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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved




――5. 


「起きろ」

 頬に衝撃。そして冷たい何か。そしてもう一度反対側の頬に打撃。私はいつの間にか閉じていたらしいまぶたを開けた。どうやら寝てしまっていたらしい。せっかくいい気持ちだったのに、と水が滴り落ちる頭を振って顔に張り付いていた、汚れた紅い髪の毛を払いのけて水をぶっかけてきた男を見上げた。

「客だ」

 水をぶっかけてきたこの常に仏頂面して愛想の一つでも振りまくでもない男はこの城の兵士だ。膝立ちの状態で壁に繋がれている状態でも分かるくらいに背は高くて、こんな場所で何を警戒してるのか分からないけれどもギッチリとした鎧を着込んでる。
どうやら私が入れられているこの牢屋の看守らしきことをしてるらしいけれども、コッチが話しかけても返事の一つもしてくれるわけでもなく、もっぱら牢のすぐそばで一日中立ってるか、食事の時に残飯の様なくっさい飯を私に向かってぶち撒けてしこたま殴って居なくなるくらいしかここ数日の接点は無い。まったく、こんなに大人しく鎖に繋がれてるというのに、いったい私の何が気に入らないというのか。
そう思いながら眼前のコイツの顔を睨みつける。その途端、手に持っていたブリキのバケツで思いっきりぶん殴られた。左のこめかみに強かな痛み。水しぶきと共に紅い血が飛び跳ねて兵士の服に付いて、そしてまた殴られた。

「……亜人と交わった、その腐った眼をコッチに向けるな」

 なるほど、つまりは今の私の存在そのものが気に入らないらしい。よくよくその眼を見てみれば濁った緑がかった瞳は憎しみに満ちていて、キッカケさえあれば、もしくは上役からゴーのサインが下れば今すぐにでも私を殺してくれるんだろう。そんな事はゴメンだけど。
口の中が鉄臭くて唾を吐き捨てる。もちろん兵士の靴に向かって。そしたら案の定また殴られた。

「ダァメだァよ、可愛い女の子を殴ったりなんかしちゃ」

 兵士の後ろから間延びした声がした。間延びしてるけどそれは別にのんびりとした感じじゃなくて、どっちかといえば粘着質。ベタベタと耳の奥を通り越して頭の中の脳みそにまでこびり付きそうな不快極まりない声で、実際、私は一度しか聞いていないこの声をよく覚えている。

「よぉ、三日ぶりだなぁお嬢ぉちゃん」

 その声の主は兵士を押しのけて私のところへやってきて、ヘラヘラと笑いながら見下ろしてきた。対する私はイライラをそのままにこの粘着男を睨みつけるけれども、男はそれを見て笑みを濃くするだけ。ここで表情の一つでも変えてくれれば多少は私の溜飲も下がるというものだけれど、この男は私の反応を見て楽しんでる。だから私は顔から表情を消して興味無さ気に視線を逸らしてやる。

「おろろ、冷てぇなぁ。嬢ぉちゃんを殴ったのをまぁだ根に持ってんのかねぇ? それとも俺ん事をもう忘れちまったかねぇ」

 兵士の男と違ってコイツの見た目はひょろい。背も低いし肉付きもパッと見はそれほどでもなさそうだ。
けれども、コイツはヤバイ。
見た目は線は細そうだけど、着ているシャツの下の筋肉は引き締まってるし、何より纏ってる雰囲気がヤバイ。常に笑っている眼はその実、一切の笑いの感情を含んでいなくてあくまで表面的。瞳は濁りきっていて、こんな眼をした人間の事を何と呼ぶか。
答えは、狂人。

「だとしたら、今度は俺ん事を忘れさせねぇよぉにしねぇといけねぇなぁ」

 耳元で声がした。気がつけば男は私の顎を掴んで引き寄せ、眼の前には気持ちの悪い顔。

「俺ん名前はダッカスだ。よぉろしぃくなぁ?」

 そう言って耳を舐められた。どうもこいつは喋り方だけじゃなくて存在自体が粘着質らしい。舌についていた唾液がベッタリと、糸を引くように私の横顔を舐めまわしてきて、怖気に駆られてついコイツの鼻っ柱に頭突きをかましてしまった。
 ダッカスの鼻から鼻血が溢れる。しまった、と思って思わず身構えたけれどもダッカスはヘラヘラと笑いながら傍に控えてた兵士の男を制止しつつ、親指で鼻血を拭って、でも止まらなくてダラダラと垂れ流しながら何でもないかの様に口を開いた。

「おぉ痛ぇ。痛ぇけれどぉ、俺ぁオメェみぃたぁいな気の強ぇ女ァ好きだぜぇ?」
「それはどうも。でも変態に好かれる程私は変態じゃない」
「つぅれないねぇ。でも、ま、一発はぁ一発だァよなぁ?」

 ザク、と音がした。音がした左を見た。
そこにはナイフが刺さっていた。ナイフと呼ぶには少々語弊があるだろうと思える長さと剣幅を持ったそれが突き刺さっていた。でも、どこに?

「え?」

 ナイフが刺さっていたのは私の顔の左隣。そこには万歳状態の私の腕があるわけで、つまりはナイフが刺さっているのは、私の腕?私の腕だ。間違いない。けれども私に刺された自覚は全く無くて、当然痛みも――

「あ…がああぁぁ・・・・・・!?」

 痛みは大幅に遅れてきた。いつの間にか私の口は悲鳴を叫んでいて、脳内は真っ白。むしろ真っ赤。「痛い」という文字に塗り潰されてどこもかしこもレッドアラート。

「おぉお、何だ、嬢ぉちゃんもいい声で鳴ぁけるじゃねぇか。良かった良かった、こぉれで嬢ぉちゃんも立派な亜人動物の仲間入りだぁぜ?」

 ダッカスの声が耳を左から右へと流れてく。
ナイフは深々と私の左腕に刺さってて、だというのに血は傷口のところから一筋垂れているだけ。まるでかすり傷みたいな血の出方だというのに、対照的に痛みだけは激烈に鮮烈にして強烈。脂汗と涙が私の意思に反してダラダラと顔を流れ落ちていった。

「なぁかなか上手いもんだろぉ? 血管はさぁけて痛ぁみだぁけを与える刺し方。こぉれで刺してやぁると、血を失わねぇからなぁがいこと拷問できる楽しぃめるんだぁよ」

 ゲヒゲヒと、まるで豚が鳴くような声でダッカスは笑って、獲物を見る眼で私を眺めていた。
痛みは頭の中を駆け巡っているけれども、痛みには次第に慣れてくるもので、そうなると本当に多少ながらも思考に余裕は出てくるわけで、その生まれた余裕で感じたのは、こんなドグサレ外道を楽しませてやってる自分に対する腹立たしさだった。涙を拭おうにも鎖が邪魔で拭えやしない。それでも態度だけは、と無表情でダッカスを眺め返してやる。

「お〜ろろ、もぉう痛みぃに慣れんのかぁ。やっぱ嬢ぉちゃんいいぜぇ。俺好みの女だぁな。もちっと胸がデカけりゃ言うこたぁねぇぜ」
「貧乳の女の子に胸の話はマナー違反だよ。これでも気にしてるから。それよりも聞きたい事がある」
「おぉ、いいぜぇ。なぁんだってこぉたえてやんよ。いぃまの俺様は機嫌が良ぃいからなぁ」
「村は、どうなった?」

 コイツはあの日あの時間にあんな場所にいて私を捕まえた。ならば当然、村を襲った連中とは無関係のはずがない。さすがに指揮官だとは思えないけれど、襲撃の始終もしくは断片的にも何か知ってるはずだ。
質問はしたけれど、私はすでに結論を自分の中で出している。だからこれはあくまで確認作業。心の準備はできていて、きっと私は受け入れられる。そも、私にとっては二人以外は重要ではないのだから。

「あぁあ、安心しぃなよ。ちゃぁぁぁんと全滅させてきたぜ?」

 そしてやはり結果は予想通り。想像を超えない。ただ、ミーナとハルトの二人が無事である事を祈るだけだ。
私はそっとため息を吐いて、ダッカスの様子を仰ぎ見た。

「まぁったくよぉ、本当は嬢ぉちゃんと遊んでやりたぁかったのに、カブラスの野郎が嬢ぉちゃんに会ぁうのを禁止するからよぉ。ひぃまで暇で仕方ねぇんで、わぁざわざ三日も掛けて村の残党をぉ皆殺しにしてきたってわけだ。まぁ、あの村の亜人どもはなぁかなか骨のある奴が多かったかぁらなぁ、ぞぉんぶんに楽しめたから文句はネェんだけどな」
「なら、ゴートも倒した?」
「ゴートぉ? ああ、そういえばあの狼の亜人のことを連中はぁそぉんな名前で呼んでたなぁ。村でいぃちばんの強敵だったゼェ? 普っ通の兵士や魔術師連中じゃぁ刃が立たねぇから俺が殺してやったんだがヨォ、何を素材に使ってんのかぁ知らねぇけれど、打ち合った瞬間にぃナイフが壊れたからなぁ。お陰でお気に入りのナイフが何本かぁおジャンになっちまったぜぇ」

 そっか、ゴートも死んだのか。ゴートが何をしたかったのかはもう知る由も無くなったし、ゴートの企みも私が意図せず阻止できたということなんだろうけれど、スッキリはしない。当たり前か。
しかしよくよく考えれば、ゴートは私と直接的なやり取りがあった三人目の村人で、その意味では村の中では私との関係が濃い部類に入るのか。美酒も勝手にだけれど貰った事を考えると、少々の寂しさも湧き上がってくる。

「そう……」
「あんまり気にしねぇんだなぁ?」
「大して良い奴じゃなかった。恨みはあっても感謝することはあまり無い関係だたかんら。それよりまた質問」
「なんだぁ?」
「カブラス? 誰?」
「誰ぇって……ああ、そうかそうかぁ。嬢ぉちゃんは知らねぇかぁ。そらそうだよなぁ、急に俺になぁぐり倒されてぇ、こうやって鎖で繋がァれちまってる上に見張りはこぉの無愛想・無表情の暴力親父だもんなぁ」

 げっへへとわざとじゃないかと思うくらい気持ち悪い声を出して、ダッカスはさっき私を殴ってた兵士を見たけれども、その兵士はやっぱり無表情で私とダッカスを見返していた。

「カブラスってぇのぉはだな、俺ん雇い主であってぇここらの土地の領主様だ。そして嬢ぉちゃんをぉ捕まえる様に命令出した人間だし、あの村を襲う命令を出した人間でもあんなぁ。そして、嬢ぉちゃんが今いるこの城のぉ主でぇもあるわぁけだ」
「どうして私を捕まえる? それに村を襲った理由は?」
「おぉ、俺たぁちが知っててぇ嬢ぉちゃんが知らねぇってぇのも不公平だよな。俺ぁ公平な男だかんな、キチィっと教えてやぁるぜぇ」
「前置きが長い。さっさと教える」
「そう焦んなぁって。嬢ぉちゃんを捕まえる理由はだなぁ、嬢ぉちゃんが王国に召喚された人間だぁからだ。嬢ちゃんはどっか俺らのぉ知らない、別の世ぇ界からやってきたんだろうぉ?」
「……たぶんそうだと思う」
「だから俺らは捕まえるんだぁ。危ぃ険だぁからな」
「危険? 私が?」
「そぉだ。代々この王国にかぁかわらずどの国も嬢ぉちゃんみたいな人間をォ召ぉ喚してんだ。なぁぜかっつうとな、召ぉ喚された人間は皆強ぇからだ。魔法が使えてなぁ、おまけにただの人間で特にたぁたかいも知らねぇでもパネェ身体能力を持ぉってる。それこそなぁんの訓練もしねぇで亜人どもと対等ぉに戦えぇるくれぇにな。今人間がぁ使える魔術とかぁ魔法ぉの大元はぁ召ぉ喚された昔の人間がァ伝えたっつぅ話しだしなぁ。管理下にぃ置いとかねぇと国のお偉いさんたちはぁオチオチ夜も眠れねぇってぇわけだぁ」
「私にはそんな力は無い」
「あぁ知ってるゼェ。だぁからこんな状態で殴られっ放しなわぁけだもんなぁ。
 聞ぃたぜ? 嬢ぉちゃんは記憶を失ぁってんだってなぁ? だぁから魔法もなぁんも使えねぇしおまけに歩けもしねぇ。だからって俺らは捕まえてみぃるまでんなこたァ知らねぇ。こぉんな拷問じみた状ぉ態に置かれてんのもぉな、嬢ぉちゃんが記憶を失ってるって嘘ォを吐いてんじゃァねェかぁってカブラスの野郎は疑ってるんってぇわけだぁ」
「なら、私が呼ばれたのもその力を期待して?」
「そぉだ。さぁいきんは亜人どもに押され気味らしくてぇなぁ。おまけに魔族連中のぉ侵攻もぉ増えてきてっからなぁ。俺ぁ実際んとこぁ知らねぇがな、大方嬢ぉちゃんのそぉうぞうした通りだと思うぜぇ?」

 まったく、全く以て傍迷惑な話だ。自分たちの世界のイザコザにわざわざ外の世界の人間まで巻き込んでまで解決しようとしないで欲しいと思うのは、この話を聞いた人なら私だけでなくて誰しもが思うことだろうな。召喚された人にも家族があり、友人がいて、そしてその人自身の人生が、目標が、夢があるというのにそんなのまるきり無視。他力本願。
召喚するならまだしも、勝手に喚んどいて、勝手にそいつの力を値踏みして、そいつの力が怖いから管理する。鎖で繋いで言う事を聞かせようとする。恐れて、畏れて、それでも利用しようとする。ホント、自分勝手にも程がある。
けれど、まあ、人間なんてそんなもんだろうと思う。使えるもんは何だって使う。余裕が無ければ相手の事情なんてどうでもよくて、余裕があっても何だって自分の思い通りにしようとする人間はどこにだっている。それは権力が強ければ強いほど顕著だけれども、どんな人間もまずは自分第一。他人がやってくれるなら人任せ。弱者を作って、面倒だったりきつい仕事はそいつらに全部押し付ける。出来なけりゃ勝手に非難して見切って、そしてはいさようなら。どんな時代でも、どんな場所でも人は自分さえ傷つかなければ気にしないもんだ。

「私が捕まえられた理由は分かった。納得はできないけれど理解した。けれど、わざわざ村まで襲った理由は分からない。私一人捕まえるくらい、お前がいれば事足りたはず」
「そぉりゃ嬢ぉちゃん、理由は単純だ。『そこに亜人がいた』からだ」
「……意味が分からない」
「嬢ぉちゃんの世界じゃ居ぃなかったのかぁ? 居ぃるだけで目障りなぁ存在。出会ったらまぁずは殺しあわなきゃ気が済まない連中はぁ。
 そぉうだなぁ、嬢ぉちゃんは蚊が近くにいたらァどぉうする? 迷わぁず殺すだろォ? つまりはぁそぉういうこった。出会って殺り合わねぇのは気まぐれ以外なにもんでぇもねぇ。ま、俺ぁただ単に人を斬り殺すのぉが好きなだァけなんだけどなぁ」

 そう言ってダッカスは、すっかり聞き慣れてきた、変わらない下卑た笑い声を上げた。
 つまりは、そう。村が襲われたのは私が居たから。私があの村に居て、その序に村が襲われた。
ミーナの家が燃やされたのも、村を逃げ出さないといけなかったのもミーナとハルトを危険に晒してしまったのも全ては私があの村に居たから。全部全部私のせい。私の存在があの村の運命を決定付けた。その事実が堪らない。堪らなく、心が凍える。苦しくなる。息が詰まりそうで、ここに来て私は初めて死にたくなった。
もうこれ以上この話は聞きたくない。

「……それで、捕まえられた私はこの後、どっかに居るクソッタレの王様の所に連れて行かれる?」
「いぃんや、嬢ぉちゃんはもうしぃばらくはこの城ん中だなぁ。記憶を取り戻してもらったぁ後でぇ王城に連れてってぇ暴れてもぉらうことにゃあなるけどなぁ」
「……? どうして首都で暴れるんの?」
「んなことぁ決ぃまってる。王をぉ殺してもらうたぁめだ」
「え?」
「おい、喋りすぎだ」

 ペラペラと喋ってたダッカスを、ずっと黙ってた兵士が初めて口を挟んだ。ダッカスは私に合わせた膝立ちの状態から立ち上がって、眉根を寄せて咎めてきた兵士に向き合った。
そして首にナイフを突き刺した。

「がっ!?」
「うっせぇなぁ。人がせっかく気ィ持ち良く話してんのぉに邪ぁ魔すんじゃねぇよ」

頸動脈が傷ついた。紅い血が噴水みたいに噴き出した。ビチャビチャと、血溜まりがあっという間に私の眼の前に作られていく。
 首を抑えるけれど、血は止まらない。私を殴ってた兵士は膝から崩れ落ちていって、体中を真っ赤に染めて倒れて、すぐに動かなくなった。当然私もダッカスも真っ赤に濡れて、ダッカスは腕に付いたその血を舐めて美味しそうに笑った。

「これで邪ぁ魔モンは居なくなったな」
「……」

 むせ返る匂い。流れだした血は冷たい石畳の上を流れていって私の脚を汚しだした。粘着質な血液がまとわりついて、雨みたいに降り注いだそれは私の真赤な髪と同じ。だからだろうか、動かない兵士から私は眼を離せない。

「聞けよ」
「んあっ!?」

 腕から伝わる激痛が私の意識を元に戻した。ダッカスは私の左腕に突き刺さっていたナイフに乗せた脚をどけて、グイッと私の頭を掴んだ。

「いけねぇなぁ。嬢ぉちゃんが質問してきたんだろぉ? 人の話はちゃぁんと聞かなきゃなぁ」
「……続けて」

 頭を刺すような痛みに耐えつつ、荒い息で続きを促す。
ダッカスはまた嬉々として喋りだす。

「カブラスはなぁ、一言でぇ言えば反王族派なんだな。つうかぁ、王国の独立を企んでるわけだな、これがぁ」
「なぜ……?」
「さぁなぁ。俺ぁそこまで興味はねぇから知らねぇけぇどなぁ。野心が強ぇからじゃねぇの? 男ならこぉんな辺境の主よりもぉ一国の王になりてぇ、みたいな?
 んで、カブラスの野郎ぉは嬢ぉちゃんを王国に対する切り札にするっつうわけなんだなぁ」
「そんな事できるわけ……」
「やりようはいぃくらでもあるぜぇ? 嬢ぉちゃんの記憶と力を取り戻しさぁえすりゃあ、王国が血眼になぁって探してる召喚者をぉ見ぃつけて引き渡しただぁけでも恩を売れっしぃ、洗脳して王国に対するぅ最強ぉの戦士に仕立て上げて突っ込ませるっつう手段もある。それくれぇの潜在能力はぁあるはずだぁからなぁ。
 ま、カブラスは洗脳した後でぇ王国に引き渡してぇ、謁見の場で嬢ぉちゃんをぉ暴走させて王族皆殺し、ッつうコトを企ぁんでるみてぇだけどなぁ。何せ今、王ぉ国の世論はぁ召喚に対して否定ぇ的だぁからなぁ。黙って召ぉ喚した相手が王族を殺したっつースキャンダラスな事になったら、国中が混乱してさぞたぁのしい事になるだろうねぇ」
「喋りすぎだ、ダッカス」

 楽しげに話すダッカスを咎める声に「あぁ!?」とダッカスが気色ばんだ。だけどもその声の主を認めた途端「けっ!」と唾を吐き捨てて強く舌打ちした。

「んだよぉカブラス。別にいぃじゃねぇか」
「些細な情報漏洩から破綻した計画は歴史を紐解いても数多い。私はそんな愚行の後を継ぐ気は無い。だから貴様の様な口の軽い人間を呼ぶのは嫌いなんだ」
「とか言いつつもぉ結局俺を頼ってるのはぁ誰だよ」
「仕方あるまい。貴様の腕は私としても評価しているつもりだ。そのだらしない口を除けば、な。それに報酬も前金で十分払ってるはずだ。頼ってるのでは無く、雇ってると言え」
「わぁざわざ保険まで掛けてなぁ」

 言いながらダッカスはシャツの襟元を下げて、そこには見覚えのある首輪があった。

「貴様の危険性を評価した結果だ。互いが殺せる状況下にあってこそ対等な立場と言えるからな。貴様だけ私を殺せる状況と言うのは不公平だろう? 『公平な男』、ダッカス」
「ちぃ、わぁったよ」

 二人の会話を聞きながらやってきた男を見上げる。
 この男が、領主カブラス。
背丈はダッカスより少し高いくらいだが横幅はだいぶカブラスの方がでかい。やや肥満気味にも見えるけれどもたるんだ印象は無いのはその眼差しのせいだろうか。ダッカスは野心が強いと言ったけれども、なるほど、眼はずいぶんとギラついていてダッカスに悪態を吐きながらも視線のは私を値踏みしてるみたいだ。おまけに冷徹っぽい。血溜まりの中で倒れている兵士の姿を見ても鼻を鳴らしただけで、それ以上の反応を示すことも無かった。
二人が話してる間私は黙っていたけれども、カブラスに付いて一緒にやってきた男を眼にした瞬間、思わず声を上げていた。

「リッターっ……!」
「やあ、お嬢さん。またお会いしましたね。私の名前も覚えて頂いておられる様で恐縮でございます」

 そうやってリッターは鎖に繋がれてる私に向かって恭しく、慇懃無礼とも思える態度で礼をしてきた。
どうして獣人であるリッターが人間であるカブラスと一緒にいるんだ。ついさっきダッカスも言ってたばかりだ。人間と亜人は出会った瞬間に殺し合う関係だって。なのに、どうして。

「どうしてリッターがここに……」
「そりゃぁ嬢ぉちゃん、リッターも今回のぉ件にぃ噛んでるからだよォ」
「ダッカス」
「いいじゃァねェかぁ。もうちぃっと喋らせろよ」

 ダッカスの主張にカブラスはやれやれと頭を振ってリッターの方を見た。リッターは「構いませんよ」と告げて、それを聞いたダッカスはまたしゃがみこんで嬉しそうに事情を私に向かって聞かせ始めた。

「褒めるのもちぃっと癪だがなぁ、カブラスは存外に度量の広ぇ人間でな。使える奴ァ人間だろうが亜人だろうが節操無く扱き使うクソ野郎だ」
「ダッカス、褒めるならせめてもっと分り易く褒めろ」
「私どもは少々手広く商売をさせて頂いておりましてね、人間の国、亜人の国いずれでも商いの場を提供して頂いているのですよ。なのでありとあらゆる物、人を取り扱っておりまして。その事を耳に挟まれたカブラス様に幸運にもお声を掛けて頂きましてね」
「一つ言っておくがリッター、勘違いするなよ。私は亜人の存在を許しているつもりは無い。ただ、物事を成すのに何よりも価値があるのは時間だ。準備を整えるのにリッターが適任だったに過ぎなくて、その大事の前に比べれば貴様が亜人である事は些事でしか無いと考えたからだ」
「ええ、理解しております。これは商いのお話。私どもも稼がせて頂いておりますし、カブラス様も必要な物が必要な時に手に入る、云わば互いに利のあるからこその関係でございます。
 と、話が逸れましたね。たった今、カブラス様は時間が重要だと仰いましたが、私は別の考えを持っております。何だと思いますか?」
「情報、か……」
「おや、お気づきですか。さすが召喚された方は賢くていらっしゃる。商売人にとって情報は何よりも価値があるのです。情報はうまく使えば金塊以上の価値を持ちますからね。したがって幅広い情報網を私ども商会は持っております」

 そうか、そういう事か。
私の居場所をカブラスに伝えたのも、村の場所を伝えたのも、全部全部リッターか。人間と亜人の国両方に拠点があるリッターなら幅広く情報を集められるし、人間にも亜人にも疑われる事は無い。実際にゴートもリッターの事を微塵も疑ってなかった。まさかリッターが人間側と繋がってるとは夢にも思ってなかっただろう。

「同胞を売ったって事……」
「人聞きが悪い……と言いたいところですが、まあそういう事なのでしょうね。もっとも、今更少しも気になりませんが」
「何が、何がお前をそうさせるの……?」
「簡単な話ですよ。あの村との交易で得られる利益より、カブラス様の計画で得られる利が大きかった。ただそれだけの話です。まあそれと、世の中を私自身で動かしてみたいという個人的な欲もありますが」
「それくらいでいいだろう。さっきも言ったはずだ。価値があるのは時間だ、と。さっさと話を進めるぞ」
「へぇいへい。わぁったわぁった。んで、イズールがぁ居るっつうこたぁもう薬はぁ出来たのかぁ?」
「ふぉっふぉっ。その通り。もうできとるぞ」

 しわがれた声。その声は突如として閉鎖的な牢屋の中に響いた。
老人はカブラスとリッターの後ろにいつの間にか居た。いつ現れたのか。さっきまでは確かに誰も居なかったはずなのに。
イズールとダッカスが呼んだ老人はニコニコと好々爺然した様子でゆっくりコチラにやってくる。腰はやや曲がってるけど足取りはしっかりしてる。黒いローブとフードを被ってて白くて長いあごひげがあるその姿は、さながらお伽話に出てくる悪い魔法使いって感じだ。
イズールは手にフラスコを二本持ってて、どちらも水みたいに透き通った液体が入ってる。
これが薬、か。

「まぁだ耄碌してねぇみてぇだなぁ。やる気になった時のぉ仕事ぉの早さはピカイチだぜぇ」
「ふぉっふぉっ。伊達に百年も生きとらんよ。ちと作り方を忘れておったがの」
「耄碌してんじゃァねェか」

 百年、だって?そんな馬鹿な。イズールは確かに老人ではあるけれど、とてもそんな長生きしてるようには見えない。長くて白いあごひげが目立つけれど、それでもせいぜいが六十代。初老に差し掛かったくらいだ。

「大丈夫じゃよ。少々亜人を食ろうたらすぐに思い出したからのう。材料もリッター殿のお陰ですぐ揃ったからの。忘れる前にキチッと作ったからバッチシじゃ」

 言いながらイズールはローブのポケットからスキットルを取り出して何かを飲み、プハァとさぞ美味そうに息を吐き出した。何だろうか、それは。酒っぽいけれど何だか生臭い。

「おい、ダッカス。本当に大丈夫なのか? 貴様が勧めるから雇ったが腕は確かなのだろうな?」
「しぃんぱいすんなってぇ。十分耄碌してっけど、魔法の腕、特に魔法薬の扱いに関してぇはぁコイツよぉり腕の立つ人間は俺ぁ知らねぇよ。なぁんたって王国の元魔術士団長だった男だかァンな。アンタだァって聞いた事あんだろぉ? ユーキリウス・イズールの名前くらいは」
「ユーキリウス・イズール……まさか『人喰いイズール』か!? 六十年前のスローキア宣国との戦争で相手兵士を尽く殺し、その肉体を食らって戦い続けたという……」
「そ。そぉの人喰いイズールがコイツだぁよ。ま、亜人だけじゃなぁくて人間も食い過ぎぃて王国から追放さぁれたけぇどなぁ」
「しかし、イズールはその危険性から抹殺されたと聞いたが……」
「とぉころがギッチョン、こぉうして生きてるっつうわけだァな。もっともぉ、完全に頭はイカれちまってるがなぁ」
「人間の肉は美味いが、亜人の肉はもっと美味いでな。人間と違うて魔力を体内に貯めこんどる分味も濃厚で、体中に魔力が漲ってくるわ。ほれ、おかげで百を過ぎてもまだこの通りピンピンしとる」

 人喰いイズール。有名らしいこの老人の二つ名みたいだけれど、当然ながらこの世界に縁の無い私にはそれがどの程度のものなのかは分からない。けれども、その名前の指し示す意味はよく分かる。
この爺は文字通り人を喰うんだ。人を喰らい、その体に宿る魔力を取り込んで自身の物にする。
まさか、とは思う。でも私は知っている。確かに人の身には高密度の魔素が眠っていて、けれども人から人への移譲は生まれついての極々僅かな人間を除いて不可能であると結論づけた論文があったはずだ。常人なら不可能なはずな芸当も特殊な人間なら可能。だからこの爺さんがそれをできないとは言い切れないし、多分本当に他者から魔素を取り込んでいるんだろう。それも、「人の肉を食らう」というおぞましい方法で。

「ほ? 何かワシに言いたい事でもあるのかの?」

 イズールがコッチを見て笑う。いや、嗤う。
――ああ、そうだ。コイツもか。
 おかしい。コイツもおかしい。フードの下の垂れ下がった優しそうな瞼の奥の瞳は濁りきっていて、その瞳が映すものは常人とは違っているのだと私は気づいてしまった。見ている世界が違うのだと悟ってしまった。
ダッカスにとって亜人は亜「人」ではなくて狩るべき獲物。そしてイズールにとっては人間も亜人も区別なく「食料」でしかないんだ。
狂ってる。ダッカスもイズールも、そんな彼らを使おうとしているカブラスも手を貸すリッターもみんな狂ってる。狂人の集まりだ。そんな集団の中にいたら私まで狂ってしまいそう。
無言のまま私は眼を逸らした。それでも見えないけれども、視界の端で誰かが嗤った。そんな気がした。
と、その時何か音が牢屋に響いた。
クチャクチャ、とひどく耳障りだ。その音はまるで何かを咀嚼してるみたいで――

「おぉい、んな場所でぇも食ってんじゃァねェよ」

 ダッカスの声に顔をまたイズールの方に向けると、ダッカスは細長い何かを食べてた。堅いスルメみたいなそれを何度も噛みながら美味そうに少しずつ食べて、だんだん短くなってく。
「なぁんだ、そりゃぁ? 何かの尻尾かぁ?」
「ふぉっふぉっ。お主も食うか? 中々に美味じゃぞ? 少々堅いんでな、老人の歯には優しくないのが難点じゃが。カブラスもどうじゃ?」
「貴様の趣味を悪い好みを押し付けるんじゃない」

 ダッカスの言う通りそれは尻尾だった。人間の肌みたいな色で、でもそれよりもずっと赤みがかってるそれ。犬やネコみたいな毛に覆われてるわけじゃなくて、皮膚がむき出しになった様な繊細さを思わせる尻尾。
どうしてだろうか。私はそれをよく見知ってる気がする。でも、そんなはずが無い。違う、違うはずだ。なのに、なのになんでそう見えてしまうんだろうか。
まるでネズミ・・・の尻尾みたいに。

「むぐ……ああ、やはり美味いわい。噛めば噛むほど味が出る。賢しくて少々捕まえるのに苦労したネズミじゃったが、それに見合った味じゃな」
「それは……」
「む? 何じゃ?」
「その尻尾はどこで手に入れた……?」

 ああ、ダメだ。聞いちゃダメだ。

「お主が居た、襲った村じゃが、それがどうしたか?」
「あぁあ、なるほど、なるほどなぁ」

 ダッカスが私を見てニタリと口を歪めた。

「おぉい、イズール。そぉういやぁそぉのネズミを捕まえる時ぃ、なぁにか喋ってた様に思うんだがな、覚えてっかぁ?」
「ふぅむ、そうさのう……」

 ダメ。やめて。それ以上は聞いちゃいけない。でも聞きたい。確かめたい。確かめなければ。きっと違うって。そんなはずは無いって。だから聞かなきゃ。

「確か、名前を呼んでおったかのぅ」
「ああ、そぉうだぁったなぁ。なぁんて名前だっけなぁ?」

 ダメだ、やっぱりダメだ。聞いたらきっと私は打ち砕かれる。私の希望は儚く打ち砕かれてしまう。聞かなければ、いつまでも希望を抱いていられる。
だというのに。

「そうじゃ、『ミーナ』と」

 打ち砕かれた。

「あああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 殺した!殺した!殺した!殺した!コイツがハルトを殺した!
ハルトを!ハルトを殺した!
私の中で何かが弾けた。

「ハルトをっ! ハルトをぉっ!! お前がぁっ!」

鼠の獣人の姿が次から次へと頭の中を駆け抜けていく。車椅子の後ろを押すハルトの姿が、ミーナと話すハルトの姿が、月を眺めながら酒を片手に夢を語った兄の姿が瞬く間に通り過ぎさって消えていく。そして残るのは何も無い。
 頭が熱い。熱以外を持ち得ない。頭の中が真っ白に染められてく。何もかもがただ一色の感情にだけ占められていって外に何も考えられない。ただ憎しみに満ち満ちてく。

「よくも! よくもハルトをぉっ!!」

 殺す。コイツは殺す。何をもってでも殺す。どこまで行っても殺す。今すぐ殺す。すぐに殺す。絶対に、絶対に殺す。

「おぉおぉ、いいねぇやぁっといい声で鳴いてくれたねぇ、嬢ぉちゃん」

 ダッカスの嫌らしい笑みが私を貫く。その笑顔は明らかに嬉しそうで、楽しそうで、今にもイキそうなまでに恍惚としてた。その後ろでイズールは顔を上に向け、口に含んでいたハルトの尻尾を取り出して口に垂らし、私を横目で見遣る。
そして手を離した。
少しだけ残っていた尻尾が瞬く間に喉を通り過ぎていった。

「ダッカスぅぅっっっ!! イズぅぅぅぅルぅぅぅっっ!!」

 イズールに掴みかかろうとする。けれども手首に嵌められた鎖が私を捕らえて離さない。ギシギシとした金属音が耳障り。ガチャガチャと手枷が私の意思を妨げる。たかが物ごときが私の行動を阻害する。
離せ、離せ、離せ。コイツらは食い殺さなければならない。絶対に食い殺す。それ以外に何も考えられない。食い込んだ手枷がどれだけ腕に食い込もうが構わない。傷つこうがそんなもの私に対して何の意味も持たない。殺せるならばこの手首が千切れても構わない。

「耳障りだな。ダッカス、黙らせろ」
「へぇいへい」

 ダッカスが眼の前に立って喚き散らす私を見下ろす。
直後、顎に打撃。
閉まることを忘れた私の口は強制的に閉じさせられ、瞬間的に試行にもならない思考は中断させられた。
石壁に頭から叩きつけられる。打ち付けた衝撃に意識が飛んで、けれどもそれは一瞬。気を失ったのは数瞬で、鎖を通して壁に抱きとめられた私の視界に一房の紅い髪が入ってきた。
違った。これは血か。傷口から零れた血が眼に入り込んで私の視界が紅く濡れた。
 そうだ、血だ。血が必要だ。私のこの激情を鎮めるためには血が必要だ。薄汚い血が必要だ。狂った血が必要だ。だから――

「……殺してやらない」
「あぁ? なぁんだってぇ、嬢ぉちゃん?」
「簡単には殺してやらない。全ての指を千切って殺す。腕をねじ切って殺す。脚を切り刻んで殺す。×××をもぎ取って殺す。眼を抉り取って殺す。腸を引っ張りだして殺す。鼻をもぎ取って殺す。首を捻り砕いて殺す……」

 再び打撃音。視界がグルリと天井へと昇って、堅い石畳へ急降下。

「こっちに分かる言葉で喋れって、嬢ちゃん」
「まだだ、まだそれでも足りない。全く足りない。ああ、全く足りない。どれだけ殺し尽くしても足りない。何が足りない? どうすれば私は満たされる……?」
「おいおい、もぉう狂っちまったのかぁ? んなにあの鼠が大事だったんかねぇ? なら生かして連れぇてきてやりゃぁ良かったかな」

 もう痛みさえも感じない。代わりに満たすは空虚感。それに伴う寂寥感。熱を失った体と頭が寒さに震える。寒さを和らげようにも両手は動かなくて、けれどもそもそもそんなもので私の体は温まらないだろう。

「完全に壊されては困る。そいつには駒となって動いてもらわねばならんのだ」
「わぁってるってぇ。でも別にぃいぃじゃねぇかぁ。ちっとくれぇイカれちまぁった方が薬の効き目も良いってもんよ。なぁ?」
「ふぉっふぉっ。ま、確かにのう。とは言ってもワシの薬は健全であっても効果は抜群じゃがな」

 だけども、何故だろうか。この寂しさにどこか懐かしさを感じてしまうのは。前にも慣れ親しんだ感覚なのは、何故?

「ふん。まあいい。私は部屋に戻る。さっさと薬を飲ませて調教を終わらせておけ。行くぞ、リッター」

 カブラスが離れていく。けれど、私は見ていないといけない。殺すべき相手の顔をこの目に焼きつけておかなければ。例え今の私が消えてしまったとしても、洗脳されてコイツらの言いなりになってしまったとしても、絶対に忘れてやらない。絶対に殺してやる。
頭を上げる。見えた。そう、そうだ。コッチを見ろ。お前を殺しに行く私の顔をお前も覚えておけ。
カブラスとリッターを睨みつける。だけども、二人はホンの少しだけコッチを見ただけですぐに居なくなってしまった。

「……嬢ぉちゃんよぉ。随分と嬉しそぉだぁが、なぁんかおもしレェのかぁ?」
「嬉しそう?」
「おぉ。いわゆぅる満面の笑みってぇやぁつをしてるゼェ?」
「そう……」

 嬉しそうというのであればそうなんだろう。きっとそれは、私がすべき目標が出来たからだろう。明確な目標が。

「まぁいいやぁ。んならさぁっさとやっちまうかぁ。イズール」

 ダッカスが私の顎を掴んだ。強引に上を向かせて、イズールがポケットに入れていたフラスコを取り出した。

「じゃあなぁ、嬢ぉちゃん。次ぃ会う時は立ぃ派なお人形さぁんになってくれよぉ」

 日本のフラスコが一気に口に突っ込まれた。飲み干し切れない液体が唾液と混じって零れていくけれどもそんなのお構いなしに喉に注ぎ込まれる。
 次々と喉を冷たい液が流れ落ちて胃にたどり着く。苦しさに咳き込むけれどイズールはフラスコを抑えたままで口から外してくれない。
そして全ての液を私は飲み干した。

「ゲホッ、ゲホッ……」
「とぉころでぇ、どんくれぇで効果が出始めるんだぁ?」

 冷たかった液体なのに、喉が、胃が、どんどん熱を持っていくのが自分でも分かる。それに伴って、麻酔作用でもあるのか、それともこれが洗脳薬の効果なのか、頭がボンヤリとしていって思考が胡乱になっていく。
ダメだ。抗え。抗え。抗え。最後の最後まで、私が私でなくなる瞬間までコイツらの思惑に抗うんだ。
私は強く願う。けれど、そんな私の想いを嘲笑うかのようにイズールは応えた。

「すぐじゃよ」

 途端、心臓が跳ねる音がした。

「あ……」

 続いてきたのは頭痛。疼くような痛みから始まって刺すような痛みに変わり、次第に強くなっていく。心臓の鼓動が早くなり、知らず呼吸が早くなる。
そして、やってきた。

「ああああああああああっっっっ!!??」

 痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
頭が痛い。喉が痛い。四肢が痛い。心臓が痛い。私の、私を構成する全てが強烈に明確に激烈に熱烈に痛みを訴えてくる。

「あああっ! ああっ! いやあぁっ! あああぁっ……!」

 犯される。私の全てが犯される。全てが犯してくる。侵食する。何かが侵食する。私を壊していく。
頭の中をこれまでの記憶が流れていく。流れていって、弾けて消えていく。
記憶が壊れていく。 短いけれども楽しかった記憶が無くなっていく。ハルトが、ミーナが私の中からどんどん消えていく。二人の笑顔が消えていく。

「やめっ、やめて! やめろ、あ、いや、あ、や、やめっ……!」

やめて、もうやめて。これ以上私を一人にしないで。助けて。解放して。私を嫌わないで。私を愛してくれてる人を奪わないで。家族を奪わないで。孤独は嫌だ。もうやだよ。お願いだから、私は一人は嫌だ。
けれど、どれだけ願っても記憶は流れて零れ落ちていく。

「いやあああああああああああぁぁぁっっっ!!」

 そして全てが消え去った。消えた後には何が残る?何が埋める?何が私を構成する?

「あ、あ、あ……」

 寂しさが私を満たしていく。孤独が私を構成していく。虚無感が胸を穿って無理矢理に流れ込んでいく。
消えた。私が消えた。何も無い。何も残ってない。寂しさだけだ。寂しい、寂しいよ。助けてよ。
心臓が締め付けられた。息ができない。何も吸えない。どれだけ口を開いても何も私の中に入っていかない。
苦しい。
殺して。私を殺して。早く私を殺して楽にして。何も要らない。何も欲しくないから、だから早く私という存在を誰か消してください。この絶望感から、早く、早く私を救い出してください。

「は、ああぁ……」

 頭の中を何かが流れた。これは何だ?これは、記憶のカケラだ。砕かれてバラバラになった記憶たちだ。それらが頭の中で一つになっていく。けれども、流れていくこれらを私は知らない。
車椅子に乗った紅い髪の少女が笑う。周りにいる少年少女たちが笑う。
私とずっと一緒にいた少年が隣で笑う。やがて離れていった愛しい人が隣に居てくれてる。笑顔を私に向けてくれてる。
場面が転換。孤独になった私が涙を流さずに泣く。ずっと一緒にいてくれた青年が一人で孤独に耐えてる。
愛しくて愛しくて、一度だけ体を重ねた青年の顔を間近で撫でる。彼は私の頭を撫でて、大好きな笑顔を私に向けてくれる。
お人好しの幼馴染。一度離れて、一緒になって、また離れて、そして私を殺した愛する男。
ヒカリ。そうだ、ヒカリだ。紫藤ヒカリ。女の子みたいな名前だって気にしてた、けれど私が大好きな名前を持つ男。
どうして忘れてしまっていたんだろう。あんなにも求めて止まなかった大切な人なのに。
鮮烈な記憶の中で、ヒカリが微笑んで、そして私に向かって口を開いた。
――もう、苦しまなくてもいいから
 その言葉とともに寂しさが体に馴染んでいく。苦しさを吸い込んでいく。寂しさは寂しいままに、苦しさは苦しいままに。苦しさも寂しさも絶望も、全て全て私という存在がありのままで包み込んでいく。
――ああ、ここでもダメだったよ、ヒカリ
 私はここでもはみ出し者。嫌われ者だ。孤独で孤独で、何も寄る辺が無い、一人ぼっちの人間だ。
けれども。
ココにも私を好いてくれる人がいたんだよ。私を必要としてくれてる人がいたんだよ。ヒカリみたいに、ヒカリとは違う形で私を求めてくれる人が居るんだよ。
だから、ココでも私は立って歩いていこうと思うよ、ヒカリ。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ふむ、終わったようじゃのう」

 イズールが自分のあごひげを撫でながらそうつぶやく。薬が効果を示している間、鎖を引き千切らんばかりに暴れていたミサトは、今はグッタリとしてうつむいている。叫び続けていた声が牢屋で反響して、未だにダッカスとイズールの耳に残っているような気がするが、所詮残響。すぐに消え去る。

「さぁてさて、嬢ぉちゃんはどんな塩梅かなぁ?」

 まるで死んでいるみたいに動かないミサトに向かって、ダッカスは嬉々とした笑みを浮かべて歩み寄っていった。
今回の件、洗脳を完了したミサトの扱いは、失敗した時には首輪に込められた魔法でカブラスに殺される事を条件にして全てダッカスに委任されている。死ぬつもりも無いが、失敗するつもりも無い。王様を殺せるなんて機会は、こんな稼業をやっていても一生に一度あるかないかの面白いイベントだ。せいぜいうまくやってやる。
足取り軽く、楽しみにしていたおもちゃを手に入れようとしている子供のようにダッカスは笑ってミサトに手を伸ばそうとした。
その時だった。
鎖が突如として振動を始めた。始めはゆっくりと、そして次第に早く大きく揺れる。ガチャガチャガチャガチャと不自然な振動音が静かなはずの牢屋中に不気味に響きわたっていく。

「な、なんだ!?」

 ガチャン。
一際大きな音とともに、振動に耐え切れなかった鎖がねじ切れた。小片が弾け飛んで、甲高い落下音がした。それと共にミサトの体が石畳に叩きつけられ、「うげっ」というくぐもった声が聞こえた。

「……痛ってぇなぁ。久々だから感覚が鈍ったかぁ?」

 ミサトはそうボヤきながら腕の力だけで上半身を起こした。ボロボロですっかり汚れてしまった衣服の匂いを嗅ぎ、顔をしかめながら汚れを払う。
そしてミサトは立ち上がった・・・・・・

「……お前、誰だァよ」

 ミサトから一歩下がり、ダッカスはミサトに向かって問うた。
その質問に対してミサトはニタァ、と口元を歪め、ダッカスに向かって笑いかけた。

か? そうだな、俺はなぁ……」

――魔王世界の敵だよ










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