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0th Bad Dream Believer(11/12/03)
1st 浅い空、深い海(11/12/03)
2nd Who Can Understand Me?(12/01/04)
3rd 普遍、不変(12/01/04)
4th You Are Not Me(12/01/29)
5th 狂々、繰々(くるくる、くるくる)(12/01/29)
6th Do You Love Me?(12/03/04)
7th 僕らの手(12/03/04)
8th Terminal(Bad Dream is over)(12/04/03)
9th 僕はここにいる(12/04/03)
10th No One Knows Everything(12/04/03)









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






-10th No One Knows Everything-




「どういう事だよ……?」

僕の疑問のつぶやきは静かな通路に吸い込まれて消える。どうして囚われているはずの森川がここに?そしてなぜそんな格好をして銃を僕らに向けている?
だけど、だ。これは好都合ではないだろうか。理由はどうあれ森川は目の前にいる。攻撃を避けながら探し出す手間が省けたんだし、ならば三人でさっさと逃げ出してしまおう。

「とにかく、無事で良かった」

笑顔を浮かべて森川に歩み寄る。手を差し出して森川の手を取ろうとした。

「待って!」

けれど浅海が僕を制した。

「どうしたの?」
「彼女は……森川さんじゃないわ。そんなはず……ない……」

浅海はそう言葉を搾り出した。彼女の頬を汗が流れ落ちる。表情は依然厳しくて、でもその目には混乱が見て取れた。森川の方に視線を移せば、彼女もまた視線鋭く浅海を睨みつけていた。そして僕は気づく。森川のそんな表情を僕は知らない。浅海も森川であるから、そういう意味では森川も射抜くような視線をできなくはないんだろう。でも少なくとも、今の、僕が知るクラスメートの森川恵は冷静に誰かに向かって銃を向ける様な人じゃない。

「まさか……!?」

何かに思い至った浅海が声を上げた。けれどもその続きは銃声に打ち消された。
森川の構えた銃口から白煙が上がり、浅海の頭から赤い血が撒き散らされる。体が傾き、仰向けに倒れた。その姿は、彼女が転校してきた夜に見た姿と瓜二つだった。

「あさっ……!」

浅海の名前を呼びかける。けど、その口は何かに塞がれた。

「……っ!」

真っ黒なグローブで包まれた森川の手が僕の口を覆い隠し、胸ぐらを掴まれて壁に叩きつけられる。背中からの衝撃が肺に伝わり、息が詰まる。痛みにしかめてしまった顔で見た森川の顔は今にも僕を殺さんばかりだった。

「どうして……アナタがこんな所に……」

けれどもその口から出てきた言葉は、疑問と哀しみにまみれていた。浅海を撃った銃口は今は僕の喉元に突きつけられていて、人差し指を少し引けば簡単に僕の未来は絶たれるだろう。でも、目の前の彼女がそんな事をするとは思えなかった。

「それは私が空深くんをここに連れてきたからよ」

自分の背中から聞こえてきた声に目の前の森川は驚いて振り返った。僕の喉元の銃は再び浅海に向けられ、その浅海はいつもの冷静さを取り戻して自分の額を流れていた血液を手の甲で拭きとっていた。

「無駄よ。それはアナタが一番知ってるんじゃなくて?」

森川は浅海に対して銃を向けた。それに対して浅海は怯む様子も見せずに、浅海もまた森川に向かって銃を突き付けて、さっきと同じ光景が繰り広げられる。さっきと違うのは、今度は引き金を引いたのが浅海だということだけ。
浅海の撃った弾は森川の喉をえぐって、森川が地面に血溜まりを作る。二人の森川が互いを殺しあう。なんて、光景だ。悪夢に近い。息が詰まりそうな空気に、僕は思わず胸を抑えた。
けれどそれもほんの数秒で、撃たれたはずの森川はすぐに起き上がった。まるで、浅海みたいに。それで僕にもようやく目の前の彼女について理解が追いついた。

「これでおアイコね。全く、余計な時間を食わせてくれたわね」
「貴様……」
「さっさと森川さんを助けに行くわよ。どうせ、アナタの目的地も同じなんでしょう? もう一人の私」
「やっぱり、そうなのか?」

僕の確認に浅海は頷いた。
つまりは、森川恵は今この船に三人いる。クラスメートの森川恵。浅海圭と名乗った、遙か未来からやってきた、クロトの創設である森川恵。そして、浅海とは異なる未来からやってきたもう一人の森川恵。彼女もまた、浅海と同じように「死」という未来を奪われた。だからこそこの時代の自分を救うためにやってきた。
浅海は階段を降り始め、僕もその後ろを付いていく。後ろを振り返ると、未来の森川も黙って付いてきていた。ただし、その眼は浅海を睨みつけてて今にももう一度発砲しそうなほどに重い雰囲気をまとってはいたけれど。
しかし、と思う。同じ人物でも三人ともずいぶんと違うものだ。この時代の彼女は気弱で、いつも何かに怯えているみたいに顔を伏せていた。浅海は傲岸不遜と言うか、自分の都合を優先させて僕の都合なんてお構いなしだ。表情はたいがい難しい顔をしているか、人を小馬鹿にしているかのどちらかだ。そして最後の彼女は、とても冷たい眼をしていた。それは怒りとかそういったものじゃなくて、きっと普段からそんな眼をしているのだと僕に思わせる眼だ。それは、浅海がIHFLの奴らを殺した時の眼に似ている。けれども今思い出すと、その時の浅海の眼は必死さと怒りとが綯い交ぜになっているような気がする。でもこの森川は違う。感情が見えない。怒っているのか怖がっているのか嫌がっているのか喜んでいるのか。それが感じられない。こうして僕らの後ろを付いて来ているけど、歩きながら何を思っているのか、それが分からない。

「止まれ」

不意に、森川が声を上げた。振り向けばまた彼女は前に向かって銃を構えていた。でもその向きは僕らではなくて、僕らが進む道に向かっていた。
誰もいない通路に向かって森川は鋭く言った。「隠れていないで出てこいよ、佐藤」
すると、通路の分かれ道から男が姿を見せた。

「君も二日ぶり、だね。こんばんは、空深・夜君」

森川が佐藤と呼んだその男は、一昨日に遊園地で出会った男で確かテレビ関係者と言っていたけど、そうか、彼もIHFLの人間だったのか。
僕が遊園地の時と全然雰囲気の違う理由に納得している横で、森川に続いて浅海も佐藤に対して銃を向けた。銃を向けられた佐藤は無表情のままに両手を上へ挙げた。

「ここで君らと争うつもりはない。だから銃を下ろしてもらいたいのだが」
「敵陣のド真ん中で突然現れた男にそれは無理な相談ね。いきなり要求を言うより前に他にするべきことがあるのではなくて?」

浅海の言葉に佐藤さんは「それもそうだな」と応えた。

「君以外の二人は私を知っているから失念していた。失礼した。私は佐藤という者で、ルイーゼ様の付き人をしている」
「ルイーゼ……その人が森川の誘拐を指示したんですね?」
「そうだ。君らが探している森川恵は今ルイーゼ様と一緒にいる。私は二人の所へ案内するために君らを迎えに来た」
「それを信じろ、と言うの?」
「そうだ」
「ハッ! ずいぶんとおめでたい頭をしてるみたいね」

カチャ、と銃が音を鳴らした。意図して浅海は音を立てたみたいだけど、佐藤さんは怯んだ様子も無い。浅海の嘲笑に気を悪くした様子も無くて、機械的なその表情は後ろの森川を彷彿とさせた。

「もうすぐ応援部隊が駆けつける」

徐に佐藤さんはそう言った。

「……何ですって?」
「もう一度言う。韓国に滞在している応援部隊が現在この船に向かっている。おそらく後一時間も無いだろう」
「すでに救援を呼んでいたわけね」
「どうするかね? 私を殺して、時間が無い中このブロックの部屋を一つ一つ見て回るか、それとも私の案内に従って速やかに森川恵を確保するか。二つに一つだ」

どうするか。まさかこんな所で選択を迫られるとは思わなかった。浅海を見れば表情を変えずに銃を構えてはいるけれど、彼女の頬を汗が伝っていた。

「どうする? 僕はこの人に付いていった方がいいと思う。時間が無いし、まずは森川を見つけ出すのが優先されるんじゃないか?」
「それには同意するけど、意図が読めないわ。救援を呼んだと言うのもハッタリかもしれないし、罠の可能性もある。空深くんの方で何か見えたりはしない?」
「そんな都合よく未来は見えないさ。罠かどうかは分かんないけど、救援を呼んだ可能性は高いと思う。企業の規模を考えれば各地にこんな軍隊めいた組織を持っていてもおかしくないし、呼ぶ時間も十分あったし」

もし応援が来るのであれば悩んでいる時間も惜しい。しかし判断を下せるだけの情報も無い。僕らが動けないでいる横を、森川が通り過ぎる。そして銃口で佐藤さんを促して歩かせ、自分はその後ろを歩いていった。

「ちょ、ちょっと! 待ちなさい!」

浅海が制止しようとするけれど、森川は僕らをチラ、と一瞥しただけでまた前を向いて佐藤さんに付いていく。僕らは顔を見合わせ、開いてしまった距離を埋めるために走って二人に追いつく。

「どういうつもり? 勝手に行動しないでくれるかしら?」
「お前の指示に従う義務など無い。同じ『森川恵』とは言え私とお前は別人だ。私には私なりの目的があって動いている。指図はするな」
「慎重に動けって私は言ってるの。アナタの行動で私たちが不利益を被るかもしれないし、逆に私たちの失策でアナタが不利になるかもしれない。せめて動く前に相談くらいはしてもいいんじゃなくて?」
「関係ないな。そっちのせいで私が不利益を被ろうとも恨みはしないし、私のせいでそっちがどうなろうと知ったことじゃない」
「そっちは良くても私たちが困るのよ!」
「あ、あの、佐藤さん!!」

森川二名の間に不穏な空気が流れ始めて、僕はつい大声で佐藤さんを呼んだ。振り返りながら「なんだ?」と佐藤さんは僕を見下ろした。
声を掛けたはいいけど、何か話があったわけじゃない。この場で口論を始めそうな二人の話を中断したかっただけだ。けれど当たり前ながら声を掛けたからには何かを尋ねないといけない。「えーっと……」と言いよどむフリをしながら尋ねるべき内容を必死で考える。

「その、どうして僕らを案内してくれるんですか?」

結局口から出てきたのは、そんなありきたりな質問だった。しかもこんな状況で聞いたからって相手が素直に応えてくれるかは分からないし、僕らもそれを信じることはできないのに。

「ルイーゼ様の指示だから私にはその意図は分からない。ただ、もはや抵抗しても無駄だと考えたのかもしれない」
「救援を呼んだのなら、待てばいいじゃないですか。時間稼ぎをすれば僕らは圧倒的に不利になる。それなのにそうしなかった訳は何ですか?」
「繰り返しになるが、私はルイーゼ様の意図を理解しているわけではない。憶測でこれ以上話をする意味は無い」
「私たちには意味があるの。アナタの推測でいいから聞かせなさい」

佐藤さんはそこで一度黙った。考え込んでいるのは質問の意図を図っているのか、それとも単純に推測を整理しているのか。

「今回のルイーゼ様の指示はIHFLの指示とは一致していない」
「何ですって?」
「ルイーゼ様はIHFLのあり方に疑問を抱いている。予知能力者を集めるというのはIHFLの指示であることは間違いないが、森川恵の存在は秘匿するつもりだった。自分の手元に置いた上で、ルイーゼ様はルイーゼ様自身の目的の為に森川恵を使う予定だった」
「なるほど、あれだけ大きい組織ですものね。一枚岩とはいかないでしょうよ」
「おそらく森川恵をIHFLに渡したくないと考えたんだろう。だから私に君らを案内させたのだと思う」

浅海は佐藤さんの話に不審な点を見つけられはしなかったみたいだ。どこまで納得しているのかは僕からはうかがい知れないけど、訝しんでる様子は無い。森川の方は話に興味があるのか無いのか、それさえ分からない。ただ黙って佐藤さんの後ろを付き従ってるだけだ。
そして僕はどこか疑わしいと思ってる。話の筋は通ってるし、自分の所属してる組織より僕らの方を信頼している、というのには疑問が残るけど、有り得ない話じゃない。だから僕が疑っているのは勘に過ぎなくて、それ以上の意味を持たない。せいぜい警戒しておくくらいだ。

「ここだ」

佐藤さんはあるドアの前で立ち止まって部屋の中へと入っていく。部屋の中は何も無くて、机と椅子、それとベッドがあるくらいだろうか。長方形の部屋の広さは高々四畳半くらい。そして部屋の中には誰もいない。

「誰もいないじゃない」
「こっちだ」

浅海が佐藤さんに銃を向けて、佐藤さんは僕らを置いて部屋の何も無い壁に手を当てた。見た目は何も変哲の無いただの壁だけど、佐藤さんが手を当てたと同時に空気が抜ける音がした。そして壁の一部がスライドして奥からもう一つ別の部屋が現れた。

「……これは私たちでは無理だったわね」

ため息混じりでそう漏らした浅海に僕も同意する。これは絶対見つけられない。時間があるのなら、もしかしたら発見できるかもしれないけど、僕らに許された時間内で見つけるのは困難だろうし、よしんば見つけたとしても開け方が分からない。
隠し扉の前から佐藤さんがどいて浅海、森川、そして僕は部屋の中へ入った。
そこに僕らが探してた森川恵がいた。
表の部屋とは違って、この船には不釣り合いな程に立派なテーブルや椅子の調度品。床には毛足の長いカーペットが引かれてて、ベッドのカバーは品の良い感じが出ている。
奥の椅子の上に外国人の女性が一人いて、ベッドに座る森川と向い合うように座っていた。彼女がルイーゼか。浅海を、森川を苦しめた、最も近い憎むべき相手。それを意識すると、熱い何かが腹の底から沸き上がって来る感覚を覚えてしまう。
彼女は小さくため息を吐くと短めの金髪をかきあげて僕らを見た。

「やれやれ、勝負はアナタのお友達の勝ちみたいね」

その言葉を聞いて森川がホッとしたのが分かった。そして僕も大きくため息を吐いた。
良かった。これで終わった。最後はずいぶんとあっさりだったけど、もしかしたら何であっても終わりなんてそんなものかもしれない。見ている人がカタルシスを抱くような展開なんて実際は起こりえないのかもな。
浅海を見る。彼女も表面上は固い表情を崩してはいないけれど、少し頬が緩んでいた。
ホッとしたからか、僕らと共にいる、自分と全く同じ顔をした森川恵に森川はようやく気づいた様で口をポカン、と開けている。そしてたぶん浮かんだんだろう疑問の答えを求めるように僕と浅海の顔を交互に見比べる。まあそりゃそうだよな、そうなるよな。
苦笑いが浮かんできて、堵のため息をもう一度大きく吐き出し、森川に向かって足を踏み出し――
カチャ。
耳元でそんな音がした。

「空深くん!」

正面に座っていた森川が立ち上がって声を上げる。隣にいる未来の森川と浅海、二人ともどんな顔をして僕を見ているのだろうか。確認しようにも顔を動かせない僕にはどうしようも無い。

「賢明な判断だ」

佐藤さんは銃を僕の頭に突きつけて浅海たちにそう言った。けれども、その言葉は佐藤さんの味方であるはずのルイーゼにも向けられているみたいで、ルイーゼも突然の佐藤さんの行動に戸惑っているみたいだ。

「冷静な行動に感謝しよう。私とて無駄な戦闘は避けたいところだ」
「アナタ、最初から空深くんが狙いだったのね?」
「そうだ。とは言っても、彼の存在に気づいたのはこの船に乗り込んできてからだがね」

彼の低い声が頭の上から聞こえる。

「私は探索者シーカーでね、私が探しているものは能力の適用圏内にあればどこにあるかが分かる。だからすぐに気がついた。彼が誰よりも優れた未来予知能力者であるということは。これまで私が見てきたどんな能力者と比べて彼の能力は図抜けている。未来予知、と呼ぶのもおこがましい程に」
「だからどうしても空深くんが欲しかったと言うわけね? でも私たちがすぐ傍にいたから手を出せなかった」
「私の戦闘能力では君らには到底敵わないからな。こういう手段を取らせてもらった」

ゴリ、と後頭部に押し付けられた銃が僕の頭と擦れる。痛みに思わず顔をしかめて、浅海が怒りで震える声を絞り出した。

「空深くんに怪我をさせてみなさい。何処に行こうとも必ず見つけ出して殺してあげるから」
「それは怖いな。だが私も出来る限り無傷で送り届けたいと思っている。全ては君ら次第だ」

話を聞きながら僕は考える。不安で大きく波打つ心臓の音を聞きながら自分に問い掛ける。この状況で僕に何ができるか。どうすれば打破できるか。

「前言を撤回させていただきます。どうやらこの勝負は土壇場で私の方が勝ちを拾ったみたいね」

言いながらルイーゼは立ち上がってこっちに近づいてくる。顔には笑みを浮かべて、勝ち誇った様子だ。
これは僕のミスだ。罠だという可能性も残っていたのに、森川を見つけられたせいで油断してしまった。IHFLが未来予知者を集めているのであれば対象が森川から僕に代わっても何らおかしくは無かったというのに。
笑うルイーゼの顔を見ていると自分に対する怒りがこみ上げてくる。敗北感が僕を襲う。そんな僕を見て、またルイーゼは笑った。

「それじゃ行きましょうか。佐藤、船を用意しなさい。脱出する――」

銃声が響いた。時間が止まって、空気が凍った。
僕の後頭部には変わらず固い銃口。だけど佐藤さんのもう一方の手にも拳銃が握られていた。そして銃口からは白煙。
ルイーゼは驚きの表情で固まったまま自分の左胸を見てた。キレイなドレスに穴が開いて、そこからドクドクと彼女の血が流れ落ちていった。

「さ、佐藤……」
「全て見ぬかれているんですよ、ルイーゼ様」

佐藤さんが話して、ルイーゼは崩れ落ちていった。膝を突いて、だけども体を支えきれなくて彼女はうつ伏せに倒れていった。絨毯がルイーゼの血を吸い上げて、真っ赤に染まっていく。白い肌を自分自身の血で赤く染めて、彼女は佐藤を見上げた。きっと、彼女は何が起きたのか理解できていない。僕の眼には、彼女の顔にひどい困惑しか見えなかった。

「貴女が仰っていたご老害の方々は全てをご存知でした。貴女が現状に不満を抱いていること、反逆を企てていること、そして貴女が無能である事を」
「な……んですって……」
「ルイーゼ様、貴女が取締役会の方々を有害と考えているのと同じように、貴女は取締役会から社にとって有害だと思われていたのですよ。今回、貴女がこうして森川恵を取り込む任務の責任者を任せられたのもマカッシュ家の人間をIHFLという組織から排除するためです。そしてその為に私は今回貴女に同行致しました」

血に濡れた彼女の顔は絶望に染ってた。顔がクシャクシャに歪んで碧色の瞳は涙で覆われてた。嗚咽が漏れて、佐藤さんを見上げる力さえも無くなっていった。
しゃくり声が静まり返った部屋に小さく響いて、やがて消えていく。ルイーゼは俯せたまま、泣き声の合間に何かをつぶやいていたけれど、それが何だったのか、僕には聞き取れなかった。怒りだろうか、嘆きだろうか、それとも自らに対する呪詛か。ドイツ語らしき何かを残して、ルイーゼは何も伝えなくなった。

「さて、待たせたな。見苦しいものを見せてしまった」
「ホント、最低な気分だわ」

浅海が吐き捨てる。そしてそれは僕らの共通した気持ちだ。ひどく胸の中がドロドロしてる。ネバネバとした不快な何かが肺の周りにまとわりついてる。
彼女、ルイーゼの事は全然知らない。彼女がどんなつもりで森川をさらって何をしようとしていたのか分からないし、結局それはもう分からないままだ。ただ、彼女が後ろで僕に銃を突きつけてる男に裏切られたという事は分かった。

――それで、どうするの?

誰かが僕に問う。
可哀想だ、と思う。反面、彼女さえいなければ僕らはここまで苦しまなかったんじゃないか、とも思う。もしかしたら僕も森川も何事も無く学校に通っていたのかもしれない。そう考えるとルイーゼに対して怒りは湧きこそすれ、同情する余地は無い。

――それで?

けれど、とても不快だ。でもそれは、ルイーゼが殺されたから不愉快なんじゃない。
僕らは翻弄されてる。僕らより遙かに強大な力に翻弄されっぱなしだ。僕は浅海たちクロトに、森川はルイーゼに、そして浅海とルイーゼはIHFLという巨大な権力に。
みんな勝手だ。勝手に僕らに価値を押し付けて、それを強要する。彼らの望むままの姿にあれ、と僕らの存在を上書きしていく。

――お兄さんに何ができるの?

僕の価値は僕で決める。周囲の干渉はこの世界で生きる上ではどうしようもないのかもしれないけれど、僕という存在のあり方の最終決定権はあくまで僕のものだ。他者が勝手に決めていいものじゃない。

――無力なお兄さんに?

僕は無力だった。何もできやしないって思い込んで、僕ができたはずの事さえ見過ごしてきてしまった。

『君の力は、君を幸せにするための力なんだよ』

でも僕は教えてもらった。僕ができる事、僕にしかできない事を。
できる事は少ない。それでも、今なら僕にできる事がある。だから諦めちゃダメなんだ。諦めたら、今度こそ僕は何もかもを失ってしまう。灰色一色の曖昧な明日しかつかめなくなってしまう。
だから僕は思い描く。僕が望む未来を、僕が歩みたい明日を。

――もう、逃げないんだね?

もう、逃げない。だから―― 一緒に行こう。
僕は僕の手を取って動き出す。かつて昔に置いてけぼりにしてしまった昔の僕の手を。
そして世界が、広がる。色鮮やかに僕が触れることができる未来が広がっていく。けれども壁も多い。世界が広がれば広がるほど壁の存在が明確になっていく。
けれども、それが何だと言うんだ。そんなもの、何の障害にもならない。

『君が、笑っている未来をソウゾウすればいいんだよ』

例え世界を覆うほどの巨大な壁があったとして、もし、それが僕らが抗うことのできない不可思議で強大な力の事で、それを運命だと言うのなら――

『歩みたい未来に向かって進めばいいんだよ』

僕はその運命を塗りつぶしてやる――






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





佐藤は背中に何か冷たいものが流れた気がした。汗か、と思い、銃を向けている夜への注意を払いながらも自分の状態を確認するが、額にもワキにも汗を掻いた様子も無いし、船の中を暑いとも感じていない。
良くないな、と内心で考える。体調や環境的要因以外でこういった感覚を抱くときは、大抵佐藤にとって悪い事が起きる。そのことを経験で知っている。
一刻も早くこの場を離れるべきだ。佐藤はそう結論付けた。何が起きるのかを知るよしも無いが、少なくとも敵が多いこの部屋から出ていく方がいいだろう。

「それでは失礼する。君らはこの部屋に残ってもらう。もし追いかけてくるようであれば容赦無く空深夜を殺害する」

単調な口調で浅海と森川に佐藤は告げた。それに対して浅海も、現代、未来の森川も何も応えなかった。
横から夜の様子を見ていた浅海は異変に気づいていた。それまで緊張した様子の夜が突然眼を閉じたのを見ていた。夜の顔には後悔と焦りと苛立ち、そういった感情が浮かんでいたのだが、今は落ち着いた感じで何をするでも無くじっと立っているだけ。この危機的状況で唯一冷静な夜に不気味ささえ感じる。
夜はまだ素人だ。銃を持ったのは昨日が初めてで、銃弾飛び交う戦場に立って命の危機に接したとはいえ、まだまだこんな状況で落ち着いていられる程に場慣れしているだろうか。

(何をする気……?)

後ろに立っている佐藤はまだ気づいていない。そして佐藤は夜を引き連れて部屋を出ようとしており、膠着した場が動き出す。夜が何か行動を起こすなら今だろう。浅海はいつでも行動できるように夜に注意を向けた。
外に背を向け、佐藤は浅海たちを見ながら部屋から出ようと退く。右手の銃は変わらず夜の頭。左手で夜の左腕を掴み、外へと引っ張り出そうとする。
だが動かない。夜はその場を動こうとせず、佐藤は腕に力を込めた。
その時、閉じていた夜の眼が開いた。同時に世界は塗りつぶされる。
誰にも気づかれずに、誰も逆らえずに。
夜は頭を振って銃を自身の頭からずらした。佐藤は突然の夜の行動に驚きながらも、しかし慌てず照準を再度夜へと合わせるべく横にスライドさせる。しかしそこに夜はいない。確かにそこにいたはずなのに。
眼を見開いた佐藤の腕が突如として下から伸びてきた腕に掴まれた。下を向けば夜の姿。
佐藤は再び驚きに顔を染めた。自分は夜の腕を掴んでいたはずなのに、いつの間にか自分の左腕はスラックスのポケットに突っ込まれていた。こんな事は有り得ない。有り得るはずがない。だが、確かに腕はポケットにねじ込まれ、そして何かで固定された様にそこから取り出せなかった。
ハッとして佐藤は正面を向く。そこには二丁の拳銃が自分に向けられていた。
避けなければ。避けることができない。防がなければ。防ぐことはできない。自分はまだここで死にたくない。自分はここで死ななくてはならない。
思考が上書きされる。思考が新たな思考に塗りつぶされる。最初の思考が間違っているかのように添削されて訂正されていく。
一方で浅海もまた驚愕していた。自然に、極自然に自分の体は銃を構えていた。それは夜が動いたことによる反射的な行動では無い。何かに動かされているみたいに佐藤へと銃を向けた。その間に様々な可能性を考慮し、思案し、躊躇するといった過程の無い、まるで自分が操り人形になった様な奇妙な感覚。
浅海は顔を横に向けて未来の自分を見る。彼女もまた驚愕を浮かべていて、口を半分開けて眼を見開いている。きっと自分も同じ顔をしているのだろう、と被征服感の中で思った。
顔を佐藤に向けたところで浅海と夜の視線がぶつかる。夜は佐藤の腕をつかんだまま、じっと浅海を見ていた。
黒い瞳に吸い込まれていく。眼を見た途端にそんな感覚を覚えた。夜の中に飲み込まれ、自分が書き換えられる。だがそれを浅海は不快とは思わない。

(それが、アナタの本当の力……)

自分の意思が希薄になっていきながら、浅海は理解した。なるほど、これなら佐藤が自分よりも夜を欲したのもうなずける。未来を見るだけよりもよっぽど価値がある。彼が見ていた未来は、所詮この力からこぼれ落ちただけの残滓。自分なんかとはモノが違う。
指を掛けた引き金に力が加えられる。表情の乏しかった佐藤の顔が歪む。その下で夜の口が動いた。

「    」

音にならない言葉。けれど浅海は夜が何と言ったか分かった。
そして引き金を引いた。



「……殺したんですか?」

震える声で恵は誰ともなしに尋ねた。絨毯には二つの死体が転がっている。ルイーゼ、そして佐藤。二人ともほんの数十分程度の付き合いではあるが、会話を交わした相手だ。見知った人が目の前で死んでいる。ここに連れてきた相手ではあるが、同時に自分の命を救ってくれた相手でもある。複雑な心境で亡くなった二人を恵は見ていた。

「そうだよ。僕が殺した」

夜が恵に応えた。実際に引き金を引いたのは浅海と未来から来た森川。だがそうさせたのは他でもない自分だ。浅海たちはいわば銃。その引き金は夜自身の意思で引いた。初めて、自分の意思で人を殺した。その事実はひどく胸糞が悪い。夜は前髪を掻き上げて、気持ちを誤魔化すように恵に背を向けた。

「とりあえずここから出ましょう。増援が来る前にまずは榛名たちと合流するわ」
「うん、急ごう。あの二人なら大丈夫だと思うけど……」

佐藤をまたぎながら話していた夜だったが、不意にその体がよろめいた。壁に手をついて支えようとするも支えきれず、夜が崩れ落ちる。

「空深くん!?」
「だ、大丈夫。ちょっと疲れただけだから……」

浅海と恵、二人の声が重なる。それに夜は無理に笑顔を浮かべて応えてみせる。体をふらつかせ、それでも何とか立ち上がるがまたふらつく。恵は夜の元に駆け寄って夜の体を支えてやる。近くで見上げた夜の額は、びっしょりと汗で濡れていた。

「ずいぶんと体に負担が掛かるみたいね。空深くんの力は」
「空深くんの、力?」
「詳しい話は後よ。早くここから出ましょう」

恵とは反対側に潜り込んで浅海は夜の体を支え、部屋から通路へと出ていった。

「アンタも早く。置いていくわよ」

ただ一人部屋の中央で佇んでいた森川に声を掛け、三人は甲板へと向かう。急かされた森川は三人の後ろ姿を一瞥し、佐藤の死体を見下ろした。
そして三人の姿が完全に見えなくなると、黒いブーツでその遺体を強く踏み抜いていた。




「空深、浅海! それと森川嬢も無事か!」

三人が最下層からの階段を昇り終えると、ちょうど榛名とアンディの二人に出くわした。無事合流できた事に夜も恵も顔を綻ばせる。

「どこか怪我でもしたのか!?」
「大丈夫、誰も怪我はしてないわ。事情は後で話すからまずは脱出しましょう。状況は?」

一度夜を座らせ、浅海は榛名に問いかけた。榛名も浅海の言葉に小さく首肯し、状況を報告する。

「お前らと別れて敵を足止めしてたんだけどな、しばらくしたらアイツらどっか行っちまったよ。何か心当たりないか?」
「こっちで交戦した相手の一人が、増援が来ると言ってたわ。それと何か関係があるかもしれない」
「増援が届くまで積極的な戦闘を控えたって事か? にしたって不自然だな」
「何か他に言ってなかったんか?」
「あの……」

夜の汗を拭いていた恵が声を掛け、一同の視線が恵に集中する。鈍い頭痛を覚えていた恵は頭を抑え、三人を見上げながら告げた。

「早くここから出たほうがいいです。この船は……沈みます」

確信を以て恵はそう告げた。

「増援はおそらく増援じゃありません。きっと、ルイーゼさんたちをまとめて殺すためにココに来るんだと思います」
「それはつまり、『アナタの見た事実』なのね?」

恵はうなずいた。マジかよ、というアンディのうめきを聞き流し、自身もあまりの未来に立ちくらんだような錯覚を覚える。が、すぐに気を取り直して全員に指示を下す。

「なら急ぎましょう。空深くんを真ん中で榛名が前、アンディは殿を。きついでしょうけど、空深くんにはもう少しだけ頑張ってもらうわ」
「そ…れはいいけどさ、彼女は…どうする?」
「彼女? ココに全員いるはずだろ?」
「私ならここにいる」

声の方に榛名は銃を、アンディはいつでも電撃を放てるよう手を前にかざす。他のメンバーにとっては聞き覚えのある声であり、浅海は二人の前に立ちはだかって警戒を解くよう告げる。
階段から森川が姿を見せ、夜の隣にいる恵と全く変らない容姿に榛名とアンディは思わず二人の姿を見比べてしまい、その揃いに揃った反応に浅海と夜は苦笑し、恵は道すがら浅海の正体含めて彼女の事を浅海と夜から聞いていたが、自分と同じ姿の女性が目の前にいるのにまだ慣れず、何とも言えない表情を浮かべていた。

「大丈夫、彼女は『私』と同じよ」
「……そういう事かい。アンタだけじゃなかったんだな。まったく、今日はアタシの中の常識がどうにかなっちまいそうだね」
「え? 何? どういう事?」
「お前には後で教えてやるよ。ホラ、さっさと行くよ!」

榛名がアンディの尻を蹴飛ばして前を行かせる。その間に恵と浅海は夜を立ち上がらせ、森川に言った。「アナタはアンディの代わりに殿をお願い」
森川は黙ってうなずくと、夜たちの後ろに付いて歩き始めた。



誰しもが警戒しながら船の狭い通路を進んだ。来る時に刻まれた銃痕が壁や床のあちこちにあって、死亡した兵士たちが通路を塞いでいる。そこをまたぎながら上階へ向かう。
戦場を歩く。だけれども今は静か。六人を除いて生きている者は誰もいない。

「……静か過ぎるぞ、これは」
「ええ。もっと急いだ方がよさそうね。空深くんはどうかしら?」
「んっゲホッ……うん、もっと急いでくれても問題ないよ。だいっ、ぶ楽になってきた」

夜は笑顔を浮かべてみせるが、誰の目から見ても辛そうだ。皆がそう見ているのを感じたのか、夜は浅海と恵を自分の傍からどかせると、壁に手をつきながらも一人で歩き始めた。浅海はそれを見ても何も言わず、わずかに速くなった夜の歩調に合わせるだけだ。
恵は一歩退く。なぜだか分からない。けれども自分の脚は夜と浅海の二人から離れてしまった。そこにいるのは、紛れも無く自分のはずなのに。
キュッと胸が苦しい。心臓が縮んでしまったみたいだ。そんなはずは無いのに恵は思わず自分の胸を抑えた。浅海と自分は元は同じ。だけど、彼女はもう自分とは別の存在だ。夜の傍にいるのは浅海だけで十分だ。
でも。
夜の事を諦められるか。そう尋ねられた時に自分はうなずけるのだろうか。答えは否、だ。
前を見て、もう一度二人の姿を離れて眺める。そこに自分がいる姿を妄想する。
と、浅海が夜に気づかれないよう後ろを振り向いた。そこに恵がいることを確認すると、鼻で嘲笑った。フン、という鼻息が恵には聞こえた。
やっぱり彼女は自分じゃない。自分はあんなに性格は悪くないし、空深くんをアノ人になんてあげるわけにはいかない。ていうか、絶対に渡さない。
脚に力を込めて進む速度を上げ、夜と浅海の間に無理やり割って入る。むん、と浅海をにらみつけて次の瞬間には夜の方にニコ、と笑顔を見せた。浅海は、それを見て大きくため息をついて肩を竦めると一歩退いた位置を付いていった。
その様子を、森川だけが後ろから見つめていた。
最後まで誰とも出会わないまま甲板へ続く階段を昇り終え、榛名がそっと扉を開けた。瞬間、海風が中へと吹きこむ。階下へと強い風が流れ落ちて浅海の長い髪を揺らした。
身を低くして榛名が外へ。アンディが続いて周囲を銃を向ける。だが人影は、死体以外に無い。突入時に発生した火災はすでに鎮火し、風に乗って少し焦げ臭い。
アンディの合図を受けて夜たちは外に出た。火照って汗を掻いた額に風がとても涼しい。ずいぶん長い時間船の中にいたような気がしていたが、そうでもないらしくまだ夜明けは遠かった。

「急ぐぞ」

榛名に急かされ、船尾の方へ向かう。そこには、もし相手が何もしていなければ乗ってきた小さなボートがあるはずで、そうであれば話は早い。

「まあ、そりゃそうだよな……」

果たして、船尾には何も無かった。どれだけ海を覗き込んでも真っ黒な水面が見えるだけで、そこには自分の顔さえ映らない。恐らくはいなくなった乗組員たちが乗って行ってしまったのだろう。榛名は他にボートが無いかと見回してみるが、緊急脱出用のボートは全て姿を消していた。

「どうするんだ、浅海?」
「雨水を呼ぶしか無いでしょう。連絡は取れる?」

榛名が頷いてポケットから携帯を取り出し、鏡へ連絡を取るとすぐに返事が返ってきた。

「無事森川恵を救出しました。申し訳ありませんが船をこちらに回してください。おそらく時間がありません」
「だと思ってね、もう着いてるよ」
「え?」
「反対側を見てごらん」

鏡の言葉通りに今いる所と反対側の海面を覗く。そこには榛名たちが乗ってきた船があって、その甲板で鏡が手を降っていた。

「なんとなく終わりそうな気がしてね。迎えに来ておいたよ」

浅海は夜の方を振り向いた。疲労困憊の様子だが鏡の姿を見て安心した様子だが、まさかここまで含めて未来を塗り替えたという事だろうか。そんな思いで浅海は夜を見つめ、そんな内心に気づいたのか夜は浅海に微笑み返した。

「それじゃさっさとこんな場所から離れましょう。榛名とアンディは先に降りて空深くんと森川さんを受け取って」
「あいよ。んじゃ俺から行くぜ」

ロープを降ろしてアンディがまず船に降り、続いて榛名。夜は恵を先に行かせようとするが、恵は横に頭を振った。

「先に空深くんが行っていいよ」
「そうね、フラフラで今にも死んでしまいそうな空深くんを優先しましょう」

夜は何か言いたげに二人を見るが、夜自身も自分の状態を自覚しているため小さなため息を吐いて諦めた。ふらつく体にロープとカラビナを取り付け、船から船へと乗り移る。そしてゆっくりと降下していったが、着地の際にバランスを崩して倒れた。様子を見ていた浅海と恵は柵から乗り出すようにして慌てて下を覗き込む。
下では榛名とアンディが夜を抱き起こす。夜は自分の醜態に苦笑いを浮かべ、そして力の入らない腕に力を込め、上から心配そうに見下ろしてくる浅海と恵に向かって親指を立てた。

「心配掛けさせるのが好きな人……」
「まったくです」

二人してため息を吐き、そして互いを見合ってどちらとも無く笑いあった。
恵は思う。自分と浅海は同じ人間であって別の人間。それでいいのだ。こうして笑いあっている相手は自分と全く異なる性格で同一人物だと思うことそれ自体が無理な事。そしてだからこそ彼女と一緒にいたいと思った。友達でいたいと思った。
自分には友達が少ない。いや、いないと言っていいかもしれない。ずっと一人でうつむいていて、毎日が寂しかった。自分に魅力は無く、話しかけてくれる人もいないし、クラスメートと話が合うとも思えなかった。
対して浅海は、恵にとって魅力的な人間に見えた。美人で行動力があって落ち着いていて。口の悪さには眼をつむれば、転校してすぐに男子たちに人気なのも理解できた。サバサバとした性格も新鮮で心地良い。そして何より重要なのは、彼女も自分と同じく空深夜という人を好きでいる事。同じ相手を好きになったライバルだけども、その点に関しては自分と浅海圭は同じラインに立っている。対等な関係なのだ。そんな関係の相手は、家族も含めて誰もいなかった。だから、恵にとっても浅海は手放したくない存在だった。

「それじゃ次は……」

アナタの番よ、と浅海が続けようとするが、遠くから聞こえてきたローター音の方に注意を取られる。恵もそちらを振り向き、眼を凝らす。
バタバタバタ、と音を立てて何かが空から近づいてくる。暗い夜空のせいで恵はそれの正体が何か見当もつかないが、浅海は眼下の夜たちに向かって叫んだ。

「船のエンジンを掛けてっ! ガンシップよ!!」

その言葉に皆、色めき立つ。鏡は舌打ちして操縦室へ駆け込み、すぐに低いディーゼルの回転音がローター音に混じり始める。

「森川さんも急いで!」
「は、はいっ!」

事態は理解できていないが、緊急事態が起きたのは恵にも理解できた。浅海は急いで降下準備を始め、恵は浅海にされるがままになっていた。
と、浅海が手を止める。
それは予感だった。浅海自身には未来を見る力はすでに無いが、その力の残滓とも言うべき直感が浅海を動かした。恵に取り付けていたカラビナから手を離し、とっさに恵を甲板へと押し倒す。同時に、銃声が響いた。

「あ、浅海さんっ! 大丈夫ですか!?」

浅海の左脇から血が溢れ出して甲板を汚す。止めどないそれは傷口に触れた恵の手を汚して、恵は言葉を失った。

「……どう、ってことない、わ。さっき話した、でしょう……? 私は死なない…の」

内蔵の一部を傷つけたのか、浅海の口元からも赤い血液が溢れる。左手で銃を構え、よろめきながら浅海は恵を背中で隠しながら相対する。右手で唇の血を拭う。だが左脇を抑えた右手では白い肌を更に汚し、ベッタリと顎に掛けて血がこびりつく。

「それ、で……どういう、つもりかしら? ゲホッ……まさかとは思うけれ、ど、冗談で人を撃った、としたら今すぐぶち殺してあげるわ」
「私たちは死なないと今自分で言ったばかりだ。私にお前は殺せないし、お前も私は殺せない」

血塊を吐き出しながら宣言した浅海に、彼女――森川は笑うこと無く冷淡に言葉を返す。銃口は見た目は浅海に向けられて、しかしその実、浅海の背後にいる恵の心臓に寸分たがわず合わせられていた。

「だから私は彼女自分を殺す」

言葉が終わると同時に森川が発砲する。だが今度は浅海もそれを読んでいて、恵を強引に引っ張り倒しながらかわす。森川も読まれる事は織り込み済みか、発砲と同時に走りだし、逆手に持ったナイフで斬りかかる。鋭く一閃。金属音が浅海の耳元で響いた。

「意味が分かんないわよ! 私たちは森川さんを助けだした! このまま彼女を送り届ければ私もアナタも救われるのよ!? もう全て終わるの!」
「救われるのはお前だけだ」

結び合ったナイフと銃が耳障りな音を立てて拮抗する。だが力の入らない浅海は森川に徐々に押され始める。

「私は救われない」

浅海を蹴り飛ばし、恵を巻き込んで倒れこむ。その弾みに浅海は銃を落としてしまい、痛む体に顔をしかめながら森川を見上げた。

「例えこの場は助けられても同じ事の繰り返しだ。襲われて撃退して襲われて撃退して……私と奴らの闘争に終わりは無く、やがて皆死んで私は奴らに奪われる。榛名もアンディも雨水も、そして空深くんも……いなくなってしまう」
「そんな……アンタは……」
「何やってんだ!? 早くコッチに降りてこい!!」

下から榛名の叫びが聞こえてくる。銃声はエンジン音に紛れて聞こえなかったのだろうか、声の様子からはこちらの様子を把握できてないようだ。浅海はそう理解し、後ろの恵に尋ねた。

「森川さん、ガンシップはあとどれくらいで来そう?」
「ガンシップって、あのヘリコプターですか? ……たぶん後数分しか無いくらいです」

森川が恵目掛けて発砲する。浅海の頬をかすめ、また恵の頬もかすめた。

「ここで逃げたとしても待っているのは不幸しか無い。ならばここで私を殺せば何も起きはしない。誰も死なずに済む」
「アナタの未来ではそうなるのね……でもこの世界の未来が同じとは限らないわ」
「幸せな未来が待っているとも限らない」

もう一度発砲。今度は浅海の腹部に向けて。スーツのお陰で弾が刺さる事は無い。だが衝撃は浅海へと伝わり、浅海は大きく咳き込んだ。

「少なくとも私が生きている時よりも空深くんは幸せになれる」
「それで森川さんを殺すわけね。という事は、昨日空深くんと森川さんの繋いだ手を撃ったのも……」
「私だ」

ガンシップが頭上を一度頭上を通り過ぎる。耳を塞ぎたくなるほどの轟音と激しい風に、恵は顔を背けて眼をつむった。

「そう……森川さん、ちょっと下を覗き込んでみてくれる? 空深くんたちはここから真下にいるかしら?」
「う、うん……榛名さんとアンディさんがこっちに向かって手招きして叫んでます」

それを聞くと、浅海は薄く笑いを口元に浮かべて見上げた。いつもの皮肉めいたり嘲りを含んだりしていない、アクの無い落ち着いた笑顔。その笑顔は、森川にとって不気味なモノに映る。

「先に謝っとくわ。アナタと、そして空深くんに。本当は皆に謝らないといけないんだけど、代わりに森川さんが謝っておいてちょうだい」
「え?」

何をですか、と恵が振り向いて尋ねようとした時、恵の体がフワリと浮いた。浅海の姿が視界の下へと流れていき星空が現れる。と、急に船が現れ、次いで夜たちの姿が視界に入ると同時に衝撃が体に走った。

「森川っ!!」
「早く行きなさいっ!!」

落下してきた恵を榛名とアンディが何とか受け止める。夜も驚きながらも恵に声を掛け、頭上からの叫ぶ浅海を見上げた。

「早く行って! 森川さんをお願いっ!!」
「浅海……!」
「どけっ!!」

叫んでいた浅海が蹴り飛ばされて夜の視界から消える。代わって森川が夜たちに向かって銃を構えた。大ぶりな拳銃の引き金に掛かる指。だが引き金を引く力が込められることは無かった。

「早く行っけええぇぇっ!!」

蹴り飛ばされた浅海は甲板に寝たまま叫んだ。旋回して戻ってきたガンシップの姿をとらえ、その轟音に負けないように渾身の力で絶叫した。万感の想いを込めて咆哮した。
姿は見えなくとも、もう会えなくとも、想いは届く。鏡の操縦する船は走りだし、浅海から遠ざかり始める。小さくなる、壊れかけて動かないIHFLの船に向かって恵と夜もまた叫び返した。

「浅海さん!!」
「浅海っ!! 絶対、戻ってこい! 絶対、絶対にだぞ!!」

全力で叫んでも、もう直接その声は浅海には届かない距離だ。船のエンジン音とガンシップのローター音でかき消される。だが浅海は夜空を見上げて満足気に笑った。

「ははははははははっ!!」

声を上げて笑う浅海。その姿にユラリ、と月光で作られた陰が覆いかぶさった。

「テメェ……!」
「残念だったわね……」

浅海は嘲笑を浮かべ、わざとらしく神経を逆なでするように鼻を鳴らして森川を哂う。
そして銃声が一発。その腹部への一発で笑い声を止めると、森川は何度も引き金を引いた。
何度も何度も何度も何度も――
全て同じ場所へ打ち込みむ。耐えられなかったスーツを貫通し、弾丸は浅海の腹を貫いて血が流れだしていく。空からはガンシップの銃弾が雨のように降り注いでいた。

「テメェがテメェがテメェがテメェがテメェがテメェがテメェがテメェがっ!!」

冷徹な仮面を脱ぎ捨てた森川が憤怒に顔を歪めて穴の開いた腹を踏みつける。その度に浅海の眼は見開かれて体が跳ね上がった。

「わた、私が、ど、どれだけこの瞬間にか、賭けてたか分かるか? えぇ? なあ、森川恵ヨォ?」

怒りで震える手で意識もおぼろげな浅海を引き起こし、歯をカチカチと鳴らしながら睨みつける。

「何死にそうな顔してんだよ? テメェは死なねえんだろ? さっさとドテッ腹の穴を塞いじまえよ。また開けてやるから」

浅海の全身には力はすでにこもらない。それでも力なく口元を歪め、フフ、と笑い声を上げた。

「何がおかしいんだよ、テメェ?」
「アナタ、まだ気づいていないのね? それが……おかしいのよ。へそで茶が沸くくらいおかしくて……笑うな、と言うのが無理よ……」

尚も浅海はククク、と笑う。哂う。嘲笑う。穴だらけの体で哂う。船も同じく穴だらけになっていき、ボイラー室が爆発して船が傾いた。

「もう分岐点は通り過ぎたの……。未来は書き換えられて私たちの存在は消えるの。
 私の体を……見なさい。もう傷はふさがらない。私は……未来を手に入れたの」

それはアナタも同じ。
浅海がそうつぶやくと同時にパシュ、という空気の抜ける様な音がした。森川は腹部に感じた熱に、自分の体を見下ろす。
浅海のベルトのバックルがある。そこは今、浅海の手で開かれて煙が上がっていた。そこに零れ落ちる自らの血液。

「私と一緒にここで消えましょう……」

森川の背後で爆発が起きる。船は更に傾き、沈み始める。爆風にあおられ、森川は浅海に覆い被さるようにして倒れこみ、浅海は別の未来を辿った自分の体を抱きとめる。

「さよなら、空深くん……」

一際大きく船が爆発する。暗闇の海の中に鮮やかに火炎が立ち上り、辺りを月明かりよりも明るく照らした。
二人の姿は炎の中に消えていった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





世界は変わりそうで変わらない。だけどどこかで何かは確実に変化している。
毎日テレビから垂れ流されるニュースは同じものは何一つ無くて、だけども誰しもが抱く印象は何も変わらない。自身が過ごす毎日も一日として同じ日は無いのに、一日の終りとして抱く印象はやはり変わらない。
それでも時は瞬く間に過ぎていく。
初夏だった気候は梅雨の長雨を経て真夏の燦々とした陽光が降り注ぐようになり、若葉だった木々は今は緑々として時折陽光を遮ってくれる。
あれから二ヶ月。
僕らは驚くほどに容易くかつての日常へと戻った。
僕も森川も数日間風邪で欠席したことになっていて、二人とも同時にクラスに復帰したけど、元々クラスメートとの交流も少なかった事もあって周りの興味はあまり引いていない。真だけはお約束の様に何やら絡んできたけどとりあえず頭を殴って沈黙させてやった。まったくもって変わらない日常だ。
変わった事と言えば。
僕は自分の前の席を見た。そこはずっと空席になっていて、浅海は長期の入院している事になってる。復帰の時期は未定。もちろん入院先は誰も知らないし、僕も森川もそれが本当かどうかは知らない。たった数週間の登校でいなくなってしまった転校生に、最初はクラスを含めいろんなところで話題になってたけど、今はもう消えて彼女は最初から居なかったように誰もが振る舞う。それが日常だから。
僕も浅海のいない毎日にすっかり慣れてしまって、彼女の事を思い出す機会も段々少なくなってしまった。それが、僕が薄情だからなのか、それとも普通なのかは分からない。けれど、時折記憶の中の彼女が蘇ってきて、罵り混じりの会話ができないのが寂しいとは思う。なお決して僕にそういう性癖が無いことは、僕という個人の尊厳を完璧なまでに保護するために明言しておこう。

「空深くん」

終業式が終わり、一学期最後の登校日も終わりの時を迎えてクラスメートたちがザワザワと騒ぎながら教室から消えていく。その中で森川はかばんを両手で持って僕を待っていた。

「ああ、それじゃ帰ろうか」

僕らが無事に戻ってきて以来、僕と森川は生活を共にしている。場所は僕のあの愛すべきかどうか分からないアパート……では無くて、クロトが準備してくれた、セキュリティレベルの高い、世間一般には高級と呼ばれるだろうマンションだ。僕も森川もクロトに守ってもらっている立場で、そこまでしてもらうと何だか心苦しいし貧乏性でもあるので心地悪さもあるのだけど、「守りやすいから」と言われれば反論の言葉もない。森川と一緒に住む、ということで恥ずかしさもあったけど、もう慣れた。登下校も一緒だけど、からかうのは真とあかりちゃんくらいだし。

「あかりちゃんも楽しい夏休みを」
「おう、お前らも気ぃつけてな。あと『あかりちゃん』って呼ぶなっつってんだろ」

配布し終えたプリントの余りをまとめながら、あかりちゃんは周りに他の生徒がいなくなっている事を確認するとぞんざいに返事をしてくる。僕にとっては馴染みの深い口調だけど、森川は最初は驚いてたな。何せ普段他の生徒たちに見せてるのと違うんだから。
で、だ。

「それであか……三上先生、浅海は……」
「いや、まだ見つかってないみたいだ。私んトコにもそんな連絡は来てないぞ」
「そうですか……」

どうやらあかりちゃんもクロトの一員だったのにはさすがに僕も驚いた。とは言ってもあまりクロトとIHFLの関係について深く知ってるわけじゃなくて、どっちかって言うと協力者に近いらしい。僕らが欠席してる間に色々と便宜を図ってくれたのもあかりちゃんで、あかりちゃんのお陰で僕や森川は以前の生活に戻ることができたのだし、浅海に関する情報も逐一教えてくれてる。だからあかりちゃんにも頭が上がらない。そう言うと「バカ、教師が生徒の為に骨を折るのは当たり前だ」と言ってくれた。それが僕は嬉しかった。

「んな顔すんな。夏休み中でも何か分かればお前らにすぐに教えてやっから」
「お願いします」

あかりちゃんに再度頭を下げて学校を出る。セミの声を聞きながら慣れてしまった新しい道を森川と二人で歩く。今日もまた暑い。熱せられたアスファルトが陽炎を作り出していた。

「……もう二ヶ月になるね」
「そうだな……」

あの後、浅海がどうなったかは誰も知らない。だけど状況は見ていたし、到底あの状況で助かるとは思えない。はっきり言えば絶望的だ。雨水さんや榛名さん、アンディも諦めかけている。
それでも。

「たぶん、ホントにたぶんだけど、もうすぐ会える気がする」

なぜなら、僕は見たから。こんな暑い日に、こんな風に森川と浅海と三人で歩いている姿を幻想したのだから。
僕は僕の見たいものを信じる。例えそれが都合の良い妄想に近い願望のようなものだとしても、僕は僕自身を信じるんだ。だって、未来は誰も知らないんだから。

「まったく、人がこうして暑い中で顔が分り易いように日傘もささずに待ってやってるというのに気づかずに通りすぎていくなんてどういう眼をしてるのかしら? 一回くらい眼球を取り出して塩素系洗剤できれいに洗ったほうがいいんじゃないかと強くオススメするわ」
「……それよりも、久しぶりに会ったんだからもっと別に口にすることがあると思うんだけど?」

相変わらずセリフが長い。スルーしてしまったのは僕が悪いと思うんだけど、もうちょっと穏やかな言葉を吐けないのだろうか。でもそれが浅海らしいし、それでこそ浅海だと思ってしまう僕はきっともうだいぶ彼女に毒されてしまってるんだろう。
僕と森川、二人で顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。そして出来る限りの満面の笑みを浮かべて振り返った。
揺らめく陽炎の向こう。影が一つ僕らに向かって歩いてくる。近づいてくるのを僕らは黙って待つ。やがて、後一歩というところで彼女は立ち止まる。

「……ただいま」

照れくさそうに笑う彼女。色んな言葉が僕らの中に浮かんでくるけれど、きっと最初に言う言葉はこれで正解だろう。
もう一度森川と顔を見合わせてうなずき合い、僕らは声を揃えて彼女に言った。

「おかえりなさい」













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