-第四話 領収、終了-
半ば引きずられる様にして僕は水城さんと外に出た。その瞬間に僕は眼をしかめる。
時刻はさっき時計を見たところ四時を回ったくらいで、アパートの二階から見た景色の中だと少しだけ陽が傾いてた。まだ十分に陽は高いといえば高いけれど、ほんのりと夕焼け色に染まった空を眺めていると何だか物悲しい、しみじみとした感傷を覚えるのはなんでだろうか。
アパートの階段を駆け下りて、危うく転がり落ちてしまいそうになりながらも(水城さんは事も無げに降りていた)、かろうじてバランスを取ることができたのは、運動不足な僕としては僥倖だとこっそり自画自賛する。ボロアパートを背にすればすぐに小学校。そして右手には、なんて名前かは忘れたけど、あまり大きくはない川があって、見る角度によっては僕の眼を反射した光が焼いてくれる。
「まさか歩いて行くんですか?」
「そーだよっ。結構近いみたいだからね。たぶん歩いて二十分くらいかなっ?」
二十分か。まだ水城さんたちがどんな組織なのかは正確には把握してないけど(とはいうものの、おおかた分かってはいて、たぶん警察の一部署だと思ってる)、ずいぶんとのんびりしてるな、と思うのは間違った感想じゃないと思う。呼び出されたくらいだから何らかの事件が起こったのは確かで、しかも結構緊急性が高いんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう?
「所詮アタシは後方の人間だからね。たぶんアタシに連絡が来た時点で班長とかはもう現場に出張ってると思うから、あんまり急がなくてもだいじょーぶだよっ。元々非番だったし」
隣をのんびり歩きながら水城さんが僕の疑問に応えてくれた。しかし、それなら何故にあんなに慌ててアパートを出て行ったのか。鼻歌を歌いながら川沿いの道を歩くのを見ながら思う。
おおかた、単なるノリで飛び出したんだろう。その理由とは言えない理由があまりにもハマり過ぎてて、眠ったおかげで取れた疲労がまたズッと出てきた気がしないでもない。
しかし、しかしだ。僕はどうするべきだろうか。横目で僕の左手の先を眺める。
男としては細い方だと自覚している僕の指よりも更に一回り細くて白い指が、僕の指と絡んでいる。太陽とは違う温かさが皮膚ごしに伝わってきて、女の人に慣れていないから少しドキドキするのは隠せない。
今はまだ人は少ないけど、もうすぐ大通りが近づいてきて歩く人の数も増えてくる。そんな中にこのまま突入するのも気恥ずかしい。例え知り合いが誰もいないとしても、だ。
気づいてるのか気づいてないのか、隣の水城さんは特に気にした風もない。そうなるとコッチで一人だけドキドキしてるのも何だか間抜けな気がしてきて、今度は彼女に教えて離してもらうか、それともそっと手を外すかという選択に頭を悩ませる。女の人と手をつないだままというのも悪くは無いのだけど、どうにも居心地が悪い。
(だけど……)
だけど、まあ、なんだ。こんな経験も僕という人間を冷静に考えてみればそうそうあるワケでも無いだろうし、彼女が気づくまでずっとこのままでも良いかもしれない。彼女が自発的に気づいた時の反応によっては、からかってみるのも一興か。
風になびいている黒髪が僕の目元をくすぐるのを感じつつ、僕はそんな事を思った。
アパートを出てから僕の腕時計できっかり二十分経ったところで僕らは足を止めた。
着いた場所は、有名な大きな公園の近くにある細い路地が入り組んでる所で、近くにはこれまた有名な私立学校が建っている。甲子園にも結構出場してる強豪校で、夕方のグラウンドでは僕には無い若さをこれでもか、と蓄えた高校生が一所懸命に練習に勤しんでた。一方で正門からは授業を終えたばかりの帰宅部生が次から次へと吐出されてて、気怠そうにカバンを肩に担いで帰路についている。彼らは一緒に帰る友達としゃべりながら横目でチラチラと、手を繋いでる僕らを羨ましそうに見ている――
「はろーっ、ヤマさん! おつかれさまー」
わけでは無くて、僕らを挟んで向こう側にある、車一台がなんとか通れる程度の路地を見ていたらしい。それもそのはずで、その路地にはパトカーが停まってて、路地自体はテレビとかでよく見る黄色いテープで封鎖されてる。何か事件が起こったのだと一目で分かるし、そりゃ誰だって気になるだろう。
で、水城さんはというと、そのテープの前に仁王立ちしているガタイのいいお巡りさんに馴れ馴れしく声を掛けていた。呼び方からして知り合いらしく、向こうもすぐに水城さんに気づいて白い歯をのぞかせた。
「ああ、水城ちゃん。お疲れ。今日は非番じゃ無かったっけ?」
「非番だったんだけどねー、課長に呼び出されちゃったんだよ。せっかくのお休みなのにさっ!」
「仕方ないよ。ウチはそんなに人数に余裕があるわけじゃないから」
「そういえば条二さんは?」
「高村さんならまだ入院中だよ。この前のは大変だったみたいだしなぁ」
「あー、この前のはね。まさか相手もあんなにいるとはアタシも思わなかったよ」
身の内話が繰り広げられる中、僕は黙って隣に立っていた。というかそれしかやりようがない。話の内容からたぶんこの前の、僕が一度死んだ時の事だろうと当りをつけてその時の事を思い返す。確かにあれはかなり派手にドンパチやってた気がする。そういえば、バンバン拳銃とかぶっ放してた気がするけど、問題にならないんだろうか。
とそんな事をツラツラと考えていると、水城さんと話してたヤマさんなるお巡りさんがこっちを見てた。そしてニヤッと笑った。
「コッチは水城ちゃんの彼氏さんかい?」
「あっははー、それならいいんだけどさ、残念ながらアタシの恋人じゃなくて課長の想い人なのさっ!」
いや、ちょっとマテ。いくらなんでもそれはキツイですよ、水城さん。年齢差にはあまりこだわりが無い僕とは言え、課長職に就けるほどの年齢の人とは難しいですよ。
ああ、ヤマさん。お願いですからそんな同情イッパイの目で僕を見ないでください。
「まあ、その、なんだ……頑張れよ、少年」
「いや、何を頑張れと?」
ヤマさんは僕の素朴すぎるはずの疑問を華麗にスルーしてくれて、水城さんは水城さんで「もうみんな来てる?」なんて違う話を始めていた。誰か僕の質問に応えてください。
「今はもう犯人の包囲が完了してるはずだ。テープのすぐ後ろからもう結界範囲だからな」
「おっけー、ありがと、ヤマさん」
「ああ、どうでもいいけどさ、水城ちゃん。いくら課長が来てないからって手はそろそろ離しといた方がいいと思うぜ、俺は」
「ふぇ?」
間の抜けた声を上げながら水城さんはゆっくりとコッチを見る。そして視線が少しずつ下に降りていく。
僕は意地の悪い笑みを浮かべながらその様子を眺めてた。さて、どんな反応を見せてくれるだろうか。何事も無かったかのように手を離すか、それとも逆に面白がって握り続けてくるか。意外と顔を真っ赤にして手を振りほどくかもしれない。それはそれでからかい甲斐があって面白そうだ。
「……!」
だけどそのどれでも無かった。彼女にしては相当に乱暴に僕の手を思いっきり振り払う。そのまま僕から一歩、というには大き過ぎるほどに下がって僕の顔を見た。
「あ…えっと……」
表情は真っ赤とは正反対で、血色の良かった肌は今はもう青白くなってしまってた。あまりの行動に僕もヤマさんも呆気に取られ、だけども僕の見た限りだと彼女自身が一番ショックを受けているみたいだ。
「水城ちゃん、そりゃちょっと無いんじゃないかな……」
「そうですよ。いくら僕でも傷つきますよ……」
冗談めかしてそう言ってみるけど、彼女からはあまりちゃんとした反応は返ってこない。あ、とか、う、とか意味の無い声だけが零れるだけで話が続く気配は無かった。
顔面蒼白で、心なし震えてるようにも見える。何が水城さんをそうさせたのかは分からないけれど、された僕自身もショックだった。たった今まで、例え向こうが意識して無かったとは言っても手を繋いでいたワケで、それが急に、それこそ汚物を振り払うかのように途切れてさせられてしまった。かろうじてヤマさんの言葉に続けることはできたけれど、僕の気持ちは嫌われてしまったかの様に冷え切ってしまった。
「とりあえず早く中に行ってきなよ。唯ちゃんもきっと待ってるよ」
」 「あっ、うん。そだねー!」
んじゃヤマさんも頑張って、と殊更に明るい声で水城さんは誤魔化した。その誤魔化しさえも更に誤魔化すかのように急々とポケットから何かを取り出して、黄色と黒の縞模様に見えるテープをくぐって行く。僕も後に続く。
その一瞬、彼女は笑顔を浮かべて再度僕の手を握ろうとしてきた。けれどその手は明らかに恐々としていて、笑顔の奥には何らかの怯えがあったのを僕は見逃せなかった。
少しだけ手を後ろに引き、彼女の手が空を切る。そして「どうぞ」と彼女に先を促した。彼女には似合わなさそうな悲しそうな表情を少しだけ浮かべて、でも僕を責めるでも、冗談を言うでもなく「ついてきてね」とだけ言った。僕はその言葉に従うだけ。今の僕にはそうすることしかできなかった。
◇◆◇◆◇◆
彼女の後ろに続いて数メートルも進んだだろうか。僕は辺りの空気が変わったことに気づく。
音の乏しい世界。風の無い世界。変化の無い世界。すなわち、死んだ世界。
どう形容すればこの場を表現できるのかは僕の乏しいにもほどがある語彙では一向に分からず、かと言って他の人に聞いてもうまい言葉はきっと見つからないだろうとさえ思える。気味の悪さはどうにも僕の背を、服の中に入り込んで這いずり回っているみたいで、その全身にまとわりつく違和感に僕は覚えがあった。
そしてそのカケラを僕は知っている。
「これは……」
「うん。たぶん鏡クンが感じてるっていう違和感ってコレだよね? アタシとかはもう特になんとも無いけど、まだ日が浅い鏡クンなら結構気持ち悪いと思うんだけど」
「これが結界ってヤツですか? 確かにそうですね、これが感覚としては一番近いと思います」
目に見える表面的な景色は変わらないけど、結界なんて大層な名前の通りここは外とは違った。なるほど、あの時僕は「世界が隔離された」と表現したけど、それは正しかったということになる。実際に僕らが生きてるのとは異なる世界。それは確かにここにあった。
「ココって誰でも入れるんですか?」
「いんや。展開した本人が意図しない限り外からは誰も入れないよ」
「え、でもそれじゃ変ですよ。それなら僕はあの日この中に入れなかったはずです」
全ての元凶のあの日、僕はこの結界の中に入った。それは確かなはず。じゃないとあの戦闘を見る事は無くて、僕が死ぬことも無かった。
「うーん、それもそうだよね……また一つ謎が増えちゃったねっ」
「ねっ、じゃないですよ。いいんですか、そんな適当で」
「いいんじゃない? だって鏡クンって変な人だし」
「特殊だって言ってください。僕は至って普通の人間です。まあ、能力については変なのは認めますけど」
「ならいいよね? 問題オールナッシングっ!」
何か英語の使い方がおかしい気もするけど、いいや。能力についても、こんな能力を持ってるのは僕一人だということだし、別にどんな能力を持っていようがこの人の中だと全て「特殊」の二文字で片付くのだろう。あんまり考えるのは得意じゃ無さそうだし。
「じゃとりあえずアタシはこれからお仕事だから、鏡クンはアッチの車の中で待ってて。連絡はしといたから」
そう言って指さした先には一台の、少し大きめのワゴン車があった。ココにいても何もできる事は無いし、おおかたまた銃弾飛び交うドンパチが始まるだろうからどっかに退避するのに異論は無いけれど、そもそもの根本的な疑問がある。
なんでこの人は僕を連れてきたのだろうか。僕がココにいたって何もできないというのに。
その疑問を口にしようとした瞬間、小さな影が僕の視界の下の端を横切って水城さんへと飛び込んできた。ドフッ、といういささか鈍い音を立てて水城さんの腹にぶち当たったけど、当の本人はなんとも無いらしくにこやかな笑顔を浮かべていた。
「おー唯ちゃんじゃないかー。唯ちゃんはいっつも可愛いねー。げんきだった? と言っても昨日会ったばっかだけどねー」
飛び込んできた女の子は彼女に抱きついた状態で頭だけをコクコクと上下に振った。水城さんよりも頭一つ弱小さく、ゴシック系の黒いフリフリした服を着て髪はツインテールにまとめてる。パッと見は小学生かとも思ったけど、顔立ちは幼いながらも何処か成長しきった感じも否めない。
「おーい、唯。勝手に持ち場離れんなって……
おっ、悠じゃん。おっす」
「
「来て早々ワリィけど、もうすぐ始まっからお前も早く持ち場につけよ」
建物の影から現れた佳人、と呼ばれた男性に僕は覚えがあった。やっぱり同じあの日、剣を持って一番激しく戦っていた人だ。羽がついてるみたいに跳び回って戦っていたあの光景は、今でもきちんと僕の中に残っている。
佳人さんは水城さんに向かってインカムを投げると、捕まっている唯ちゃんの首元をむんず、とつかむ。そしてデレデレした顔で頭を撫でてる水城さんから取り上げると、そのまま引きずるようにして出てきた場所に戻っていった。唯ちゃんは唯ちゃんで特に抵抗することも無くて、引きずられながら手を小さく水城さんに向かって振って去っていった。
「うーん、残念。もうちょっと唯ちゃん撫でてたかったなぁ……」
「小さい子でしたけど、何歳なんですか?」
「鏡クン、女の子に歳を聞くのはマナー違反だよ?」
「アンタは自己紹介で思いっきし言ってたじゃないですか……」
「自分で言うのはモーマンタイなのさっ!」
「さいですか……」
メンドクサイなぁ、とは思うがまあ、女の人っていうのはこんなものなのかもしれない。水城さんだけがこんな人なのかもしれないが、そこは置いといて。
佳人さんはもうすぐ始まる、と言った。その割には横にいる人はずいぶんとのんびりしてるし、なんというか、会う人会う人みんな緊張感が感じられないのはなんでだろう?もしかして今日の仕事はそんなに危なくないのだろうか。
と、そんな事を思ってたら。
数十メートル先でビルの壁が爆ぜた。
五階建てマンションの一角にポッカリと穴が空き、円形に欠けたそこからは奥のビルが見えてる。それを僕は呆気に取られて眺めていた。
「鏡クンは車に走って」
「え?」
「早く!」
水城さんの鋭い叱責に僕は身を縮こませられる。何かスイッチが入ったみたいに彼女の声は厳しい。年中幸せそうな笑顔はすっかり消え去って今は視線をただビルだけに向けている。
弛緩した風に感じていた場の空気は、今ははち切れそうなくらいに張り詰めてる。一歩踏み出すだけで、一度呼気を吐き出しただけで全てが台無しになりそうな緊張感がそこにある。
また一つ、隣のビルが欠片をばら撒く。小さな破片が足元まで転がってくる。それをきっかけに僕は走りだした。
いつもより軽くなった体。それが車まで十メートル近くあった距離を一瞬でゼロにする。
黒をベースにしたやや天井の高いワゴン。ルーフの上には何やらアンテナのような機械が載せられていた。
風が吹いたような気がして、僕はドアに手を掛けたところで後ろを振り向く。そこに水城さんの姿はもう無かった。
緊張に体が強張る。正直、この場から逃げ出したい。逃げ出したいけど残念ながらそういう訳にもいかない。
車の窓には黒いフィルムが貼られ、更にカーテンが閉められて中の様子をうかがい知ることは不可能。一度大きく深呼吸して瞑目。そして意を決してドアを横にスライドさせた。
ドアを開けると暗い車内に外からの光が差し込んで、中が見える程度に明るく照らす。それでもだいぶ暗い車内に人影が一つ、二つ、三つ。開けたのとほぼ間を置かずして計六個の、猫の様な瞳が僕を捉えたのが分かった。
首を絞められたみたいな圧迫感が僕を襲う。生き苦しい。いや、息苦しい。
「あ、あの、水城さんにココに来るように言われたんですけど……」
無言の圧力に耐えかねて言葉を発した僕だったけど、その声は喉がカラッカラに乾いた時みたいにひどく聞き取りづらいもので、口の中もネバネバする。
上手く相手に伝わったのかは分からないけど、三つの人影の内二つは視線を元のモニターに戻し、一つは僕とワゴンの奥の方とを行ったり来たりしていた。だけど何も言ってはくれないし、モニターを見ている二人もチラチラとまだ僕の方を見ていた。暗がりで見えにくいけど右手はコンソールを、左手はベルトに取り付けられたホルスターに、いつでも届くようスタンバイされているのが分かる。
「鏡クン、かしら?」
どうすればいいのか、分からずに立ち尽くしていると奥から声が掛けられた。まだ人がいたのか、と車内に首を突っ込んで声の方を見るとモニターを眺めている女性がいた。
「何してるの? 早くコッチに来なさい。ああ、ドアはちゃんと閉めてね」
促されてワゴンに乗り込むと言われた通りに女の人の方に向かう。僕に向けられていた視線はもう消えて、みんな何事も無かったみたいに仕事に戻っていた。
車内に作られた仕切りをまたいで女の人の隣に来ると「座っていいわよ」と言われ、またそれに従う。
隣に座るとモニターの明かりで彼女の容姿が分かる。髪の色は分かんないけど結構な長さがあって、目元には縁の太い眼鏡がある。機器の排熱のせいなのか、車内は少しムワッとしてるけどその中で平然とスーツの上に白衣を着て、腕と足を組んでモニターを見ていた。
「初めまして、鏡クン。ようこそS.T.E.A.Rへ。私は第三班分析チーム主任の七海です」
「あ、はい、雨水です。宜しくお願いします」
「雨水君ね。フルネームは雨水・鏡でいいのかしら?」
「はい」
「なら雨水君って呼ばせてもらうわ。下の名前で呼ばれるのあまり好きじゃないんでしょう?」
「え? そうですね、よく分かりましたね」
「分かるわよ。『鏡クン』って呼んだ時に少し顔がひくついてたもの」
そんな自覚は無かったのだけどな。さすがは分析屋さん、か。水城さんが言ってた分析屋さんってきっとこの人のことだろう。
しかし、それならこっちも注意しないといけない。人となりが分からない内に油断すると弱みを握られかねないし、何より勝手に僕の事を理解されていくのは気持ちイイもんじゃない。ましてや、僕自身も知らない何かを暴かれるのはゴメンだ。
「あら、あんまり緊張しなくていいわよ。別に悪いようにはしないから」
「……」
「ふふ、ごめんなさいね。人を分析するのが仕事だから、誰でも無意識のうちに観察しちゃうのよ」
何と言うか、やりにくい。余裕を持った大人の女性といった感じで、何を僕がしようとも読まれているようで、まだ出会って数分と経ってないけどすでに掌の上で遊ばれているみたいだ。気をつけないと一方的に遊ばれて終わってしまうし、この手の人は悪意なしで人を弄んでくるから質が悪い。
はあ、と息を一度ついて自分を落ち着かせる。そして顔にキュッと力を込める。
「あら、表情を誤魔化すのは得意みたいね」
「数少ない得意技ですから。さすがに腹芸はできませんけど」
「その歳でできてたら将来が楽しみね。それにこの状況でそれだけ落ち着けてるなら大したものよ」
「緊張してるだけですから。それにこんな戦闘に巻き込まれるのは二度目ですかし」
「そうなのかしらね。
ナオの言ったとおり面白そうな子。あ、ナオっていうのはウチの課長の事。会ったことあるでしょう?」
「ええ、ありますよ。寝起きからいきなり取り調べっていう結構ハードな状況でしたけど。
ちなみに僕の事を何て言ってました?」
「『いじめ甲斐がありそうだ。悠と違った意味でな』だそうよ? 良かったわね、気に入られてるみたいで」
全力で勘弁して欲しい。あの人はどんだけ人を弄るのが好きなんだ。その役目は水城さん一人で十分だろうに。
「それより、お仕事の方は宜しいんですか? 僕と話してばっかりいますけど」
「ああ、いいのよ、別に。アナタとお話するのが今日のお仕事だから」
「どういう事ですか?」
「雨水君に私たちのお仕事を知ってもらうのが今日アナタをココに呼んだ理由。だから何でも聞いてちょうだい。大体の事は教えてもいいって許可は出てるから」
「……僕は入りませんよ。今日も強引に連れてこられたみたいなもんですし、興味が無いとは言いませんけど、教えるから入れというのならお断りします」
「あらあら残念、つれないわね。
でも勘違いしてるみたい。いえ、わざと気づいてないふりをしてるのかしら?」
「何が言いたいんですか?」
「そうねぇ、この際だし、はっきりさせちゃおうかしら。
雨水君に
言いながら七海さんは楽しそうに口端を吊り上げる。
「もうアナタがウチに入るのは決定事項なのよ。力に目覚めながらも理性を失わなかった時点で」
「決定事項って……強引過ぎじゃないですか?」
「ま、普通の感覚で考えれば強引も強引よね。でもそれがまかり通るのがウチの凄いところなのよ」
「……出るとこに出てもいいんですが?」
「結構よ。でも、何処に出るのかしら?」
「そんなの決まってます。弁護士にでも話して……」
「それで法廷に訴えるって? 被告もいないのに?」
「被告がいないってどういう……」
「単純な話よ。私たちは
「何を言って……」
「言葉通りよ。私たちは組織として存在が認められてないの。
そもそも、アナタは今まであんな手から火を出したり剣を作り出したりできる人間を見たことがあって? 無いでしょう? つまり秘匿されてる。彼らはこの社会で存在が認められてないのよ。
でも彼らは確実に存在してるし、事件は起こる。となると事件そのものを無かった事にするの。で、『何も無かった』という処理をするにも普通の人間がやれば跡が残ってしまう。ならどうすればいいか。答えは簡単。存在しない人間が処理をすればいいのよ」
それはつまり。
魔法使いが
生きながら死んで死にながら生きる。一生陽の目を見ない、暗い穴ぐらの中で過ごすのと同義。
なんだ、と冷たくなっていく自分の内を感じた。
なら僕はあの日……ホントに死んでたんじゃないか。
「結局、僕程度じゃどうしようもならないって事ですか……」
「一応選択肢も無くは無いわよ。教えてあげましょうか?」
「お願いします」
「ナオの下でいびられながらこき使われるか、それとも一生鎖に繋がれて幽閉されるか」
「どっちも死ぬより辛そうですけど前者でお願いします」
分かってはいたけど、最低な二択だ。どっちに転んでもいいことなんてありゃしない。肉体的に死ねないなら、後者だとたぶん本気で糞尿垂れ流しながら餓死のち蘇生を繰り返してしまいそうだ。それなら少しでも前向きな選択肢を選ぶ方が賢明なんだろう。
あんまりにもあんまりな選択肢。素晴らしすぎてため息が出る。
「スイマセン、ココって禁煙ですか?」
「そうねぇ……ちょっと休憩しようかしら」
そう言って七海さんもポケットからシガーケースを取り出した。僕もズボンからくしゃくしゃになったタバコを取り出して火を点け、目を閉じる。
馬鹿みたいだと本気で思う。あんなに意固地になって「入るものか!」とか思ってたのに、結局僕の力じゃ抗うことなんてミジンコほどもできなかった。ああ、馬鹿らしい。
でも少し気持ちが楽になった気がする。いや、少しじゃないな。だいぶスッキリした。少なくとももうこの事で悩むことは無いし、何より「僕に選択権は無かった」という免罪符を手に入れたからだろう。誰に対する免罪符かは知らない。僕自身に対する
「あら、そろそろ終わりそうね」
七海さんの声に視線をモニターに移すと、どうやら戦闘は佳境を迎えてるらしかった。
映像の端に映るマンションらしき建物はあちこちが崩れ落ちて、あたかも本当の戦場にいるかのような廃墟と周囲は化していた。元はアスファルトで綺麗に舗装されていたはずの道路も見るも無残なまでに破壊されてる。
「能力というのはね」
モニターの中心には男が一人、頭から血を流しながら立っていた。体全体の線が細くてヒョロい、と表現できるほどに見た目は弱々しい。顔色が悪いのは怪我をしてるせいではないはず。視線が不規則にあちこちに飛んで何処を捉えているのかも映像からだと判断できなくて、でも正気ではないという判断は誰が見てもできるはずなまでに彼は異常だ。
病弱な感じさえする彼の姿が突然かき消える。モニターの映像が一拍遅れて彼の姿を捉えると彼の細腕が容易く建物の壁を砕いていた。
粉砕、という言葉が似合うほどにコンクリートの壁が細かく砕かれ、地面に即席の砂場を創り上げる。
「その人自身の経験や願望に強く影響されるの。人格形成に大きな影響を及ぼす程の体験だったり、または心の奥底に深く根付いてる妄執ともいうべき願い。この彼の場合は、たぶん自身の線の細さや体力の無さがコンプレックスだったんでしょうね」
「分かるんですか?」
「能力が発動したからと言って見た目の体つきが極端に変わることは無いわ。
彼の力はたぶん身体強化。手足の細さから言ってそれ以外にこのパワーは出せないもの」
「僕だけかもしれませんが、前に結界の中に入った時に体が軽くなった気がしたんですけど、それとは違うんですか?」
砕いた瓦礫に体勢を取られた隙に、誰かが飛び掛かった。おそらくは蹴りだろう攻撃を受けて家々の塀を盛大にぶち壊しながら吹き飛んでいく。
「通常能力者が結界内に入ったおかげで得られるのは、せいぜい世界的なアスリートの身体能力を超えた程度でしか無いわ。ジャンプ力で言えば……たかだか垂直跳びで二メートルに届くかどうか、ってところかしらね」
「それでも十分スゴイですけどね」
「ま、元々の身体能力によってバラツキはあるわ。でも身体強化能力だとスピードを多少失う代わりに常識外れのパワーを手に入れるわ。それと物理的な防御力を」
ぶち壊された瓦礫の下敷きになりながらも、男の人はむっくりと起き上がる。血こそ流しているものの骨とかには影響は無いらしく、荒い息を吐きながら体勢を低く取る。
「攻撃力と防御力に特化したタイプですか。ゲームで言えば戦士みたいなモンですね」
「だけどこの能力はひどく大きな欠点があるの。何か分かるかしら」
「欠点ですか?」
だけどその荒い息は、それまでの獣めいたものではなくて、どちらかと言えば苦しさ故のものに見える。
モニターから目を離さずに僕は黙って質問に首を振って応える。
「燃費が悪いのよ」
剣を携えた佳人さんらしき人が男に向かって飛び掛かる。抜刀術みたいな動作で斬りかかり、男の反応が一瞬遅れる。
閃光の様に鋭い一撃。かろうじてかわしたけど、かわし切れなかった剣先から真っ赤な血が噴き出した。
「他の能力と違って常時発動してるから、疲労の蓄積が早いの。能力を使う精神力が切れれば後はもう普通の人間と変わらないわ。
もうこの彼は時間切れね」
切りつけられてたたらを踏む男に向かって佳人さんが更に一歩踏み込む。意識もすでにまばらなのに本能なのか、とっさに左手を突き出して避けようと試みた。
だけどそれは無駄なあがきだった。
剣にあっさりと腕は切り落とされ、その刃は奥にあった体さえも容易く切り裂いた。
男が膝を突く。担い手を失った
「……死んでるんですか?」
「まだ息はあるみたいだけど、まあ時間の問題でしょうね。このまま治療しなければ、だけど」
「救急車を呼んだりは……」
「無いわね。事件を起こした能力者を生かしておく理由も無いわ」
「それもココだと許されるんですね……」
「生かしておく方が面倒なのよ」
モニターの端に水城さんの姿が映った。倒れている、胸元に「S.T.E.A.R」と刺繍されたベストを着た男の人に向かって手を当てていて、だけど視線は頻繁に殺された男に注がれていた。
「さすがにまだ事件を起こしてない能力者を殺したりはしないけど、犯罪者になった能力者を収容できる場所も無ければ監視する人員も足りない。仮に場所と人員の問題が解決できたとしても一度堕ちた能力者はまたすぐに力に飲まれて事件を起こすわ。今回みたいに傷害事件で留まればいいけど、それは相当運がいいとしか言えないくらいに殺人率は高いの。
ならもうここで処理するしかないじゃない?」
処理、と言い切った七海さんの言葉が殊更に冷たく感じる。現実を考えれば七海さんの言葉はもっともで、将来的に無抵抗の一般人が無意味に無慈悲に一方的に蹂躙されて殺される事を考慮すれば更にもっともな話だ。
だけど現実問題はそれとして、僕には無理そうな話だ。そこまで割り切れない。死にたがりは異質であって、自身が異質であることを自覚して、だからこそ周囲にそれを強要しない。本当の死にたがりはまず第一に自分にそれを強要してしまうのだから。
もしかしたらあっさりと僕は、今、僕と七海さんの間に感じる壁を突き破ってしまうのかもしれない。だけれども自分から生と死の境を壊してしまうつもりは無い。だから七海さんの言葉を理解はできても納得はできない、しない。もちろんここでそんな話を持ち出しても答えなんて出るわけもなく、一瞬で七海さんに論破されてしまう自信が情けなくも僕にはあって、だから僕は話題を変えることにした。
「そう言えば水城さんはどんな力なんですか? 他の人の魔法は見た感じですぐ分かるんですけど、水城さんのだけはいまいち分からなくて」
「あら、聞いてないの?」
「ええ、どうもタイミングを逃しちゃいまして」
七海さんは口を開きかけたけど、そのまま答えを発せずにモニターの映像を切り替え始めた。いくつか画面が切り替わり、その中の一つに先ほどと同じ様に治療に似た何かをしている水城さんの姿が映る。
「彼女の力も珍しいわよ。君と同じくらいに」
「僕と、ですか? まだよく分かんないんですが、僕のもだいぶ珍しいって聞いたんですけど」
「そうよ。なにせ雨水君も悠ちゃんも世界で一人だけだもの。私も最大級に幸運よね、こんな珍しいケースに九州の一地方都市で出会えるなんて。思い切って大学辞めてまで田舎に飛ばされた時はどうしてやろうかと思ったけど、やっぱり人生って何とかなるものね」
「はあ、世界で一人だけですか。それでどういうのなんですか? 電気を自由に操れるとか?」
「そんなちゃちなものじゃないわ。
彼女はね、死を消せるの?」
「死を消せる?」
「そう。ま、アナタと一緒で半端な能力と言えば半端だけど」
「それってどういう……」
僕が詳細について尋ねようとしたその瞬間、車の窓ガラスが突然砕け散った。
車内に悲鳴が響く。何かが座っていたシートにぶつかって揺らし、何かが壊れる音がする。
モニターも粉々にヒビが入り、僕も七海さんも突然のことに身を竦めた。
「どうしたの!?」
七海さんがいち早く立ち直り、運転席側に向かって叫ぶ。僕も慌てて後ろを振り返って、それと同時に清潔だった車内に相応しくない匂いが立ち込めているのに気づく。
運転席の男の人の首がだらしなく座席の横から飛び出していて、今にも倒れそうなまでに体が傾いていた。他の二人も生きてはいるものの、小さくうめく声が聞こえるだけだった。フロントガラスにはポッカリと穴が空き、その向こうからは夕暮れの光が差し込んでる。
その向こうに。
僕はこちらに向かって手を伸ばす男の姿を認めた。
カテゴリ別オンライン小説ランキング
面白ければクリックお願いします