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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved




――8. 






「さて、上手く行きますかな?」

 応接室の扉を閉め、リッターは開口一番そう切り出した。
すでにリッターの持つ商会――キブロシアン商会は今回の件に関して相当な額を出資している。カブラスへの情報提供や傭兵への口利きはもちろん、兵士たちへの食料供給に幅広い国々への情報収集網の整備。果ては王国の混乱の先にあるであろう内戦と混乱に乗じて侵攻するであろう周辺の亜人諸国との戦争を見越して準備した武器や防具などの装備品、食糧事情の悪化を期待しての麦や保存食、香辛料などの買い占め。例え回収が出来なかったとしても人間亜人問わず複数の国にまたがる巨大商会にとって即座に傾く程の額では無いが、損害額は尋常では無い。無論カブラスの企みが成功すれば投資額が回収出来るだけでなく王国の中枢にまで影響力を及ぼすことが可能で、そうなれば利益は今後の事を考えれば膨大な額になるだろうが、失敗すれば間違い無くリッターは商会から追われる事になる。その時は潔く商会経営から身を引くつもりだが、そうなったとしても十分な財産を手に入れているリッターにとっては何の痛みも感じない。金が欲しければ、財産を元手にして新たな商会を起こすだけだ。
リッターにとって何よりも痛いのは、その身に疼痛の様にくすぶり続ける野心が満たされないことだ。何百年と生きてきて、あらゆるモノを手に入れてきた。地位に金、女。何不自由無い生活。商会の顔としての姿は表に出していないため、世間的には一地方商会のトップ程度の認識で名誉はそれほどでも無いが、興味は無い。だが、唯一つ、リッターは目標があった。
世界を、歴史を動かしたい。表に出なくても良い、歴史に残らなくても良い。ただこの手で世の中を変える事をしたい。それがリッターにくすぶる唯一の目的だった。だが自分には独人でそんな大それた事を成し遂げる力は無い。亜人の中では武力の面で非力であり、巨大商会とは言え、王族や貴族に渡りを付けることは容易くは無い。強引に事を進めれば破綻することは目に見えていた。だから想いを抱えながらもずっと燻らせるだけで留めていたのだ。
しかしそこにカブラスが現れた。代々政治的には無能だったが長年王国の貴族だけあって王国内の様々な貴族や王家とも繋がりはある。野心もある。そして金銭的なパトロンを求めている。リッターはこのチャンスに乗り込むしか無かった。
リッターは、自分はさすがにもう何十年も生きていけないだろうと考えてた。狐の亜人は見た目の老いが出にくいが歳を取り過ぎた。平均的な寿命はすでに目の前だ。これが最後のチャンス、とは言わないが、計画が遅れれば生きて世界が変わる瞬間を見届けられる可能性も、その後の世界が移りゆく様も見られないかもしれない。それでは意味がないのだ。だからその為にこうしてカブラスの計画に加担し、リスクを払っている。失敗は許されない。

「上手く行ってもらわなければ困る。失敗は許されないのだからな」

 カブラスもまた同じ。失敗は許容できない。
王国の辺境領主であるカブラスは幼い頃から野心を隠さない男だった。
亜人の国家であるヘルツェゴナに接しているため、プトレイ領の歴史は戦争の歴史でもある。常にアテナ王国の壁として存在し、王国の先兵として多くの武勲を上げて国に貢献してきた。
だが一方で政治の面では不器用であり、常に辺境の領主としてしか存続できなかった。
戦の度に領土を焼かれ、領民を殺され、プトレイ領が最も荒れるにも関わらず王国からは資金不足を理由にかろうじて原状回復出来る程度の見舞金と褒章しか得られない。その状態が続く現状が堪らなくカブラスは嫌で、またその程度の力量しか無い父親を憎んでさえいた。
失ったものは元に戻らない。亡くなった人民の代わりの仕事ができる者は居るかもしれないが、それでは更なる発展は得られない。積み重ねがあって初めて未来へ脚を進める事ができる。このままでは領域はジリジリと衰退していくだけだ。
それに、亡くなった者は唯一なのだ。生じた喪失を埋める事は何によっても不可能である。多くの者が泣き、絶望に心を抉られる。若くして前線に立ち続けたカブラスは亡骸となった兵を多く眼にしてきた。その亡骸にすがり付いて亜人に憎悪を膨らませていく家族の姿は脳裏に焼き付いている。そして彼は立ち上がった。
彼には謀略と言う名の才があった。それはこれまでの歴代プトレイ領領主たちが持ち得なかった無二の才能だった。
 その才能の矛先をカブラスは自領へと向けた。健在だった、カブラスの祖父に当たる先代領主と父親である当代領主を相次いで殺害した。工作により病死と事故死に偽装し、猛将と亜人たちに恐れられた領主を失って絶望に暮れる領民に向かって彼は宣言した。
 平和を実現する、と。
それは彼の決意の現れでもあった。そして彼は、わずか五年でそれを宣言通り実現した。
謀略の才能を存分に発揮し、ヘルツェゴナにある内政の火種を炊きつける。元々ヘルツェゴナは武力そのものを賛美する傾向があり、計略や政治的謀略を粗雑に扱うのが常だった。力無き者は頭脳で成り上がれず、その為外交的手段など搦め手には弱い。かつてのプトレイ領であれば問題は無かったが、現当主は武力よりも謀に才を持つカブラスだ。数々の計略にヘルツェゴナ王の力は削られ、そして国は分裂・内戦へと瞬く間に追いやられた。そうなればプトレイ領へ侵攻する事はままならず、他国に眼を向ける余裕は無く、そもそも国としての体を為しているかも怪しい。領民に宣言した通り平和を実現し、領民はカブラスを讃えた。彼は、領民の期待に応えたのだ。
だがまだ足りない。カブラスは棚から赤ワインのボトルを取り出し、グラスへと注ぐ。
敵国を内戦に追い込んで十年。戦が完全に途絶えて七年。所詮は束の間の平和。全てはこの後の為だ。恒久的に達せなければこの十年に意味は無い。その為には無能な王族を追い払わなければならない。カブラスは堅くそう信じていた。
民を愛し、戦火で無くなった娘の為にも。

「そう、許されないのだ。何としても……」

 呟き、グラスを傾けながら彼は壁へと顔を上げた。
壁に掛けられた肖像画。そこでは一人の少女が民に囲まれ、優しく微笑んでいる姿が描かれていた。
 カブラスはそこから視線を移して揺れるワインの水面を見つめ、そこに映る肥満気味の男の顔を睨みつける。
束の間の十年は領民にとってかけがえの無いもの。だがカブラスにとって休まる暇など無い。国を変えると決意して、ヘルツェゴナを退けて、それでもなお王宮と貴族院、王都にて戦い続けた。
資金を得るために他の貴族の弱みを握って資金援助を引き出し、ヘルツェゴナを退けた功績として報奨金を王から多額に引き出し、それを元手に王都での基盤を築いた。地方領主の入る隙間など本来は無いはずのところをリッターにより掴まれた貴族の弱みにつけ込んでねじ込み、時間を掛けて味方となり得る人間を少しずつ増やしてきた。リッターと組んで王都に流れる情報の流布も行い、王族に対する非難的な空気、召喚儀に対する批判的雰囲気を作り上げて、それでもなお召喚者に頼らねばならないよう王族の力を削いでいった。
どれだけの時間を使ったのだろう。どれだけの資金を費やしたのだろう。どれだけの、自分の人生を消費してしまったのだろうか。カブラスは疑問に思い、その答えはうっすらとグラスに反射している肥え太った、うっすらと禿げ上がった中年の男の姿だ。若い時の姿は見る影もなく、その姿が腹立たしくてカブラスは一息にワインを飲み干した。

「これからどうしますか? 王都に彼女を連れて行きますか?」
「まだだ。薬が完全に馴染んで洗脳が完了するまで数日は掛かるらしい。その間に刷り込みを行なって、我々の言う事を完全に疑うこと無く従うのを確認してから王都に連れて行く」
「承知致しました。ですが、召喚を行った事は極秘で、王たちからすれば私たちが知っているはずも無いのですが、どうやって王家へ引き渡しますか?」
「そこは問題ない。すでに王都にいる騎士団の人間に話はつけている」
「金、ですか?」
「いや、王家への不信感だ。金も多少握らせはしたがな。
 そこに立っていられると落ち着かん。貴様も座れ」
「ではお言葉に甘えまして」

 リッターは細い目を更に側めてカブラスの向かい側のソファに座る。だがすぐに立ち上がると戸棚からグラスを勝手に取り出し、再度椅子に座ってワインを注ぎ始めた。
カブラスは咎める様に眉間にシワを寄せ、しかしリッターはその表情を見て不思議そうにグラスを掲げた。

「グラスは私の物ですよ? 勝手に置き場所は拝借致しましたが」
「ワインは私の物だ」
「私が安くお譲りしたものです。一杯くらいお目溢し下さってもバチは当たらないでしょう?」

 言うやいなや、リッターは一息にグラスの中身を飲み干した。ふぅ、と胃に溜まったアルコールを吐息と共に吐き出した。そして二杯目を注ぎ始める。
それを見てカブラスは不快気に鼻を鳴らして窓の外に視線を向けた。

「では彼女を私が連れて騎士団の方にお渡しするように致しましょう。もちろん無料ですよ? 『行商人リッター』の下女として連れて行けば不審に思う者も少ないでしょうからね」
「いや、私が連れて行く」

 リッターの提案を、だがカブラスは拒否した。グラスから眼を離してカブラスを見るが、カブラスは顔を外に向けたままだ。そのままカブラスは話し続ける。

「どのみち今回のパドバ村亜人の村の件は王に報告せねばならん。領内とは言え、ヘルツェゴナとの国境付近ではあるからな。事後報告にはなるが、貴族院の連中には色々と心付けを与えているから問題になりはせんだろう。
 引き渡した後は王都隣のスパルタス市に滞在して事を起こす。今回の戦闘で村から押収した魔族素材の武器を幾つか王都の貴族連中にも渡して、事が起こった後の混乱を助長させるよう力添えを願うつもりだ。残念ながら貴様に武器を売らせるつもりは無い」

 リッターはカブラスと対等な関係を結んでいるつもりだが、カブラスはリッターを信用していない。確かに様々な面で世話にはなっているが、所詮それだけ。失敗すれば後の無いカブラスと違い、リッターなら最悪の自体に備えて逃げ道程度は用意しているだろうとカブラスは考えていて、事実リッターにはチャンスはある。資金の面でもそうであるし、自分と同じように現状に不満を持っている地方有力貴族は他にもいてそこに取り入れば良いだけだ。
同時に、カブラスはリッターが力を持ち過ぎる事も懸念している。成功の暁には契約通り色々と融通を効かせるつもりではあるが、それが高じて扱いづらくなってもらっても困るのだ。あくまでも主導権は自分。リッターは自分の顔色を伺いながら商売をしていればいい。
どうにもこの亜人は勘違いをしているフシがあるが、計画のそもそもの発端は亜人を王国内から追い出す為なのだ。現実を見据えればリッターの商会を締め出すことは得策では無いことは理解しているが、亜人にでかい顔をされるのはプライドが許さないし、今は一時的に暇を出している家臣たちが元に戻ってきた時に亜人が我が物顔で歩いている状況になれば混乱の元になる。リッターの企みを牽制する意味でも、目の届かない所で勝手をされるのは避けたかった。

「……畏まりました。そういう事でしたら確かにカブラス様が王都へ連れて行かれる方が良いでしょうな。過ぎた事を申し出してしまいました」

 一呼吸置いて、リッターは素直に頭を垂れた。殊勝な顔をして、しかし内心では舌打ちをしていたが。

「それはそれとして、万が一の話になりますが……」
「なんだ?」
「洗脳が失敗した場合はどうなさいますか? 記憶が戻る前に廃人になってしまったり、もしくは洗脳自体がうまくいかずに私たちに従わない場合には……」
「その場合はあの女を殺すしかあるまい。計画の遅れは生じるが、不確定な要素は極力払うべきだからな。腐っても召喚者だ。我々の知らない魔法を知っている可能性もあり、脅迫して従わせるにしてもどんな手段で外部に助けを求められるか分かったものではない」
「王にバレませぬかな?」
「王にはむしろこちらから知らせる。見たこともない魔法を使う者が領内で暴れていたので止む無く殺害した、とな。召喚者であることも知らせて、何処の国が召喚を行ったかこちらで調べる、とも言っておく。世間と貴族院の反対を押し切って極秘裏で召喚を行っているからな。当然こちらを責めるわけにもいくまい。
 ああ、心配するな。捜査結果として他国が召喚して我が国に牙を向こうとしている、とでもでっち上げておく。そうすれば王はそちらに意識を割かねばならんからもう一方の計画の準備を進める時間も稼げるし、貴様の買い占めた武具類も無駄にはならんだろう?」
「そういうおつもりですか。ならば私は、王族のみが知ると言われる召喚の儀式に関する情報を集めておきましょう。もし私どもだけで召喚者を招くことが出来ましたら、計画の修正も最小限で済みましょう」
「分かった。そちらは貴様に任せる」

 話は終わりだ、とばかりにカブラスはリッターを一瞥して立ち上がる。
グラスにワインを注ぎ、手に持って窓際へと歩いて行く。見下ろす景色は、どこまでも緑の自然が続く田舎そのもの。高台に位置するこの城からは点々とだけ集落や町の一端を見ることが出来る程度で、王都や近隣の都市に比べれば発展は遥かに遅れている。
通常多種族の国と接している国境付近には砦や巨大な壁が建設され、国軍が直接侵攻との壁役となっている。しかしプトレイ領に国軍は配備されず、度重なる侵攻により砦の一つも満足に建設できない。この十年で多少はマシになったものの、相変わらず王は辺境領主に任せきりだ。
この地は、見捨てられている。
その想いはカブラスのみならず、領民共通のものだ。だからこそ、この計画は成功させなければならない。
幾度と無く見下ろした景色を眼に焼付け、カブラスは決意を新たに拳を握り、ワイングラスを傾けた。

「ん?」
「何やら……階下が騒がしいですな」

 二人は顔を見合わせ、どちらともなく手に持っていたグラスを木製のテーブルの上に置く。扉に向かって身構え、リッターは警戒してソファから立ち上がり扉とは逆に位置する窓際まで退いた。カブラスは壁に掛けてあった剣を手に取り、いつでも抜刀できる様に柄に手を掛けた。
 そして静まり返る。
しばらく経っても音は無く、先ほどまでと同じ静かな城内。カブラスは剣から手を離し、だが警戒はそのままに立ち尽くす。

「傭兵たちが小競り合いでもしたのでしょう。血の気の多い連中ですからな」
「だといいがな……おい、ペルトラン、居るか?」
「はい、ここに」

 カブラスが名を呼ぶと間髪入れず返事が返ってくる。リッターが振り向けば、いつからこの部屋に居たのか、執事服を着た老齢に差し掛かりそうな男が恭しく腰を折っていた。

「下で何が起きているか確認してこい」
「畏まりました」

 カブラスの命令に一礼して扉へと向かうベルトラン。彼が扉の取手に手を掛け、だがそれよりも先にけたたましい音を立てて一人の男が転がりこんできた。

「ダッカス……!」

 部屋に入ると同時に倒れこみ、失った腕から血を滴らせながら隻腕の男は、彼にしては珍しく悲壮な顔をしてカブラスに告げた。

「しくじったぜぇ……! すぐに逃げるぞ……!」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「そんなに状況はヤバイのか……?」

 脱出の荷物をまとめながらカブラスはダッカスに問うた。
彼とて引き際の重要性はわきまえている。目の前の失敗に固執すれば将来的な成功まで失いかねない。
だが感情としては早々納得は出来ない。無論ダッカスが嘘を言っているとも思えないし、彼の腕を見れば本当に手に負えない事態となっているのは明白だ。まして、召喚者とは言え相手は少女と思える華奢な女。多少は犠牲も出るかもしれないが、力づくで抑え込めるのではないか。そんな考えが浮かぶ。

「あぁ。俺もぉなぁんにも出来なかぁったな。今はぁ下でありぃったけの兵士肉壁で足止めしてるがぁな。後どれくれぇあの化物相手にゃぁ持つかぁな……」
「私はよく存じ上げませんが……薬は効かなかったのですか?」

 ダッカスを治療しながら執事のベルトランが重ねて問う。痛み顔をしかめながらそれにダッカスは首を横に振る。

「薬は効いた。現にぃ奴は記憶をとぉり戻した。だぁが洗脳の方はさぁっぱりだ。ちぃっとばかし奴とは話をぉしたが、おぉそらく奴は古代の魔法使いだぁな。それも、今よぉりも魔法がよぉっぽど盛んなぁ時代のぉな。洗脳薬だぁって突き詰めればたぁだの魔法だぁしな。対処法のひとぉつや二つ知っててぇも不思議じゃぁねぇ」
「イズールでも抑えきれなかったのか? 奴は最高の魔術師なんだろう?」
「レベルが違う」

 ダッカスは断言した。

「あの女にぃは魔法が一切通用しねぇ。ただ立ぁってるだけでイズールの魔法を無効化しぃやがったし、俺の腕をもぎ取るのにも指一本動かしてねぇ。多分、空間を操る魔法使いだろぉが、詠唱も無しにあぁんだけ強力な魔法を操るやぁつを俺ぁ見たことねぇ。ありゃ人間じゃねぇ。悪魔を召喚したぁってぇ方がまだ納得行くぜ。ったく、王族のやぁつらもとんでもねぇモンを召喚しやがって」
「……王家に御せると思うか?」
「いや、無理だろうな……っつ、もうちぃっとやぁさしく縛ってくんねぇかなぁ」
「申し訳ありません。が、時間が無いとの事ですので」

 治療しているベルトランにダッカスは恨み節をぶつけるが、口では謝罪しつつもベルトランは淡々としたものだ。表情を変えずに傷口付近を止血するためにきつく縛る度にダッカスの口から悲鳴が上がる。

「だとしたらまだやりようはあるか……」
「カブラス様。ダッカス様の応急手当が終わりました」
「ダッカス、動けるか?」
「なぁんとかな。そぉれよりリッターの方をしんぱぁいした方がいいんじゃねぇのか?」

 残った右腕の親指でダッカスが部屋の隅を指す。そこには、応接間の隠し扉から金貨や宝石を取り出してまとめているリッターの姿があった。

「貴様っ! 何をしている!!」

 カブラスはリッターに詰め寄り、リッターの胸ぐらを掴みあげた。

「何をと言われましても、お貸ししていた資産を回収しているだけでございますが?」
「貴様っ……! ここを放棄するつもりかっ!?」

 キツネの亜人の体は容易く宙に浮き、カブラスは壁に叩きつける。
散らばる金貨。リッターは小さく呻き、細い目で怒りに震える領主を見上げた。

「ダッカス殿の実力は私も把握しております。その彼が何も出来ずにここに居る程敵は強大。この城に居た兵士たちでどれだけの時間が稼げるか、と言う事ではありませんか。この城が彼女の手に落ちた場合には回収は困難でしょうからね。今の内に持てる範囲だけでも回収しなければ。商人としましてはね」
「兵を集めればこの城は取り戻せる!」
「希望的観測で商人は動きませんよ」
「言い争ってる場合じゃぁねぇよ。急ぐぞ、そぉっから城の外へ逃げられんだろぉ? さぁっさと行くぞ」

 ダッカスがソファから立ち上がり、痛々しい姿で二人の間に割って入る。
そこにもう一つ、割って入る声。

「おやぁ? 何処に逃げるつもりか、俺にも教えてくれねえか?」

 場が凍りつく。声の主が誰であるか、この場にいる誰もが容易に想像がついたが、それを振り向いて確認する勇気が持てない。

「おやおや、さっきまでは下っ端に散々接待させといて上司連中は揃いも揃ってガン無視か? 気を遣えない上司は部下からいつかそっぽ向かれるぜ?」
「貴様……」

 ようやくカブラスが振り向いてミサトの姿を認める。忌々し気にミサトを睨みつけるが、ミサトは涼しい顔をして部屋の中にゆったりと歩み行った。

「早かったじゃねぇかぁ、嬢ぉちゃん」
「ダッカスか。随分と面倒くせえモンを残してってくれてたな」
「まあな。気ぃに入ってくれたぁかい?」
「胸糞悪くなるくらいだったぜ。機会があったらぜひアンタにもプレゼントしてやりたいもんだよ」
「くだらん会話はもういい! それよりも貴様、どうしてその服を着ている!」
「ん? この服か?」

 言いながらミサトはスカートの裾をそっと掴み、クルリとその場で一回りした。
今のミサトの姿は白いブラウスに濃紺を基調としたジャンパースカート。スカートの裾には白いフリルがあしらわれ、胸元には真紅のリボンが結ばれている。肩ほどまでに伸びていた真紅の髪は、髪と同じ色のリボンで縛られて高めのポニーテールになっている。

「中々可愛いだろ? 服がボロボロだったからな。ちょいと隣の部屋から勝手に拝借させてもらったぜ。ああ、序にシャワーも借りたぜ。俺も一応女だからな。血塗れで人前に出るのは勘弁したいトコだったんでね」
「そんな事はどうでもいい! 今すぐその服を脱げっ!」
「おいおい、アンタ意外と大胆だな。いくら男ばっかの生活してるからって女を見るなりいきなり事に及ぼうなんてレディに対する扱いがなってないぜ」

 いきり立つカブラスをおちょくりながらソファにミサトは座る。そして肘掛けに肘を突き、脚を組み、首を斜めに傾げて何かを待つかの様に三人の反応を伺う。

「……何とぉかなるたぁ思えねぇがぁ仕方ねぇ。首ごと頭を吹っ飛ばされる前にいっちょやってみるか。どうせ死ぬなら強ぇ野郎と戦って死にてぇからな」

 首に掛かった首輪を撫でながら立ち上がるダッカス。だが、それをリッターが制止した。

「まあまあ、落ち着きましょう。  お嬢さんリトル・レディ、私と交渉致しませんか?」
「交渉だあ?」
「ええ、まずはこちらを」

 言いながらリッターは先ほどの隠し扉から取り出した宝石の一つをポケットから手に取り、それをミサトに手渡す。
ミサトは興味なさ気にそれを指で摘んで眺めていたが、「で?」と続きを促した。

「中々良い宝石でしょう? もし私たちを見逃して頂けるのならば同じ様な宝石を好きなだけご用意致しましょう。無論現金をお望みであれば、そちらも好きなだけお渡し致しますが、いかがでしょう?」
「悪ぃが金にも宝石にも興味はあんまりねぇんだ」
「そうでしょうね。でしたらこのお屋敷は如何でしょう? 少なくともしばらくは衣食住には困りませんし、資金がもし必要になれば売り払って別の町に移住されても結構ですし、その際には私も便宜を図らせて頂きます」

 リッターの申し出に焦ったのはカブラスだ。代々領主が住み続けてきたこの城はプトレイ領の象徴でもあり、先ほどリッターが取り出した他にも課税を逃れる為に隠した多くの資金がまだ眠っている。
声を荒らげてリッターに詰め寄ろうとしたが、それより先にミサトが首を横に振り、カブラスは言葉を飲み込む。リッターはそのミサトの反応を予想していた様に落ち着いたまま話を続ける。

「それでしたら何をお望みでしょうか? 私どもは手前味噌ながらかなり大きな商会を運営しております」
「知ってるよ。金儲けに飽きたから今度は国を奪おうって言うんだろ?」
「ええ。しかし私個人の願望はこの場は置いておきまして。手広く商売をやっておりますので、この世界に御座いますものであれば大抵はご用意できます。何をご希望でしょうか?」
「希望?」
「なんなりとお申し付けください。リクエストにはお応えできると思いますが」
「テメェの命」

 薄く笑みを浮かべたままミサトは短く応えた。

「それさえ貰えりゃ俺は満足だ。他には何も要らねぇ。テメェらを処分した後で金とかは勝手に貰ってくからな」
「それは請け合いかねますね。何とかなりませんか?」
「ならねぇな。ああ、せっかくだからこの宝石は貰っとくぜ?」
「そうですか……」

 落胆した様子を見せながらリッターは立ち上がる。そのままミサトから離れ、ダッカスとカブラスの間を分け入って窓際へ。ため息を吐きながら曇天の空を眺め、独りごちる様な声で窓を開けながら告げた。

「ならば交渉は決裂ですね」
「だな。アンタも本気で交渉できるとは思ってなかっただろ?」
「お見通しですか……」
「当ったり前だろ? じゃなきゃ世界とケンカなんか夢のまた夢だぜ?」
「ふふっ、そうですね。世界を相手取るにはちょっとやそっとの力じゃ無理でしょうから。
 ――ですが、これは予想出来ましたか?」

 リッターは振り向き、そして一言だけ紡いだ。

着火イグナイト

 瞬間、ミサトの体が業火に包まれた。一瞬の眼も眩まんばかりの閃光。皮膚を焦がすばかりの熱風が部屋中に散らばり、暴風が部屋の装飾をなぎ倒していく。机上のワイングラスとボトルが弾け飛んで中身が撒き散らされて床の豪華な絨毯を汚した。

「くぁっ!!」

 カブラスは爆風によって壁に叩きつけられた。衝撃に刹那だけ意識を持って行かれたが、頬をチリチリと焼く痛みにすぐに我に返る。熱風を防ぐために無意識に庇った腕の隙間から部屋の有り様を目の当たりにした。
火炎は天井へと立ち昇って燃え広がり、ミサトが座っていたソファも瞬く間に炎に包まれている。爆心近くにあった家具類は全て吹き飛ばされ、離れた位置にあるものでも燃え易いものには熱風により火が着き、次々に部屋全体へと燃え広がっていく。

「ぐあああああああああああああっ!!」

 そしてダッカスもまた炎に包まれていた。カブラスよりもミサトに近い位置にいたダッカスは爆炎を間近で受け、立ち昇った火炎の嵐に巻き込まれた。服に引火した炎は瞬く間にダッカスの全身を駆け抜け、体を焼きつくしていく。

「ああああああああああぁぁぁ……」

 腕を振り回し、喚きながら助けを求めて室内を彷徨う。狂った様にもがき、焼け焦げていく油の匂いがカブラスの鼻につき、迫ってくる様におぞましい程の恐怖を感じる。
戦乱に喘ぐ世の中だ。実戦の中でも多くの家が焼け、人が焦げていく様を目の当たりにしてきたが、これほどまでに恐ろしいものだっただろうか。カブラスは戦慄に動けないまま、ただひたすらにダッカスから離れようと体を壁へと押し付けていた。
叫びは徐々に小さくなる。全身を炎に包まれたダッカスは膝から崩れ落ち、倒れ伏し、やがて動かないままに燃え尽きていった。

「リッターぁっ……!」

 そんな中でリッターだけは無傷で窓際に立っていた。キツネ目は側められ、口元は薄く狡猾な笑みを湛えていた。

「おや、生きていましたか。ご無事で何より、と申し上げるところでしょうかね、ここは」
「貴様……最初から私を始末するつもりだったっという事か……」
「いえいえ、今回の取り組みが上手く行けばそのままカブラス様に従っていくつもりでは御座いましたよ。ですが、このままでは私の身も危なかったですので。いやはや、保険のつもりで仕込んで置きましたが、まさかこの段階で使ってしまうとは流石に予想外でしたが」
「くそっ……亜人である貴様を信用したのが間違いだったか……しかし何故貴様が魔法を使える!? 亜人は魔法を使うことは出来ないはずでは……」
「ええ。私自身は魔法なぞ使えませんとも。ですが……」

 ポケットから宝石を一つ取り出す。それは色こそ違えど、先ほどミサトに渡したものと同じで、何の変哲も見受けられない。だがリッターが撫でると、宝石が淡く光を発した。

「こちらは我が商会が独自に開発しました魔道具でしてね。特定のキーワードと亜人程度が扱える微力の魔力さえ流せば誰にでも発動できるのですよ。まだまだ試作品でして、精々人ひとりしか殺せない程度の威力しか出せないところと、宝石を使用するのでかなり高価になってしまうのが難点で……」

 自分を始末するために仕込まれていた魔道具のセールストークを歯ぎしりしながらカブラスたちは聞いていたが、不意にリッターの言葉が不自然に止まる。突然の変化に「どうした?」と尋ねてもリッターからは返事は来ない。
代わりに、二人の背後から声が聞こえてきた。

「まったく、もったいねぇ事をしやがるぜ……」

 リッターの首が捻れた。ゴキリ、という音と共にリッターの頭が百八〇度回転し、グルリと白目を向く。何が起きたのか理解できていないだろう。驚愕と恐怖を顔に貼り付けたそのままの表情で動かなくなった。
 立ち上っていた火柱の中からミサトが徐ろに歩み出てくる。頬に少しだけ火傷の痕と、白いブラウスがやや煤けているがそれだけ。「ふぅ」と肺に溜まった息を吐き出して、額に光る汗を掌で拭い取る。

「炎に包まれても無事だと……おのれ、貴様は不死身か……」
「んな訳ねぇよ。まあリッターの周りの魔素密度がおかしかったからリッターが宝石に何か仕込んでんのは分かってたしな。でもこれでもだいぶ焦ったんだぜ? 思ったより威力があって熱を逃しきれなかったし。正直、舐めてたよ」

 言いながらミサトはズキズキと痛む頬と腕を撫でる。舐めてかかった代償としては大したこと無いが、久方ぶりに力を使っているというのに驕り過ぎた。
 パチパチと音を立てて燃え続ける室内で内省するミサトだったが、それをカブラスの声が中断させる。

「……おい、女」
「女、じゃねえよ。俺にはミサトっていう名前があるんだ。ちゃんと呼べよ、貴族サマ」
「……それは失礼した。では、ミサト。頼みがある」
「へえ……一応聞くけど、それは自分の立場を分かった上で言ってんだよな?」
「ああ、勿論だ。私の命が欲しければ幾らでもくれてやる。金もやろう。だが、しばし私に時間をくれないだろうか?」
「理由は?」
「計画を成就させる為だ」

 炎に照らされて赤くなった世界で、カブラスは願う。

「今の王家ではダメだ。奸臣と佞臣が闊歩し、外患だけでなく私の様な内憂すらも払うことはできておらん。いずれこの国は滅ぶ。私としては国が滅ぼうが一向に構わんが、しかしそれで苦しむのは誰だ?」
「さて、ね。俺には興味がねぇから分かんねぇな」
「ならば知るが良い。苦しむのは民だ。力無き者だ。力なきまま国を支え、国に裏切られ続けた民だ。このままでは国は荒れ、民は飢え、そして力を誇る者に殺されていくだろう。魔族もここぞとばかりに蹂躙するためにやってくるやもしれん。王都の貴族や王族がどれだけ死のうが気にするつもりもないが、そうなった時に真っ先に苦を味わうのは我らの様な辺境に住む者達だ。プトレイ領の領主として、それだけは何があっても容認できん」

 語るカブラス。しかし、ミサトは退屈そうに大きくアクビをした。ピクリ、とこめかみをカブラスは震わせるが、グッと拳を握りしめて怒りを堪える。

「……だから私は王族を倒さねばならない。一度国を壊し、そして再度一から作りなおさなければならない! 他ならぬこの国の民が! 外国に乗っ取られる前に我らの手で、民の為の国を建国しなければならないのだ!」
「分かったよ。アンタの言いたいことは分かったから落ち着けよ」

 ミサトに言われてカブラスは自身が興奮していた事に気がついた。
追い詰められて感情が昂ぶりやすくなっている様だ。興奮を抑える様に一度深く息を吸い込み、カブラスはミサトに再度頼む。

「だからミサト。今、私はここで膝を突くわけにはいかんのだ。お願いだ、この場で私を見逃してくれまいか? 勿論計画が成就した際には私の命を差し出そう。眼を離すのが嫌ならば常に私の傍にいてくれても良い。だから、頼む……!」

 カブラスは強く歯を噛み締めた。
プライドが高い男。カブラスは辺境とは言え紛れも無く貴族だ。亜人と手を組むと事も業腹であるし、爵位を持たない平民の、ただの召喚者であるだけのミサトに下手に出て命乞いをしなければならない。この現状は痛くカブラスのプライドを傷つけている。
口ではああ言ったが、カブラスに命を差し出すつもりは毛頭ない。大事なのは今この場を切り抜ける事だけ。そして計画を最後まで成就させるだけだ。その為にはどれだけ悔しくとも、どれだけ自身の誇りが傷つこうが耐えるしか無い。全ては、我が領土の民の為に。
カブラスの額から汗が流れ落ちる。熱気が部屋を焼く。燃え広がった炎は次々と家具を灰に帰し、逃げ場を失うまでに幾許の猶予も無い。焦りがカブラスを襲う。
だがミサトは涼しい顔をして耳垢を取り、小指についたそれをフッと息を吹きかけて飛ばし、そしてやっと口を開いた。

「断る」
「何故だっ!! 貴様も人間だろうっ! 人間が、同胞がどれだけ苦しもうと構わんと言うのか、この人でなしがっ!」
「テメェがそれを言うのかねぇ……」

 ミサトは詰まらなさそうに独り言ち、グルリと炎に包まれた部屋を見渡した。

「いい加減暑ぃな」

次の瞬間、開け放たれた大窓から猛烈な風が吹き込んだ。突風にカブラスは思わず眼を閉じて顔を守るように腕を交差した。
しばしの間室内で風が荒れ狂い、床に転がった装飾品やリッターが通路からかき集めた宝石類が吹き飛ばされる。炎に熱せられた風が皮膚を撫でて、カブラスは悲鳴を上げた。しかしその後すぐに風から熱が消え、やがて風自体も静かに収まっていく。
腕を下ろし、恐る恐るカブラスは眼を開ける。すると、部屋中で燃え盛っていた炎は跡形も無く消え、後には灰になった家具や焼け焦げた壁、そしてカブラスとリッターの遺体が残った。

「理由を教えてやるよ。だがその前に質問だ」

 楽しそうに口元を歪ませながらミサトは尋ねた。

「その願い。本当にアンタの願いはアンタの物か?」

 侮辱。腹の底から怒りが渦を巻いて湧き上がり、カブラスは眼を向いてミサトに向かって怒鳴り声を上げた。

「貴様! ここに来て尚私を侮辱するか?」
「侮辱?」
「そうだ。私は民の為に動く。それを決めたのは私だ! まして民を想うなど、この私以外に他の誰が……」
「くっくっくっく……ハーハッハッハッ!!」

 怒りを顕にしてカブラスは気色ばむ。だが、更に言葉を続けようとした瞬間、突如としてミサトが肩を震わせて笑い声を上げた。

「な、何がおかしい!」
「いいぜ、いいぜ、カブラス。アンタ最高だ。そこまで本気で断言されると滑稽を通り越して哀れに思えてくるぜ」

 尚も肩を揺らし、腰を折りながらも必死に笑いを堪えてミサトは動揺するカブラスの顔を覗き込むようにして見上げた。

「何を言いたいっ……!」
「気づかねぇかな? 自分じゃ気づけねぇよな? だけど俺には見えるぜ。アンタの後ろに、アンタをこうまで動かす亡霊ゴーストの姿が」

 笑いすぎて目元に浮かんだ涙を拭きながらミサトはカブラスの背後を指さした。カブラスはギョッとして振り向く。しかしそこに他の誰が居るわけでも無く、幾分煤けた白壁があるだけだ。

「テメェはテメェ自身で一般ピーポーの生活を想いやるなんて事に気づくタマじゃねえよ。テメェの本質はプライドだ。常に上から物を言うだけの、ただ傅く人間を見下すだけしか出来ねえ脳無しだ。そんな人間が民の為に身を粉にして働くなんざ、そんな発想が出てくるはずがねぇよ」
「侮辱するなっ! そんな事なぜ貴様が分かるというのだっ!?」
「別に。ただ単に俺の直感だかんな。根拠も何もねえし、そのことでアンタをどうこう言うつもりはねぇよ。ただ、その肖像画」

 ミサトが指したのはカブラスの後ろの肖像画。満面の笑みの子供がそこにいて二人を見つめている。

「可愛い女の子だよな。周りに居るのはここの領民なんだろ? みんなに慕われて幸せそうだ。アンタの娘か?」
「……そうだ。愛しかった我が娘だ。もうこの世には居らんがな」
「亜人にでも殺されたか?」
「だからどうしたというのだ……! そんな事貴様に関係なかろうっ!!」
「死人に縛られてるのが気に入らねぇっつってんだよ」

 ミサトがため息混じりに言い放つと同時にカブラスの腕が捻れる。軋む骨。歪む腕。痛い、と思う前にカブラスの腕は捩じ切られ、右腕の肘から先が空を舞った。

「ぐあああああっっ!」
「亜人を憎むのは娘を殺されたから。領民を想うのは娘が民を大切にしていたから。
 アンタ、願いが成就されたら俺に殺されても構わねぇって言ったよな?」
「くっ……ああ、そうだ。だからこの場は……」
「お前にゃ無理だ」

 膝を突き、腕を抑えて苦痛に顔を歪めているカブラスを見下ろしながらミサトは断言した。

「アンタには何も出来ねぇ。国を変える事も、領民を守る事も、テメェの願いは何一つ実現できねぇよ」
「ふざけた事を言うなっ!! 私は成し遂げてみせる!」
「借り物の願いで動かせる程、世界は軽くねぇんだよ」

 カブラスの制止を無視してミサトはカブラスの体を宙に浮かせる。ミサトの支配下から逃げ出そうと脚を必死にばたつかせ、流れ出る血も構わずに腕を振るうがいずれもただ空を切るだけだ。

「ま、待てっ! 私なら、私ならば……!!」
「それじゃあな、世界の敵同胞。いっぺん死んで、それから出直して来い」

 ミサトは泣きそうな笑顔を浮かべた。
そしてカブラスの体が捻れていく。脚が、首が不自然な方向へ変形していく。悲鳴は悲鳴にならず、蒼い瞳には涙と恐怖が浮かんで消えていく。それは、彼がミサトにもたらしたものと同じ。
カブラスの悲鳴が部屋に響いた。その様子を、血に汚れた少女は壁から優しい笑みのまま、ただ見守っているだけだった。
 その下で、ミサトは膝を突き、両腕で体を掻き抱き、俯いたまま体を震わせていた。









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