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0th Bad Dream Believer(11/12/03)
1st 浅い空、深い海(11/12/03)
2nd Who Can Understand Me?(12/01/04)
3rd 普遍、不変(12/01/04)
4th You Are Not Me(12/01/29)
5th 狂々、繰々(くるくる、くるくる)(12/01/29)
6th Do You Love Me?(12/03/04)
7th 僕らの手(12/03/04)
8th Terminal(Bad Dream is over)(12/04/03)
9th 僕はここにいる(12/04/03)
10th No One Knows Everything(12/04/03)









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






-6th- Do You Love Me?





「私たちの組織――クロトにようこそ」

浅海はそう言って深々と、恭しく僕らに向かって頭を下げた。森川は呆然としていたけど、芝居がかった浅海らしくないそんな仕草に、僕はつい噴き出してしまう。

「……何よ」
「いや、まさか浅海がそんな事をするとは思ってなかったから」

クックック、とわざとらしく笑ってやると、浅海は顔を赤らめてプイッとソッポを向いた。やっぱり浅海自身も恥ずかしかったらしいけど、だったらやらなかったらいいのに。

「いいじゃない、好きでやってるんだから」

……なるほど、なら仕方ない。他所様の趣味に口を出す趣味は無いからね、僕は。しかしこれまた意外な趣味だな。どちらかと言えば浅海はこういう事をするのをバカにする方だと思ってたけど。
このまま浅海をつつき続けても面白そうだけど、下手に藪をつついて蛇を出しても仕方ない。真面目な方向に話を戻そう。

「悪い。それで、クロトって?」
「……未来予知者を保護するために作られた私が所属してる組織よ。運命を紡ぐ女神の名前を冠した……何よ、私だって恥ずかしい名前だって思ってるわよ!」

何も言ってないんだけどな。というか、クロトってそういう意味だったのか。言わなきゃ分からなかったのに、浅海も何を焦ってるんだか。

「あの……それで、そのクロトについてもうちょっと教えて下さい。それと、IHFLってあのIHFLですか?」
「んんっ……クロトは今言ったとおり、世界中に散らばる未来予知者を保護するために作られた組織よ。とは言っても人員はそこまで多くないわ。空深くんには前に話したけれど、私たちはそう迂闊に組織を大きくできないの」
「それは前に聞いたけど、何でだ? 目的を聞く限りは公にして、堂々とそういう人たちを保護した方がいい気がするんだけど……」
「できるならそうしてるわよ。でも未来予知者を集めます、なんて言ってまともに集まると思う? 誰も信じやしないわよ。そもそもそういう能力者は表に出てこようとしないし、それに未来予知者が欲しいのはどの国も一緒。そして、彼らは秘密裏に確保しようと動くわ。非合法な手段を用いてもね。夕べみたいに」
「でもIHFLは国じゃない」

脅威なのは国家の方のはずだ。どれだけ民主主義が発達し、人権が守られようとも時の権力者が本気を出せば誰にも気付かれず、疑問を抱かせず、時によっては本人にすら悟らせずに人ひとりくらいさらうなんてできるはずだ。どんな国でも暗部と呼べる箇所はあるだろうし、だからこそ国家が僕ら市民の脅威になる。例えそれが存亡の危機にある国であっても。
でも、浅海は国では無く、一企業を脅威と断じた。IHFL――国際生命科学研究所はニュースでも時折その名前を聞く程度には有名な企業だ。世界のいくつかに支社を持つ程度には国際的ではあるけれど、所詮その程度に過ぎない。

「まあ、そうよね。普通の人たちからしてみればそういう認識でしょうね」
「違うのか? それに例え僕の想像以上に巨大な企業だとしても、国の法を犯してまで誰かを誘拐するなんてリスクが大きすぎるはずだ」

そんな事が可能になるのは映画の中の世界だけ。現実にそれを実行するなんて狂気の沙汰じゃない。
けれども浅海は否定した。

「残念ながらそれを可能にするのが私たちの敵なのよ。IHFLが携わってるのは主に医療機器や製薬業界。たぶん空深くんや森川さんを始めとして世間の人はそう思ってるんじゃないかしら?」

浅海の確信を多分に含んだ質問に、僕と森川は首肯する。

「でも実際はそれだけじゃないわ。例えば、空深くんの冷蔵庫に入ってる冷凍食品もIHFLの子会社が製造・販売してる」
「……マジで?」
「ええ、大マジよ。それから大手外資のI&G保険、空深くんの大好きな、そこにあるコーヒー飲料も販売してるし、世界中で病院も経営してるわ。表向きは完全な別会社だけど。医療と食品、つまり、IHFLは私たちの生活に密接に関わる分野をほぼ支配してると言える。付け加えると、世界の主要国の国会議員に莫大な資金援助をしてるし、息の掛かった人間が何人も国の中枢に入ってる。当然、日本にも。人ひとりの誘拐に眼をつむるなんて訳ないでしょうね」

何と言えばいいのだろうか。敵がそんなに強大だったとは想像してなかったよ、さすがに。

「何か言いたそうな顔ね。良いわよ、言ってみなさい」

だからこそ疑問が湧く。そこまで、それこそ世界を支配してると言っていい企業が、ただ未来を見えるだけの人間をリスクを犯して集める理由が分からない。暴力的手段に出てももみ消すことは確かに可能だろう。けれどそれは誰かに借りを作ることに他ならなくて、それが積み重なると綻びが生まれて自らの地位を崩すことに繋がるだろう。メリットとデメリットが、僕の眼からは釣り合ってるようには見えない。

「IHFLが何を目的にしているか、それは私には分からないわ。私から見たら取るに足らない、つまらない目的かもしれない。逆に誰もが理解を示す崇高な使命を持っているのかもしれない」

けれど。
伏せ気味だった顔を上げ、視線鋭く何かを睨むかの様にして僕を射ぬく。

「彼らが力で以て自分たちの願望を果たそうとするのであれば、私は私の全力で私の願いを果たす。それだけよ。何を犠牲にしても私には成し遂げたい願いがある。だからアナタたちにもいっぱい協力してもらうからそのつもりでいなさいね」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





浅海の話が終わって、しばらくして僕はアパートから出た。浅海が話してくれた内容は想像以上に重大で、僕としても協力を今更惜しむつもりは無かったけれど、一度頭の中を整理する必要があった。

それは森川の方も同じであって、彼女も自身のウチへと帰っていった。僕も付いて行こうか、と申し出たのだけど、一人で帰りたいとの事で僕は森川をアパートの入口で見送る事になった。昨日の今日であるから一人で帰らせるのに不安はあったのだけど、浅海が言うにはこれからは二十四時間体勢で森川の護衛が付くらしい。これまで僕と浅海が森川を監視していたのは人手不足が原因らしい。

「仕方なかったのよ」

森川がいなくなった、二人だけの部屋の中で浅海がそう漏らした。

「森川さんが誘拐される可能性は、私にとってはそれは確実な未来だったけれど、その事を周りに納得させるだけの材料を持っていなかったから。他に優先して保護すべき人物がいて、他のメンバーはそっちの保護に動いていた。だから私と榛名しか森川さんの保護に付けなくて、とても二十四時間体勢なんて無理だったのよ」

歯がゆそうに眉間にシワを寄せて浅海はそう話してくれた。

「浅海は未来を知ってるんだろ? なら、浅海にその未来を教えてくれた人を証人として提示すれば良かったんじゃないか? どうやって誰を保護すべきか判断してるのかは分からないけどそうすれば……」
「それは不可能よ」

僕の提案をバッサリと浅海は切った。「可能だったら良かったんだけど」そう言って浅海は口をつぐんで、僕も浅海が提示出来なかった理由があるんだろう、とそれ以上追求をしなかった。立ち上がって僕は考えをまとめるために、部屋を出た。

そうして今、僕は公園のベンチに座って空を眺めている。目覚めが遅かったからだろう。起きて浅海の話を聞いただけだったけど、もう太陽はだいぶ傾いていた。まだ夕焼けには早いが、腕時計を見るともうすでに三時を回ってる。部屋を出たのが一時過ぎだったから、ずいぶんこうしてボーっとしてしまったみたいだ。
これからどうなるのだろうか。風のせいで目元に来た前髪を払いのけて、ベンチの背もたれに体重を預ける。
まず、僕らはいつまで戦い続けなければならないのか。浅海の目的は森川を救う事だと言っていたけど、漠然とし過ぎてる。昨日みたいに、森川が誘拐されそうになった時に妨害すればいいのか?だとして、いつまでそれを続ければいい?森川はもうコチラ側が確保したのだから、どこかに隠れて逃げ続けなければならないのか?だとしたらもう今の生活を捨てなければならない?僕はいいとして、森川の両親がそんな話を信じるとは限らない。
ダメだ。まだ分からない事が多すぎる。肺の中の息を吐き出して眼をつむる。
ここで考えてても仕方ない。教えてくれるか分からないけど、そこは浅海本人に聞いてみるのが早いだろう。
そう自分の中で結論づけて、僕は公園の中を見渡した。公園をグルリと囲むように常緑樹が植えられてて、夏前の生温い風がザワザワと音を立てる。緑を通過してきた風が少し涼しい。地面には一面に人口芝が張られて、日曜日の公園にはどこかの親子連れがのどかに過ごしてて、僕はそこから眼を逸らす。その方向には小学生らしい子供たちが数人でサッカーに興じてるのが見えた。

(子供は無邪気だな……)

楽しげに、何の辛いこともなさそうな子供たちを見てるとそんな感想が自然と浮かび上がってくる。どこのくたびれたお父さんだ、僕は。
でも、その感情はごまかせない。表に出さないだけで、僕はもうずっと周りを羨んで生きてきているのだから。
僕は子供が嫌いだ。彼らは自分を疑わない、疑うという概念を持っていない。何でも自分ができると思ってるし、特殊な環境に置かれていない限り自分が世界から愛されていると理解している。自らをひたすらに肯定して、自分の才を信じている。だから嫌いだ。妬ましいと言ってもいい。
もちろん、僕にもそんな時代があったんだろうけれど、そんな事を自覚しているからといってこの気持ちに何の影響があるかと問われれば、ゼロだ。何も無い。
そしてそんな気持ちを森川にも抱いてしまう僕がいる。
彼女は子供じゃない。むしろ僕より大人だろう。自分の力不足を自覚し、それでもあがける人種だ。転んで、立ち止まってもきっと前に前にと進んでいくだろう。昨日気づいてしまった様に、彼女は僕とは違う。だから妬ましい。同じ能力を持ちながら歩いて行く未来がまるで異なった、その事実が、僕には辛い。彼女にも僕にも同じ未来を見せてやりたい、同じ無力感を味あわせてやりたいなんて、そんなひどい考えさえ頭を過ぎってしまう。
眼を閉じて大きく息を吸い込む。静かなざわめきが聞こえ、子供たちの歓声が、道行く車の声が消えて行く。そうすると自然と森川の顔が浮かんできた。
大丈夫、まだ僕は頑張れる。まだ、まだ僕は森川の未来は見ていない。それでいい、そのままで。だから僕は森川に手を貸せる。森川を救けることができる。未来視なんて能力を使わなくても、僕は誰かを救える。これからそれを証明しよう。

「ほーらー、もう帰るよー」

遊んでいた子供を呼ぶ親の声が聞こえる。元気よく返事をして、母親の元へ走っていき、残りの子供たちに一方的に別れを告げる男の子の姿が見えた。それを見て僕もベンチから立ち上がり、公園の出口に向かって歩き始めた。
相変わらず人の少ない路地を、僕はみんなとは逆方向に歩く。大きなビルに飲み込まれる様に歩く人たちに背を向けて、僕だけはいつもの古い建物が残る我が家へと足を進めた。
ポケットに手を突っ込んで背中を丸めて進み始めたその時、ポケットの中の携帯が振動して指に伝わった。

「はい、空深です」
「もしもし!? 今、どこをほっつき歩いてんの!?」

焦った浅海の叫び声がスピーカーから聞こえ、耳にキーンと響いて僕は思わず携帯からのばしたイヤホンを耳から離した。その間にも浅海から罵詈雑言らしき暴言の数々が絶え間なく隙間なく容赦無く飛び出してるみたいだけど、僕が何かしただろうか?ただ公園のベンチに座ってただけだし、まあちょっちばかし長居したかもしれないけど。
やがて浅海の声が途切れ、代わりに息切れの音が聞こえてきたところで再度イヤホンを耳に付けて最初の質問に答える。

「ずっと近くの公園にいたけど、何かあったのか?」
「何かあったどころじゃないわ! 緊急事態よ! 森川さんが消えたのよ!!」

足が止まった。ちょっと待て、森川がいないってどういうことだよ。ずっと護衛が傍に付いてるんじゃなかったのかよ。
つい大声を上げてしまいそうな衝動を堪え、詳しい事情を浅海に尋ねようと口を開きかけたけど、浅海の方から制止が入る。

「もうすぐそっちに着くからノロマな空深くんはそこでちょっと待ってなさい!」
「ちょっと待ってろって……」

確かに家の近くだけど、走っても五分は掛かる。状況は分からないけれど、そんなのんびりしてていいのかよ。
だけど浅海はその疑問に応えずに「もう着くから」とだけ言った。それと同時にどこからか低いエンジン音が響いてきた。何だ、と思う間もなく角から真っ黒なバイクが現れて金切り声にも似たブレーキ音を轟かせて僕の目の前で止まる。そして、フルフェイスのヘルメットを僕に放り投げた。

「早く乗りなさい!!」

全身を黒で固めた浅海がヘルメットのガードを上げて、叫ぶ。メットの中から覗く鬼気迫った視線に気圧されて僕は慌ててヘルメットを被る。四〇〇ccバイクの後部シートに跨り、昨日の夜に見た真っ黒の戦闘服に身を固めた浅海の腰にしがみつく。

「しっかり捕まってなさい!!」

浅海の声に応える様にバイクが唸り声を上げる。そして浅海はギアを入れ替えて一気にスロットルを開くと急な加速度が後ろに掛かる。かと思えばバイクが一気に傾いて速度を保ったままに角を曲がり、静かだった町の路地を一気に走り抜ける。

「ちょっ、浅海! 飛ばしすぎだ!!」
「うっさい! しゃべってると舌噛むわよ!」

繋がったままの携帯インカム越しに苦情を言ったところで浅海は運転を変えるつもりは無いらしい。右へ左へ頭をシェイクされながら小道から国道へと一気に躍り出る。後輪タイヤを滑らせてメットの外からはゴムの焦げた匂いがしてきそうだ。
その代わりじゃないだろうけど、背後から急に割り込んできたバイクに対する抗議のクラクションが聞こえてくる。それを無視してスロットルをひねる浅海の代わりに、何だか僕の方が申し訳なくなって、小さくなる後ろの車に頭を下げた。

「そろそろ説明してくれ! 森川が消えたってどういうことだよ!?」
「言葉通りよ! 奴らにしてやられたのよ!」

悔し気に歯噛みする音がイヤホンから漏れ聞こえた。話しながらも浅海の運転する、明らかに法定速度を無視したバイクは車と車の間を縫って前へ前へと進んでいく。

「してやられたって……護衛は!? まさかやられたとか!?」
「いいえ! こっちの損害はゼロよ!」
「ならどうして!?」
「森川さんは売られたのよ!! あのクソッタレな親どもにね!!」

まさか。そんな馬鹿げた話があるというのか。

「森川さんが家に帰りつくまでは姿を確認してるし、帰り着いてからも彼女がいつ外に出ても良いように監視はしてたわ。さすがに家の仲間では監視するわけには行かないから、彼女の部屋と出入り口を見張ってたんだけど、榛名とアンディが見張っていたの。その間に森川さんが出た痕跡は無かったけれど、一組だけ来客があったの」
「その来客がIHFLの奴らだったって事か?」
「そう。榛名の話によれば極々普通のサラリーマンの様だったらしいわ。上下スーツ姿で手には大きいトランクケースを持った男二人組。親が普通に迎え入れてたらしいから、多分事前に連絡がいってたんでしょうね。一時間後ににこやかな様子で男と親が玄関まで出てきたらしいの。おそらく、トランクケースの中に眠らせた森川さんを入れてたんでしょう。ちなみにその間、森川さんの部屋に彼女の姿は無かったのは確認済みよ」
「状況は分かった。でも本当にトランクの中に森川がいるって保証はあるのか? その榛名さんとか言う人がたまたま外出する森川を見落とした可能性は?」
「それは無いわ」

浅海は断言した。バイクは国道から高速へ入って一気に加速する。駆け抜けていく風が寒い。景色は防音壁が両脇を挟んでてどこまで進んでも変化が無さそうだ。

「不審に思った榛名が家の中に忍び込んだの。そこで彼女の両親の話を盗み聞きしたわ。
 二人とも嬉しそうに話してたそうよ。『邪魔な子だったけど高く売れてくれて、最後の最後に役に立ったわね』って」
「なんだよ、それ……」

僕の父さんも母さんも良い人だった。普段構ってやれないからって言って、僕と遊ぶために仕事で疲れてるのに車を運転して、そして死んだ。僕が殺してしまった。だと言うのに、森川の親は森川を金で売ったって言うのか。そしてその金でのうのうと生きていこうなんて考えてるのか。
浅海の腰を掴む両手に力がこもる。怒りで震えて震えて、全身が強張る。

「痛いわ」

イヤホンからのその声に我に返る。浅海を離してしまわない程度に力を緩めて、「ゴメン」と謝った。それに浅海は応えずただ「続けるわね」と言って話を再開した。

「森川さんの両親はね、本当の親じゃないのよ」

それでも子を売ることが許されるわけはない。けれど、心情として実の親が子を売るよりはまだ受け入れ易いからか、まだ僕も落ち着いていられる。

「彼女の本当の親は幼少期に相次いで病死したわ。それから彼女は今の両親に引き取られたの。今の親は森川さんの曾祖父母の孫に当たる、遠い関係になるわね。本当は引き取るつもりが無かったらしいけれど、短命家系のせいか他に親族がいなかった事と世間体を気にして養子として迎え入れた。当然、家族としてうまくいくわけないわよね」

心なしか、そう話す浅海の口調は感情に乏しい、機械的な感じがした。だけどどこか淋しげな感情だけがわずかに零れ落ちてる。

「それでも森川さんは何とか両親との関係を良好なものにしようとしたわ。おとなしい性格の彼女だけど、新しい親に気に入られようと無理に明るく振舞ったり、家事の手伝いも積極的に申し出たわ」
「森川らしいな……」
「けれど、関係の改善なんて双方から歩み寄って初めて成し遂げられるものであることくらい、空深くんにだって分かるでしょう? 親たちはそれを拒み、関係は冷え切ったまま。むしろ悪化していったわ」
「どうして?」
「森川さんが愚鈍だからよ。ええ、愚か者と言っていいわ。片方が歩み寄る気が微塵も無いのに、彼女だけが歩み寄る。そうすれば歩み寄られた方はより離れる。そんな事にも気づかない程に彼女は愚かなの。だから距離は離れる一方だわ」
「そんな言い方ないだろ。例え義親だって子が近寄りたいと思う感情は当然じゃないか」
「じゃあ聞くわね、空深くん。アナタが大嫌いな、それこそ顔も見たくないような人がいて、相手が執拗に空深くんにつきまとってきたらどう思うかしら?」
「それは……」
「ネガティブな感情は生まれても、決してポジティブな気持ちは生まれないわ」 「だから、だから森川の親は森川をIHFLに売ったっていうのかよ?」
「さて、どうなのかしらね。私は森川さんの親じゃないからそんなのは分からないわ」
「そうだよな……」

浅海に当たったって仕方ない。他人の思惑なんて他人にはうかがい知れないものだ。話だけ聞いてれば、非常に腹立たしくて森川の親を殴り飛ばしたいけれど、森川を売ったのだって苦渋の決断だったのかもしれない。有り得ない想像を無理矢理にでもして気分を落ち着ける。
それよりも森川の行方だ。きっと浅海のことだから、森川を連れ去った奴らがどこにいるのか把握してるんだろ?

「奴らにはアンディが尾行してるわ。念の為、榛名が指示したみたいだけど、彼女の読みが当たったわね。逐時報告は受けてるけど、森川さんは今、高速を北上して日本海側に向かってるわ。おそらく、そこから船を使って海外へ連れ出すつもりなんでしょ。もしそこまで行ってしまったら、森川さんの救出は困難になるわ」
「なんとか……なりそうなのか?」
「なんとかならなくてもなんとかしなければならないのよ。森川さんがIHFLの手に完全に渡ってしまう前に彼女を助けださなければ、私たちの敗北。ここまでの苦労は水の泡になる。幸い、まだ手の打ち様はあるわ」

なんとかする、か。その通りだけど、なんとかなるのか。浅海の中には何か算段があるのだろうか。

「……正直なところ、強引な手を使って森川さんを取り返すってくらいしかまだ思いつかないわ。森川さんが運び込まれるところを急襲して、どさくさ紛れに奪い返すか、船が出た直後に忍び込んで強奪するか……」
「無理を通して道理を引っ込ませるしかないってところか……」

僕の漏らしたつぶやきを肯定するかの様に、浅海は更にスピードを上げる。表示された、速度制限を示す「80」の文字が鮮やかなラインを描いて後ろへと過ぎ去っていく。
太陽は傾いて夜の気配が少しずつ近づいてくる。曲率の大きい緩やかなカーブをスピードを落とすこと無く曲って、西日を左手から浴びながら関越道を下っていく。道路に車は少なくて、僕らのバイクは遮られること無く風を切って進む。
前触れは無かった。けれどもあり得ることだった。
浅海のプロテクトスーツを強く掴み直した時、世界が歪んだ。目の前の浅海のヘルメットが、中央から渦を巻くようにして歪んでいく。
視界全体がグルグルと周り、前後上下左右、全ての感覚がデタラメに混ざり合う。
昼が夜に変化し、夜が昼に変わる。過去と未来が交差して、僕という存在が減速して加速する。
バラバラになる。僕がバラバラに砕ける。砕けた僕という存在が散って、また集められて再構成される。
そうして僕はコンクリートが敷き詰められた海辺に立っていた。周囲には倉庫が林立し、無人のはずなのに辺りにはいくつもの人影があちこちに散っていた。
波止場には小さな、漁船の様な船が停泊してる。大部分の灯りを落として、まるで目立つのを嫌がっているかのように微かなライトだけを点けてかろうじて存在を証明してる。
その中で見た世界は映画の世界の様だった。昔に家族で少しだけ見た任侠映画みたいに連続して銃声が鳴って、自分の体を通過した銃弾が金切り声を上げて叫んでいた。
本来は静かなはずの倉庫街に、日本では起こりえない景色が僕の周りを染め上げる。弾丸に貫かれた男が一人倒れる。その銃弾を放った男がまた別の銃弾に倒れる。
現実味の無い命の香りが、透明の僕の鼻をくすぐってむせ返りそうになる。
見覚えのある金髪の男が広場に躍り出る。昨夜僕らを助けてくれた男だ。浅海と同じように全身を黒い戦闘服で固めて、足元には頑丈そうなブーツ、上半身には防弾用だろうプロテクターを装備した男が手を前に差し出して何かを叫んだ。
次の瞬間には男の手から眼を焼ききる程の明るさを持った雷がほとばしった。光速で飛んでいったそれは瞬きをする暇もなく一瞬で相手側に着弾して、強烈な爆裂音と同時に近くにいた黒ずくめのスーツの男たちを吹き飛ばした。爆風が僕のところまで押し寄せて、僕には関係ないはずだと、僕の中の冷静な部分の囁きも無視してつい顔を両腕で覆ってしまう。
そのまま待つこと数秒。そっと腕の隙間から覗き込んだそこには、直径数メートルのクレーターができていた。アンディさんといっただろうか、彼は得意気に、まるで銃口の煙を吹き飛ばすみたいに手のひらに息を吹きかけているけれど、その後ろからは女の人の罵声が飛んできていて、アンディさんはバツが悪そうに首を竦めてた。
その合間に、影から一人が飛び出した。長い髪を後ろで束ね、身を低くした体制のまま掛けていく。銃口をまっすぐに正面に構えて、視線鋭くアンディさんの攻撃でできた空白の時間を走り抜ける。
その後ろを誰かが駆け抜ける。けれどもそれが誰かはパッと見で僕にはわからなかった。姿全体に靄のようなものが掛かっていて、そこに誰かがいるのは分かるのにそれが誰かが判別できない。だけど、それが誰であるかはすぐに分かった。
前を走るのは浅海。ポニーテールを揺らしながら走るのが彼女なら、そのすぐ後ろを走ろう者が誰であろうかは愚鈍な僕でも分かろうというものだ。
彼女らが走り抜けていく、その行く先を眼で追う。
そこには彼女がいた。森川は男に手を半ば強引に引かれ、バランスを崩しながら船へと掛けられたタラップを渡っていた。
近づいてくる浅海たちに気づいた、森川の手を引く男が拳銃を取り出して浅海に向かって銃口を向ける。アンディさんの攻撃に、倉庫の壁に隠れていた男たちも姿を現して浅海に銃を向け、戸惑うこと無く引き金を引いた。
浅海は倒れた。頭から血をまき散らしながら仰向けに倒れ、だけどもその直前に手に握られた何かを放り投げていた。
次の瞬間、付近が眩い閃光に包まれる。眼を開けておくのも困難な程に真白な光が全てを巻き込んで、黒を白へと染め上げた。その中で靄だけが動いてた。
靄が森川の手をつかむ。薄汚れた手のような物が靄から付き出して、青白い森川の腕を掴んで、そして離れた。
後には何も残らない。立ちすくむ僕の視線の向こうで、靄と森川は一瞬だけ触れて、だけどそれだけだった。

再び世界が回る。グチャグチャに、持っている全ての色を混ぜ合わせたかのようなマーブル模様が僕を覆い隠して、それ以外に何も見せはしない。五感が奪われて変換されて返還される。
気づけば、僕の眼はまた浅海の黒い背中を映し出していた。

「どうかしたの?」

イヤホンから浅海の声が聞こえてきて、僕は現実を知った。腕時計を見てみても時間は数秒しか経っていない。西日は厳しく、ヘルメットの外からは変わらず風切り音が聞こえてくる。
今見た光景も全て幻で、だけど現実。起こりうるだろう確実な未来が絶望的な気分を僕にもたらす。
見てしまった。ついに見てしまった。恐れていた事が起きた。ずっと考えないようにしてきた、森川の未来。彼女を救けるために僕らは動き、そして一度は救うことができたのに、僕らは、僕の手は届かないのか。
僕が見た未来で、僕の手は森川に届かない。わずかに触れるだけで掴むことはできない。
未来を僕が見てしまった以上、それはもう確定事項。どれだけ僕らが努力しても、その確定した未来は覆せない。
また、救えない。その事実が僕の体から力を奪い去っていく。

「未来を……見たのね?」

浅海の問いかけに応える気力も出ない。それでも浅海には伝わったみたいで、「そう……」というつぶやきが聞こえてきた。

「まだよ……私は信じないわ。空深くんが見た未来が絶対だとは、私は信じない」
「僕だって信じたくない……けれど、事実なんだ」
「アナタの事実と私の事実は違うわ。空深くんは未来を覆せないと信じてるみたいだけど、私は未来は変えられるものだと信じる。そのためには大きなエネルギーが必要だけど、私たちならできるわ。それを証明してみせる」

浅海はそう言うけれど、僕はそれを信じられない。今まで散々失敗してきたんだ。今度が成功するなんて思えない。
成功するか、失敗するか、見せてもらおう。
そんな思いをよそに、僕を乗せたバイクは北へと進んでいく。
森川を救う。そのために僕らは動いている。なのに、どうしてだか僕は心のどこかで失敗を望んでいるみたいで、そんなはずはないと僕は首を振る。
遙か向こうの空がくすんで見える。その空を見たくなくて、僕はヘルメットを小さいはずの浅海の背中に押し付けた。











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