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0th Bad Dream Believer(11/12/03)
1st 浅い空、深い海(11/12/03)
2nd Who Can Understand Me?(12/01/04)
3rd 普遍、不変(12/01/04)
4th You Are Not Me(12/01/29)
5th 狂々、繰々(くるくる、くるくる)(12/01/29)
6th Do You Love Me?(12/03/04)
7th 僕らの手(12/03/04)
8th Terminal(Bad Dream is over)(12/04/03)
9th 僕はここにいる(12/04/03)
10th No One Knows Everything(12/04/03)









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






-4th- You Are Not Me





空は憎らしいほどに晴れ。夏の到来を告げる太陽は燦々と僕に向かって降り注いでいて、それでいてまだ夏の到来には程遠いとばかりに風は涼やかだ。日本の代名詞の一つとも言える梅雨の到来もまだで、だけども直射で日光が当たるといつの間にか日焼けしてしまいそうなほどに紫外線は強い。

「シミができちゃったらどうしよう……」

近くで誰も僕に注目していない事を良い事に一人寂しくボケをかましてみるけど、今もっとも突っ込んでくれそうな浅海はそばにいない。なぜなら僕は待ち合わせをしているからで、その相手は喜ばしいことに毒を吐きまくる浅海では無い。

「人ばっか……」

駅を出て、どこにいたんだよ、とぼやきながら人が溢れている街中を歩く。人ごみは苦手で、いるだけで気分が悪くなるけど、それを抜けると海が近いせいか、潮の香りが漂ってくる。淡水と海水が入り交じる河口の近くを進んでいくと、大きな観覧車が見えてきた。更に近づくとジェットコースターから甲高い悲鳴が断続的に響いてくる。

「しっかし、遊園地でデートねぇ……」

遊園地自体久々で、デートなんて正直初めてだ。僕なんかとデートなんて物好きだな、なんて考えながら待ち合わせ場所に向かう。
待ち合わせ場所は遊園地の入り口。中と違って入口近くには人はそんなに多くなくて、だから本日僕とデートしてくれるという奇特な人物もすぐに見つかった。

「森川ぁー!」

名前を呼んでみるけど、呼ばれた本人からの反応は無くて、ボーっとして正面より少し上を見てる。何があるんだろう、と思って視線の先を追いかけてみるけど、そこには別段何も珍しいものは無くて、つまらないビル群があるだけ。

「森川」

近寄ってもう一度声を掛けてみるけどやっぱり無反応。もしかして人違い?とか思って失礼ながら森川(らしき人)の顔をマジマジと見させてもらうけど、どう見ても森川にしか見えない。表情以外は。
この上なくとんでもなく最上な幸せを見つけたみたいに顔はにやけてだらしなく口を開け、マンガとかアニメとかだと森川のところだけ光が差し込んでキラキラと頭の周りに天使が回っている感じだろうか。まったく何を想像してそんな表情をしてるのか知らんけど。
そのまんまアヘアヘと妄想に浸ってるだろう森川を観察し続けるのも、帰り道を監視するのと違って面白そうではあるのだけど、一向に話が進まなそうなので肩を叩いて森川を正気に戻す。

「えっ! はっ、そそそ空深くん!?」
「まあそうだけど」

僕に見えないのなら眼科に行くことをオススメしよう。

「……いつから見てた?」
「五分くらい前から」

そう言うと森川は顔を、それこそ湯気が出そうなくらいに真っ赤にして俯いた。そしてガックシと両手を地について項垂れた。
予想以上の落ち込み具合だ。そんなに見られて恥ずかしいものだったのだろうか。ともかく、こうして地面に向かって挨拶し続けてる森川に対して何て声を掛けていいか分からないけど、何となく言葉が浮かんでみたから掛けてみることにする。

「……笑えば良いと思うよ?」
「笑えないよっ!!」

予想以上にいいツッコミが返ってきた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





さてさて、何とか立ち直った森川と一緒にリクエスト通りに遊園地に入ったわけだけど、早々に乗り物に乗るのは諦めた。それは何故かと言えば偏に森川の三半規管に多大な問題があったわけで、森川がせがんだから乗ったジェットコースターに速攻でノックアウトされたわけで。
なもんだから乗り物に乗るのは止めて、森川は今は日陰になってるベンチで休んでる。僕はと言えば、売店で売ってた冷たいジュースを持って森川の元に歩いてた。

「森川」

名前を呼ぶと横になってた森川が体を起こして、濡らして顔に掛けていたハンカチを取る。メガネを外してるからだろうか、眼を細めて僕の姿を確認すると訝しげに尋ねた。

「……空深くん?」
「そうだよ。ハイ、オレンジジュースで良い?」
「あ、うん。ありがとう」

森川にジュースを渡して隣に座る。両手でカップを持って森川はチビリチビリと飲んでいく。顔色はまだ少し悪いけど、その顔は少し嬉しそうだ。それが何となく嬉しくて森川の顔を見てると、ふと気づいた。

「ふぅん……森川も泣きボクロがあるんだ」

普段はメガネに隠れてるのか気づかなかったけれど、左目の下に小さく可愛らしくホクロがあった。森川は指でホクロに触れると、恥ずかしそうにはにかんだ。

「そう言えば浅海さんにもあったね」
「よく分かったね。浅海の事を言ってるって」
「たまたまだよ。浅海さんが転校してきた日に、『キレイな人だな』って思って見とれてたら気づいたの。私と一緒だなって。あ、私なんかと比べられたら浅海さんもイヤだよね?」
「そんな事ないと思うけどね」

口では否定しつつも否定しきれないのがツライとこだな。さすがに森川には面と向かって言わないだろうけど、どうも浅海は森川を嫌ってるフシがある。
以前と比べて森川と接する機会が増えてきたけど、僕の近くには何故か浅海がいるから自然と浅海と森川が顔を合わせる事も多くなる。登校時間が重なる所為か、森川と廊下で毎朝一緒になって挨拶を交わすのだけど、浅海の森川に対する挨拶が心無しぞんざいに感じられる。
それに、この前、浅海が森川を見失った日もそうだった。
森川とデートの約束をして、森川が屋上から姿を消したのと入れ違いに浅海は戻ってきた。たぶん階段を駆け上がってきたんだろう、息を切らせながら携帯を片手に落ち込んでいた。顔を真っ青にして、まるでこの世の終わりがやってきたみたいな表情をしてるから僕が、森川がココにやってきた事を告げると、浅海は力が抜けたように大きく息を吐いた。
そして何故か僕が蹴られた。

「気にしないで。ただの八つ当たりよ」

蹴られた僕としては溜まったもんじゃないけど、怒りに満ち満ちて閻魔様でさえ尻尾を巻いて逃げそうな、とても形容できない、女性としては残念すぎる顔を見て抗議の声を引っ込めた。誰だって自分の命は大切だ。

「……ったく、あのバカ女は……」

浅海は言い捨てた。そうは言いつつも実はホッとしてるんだろ、なんて思いながら顔を見たけど、その予想は外れていた。心底苛立ったように森川の家を睨みつけて、盛んに舌打ちを続ける。
今の浅海にデートの事を伝えたらどんな反応をするだろうか、と半ば自殺願望じみた好奇心に駆られて伝えてみる。そして案の定蹴られた。股間を。

「ふんっ! まあいいわ。あの女とデートでも何でも勝手にしなさい。その代わり、有事の際には空深くんが彼女を守るのよ」
「……事は森川の家の前で起こるんじゃなかったのか?」
「ええ、私もそう思ってたわ。でも今日の事で私が知ってる未来通りに事が起こるとは限らないって分かったもの」

痛みに堪えて疑問をすると浅海からはそんな答えが返ってきた。それは僕にしてみれば到底受け入れられない返答だったけど、僕だってただの経験則に過ぎなくて、だから明確な反論を持ち得ない。
ともかく僕が分かったのは、それ以来森川の話題が出ると浅海が不機嫌そうに鼻を鳴らすことだけ。


「ううん、私、たぶん浅海さんに嫌われてるから……」

隣でそう漏らした森川の声に僕の意識は今に戻される。森川を見れば、彼女は残念そうに笑った。

「浅海さんはいい人だから隠してるけど、女の子ってそういうのに敏感なの。だからすぐに分かるんだよ」

浅海さんと仲良くなりたいんだけどな、とつぶやくと森川は脇に置いてあったメガネを掛ける。泣きボクロはもう見えなくなった。

「ゴメンね。無理言ってせっかく空深くんが付き合ってくれてるのに、つまんない話しちゃって。乗り物にもほとんど乗れてないのにね」
「たぶんだけど、浅海は森川を完全に嫌っちゃいないよ」

もし浅海が森川を嫌いなら、あそこまで慌てて森川を探したりはしないはず。どうして嫌っているかのような態度を取るのか、そこまでは分からないけど、彼女のアンバランスな言動がそれを物語ってる。もっとも、その理由を尋ねてもきっと浅海は教えてはくれないだろうけど。

「ありがとう。やっぱり彼女の事はよく分かってるんだね」
「だから……僕と浅海はそんな関係じゃないって」
「でも……いっつも空深くんと浅海さんって一緒にいるじゃない?」
「そういう機会が多いだけだよ。浅海も転校してきたばっかりで、でもあんまり友達を作るようなタイプじゃないみたいだし、たまたま席が近くて話す機会が多かったから話し相手として認識されてるんだ。僕は基本的に来る者拒まず、去る者追わず、だからさ」
「なら……私も空深くんのそばに行ってもいいのかな?」
「まあ、そりゃモチロン構わないけど。でも僕といても特に面白くないだろうし、先生たちからは、あかりちゃんを除いて嫌われてるし、漏れ無く真とかも付いて来るよ?」

それでもいいの、と尋ねると森川は、今度は嬉しそうに笑った。

「どうせ私も友達いないから。ほら、私ってドン臭いでしょ? それに、みんなが話す話題にもついていけないし、話すの下手だし……」
「僕とは普通に会話成立してるけどね」
「うん……なんでだろ? 空深くんとなら話せるの」

光栄な事だ。ここにも僕と話したいなんて奇特な女の子がいるとはね。何となく恥ずかしくて僕は頭をポリポリと掻いてしまう。

「あっ……」

唐突に森川が声を上げた。そして眼をつむってしばらく黙ったかと思うと、突然立ち上がって走り始めた。

「おい、森川! どこに行くんだよ!?」

どうも森川は人の話をあまり聞かない性質らしい。呼び止める声に返事もしないでそのままどっかに走っていくもんだから僕も走って追いかけるしかない。
確かに森川はドン臭い。走る速さも遅いし、人ごみの中を走るわけだから次から次に人にぶつかって謝って、なのにそれでも走るのを止めない。一応僕は森川を守る役目を浅海から言い渡されてるから見失うわけにはいかないのだけど、あれだけ派手に周りから蹴散らされながら進んでいけば見失うのも難しいというものだ。
少し離れたまま森川を追いかけること数分。森川は切らせた息もそのままに、一人の子供の前で腰を下ろした。三、四歳くらいだろうか、男の子は森川と一言二言言葉を交わしていたけれど、突然顔をクシャリと歪ませると森川に抱きついて大声で泣き始めた。
森川はその子を抱きとめると、優しく頭を撫でてあげていた。

「この子、迷子みたい。お父さんお母さんとはぐれて、ずっと一人で探してたんだって。不安なのに泣くのを堪えてたけど、緊張の糸が切れたみたい。でもエライよね……」

そう言うと森川は抱き寄せたまま、男の子が泣き止むまで頭を撫で続けた。それで男の子も安心したのか、少しずつ泣き声が小さくなっていく。やがて泣き止んで男の子が顔を上げると森川は肩を掴んで話しかけた。

「それじゃお父さんとお母さんを探しに行こうか?」
「……うん」

言葉少なに少年が頷くと、手を取って立ち上がる。

「迷子センターに連れて行く?」
「ううん、大丈夫。すぐに見つかるから」

森川は自信満々にそう断言すると、男の子の手を引いて歩き出す。男の子は、泣いたカラスがもう笑って、森川に懐いたのか話し掛ける彼女の言葉に元気よく答えていた。それを僕は後ろからただ眺めるだけだったんだけど、その姿は本当の姉弟みたいで違和感が無い。学校での大人しい森川はそこには無くて、頼れる姉の姿を見せているのが意外だった。それと同時に僕の胸の内で何かがひどく疼く。チクチクと刺すような痛みが内から外へと何度も苛んで、だから僕は二人の後ろ姿から眼を逸した。

「雄輔!」

そんな二人の前から、夫婦らしい男女が森川たちに向かって駆け寄ってきた。少年の両親だろう二人は相当息子の事が心配だったんだろう。雄輔、と呼ばれた少年を母親は力いっぱい抱きしめ、父親は安堵のため息をもらした瞬間、少年に向かってゲンコツを振り下ろしていた。そして森川に向かって何度も頭を下げていた。

「お姉ちゃん、バイバイ!!」

両親に手を引かれていきながら、雄輔くんは森川に向かって元気よく手を振って、森川もまた手を振って三人を見送った。そして僕は四人をただ眺めるだけだった。

「森川」

今日だけでもう何度目だろう、こうやって森川を呼ぶのは。笑顔を浮かべて森川がコッチを振り向く。そしてようやく状況に気がついたみたいに慌てて頭を下げた。

「あっ、ご、ゴメンナサイ! いきなり走り出しちゃって」
「あ、いや、別に良いんだけど……」

森川がどうして距離のあった雄輔少年を見つけたのか、そして彼の親の場所が分かったのか想像はついてる。というよりも、僕が今知り得る情報の中では答えは一つしか無い。それでも、僕は聞きたかった。

「どうして場所が分かったの?」

言葉が色々と足りてないのに気づいたのは口にしてから。でも森川は僕の聞きたいことを正確に理解したらしく、困ったように表情を少し歪めて、そして僕の隣に立って歩き出した。僕は少しだけ彼女の後ろを付いていく。

「空深くんには教えてあげるね。その、信じられないかもしれないけど、私には未来が見えるの」

声を抑えたその言葉は予想通りで、雑踏の音色にかき消されそうなほどに小さかったけど僕の耳にははっきり聞こえた。

「さっきはあの子が泣いてる姿が見えて、雄輔くんを抱きしめてると、今度はお父さんとお母さんが探してる姿が見えたの。どこを探してるかって分かったから、私はただ連れていってあげただけなの」
「つまり、あのままでもあの男の子は親と会えたって事?」
「うーん、たぶんそうなんだけど……でも少しでも早くご両親に会わせてあげたかったの。だから気がついたら走り出してた」

置いて行っちゃってゴメンね、ともう一度僕に向かって謝ったけど、その言い方だとまるで僕が迷子にされたみたいだ。それが僕は気に食わない。その感情を押し殺して僕は更に疑問を口にした。

「もしそれが本当だとして、森川は……いつから未来が見えるの? それから、どんな未来が見えるの?」
「えっと……中学校に上がったくらいから、かな? だいたいはさっきみたいに小さな事ばかりだよ。誰かが物を落としたりするところを見て、それを拾ってあげたり、優勝したりするのを見て予めプレゼントを用意してたりとか。たまに誰かが怪我する場面を見ちゃったりして、その人に注意したりもしてたんだけど、そういうのは防げなかった。
最初は自分でも信じられなくて、でも私が言った通りのことばかり起こるから段々気味悪がられちゃって、黙ってるようになったの。
昔は、なんで私にこういう力があるんだろうって相当悩んだんだけどね、でも私が手を差し伸べると誰かが助かるから。だからあんまり人には言わないんだけど、その分さっきみたいに一人で動き回っちゃうんだ。悪い癖なんだけどね」

周り見えなくなっちゃうから、と森川は小さく舌を出した。だけども、僕の中はグチャグチャだ。それは羨望といってもいいかもしれない。

「……悪い結果とかを見たりは? それで誰かを助けるのが嫌になったりしない?」
「うーん……あんまりないかも。悪い結果って言っても、さっきみたいに怪我しちゃうくらいだから。それも誰かがこけて擦りむく程度だし。失敗しても取り返しがつかない結果になるわけじゃないし、それに、私がもう少し頑張れば未来が変えれたって思えるような事が多いから。だから次はもっと頑張ろうって思っちゃうの。その気持ちが強すぎて一人で突っ走っちゃう事が多いんだけど……」
「そう、か……」

それで僕の質問は終わった。口を開くのが億劫だった。口を閉じていないと、きっと僕の中に溜まってる何か醜いものが溢れ出してきそうだった。それの成分は多分に嫉妬を含んでいるだろう。
森川は絶望を見ていない。まだ希望しか見えていない。誰かを救うことができたから、自分にできることを疑っていない。
森川のしていることは立派だ。誰かを救うのに大事も小事も無い。その行為に貴賎は無くて、価値の大小もない。なのに、僕と森川が見ている世界は全く違った。
彼女には、誰かに容易く手が伸びる未来が見えて、僕には手が到底届かない絶望的な未来ばかりが見える。
不公平だ。知らず僕は胸の内で叫んだ。世の中、何もかもが不公平だ。この感情が所詮、世を斜に構えて見てる愚か者の八つ当たりだと気づいてる。
例えるならそれは、野球の才能に溢れる同級生を、野球が好きなだけでベンチにすら入れないヤツが抱くような嫉妬。
例えるならそれは、同じ授業を受けてるはずなのに遙か上の成績を取るクラスメートを見ているような感情。
例えるならそれは、スタートが同じはずだったのにいつの間にか遥か前を走る幼なじみを後ろから眺めるしかできない少年のような心境。
僕は、無意識に求めていたんだ。浅海から、僕と同じ力を持った人間がいると聞いて、同じ立場で理解し合える同胞とも言える存在を。同じ苦しみを共有し合える仲間を。
僕と森川は「未来を見える」という点においては同じなのに、手に届く結果はまるきり逆。裏切られた。勝手だと理解しているけど、その感情が拭えない。

「何か……マズイこと言っちゃったかな?」

森川の声でハッと我に返る。振り向けば、森川が申し訳なさそうに眉根を寄せていた。

「いや、突然の事だから戸惑ってるだけだよ」
「そう、だよね……急に未来が見える、なんて言われても信じられないよね」
「そうじゃないよ。……ここだけの話、森川と同じ力を持ってるヤツを知ってるから」
「そうなの!?」

驚きの声を上げた森川を尻目に、歩く速度を上げる。目指す先なんてどこにもないけど、足を止めてしまったら歯止めが効かなくなりそうだった。

「あの、すみません」

なのに、誰かが僕の前に立ちふさがった。

「そちらの女性は森川…恵さんで宜しいでしょうか?」

声を掛けてきたのは、背の高い、ひょろっとした印象の男だった。顔は面長で、縁のないメガネを掛けてる。夏が近いっていうのに濃い目のスーツを着てて、暑いのかハンカチで額の汗を拭ってる。細くて少し垂れ下がってる目は気弱そうで、どうみても休日の遊園地に似つかわしくない。

「そうですけど……」
「おお! やはりそうでしたか!」

森川が肯定すると、男は嬉しそうに声を上げて懐に手を突っ込む。そして一枚の紙を、ご丁寧にも森川だけじゃなくて僕にも差し出してきた。

「フジヤマテレビ、佐藤光則……?」
「ええ、実は私、フジヤマテレビの番組作成に携わっておりまして、ある番組の実験検証に森川さんにぜひ参加していただきたい、と思いまして……」
「わ、私ですか!?」

目の前の男はどうにも人の良さそうな、それでいて胡散臭い笑顔を浮かべた。突然の申し入れに森川は驚きはしてるみたいだけど、テレビに出れるとあってか、まんざらでもないみたいで、迷いながらも嬉しそうに声を上げた。

「ちなみに、どの番組なんですか?」

森川の前に出て僕が尋ねる。それでも男は笑顔を崩さずに、だけど少し困ったように丁寧な口調で説明してくれる。

「申し訳ありませんが、それはお教えすることができないんです。教えてしまいますと、その、実験の意味が無くなってしまいますので……」

たまにテレビで見る、被験者に実験の内容を教えないで何かしら事件が起きた時の反応を調べるようなものだろうか。余計な予備知識を与えない、という意味でその説明は理解できるけど、でもどうして番組のスタッフがこんな遊園地で声を掛けてくるのか。

「本来ならまずはお電話をさし上げて、番組に参加していただけるかご同意の方を確認するのですが、たまたま今日森川さんをお見かけ致しまして。ちょうど本日、この遊園地で別番組の収録をしていたんですよ」

そう言うと男の人は僕らの左の方を指さした。そっちに目を向ければ、確かに人が集まってテントの中にひとりずつ入っていってる。

「それで、どうでしょうか? 番組の方に参加していただけますでしょうか?」

手揉みをしながら腰を低くして森川に尋ねる。森川の視線は男と僕の間を行ったり来たりしてる。僕としては、僕の目が届かないところで動いてほしくはない。浅海に協力すると決めたし、森川に対して感情的に含む所があっても浅海が目的を果たせるように努力はするつもりだ。
そんな気持ちが森川に伝わったわけじゃないだろうけど、森川は小さく首を横に振った。

「あの、ごめんなさい……やっぱり私はそういうのは……」
「そうですか……残念ですが仕方ありません。無理強いはできませんしね」

たぶん他にも候補がいるのだろう。男の人は特に食い下がるわけもなくあっさりと諦めた。「お楽しみのところ失礼致しました」と言って、その声が聞こえて意識が男の方に戻った時にはもう人ごみの中に消えていた。

「良かったの?」
「うん。やっぱり人前に出るのは苦手だから……しかもテレビに映るなんて無理だよ。
それより、何か乗り物に乗ろ?」

僕の服の裾をそっと森川は引く。その提案に僕は気付かれない様にため息を吐いて、そしていつもの表情を貼りつけて森川に付き従う事に決めた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




浅海とは違う、森川の裏表の無い表情を眺めつつ休日の午後を過ごした僕らは夕焼けの鮮やかな帰路を辿っていた。昼間は晴れ渡っていたけど、今は西日を適度に雲が遮って眩しさは感じない。後ろにかなり長く伸びる影を振り返りもせず、ゆっくりと森川の歩調に合わせた足取りで森川の家へと歩く。

「ゴメンね。家まで送ってくれて……」
「もう暗くなるからね。女の子を一人で帰すわけにはいかないから。そんな事したら真のヤツに何言われるかわかんないし」
「朝霧クンなら確かに言いそうだね」

小さく森川が吹き出す。
結局懸念されてた異変は何も起こらなかった。あのテレビマン以外に誰かが寄ってくるわけでも無く、僕の気づく範囲で不審な動きをしてるようなヤツもいなかった。強いて挙げるなら、森川があの後も何度か未来を見て突然に走りだし、僕がため息を吐きつつも後を追いかけるという件があっただけだ。
至って平和。全て事も無く、ただ単に森川のリクエスト通りに遊園地デートをしただけだ。もちろんそれが悪いことでは無く、森川も十分に楽しんだみたいだし、僕もまあそれなりに楽しかったから特段口に出して言うような文句も無く、いつもと違う休日を過ごすのもたまにはいいものだ、という感想を抱いたのだからまあ良いだろう。そもそも、僕しか近くにいない時に事が起こっても何も出来ないのだから、どちらかと言えば安堵の方が強いかもしれない。
微妙にストレスで重たい胃の事を意識してどっか端っこの方へ放り投げつつ、人通りのない住宅街の中を進む。森川の家が近づき、それに従って雲が知らず厚くなり、だから辺りは自然と暗くなる。ポツリポツリ、と街灯が光り始め、道に明暗を作っていく。

「今日はありがとう。私のお願いに付き合ってくれて」
「お願いと言うか、僕の隠し事を聞かないでいてくれる代償だからね。お礼を言われる立場じゃないよ、僕は」
「ううん、私がお礼を言いたいから。ゴメンね、せっかくの休みを私なんかのために潰しちゃって」

そう言って一歩森川は前に出る。うっすらとした夕日に背を向けてはにかむ。

「もうここまでで大丈夫だよ。送ってくれてありがとう」
「せっかくだし、家の前まで送るよ」
「大丈夫だよ。それに、お父さんとお母さんに見られるの恥ずかしいから」

森川は笑うけれど、でもその顔に浮かんだ表情は恥ずかしいというよりも、どちらかと言えば悲しそうな、残念そうな、言葉にうまくできないけれどそんな表情だった。どうしてそんな顔をするのか気になったけれど、だけどそこを追求するほど僕は森川の内にまで踏み込んでいないし、踏み込むつもりも無い。デートだって言ってみれば取引だし、そんな気持ちしか抱けていない僕が深入りしていい範疇じゃない。
森川の家までは後百メートルくらいだろうか。ここまで来れば大丈夫。何も起こりはしないさ。

「それじゃ、また学校で」

手を振る森川に僕も手を振り返し、彼女に背を向ける。さっきまで背後に回っていた影が今度は正面からうっすらと僕を見返してくる。かと思えば街灯がその姿をかき消して、次の瞬間には背後に現れる。
僕は後ろを振り返った。家へと歩く森川の姿があった。
そして森川の姿が掻き消えた。僕の目の前からいなくなった。

「森川……?」

名前を呼んでも返事は帰ってこない。つぶやきにも似た僕の声が人のいない町に響いただけだ。

「森川っ!!」

距離にしてホンの十数メートル。まだ別れたばかり。全身から熱が引いていき、体の中から焦燥の熱が一気に燃え上がる。僕は走りだした。
数秒で森川が消えた角に辿り着いて、消えた方向を振り返る。
――いた
暗がりの中でいくつかの黒い影があった。そいつらに口元を抑えられ、引きずられるようにして森川は連れ去られてた。

「森川ぁっ!!」

彼女の名前を叫ぶ。視界の中の彼女の目が大きく見開かれて、目元に涙を浮かべているのがなぜか分かった。
足に力がこもる。必要以上に入った力に筋肉がはちきれそう。酸素を求めて心臓を急かす。急かされた心は頭をかき乱して、ただ僕の足を前へ前へと動かす。
油断した油断した油断したっ――!!
最後まで気を抜いちゃいけなかったのに最後の最後で手を抜いてしまった。
浅海は言ってた。家の近くで森川は誘拐されると。だから最も警戒すべきは森川が家に入る直前だったはずなのに!
完全な失態だ。これまで僕が救えなかった人たちとは違う、完全に僕自身のミス。ならば何を捨ててでも僕自身の手で挽回しなければならない。
森川を連れた男たちの前に黒いワンボックスカーが急停止した。ドアがスライドして、中から別の男が手招きしている。
――まずいっ! あれに乗り込まれたらっ……!

「クソッタレェッ!!!」

前に向かって体を投げ出す。手を伸ばして倒れこんだ僕の手は、かろうじて森川の足に届いた。それを僕は力いっぱい握り締める。

「……、…………っ!!」

頭上から何らかの怒鳴り声が聞こえる。言葉は日本語じゃない。けれど何語かなんてまで僕の知識じゃ分からない。ただ罵倒だろうというのは、声のニュアンスから理解できた。
頭に衝撃。痛みに目をつむり、片目で見上げれば硬い靴の底が目の前に迫っていた。
頭と手に骨が軋むような痛みが交互に振りかかり、手から力が抜ける。一瞬、痛みに負けて森川から手を離してしまいそうになる。挫けそうになる自分を叱咤し、強く奥歯を噛み締める。
不意に攻撃が止む。諦めたのか?有り得ない妄想が頭を過ぎって、そして次の瞬間にはそれが所詮都合のいい空想に過ぎなかった事を激痛が教えてくれた。

「がああああっ!!」

右手から力が抜ける。痛みの元である二の腕をそっと見れば、人間の体には無い鋭く光る刃が突き立っていた。
ナイフが腕から引き抜かれる。気が遠くなりそうな痛みを伴ってドス黒い汚れた血が腕を伝って白いシャツを濡らす。嗅ぎ慣れない匂いが僕の鼻腔に入り込んできて、痛みと一緒にクラクラと頭を揺らす。

「…………!」

また何か声が掛けられる。痛みの衝撃で急に言葉が理解できる、なんて事も無い。痛みに阻害された頭で理解できたのは、たぶん、僕はこのまま……死んでしまうだろう、ということ。
激痛に沸いた頭が冷える。手から力が抜ける。手のひらに感じていた森川の温もりが無くなる。
見上げた視界に刃が入り、カチカチと音が鳴った。止まない、止まない、音が止まない。恐怖に凍えた歯が何度も僕の意思に反してぶつかり合い、耳障りな音を立てていた。
怖かった。死にたくない。死にたくない。死にたくない。頭の中が「死」という言葉だけで埋め尽くされる。
いつ死んでも構わないなんて、そんなものは死を遠い存在だと感じていた人間の戯言に過ぎない。父さんと母さんの死なんて、所詮は身近な他者のものでしか無くて、僕のものでは無かったんだ。
生きたくないの対義語は死にたい、では無かった。ただ自分で選ぶ事も放棄した、卑怯で臆病な生者のたわ言だと理解してしまった。
それでも僕の左手は森川をつかんで離さない。怖いのに、ナイフが、迫り来る恐怖が怖いのになぜだか手は離れない。頭では離せと叫んでも、何か強い力が拒絶してる。
ナイフが振り下ろされた。僕の顔目掛けて。ゆっくりと、コマ送りの様に刃が大きくなる。けれど、僕には避けることも、防ぐこともできなかった。

そして暖かい飛沫が顔に掛かった。ペチャリ、と音を立てて、だけどもそれは僕のものでは無かった。
ナイフを持っていた男の体が崩れる。ナイフが地面に落ちてカラン、と響き、何かが頭上を通ったと思うと男の体が吹っ飛んでいった。そしてもう一人の男も巻き込んで車から転げ落ちていく。

「きゃっ!」

悲鳴と一緒に僕の頭上に何か柔らかいものが覆いかぶさる。その重みにグェ、と僕の口からは潰れたカエルみたいな声が漏れてしまった。

「ご、ごめんなさい、空深クン!!」

声を聞いてようやく上に乗っているのが森川だと気づいたけれど、でもどうしてそんな状態になっているのかつかめなくて、僕の頭は混乱するばかりだ。

「早く逃げろ! ココはアタシたちに任せときな!」

鋭く、けれど暖かみのある言葉が僕らに掛けられた。
そこにいたのは女性で、黒髪をショートにしていて、全身を黒い服で固めていた。それが周囲の暗さと混じって完全に溶け込んでいた。
いったい何が起きたのか。森川は助かったのか、僕は助かったのか、僕はまだ生きているのか。グルグルと回る思考のループから抜け出せず、僕も森川も呆然とするばかりで動けない。

「オラオラ! さっさと逃げねーと怪我するぜ!!」

また一人増えた。今度も全身を黒で固めて、だけど髪だけは金色でそれが印象的。声から男性だろうとは思ったけど、そこでようやく僕の意識は今すべき事に向けられた。

「立って!!」

僕は立ち上がった。森川の手を引いて、強引に立ち上がらせると返事も聞かず僕は走りだした。
どこの誰だかは知らないけれど、今しかない。強く左手を握りしめて、彼らとは逆の方向に向かって脚を踏み出す。

「空深クン! 腕から血が……!!」
「そんなのは後だ!!」

角を曲って、森川の家とは逆向きに向かう。家の前は奴らの仲間がいるかもしれない。ともかく、今は何よりもこの場を離れるべきだ。
もつれそうな脚を血のついた右手で叩いて叱咤する。一分でも一秒でも早く前へ進め。今、僕ができること。それを滞り無く遂行するんだ。
そうして僕と森川は、暗くなった町の中を全速力で駆け抜けた。













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