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opening(10/08/07)
第一話 幻想、現想(10/08/21)
第二話 優秀、不断(10/08/28)
第三話 以上、異常(10/09/18)
第四話 領収、終了(10/10/02)
第五話 痛い、遺体(10/10/16)
第六話 狂理、来裏(10/11/06)
第七話 狂鬼、覧負(10/11/20)
第八話 理解、乖離(10/12/11)
第九話 切る、悠(10/12/23)
終の話 生死潰し(10/12/26)
第1-20章(11/02/26)
第1-21章(11/03/06)
第1-22章(11/03/06)
オマケ話 -晩夏のバカンス-(11/02/06)





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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






-第三話 以上、異常-







夢を見ていた。
夢らしくどこかぼんやりとした景色で、そこに何か有るのにそれが何かを認識できない。認識できないけど、それが何なのか、そこがどこなのかを何となく理解できている都合の良い世界。現実もそれくらい都合よくできていたら、と夢の中でさえも思ってしまう。夢にまで嫉妬するなよ、とも思わないでもないが。
それはともかくとして、その曖昧な景色から僕は教室にいることを理解した。それは大学や高校ではなくて小学校の教室。正面の黒板らしきものの上には、当時よく見かけていた、小学校の先生らしい綺麗な字で書かれた学級目標が掲げられている。

何年生の夢なのだろうか。
それは分からないけど、教室の中には懐かしい顔ぶれが笑っていた。小学校の時、放課後よく一緒に遊んだヤツ、昼休みに一緒にバスケをやっていたヤツ、バカをやってよく怒られていたヤツ。そいつらが一人も欠けることなくそこに立っていた。
僕はそいつらを少し離れた場所から眺めていた。その立ち位置がどこかは知らない。ベランダかもしれないし校庭かもしれない。もしかしたら宙に浮いてみているのかもしれない。それが一番しっくり来る。おかしいと思うけど、まあ夢なんだし、と深く考えずに僕は観察に専念した。
眺めていると一段と懐かしさが込み上げてくる。あいつら今も元気にやってんのかなー、なんて中学以来会うことさえしてない彼らにノスタルジックな感傷がじわりと胸の中に溢れてきた。
今度、連絡でも取ってみようか。
彼らが今、どんな生活を送っているのか知らない。僕みたいに県外に出ているのかもしれない。けれどお盆くらいに連絡を取ればきっと繋がるだろう。
当時の連絡網ってまだ取ってあったかな。ずいぶんと薄れてしまった記憶を辿り、実家においてある机の引き出しの中にしまってあることを思い出す。今度実家に帰ったら確かめてみよう。
と、突然僕の手の中に電話とその連絡網が現れた。

――ああ、どうせだし今から電話かけてみるか。

夢だし、とやっぱり深く考えず、相手に連絡を取れるかどうかも分からないのに電話のボタンを押そうとする僕。
だけど当然ながら番号を覚えているわけでも無いので、僕は連絡網へと視線を落とした。
ええっと、あいつの番号は、と……
連絡網の先頭から順に辿っていく。それは極々普通の行為で何の変哲もないはずで、そうやって辿っていけばいつかは目的に辿りつけるはずだ。
なのに気づけば僕の指は連絡網の最後に到達してた。
あれ、と首をかしげる。右に四十五度ほど。そしてまた最初から辿り始める。そしてまた最後に到着。右に四十五度傾く。また最初から辿る。最後に着く。右に傾く。始まる。終わる。傾く。最初。最後。右傾。開始。終了。
何度やっても目的に着かない。見つからない。誰一人として見つからない。ますます僕は首を捻る。
なんでだろ?見つからない理由を探しに思考を巡らせる。視線を周囲に巡らせる。
相変わらず楽しそうに談笑してる彼ら。そこに僕の姿は無い。
いいなー、と僕も相変わらず傍観者に徹していて、ただ見つめているだけで、そして僕は気づいた。

――名前、何だっけ……?

途端、ストンと自分の中で腑に落ちる。連絡網に見つからない。そんなの当たり前だ。
だって僕は彼らの名前を忘れているのだから。
それと同時に思い出す。当時の僕を。
僕は、彼らが嫌いだった。


もっと正確に言うならば、僕は彼らが嫌いではない。彼らの在り方が嫌いだった。
もっとも、それは今になって言えることで、当時の僕がその違いを認識できていたかと問われれば迷わずに首を横に振れる。
彼らと一緒にいるのは楽しい。話をするのは楽しいし、一緒に遊ぶのも楽しかった。そしてそれと同時に彼らといると、時折ひどくイラついている自分がいることにある日、気づいた。それは感性の違いに起因していると言えるかもしれない。
幼さ故のわがままで、周りを気にせず自分のわがままを押し通そうとする態度。言われた事さえ守れず、周囲に迷惑を掛ける同級生。
何が面白いのか分からない冗談を口にしては笑い転げるクラスメイト。
それは僕には相入れず、そうした中に自分はいなければならなくて、そういった周囲と同じ評価をされていくのがとても嫌だった。
彼らはあまりにも奔放で、あまりにも自由で、あまりにも年相応で。それがうらやましかった。
何者にも縛られず、何にも気を遣うことはなく、ただ自分があるがままに存在していられる。
そんな、誰もが浸れるはずの微温くて居心地の良い時間。その中に彼らはいることを許されていて僕は許されていない。それは特権だけども、特権と言うにはあまりに多くの人が持っていて、なのに僕には無い。それが僕は悔しくて妬んだ。
もちろんそれは僕の大きな勘違いで、僕にも享受する資格はあったはず。望めばきっと手に入っただろうと思う。だけどもその事に気づくはずもなく、それを僕は捨ててしまっていた。

夢の中の僕はそれらを思い出す。思い出した途端、目の前の彼らが消えていった。段々と姿が薄れ、空気に溶け込み、霧散していく。本当に、何とも都合の良い世界だ。
僕の視界も徐々に薄暗くなっていった。
夢が覚める。知覚とも予感ともとれる曖昧な感覚でそれを感じる。
そしてまた不都合な現実が始まる。
大きく一息。僕は夢の中でため息をついた。








ガヤガヤガヤ、と、騒ぐ騒ぐ、誰かが騒ぐ。自分だけの世界を侵され、冒され、犯される。
どうして一人でいさせてくれないのか。
どうして僕を僕のままでいさせてくれないのか。
どうしていなくていい時にお前らはいて。
どうして、いて欲しい時にいてくれないのか。

耳障りなまでに不快な騒がしさに僕はようやく眼を覚ました。一度メガネを外して寝ぼけ眼をこすると視界が次第に開けてきて、それに従うように頭も覚醒を始め、かけ直したレンズ越しに周囲の現場情報を処理し始める。快適な眠りから僕を起こした不快音は学生達の話し声で、安眠を妨害された腹いせに鋭い目線を彼らに送ってみる。無論効果など無い。むしろ効果などあっては困る。そんな注目のされ方はもっての外で、注目されないと分かっているからこその行動ではあるのだけれど。
頭を乱暴に掻きむしって他の学生が教室の外へと出て行くのを横目で見ながら大きく背伸び。無理な姿勢で寝てしまっていたせいか、体の各所が痛い。
伸びをしながらも大きなアクビを一度。溢れてきた涙越しに視界を下に向ければ、そこには見事なまでに真っ白なノートがあった。

「しまったなぁ……」

ひとりごちてみるも状況が変わるわけも無く、もしつぶやくことでこのノートが真っ黒になるのなら嬉しい。いや、それはそれで気味が悪いことこの上ないな。
ま、いいや、と僕はもう一度大きなアクビをする。正直、まだ寝足りない。一切ノートにメモが残っていないことを考えると恐らく授業が始まって速攻で寝てしまったんだろうけど、たった九十分の睡眠では僕の寝不足は解消されはしない。こうやって白紙ノートを眺めているだけでもまた夢の世界に旅立ってしまいそうなくらいで、ノートの事などどうでもいいくらいには僕は疲れているらしい。

「ちーっす。どうした鏡ちん、ぼーっとしちゃって。
おおっ! どうしたよ、この真っ白ノート? もしかして寝てた?」
「ああ、寝てましたよ寝てましたとも。最近寝不足なんでね」
「寝不足ねぇ……鏡ちんともあろう御方が珍しい。……もしかして毎晩ムフフな展開でも始まった?」
「期待に沿えなくて悪いが一切そういう話は無い。だからその気持ち悪い笑顔をヤメロ。ついでその変な呼び方も今すぐ止めろ。今すぐに、だ。Do you understand?」
「ケチくせえ事言うなよ、鏡ちん。俺らの仲じゃん?」
「残念なことにそれは否定できないけどさ……」

言いながらため息が出る。本音を言えば口を開くのもダルい。中途半端に寝てしまったせいか体は鉛を吊るされたみたいにずっしりと重くて、立ち上がるのも億劫だ。
そんな僕の様子が伝わったんだろうか。ふと正祐を見上げると珍しく真面目な顔をしてこっちを見ていて、おもむろに手で前髪を掻き上げると額を僕の額と合わせてきた。

「ふーん……熱は無いみたいだな」
「わざわざどうも。あと、顔が近い」
「イケメンの俺を間近で見られて感動モンだろ?」
「寝言は寝て言えよ。ついでに寝る前に鏡を見てこい。さぞオモシロイもんが見れるぞ」
「相変わらずヒデェ奴だな。ま、それはともかくとして、とりあえず食堂行こうぜ? 大方食欲も無ぇ、なんて吐かしてくれちゃうんだろうけど、無理矢理にでも詰め込んどけよ。じゃねえと体ホントに壊しちまうぞ?」

このまま寝てしまいたい衝動を堪え、正祐の優しさを身に感じながら「そうだな」と僕は立ち上がる。頭はフラつくし、一瞬立ちくらみが襲ってきたけどそれを何とか堪えて、ノートをカバンの中に仕舞い、いつもより重く感じるカバンを肩に掛ける。確かにこのままだと体を壊してしまうだろうし、何より、今はもう眠れそうな気がしなかった。

「っと、そうだそうだ。俺のノート貸してやるよ」

と、突然幻聴が聞こえた。そしてそれはどうも正祐の口から出てきたらしい。うん、間違いない、幻聴以外何物でもないはずだ。そうだと言ってよ、正祐!

「……スマン、よく聞こえなかった。もう一度言ってくれ」
「こんな状態でもお約束な反応は欠かさねーのな……」

ぶつくさと言いながらも正祐がカバンの中から、端の折れ曲がったノートを取り出した。そしてあろうことか本当にノートを僕に向かって差し出してくる。なんて事だ、これはあれか、もうすぐこの世が終末を迎えるという前触れか。かつての神々の黄昏ラグナロクの様に人類が終わりを迎えてしまうというのか。
絶望に頭を抱えながらもノートを受け取る。

「お前ホントに容赦無いのな」
「感動してるんだよ。まさか正祐からノートを借りる時が来るなんて思わなかった」
「ま、いいぜ。それくらいの暴言許してやるよ。何せ鏡ちんに恩を売れるんだからな」
「恩を返すって発想は無いのかよ……」

そうは言いつつも僕は本気で感動していた。ついに正祐も真っ当な人間に生まれ変わったのか、と。さながら気分はずっと面倒を見てきた担任教師か親みたいだ。まだ出会って一月ちょっとではあるけれど。
心なしか体の重さも取れた気がする。目頭を押さえつつ僕はノートを開いた。

僕はそのまま天を仰いだ。
そして得意気な正祐を一度見て、もう一度ノートに眼を落とす。

「……なあ、正祐。ちょっと左向いてくれないか?」

言われるがままに正祐が左を向く。そしてその口元には案の定ナニカが垂れた跡があった。
僕は黙ってノートを閉じる。閉じて、そのまま無言で正祐の手にノートを握らせた。

「悪いんだけどさ……日本語のノートを貸してくれないか」








どうやら正祐といた時に感じた元気はまるっきり僕の勘違いだったようで、講義中に蓄えた体力も正祐の古代文字ノートを見た瞬間に全部吐き出されてしまったらしい。Mな正祐がもだえて喜んでくれるいつもの罵声を掛ける元気も無く(本人にそう言ったら殴られた)、僕は引きずられるようにして食堂へと連れていかれた。強引に座らせられて目の前にドン、と置かれた特大カツ丼(モチロン支払いは僕持ち)を無理やり胃の中へと押し込められた僕は当然ながら完全にグロッキー状態で、午後の講義を自主休講にして家に帰ることにした。というか選択肢はそれ一択だ。
完全に正祐にトドメを刺された気がするが、まあそれも正祐なりに心配してくれた結果だから感謝こそすれ文句は口にしない。その気になれば人並みの社交性は発揮できるので口にしないだけだけど。まさか大学生活初の休みがこれとは、と思わないでもないが、体調不良による欠席には違いない。別れ際に正祐が「ノートは後で見せてやるよ」とか戯言をほざいていたが、それもせいぜい期待しないで待っておこう。

手を力なく振って帰路についた僕だけれども、そこからがまた少々辛い道のりなのはどうしようもない事だ。キャンパスは狭いけれども、我が学び舎は場所としては何故か一等地にあって、当然一歩外に出れば人ごみで溢れている。都心に近いというのはありがたいけれど、人ごみが苦手な僕にしてみれば少し迷惑さが勝ってしまって、残念なことにあまりありがたみは感じられない。現に、ただ家に帰るだけなのに平日の真昼間からおしくら饅頭状態の道を通らなければならず、夏が近い今となっては、一番の人ごみを抜けた後に残るのはうっすらと自分の体から香ってくる汗の匂いという、何ともアリガタイお土産だけだ。
幸いな事にこんな健康状態でも僕の胃はそれなりに活動してくれているらしく、もしくは汗を掻いたからかもしれないけど、体同様に重かったカツ丼もだいぶ軽くなった気がする。大学の敷地を出た直後は一歩歩くごとに胃の中身を全部吐き出してしまいそうな気がしていたけど、今は風が吹き抜けているせいもあって少しすっきりした気分にまでは回復していた。とはいえ、まだまだ人は多くてムン、とした熱気も全身で感じる。空で無駄に元気にエネルギーを振りまいている太陽が恨めしい。たまにはサボれよ、と言いたい。一日くらい頑張らなくてもきっと誰も困りゃしないよ。むしろ休め。
心の中だけで太陽に悪態をついても当たり前ながら日光の強さに変化があるわけでも無く、かと言って全力で叫んでみても結果が変わるはずもない。夏が来たんだなぁ、と周囲の人に生暖かい眼で見られるのがオチだ。
なのでそんな無駄な努力をする気などは僕にはサラサラと、水分子の大きさほども無くて、ただ小声で「あ゛あ゛……」と濁った声を出すのが関の山である。

夏を前にしてすでに茹で上がり気味の頭でそんな意味の無い事をツラツラと考えながら歩いていたが、未だ多い人ごみの中で僕は見覚えのある人物を見つけてしまった。
長い黒髪に白い七分丈のシャツとベージュ色のパンツ。そして跳ねるように歩く後ろ姿。
そういえば前もあんな格好をしてたな、と戦場での彼女の姿を思い出す。街中で起こった魔法使いたちの戦。あれを魔法使いと言っていいのか、それとも超能力者と言ってもいいのかは知らないけど、どちらも現実には「高度に発達した科学は魔法と変わらない」という言葉よりも差は無いのだろう。ともかく、大してその時の記憶を取り戻してからは、今では鮮明に苛烈さを映像で再生できる。
暑い人ごみの中を、彼女は本当に楽しそうに歩いてた。きっと今彼女のそばに近づけば鼻歌でも聞くことができるだろう。何が楽しいのかは彼女の人となりを知らない僕からすれば想像の埒外だが、きっと今日は非番で、なんだかあの職場はブラック企業よろしくな感じがするから、休みというだけでも嬉しいのかもしれない。もしくはあのどSな課長さんから離れられるのが嬉しいのかも。
誰にも気づかれないのをいい事に好き勝手な想像を頭に繰り広げながら彼女の姿を眺めていたけど、平日の昼間から周囲の雑踏に紛れ込んでいるその姿からは、彼女がおおよそ一般人からかけ離れた生活をしているとは思えない。僕が見ていた限りでは、彼女は後方支援、といった感じだったけど、それでも平然とあんな銃弾やら火の玉やらが飛び交う場所にい続けられるその胆力には正直感服する。あの時は僕も興奮してたせいかあまり恐怖は感じ無かったけど、あんな場所にいたいとは思えない。

「そういや悠さんの力って何なんだろ?」

銃を撃つわけでもファイヤーボールを放つわけでもない。ただ倒れている人に向かって手をかざしていただけ。治療をしてたわけでもないのは、後から医者が来てたことからも否定されるし。
気になった僕は、前を歩く悠さんに歩み寄ろうと足を一瞬だけ速めた。だけどそれはあくまで一瞬で、すぐに足を止めざるを得ない結果に終わる。

一週間前のあの日。食堂で正祐と別れた後に感じた違和感、それをまた感じた。あの時は気味の悪さだけが際立っていたけど、今となっては明確な何かを感じ取れるまでになってしまっていた。
「何か」が何なのかは分からない。分からないけど、そこに何かがあるとはっきり分かる。今のは自分から見て四時の方向。そこで何かが起こっている。
たぶんこれもあの日の出来事がきっかけなんだとは思う。けど具体性が一切無く、ただ方向が分かるだけ。しかも違和感は強烈。全く以て無駄としか言い様がない力だ。おまけにこれが最近僕を心底悩ませてくれているのだからたまらない。
正祐にも言ったように、ここ数日、もっと言えば僕がもう死ねない・・・・のだと分かった日から四六時中いつだってお構いなしにその感覚は襲ってきていた。ご飯を食べてる時でも、授業を受けてる時でも、トイレに入ってる時でもそして寝ている時でも。

どれだけ熟睡していてもその感覚が来れば眼が覚めてしまう。そしてその時に僕は実感してしまうのだ。もう、自分が普通では無い事を。
人と違った力を持ちたい。そう思った事は一度や二度じゃない。だから、他の人と違うのだと感じれるのは喜ぶべき事なのかもしれない。
けれど僕はこんなモノは欲しくなかった。僕が欲しかったのはあくまで普通の範疇を出ない、常識的な能力だった。
例えば天才的な頭脳であったり。
例えばプロのスポーツマンだったり。
例えば芸術的な感性だったり。
僕には才能が無い。だから別に特別な天才じゃなくても構わない。ただ、才能と呼べるものが欲しかった。
自分はこれを頑張っていける。努力していける。他人に誇れる。大多数の人間の中でも埋没しないアイデンティティが欲しかった。
だからこれは違う。努力もできず、人に見せることも誇ることもできない。
死なない事が何の役に立つというのだろうか。誰かを喜ばせることができるのか。誰かを笑顔にできるのか。誰かを救うことができるのか。
のっぺらぼうの群衆の中で自分もまた顔を失っていく。失わざるを得ない。他人に見られ、視線を気にし、マジョリティに望まれる自分の仮面を被って生きていかなければならないのに、自分で終止符さえも打てない。誰しもに平等に与えられるはずの死でさえも僕からは取り上げられてしまった。
毎晩目が覚めて、グルグル回る終わりのない思考を繰り返して寝不足の朝を迎える。不死のくせして痛みも苦しみも飢えも乾きも疲労も感じる中途半端な体。役立たず。まるで僕自身みたい。

不意にぶつかる人の影。伏せていた顔を上げると見知らぬおじさんが苛立たしげに僕を見ていた。どうやら考え事をしていたせいでぶつかってしまったらしい。
つい眼を逸らしながら頭を下げる。人と眼を合わせられない自分の矮小さに苛立ちながら。
おじさんは何も言わずに去っていって、僕はそっとため息をついた。緊張が解けて、僕はまた無意識に悠さんの姿を探していた。
どれだけ意識が飛んでいたのかは分からないけど、まだ視界に入る所に彼女の姿を見つけた。相変わらず彼女は飛び跳ねる様に歩いている。
その時、彼女もまた誰かにぶつかった。ドジっ子らしい事はこの前の取調室の一件で分かってはいたけど、やはりドジなのは確からしい。彼女の行動に気づかなければそう思っていただろう。
だけども僕は見た。ぶつかる直前に彼女はぶつかった男性の背中に手を当てていた。まるで一週間前と同じように。
ちょうどその瞬間を見ていたし、何より以前の彼女の行動を見ていたから僕には分かったけど、たぶん他の人はただぶつかっただけにしか見えなかっただろう。そのくらい何気ない仕草だった。他の魔法と違って何のエフェクトもかからないから分かりづらいけど、でも彼女が何かをしたのは確かだ。
彼女が手を当てるのと同時に違和感がまた襲ってくる。方向は悠さんの方で、そのタイミングはあたかも彼女に関心を示すようで、誰かが誘っているかのようで。
でも僕はもう興味を持てなかった。いや、持ちたくないというのが正しいのだろう。僕は普通で無ければならない。普通に死ぬことはできないけど、普通に生きる事はまだ可能だから。少なくとも、母さんが生きている間は。それに、今彼女たちの世界に首を突っ込めば、もっと僕は死にたくなるだろうから。

忘れていた疲労感と嘔吐感がずっしりとのしかかってくる。人がはけて涼しくはなったけど、今度は逆に寒くなった気さえする。
帰ろう。
大きなため息を一度。ずり落ちかけたカバンを肩にかけ直すと、僕は彼女とは別の道を選んだ。







夢を見ていた。どこにいるのかも分からない夢。誰がいるのかもわからない夢。誰かはいる。それもたくさん。けれどその誰もの顔がぼやけていて、それぞれが誰なのか判別できない。
それでもみんな笑っていた。何が楽しいのか、ここに来たばかりの僕にはよく分からないけど、とにかくみんな楽しそうだ。
不意に、手が差し伸べられた。相手を見ると、顔は分からなくても口元が楽しげに笑っていた。「おいでよ――」口がそう動き、僕もその手を取る。そして彼らの輪に加わる。そうすると、なんだか僕も楽しくなってきた。
そういえば、楽しいってこんな感覚だっけ。久々の感覚に、それ自体が久々だということに我ながら驚き、でもまあどうでもいいか、と楽しい感覚にどっぷりと僕は浸かった。
何をするでもないけど、何故だかみんなと一緒にいると楽しい。意味は分からなくても、勝手に笑顔が浮かんでくる。みんなも笑顔を浮かべてる。
でもこんな時間はすぐ終わるんだ。だってこの世界は嘘だから。そう思った途端に音がどこかから聞こえてきた。

――ああ、またか

夢と現実が交差する音。今の僕が夢を見ているのか、それとも眠りから覚めているのか判断はできないけれど、この音が何を意味しているのかはもうすっかりと理解してしまった。現実だとただの違和感としか感じられないけど、夢の中だからか、音という明確な信号となって僕に知らせてくる。知らせてくれなくてもいいのに。
もう、ココにはいられない。
この後何が起きるか、僕は知ってる。
周りにいたみんなの口元の形が変化して、純粋な笑みから歪むという表現が正しい嘲笑に変わる。僕の周りから離れて顔の無いヒトガタが僕を嘲笑う。みんなが離れる。だから僕も離れる。

こんな世界に僕はいたくない。だから僕は一人でうずくまる。顔を伏せて、耳も塞いで閉じこもる。
夢が覚めていく。世界が壊れていく。それでも僕は隅っこに身を寄せて最後までそれに無駄なあがきと分かりつつも抗った。だけども、だけども弱くて無力な僕は猫に食い殺されるネズミに等しいまでにあっさりと現実へと放り出される。
その直前。
何かが僕を撫でてくれた。






「……っあぁ」

自分の奇妙なうめき声に起こされて僕は眼を開いた。仰向けに寝ていたので最初に眼に入ってくるのは当然ながら天井で、だけども見知らぬ天井だ、なんて事も無くて、一ヶ月間毎日寝起きに眺め続けてすっかり見慣れた極々普通の(ボロいので今にも板が落ちてきそうではあるけれど)天井だった。
起き抜けに枕元の目覚まし時計を手に取って時間を確認してみると、デジタルの表示は四時前を示してた。帰り着いたのが一時過ぎだったから三時間弱寝てたことになる。

「もちっと寝かせてくれればいいのに……」

とは言うものの、一度の睡眠が三時間というのはこの一週間だとかなり長い部類になる。まだ体にダルさは残るけど、それでも寝る前よりかはかなりマシだ。いつもと同じように違和感に起こされたのには違いないんだけど、心無しかいつもよりも寝起きがスッキリしてる。
それで、だ。

「何でココにいるんですか……」
「んー? 暇だったからだよ?」

何当たり前の事を聞いてんの?と言わんばかりの顔をして、そしてまた悠さんは手に持ったマンガへと視線を落とした。ちなみにそのマンガが僕のマンガであることは、本棚からそれが抜けている事から確認済みだ。ついでに言えば九〇cm四方のテーブルの上には一.五リットルのペットボトルとコップが置かれてて、その周りには水溜りができている。記憶が正しければ僕は朝家を出る前にきちんと冷蔵庫にしまったはずなんだけど、

「あ、喉乾いたっしょ? ジュース飲む? それとも水の方が良いのかな?」

なんてノタマッテくれる。ココって僕の家だよな?と現状への疑いを脳内で連呼しながらも、差し出されたコップを受け取って注がれた炭酸飲料をチビチビと飲んでいく。

「それで、ホントは何の用なんですか? ええっと……スイマセン、名前何でしたっけ?」
「ふぇ? まだ自己紹介してなかったっけ?」

名前は知ってるけども――もっとも、悠っていうのが名前かどうかは分からないけど――いきなり女性を馴れ馴れしくファーストネームで呼ぶ程僕は女性慣れはしていないし、自己紹介されてないのも事実なので僕は黙って頷いた。

「そっか、それは失礼しましたねっ! 水城悠みずきゆうだよ。歳は二十歳! 花も恥じらううら若き乙女! 鏡クンよりも年上だけど悠って呼んでくれると嬉しいなっ!」
「なるほど、分かりました。とりあえずよろしくお願いします、水城さん」
「……鏡クンっていい根性してるよね?」
「お褒めの言葉ありがとうございます。ですけど、まだよく知らない女性を下の名前で呼ぶ勇気はありませんので」
「本人が良いって言ってるのに?」
「そのうち慣れてくればご希望に添いますよ」

そう言うと水城さんはブーッと、子供みたいに唇を尖らせて不服そうにする。けどすぐに「ま、いいや」と寝転がってまたマンガを再開した。
なんとも図々しいお方だ。そう思ったが、これくらい図々しい方がコッチとしても気を遣う必要がないので(もうすでにあまり気を遣ってないけど)僕としては好ましい。何より、この人も正祐と似たニオイがするので、多分近々「僕が失礼な態度を取っても大丈夫」な称号を授けられる第二号さんになるだろう。なんか響きがやらしいけど気にしない。
水城さんは寝そべったままテーブルの上のコップを取ると、そのままストローでズズーと音を立てて飲んでいく。別にどんな飲み方をしても構わないのだけれど、マンガは汚さないでくださいよ。

「それで水城さん。改めて聞きますけど、僕に何か用ですか?」
「んー……だから暇だったからだよ」
「暇だからって……そんな理由でほぼ初対面の男の家に来るんですか? しかも家主が寝てる間に勝手に上がり込んで」
「鏡クンはメンドクサイね。そんなんじゃ女の子にモテないよ?」
「めんどくさい人間なのは知ってます。ですけど、それとこれとは別でしょう? ていうか、他に部屋の物触ってないですよね?」
「あ、そうそう。ジュースごちそうさまです」
「水城さん」

ちっとも進まない会話にいい加減僕としてもイライラしてきたので、ちょっと強めの口調で名前を呼んだ。すると水城さんはふぅ、と息を吐き出すと体を起こして、僕の方へと向き直ると少し真面目な表情を浮かべた。

「ホントに暇だったからここに来たんだけど、まあ確かに暇って理由じゃ納得できないよね。
うーん、そうだなぁ……強いてあげれば鏡クンに興味があったからかな?」
「僕に、ですか?」
「うん。というか、鏡クンに興味わかない方が難しいと思うよ。なんてったってこれまで未確認の力だからね」

未確認。その言葉に僕の心が少しだけ躍った。特別だという言葉は僕に限らず誰にだって少なからず自尊心を煽ってくれる言葉だろう。人と違うっていうのはそれだけで一種のステータスだし、特に「初めて」だと言われれば戸惑いを感じつつも何となくくすぐったい感触を覚えるはずだ、きっと。
ただし、それは当人にとって少なからず価値がある場合に限る。例えば「アナタの爪の生え方はこれまで確認されてないパターンだ!」なんて言われても何の価値があるのか一切分からない。だから何だ、という話だ。今回の話だって僕自身自分の能力に何の魅力も感じて無くて、むしろ邪魔だとすら思ってる。言葉に踊らされたのだって一瞬で、すぐにまた冷めてしまった。

「まだ鏡クンの魔法というか能力が正確に何なのかはアタシにも分かんないけどね。もしかしたら発動条件があるのかもしれないし、制御できるかもしれない。もしくは死んでるけどすぐ生き返るのかもしれないけど。少なくとも死なないってだけでもレアスキルはレアスキルだよっ」
「僕としては呪いみたいなモンですけどね。死ぬタイミングを選ぶくらいは自分で選びたかったです」
「それに関してはアタシも賛成だよ。あんまり大きな声では言えないけどさっ」

こんな仕事してるしねー、と水城さんは明るく笑う。
たぶんこの人には僕みたいな人種の気持ちなんて分かんないんだろうな、と心の中だけでため息をつく。そう思うとスッと寂しさにも似た感情がわき上がってきて、僕は慌てて考えを振り払った。

「とまあ、これが一つ目の理由だよ」
「まだ他にあるんですか?」
「今のが一番大きな理由だけどね。後は鏡クンが心配だったっていうのもあるよっ」
「僕が何かやらかさないかの監視ですか?」

僕の頭に、この前水城さんからもらった小さな拳銃が浮かんだ。あれは毎日カバンの中に入れてあるけど、もらった日に使って以来一度も触ってない。けど他の人から見ればそんなの分かんないし、あげた水城さんからすれば気になるんだろう。
その時に課長さんから頂いたアリガタイ忠告もあって、僕は皮肉を込めてそう言った。
だけど水城さんはあっさりと「まあそうだねー」なんて同意してくれた。

「魔法使いって能力が目覚めた後が一番情緒不安定になっちゃうんだよ。ウチの分析屋さんが言うにはね、他の人にはない『力』を使えるっていう優越感と『力』の暴力性の魅力、人としての枠組みから外れたっていう疎外感が精神の不安定性を誘発しちゃうんだとかナントカ言ってた。だから他の人が支えてあげないとすぐ暴力性に飲み込まれちゃうんだって」
「はあ、そうなんですか。まあ、僕の能力だとあまり関係なさそうですけど」
「うーん、そうなのかなぁ……
でも確かに鏡クンのは暴力性とはあんま関係なさそうだねっ! うん、良かった良かった!
疲れてはいるみたいだけどねっ!」
「死ななくても疲れはするみたいですよ。寝なくても大丈夫だったらもっとこの体を楽しめるんでしょうけど、最近夜中に起こされる事が多くて寝不足なんですよ」
「あー、確かにこの部屋防音性悪そうだもんねー。ていうかよくこんなボロアパートに鏡クン住めるね」
「ハッハッハ、余計なお世話です。一応僕はこの城の主なんで、あんまり粗相をすると叩き出しますよ?」

貧乏学生なめんな社会人。
それはともかくとして、僕は最近感じる違和感の正体を尋ねてみるべきか迷った。水城さん本人は別として、この手の話題に触れるのは正直嫌だけど、このままずっと睡眠不足に悩まされ続けるというのはキツ過ぎる。そのうち慣れるのかもしれないし、たぶん死ねばまた健康な状態に戻るのだろうけど、それまで僕の精神がもつかどうか。きっともたない。僕は自分のメンタルの頑強さがオブラート並みにペラペラであることを知っている。
違和感が呪いだか魔法だかに関係してるのは、何の証拠も無いことだけれどほぼ間違いない。なれば尋ねる相手は必然的に限られてきて、僕にはドS課長に尋ねる度胸はアリの足先ほども持ってないので水城さん一択となる。
尋ねるべきか、それとも自分で抱え続けるか。散々迷ってようやく僕的大決心をして顔を上げると、いつの間にか彼女は棚からポテチを持ってきて勝手にパリパリと食ってやがった。
決めた。後で絶対金請求してやる。
あっさりきっぱりと二つめの決心を下すと水城さんを呼ぶ。あ、床にこぼしやがった。

「ん? どったの、鏡クン?」
「人ん家でのアナタのフリーダムっぷりを後で小一時間ほど問い詰めたい気もしますがそれは置いときまして、ちょっと相談したいことがありまして」
「なにかななにかな? 恋の相談かなー? そうだよねっ、鏡クンも年頃だもんねっ。いーよー、お姉さんが聞いたげるよー。」
「いえ、物理の話です。特殊相対性理論で運動量を特殊相対性理論的に表現するのにローレンツ変換をしなければなりませんが、速度Vで移動する慣性系を考えた時にx=x'+Vt'とx'=x-Vtという式を考えまして次に光速度不変の原理から……」
「ええ? えっと、えっと……」
「冗談です。本気にしないでください」
「むぅ、イジワルだね、鏡クンは」
「なら少しは色々と自重してください、二十歳」

そう言うと水城さんはいじけた様に頬を膨らませて、あさっての方を向いてしまった。僕は、というと別段悪いとも思わないので、むしろそんな反応が面白かったりする。あんまり意識したことが無かったけど、どうやら僕も目の前の女性に関しては課長さんと趣味が合いそうな気がする。あくまでこの人に関する一点に限る、というのは強く主張したいところではあるけれど。

「でも、水城さんに相談したいことがあるのは本当なので、良かったらコッチを向いてくれませんか、悠さん?」

わざと名前で呼んであげる。すると頬を膨らませたながらも、どこか嬉しそうにコッチを振り向いてくれた。
単純な人だ、と思いつつも何となく水城さんはこういうキャラが似合ってる気がする。内心で浮かぶニヤリ笑いを堪えつつも、僕はこの一週間の悩みをこの自称二十歳のお姉さんにぶつけてみた。







そして僕はこの一週間の事を水城さんに語った。できるだけ詳細に、いつ感じたか、どこで感じたか、何が分かるのか、覚えてる限りを話しきった。どうしても僕だけが感じられる感覚的な話になってしまうので、どこまで伝えられたかは自信はないけど、何一つ客観的な情報が無いこの場で伝えられる精一杯だとは思う。
最初は嬉しそうにこっちに向き直っていた水城さんだったけど、話がどうやら魔法(異能、の方が正しいのかもしれないけど好みの問題でこっちに統一することにした)に関する事だと分かると黙って真面目に聞いてくれた。普段の態度はちょっとどころかだいぶ問題があると思うけど、先日の銃の事といいこういう所は素直に尊敬できる。
さっきからずっと難しい顔をして何らかの答えを導こうとしてくれている。適当な答えを返すでもなく、簡単な慰めをかけてくれるでも無く、本気で考えてくれている。きっと根っからの善人なんだろう。
しかし僕はこの相談に答えは期待していなかった。というより、水城さんでは、言葉は悪いけど不適当だろうと思う。僕が思うに、彼女は能力のユーザーに過ぎなくて、もっと根本的な原理や原因を考える人間は他にいる。車に例えるなら水城さんはドライバーで、もし僕の相談の答えを知っている人がいるとすればそれはメーカーの、研究や設計に携わる人間だろう。
でもそれでも構わない。たとえ答えが出なくても。言うなればこれは僕のエゴであって、もっと言えばストレス発散であり八つ当たりだ。突然僕を巻き込んだ彼女たちに無理難題を与えて、悩む姿を肴に酒を呑むみたいなものだ。
彼女は結構長い時間悩んでた気がする。そう感じるのは僕がただ待っているだけだったからか、それとも悩ませていたことに居心地の悪さを感じていたからか。
自分の部屋なのに何となく落ち着かなくて、タバコを吸おうかどうか迷い始めた時、水城さんはようやく口を開いた。

「いくつか確認したいんだけどいいかな、鏡クン?」
「ええ、いいですけど。何か分かったんですか?」
「うーん、分かったとは言えないんだけどね」

そう前置きして、人差し指をピン、と立てた。

「まず、毎晩一回はその感覚があるんだよね?」
「ええっと、そうですね、毎晩では無いですけどほぼ毎晩ありますね。正確な時間は覚えてないですけど、時間はだいたい日付が変わったくらいが多い気がします」
「昼間も同じ感じで、時間はバラけてるのかな?」
「はい。ですけど昼間よりも夜の方が多い気がします」
「んじゃ最後の質問。発信源の方向が分かるって言ってたけど、一番感じる方向はどっちか覚えてる?」
「……難しいですね。何となくでもいいですか?」
「もちろん。具体的な数字とかは気にしなくていいよ。あくまで感覚で」
「そうですね……」

水城さんの言葉に従って、何となく、ホントに何となく思った方向を指差す。
それを見て水城さんは「やっぱりそうなのかなぁ……」なんて漏らした。

「んーとね、たぶん鏡クンはアタシ達の場所を感じちゃってるのかな、て思って」
「……? どういう事です?」

僕が尋ねると水城さんは「あんまり本気にしないでよ」と言って続ける。

「どういう原理だとかは分かんないけどね、鏡クンが感じた方向ってウチの部署がある場所っぽいんだ。ウチらは他の部署と違って基本的に夜動くからね。訓練なんかをする時間も大体深夜だし」
「それで夜に感じる事が多いんですね」
「一度ウチに鏡クンは来たことがあるしね。元々レアスキル持ちの鏡クンだし、ウチに来た後から敏感になったことも考えると、ウチの部署にある何かに反応してるのかもね」
「だったら他の方向から感じるのはどうしてですか? 全部が全部水城さんたちの方から感じてるわけじゃないみたいですし」
「うーん、そうなんだよね……そうなると、物じゃなくてアタシ達の存在に感づいてるのかも」
「水城さんたちがいる場所が分かるっていうことですか?」
「そ。モチロンアタシとか他のウチの課員だけじゃなくってね、街にたむろってる人とかにも反応してるんだと思うけど」
「でもそれじゃあ僕はそれこそ二十四時間ずっと違和感を感じないといけなくなりますよ?」
「ええっと、そうじゃなくってね、アタシたちが魔法を使う瞬間を感じてるんじゃないかな? ウチらはさ、みんな力を使う時に特殊な場ができるのさ。アタシたちはみんなそれを結界って呼んでるけどね、そいつを感じることができるとするとつじつまは合うよ」

結界、か。またなんともファンタジーな言葉が出てきたな。

「結界があることはみんな知ってたけど、自分以外のそれが展開されてるのを外から分かる人なんて今まで聞いたこと無いから推測の域を出ないんだけどね。でも鏡クンならそれもありかもね。何せレアスキル持ちだし。
いいなぁ、ぜひウチに欲しい人材だよっ!」
「僕としては平々凡々の人生の方がいいんでお断りします」
「だろうねっ。ま、確かにオススメはしないよ。平凡な人生生きられるならそれが一番さっ!」
「でも……たぶん無理なんでしょうね、そういうの」

課長さんが言ったとおり、僕はもう一般人ではない。どれだけ言葉を飾って、どれだけ自分だけが普通を主張したところでどれだけ意味を持つだろうか。紛れもなく僕は彼女たちの側に立っている。

「うん……アタシもそう思う。気の毒だけど、もうコッチ側に来ちゃったからね。戻ることはできるかもしれないけど、諦めた方がいいよ、きっと」

慰めをたっぷりと含んで水城さんが語りかけてくる。

「それに一度割り切っちゃえばさ、コッチもそんなに悪くないよ。仕事は大変だし、危険ばっかでいつ死ぬか分からないけど、鏡クンはさ、もう死なないんだし……」
「そうですね。確かに危険な職場だからこそ、僕みたいな死ねない人間が役に立つのかもしれないですしね」

なんという皮肉なんだろう。死にたがりが死ねないが故に死に一番近い場所に立つ。本来なら願いが最も叶いやすい場所なのに、どこまで行っても願いは永久に届かないで見ているだけなんて。
また、諦めないといけないのか。
思わずため息が出る。そう、諦めないといけない。受け入れないと僕はダメになる。僕は立てなくなる。絶望だけしか見えなくて、他の何もできなくなってしまう。だって他の願いを持たない僕の唯一の願いが絶対に叶わないのだから。

でも、僕は思う。もしかしたら、本当にもしかしたら、それこそ万に一つもなくて億に一つもない可能性でも、この呪いを解く方法があるとすれば。広大なサハラ砂漠から砂金一粒を見つける可能性に等しいとしてもあるとすれば。そしてそれを手に入れる事ができる場所はどこかと問われれば。

「水城さん」

僕が知る限りそんな場所は一つしかない。そして幸いにも僕はそこに入る資格を持っている。
ならば――

「僕を……」

アナタたちの組織に入れてください。
そう続けようとしたのに、タイミングを測ったかのように水城さんの携帯が音楽を奏でる。重厚な音を。
……なんでよりによってベートーヴェンの第五番なんだよ。

「ゴメンよ、鏡クン。急用ができちゃった」
「呼出ですか?」

水城さんはうなずいて「ひどいよねー、非番なのに」とブツブツ文句を言い出した。
どうやら彼女は僕の呼び掛けに気づいてなかったらしくて、そして僕はそれに安心した。

(何を考えてたんだろうな、僕は……)

どうして彼女の側に立とうだなんて考えてしまったのか。たとえ一般人ではなかったとしても一般人のフリはできる。そもそも、彼女たちのそばに寄らなければ巻き込まれる事も無くて、その意味なら彼女たちを感知できる能力も悪くはない。感じればそこから離れればいいのだから。
彼女たちは向こう側。僕はこっち側。まだその二つの境は越えてなくて、境そのものも明確。わざわざ自分から越えて境界線を潰してしまう必要なんてどこにもない。

それじゃお疲れ様でした、頑張ってくださいと水城さんを見送ろう。そう思って彼女の方を見ると、何故か向こうも僕の方を見てた。

ヤな予感がした。
唐突に彼女が手を伸ばす。ガッチリと僕の手をつかんで、この上なく朗らかな笑顔を浮かべて彼女は言った。

「んじゃ一緒に行こうかっ」

何でだよ?






















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