ中、ぼんやりと天井を見上げて考えました。
何故、戸惑いを覚えたのか。
予想だにしない事を経験すると、例え喜ばしい事であっても人は戸惑いを感じると聞きます。だとすると、その時の私は貴方からの言葉を微塵も期待していなかった事になります。
もしくは―――というよりこちらが恐らく正解だとは思っています―――私が慣れていなかったという事だと思います。
改めて深く思い返さずとも私は褒められる、という事とは無縁の人生を送っていました。目立つ様な事は一切していませんでしたから当然の事です。目立てばすぐ「妻殺しの息子」と呼ばれていじめられていましたから。
今さらその事について貴方を責めるつもりはありません。私は真実を知っていますし、貴方がどれだけ母さんを愛し、母さんに愛されていたのか十分に理解しているつもりです。そして母さんが初号機の中に消えた時、どれだけ悲しんだのか。その10年後の結末を見れば、やろうとした事は理解できずとも貴方の声無き慟哭は理解を超えて私の胸に突き刺さります。

話が逸れました。
ともかく、褒められる経験が皆無に等しかった私にとって、あの言葉は戸惑いを強く与えました。それと同時に私の心にくさびを打ち込んだと言っても良いかもしれません。 使徒戦の前、アスカは私に問いかけました。何故、エヴァに乗るのかと。
その問いに私は答えました。分からない、と。何故、何のために乗っているのか分からない、と答えました。
エヴァに乗る事をすでに嫌ってはいませんでしたが、理由というものは存在していませんでした。
何度も述べていますが、ただ流されるがままに。
代わりが居ないから乗る。降りろと言われないから乗る。
周りに同調・迎合して生きていくのが私の処世術であり、だからエヴァに対しても同じで、ただ状況に流されるままに乗り続けていました。
ですが、貴方の言葉で変わりました。いえ、正確には変わったと思いました。
次第に湧き上がる喜び。貴方の言葉を思い出す度に笑みが浮かびました。そして、これこそ私がエヴァに乗り続ける理由だと気付いたのです。
貴方に褒められたい。認められたい。その為ならばエヴァに乗り続ける事が出来る。そう感じられました。

そうしてまた私の世界が広がりました。
期待、とも言えるかもしれません。
貴方とはずっと離れて暮らし、顔さえもおぼろげでした。また私自身も貴方に捨てられて裏切られたとの思いをずっと持っていましたし、貴方と分かりあえるという事は頭の片隅にも存在していませんでした。
私も貴方も他人を―――例え親子だとしても理解できると思っていませんでしたし、別々に生きていくのが当然だと、そう思っていました。
しかしその時私は感じてしまったのです。父としての実感の乏しかった貴方と、分かりあえるのではないか。親子としてやり直す事が出来るのではないか。そこまではいかなくとも一人の人間として貴方とそれなりの関係を築いていけるのではないだろうか。
こうして書き出してみますと、どう読んでみても期待ですね。口には出せませんでしたが、こうした気持ちを持っていたからこそ、あの墓地にも逃げ出さずに行けたのだと思います。


快晴に恵まれ、涼しげな風が吹いていたあの日。たくさんの墓標が立ち並ぶ中、私と貴方は同じ場所に立ちました。
三年ぶりの母さんの墓参りで、実感は湧かないものの、今度はしっかりと母さんの死と父さんに向かいあえた気がしました。そして、三年ぶりに父さんの顔を正面から見る事が出来ました。
サングラスの向こうで父さんは何を見ていたのでしょうか。毎年墓参りに来ていると貴方は言いました。全てを捨て、全ては心の中。そう私に語りかけた貴方の中で、母さんはどんな姿で居たのでしょうか。
記憶にすら残っていない母さん。一時は私に何も残してくれなかった事に対し、複雑な感情を抱いていましたし、その時も何を勝手な、と少しばかり憤りました。
ですが淡々と、それでいて何処か寂しげにも、見えた父さんの横顔。今思えば、あの時も自分に問いかけていたのでしょうか。
恐らくあの時にはもう父さん達の計画は止められない段階まで来ていたはずです。それでも、それでもあの瞬間には父さんは迷っていたのでは無いか。真実は分かりませんが、そんな事を考えてしまいます。

貴方との会話はホンの僅かなものでした。それこそ時間にすれば1、2分程度。それでもこれまでほとんど話す事のなかった私にとっては十分な時間でした。
決して満足とまではいきませんが、これまでの私達の関係を考えれば私にとっても貴方にとっても十二分に話せた。少なくとも私は嬉しかった。
これからもこうして話す機会が持てるのか。その時はどんな事を話そうか。空から降りてくるヘリの音を聞きながらワクワクしていました。
なのに貴方は言いました。もう、貴方を追いかけるのは止めろ、と。
冷や水を浴びせられた気分でした。
どうしてそんな事を言うのか。はっきりと問い質したい気持ちでした。ですが当時の私にそんな勇気があるはずもなく、貴方を急かすヘリの轟音に押されて何も言う事が出来ません。ただ貴方を乗せて小さくなっていくヘリコプターを見ているだけでした。


思えば、それが貴方と対等に話し合えた最後の機会でした。
次に会話らしい会話をしたのは、私の友人である鈴原トウジが参号機のパイロットとして選ばれた時でしょうか。もっとも、貴方は名前を出しても覚えていないでしょうし、あれを会話と言っていいかも分かりませんが。
私の知らない間にいつの間にか親友が参号機に乗り込み、乗っ取られたそれを私の手で殺そうとしたあの痛み。
冷静になってみると、私が愚かだった。そう思う部分もあります。使徒である以上倒さなければならない相手であり、そこに他の手段は無い。ただ私の手際が悪かった。上手くやればトウジを助け出す事は可能だった。時々振り返ってみては、そうしなかった後悔は未だに私を苛みます。
だけども貴方には分かってほしかった。理解してほしかった。子供だと笑われようとも、駄々をこねていると思われても貴方には分かってほしかった。自らの手の中で親友を殺そうとしたあの瞬間の事を。
自分の意志ではなく、だけれども自分の体で。シンクロはしていなくとも、血に濡れた自分の手を何度も私は幻視しました。

そして私は逃げ出しました。今度は自分の確固たる意志を持って街を出る決意をしました。
何と言えば良いのでしょうか。以前に逃げた時と行動は同じでも、自分の中でははっきりとした違いがありましたが、それをどう言葉にすれば良いのかは分かりません。拙く言葉にしたところで貴方に理解してもらうのも難しいでしょう。なのでここではそういうものとしてご理解ください。
あの時、本気で私はあの街を出るつもりでした。貴方の顔など二度と見たくなかった。絶対にエヴァに乗るもんか、と誓いました。
使徒が来たとしても、もう私には誰かを傷つけてまでエヴァに乗る気はありませんでしたし、実際にあの使徒が来て、街が蹂躙されている時もネルフへ行こうという考えは全く浮かびませんでした。ただただ、街が、人が壊されていくのを見ていただけでした。
弐号機の頭が飛ばされ、私の居るシェルターに降ってきて、多くの人が死にました。埃の中に混じる血の匂い。それにただ怯えるだけでした。
何度も何度も私は心の中で唱えました。二度と乗るものか、と。
それは自分の思いをより強固にするための呪文でした。そしてそれと同時に揺れ動きそうになる気持ちを牽制する意味もあったのだろうと思います。
ミサイルが飛び交うジオフロント。絶え間なく聞こえる悲鳴と怒号。シェルターから出た時には自分が何をしたいのか、先の見えない深い霧の中に迷い込んでいました。

そして加持さんと出会いました。
彼の話は私を諭している様にも聞こえましたし、もしくは自分自身に語りかけてるようでもありました。

「君には君にしか出来ない、君になら出来る事があるはずだ。」
「後悔の無い様にな。」

その言葉に深く私は抉られました。
私は、何をしているのか。
ずっとエヴァを忌避してきた。エヴァに何かを求めながらもこうして今エヴァから離れている。そもそも、私が今ここに居るのはどうしてなのか。傷つけ、傷つけられるのが嫌だったからだ。

私は、他人から傷つけられても、他人を傷つけても傷つく。そんな人間でした。
それは決して優しいとかでは無く、攻撃手段も防御手段も持たない、持とうとしない無力で怠惰な人間に甘んじていた結果です。戦う事を恐れて逃げ出した愚かな少年でした。
その結果が目の前で展開されていました。
目の前で戦友が傷つき、多くの人が死にました。自分が力を放棄した所為でジオフロントの姿が、あまりにもかけ離れたものへと、一瞬の内に朽ちていく姿。
私は走りだしました。時に爆風に晒され、転び、泥にまみれ、それでも初号機のケージへと向かって一心不乱に走りました。
後悔の無い様に。
ただ後悔しかない自分の人生。いえ、後悔することにすら、全てに諦める事で逃げ出してきました。


それからはご存じの通りです。
初号機に乗り込み、使徒を倒した私は初号機に取り込まれ、そして助け出されました。
自分の中で確固たる決意を持って戻りましたが、それから先は私にとって、いえ、全ての人にとって悲しいだけの時間が続きました。

加持さんが死にました。それ以来ミサトさんは私達から離れ、一人で動く事が多くなりました。
アスカが、壊れました。もう私を罵る事も無く、私を見る事は無くなりました。
綾波が、死にました。死んだ、という表現は適切ではないでしょう。でもその時に私の知る綾波レイは死にました。少なくともあの時点ではそう思っていました。
そして、私は見てしまいました。無数に浮かぶ綾波レイの入れ物達を。
もう、何も口に出来ませんでした。何も信用できませんでした。世界が崩れていく感覚に襲われ、次々に来る衝撃に私という存在が塗りつぶされていく。その圧倒的な力に抗う術は、私には与えられていませんでした。
程なくして家族が壊れました。いえ、もうすでに壊れていたのでしょう。
所詮家族ごっこで、遠からず壊れる運命だったのかもしれません。誰もが余裕無く、自分の事に精一杯で他人に気を使う事など出来はしなかった。
そう、結局は他人だったのです。もしかしたら幻想なのかもしれませんが、私は家族を欲していました。私を愛し、私が愛し、時に叱り、時にケンカし、それでも最後には帰ってこれる場所を。
私を貴方は笑ったでしょうか。くだらない幻想で、そんなものはありはしないと笑い飛ばしたでしょうか。でも、それくらいは許されても良い。少なくとも当時の私には。
でも悲しいほどにそれは幻想に過ぎなくて、顔を合わせる事すら稀になっていました。

ずっと他人とは希薄で、でも他人を求めていた。でも求めれば求めるほどに離れて行って、私を傷つける。分かっていても私は求めずに居られませんでした。
そんな中現れたのが、カヲル君でした。アスカに代わるフィフスチルドレン。そして、最後のシ者でした。
彼は、私の事を「好き」だと言ってくれた、初めての人でした。
少ないながらも私には友人も居ましたし、壊れる前まではアスカやミサトさんとも良好な関係を築けていたと思います。ですが、誰一人として私に口にしてくれた事はありませんでした。
その事は決して日本では珍しい事ではなく、そこは私が察しなければならないのでしょう。少なくとも途中までは私の事を「嫌いではなかった」とは自惚れています。
実際、私はその程度には好意を察していました。でも私は信じられなかった。本当に自分が感じた事を信じても良いのか。私の一方的な思い込みで、実は嫌われているのではないか。その想いは絶えず私の心の中にありました。
加えて彼が現れる前には信じられない事が続けざまに起こっており、私自身が信頼できる、心の拠り所となる何かを欲していたのは否めないでしょう。

なのにまたしても私は裏切られました。
彼にそんなつもりはなかったのでしょう。断片的にですが覚えている彼の行動や言葉を振り返ってみるに、そんな気がします。
しかし、その時の私にはそんな彼の心情や行動の意味を深慮する余裕はありませんでした。重ねて言いますが、もう私は追いつめられていました。目に見えるものしか信じる事が出来ず、それだけが真実でした。
なので彼は使徒で私はそれを滅ぼす方の立場。半ば染み付いてしまった考えだけに支配され、そして実行しました。
今度は本当の意味で自分の手で人を殺しました。自分を好きになってくれた人を殺しました。
なのに今度は心は平坦でした。平坦に深く沈みました。激高も動揺も無く、静かにどこまでも内へと潜っていきました。
「彼の方が生き残るべきだった」
その後悔だけが私の中に残り続けていました。


それからの事はよく覚えていません。はっきり覚えているのは私がアスカを汚した事、ミサトさんが撃たれた事、そしてアスカの乗った弐号機が白いエヴァ達に食われていた事くらいです。私の叫び声が聞こえた後は全てが曖昧で、ずっと夢の中に居るようでした。
綾波やカヲル君、そして母さんに出会ったような気がしますが、事実は覚えていません。
ただ、あそこで起こった事は大方理解しているつもりです。覚えておらずとも私の中にそういうものとして刻まれています。

あそこで父さんが何を思い、何を考え、そして何を得たのか、または何を失ったのか。
全てが始まり、そして終わった後でも貴方は黙して語りませんでした。私もその事について尋ねる事も無く、結局知る事無く15年もの年月が過ぎてしまいました。
満足したのでしょうか。貴方が10年もの長い年月と人生の全てをつぎ込んで計画した補完計画。あれが成功だったのか、それとも貴方が意図しない結果で失敗だったのか。私には分かりませんし、分かりたくもありません。あの出来事は私の中でも未だに消化できず、時には夢にまで出て苛みます。
ですが、もし、全てを外から見ていた観測者が存在するのならば、彼は笑うでしょうか。愚かな男が愚かな事を起こし、周りの人間もそれに振り回されていたと嘲るでしょうか。強大な運命に抗う事もせずにただ流されていた少年に何を見出すでしょうか。
納得はしていません。まだ許せてもいません。
常識的に考えても許される事ではありませんし、他の誰が糾弾しなくとも私が貴方を糾弾します。
しかし、一人の男としての立場で貴方を慮った時、同情できる部分もあり、そして強く共感できました。




全てが終わり、第三新東京市から離れた私は松本へと戻り、中学卒業まではまた先生の元で、卒業してからは一人暮らしを始めて高校へ通いました。
それまでの目まぐるしい毎日はそこには無く、静かで何の変化の無い日々が続きました。
先生達は相変わらずで、私に関心が無いくせにあるふりをして構ってきました。ですがそれも帰ってきた当初は懐かしく感じていました。
何も無い、という事がある。そんな感じでしょうか。あの街で一年近くを過ごした私にとって最早以前と同じ生活は何も心を揺さぶる事も無く、穏やかと表現してもよいかもしれません。
あの街で起きた全てに蓋をして、何も考えずに生きていました。

そうして四年が過ぎ、気付けば高校をも卒業していました。何事も無く、ただ時だけが経っただけで思い出も何も残っていませんでした。
渇きにも似た何かを感じていたのでしょうか。静かな生活を望んでいたにも関わらず、満たされていなかったのかもしれません。それとも周りとの温度差に焦っていたのでしょうか。
ほとんど変わっていない世界。でも確かに変わった世界。
目に見えない程の小さな変化を経た新しい世界で、私だけが変わっていなかったのです。
その事を自覚した瞬間、私は怖くなりました。皆、自分の殻を割って新しい自分に向き合っているのに、私だけが第三新東京市に残されていました。

それから私は海外へと行きました。もうこれ以上日本に居たくありませんでした。
なまじ知っている人が多く、その度に私が変われていない事を強く自覚させられて、ひどい自己嫌悪に陥る毎日が耐えられなかったのです。
幸いにして学力には困りませんでした。中学まではパッとしない成績でしたが、高校に進学後は自分でも驚くほど全てが理解できていました。恐らく父さんと母さんの頭脳を受け継いだのでしょう。もしくはあの紅い海で何かが変わっていたのかもしれません。
お金についても全く困りませんでした。アスカや綾波と違って一年足らずという短い期間でしたが、私の口座には一学生が持つには多過ぎる額が毎月振り込まれていましたし、ネルフを離れる時にも退職金と、毎月の年金が振り込まれていたのですから。
私はほとんど自分というものに投資してきませんでしたから、振り込まれる額のほとんどが貯金となっており、この辺で一度使ってみるのも悪くない、という考えもあり、私は決意しました。

半年間の英語の勉強を経て、私はイギリスへと行きました。イギリスを選んだ理由は特にありません。英語しか勉強してませんでしたので英語圏である国へ行きたかったという、ただそれだけの理由でした。私らしい現実的な決め方らしい、と今、振り返ってみてそう思います。
イギリスの、特に有名でもない田舎の大学へ何とか入学し、それから私は医学の道を志す事にしました。
その根底にはやはりあの一年がありました。
トウジの妹を傷つけ、トウジを傷つけました。多くの人を傷つけました。綾波を捨て、アスカを救えませんでした。
私は変わりたかった。変わって囚われているあの一年から抜け出したかった。
かつて救えなかった事に対する代償行為です。しかしそれを行う事で新たな自分になれるのではないか。それを願っての行動でした。

それからの日々は順調でした。初めての海外で不安でしたが、幸いな事に同じアパートに私と同じような学生が住んでおり、その不安を紛らわす事が出来ました。
勉強は当然ながら大変でしたし、文化の違いに戸惑う事も多く、トラブルにも巻き込まれたりもしましたが、それはある意味で新鮮な感動を私に与えてくれていました。
全く違った環境で、見た事も聞いた事も無い場所。それは私を解放してくれていました。心の底から泣いて、笑って、怒って、喜んで……凍てついていた感情が少しずつ解けていくのを実感しました。
不安なはずなのに、誰も私の事を知らないはずなのに、友人が出来て、初めての事に挑戦する事が心地よい刺激になってました。
恋もしました。誰かを好きになる事なんて無い。そう信じていた私にとって衝撃で、そして嬉しかった。
あの後、一度たりとも誰かに心を開く事はありませんでした。心をときめかせる事は無く、起伏の無い感情を持って一日を生きる。それだけの日々です。
女性を見ればアスカを思い出し、綾波を思い出し、ミサトさんを思い出し、リツコさんを、マヤさんを思い出す。思い出しては皆に嫌悪し、嫌悪する自分に嫌悪する。ひたすらに同じ場所をグルグルと回っていました。
ですが日本を出て初めて今、生きている。それを強く感じました。あの街から解放されたのだと、涙が溢れそうでした。
結局、彼女とは長くは続きませんでしたが、私は生きる事が楽しい。そう思えました。それは生まれて初めてだったのかもしれません。
大変ながらも充実した毎日。世界が、比喩では無くて輝いて見えました。

イギリスに渡って、そうして気付けば8年が経っていました。
私はその間にはすっかり忘れていました。あの一年の事はすでに過去の事で、時々思い出しもしましたが、徐々に記憶は薄れていき、そしてそれが当然なんだと時の流れに任せていました。
本当に、当たり前の事です。当たり前に仕事をし、当たり前に友人と遊び、当たり前に恋を重ねる。ありふれた、恐らくは普通に生きる人達にとってはこれまで普通に接してきた出来事に私は触れていました。ならばその当たり前に過去が塗りつぶされていくのはやはり当たり前の事なのでしょう。

8年が経つ間に私は正式に医者となり、内科医として幸いにして病院に勤める事が出来ていました。小さな田舎町の、それほど大きく無い病院で、当然医者の数も少ないですからそれなりに忙しい毎日で、そして充実していました。
病院に来る人はそう大きな病気では無く、もちろんそれは喜ばしい事で、ですが人の命に触れているという事実は私に重しを置き、それと同時に心を軽くしてくれます。
私の期待した通りに医師という職業は贖罪を私に許してくれていました。一つの小さな命が少しだけ私の肩を軽くし、一つの大きな命が私という存在を許してくれる。
こんな私を、外国人である私を皆信頼してくれ、私もまたその信頼に応えたい、と強く願っています。


ですが、どんな事にも終わりが来るように、そうした日々はやがて終わりを迎えました。そしてそれは望まない事ほど唐突に訪れるものです。
ある日の事でした。ロンドンは霧の都、と以前には呼ばれていたようですが、その日の数日前からどんよりとした天気が続いていました。こうした天気の場合は比較的患者さんの数も少なく、私も落ち着いて診察が出来ていました。
午後になり、午前よりもやや患者さんの数も増えて少し忙しくなりそうな予感がしていた時、一人の患者が私の前にやってきました。髪は長い金髪で、同じ様に長い前髪で目を隠す様にしていました。
それについて別段思うところも無く、私は診察を始めました。髪を下ろしているのは何か理由があるのかもしれないし、もしくはファッションかもしれない。医者としてはそういった個人的な事情には一切立ち入ってはいけませんし、私もそのつもりで診察を行いました。
病状はただの風邪。少々持病があるようでしたが、それを考慮しても薬を飲んで数日安静にしておけば問題ない程度のものでした。
薬の処方箋を書き込む為にカルテを手に取りました。
そこで私の手が止まりました。それと同時に患者さんが私に声を掛けてきました。

「シンジ……?」

未だ、あの街は私を追いかけて来ていました。


その日一日は仕事になりませんでした。何をしている時でも彼女の顔が浮かんできて集中できません。
あれから10年以上が経過していて、私も彼女も大人になりました。だから昔みたいに彼女から罵られたり、といった事はありませんでした。
だが逆にそれが私を苦しめます。
アスカは私を拒絶し、私もアスカを最終的には拒絶しました。拒絶されるのが怖くて、私は彼女を殺そうとしました。紅い海のほとりで、彼女の首を締めました。
全てが溶け合ったあの海の中で、私と彼女だけが外に居ました。腕と目に包帯を巻き、寄り添うようにして浜辺に寝転ぶ私達。少しだけ動かせば手が触れ合う距離。ですが私と彼女の距離はどこまでも遠く離れていました。
どうせ拒絶されるなら。私の腕は気付けば彼女の首に伸びていました。彼女が私の隣に居る、その事がすでに拒絶されているという事に他ならないというのに。
力を込めようとしても私の腕には力は入らない。彼女の首は締まっているというのに、最後の力がどうしても込められませんでした。
告白すれば、私は彼女が好きでした。初恋でした。当時はそんな自覚は無く、ですが彼女との掛け合いは楽しかったのは、数少ないあの街での良い思い出です。
だからこそ余計に怖かったのです。彼女に拒絶される事は私が一人になるという事を意味し、耐えがたい事だったのです。
やがて彼女の手が私の頬に触れました。愛おしげに撫でる彼女の腕は、冷たく感じました。そして、予想された通り、彼女は私を拒絶しました。

アスカがやってきたその日から、私の中の日常に彼女が入り込んできました。別に彼女が何かをしたわけではありません。ただ勝手に私があの日の夢に悩まされているだけでした。
夢の中で彼女は責めます。嗤います。どうして私を捨てたの、と。どうして助けてくれなかったの、どうして私を見てくれなかったの、と。
私は彼女に拒絶されて以来、日本に居る時でも彼女と顔を合わせる事はしませんでした。病院に収容されても見舞いにも行かず、彼女と距離を置き続けました。ミサトさんからアスカがドイツに戻る事になった、と手紙を頂いてもただの事実として流し読んだだけでした。
先にただ何となくイギリスを選んだ、と書きました。それは正しくはあるのですが正確ではありません。少なくとも選択肢からドイツという国は除外していました。その理由はもうお察しいただけると思います。

14歳の彼女の幻影から逃れるために私はある行動を起こしました。何だと思いますか。恐らく他の人が聞いたら笑ってしまうでしょう。もしくは嘆いてくれるかもしれません。でも貴方なら恐らく理解してくれるだろうという確信は持っています。
私は何度目かの通院に訪れた彼女に告白しました。付き合って下さい、と。
あの出来事の結果、彼女は左目を失明し右腕も動かなくなっていました。にもかかわらず彼女は一人でひっそりと暮らしているとのことでした。
お気付きでしょうが、私はそんな彼女の世話をする事で過去の禊を行おうと考えていました。自分勝手な考えですが、何らかの事をしない限り私は一生彼女に犯した罪に囚われたままだったでしょう。
突然の告白に彼女は戸惑ったようで、数日返事を待って欲しいとのことでした。勿論私は了承の意を彼女に伝えました。数日悩まされる日が伸びましたが、下手に焦って永久に機会が失われる事を考えると拒否など出来ませんでした。
二、三日、ひょっとすると一週間ほど待たされる事になると覚悟しましたが、意外にも翌日には彼女から返事が来ました。内容はOKとの事。その日の内に私は彼女を自分の家に呼び寄せました。
田舎故に家賃も安く、日本と違い基本的に一軒の部屋数も広さも大きいので彼女が来ても十分な間取りはありました。荷物の整理を手伝いに彼女の家を訪ねようとしましたが、それは断られた為、私は開いていた部屋の掃除を始めました。
仕事の終わった後に少しずつ掃除していましたが、元々物も少なかった為、数日で終わりました。そしてそれを見計らっていたかの様なタイミングでインターフォンが鳴りました。
ドアを開けると同時に作業服を着た男が入ってきて、抱えた段ボールを入れていきました。以前の彼女の荷物の量を知っていましたので、今回もまた文句を言われるんだろうな、と半ば覚悟して苦笑いを浮かべましたが、男性は二、三度玄関を出入りすると玄関に座り込んでタバコをふかし始めました。部屋は基本的に禁煙でしたが、一仕事終えたばかりですし私も口うるさくは言いませんでした。
タバコに火を点けて一、二分経ったでしょうか。アスカがやってきて男性にお金を渡し、男性は笑顔で札束を振って去って行きました。
つまりは彼女の今の荷物は彼が置いて行った段ボール数個分に過ぎず、過去の彼女を知る私からしてみれば非常に意外でした。
私の視線の意味に気付いたのか、彼女は笑いました。これが今の自分なんだと。


静かに、私とアスカの共同生活が始まりました。
今まで仕事は何をしていたのか尋ねたところ、彼女からは何も、との答えが返ってきました。ずっとネルフからの給料の貯金と年金で生活してきたとの事でした。
私の家に来てから、彼女はずっと窓辺の椅子に座っていました。そしてひがな一日中外を眺めているのです。晴れの日も、雨の日も毎日。朝、私が仕事に出掛けて夕方帰ってくるまでその体勢が変わっていない事もありました。時々、帰ってくると食事が用意されている時もありましたが、基本的には何もせず、彼女はそうして過ごしていました。
私はそれに特に文句はありませんでした。仕事に疲れて帰ってきても、家の全ての仕事は私のもので、それこそが私が望んだものでした。
彼女の為に全てを捧げる。彼女の為に食事を作り、彼女の為に風呂を沸かし、彼女の為に体を診る。彼女こそが私の全てで、その為に私は存在していました。
彼女が望むならセックスをし、望まないなら別の部屋で寝ます。泣いている時は一晩中彼女の背中を抱きしめ、怒っている時はその捌け口にと自分の体を差し出しました。時に優しく時に厳しく。私の世界は文字通り彼女を中心に回っていたのです。
誰がどう見ても歪な関係です。もし私が傍観者の立場であったなら街が居なく忠告したでしょう。やめろ、と。すぐに関係を断ち切れ、と。ですが、私と彼女の関係は間違いなくそれで上手く回っていたのです。

そういった生活を始めて一年ほど経った時でしょうか。アスカが妊娠しました。
特に避妊する事もなく幾度も体を重ねていましたので、私もアスカも別段驚きもしませんでした。
私としてはアスカには是非産んでほしいと思っていましたが、実際に出産するのはアスカですし、残念ではありますが、もしアスカが望まないのであれば諦めようとも考えていました。私が説得したところで彼女が本気で望んでいないのであれば、それは不幸しか呼びません。私は望まれない子供を産む事は避けたかったのです。
彼女は昔、子供なんて要らないと言っていました。だから私はその時の妊娠も、彼女は望まないだろうと、悲しいですが中絶も覚悟していました。
ですが再び意外にも彼女はあっさりと頷きました。病院で正確に妊娠が発覚し、私が尋ねると二つ返事で了承したのです。
勿論、私は嬉しかったのですが、昔とは違う彼女に時の流れを感じ、そしてやはり私だけが変われていない事に一抹の寂しさを感じました。
しかし、彼女は私の隣でそっと自分のお腹を撫でていました。その顔は今まで見た事のない、優しく、慈しみに満ちていて、自らの中に宿る新しい命を愛おしげに感じていたのです。それを見て私の中のそういった負の感情は小さくなっていきました。そして私も彼女のお腹に触れ、小さな命に触れさせてもらいました。

それからの時間は瞬く間に過ぎて行きました。
日本に比べて遥かに涼しい夏を感じ、短い秋に驚嘆し、凍えそうな冬にアスカと二人で体を暖め合いました。8年も住んでいてようやく私は季節さえも日本と違う事に気付いたのです。それは、私に自分の周りを見回す余裕がなかった事を示していました。8年間散々楽しんでおきながら、その時に至るまで私の心は日本に残ったままだったのでした。
私は変わっていきました。イギリスに来た当初に感じた明確な変化ではありませんでしたが、事あるにつけて変化を感じました。
そして彼女も変わっていきました。鳴りを潜めていた彼女の喜怒哀楽も露わになる事が増えていきました。
私と共に笑い、ケンカし、悲しい時に共に涙し、そして二人で一緒に居れる事を喜びました。かつての私達の姿がありました。あの街での私達が確かにそこに居たのです。

幸せでした。そしてその幸せが永久に続くと私も、アスカも信じて疑っていませんでした。


私とアスカが再会して2回目の春が訪れた頃でした。凍りつく様な季節の中に、わずかに温もりが感じられる季節でした。
アスカが死にました。よく耳にする表現ですが、眠るように逝きました。穏やかで、あまりにも静か過ぎて、また朝になれば私の隣に居るのではないか。そう思わせる死に顔でした。
元々彼女は出産には耐えられない体だったのです。あの街での後遺症から、長らく薬を服用していたらしく、体力がありませんでした。元気だった彼女はもう居なかったのです。その事に、愚かにも私は医者でありながら気付きませんでした。
冷たくなった彼女の隣で、私はただ茫然と立ち尽くしました。自分を責めました。何のために私は医者になったのか。
誰かを救う為に私は医者になりました。それが一番身近な人さえ救えなかった。それどころか、彼女の状態に気付く事さえ出来なかった。出来なかったのです。

それからの時間は、彼女と過ごしていた時とは違った意味で瞬く間に過ぎて行きました。彼女の葬儀が終わり、気付けば再会した頃の彼女と同じように窓辺に座って外を眺めていました。
何もする気が起きませんでした。春になり、冬の寒さが和らぐと共に色とりどりの自然が戻ってくるはずでしたが、私にはただの白黒にしか見えません。温もりの兆しも、何も感じられませんでした。冷たい現実だけが私に吹き付けられていました。彼女の残した私達の子供の世話も、ロボットの様に、与えられた仕事をこなす様に淡々と行っていました。
何の為に生きていけばいいのか。
彼女とは贖罪のつもりでした。昔に出来なかった事を、倍ほどの年齢になってようやく実行でき、それが生きがいでした。
なのに私は愛してしまった。彼女を愛してしまっていました。愚かにも私がその事に気付いたのは彼女を失ってからでした。自分で愛する人の命を絶ってしまったのです。自らを幾度と無く責め、食事も喉を通らず、私は痩せ細っていきました。
もし彼女の笑顔をもう一度見れるならば、もし彼女が再び微笑んでくれるなら。その為の集団が存在するなら、私は全てを投げ出してそれに取り組んだでしょう。かつての貴方がしていた様に。そして、一人残された世界から、私を救い出して欲しかった。

単調な毎日がどれ程続いたのでしょうか。子供もハイハイが出来るほどに成長し、また厳しい冬が訪れる頃でした。
塞ぎこみがちな私とは違って、子供は元気良く動き回り、私が目を離すとすぐに何処かへと行ってしまい、それに振り回されながらも少しだけ元気を分けてもらっていました。
ある日、また子供の姿が見えなくなり、広く感じるようになった家の中を探していました。ガタゴトと聞こえる音に導かれて子供の元へ向かい、そして一つの部屋にたどり着きました。
それは彼女の部屋でした。彼女を亡くして以来、ずっと遠ざけていた部屋でした。
扉の前で一度深呼吸し、ためらい、そして扉を開きました。
ずっと閉ざされていた部屋には彼女の匂いが残されているようでした。埃の中に混ざる彼女の残滓。一度だけ、タンスの前で着る洋服に頭を悩ませる彼女の姿を幻視しました。
そのタンスの前に子供が居ました。開いたタンスの取っ手に手を掛けてガタガタと音を立てていました。辺りには彼女の服が散乱し、そして子供の手には一つの封筒。私は膝をついてそれを手に取りました。

タンスの隙間に落ちていたのでしょうか。それとも彼女が服の中に隠していたのかもしれません。私に当てた、相変わらず上手くは無い日本語で書かれていた手紙です。震える手で私は便箋を広げました。
そこには2015年から私とイギリスで出会うまでの事が書かれていました。丹念に、丹念に彼女が何を思い、何を願い、どのようにして生きてきたのか、決して彼女が語らなかった全てがそこにありました。
話は日本に来る事が決まったところから始まり、死の数日前まで続いていました。前半は主に第三新東京市の事が、私に当てたというより書き連ねる事で出来事と当時の彼女を確認していた様に思います。一つ一つ、丁寧に振り返っていました。
彼女は私と同じでした。あの街にいつまでも囚われていて、離れられず、逃げるように日本を発っていました。ドイツへと戻り、だけども逃れられず、行き着いた先がこの町でした。
私の申し出に応えたのも贖罪だと彼女は手紙の中で答えていました。紅い海のほとりで私を拒んだ、その償いだったと。私が望んだ理由を知り、それでも尚、彼女は私と居る事を選択してくれました。彼女がそんな思いを抱く必要など、何処にもないというのに。
どこまでも私達は似た者同士だったのです。方向性こそ違えど、望んだもの、願い、期待……全てが同じでした。
それが妊娠が発覚して、徐々に彼女の気持ちも変化していきました。自分の中に宿る新しい命を愛おしく思うと共に、私の事も愛しく感じていたというのです。この私の事を愛してくれていました。私達が気付かない内に昔の、未だに血を流し続ける傷跡をなめ合う関係から、夫婦へと変わっていました。

手紙を通して彼女は言いました。私達は出会って良かった、と。再び会えて良かったのだと伝えてくれました。
一人で進めなくても二人なら。二人でダメならば子供と一緒に。時間は掛かったけれど、自分達は前に進み始めた。ようやく昔の自分を克服できた。生きていて良かった。そしてシンジ……アンタに会えて本当に良かった。
だから、アタシが居なくても子供と一緒に未来を楽しんで欲しい。アタシの分まで一生懸命生きて欲しい。それだけがアタシのアンタに対する望みです。

何度も何度も目元を拭いました。それでも拭いきれない程の彼女に対する思いが溢れ、手紙を濡らしていきました。悔しさと、嬉しさと、悲しさと。全てがない交ぜになって私の中に溢れだします。
抑えきれない衝動に抗えず、手紙に顔を押し付け、彼女を失って初めて私は泣き声をあげました。あらん限りの声で叫びました。喉が切れて血の味が口の中を満たし、それでも私は叫び続けました。

伏して泣き続ける私に、不意に触れる何か。柔らかい娘の指先が私の涙の跡を一生懸命拭っていました。
突然私が大声を上げた事に驚いたのか、いささかキョトンとした表情を浮かべていましたが、優しい笑顔を浮かべ、ペタペタと私の顔に触れて来ていました。
私は娘を抱き締めました。子供の温もりが優しく私に伝わり、癒してくれます。涙が止まり、笑顔を浮かべて私は娘と初めて向き合いました。
私はその時に決意しました。娘と共に生きていく事を。アスカの居ないこの世界に逃げずに向き合う事を。



長くなりましたが、これがあの年からこれまでの全てです。
正確には、アスカが亡くなってもう5年が経ちました。その間にも当然ながら色々とありましたが、これ以上はあまりにも長くなりすぎてしまいますので割愛させて頂きます。
どうしてこんな手紙とも言えない冗長な手紙を書こうと思ったのか。実は私自身にも良く分かっていません。
先日、リツコさんから貴方の病状について伺いました。もう長くないと聞きました。本人に向かってこんな事を書くのはどうかとは思いますが、死に向かっていく貴方に私という人を知って欲しかったのかもしれません。あるいは、貴方が私や母さんに対してどの様な感情を抱いていたのか、父となって初めて分かった事を書き連ねる事で確たるものにしたかったのかもしれません。

日々仕事と子育てに邁進して参りましたが、最近になってようやく時間に余裕が出来てきました。なので、近々日本に帰り、貴方のところへ顔を見せに行きたいと考えています。
娘も大きくなり、私とアスカが出会ったあの街を見せたいという思いもあります。そして、私自身、もう一度あの街に向き合いたいと思えるようになりました。貴方を始めとして綾波やミサトさんにリツコさん、もし会えるのならば当時の友人達にも会いたいと考えています。
それと同時に、もし主治医の許しが出るならば、一杯だけでも杯を交わしたいと思います。そして貴方と本心から語りあいたい。そう考えています。

とりあえず今はこの辺で筆を置きたいと思います。残りは貴方と顔を合わせて、出来れば貴方の昔語りを聞きたいですね。
それでは失礼します。お体にはくれぐれもお気をつけください。






敬具







「パパぁ、準備できたよぉ」

娘の声にシンジは椅子から腰を上げた。立ち上がって壁に掛けられた上着を着込み、予め準備しておいたキャリーケースを押して玄関へと向かう。娘も小さなそれを押し、シンジの隣に並んだ。

「ねえ、第三新東京市ってどんな所?」
「ああ、とっても良い所だよ。」

そう言ってシンジは娘の頭を撫でて、扉を開けた。







二次創作一覧に戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送