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opening(10/08/07)
第一話 幻想、現想(10/08/21)
第二話 優秀、不断(10/08/28)
第三話 以上、異常(10/09/18)
第四話 領収、終了(10/10/02)
第五話 痛い、遺体(10/10/16)
第六話 狂理、来裏(10/11/06)
第七話 狂鬼、覧負(10/11/20)
第八話 理解、乖離(10/12/11)
第九話 切る、悠(10/12/23)
終の話 生死潰し(10/12/26)
第1-20章(11/02/26)
第1-21章(11/03/06)
第1-22章(11/03/06)
オマケ話 -晩夏のバカンス-(11/02/06)





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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved







-第五話 痛い、遺体-






視界の中だと点みたいにちっぽけな男の存在。今こうして人差し指を一本かざせば彼の姿は消える。僕の目の前からいなくなる。たったそれだけで、だ。
そう、人なんてちっぽけだ。何でもできるようでいて何もできない。よく自然災害が起こった時なんかに聞くけど、自然に比べれば人間なんて圧倒的に無力な存在で、一度猛威を奮われたら太刀打ちなんて到底できない。
それは人間社会においてもひどく的確で、大多数の人間によって作られた大きな流れは、一人では変えることなんて不可能で、黙ってそれに流されるか、もしくは流れに乗るために自分を変容させなければならない。それは一般人だろうが逸般人だろうが大差は無い。
だけど、そんな男にもできることは少なからずあって、それに抗おうとしている。
彼は、理由は知らないけどそれを為そうとしているらしい。
つまり問題は、というのはさ。
彼の蹂躙の対象が僕らに向かっていることでして。

「どうしてこうなってるんでしょうね!?」
「残念ながらそれは私にも分析できない事象ね! 特にこんな状況じゃあね!」

まさに雨霰と形容するのが他の類似表現と比べて著しく正しいと言わんばかりに氷の弾丸が撃ち込まれて、車内は怒鳴らないと隣の七海さんにさえ声が届かないくらいにやかましい。
幸いにして弾丸の威力はそれ程高くないらしく、シートを貫く事は無かったので僕らはそれを盾に何とか攻撃を凌げてる。とは言え、次から次へとシートを叩く音が耳元でするのはいささか落ち着かない。いつシートを貫通してこっちに弾が飛んでくるのか気が気じゃなくてたまったもんじゃない。
僕としても、いくら死なないからといって痛いのは全く以て全力でお断りだし、隣の七海さんには当たったらシャレじゃ済まない。

「七海さんは何か能力持ってないんですか!? 僕みたいな半端な能力じゃなくて、この現状を打破してくれる魔法は!」
「それこそホントに魔法ね! 残念ながら私は魔法使いでも無ければ能力者でも無くて、ただの分析専門官なのよ!」
「マジですか!? スピア、でしたっけ!? ここの人はみんな魔法使いなのかと思ってました!」
「スピアじゃなくてS.T.E.A.Rよ! 『Special TEam for Abberation to Repress the emergency case』の略! 自分が所属する組織の名前くらいしっかり覚えときなさい!」
「無事に切り抜けられたら紙に書いて財布の中にでも入れときますよ!」

しかし、本当にどうするか。このままノコノコと出ていくと蜂の巣になるのは目に見えてるし、水城さんとか佳人さんが来るのを待つしか無いか。

「雨水君、どうせアナタ死なないんだから突撃してきなさいよ!」
「ヒデェ事言いますね、アナタも! それでもいい大人ですか!?」
「大人のプライドより私は自分の命が大切なのよ!」

早く来てくれ……!そんな大した距離じゃないだろう!
たぶんまだ十秒も経ってないんだろうけど、恐ろしく時間が長く感じる。
あと少し待てば、と思った時、すぐ後ろのシートが嫌な音を立て始めた。
まずい、もうシートがもたない!
やむを得ないか、と僕が飛び出そうと逡巡したその途端、銃弾が突如として止んだ。
穴だらけになったシート越しにそおっと頭を出す。氷が吐き出される音はまだ聞こえてくる。けど、その音はこっちでは無く別の場所に向けられていた。

「大丈夫っ!?」

時を同じくして水城さんが車内に飛び込んできた。息を切らし、少し上気した頬に長い黒髪が張り付いている。

「僕と七海さんはなんとか! でも他の人が……!」
「っ!!」

車内はひどい有様になっていた。夏も近いというのに氷の弾丸は溶けずに車の床を埋め尽くしていて、奇襲を食らった他の三人はその中に埋まっていた。
機材は無残なまでに破壊されて、だけどそのおかげか機材を操作していた二人はまだかろうじて息がある。運転席にいた人は、もう、ダメだろう。顔の右半分がえぐり取られて、彼の肉片が飛び散っている。

「鏡クン! 二人を車外に出すの手伝って!」
「はっ、ハイ!」

狭い車内から二人がかりで、引きずるようにして外に出すと楽な体勢で寝かせる。手にはヌルッとした感覚。見ると真っ赤な血が掌いっぱいに付いている。そうして思う。こういう場所に来ちゃったんだなぁ、と。慌てることもなく、恐怖を感じることも無く僕は静かに淡々とそう思った。
寝かせ終えると水城さんが二人の傷口に手を当て始める。幾度となく見た光景。だけどこの至近距離で彼女の魔法を使う様子を観るのは初めてだ。
七海さんはさっき「死を消す」と言った。言葉通りなら死を無かった事にしたりとか、もしくは死者を蘇生させたりとか、そういった事が想像できる。だけど同時に彼女は言った。「半端な能力だ」と。
果たして、水城さんは体中にできた銃創に手を当て続けた。額には珠の様な汗が光ってる。ゲームで見る光るエフェクトや、傷口が塞がっていく様子は無くて、パッと見た目で分かるような変化は無い。なのに彼女が傷口周りの血を手で乱暴にぬぐい去ると血はすでに止まっていた。

「止血したんですか?」
「まあ、結果を見ればそうなるかな?」

手の甲で額の汗を拭いながら小さく苦笑いを浮かべた。

「これがアタシの魔法なんだ。『死を消す』っていうと大層な感じがするけどね、実際は大した事はできないんだ。
今やったのは、うーん、そうだなぁ……『死に繋がる場所を消した』って感じかな?」
「ああ、放置しておくと死んでしまいそうな傷を治したんですね?」
「治せたらいいんだけどね、これがまたメッチャ不便でさ、『原因は消せない』んだ。だから傷はそのままだし、放置しておくとまた血が流れ始めるから応急処置にしか使えないのさっ」

なるほど、それは使い勝手が悪い。
すぐに病院とかに搬送できる状況なら問題ないだろうけど、もし状況が状況なら何の役にも立たない。このぶんだと、死者蘇生なんて絶対不可能だな。
でも、だ。僕の頭に不意にある考えが過ぎった。
死を消せるんなら、死を作ることもできるんじゃないか?
突拍子もない考えだけど、ついさっきした七海さんとの会話を思い出す。能力はその人の経験や願望に強く影響される、と彼女は言った。ならば水城さんは、こんなちゃらんぽらんな性格をしてるけど、その奥底には「死」に関する経験もしくは願望があることになる。
急激に水城さんに対する興味が湧いてくるのを僕は禁じ得無い。
死ねない僕と殺さない彼女。その関係式を「死ねない僕と殺せる彼女」に変換できる可能性はないのだろうか?
都合の良い考えだっていうのは分かってる。彼女にそんな能力は無いだろうし、仮に、億が一にもその力を持っていたとしても、彼女は絶対にそれを周りに奮うことは無いだろう。けれど、僕はその可能性にすがるしか方法は思いつかない。
なら、ココにいるのもありだろう。

「……もう外に出ても大丈夫かしら?」

車の中からそんな声が聞こえてきて、僕はそれに肯定で返事をした。

「ふぅ……久しぶりに生きた心地がしなかったわ。スリルがある事はいいけど寿命が縮むのはあんまり喜べないわね」
「刺激があって良い人生を送れると思いますよ?」
「冗談! アナタたちみたいなビックリ人間ショーは安全な所から眺めてるから面白いのよ」
「僕もどちらかと言えばソッチが好みなんですけどね」

注意深く顔を出した七海さんは、よっと声を上げて段差を飛び降りる。どうやらケガはしてないらしくて、パン、と一度白衣の裾を払うと水城さんに向き直った。

「で、どうしてこうなったのかしら? 私の記憶が確かなら結界の中には外から侵入はできないはずなんだけど?」

七海さんも背は結構高いんだけどそれより少し水城さんの方が高い。だから七海さんが水城さんを見ると見上げる形になるはずなんだけど、見る仕草のせいなのか七海さんが見下ろしてるように僕には見えた。
それにたじろいだのか、水城さんは一瞬言葉に詰まって明後日の方に視線をずらした。
それを見て七海さんは不快気に眉を歪ませた。そして問い詰めるためか、一歩水城さんへと踏み出した。
その時――

「みんな大丈夫かっ!」

剣を片手に携えた佳人さんが割って入る。体のあちこちに鋭い切り傷があって、だけど致命傷は負ってないらしかった。
剣呑な視線を佳人さんに向けると七海さんは親指で車内を指差す。佳人さんの眼はその奥にある物を捉えて、眼を閉じて空を仰いだ。眉間にシワを寄せ、何かを堪えるかのように真一文字に口を閉ざした。

「……スイマセン、俺のせいです。俺が油断して結界を解除させたから……」

何のことは無い、単純な話だ。元々のターゲットは殺された彼一人で、戦闘が終わったと判断した佳人さんが結界屋さんに解除を指示したら、その瞬間を狙っていた別の誰かが襲撃してきた、ただそれだけの話。
想像でしか無いけど、この手の組織は魔法使いの間だと有名だろう。事件を一度引き起こしてそれが発覚すれば文字通り刈り取られる。生存という選択肢は用意されてなくて、同じ魔法使いが群れをなして襲いかかってくる。ターゲットにされた側はそこに恨みを抱かないはずがない。
佳人さんの心中はいかほどだろうか。自分のミスで人ひとり殺されてしまった。死んでしまった人間は水城さんでも生き返らせることは不可能で、取り返しなどどうあがいてもつかない。
僕だったら、と想像してみる。きっと耐えられない。罪悪感で押し潰されてしまうのにそれ程の時間は必要とせず、逃げ癖の染み付いたこの精神は、もし死ねる体であったらさぞ簡単に命を投げ出しているに違いない。背負える命は僕一人の分ですでに零れ落ちてしまいそうなのだ。

「現状はどうなっているの?」

だけどそんな佳人さんの心中などどうでもいい、と言わんばかりに七海さんは報告を求めた。その顔はひどく詰まらなさそうで、彼女はたぶんこういった罪悪感に苛まれている相手が嫌いなんだと思う。

「……今班長が一人で相手してます。自分もまたすぐに戻ります」
「そんなナマクラ刀を持っていってどうしようというのかしら?」

口ぶりは明らかに佳人さんを馬鹿にしてて、そしてそれを聞いた佳人さんの眼にも剣呑な光が灯ったのが僕にも分かった。佳人さん自身の力で創りだしたんだろう剣に誇りを持っている事は簡単に想像できる。だけどもそれと同時に七海さんの言葉にも納得がいった。佳人さんの手から生えた剣は見た目には頑丈そうで、だけど少しずつ刃が崩れていっていた。

「今のアナタが行っても邪魔になるだけよ」
「だからって班長一人に任せるわけにはいきませんよ! 班長だってずっと戦ってるのに……!」
「勘違いしないで。宮原君が戦えないなら別の人間を送ればいい事じゃない?」

そう言うや否や僕の方を振り向いてニコッと笑う。はっ?とその意図を掴みかねている僕に向かって手を伸ばすと肩に手を置いた。

「という訳で、行ってきてくれるかしら?」



◇◆◇◆◇◆




無茶だ、と喚いても言いだしっぺの本人以外は文句を言わないだろう。本気でそう思う。どこの世界に入ったばかりの新人に(そもそもまだ所属はしてないはず)いきなり第一線で働かせる組織があるというのか、と口にしてみても「ココにあるじゃない」と七海さんに素で言われるのが何となく読めてしまったので口にはしない。流石に水城さんや佳人さんも呆気に取られて、そして我に返ると声を大にして反論してくれた。
が、そこはやはり人の上に立つ人間というべきか、それとも頭が切れる人間は違うと侮蔑混じりに褒めたたえるべきか迷うけど、議論の時間は無いだの代案を示せだので結局は押し切られた。佳人さんはもうすでに精神力をかなり消耗してたらしく、僕が行くと決定された途端に剣は完全に消滅した。水城さんは元々戦闘要員じゃ無いし、それなら戦闘経験など無くても死にはしない僕の方がいいだろうという流れだ。ちなみにその議論とも言えない議論の中に僕が口を挟む余地は、それこそ植物の根毛レベルでさえも残されてなかったとだけ言っておく。
じわりじわりと戦闘の音が近づいてくる。当然音が近づいてくるのではなくて僕が近寄っている。手に汗がにじんできて、手の中にある物を脇に挟むとズボンに手を擦りつけた。
手に持っているのは銃。ただし、この前に水城さんからもらったデリンジャーとは違って、それなりに大ぶりの物だ。僕は銃になんて詳しくは無いから名前は知らない。素人からしてみれば、デリンジャーみたいに見た目に明らかな特徴が無い限りどの銃も同じような物でしかなくて、そして名前が分かったところで特徴を知らなければ屁の足しにもならない。大方ベレッタとかいう、結構有名なものだろう、と決めつけてそれきり銃の種類の事は頭から外した。

議論に口は挟めなかったけど、当然僕だって危険な場所に行きたくなんてなかった。戦闘に関しては素人もいいところで、銃なんて一度自分に向けた以外に撃ったことも無い。ましてや子供時代から喧嘩でさえ殆ど無いに等しい。人と合わせる事は苦痛であっても苦手じゃない。常に他人との距離を上手く取りながら生きていたつもりだ。そんな僕が、例え魔法使いだから身体能力が一般人より遥かに上回ってると言っても本職の人たちの間に割って入るなんて無理で、下手したら班長さんの邪魔をしてしまうかもしれない。
と、自分に向かってどれだけ言い訳をしたところで、絶対行きたくないかと問われれば答えに窮するのもまた事実で、少なからずワクワクしているのは真実だ。

こんな僕が人の役に立てるかもしれない。そんなものは建前。
こんな僕が誰かを助けることができるかもしれない。そんなものは幻想。
こんな僕にも生きる意味を見出せるかもしれない。そんなものは妄想。
僕の中には今、二つの期待が渦巻いてる。
一つは手にした銃を撃ってみたいという願望。誰かに向かって。
誰に咎められる事も無く、憧れる映画の主人公みたいに颯爽と現れて一撃の名の下に敵を無力化する。相手が死のうと構わない。どうせ僕がやらなくても誰かが殺すのだから。英雄じみた惨めで自分勝手で一方的な空想を心の中に描く。
そしてもう一つは言うまでもない。僕が死ぬ事。
僕は死ねないと散々分かっているはずだけど、期待は捨てることはできない。もしかしたら、という淡い願い――あくまで「淡い」レベルだけど――は粛々と、でも決然として僕に根を張る。

地面が揺れる。ホコリの様な細かい砂粒が横のビルから降ってくる。すでにそのビルは半壊していて、コンクリートの断面が夜も近い空に向けられていた。
そっと壁から顔を出して様子を伺う。夜は、特にこんな夜とも夕方とも言いがたい時間帯はひどく見づらいはずで、だけどこんな力を手に入れて以来、夜でも比較的はっきりと見ることができる。視力自体が回復したわけじゃないからメガネなしだとぼやけるけど、夜目が効くようになった、というべきか。ともかく、夜でも視界が利く今の僕の眼が建物を破壊する二人の姿を捉えた。
一人は素手で薄い茶色に染めた、少し長めの髪の男性。たぶん、あの人がさっき佳人さんが言っていた「班長」なんだろう。なぜにアロハシャツなのかは気になるけど。
そしてすでに全壊といって差し支え無いだろう瓦礫の家を挟んで対峙してるのが、僕らを襲ってきた男。黒いジーンズに紺色のワイシャツ。白っぽい短髪をこちらに向けて、班長の動きを観察していた。
そう。僕は今、白髪男の後ろに陣取っている事になる。班長さんはすでに瓦礫の向こう側に移動して僕からは見えない。そして二人共僕には気がついていない。

一度、深呼吸。逸る気持ちを抑え、そこで僕は自分の手を見た。手の震えは、無い。
片手で構えるべきか、それとも両手で構えて撃つべきか迷ったけど結局は片手で半身だけを出して撃つ事を選択する。所詮素人に過ぎない僕なら両手でしっかり狙って撃つべきなんだろうけど、全身を晒すことは、例え気づかれてないにしてもためらう。
呼吸に応じて銃身が上下に振動する。狙撃なんてやったことも無くて、狙った場所に当たる保証なんて無い。だけど当てなければならない。チャンスは一度。二度目以降も無いことも無いだろうけど、考えるべきじゃない。
上下に揺れる振動に、左右の揺れが加わる。小刻みなそれのせいで照準は定まらない。
苛立つ。手をもう一度見ると、明らかに僕は震えていた。

――撃てるのか?
――撃てる
――殺すのか?
――殺せるさ
――自分は殺せないのに?
――……

そんな事は関係が無い。それこそ、一切合切無駄な思考。できるとかできないとか、そんなレベルの話じゃなくて、今、自分に求められている仕事を遂行するか否か、ただそれだけの話。
狙いをつける。
引き金を引く。
たった二つだけの動作。それさえすれば僕の感情も葛藤も悩みも偽善も偽悪も苦しみも安らかさも安心も絶望も希望も恐怖も全てが吹き飛んで塵芥と等しくなる。
果たして、僕は一切の感情と共に引き金を引き絞った。

「……っう!」

引き金を引いた途端、反動が指先から腕を伝い、肩へと抜けた。脱臼したかと思うくらいの衝撃が脆弱な関節に加わって僕の右腕が悲鳴を上げる。どこか逝ってしまったか、とも思ったけどそんなものを確認している暇はない。痛みを堪えて弾丸の行く先を探し、そしてすぐに見つけることができた。
穴が空いていた。ちょうど弾と同じ大きさの穴が、驚きに口を開けた男の額――のすぐ横に。
頬には一筋の赤いラインが引かれていて、そこからは少しだけ血がつつ、と流れ落ち始めていた。
つまりは、だ。

「外し…た?」

口に出すまでもなく、それはもうあっさりと。惜しいとか、初めてなのにほぼ狙い通りの所に飛んだ、とかそんなのは意味なくて。

(ヤバいヤバいヤバいヤバい!!)

ぼーっとしてる場合じゃない。外した以上次のターゲットは僕に向かってくるのは相手にとって「りんごが下に落ちる」のと同じくらい明確な事で、班長さんがそれを止めてくれればありがたいけど、敵はそれより先に僕に向かって氷の散弾を発射できるのは自明の理であって。
慌てて回れ右をして走りだそうとするけど、焦る僕の内心とは裏腹に体は上手く動いてくれなくて、足をもつれさせてしまって無様に転げた先は壁とか遮蔽物は全く無くて。
顔を上げた時にはもう時すでに遅くて、無駄に発達した動体視力が氷の弾丸を捉えてしまった。
衝撃。
暗転。
真っ暗な、それこそ光が全く無い世界はこういうものか、と思うくらいに世界が黒く染まって、その後に真っ白な光が戻ってきて、それが僕が一度死んだ事によるものだと気づいたのは声なき悲鳴を僕が上げていた時だった。

「……ぁぁぁっっ!!」

耳をつんざく不快な声。誰が出しているのかを理解できず、どうしてそんな声を出しているのかも理解できない。感じるのは焼ける、なんていう表現も生温いと思える、吐き気を覚える激痛。そしてヌメッとした僕の、目元に当てた手の指の隙間からこぼれ落ちる液体の感触。それが叫び声が治まるのに従って落ち着いてくると自覚する新たな腕の痛み。
仰向けに寝転がっている体勢から上半身を起こして、相も変わらぬ激痛を堪えながら片目で腕を見ると穴だらけの右腕があった。

「うわぁ……」

間の抜けた声が漏れた。パッと見だけでも四ヶ所くらい穴が空いて血がだくだくと流れ出しているのに、それが見ている端から塞がっていくのだから、そんな声が出るのも仕方が無いというものだと思う。

「……生きてるか?」
「何とか……」

班長さんの声に、ナケナシの気合いを振り絞ってそれだけ応えると、立ち上がって敵の姿を探す。が、どこにも見当たらない。

「敵は……?」
「見失っちまった。テメエのせいでな」
「文句は七海さんに行ってください。僕は素人なんですから」
「……ああ、お前か。課長が言ってた不死身ヤローっていうのは。佳人の奴はどうしたんだ?」
「精神的に限界らしくって七海さんに止められてました。代わりに僕が銃一つで放り出されたわけです」
「死なねーからか。悪女だな」
「悪女です……ねっ!」

空から降ってくる氷を横っ飛びで避ける。まだ右眼は見えないし、腕も痛くて痛くてたまらない。それでも動きを大幅に阻害されるほどの痛みはないのが幸いだ。回復力だけは変わらず気持ち悪いほどで、足に一発だけかすったけど問題は無い。どうせすぐ治るから。

「どうするんですかっ!?」
「とりあえず避けまくれ! あとは奴を足止めしろ! 結界屋を狙われたらオシマイだからな!」
「足止めって、どうやればいいんですかっ!?」
「知るかっ! 自分で考えろやっ!」

素人に無茶を言ってくれる。
とりあえず弾が飛んできた方向に向かって適当に発砲。本当にデタラメに撃って、しかも少しだけ見当違いの方に銃を向けた。これだけ痛めつけられたというのに、僕はまだ非情になりきれない。
流石に痛みに苛まれてた間はそんな事は関係なくて、絶対に殺してしまいたかった。誰が邪魔をしようとも誰が遮ろうとも誰が割って入ろうとも誰がなだめようとも。だけど、それも痛みが治まっていくにつれてしぼんでいった。
まだ、正直怖い。僕が傷つくのも、それ以上に僕が傷つけてしまうのが。七海さんの話を聞いて相手に同情してしまっているのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。彼らに残されているのは死でしかなくて、最後の引導を僕が渡してしまう、それが嫌だという自分勝手で利己的な醜さが僕をためらわせるのだろうか。

班長さんが跳ぶ。崩れたビルに手を掛け、一足で四階の屋上部まで到達し、だけど相手の氷弾に迎撃された。それを何も持たない素手で弾き返し、だけども弾いた部分からは出血している。
そのまま突っ込むこともできずに班長さんは後退。そしてその隙に相手はビルの壁を巧みに使って下へと降りていった。

「大丈夫ですか?」
「カスリ傷だよ、ンなもん」

そういう割りには結構出血してる。だけども別に強がりという風でも無さそうで、たぶんこれくらいは茶飯事なのだと思う。

「……やっぱり手強いですか?」
「チンピラ上がりにしてはな。それに、俺みたいなのと遠距離型は相性が悪い」

腕にめり込んだ氷の塊を取り出しながら話す。
そして男が走っていった方向を二人で追いかける。

「ま、言っても所詮チンピラだけどな。自分の限界っつーモンを把握できてねぇ。力に酔って、力で解決できない問題にぶち当たってこなかった連中ばっかだかんな」
「そうなんですか」
「そーよ。そんなモン。
だからもうすぐチェックメイトって事に気づいてねぇのさ」



◇◆◇◆◇◆



瓦礫の山だらけと化した住宅街。住人とか死んでるんじゃないの、とかそもそも住んでる人を一人も見てないとかいろいろと思うところがあったけど、どうやら結界内の建物とかはいくら壊しても大丈夫らしい。結界内に取り込む人間とかは結界屋さんが自由に選べるみたいで、家屋はいくら破壊されても外の世界には何の影響も無いんだとか。結界屋さんが殺されたら完全に反映されてしまうらしいけど。
そして僕は今、そんなボロボロに破壊された家の影に隠れてる。
直接的な攻撃能力の無い僕を慮ってくれたのか、それともただ単に邪魔だったのかは知らないけど、班長である八雲さんの指示でこうして待機する事となった。八雲さんは今は一人で交戦中で、時折破壊音が聞こえてくる。別れ際に「静かに待ってりゃ出番をやるよ」と言ってたけど、たぶん……そういう事なんだろうな。
ガシャ、と音を立ててマガジンを取り出し、残弾数を確認する。残りは後、五発。
痛みの引いた右目に手を当てて一つため息。痛みはもう忘れ去られた。「痛かった」記憶だけはまだ覚えている。
こうして一人で銃を持っていると、どうしても変な方向に考えが行ってしまう。
こめかみに銃口を当て、静かに引き金を引く。破裂音と、それに続く薬莢の落下音。その後には何かが倒れる音が……しない。
意識を現実に戻してまたため息。もうすでにイメージの中でさえも僕は死ぬ事はできない。流石に痛みだけは鮮烈なまでにフラッシュバックしてくるけど、それもどうせマヤカシ。治癒速度も、最初に二日近くかかったことを考えれば、今は異常を通り越してしまった。もう完全に、生と死の境は潰されてしまった。認めざるを得ない。
どこまで行っても生で、どこまで行っても死で。その間に曖昧さはゼロ。代わりに全体が曖昧になった。

閑静を通り越した静寂さを破る音が頭上で聞こえた。
今度は銃を両手でしっかりと握り、イメージを思い描く。より明確に、より鮮明に。
相手が降りてきたところを壁から飛び出した僕が銃を撃つ。狙いは頭。いや、命中率を考えるなら的の大きい体を狙うべきか。
視界の中にスコープ越しの世界を描く。中心は相手の土手っ腹。着地で屈むだろうから、少し下に合わせる。そこを目掛けて指に力を込める。一発二発三発四発五発。ありったけの弾をぶち込んでやる。
しつこいくらいに細かく、丁寧に頭の中で想像する。何度も何度も。
頭上を見上げる。逢魔が時。結界の中だからか、明るさはあまり変わってない気がする。それとも単純に思ったほど時間が経ってないのかもしれない。

「おぉぅらよっ!!」

これまでに無いくらい大きな声が聞こえてきて、少しわざとらしい。でもきっとこれが合図。
壁が砕ける音と同時に僕は飛び出した。細かい瓦礫が降ってきて、だけどもそれを意識から外して、男が落ちてくるだろう場所へ照準十字線をセット。
そして敵は降りてきた。十字線の真ん中に。
驚く敵の顔。慌てて僕に向けて手を伸ばす。氷の弾が掌の上に創り出される。時の流れはスローモーション。いくつか光って、だけども残ったのはたった一つ。敵の顔が滑稽なほどに歪む。
タイム・オーバー。残念、時間切れです。
後は引き金を引くだけでオーケー。ここまでイメージ通り、いや、イメージ以上。
なのに、金属でできた引き金が、重い。重い、重い。たかがこれだけの動作に全力を尽くさなければならないなんて、なんてイメージ異常。
残ったたった一つの氷弾が飛ばされて僕に迫る。そして、当る。僕の頭蓋を貫いていく感覚が鮮明。ぐいん、と裏返ったのは意識なのか、それとも僕の頭なのか。
またしても一瞬、何も見えなくなる。感覚が薄れて、僕の体が制御を離れた。
その前に一つだけ、僕ができたことが、ある。

一度だけ、引き金を引いた。







頭が痛い。割れそうなくらいに痛い。というのは比喩でもなんでも無くて、実際に頭を割られたのだからそりゃ痛いに決まってる。
本日二回目の死亡を経験して痛いのに慣れたかと問われれば胸を張ってノーと言おう。そんなものに慣れるはずが無い、とハナッから分かってて、実際に経験しても意見は変わらない。それでもその痛みが長続きしないのがせめてもの救い。割れたはずの頭に手を当てても少し血が付くだけで、カスリ傷と大差は無い。

「あー、二度目で何のひねりも無くてワリィけどよ……生きてるか?」
「何とか」

八雲さんの声に、大して気力を振り絞る必要もなく上半身だけ起こす。ケガは治っても疲労は取れないので体は怠いけど、まあ、たぶん僕が一番元気な部類に入ると思う。

「鏡クン」

呼ばれた方を振り返ると水城さんが立っていた。疲れてはいるみたいだけど、どこにもケガは無いらしくて、つまりは他に敵はいなかったと言う事か。まあ、そんなにワラワラと敵に湧いてこられても困るけど。
代わりに何処から湧いてきたのか、背中に「S.T.E.A.R」と書かれたジャケットを来た人がたくさんいた。どうも事件の後処理らしき事をしてるみたいで、ケガをした戦闘員の治療をしてたり、少し離れたところで事故車よろしくボロボロになったワゴン車がレッカーされているのが見えた。

「鏡クンはケガは……無いみたいだねっ」
「本来ならどれだけ治療しても追いつかないくらいなんでしょうけどね。まあ、水城さんも無事で何よりです」
「うん、ありがと。そして鏡クンも……お疲れ様」

言葉は僕を労ってくれて、なのにその表情はあまり冴えない。
無理も無いか。隊員の人が死んじゃったんだもんな。
ワゴンの中で頭を吹き飛ばされた運転手さんの姿が思い出される。一度見ただけだから顔さえも憶えてないけど、他の人はそれなりに付き合いがあったに違いない。水城さんは死に対する忌避感が強いだろうから、少なからずショックを受けていると思う。だからと言って僕が何かできるわけじゃないし、気の利いた慰めも出てこない。むしろこんな世界に連れ込まれた僕を慰めて欲しい、と思ってる自分がいて、それが少し嫌だ。

「ホント鏡クンも災難だったねっ。いきなりこんな事件に出くわすなんて。
普段はもうちょっとスマートなんだよ? ケガ人が出ても死人が出ることなんてあんま無いし」

相手以外はね、という反論は口にしない。しても栓のない事だし、話だけを聞けば七海さんの話ももっともだと思うし。

「ともかくさっ、鏡クンはまだ正式にウチに入ったわけじゃないし、後始末はアタシたちがやっとくからさっ、もう帰っちゃって大丈夫だよ」
「タクシー代とか出ますかね?」
「たぶんムリッ!」

はあ……しょうがない、歩いて帰るか。そんなに遠くないし。
どっこらしょ、とおっさん臭い掛け声を上げながら立ち上がって、二人に軽く頭を下げて背中を向けた。結界はまだ解かれては無いのか、空は夕焼けのままだった。

「ああ、そうだ」

八雲さんが呼び止めてきて、僕は首だけを回して振り返る。アロハシャツのおっちゃんがポケットに手を突っ込んだまま、離れた分だけ歩いて距離を詰めた。

「礼は言っとかないとな。
素人のくせによく頑張った。助かったぜ」
「……大したことしてませんよ。素人が現場を引っかき回しただけですし」
「いやいや、ホントだって。お前が相手の脚を・・撃ち抜いてくれたおかげで一発で仕留められたからな」
「……お役に立てたのなら幸いですよ」

失礼します、ともう一度頭を下げてから八雲さんから離れる。
いろんな人が後処理をしている中を抜け、喧騒の中心から遠ざかった。途中で七海さんの姿が見えて、向こうもコッチに気づいたみたいだけど、会釈だけして特に会話はしなかった。向こうも忙しいらしいし、僕もあの人と会話できるほど楽しい気分じゃない。

一分くらい歩いただろうか。いつの間に来たのか、それとも僕が知らなかっただけで最初から結界の中にあったのか、廃車ワゴンとは別のワゴンがあった。後ろのドアが開けられていて、そこに向かって真っ白の担架が運ばれて来ていた。
僕はそれをなんとはなしに足を止めて見ていた。あのワゴンに乗っていた人かもしれなし、他にもケガ人はいてもおかしくは無い。ただ何となく見ていた。興味も無く、ただ何となく眺めてた。
制服のお兄さんたちによって運ばれる誰か。端からダラリと垂れ下がった腕には生きている感じは無くて、そして袖の色は紺色。続いて見える足は黒のジーンズ。少しだけ体をずらして担架の上の人物を僕は見た。
その遺体には頭が無かった。もっと正確に言うなら頭らしき何かがあって、だけどそれを頭と言うにはあまりに小さくて、あまりに形がなさ過ぎる。

『お前が相手の脚を撃ち抜いてくれたおかげで一発で仕留められたからな』

ギリ、と奥歯が鳴る。何歩か足を進め、止まって眼をつむってうつむき、眼を閉じたまま空を見上げた。
結界が解ける。まぶたを開く。それと同時に時間が回り始めて、暗めの茜色の空が濃紺へと変わっていった。
風が流れ、それまでとは違った騒音が戻ってくる。立ち止まったままの僕の隣をさっきのワゴンが走り去っていった。
砂ぼこりを巻き上げ、生暖かい排気ガスが僕を馬鹿にするみたいにまとわりついた。
瞬きをして、それでも空の色は変わらなくて、どこまで眺めても星は見当たらなかった。

「最低な、世界だ」


















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