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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved




――2. 



 そこはとても暗い場所だった。
光なんて全く無い、どこまでも何も見えないそんな場所だ。
私はその場所から動けない。脚は言わずもがな、手も首も動かせず口さえも開けない。まぶたは閉じたままで、まるでボンドで貼り付けられたみたいにピクリとも動かない。なのに胸の内はひどく荒ぶっていて落ち着かず、風も無いのに寒さがひどく肌を突き刺してくる。
寒さだけが私が感じられる全て。周りには何も無くて、誰も居ない。この世界では私は一人であり、慰めてくれる何かがあるわけでは無い。どこまでも孤独な世界。
胸が、苦しい。呼吸はしようとしても空気は肺に取り込めず、胸の中にまるで空洞がポッカリと出来てしまったみたいだ。
ああ、これは夢だ。
私は誰に教えられるわけでも無くそう思った。そう気づいた。自分が夢を見ているという自覚がある、いわゆる明晰夢というやつか。今の私が齢いくつなのかは知らないが、記憶を失う前の私もこんな夢を見た事があるのだろうか。
そう、これは夢。だから何も不安に思うことなんてない。誰も私を傷つけることなんて出来っこないし、誰も私が傷つける事なんて無い。誰も私を勝手に値踏みしないし、利用しようともしない。排除しようともしない。私だけが存在を許された場所。安息な場所。だから安心だ。
けれども私はとても不安だ。誰も私を守ってくれないし、誰も守ってやれない。不安で不安で仕方がない。一体何を私は不安がっているのだろうか。
寒さに体を掻き抱きたくても体はやはり動かない。夢とは言え、この状態では不安になるのも仕方ないのかもしれない、と賢しらに客観的に考えてみる。
と、その時突然まぶたが開いた。脚は相変わらず動かないけれども、腕や首は自由になり、そして目の前には鮮やかな青空とどこまでも続いてそうな草原が現れた。
そして目の前に人が現れた。これは彼女だろうか。体は華奢で幼さを感じる。少女というのも憚られそうに小さく、肩上程度のショートカットの幼女は一人大人しく車椅子に座っていた。その姿はひどく儚く、触れれば壊れてしまいそうなくらいに脆く思え、僅かに見える俯き気味の表情は他に何も見えていないみたいに一点だけを凝視していた。
そこにもう一人、私の後ろに突然現れた。男の子だ。たぶん少女と同じくらいの年齢で、歳相応というには大人びててけれども少年というには無邪気さを残してるように思える。そして、その姿にはどこか見覚えがあった。
少年が現れると幼女はそれまでの憂鬱な表情を一転させ、パアッと、花が咲いたという表現がひどく似つかわしい笑顔を浮かべて少年を手招きした。呼ばれた少年は少女の笑顔を見て自分も笑顔を浮かべた。そして二人の間にいるはずの私の存在に気づいていないみたいに、いや、おそらく気づいてないな、私の横を通りすぎて少女のところへ駆け寄っていく。車椅子の後ろに立つと何かしらの会話を交わす。音は無くて声は拾えない。けれども、二人はとても楽しそうに話していた。見てるコッチが羨ましくなるくらい裏表の無い表情だ。
何かおかしな事でも言ったんだろう。少女から頭をペシッと叩き、少女は両手で頭を抑えて不満気に口を尖らせて背後の少年を見上げ、そして二人して笑った。
また新たに現れる人影。四人はみんな同じくらいの年頃みたいで、少年と少女に向かって手を振って手招きしてる。
少年は車椅子のハンドルを持つと四人の方に向かって歩いていく。その間も二人は楽しく談笑してる。二人が六人になるとその談笑の声は一際大きくなる。
そして世界は光に包まれた。
暗転。
場面が切り替わった。
今度もまたただっぴろい場所だ。さっきの景色と同じく辺りに誰もいなくて、周りに何も無い。
いや、違うな。何も無いわけじゃない。機能を果たせなくなった瓦礫があった。周囲はおびただしい程の破壊されつくした建物の残骸が転がってて、記憶の中のイメージの地獄とそっくりな程に業火が空を焼いていた。焼かれた雲は紅く染まって黒く焦げている。ついさっき見た青空は炎の紅と混ざって黄昏れて、脚元の草木は不毛の大地となっていた。
何も生み出さない地面から顔を上げる。そこにはさっきまでいなかった少年がいた。いや、青年か。黒を基調としたスーツの様な服を着て――思い出した。あれは確か学生服だったか――私の方を睨みつけてくる。
剣の様な武器を手に持って何かを私に向かって叫んだ。だけども前の場面と同じで声は聞こえなくて、音も聞こえない。
先ほどの少年と同じで、この青年も見覚えがある気がした。けれども思い出せない。彼も失った記憶の中の人物なんだろう。
青年は尚も私に向かって叫び続ける。その眦には涙が浮かんで、必死に何かを訴えかけてくる。でも聞こえない。理解できない。だから私は何も彼に返す言葉を持たない。ただ、その姿に私の心はひどくかき乱され、言葉で形容できない程の喪失感と絶望感と悲哀が頭の中をグチャグチャにする。
もういい、もうやめてくれ。私を助けてくれ。邪魔をしないでくれ。
寒さに自分の体を抱きしめ、全てを投げ出したくなる。でも、それは出来ない。私は止まらない、止まれない、止まるわけにはいかない。彼には見えない様に私は唇を噛み締め、痛みで自制を促し、自省を制する。
剣を構えた彼は涙を拭い表情を引き締めて、でも尚も溢れる涙をそのままに駆け出した。
彼の姿が大きくなる。声なき叫びが聞こえる。胸を打つ。辛そうなのに、脚を踏み出す。
彼は何者なのだろうか。そうまでして戦おうとする彼は誰だ。そしてそうまでして戦わせている私は何者――



 ハッと私は自分の荒い呼吸音で眼を覚ました。眼に入るのは薄汚れた天井板。すっかり見慣れたものだ。玄関の隣にある窓からは陽が差し込んでいて部屋の中を照らしてて、すでにお天道さんはそれなりに高く昇ってることを示してる。

「またこの夢か……」

 深々とため息。左腕で汗ばんだ額を拭えばビッショリと手の甲で雫が伸びた。着ているシャツも肌に貼り付いてて少し気持ち悪い。
大きく新鮮な空気を取り込んで肺の中の淀んで腐りかけているような重苦しい息を吐き出す。最近はこの夢を頻繁に見る。もう何度目か数えるのも億劫になるほどだ。最初は何も無い真暗な場所に閉じ込められているところだけのシーンから始まり、回数を重ねる度に少しずつ進捗し、今回は新たな場面展開だ。
きっとあの夢は私の記憶だ。忘れるというのは記憶が無くなるのではなくてうまく取り出せないのだと聞いた気がするけれど、夢を通して私は記憶を取り戻しつつあるのだろうか。
だとすれば私を睨みつけていたあの男の人。敵意を顕にしてたけど、それ以外の感情も見え隠れしてたような気がする。私はあの人を知ってるような気がひどくするんだけど、どういう関係なんだろうか。そして私に向けられたあの剣は、あの後どうなったんだろうか。少なくともあまり楽しくも面白くも無さそうな結末が待っていそうだけど、だとすれば私と彼との関係は絶望的な状態だったに違いない。何を努力しようとも、手遅れな程に。
 その結論に至った時、胸の奥が疼いた。ジクジクと疼痛が蝕んでそれ以上考えることを非難してるみたいで、体の警告に私は素直に頷くことにする。
息を吐きながらベッドから体を起こす。が、右腕に柔らかい抵抗。そちらの方に視線を下ろせば私の腕にしがみついて眠るミーナの姿。がっしりとしがみついてちょっとの抵抗じゃ離してくれなさそうだ。きっと私とは正反対一八〇度ベクトルの違う夢を見てるんだろうその寝顔は何とも幸せそうだ。憎らしい。
腹立ちまぎれに思いっきり引っこ抜いてやろうかとも思ったけどさすがにそれは可哀想か、と思い直してそっと抜くことにする。つかむのは良いが少し締め付け過ぎだ。右腕の感覚が無くなってる。
さて、ミーナを起こさないように腕を抜くにはどうすればいいだろうか、と思考のリソースをそちらに割きかけた時、ミーナがグズグズと鼻を鳴らしてモゾモゾと身を捩り始める。もしかして起こしてしまっただろうか。

「ひゃうっ!?」
 
腕に走った奇妙な感覚に思わず声を上げてしまって慌てて左手で口を抑える。ミーナを見ると、良かった、起こしてしまってはないようだ。魚でも食ってる夢でも見てるのか、私の腕をペロペロと舐めていた。外見はまるっきり人間だけれど、どうやら舌は猫らしい。ザラザラした感触がくすぐったくも気持ちいい。
ミーナを見れば相変わらず幸せそうにヨダレを垂らして腕を舐め続けていて、なんというか、その、ミーナの様子が可愛らしかったのでそのままされるがままにしておいた。私がミーナに飼われているのか、それとも私がミーナを飼っているのか分かったもんじゃない。
しかし私はココで判断を誤ってしまった。寝起きだからか、それとも夢のせいで余裕が無かったのか、ヨダレを垂らして美味しそうに腕を舐めているのだからこの後の展開を予想してしかるべきだったのだ。
尚も観察を続ける私。私にじっくり見られているとは露知らず、ミーナはそんなに私が美味いのか、飽きること無くペロペロペロペロ舐め続けそして――

「いっ!?」

 噛み付いた。それも思いっきり歯を立てて。猫は肉食だが、だから当然歯は中々に鋭い。普通の猫なら多少痛いくらいで済むが、人と同じサイズのミーナが噛み付けば結果は言わずもがなである。痛いのである。寝起きで不意打ちだから尚更だ。鈍った頭では心の準備というものも追いつかない。
さてさて。そんな攻撃を食らってしまった時に取る行動は、と云えば。
一、声を上げてただ耐えるだけ。
ニ、痛みの原因を振り解こうともがく。
この選択肢を選ぶ諸兄は紳士的だと思うが、残念ながら私は男では無いし性根が紳士的であるとは口が裂けても言え――なくはないな。口八丁で騙すくらいは出来そうな気がするが別にミーナに紳士的に振る舞う義理も――無くはないが、紳士であろうとする気はない。
つまりは――
私は寝ているミーナの頭に向けて全力で左腕を振り下ろした。

「ぎにゃーっ!!??」

 こうして始まる朝が私たちの日常だ。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ふんふん、このパドバ村はイリーナ半島の付け根にある、と。そして世界には亜人と人間がいて、ずっと長い間争ってるんだね?」
「そうそう。いつからかは私も知らないんだけどね、ずっとずっとず〜っと昔から色んなところで戦争が起きてるみたい。お祖母ちゃんも元々人間の国で、えーっと、なんて言ったかなぁ……ロマーニャ? だったかにゃ? そこの出身だったらしいんだけどね、戦争で負けて逃げてる時にお祖父ちゃんに助けられたって言ってたよ」
「亜人にはどんな種類がおるんの?」
「あ、そこはね『おるんの』じゃなくて『いるの』だよ? 『いるの』。はい、やってみて?」
「えーっと、『いらんの』?」
「んー、おしいっ!」
「あー……難しいな」

 ゴートたちの略奪を受けたあの日から私はミーナ先生の元、この世界の言葉の勉強を始めた。本当はもっと耳で聞いて覚えて、完璧になってからミーナに話しかけて驚かせてやりたかったけれど仕方ない。まあそれほどこだわっていたわけでもないし、ミーナの状況を考えるとあんまりのんびりとベッドで寝っぱなしなのも気が引ける。ならばもういっその事ミーナに教わってしまえ!というわけだ。
とは言っても特別な勉強をしてるわけじゃない。ミーナが狩りや薬草の販売に行ってる時は、ミーナが書いてくれた文字表で勉強して、帰ってきたら今みたいにこの世界の勉強がてら普通に会話してるだけだ。言葉を学ぶには使うのが一番の近道なのは私の知識が教えてくれる。
けれどもこの世界の言葉は中々に難しい。よくよく聞けば発音の規則は英語に似てるみたいだけれど、どこか違うし、時々ほとんど聞き取れない発音もある。聞き取れないものは当然自分で発音もできない。そういう時は今みたいに聞こえるがままに発声してみるけれど、ご覧の通りだ。さぞミーナにはおかしく聞こえてるんだろう。今みたいに私の発音ミスをミーナが指摘してくれてもう一度繰り返すけどうまくいかない。

「でももうほとんど変なとこないし、話す分には十分だと思うよ?」
「んーでもなぁ……ま、いいや。それで亜人にはどんな種類が『あるんの』?」
「『いるの』ね。えっとね、ゴートみたいな獣人と、鳥人と後は妖精種と……」
「妖精種? それってどんな……」
「ミーナぁ、いるかぁ?」

 と、話がやっと先に進み始めた矢先に部屋の扉がノックされてドアの奥から元気な叫び声が聞こえてきた。
「はーい、ちょっち待って待ってー」と叫び返しながらミーナがドアを開けると、そこには小さな獣人が一人。

「おいっす、ミーナ」

 扉の奥の彼はその短い腕を上げてミーナに挨拶した。口調から察するに朗らかに笑顔を浮かべて……いるんだと思う。表現が曖昧なのは彼の表情が分かりにくいからだ。
体長一.ニメートルくらいのネズミの獣人である彼――ハルトの顔は口以外はほとんど動かない。つぶらな黒目の瞳がほんの時々まぶたで隠される程度で、げっ歯類の口が突き出した様な顔から彼の感情を読み取るのは私にとって困難だ。もしかしたら見慣れている獣人連中なら分かるのかもしれないけど、私には無理だ。けれどもあくまで表情から読み取るのが難しいだけで彼の感情が分からないわけでは無い。今もきっと彼は緊張と嬉しさが同居してるんだろうと思う。それは他の獣人と同じように全身を覆う、くすんだ灰色の体毛のお尻から伸びている細長い尻尾が左右にフラフラと揺れてる事からも察せられる。

「ハルト? あの、もしかして……」

ハルトはゴートたちがやってきた次の日くらいからミーナの家にやって来るようになった。ゴートの口ぶりからミーナが獣人たちの間で好まれていないのは分かっていたからもしかして彼も、と最初彼がやってきた時は私もひどく緊張して警戒していたんだけども、ミーナが戸惑いなくハルトに抱きついた事からその懸念は消えた。
聞いた話によると、気さくな彼はこの村の中でミーナと一番仲の良い人物で、人当たりも良く、ミーナも結構頻繁に彼に手助けされる事が多いらしい。私も彼と会話してみたけれど、実際彼は気の良い人物だった。

「ああ、今日もいっぱいとれたんだ。おいら一人じゃ到底食いきれねえからな。もらってくんな」

 初めてやってきた日以来、彼は「おすそわけだ」と言って狩りで取れた獲物の一部を分けてくれる様になった。ミーナは初めは突然の申し出に困惑していたが、ハルトは手に持っていた血抜きした鳥をミーナに押し付けると「それじゃな」と去っていった。ただし、ペンギンを思わせる短い足のせいで颯爽と格好良く、とはいかなかったけれども。

「でも悪いよ。いつも迷惑ばっかり掛けてるのに……」
「気にすんな。迷惑っつったってそいつはミーナのせいじゃねえ。むしろ今までミーナを助けてやれなかったからな。その罪滅ぼしなんだから受け取ってくれねえと逆にオイラが困っちまう」

 その日以来、彼は頻繁にここを訪ねてくるようになった。その度にミーナは恐縮してるみたいだけど、ハルトの為にも受け取ってやった方が良いと思う。彼が自分で言っているみたいにこれは罪滅ぼしだ。
ミーナが村中から虐げられているのに、自分も巻き込まれる事を恐れて手を差し伸べなかった罪悪感からこうしているんだと何回目かの訪問の時に言っていた。だけどこれからはもう止める、自分の気持ちに素直に動くことに決めたんだと語るその姿は私も素直に好感が持てた。彼は信用できる。

「なあミサトも言ってやってくれよ。オイラは力がねえからさ、そろそろ手が疲れて兎を落としちまう」
「ミーナ、受け取ってあげるんよ。ハルトも困ってるだ」
「おー、ミサトも大分話すのが上手くなったじゃねえか。だけどももう少しだな」
「放っといて。今まだ勉強中」

 私に促されてようやくミーナはおずおずと、ハルトが背伸びして短い腕を精一杯伸ばして差し出してる兎を受け取った。それを見てハルトも安心したように尻尾を上下に振り、ダルくなった腕をプラプラと左右に振った。

「せっかくだから少し休んでいくと良い。ミーナ、良いだしょ?」
「うん、そうだよね。ハルト、ありがとう。お茶を準備するからゆっくりしていって」
「お、そうか? ならお言葉に甘えさせてもらうか」

 ミーナが台所の方に兎肉を置きに行って、ハルトはテーブルの椅子に「どっこいしょ」と声を上げながらよじ登った。どうやら彼にとって人間用の椅子は高過ぎるらしい。それからハルトは息を吐いて脱力すると肩をトントンと叩き始めた。

「ハルト、ジジ臭い」
「うっせえよ。それより勉強がなんだって?」
「言葉の勉強してる。発音が難しい。それからこの世界の事も。私は記憶が無いし、知らなきことだらけでし」

 本当は記憶が無いこととこの世界の事は別問題だけど、そこまで言う必要も無い。どっちにしろ知らない事は確かだし。

「そっか、そうだよなぁ。オイラは記憶を無くした事がねぇからちゃんと理解は出来ねぇけど、記憶が無いってぇのは大変な事だよなぁ……うしっ! ならオイラが色々教えてやるよ。こう見えてもオイラは博識なんだぜ?」

 ミーナにも色々と教えてもらっているけれど、どうもミーナはあまり世の中の事を知らないみたいで、結構知識があやふやな所がある。それはミーナの状態を考えると仕方がない。村から出て他の場所に行くツテも無いだろうし、きっとハルト以外にミーナの事を気にかけてくれる人もいないだろうからどうしても仕入れられる知識には限りが出てくる。だからハルトの申し出はありがたい事ではあるけど。

「いいの? 忙しくない?」
「良いって良いって。どうせその日暮らしの気ままな毎日だし、飯の確保も済んでるしな。友人が困ってる時だ。いくらでも手を貸すぜ」
「友達?」
「おう、オイラとミーナは友達。ミーナとミサトも友達。ならオイラとミサトも友達だろ? 何か変な事言ったか?」
「……いや、言ってない。たぶん」

 面と向かって友達と言われると何だか面映いな。これは昔の私が友達と言える存在がいなかったのか、はたまた単に言われる機会が無かっただけなのか。正直なところ私自身誰かと友人になるという発想は無かったから、たぶん前者なんだろう。随分と寂しい人生を送っていたらしくてちょっとヘコむな。

「そうか? ま、いいや。それで、ミサトはどこまで知ってんだ?」
「えっと、世界は人間と亜人とで争っててずっと戦争しとる事と、亜人には種類がありて、獣人と鳥人と妖精族がいる事くらいしか知りませんです」
「そいじゃ亜人の事からいくかな? ミサトは今三つ挙げたけど、後一種類あって怪人ってぇのもいるんだ。獣人ってのは特に説明は要らねえかな? オイラやミーナみたいにネズミや猫とか、後は狼みたいにいわゆる獣の姿を持ってるけど話せたり二本足で歩けたりとまあ、言ってみりゃ人間と同じ知能を持ってるけど姿は獣と同じ種族だな。鳥人も同じだけども、アイツらはオイラたちと違って空を飛べるから学者さんたちの間じゃあ区別されてる」
「妖精族は?」
「妖精族ってのは基本的に森の中とか地面の下に住んでる奴らで、基本的な特徴を言うなら眼に見えない種族だな」
「眼に見えない? 見えないのに居るって分かるんの?」
「アイツらは普段は見えないんだけどよ、たまに姿を見せるらしいぜ。基本的に気まぐれで、ちょっと眼を離した隙に現れたり消えたりして人間や亜人を惑わせるんだとよ。オイラはまだ見たことは無いけど、こーんな掌に乗るくらいちっこくて可愛らしい奴だったり、地面まで伸びてるヒゲを生やした爺さんだったり色んな奴らがいるらしいんだけど、どんな種類がいるのかはまだ学者さんたちでも把握しきれてないって話だ」
「なんとなくイメージは分かる」

 元の世界のフィクションに出てくるようなものだろうか?イタズラ好きだったり、それとなく助言をくれたりするような類のヤツ。ファンタジーだと定番でありふれてるけど、コッチだとキチンと存在が確認されてるんだ。

「最後に怪人種だけど、コイツはちょっと特殊でな。姿形は人間だったり亜人だったりと様々でさ、けどもオイラたちとは違った恐ろしい力を持ってるんだ」
「怪人種って本当にいるの?」

 お茶を入れたミーナが戻って話に加わってくる。私たちの前に置かれたカップには薄い緑に濁ったミーナお手製の薬草茶が湯気を立ててる。少し苦くて飲みにくいけど、慣れれば段々美味しくなってくる不思議な味だ。今では私も気に入ってるし、ハルトの好物でもある。
ハルトは嬉しそうに尻尾を振ってお茶を飲んで喉を湿らせると「あぁ」と頷いた。

「あんまり人目につく場所には出てこないらしいから目撃例は少ないんだけどな、古い歴史書とかにはよく出てくるんだ。何でも山みてぇな大男だったり、人間や亜人の生き血を啜って若返ったり、とんでもねぇ怪力の持ち主だったりするらしい。昔はそいつらのせいで国が滅んだって例もあるらしいぜ。おっかねえ話しだ」
「でも私はそういう話全然聞いたことないよ?」
「そりゃそうだ。今言ったのは昔の話だし、人間たちが徒党を組んで討伐したってぇ話だ。今じゃほとんど見なくなって、商人たちの話だと絶滅したんじゃないかって言われてたな。けど、そういやぁ、こないだツークの街で吸血種が出たって話があったなぁ。何事も無ければいいんだけどなぁ」

 異端は排斥される、か。何だかミーナが疎まれてるのと通じるところがあって、私は少しその怪人種とやらに同情してしまう。彼らも彼らなりの生活があっただろうし、人間はやっぱり自分たちとは違う存在を排除する性質でもあるんだろうか。でもまぁそれは亜人も同じだし、怪人種も同じかもしれないな。自らを傷つける存在は排除するのがこの世の生物の常だ。本当に傷つけてたのかは別として。

「でもハルトって本当に凄いよね。色んな事知ってるし、すっごく勉強してるんだね」

 ミーナの混じり気なしの称賛の言葉に照れてるのか、瞬きでつぶらな黒目をパチクリさせて爪の先で頭をポリポリと掻いた。

「いやぁ、とりあえず色んな本で勉強してるけど、オイラはまだまださ。夢を叶えるんにはまだ足んねぇよ」
「夢?」
「ああ。オイラさ、いつかこの村を出て世界を見て回りてぇんだ」

 そう言ったと同時にミーナがピクリ、と動いて止まった。ポカンと口を開いてハルトの方を見て、そして悲しそうに眉が垂れ下がる。けれど、ハルトは視線を下に向けたまま夢を語りだした。

「正直、オイラは現状に満足してねぇ。あんまでけぇ声で話せねえけど、オイラは今の人間と亜人が憎みあってんのはおかしいと思うんだ。もう長ぇこと戦ってっけどこんままじゃいけねぇ、どっかで止めなきゃなんねぇと思う。だってよ、こうしていつまでもお互いに傷つけあってその先に何があるんだ?」
「えっと、急に聞かれても……」
「オイラは何にもならねぇと思う。なぁんも残んねぇよ。だからオイラはこの戦いを終わらせてぇんだ」
「それが世界を見て回るんのとどんな関係があるのんだ?」

 私がそう尋ねる。そこでやっとハルトは顔を上げて私の、そしてミーナの顔を見る。ミーナの顔はもういつもと変わらない表情になっていた。

「戦いが終わらねぇのは人間も亜人もお互いの事をよく知らねぇからだとオイラは思うんだ。相手の事が理解できねぇから怖がって、怖ぇから攻撃する。でもキチッと向き合って話し合えば、いきなりは無理かもしんねぇけど戦いを止めるキッカケくれぇにはなるんじゃねぇか。オイラはそう思う」
「……難しい話だね」
「そんなに世の中は簡単じゃにえと思うんよ?」
「話が単純じゃねぇってのはオイラも分かってる。けどスタートはそっからだと思うんだ。でもそう考えた時にオイラ自身もまだ何も知んねぇ。亜人の事も、そして人間の事も。だからまずはそこを知ることから始めるべきだって思ったんだ。その為にはいつまでもこの小さな村に居るわけにはいんねぇ。もっと人が集まって色んな情報が、なぁんもフィルターが掛かってねぇ情報が集まる所に行きてぇんだ」
「でも人間と亜人は憎み合ってるんだしょう? 旅するのも危ないし、両方の正確な情報が集まる場所なんてあるんの?」
「人間と亜人が憎み合ってるっつっても世の中全部の国がそういう訳じゃねぇ。少ねぇけど東の方に行けば人間と亜人が一緒に仲良く暮らしてる国だってある。大陸の西の端にある国や海を渡った先の大陸だってそうだ。そして、その国に行ってオイラは役人になるんだ。
 オイラは見ての通りネズミの獣人だ。ゴートたちみてぇに力も強くねぇし、普通に戦ったって何も出来ねぇ。けど勉強して偉くなって、政府の役人になればそれは力になる。誰も傷つけねぇで自分の考えを貫ける力をオイラは手に入れてぇんだ。
まあ道中が危ねぇ、ていうのは確かにその通りなんだけどよ、まあ、全くの無策ってわけでもねぇからそう心配する事もねェと思ってんだ」
「そう……なら良いけど……」

 ミーナは心配そうにハルトの方を見る。
ミーナの鳶色の瞳が映すのは不安だ。それはそうだろう。ハルトはミーナ一番の理解者だし、そうでなくったって散々お世話になってる。そんな彼が居なくなると言われたら後に残されるミーナは不安でいっぱいだろう。私だっていつまでもミーナの世話になってるわけにはいかないし、いつ追い出されるか分からない。そうなってほしくはないけれど、そうなればまたミーナは一人になる。ミーナは初めはお祖母さんがいて一人じゃなかった。けど亡くなって一人になって、また理解してくれる誰かが現れた。喪失を一度は耐えられても二度目は難しいはずだ。

「本当に、気をつけてね。ハルトの夢だから私は止める事はできないし、応援する事しかできないけど……本当に大丈夫なの? 危なくないの?」
「大丈夫だって! そんなに心配すんなって。詳しくは言えねぇけど、普通に旅するよりよっぽど安全な方法があるんだよ。それに今すぐ村を出るって言ってる訳じゃねぇし、今からそんな心配してたらオイラが出て行く時にはミーナの方が倒れちまうぞ?」

 二人の会話を聞きながらイマイチ内容が理解できなくて私は一人「ん?」と疑問符を浮かべた。ミーナは自分の心配をしてるのかと思ったけれど、そうじゃないのか?
 腑に落ちてない私を他所に二人は尚も会話を続けてるけれど、どうやらミーナは旅に出た時のハルトの体を心配してて自分の事は何も考えてないみたいだ。普通は他人よりもまずは自分の事を心配すると思ったんだけど、そうじゃないのだろうか。
そんな風に考えているとミーナの耳がピクピクと小刻みに動き出した。

「ん? 何だか外が賑やかだけど、何かあったのかな?」

 ミーナが席を立って窓際の方に注意を向けた。言われてみれば確かに外の方が騒がしい。普段は村全体が物静かで、この隙間風が絶え間なく吹きすさぶのが常な家でもあまり外の喧騒は気にならない程だ。だけども今は俄に村人たちの歓声みたいな声がそこかしこで上がってるみたいだ。

「ああ、てことはうまくいったんだな」
「何が?」
「魔族狩りが、だな」



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