Top

1-1 
1-2 
1-3 
1-4 
1-5 
1-6 
1-7 
1-8 
1-9 
1-10 









現在の閲覧者数:

(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved




――9. 





 ――今日は、何日だろう
 ミーナは暗い部屋の中で、膝を抱えてぼんやりと思った。
捕まって以来、何もせずに過ごす日々。どこかに連れて行かれて、牢屋に入れられて、その中で日がな一日を暗い中で生きていく。動くのは、用を足す時と眠り易い様に体勢を変える時だけ。
チラリ、と視線を横にずらす。そこには、元から冷めていたが牢屋の冷気にさらされて冷たくなった雑な食事があった。
牢屋に入ってからというもの、ミーナをどうにかしようという動きは無かった。というのもミーナの傍には常にショウリが貼り付いていたからだ。
ミサトと別れたあの日、炎から逃げるためにショウリはミーナを連れて影の中に潜った。普段ミーナたちが過ごす次元とは違う世界を抜けてショウリはミーナを逃がすつもりだった。しかし、突如としてそれは不可能になった。同時刻、コウリが魔力を抑えられた為に。
コウリの魔力が無ければショウリには影渡りの力を発揮できない。そもそも、影がなければショウリはその場からほとんど動くことは出来ない存在だ。故に地上に出る事は止むを得ず、またその場所が村から然程離れておらず、すぐさま兵たちに囲まれるのは自明のことだった。
ミーナは埋めていた顔を膝から上げて自分に巻きついたままのショウリを撫でた。
ミーナにとって幸いだったのは、ショウリの力が完全に失われなかった事だ。影から出て兵士に取り囲まれ、剣を振り下ろされたが、その剣先はミーナに届くことは無かった。代わりにその攻撃で自らが傷つく始末。害意に対してそのまま跳ね返す事、それがショウリが持つ力だった。
剣も、弓も、魔法でさえも通さない盾としての力をショウリは存分に発揮したが、できるのはそれだけ。攻撃も出来ず、また害意を持たない行動に対しては盾足り得ない。結局は捕まえられて――その際にミーナが傷つかないよう兵士たちも恐る恐るだったが――こうして牢屋の中で静かに待つ日々が始まった。

「いつまで……こうしてなきゃいけないんだろ……」

 また膝に顔を埋めて、ミーナは寂しそうに洩らした。
ミーナの胸の内はもう限界だった。不安、焦燥。それらがグルグルと渦巻き、思考が入り乱れ、張り裂けそう。それに耐える様にズボンの裾をギュッと強く握りしめる。
 何が起こったんだろうか。ミーナの疑問はそこから始まる。ミサトとハルトと一緒にお酒を飲んで、そこから寝てしまったのか記憶が無いが、突然起こされたかと思えばすでに異常事態。家は燃え、外も炎に包まれて、ミサトは見たことも無いわけのわからない生き物の背中に乗って叫んでいる。本当に訳がわからない。
「逃げて」とミサトは言った。だから逃げて、結局は捕まってしまったけれども何とか無事で、こうやって一人になった。落ち着いて考える時間が嫌という程できて、それでやっと理解できた。村が襲われたんだと。
襲ってきたのは、たぶん人間。兵士たちも人間だったし、そもそも亜人の村を襲うような相手は人間しか無い。なんであんな辺鄙な所の村を襲ったのか、その理由は分からないけれどそれは重要じゃない。大事なのは、ミサトやハルト、そして村の皆が無事かどうか。それを思った時、胸が強く強く締め付けられる。もうこうやって牢屋に入って何度目か分からない。その度にミーナは歯を食い縛り、強く自分の体を抱きしめて息苦しい、生き苦しい時間を耐えていた。

「ハルト、ミサト、みんな……会いたいよ……」

 皆無事なのだろうか。いや、全員が全員無事なわけが無い。村の皆が人間よりも強いのは知ってるけれど、戦いになった時に無傷で帰ってこれるなんて、そんな都合の良い妄想を信じることなんてできない。
せめてハルト、そしてミサトの二人は無事であってほしい。戦わなくったって良い。二人が逃げ切れていれば、であればもう二度と自分と会えなくたって構わない。もう二度と話せなくったって構わない。傍に居てくれなくてもいい。だから、怪我なく逃げ果せていてほしい。ミーナは切に切に、心の底から願う。

「ゴメン、やっぱそれは嘘だ……」

 無理だ。ミーナは強くなる胸の苦しさに涙を零した。
会いたい、会いたい、会いたい。二人に会って、もっと話をして、笑い合って……楽しい時間を過ごしたい。二人は何処に居るのか、無事で居るのか、また会えるのか。
不安で不安で不安で。
怖くて怖くて怖くて。
自分はまた一人になるのか。ミサトは本当に助けにやってきてくれるのか。ミサトの言葉を信じたいけれどもミーナは信じ切れない。
 少しずつ、けれども絶える事無く胸の奥を抉り取ってくる不安と恐怖と寂寥感。親を無くし、大好きだった祖母を亡くし、そしてまた手に入れることができた大切な家族を失ってしまうのか。何も外の状況も分からず過ごすこの時間の一秒一秒がミーナから気力を奪っていく。

「寂しいよ……」

 零れ落ちる言葉。その時、不意に頬に感じる微かな温もり。
顔を上げれば、ショウリが小さな舌でミーナの頬を舐めていた。

「……慰めてくれてるの? ありがと」

 ホンの少しの優しさ。気休め程度にしかならない温かさ。けれども、それだけでもミーナの心は少し救われた気がした。
力を込めてもこの蛇はきっと大丈夫だ。ミーナは分かってはいたけれども、それでももしかしたらこの温もりを潰してしまうかもしれないという怖さに、ミーナはそっと少しだけ力を込めてショウリの細長い体を抱きしめた。
その時、ギィ、と扉が軋む音がした。
――ああ、もうご飯の時間か
ミーナは手を付けていない、前の食事を見た。
粗雑とは言え、せっかく出された料理を食べないのはもったいないとは思う。正直、空腹も限界だ。自分の殻に篭って不安と恐怖と戦い続けていただけでほとんど動いてはいないが、生きているそれだけでエネルギーは消費する。水分さえ摂取しておらず、唇はカラカラ。主張し過ぎた胃はすでに痛みさえ訴え始めて、もはや指を動くのさえ億劫。たぶん、このまま食べないと死んでしまうんだろうな、とぼんやりした頭で思うが、それでも手を出そうとは思えない。
それはミーナの意地だった。
人間の用意したものなんて食べない。アイツらの言うことなんて聞いてやらない。自分の四分の一は人間の血が流れていて、人間だった祖母が大好きだったが、今ばかりはその血を嫌悪した。
彼らは自分の好きだった人たちを傷つけた。殺した。屈服させた。何もかもが奪われてしまったけれども、自分の意志だけは譲らない。心までは屈しない。つまるところそれはミーナが自分を守るための数少ない手段だ。全てを無くしてしまっても、最後まで失わない物はある。それを示すための無言の抗議だった。
だから今回もその意志を示す為にミーナは一層深く顔を膝に埋めた。食事の事を視界の隅にも入れない為に。一度眼にしてしまえば、空腹に耐えられる自信が無かったから。
人の気配が近づいてくる。ミーナは身動ぎしない。顔を下に向け、何も見ようとしない。食事を持ってきた人間に何をされるか分からない恐怖はあったが、それに黙ってミーナは耐えようとした。
早く、出て行ってほしい。
無言のままミーナはそう願った。だが気配は立ち去る様子は無く、代わりにミーナの背後に回りこんできたのが何となく分かった。
そしてミーナは抱き締められた。
 強く、だが優しく。
 紺色の袖から伸びた白く細い腕が思わず顔を上げたミーナの眼に入ってくる。
ミーナは困惑した。身構えていた体の強張りをどうすればいいのか分からず、抱きつかれるがままだ。こうやって自分に抱きついてくる様な親しい人間に心当たりは無い。この城の人間だろうけれど、何故抱きつくのか分からない。狼狽えながらも何となくミーナは目についた、女性のものらしい腕をそっと撫でた。
途端、女性の体が震えた。その拍子に髪の毛が一房落ちてきて、ミーナの頬をくすぐった。
鳶色の瞳がその色を捉える。何処にいても目立つ真紅の髪色。亜人の中には同じような色の髪を持つ者もいる。けれど、彼女の狭い世界の中だけれども、こんな珍しい髪色を持つ女性は一人しか居ない。

「ミサ…ト……?」

 か細い声で尋ねたミーナに返ってくる頷き。ミーナの胸に驚きと喜びが次から次へと湧き上がってくる。ミサトは約束を守ってくれた。こうして迎えに来てくれた。私を見捨てなかった。胸が、目元が熱くなり、涙が零れ落ちそうなり、ミーナはそこでようやく体の力を抜いて目元を拭った。
そして彼女は気づいた。

「……どうしたの、ミサト?」

 ミーナは、自身の背中が少し湿っていることに気づいた。それはホンの僅かで、ミサトの顔が押し付けられていた位置だ。それが何かに気づく前に、ミサトの呼吸が小刻みに荒い事にも気づく。ミーナの背に抱きついた体はブルブルと震え、小さく嗚咽も聞こえていた。

「ミサト? どうしたの、私は大丈夫だよ?」

 ミサトも不安だったんだ。そう思ったミーナは空腹で力が出なかったが、自身に活を入れて殊更に明るく声を上げる。けれどもミサトの震えは止まらず、ミーナを抱きしめる力を強くするばかり。そして「何でもない」と言わんばかりに小さくミサトは首を横に振った。ミーナは為されるがままにミサトに任せ、ただ彼女の手をさすり続けた。それしか、彼女には出来なかった。



「悪い、迎えに来るのがすっかり遅くなっちまったな」

 擦るミーナの手をそっとどかし、ミサトは何も無かったかのような口調でミーナに謝罪の言葉を口にした。

「ううん、迎えに来てくれただけで嬉しい」
「そっか。大丈夫だったか? 何か変なことされなかったか? 殴られたりしてないか?」
「大丈夫だよ。この子が守ってくれたから」

 ミサトに答えながら、ミーナは脚元に控えるショウリの頭を指先で撫でた。それに対し嬉しさを表すように小さな舌を出したり引っ込めたりするショウリ。

「ショウリもサンキュな、あとコウリも」
「いえ、尊主のお役に立つことが私の本懐ですので」

 ミサトも謝辞を述べ、獣姿のコウリを撫でる。頭を垂れたコウリは嬉しそうに眼を細め、ショウリもミサトに向かっても嬉しそうに舌を伸ばすとミーナの影の中へと消えていった。

「あの、ミサト」
「ん? なんだ?」
「その、動物は……? あと、何だかミサトの口調も前と違う気が……」

 ミサトに隠れる様にしてコウリをミーナは見上げた。そういえばまだキチンと名前も告げて無かったな、と村を出る時の事を思い出し、それから色々と説明することが山積みになっていることに気づいてどうしたものか、と頭を悩ませる。

「ま、一つ一つ説明してくしかないか。
 コイツはコウリ。この前、村から逃げる時に俺を背に乗せてたろ? ミーナを守ってくれたショウリもコイツの配下だし、コイツが居たからミーナを守れたといっても過言じゃねーからキチンと礼を言っときな」
「いえ、そこまでして頂くことの事では……」
「あ、あの。コウリ、さん」
「コウリ、と呼び捨てで結構です、ミーナ殿」
「なら私もミーナって呼んでください。えっと、それでコウリさ……コウリ、ミサトを守ってくれてありがとうございます」
「……そこは『私を』じゃなくて『ミーナを』で良くねぇか?」
「ううん、本当は私がミサトを守るつもりだったから。だってミサトは歩けないんだし……って、えっ? なんでミサトが立って? えっ? えっ?」

 ここに至ってようやく立てなかったはずのミサトが立っている事に気づいたミーナが眼を丸くした。眼をパチパチと何度も瞬きをして、ゴシゴシと眼を擦る。そしてスカートの裾から覗く細い脚をペタペタと触って確認していく。
その様を見てミサトは苦笑を浮かべた。

「そんな何度も触んなくったって脚は本物だよ」
「あっ、ううん、えっと、そうだよね。その、びっくりしたからつい……」
「ま、歩けなかった人間がこうして何事も無かったかのように普通に歩いてりゃ驚くよな。あ、別にミーナを騙してたわけじゃねーからな」
「うん、そこは疑ってないよ。でも、どうして急に?」
「尊主は優れた魔法師でございますから」

 コウリが説明するが、あまりに端的すぎてミーナの頭に疑問符がいくつも浮かび、小首を傾げて考えこみ始める。頭の上の耳が右を向いたり左を向いたりと忙しく、終いには混乱して眼を回し始める。その様子を見てミサトは「可愛いなぁ、もう」と抱きつきたい衝動に駆られるが、何とか自重。

「俺の魔法は作用干渉インビジブル・ハンドって言ってな、平たく言やぁ手で触れずに物を動かす力だ。だから例えば」

 ミサトがミーナの体をじっと見る。と、次の瞬間にはミーナの体がフワリと宙に浮いた。

「えっ!? なっ、えっ??」
「こんな感じでミーナを浮かすこともできるし、これを応用して俺の脚も動かしてるってわけ」

 ストン、と優しくミーナを下ろし、ミーナは「はぁぁ」と心ここにあらず、といった様子でペタペタと自分の体を触っていく。

「初めて間近で見たけど、魔法って凄いんだね……」
「昔っからこうして歩いてたからな、たいした事じゃねーよ」
「それは尊主が異常なだけです」

 背後から聞こえてくるコウリの冷静なツッコミにも聞こえないふり。耳を塞ぐ仕草をするミサトに、ミーナはクスリと笑いを洩らした。

「あ、でも魔法を使えるようになったって事はもしかして……」
「ああ、うん。思い出したよ、色々と昔の事を。もちろんコッチに来てからの事もちゃんと覚えてるぜ」
「よかった! おめでとう!!」

 記憶が戻った事を告げた途端、ミーナはミサトの手を握りしめ、ピョンピョンと跳ねて全身で喜びを表現した。そして今度はミーナからミサトに抱きつくと、ミサトの胸に顔を埋めた。

「良かった、良かったね、ミサト……」

 少し涙ぐんでくぐもった声で話すミーナに、ミサトは困惑したような、それでいて嬉しくて、だけども気恥ずかしいのか明後日の方を向いて頬を掻く。
魔法使いになって世界から嫌われてから、こうして自分に対してまっすぐに好意的な感情を向けてくる事に縁が無かった。どんな偉業を成し遂げようとも当たり前のように誰もが受け止め、自分らを管理していた上層部は終わった事には興味がないかの様に振舞っていた。
何をしてもミサトたちの事を認めず、何をもたらしてもミサトたちの存在を認めない。ひたすらに新しい物を生み出す、さながら機械の様な扱いを受け続けた。反旗を翻してからはそこに明確な恐怖が加わった。ただミサトたちを害する事だけを考え、この世の悪であるかのように世界中に宣伝プロパガンダを振りまいた。
だからこのミーナが向けてくる感情はどこかむず痒くて、恥ずかしくて、まっすぐに受け止めるのに躊躇する。きっと、こういうミーナの感情が人として真っ当な感情なんだろうと思うけれども、悪意に晒され続けたせいで戸惑いを隠せない。
けれど。
けれど、ミサトは純粋にミーナが傍に居てくれている事を嬉しく思った。

「さあ、そろそろここから出ましょう。この場所は冷えますのでお体に差し障ります。尊主もミーナもお体は万全では無いでしょうから」
「そうだな。俺は全然平気だけど、ミーナには辛いだろ? なあ? こんなにガリガリに細くなっちまって可哀想に」
「私も平気。むしろミサトの方が……」
「ヘーキヘーキ。ミーナは心配しなくって大丈夫。だからさあ乗った乗った」

 言いながらミサトはコウリの背に乗せている荷物の一部を肩に担ぐと、ミーナを浮かせてコウリの背に乗せる。ミーナは恥ずかしそうにはにかみ、エヘヘと笑った。

「何だかお姫様になったみたい」
「そうそう。ミーナはお姫様だから、コウリの背中でゆっくりしとけばいいんだよ」
「うん、ありがとう。コウリもありがとうございます。お邪魔するね」

 ミーナを背に、ミサトとコウリは牢を出た。牢のすぐ傍にある階段を登り、地下から地上へ。階段はどこまでも静かで、二人の足音だけが響く。石造りの壁には等間隔で灯りが並べられていて、けれどもその光は弱く薄暗くて、何とも不気味な感じをミーナは覚えた。
ミーナは前を歩くミサトを見た。牢を出てからミサトは口を開かず淡々と階段を登り続けている。コウリもだ。記憶を取り戻す前からミサトはあまり自分から口を開かなかった。話しかければ時折雄弁になるが、用も無しに話しかけてくる事は無かった。だから口数が少ないのは生来のものだろうとミーナは思うし、その事を特に不満に思うこともなかった。けれども静かで薄暗い場所を進むのは少し怖くて、それを紛らわすためにミーナは自分から話し掛ける。

「でもミサトたちは良く逃げ切れたよね。私たちはすぐに捕まったのに。もしかしてコウリって凄く強いの?」
「いえ、自分はそれほどでもありません。万全であればただの兵士に負けるつもりはございませんが、私より強い者はいくらでもおりましょう。実際に私たちも捕まってしまいました」
「えっ? そうだったの? それで良く無事だったね。でも、ならどうやってここに?」
「……なに、ちょっとここの領主様とお話してきただけだ」
「お話?」

 ミーナはミサトの意図するところを解せず、首を傾げた。「どういうこと」と口に出そうとするが、その前にコウリの声が割って入る。

「着きました」

 先頭のミサトが扉を開ける。暗い階段から明るいロビーに出て、高い場所に位置しているステンドグラスから柔らかい光がミーナの瞳を僅かに焼いた。しかしそれも一瞬のことで、眩しさに眼が慣れたミーナは目の前に広がる光景に息を飲み、言葉を失った。

「な…に、これ……?」

 広いロビーに広がる血の匂い。床には夥しい数の矢が散らばり、持ち主の居ない兜や小手が転がっている。そしてたった一人、ほぼ無傷のままで倒れて動かない男の姿。ミーナの体に戦慄が走り、もよおしてきた吐き気を抑えようと口元を抑えた。

「何が……何があったの?」
「……行くぞ」

 ミーナの呟きにミサトは応えず、振り向かないまま大きな扉が鎮座する入り口へと向かう。ミーナを背に乗せたコウリも何も言わず、ミサトの後ろに付き従う。
ミサトの伸ばした腕が扉を押し開き、外から入り込んできた新鮮な空気が淀んだ城内を洗い流し始めた。三人は城の外へ脚を踏み出した。
入り口の階段を降り、綺麗に舗装された歩道が真っ直ぐに伸びている。道の両端には花壇が広がり、色取り取りの花々が甘い香りを運んでくる。しかし外には誰もおらず、ただ風だけが時折微かな物音を立てていた。
無言のまま歩き、すぐに城を取り囲む城壁へと到着する。目の前には大きな木製の扉。上下にスライドするタイプのそれは、何本もの丸太を並べてまとめ、地面に突き刺す種類の物だ。
丸太を束ねている鋼鉄にミサトは手を伸ばす。右手一本でつかみ、力を込める。

「……」

 ミサトの眉間に皺が寄り、食い縛った歯が音を立てた。細かった腕の筋肉が盛り上がり、掴まれた金属はミサトの指の形に歪んでいく。何百キロとありそうな丸太たちが少しずつ上へと上がっていく。

「おおおらああぁぁぁっ!!」

 ミサトが声を張り上げた。瞬間、扉が跳ね上がった。
本来の巻き上げられて開くよりも勢い良く上へと丸太が上がっていく。地響きにも似た轟音を立て、刺さっていた地面から砂埃が舞い上がって景色を茶色がかった物に変えた。

「すごい……」

 ミーナの口から感嘆が漏れ落ちる。
有り得ない。女性らしい細腕の何処にこんな力があるのだろうか。それともこれも魔法の力なのだろうか。魔法について詳しくないミーナには分からない。
背後からの驚嘆の色に気づいていたが、ミサトは手に付いた埃を払うと少し乱れた紅い前髪を掻き上げて扉の下をくぐっていく。そしてミサトは眼を細めた。
小高い丘の上に位置するプトレイ領主城。辺境故ののどかな風景が眼下に広がり、木々や田畑の緑が目に優しい。けれども、眼には決して優しく無い、この風光明媚な景色に似つかわしくない姿がすぐそばにあった。
頭に包帯を巻いた者、腕を吊った兵士、同僚に支えられて何とか立っている男たち。そしてその後ろにはメイド服を着ていたり、前掛けを着けて困惑した表情を浮かべた女性の姿。
無事だった兵士たちは、城門が開いて出てきた見慣れない女性の姿に槍や剣を向けてくるが、それがつい先程自分たちを恐怖と絶望の縁に追いやった特徴的な髪を認め、一斉に怯えた視線をミサトにぶつけてきた。それはミーナにとっても身近にあった感情だった。
不安、恐怖、絶望。狂いそうな程に重い負の感情が全て小柄な女性へと注がれていた。

「何をしたの、ミサト……?」

 それは異常な光景だ。ミーナの知るミサトは足の不自由な、自分一人では満足に移動もできない女性だ。ミサトを見つけた日からミーナにとってミサトは家族であり、守るべき存在だった。けれども、今彼女を見つめる人間たちの視線はミーナの記憶にあるミサトに注がれるべきものではない。唇を噛み締め、ミーナはミサトの紅い髪を見つめた。

「さあな」

 言葉少なに、ミサトはそれだけ応えた。そしてミサトが止めていた足を前に進める。
同時に、兵士たちが後ろに下がった。一歩足を動かす度に男たちの腰は引け、城門を囲むように待機していた彼らが二手に分かれて道を開けていく。人間たちに作られた通り道を、ミサトは淡々と、コウリは物言わず、そしてミーナは得体の知れない恐怖を感じながら通り過ぎて行った。

「ああ、そうだ」

 ふとミサトが立ち止まる。肩に担いでいた大きな袋を下ろして地面に置く。そしてコウリとミーナの所へ歩いて行くと、ミーナの後ろに積んであったもう一つの大きな袋を手に取った。

「アンタらの職場をダメにしちまったからな。これは迷惑料だ。受け取ってくれ」

 そう言うとミサトは袋を両手で持つ。兵士や女中らは目の前の女性が今度は何をするのかと身構え、怯えの色を一層濃くした。
その様子を見てミサトは苦笑いとも自嘲とも言えない曖昧な笑みを浮かべ、袋を空高く放り投げた。
袋の中身が飛び出していく。たくさんの紙の様な何かと石みたいな塊が一斉に舞い上がり、羽ばたくように空いっぱいに広がっていった。
それは金と宝石だ。リッターが工面し、カブラスが溜め込んだ軍資金は城の隠し通路に保管されていたが、ミサトはそれを回収していた。袋いっぱいのそれらをミサトは惜しげも無く城に務めていた彼らに向かって放り投げた。
彼らは最初ミサトが何を投げたのか理解できなかった。彼らにとってミサトは理解できない魔法使いであり、今度こそ自分たちが殺されるものと覚悟していた。
始めは背の高い兵士だった。彼は呆けたように荷物が散らばっていく様を眺めていたが、たまたま彼に向かって落ちてきた石を何気なく手に取った。これは何だ、と恐る恐る手の中に収まったそれを見て、それが何であるか理解した瞬間、驚きの声を張り上げていた。

「ほ、宝石だ!」
「本当だ! 宝石だ! 本物の宝石じゃねえか!」
「こっちはお金よっ! お金が降ってきてるわ!」

 恐怖から一転して歓声が湧き上がり、百人を超える人々の間で怒涛の勢いで広がっていく。男も女も札束が舞い落ちる空を仰いで手を伸ばし、落ちた宝石を拾うために地に這いつくばる。小鳥を狙う猛禽の様に笑顔の瞳の奥に欲を血走らせて金を掴み、草食動物を捉えた肉食獣の様に歓喜の衝動に身を委ねて綺羅びやかな石を貪る。最早誰もミサトの存在に注意を払っておらず、欲望に忠実に行動する。理性は端に追いやられ、欲のみが行動を支配していた。
その光景を間近で見ながらミサトは失望にも似た空虚感を味わっていた。
民を想うカブラスの気持ちは本物だった。その根幹にあるものが偽物の想いであり、最終的に願いが成就されないとミサトは判断したが、だとしても、実際に民の生活を向上させようと動いていたのは事実だ。
自らの時間を削り、体力を削り、心身をすり減らし。
王都と領地を何度も往復し、天敵である亜人のリッターとも手を組み、隣国の侵攻を長期に渡って退け。
民の為に、民の生活の為に、民の生命の為にカブラスは動いた。
ミサトは兵士たちに背を向けてもう一度眼下の景色を見る。戦禍の痕は見て取れず、ただ平和そうだ。カブラスの事だからこれまでに得た利益を一部でも民に還元し、功績を宣伝して民に知らしめて支持を高めるくらいはやっているはずだ。決して無能ではない、かなり有能な人物だっただろうと、ミサトはカブラスをそう評価している。
けれども今はどうだ。ここに居る兵士や女中たちもカブラスの部屋で爆発が起きたのを見たはずだ。自らの仕える主人に異変が起きたのを悟っているはずだ。けれども誰一人としてカブラスの事を尋ねる者は居らず、目先の金に眼を奪われ、中にはミサトに対して救世主を見たかのような視線を向けてくる者さえいる。
結局、為政者なんてそんなものか。彼が気遣った民とはそんなものか。金が大事なのは理解できる。良い生活の為にたくさんの金が手に入るのであればそれを欲するのは分かる。目先の欲だけで判断し、その先にある苦難に気づきもしない。義理や忠誠は物欲よりも軽く、命は金に比べて羽毛の様。これまでの感謝の心は容易く忘却され、残るのは今何が手に入るか。
目の前の兵士たちの様子が前の世界での人々の姿と重なり、死して尚も貪られるカブラスの様子がまるでかつての自分の様に思い、重く深いため息とともにミサトは胸に渦巻く感情を吐き出した。

「今の宝石、どうしたの……?」
「宝石は城にあったのをかき集めてきた。アイツらの飯のタネを俺が奪っちまったからな。せめてもの罪滅ぼしだよ」
「かき集めてきたって……お城の持ち主は?」
「殺した」
「殺したって……」

 何故、とはミーナは聞けなかった。自分がこの城に捕らわれていたということは、この城の城主がミーナを捕まえたということであり、つまりはパドバ村を襲撃したのは彼だということ。簡潔に言えば、敵。敵中に自分は居て、そしてミサトは自分を助けた。ならばそれは必要なことだったんだろうと思ってしまったから。
ミーナは人間であり亜人でもある。敵だとは言え、誰かが死ぬのは嫌だ。他の亜人の様に人間憎し、という感情までは持てないし、逆もまた然り。けれども、襲いかかってきた相手を笑って許せる程寛容では無いし博愛主義者でも無い。相応の報いは受けなければならない。その報いを自分は与える事はできず、代わりにミサトが与えただけ。さすがに自分ならば殺しはしなかっただろうとは思うが、それでミサトを責めるのは違うと感じた。
口を噤んだミーナを一瞥して、ミサトはコウリに歩み寄ってミーナの前に飛び乗った。

「それじゃ行くか。気は進まねーけど」
「どこに行くの?」

 ミーナに問いかけに少しだけ間を置き、ため息混じりに答えた。

「村へ」










前へ戻る

目次

次へ進む







カテゴリ別オンライン小説ランキング

面白ければクリックお願いします







SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送