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0th Bad Dream Believer(11/12/03)
1st 浅い空、深い海(11/12/03)
2nd Who Can Understand Me?(12/01/04)
3rd 普遍、不変(12/01/04)
4th You Are Not Me(12/01/29)
5th 狂々、繰々(くるくる、くるくる)(12/01/29)
6th Do You Love Me?(12/03/04)
7th 僕らの手(12/03/04)
8th Terminal(Bad Dream is over)(12/04/03)
9th 僕はここにいる(12/04/03)
10th No One Knows Everything(12/04/03)









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






-9th 僕はここにいる-



僕は夜空を見上げた。船の上から見える空は雲ひとつ無くて、星が鮮やかだ。街中ではきっと見ることさえできない煌びやかな星空に、僕はしばしの間眼を奪われた。
僕の心は穏やかだった。これまでずっと気づかないフリをしてきた、僕の中のずっと深いところに根をはっていた気負いや焦燥感といったものが今はどこかへ行ってしまっているのが分かる。人前で泣いてしまった事を恥ずかしいと思う反面で、涙を流すことで変わることもあるんだな、と今更ながらに思う。
夜風が気持ちいい。船から小さなボートに乗り換えて不安定な足場を踏みしめる。
これからまた危険な場所に行くというのに落ち着いている、その事実に我ながら逆に驚いてしまう。不安はもちろんある。自分は役に立てるのか、森川を助けられるのか、また痛い思いをしてしまわないだろか。右腕と左の手のひらに巻かれた包帯を見て思う。また、僕の手から未来がこぼれ落ちてしまわないだろうか。けれども、その不安を受け止める。否定はしない。受け止めて、そしてその不安を小さくするための方策を冷静に頭の中で練る。
自分を、認める。
雨水さんが言ってくれた言葉を頭の中で、そして口の中で小さく繰り返す。それによって何かが劇的に変わるわけじゃない。言ってみればこれはおまじないみたいなものだ。泣いてすっきりはしたけれど、こんな短い時間で僕の意識が変わり切るわけがない。きっと、気を抜いてしまえばまたすぐ自分を否定する気持ちが沸き上がって心を塗り替えてしまうだろう。その程度には僕は僕を信用しきれていない。だから事あるごとに意識付けが必要だ。

「ん?」

狭いボートの僕の隣に人影。意識を自分から外へと戻すと長い黒髪が眼に入った。未来から来た彼女はいつもと変らない表情で僕の横に座って、真っ暗な海を眺める。
どこを向いても夜の海は真っ暗。だけども空の星みたいに小さな光点がいくつか見える。たぶん夜に漁をしてる漁船だろう。その中には僕らのこれからの目標の一つがあって、浅海もそこを見てるんだろうか。

「浅海、その……」
「聞いたんでしょ? 私の事」
「え? ああ、うん……聞いたよ。まさか未来から来たとは思わなかった」
「面白くも何とも無い感想ね。せっかくご両親から頂いた立派な頭は単なる飾りのようでがっかりだわ」
「センスだけは親も無かったんだよ」

父さんも母さんも世間だとまあ勝ち組と呼ばれる部類に入るくらいには優秀だったし、忙しくても子供の僕と遊ぶ時間を作ってくれるくらいにはいい親だったと思うけど、残念ながら言葉選びのセンスだけは無かった。冗談も夫婦揃ってパクリしか言わなかったし。

「でも驚いたっていうのが正直な感想だし、あの盛りだくさんな内容で驚くなって言う方が無理だろ。未来の話にしろ、長く生きてる話にしろ、そして……森川だっていう話でもさ」
「……黙ってて悪かったとは思ってるわ。少なくとも協力してくれてる空深くんには話すべきだったのに」
「いや、気にしてない。そう易々と話せる話じゃないとは思うし、今でもちょっと半信半疑なところはあるから」

浅海は自分の装備の最終チェックをしながら「そう言ってくれるとありがたいわ」と言った。僕も浅海にならってまだ慣れない銃の確認をしながら気になっていた事を尋ねた。

「浅海は最初から僕の事を知ってたんだよな? だから僕を巻き込んだのか? 屋上の事も演技で、初めから巻き込むつもりだったのか?」
「……本当は空深くんの事は忘れてたわ。学校に転校してきて、空深くんと顔を合わせても思い出さなかった。どこかで見た顔ね、くらいに思ってたわ。思い出したのは、屋上で話を聞いた時。アナタが未来を見えるって聞いた時にようやく思い出したの。昔、クラスに自分と同じ力を持った人がいたって。もっとも、その事を知ったのは誘拐された後で、研究所で空深くんの姿を見た時だけどね」
「やっぱり僕も森川と同じ未来を辿ったのか……」
「ええ。私より一月くらい遅れてからだったと思うわ。百年以上前の事で、もう記憶も曖昧だけど」

百年。それは変化の無い浅海にとってどれだけ長い時間だろうか。ただでさえ想像するのも難しいほどに途方もない時間だ。その長さに僕は何も言葉にできなくて、ただ「長いな」とだけ応えた。

「ええ、長い時間だわ。時間は残酷ね。あらゆる想いも擦り減らして洗い流してしまうもの。普通の人として過ごした思い出も、親に対する憎しみも、恋心さえも風化して、その上に塵をどこまでも高く積み上げていってしまう……」

浅海は淋しげにそう漏らした。

「だから空深くんの事を思い出せた時は喜んだわ。忘れてしまってたのはショックだったけど、またアナタと関わりを持てたのはとても、とても嬉しかった」
「そう言われると何か照れるな」
「か、勘違いしないでよね! 昔の知り合いに会えたのが嬉しかったんであって別にアナタと会えたのが嬉しかったわけじゃないんだから!」

暗い中でも浅海の顔が赤いのがよく分かる。必死に主張してるその様子が何とも浅海らしいと言うか何というか。ついコッチも頬が緩んでしまう。

「……何よ、その顔は。気に入らないわね、空深くんのクセに」
「別に? 気のせいじゃない?」

むう、と顔をしかめる浅海。その顔を見て我慢できずに声を上げて僕は笑ってしまって、浅海は更に眉間の皺を深くした。

「リラックスしてるのは良い事だが、そろそろ行くぞ」

準備をしてたアンディと榛名さんもいつの間にかボートに乗り込んでて、雨水さんが船の上から僕らを見守っていた。
いよいよ、だ。一度大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。そして手の中の銃を握り締める。
やる事はただひとつ。森川を助けだす。これが正真正銘ラストチャンス。失敗は許されなくて、いざという時には一切の躊躇いも辞さない。例え、相手を殺すとしても。それさえも今更だ。僕が直接殺していなくても、浅海も榛名さんもアンディもすでに相手を殺してて、それを僕は黙認した。それに、僕は僕というものを知っているつもりだ。素人の僕が手心なんて加えたところで結果は誰にとっても最悪のものになるだろうし、ならばもう目的のために手段なんて選ばない。
森川を助ける。ひいては浅海を助ける。そのための最短経路を僕は行く。

「やっぱり最後に言わせてもらうわ!」

ボートのエンジンに火が灯る。振動が空気とボートの両方から伝わってくる。その音にかき消されないように浅海が声を張って僕に話しかける。僕も声を張り上げてそれに応える。

「何!?」
「空深くんの家に無理やり住み始めたのはね!」
「住み始めたのは!?」

聞き取りづらくて、僕は浅海の方に顔を寄せる。その瞬間、浅海に顔を掴まれた。
強引に引き寄せられる。驚きに眼を見張る僕に、柔らかい浅海の唇が押し付けられた。
それは一瞬で、驚きばかりが勝って、現実感も伴わない不思議な感じ。だけど後に残るその感触だけは本物で、すぐに離れていった赤くなった浅海の顔を見て僕の顔も急激に熱を持ち始めるのが分かった。

「アナタとの思い出が欲しかったからよ!」

らしくない満面の笑みで僕にしか聞こえない大きさで浅海は叫んだ。その声をかき消すようにエンジンが一際大きく唸る。急激にボートが加速して、吹き荒れる風が僕らの熱を冷ましていく。

「そんじゃあ行くぜぇっ!!」

その声に僕はハッと我に返る。浅海はもういつもの表情に戻っていて、僕の方を見ていない。
海面をバウンドしながら走る不安定なボートの上で、アンディが立ち上がった。そして右腕を前方に陣取る、僕らが乗っていた船よりも二回り程度大きいものに向けた。

「前向いとけよっ! 目がやられるぜ!!」

その言葉に従って前方に残った僕ら三人は顔を向ける。それを見計らってか、前に向けたのとほぼ同時に眩く後ろが光って僕らの頭上を雷が駆け抜けていった。
夜空に鮮やかに一筋の橋が掛かって、例えそれが何かを破壊するだけのものだとしても綺麗だと思った。
船の甲板前方を軽く抉る様にしてアンディの電撃は通りすぎて、船が大きく傾いたのが分かった。狙い通りだ。

「なーんで電撃の方は狙い通りに行くのに、銃の方はからきしダメなのか分かんないわね」
「そうなんですか?」
「そ。どんだけ訓練しても十メートルが限度。最近じゃもう諦めてサブマシンガンしか持たせてないわ」
「弾幕張るだけですか」

甲板の方に中からぞろぞろと人が出てくる。いい加減僕らの事も見つかってるだろう。現に徐々に大きくなってくる船の黒服が、銃をコッチに構えてる。ボートの近くに着弾して風切り音や着水音が聞こえてくる。アンディが操作するボートが左右に振れて的を絞らせなくて、コッチからは浅海と榛名さんが応戦して敵が倒れていく。

「乗り込むぞっ!!」

その声に押されて一斉にワイヤーガンを船に向かって発射。ワイヤーが巻き上がるのに従って僕らの体も宙に浮き、甲板後方の上に降り立った。榛名さんを先頭にして、船内部への入り口へと走りだす。
フラッシュバンを前方に放り投げ、甲板前方で消火作業を行ってる連中を無力化。ブリッジの影から僕らは躍り出ようとした。
途端、何かが僕の中を駆け巡った。直感にも似た、何か。一瞬だけ目の前の景色が変わり、だけどもすぐに消え去って、次の瞬間には叫んでいた。

「伏せろっ!!」

僕の声にそれほどの力がこもってたのか、僕の前を走る榛名さんと浅海が体を投げ出すようにして甲板に伏せ、それを確認する前に僕は引き金を引いていた。
何度も、何度も。そしてその弾は僕の見た光景と同じように眼の前に現れた男の体に吸い込まれて、血しぶきをまき散らしながら倒れた。

「……隠れていたのか。危なかった。感謝するよ、空深」
「私も気づかなかったわ。よく気づいたわね?」
「なんとなくです……そこに誰かがいる気がしたんで、つい……」
「いや、戦場だと自分の直感に従うのも重要だ。それだけでだいぶ生存率が上がるんだ」

行くぞ、と榛名さんに促されてブリッジに侵入する。疑問を抱えながら。
さっきの感覚は何だろうか。これまでに未来を見てきた時とは違った、新しい感覚。今までも未来を見ている時は時間が経過してなかったけど、それよりも更に刹那的な極短の時間。不鮮明であやふやだけど、それに迷うこと無く体は突き動かされた。
階段を下りながら頭を僕は振った。それは後で時間がある時にじっくり考えよう。今は、ただ一つだけを見てれば良い。
駆け降りていく二人に従って、僕は階段に足を下ろした。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「本当に宜しいんですか?」
「構わないわ。どうせあのご老人たちは、自分が世界の頂点に立っているなんて妄想に取り憑かれているんだもの。予定より一人少なかったって気づきはしないでしょうよ」

恵はそばで聞こえてきた声に眼を覚ました。最初に眼を開けた時はずいぶんとぼやけていたが、何度か瞬きをしている内にはっきりしてきたが、幾分不鮮明だ。日常的な景色だがどうにも落ち着かない。眼を擦りながら、恵は体を起こして近くにあるはずのメガネを探した。

「あら、起こしてしまったようね」

その声に恵は驚いて背筋を伸ばした。声で目が覚めたにも関わらず、自分の他に誰かがいるという事実に思い当たっていなかった。
そう言えば、ここはどこだろう。そう思いながら恵は声の主を見たが、視力が悪いせいで顔はハッキリしない。ボンヤリと見える金色の肩まで伸びた髪と声から女性だとは分かるが、顔立ちまでは把握できない。沸き上がってくる不安を少しでも解消しようと、眼を細めてよく見ようとした時、部屋にもう一人いた男性がスッと恵みにメガネを差し出してきた。

「あ、ありがとうございます……」

消え入りそうな声で礼を述べて、恵は使い慣れた自分のメガネを掛けた。曖昧だった視界がクリアになり、たったそれだけの事なのに少しだけ心が落ち着く。小さく息を吐き出して一度顔を伏せて、そして勇気を振り絞って顔を上げた。
女性の方は全く知らない顔だった。日本語を話していたので日本人だと思っていたが、欧米的な顔立ちで鼻筋が通っており、彫りも深い。恵から見てもハッとするような美人だった。服装もきらびやかで、何処かのお嬢様然としている。
その顔を見ていると、自分の平凡な容姿が罪の様にも思えてきて気恥ずかしくなり、恵は顔を逸らした。その際にもう一人の男性の顔が眼に入り、恵は「あっ」と小さく声を上げた。

「覚えていましたか」

そう言って佐藤、と名乗った男に恵は見覚えがあった。ついこの前、夜と一緒に言った遊園地で声を掛けてきた男だ。その事にはすぐに気づいたが、本当に同じ人だろうか、と恵は思った。
あの時と同じ服装で同じメガネを掛けている。まだ二日しか経っていないのだから当然容姿が変わるはずもない。しかし遊園地の時の低姿勢で気弱そうな様子は無く、ルイーゼの隣に直立して泰然としていて、声からもどこか冷たい感じがした。

「本当に運が良かったわ。佐藤がいなかったらアナタは今頃海の底。良くて何処かの岸に打ち上げられてる、といったところかしら?」

それを聞いた途端、恵の脳裏に記憶が蘇った。家に帰り着いたら両親に呼ばれて、突然意識が遠のいて、気がついたら車の中で怖い男の人たちに囲まれてて。
浅海さんが言ってたみたいにIHFLの人にさらわれて、これからどうなるんだろうって思ったら空深くんたちが助けにきてくれて。いっぱい拳銃の弾が飛んでて、浅海さんが怪我をして、海に落ちそうになって、もうダメだ、と思って眼をつむって、また開けたら空深くんが目の前にいて。それがとても、とても嬉しくて。なのに――
ズキリ、と手が今さらながらに痛みを発する。恵は包帯の巻かれたその手をそっと撫でた。

「痛むかしら?」

ルイーゼが尋ねるが、恵は顔を伏せて小さく横に振った。震える手をギュッと握りしめ、肺に溜まった古い酸素を吐き出した。

「これから……私はどうなるんですか?」
「私たちと一緒に来てもらうわ。基本的には私付きの秘書として常に私と行動を共にしてもらうことになるかしら」
「え……? それだけ、ですか?」

ルイーゼの意外な返答に、恵は思わず尋ね返した。自分を手に入れるために強引な手段を取っていたからどんなひどいことをされるんだろう、と勝手に思い込んでいたが、どうやらそうでは無いらしい事が分かって、安堵の溜息を吐いた。

「何を想像してたのかしら? 頭の中を切り開かれて観察されるとでも思った? 期待に応えられなくて悪いけど、私は折角買い取ったアナタをそんな風にするつもりは無いわよ。でも、アナタに自由は無いし、二度とご両親にもあのお友達に会うことも無いでしょうけど」

言われて恵はまた一つ思い出した。そうだ、自分は両親に売られたのだ。大好きだったお父さんとお母さんに売られてしまったのだ。大好きだった父と母。本当の両親を無くして、一人だった私を引き取ってくれた父と母。
両親は自分という厄介者を押し付けられたのだと恵は知っていた。自分の事で頻繁に喧嘩をして自分を罵り、酔うと父は母親に暴力を奮っていた。その母は父親が寝静まると自分にその鬱憤を晴らす。二人の恵に対する態度が、自分を嫌っているのだと言葉以上に如実に語っていた。

「ショックかしら?」
「ええ、とても……」
「それは自由が無いこと? 家族に会えない事かしら? それともお友達と会えない事?」
「家族と……友達の両方です」

それでも恵は両親が好きだった。一人ぼっちで寂しかった心の隙間が、二人がいることで埋められているように感じていた。だから何とかして二人の仲を取り持ってあげたかった。自分が入った事で崩れてしまった家庭を、また元の様に戻してあげたかった。それが引き取ってくれた両親への恩返しだと、恵は本気でそう考えていた。しかし、もう戻れない。その機会は得られない。例えこの場から逃げ出せたとしても、自分を売って大金を手に入れた二人が自分を迎え入れてくれるとは思えない。
そして、夜とも会えない。まだ想いを伝えていないのに、友達のままで関係は終わりを迎えてしまった。
こんな事になるならば、もっと早くに言葉を伝えておくべきだった。昨日の時点で、いつ何が起きるか分からないと圭に教えてもらっていたのに、信じられない話に頭が整理できずに大事な事を後回しにしてしまった。
後悔が心を押し潰し始める。心臓が締め付けられるみたいに感じて、瞳が潤み始めるのが恵は自分でも分かった。

「連れてきた私に言う資格が無いのは知ってるけど、心中はお察しするわ。私もお祖父様が亡くなった時は本当に悲しかったもの。もうあの皺だらけの、優しくて暖かい手に触れる事ができないと分かった時、心が締め付けられるみたいだったわ」
「……アナタと私では状況が違います。気安い同情なんて止めてください」

ルイーゼの言葉を聞いて恵はキッと睨みつけて、きっぱりと言った。あまりにも自分勝手な同情心に怒りがこみ上げる。自分は無理矢理に引き剥がされて、他人に機会を奪われてしまったのだ。その張本人であるルイーゼに言われたくなど無い。眼を赤くしながらそう告げるとルイーゼは「そうね」と応えた。

「確かに私が言うべきでは無かったわね。謝罪するわ」
「どうして、アナタたちはこんな事をしてるんですか? 力づくで人をさらってきて、その人の事情も考えなくて、そんなに世界を支配したいですか?」
「頭の弱ったご老人たちはそんな事を考えてるでしょうね」
「アナタは違うとでも言うんですか?」

ルイーゼは鼻を鳴らし、そして次に嬉しそうに笑う。その表情は待ってました、と言わんばかりで、椅子に座ったまま両手を広げて嬉々として語りだす。

「私はただお祖父様の教えを守りたいだけ。遙か未来に訪れるでしょう人類の危機を回避するの」
「人類の危機?」
「そうよ。こうして話している間にも世界は確実に疲弊しているわ。人口問題、紛争、環境問題……人類のみならず、この世界そのものが限界に近づいている。だからこそそれに気づいたお祖父様は動き出したの。全てが遅きに失する前に回避する術を探す。その足がかりとしてお祖父様が見つけたのがアナタたち未来予知者。まだ不完全みたいだけど、もし任意の未来を任意の時に見ることができるなら、そのための対策を前もって取ることができるわ。世界の滅亡を回避する一歩を踏み出すことが可能になる。そのためにお祖父様は未来予知者を集め、研究を始めたわ。お祖父様は亡くなってしまったけれど、私がその意思を継いだの。絶対にお祖父様の意思を途絶えさせたりはしない。そのためなら例え誰かに恨まれようとも、誘拐だろうが殺人だろうが何だってしてみせるわ。それが長く続くIHFLが創始たるマカッシュ家の義務だから!」

何を言ってるんだろうか、この人は。語りながら満足気に自分を見つめてくるルイーゼに、恵は恐怖を覚えた。世界の危機、なんて言葉はずいぶんと昔から叫ばれていた言葉だ。ニュースなどでもキャスターが深刻そうな顔を浮かべて、仰々しく重々しくわざとらしく語ることは少なくない。
だから何だと言うのだろう?言葉だけは聞けども、どれだけの人がそれを心の底から深刻な問題だと受け止めているか。恵は常々疑問を覚えていた。そしてその恵自身も深刻だと捉えてはいない。所詮は他人事。人類の未来なんかよりも、誰だって自分の周りの、もっと身近な事の方が深刻な問題なのだ。少なくとも自分が生きている間には起きるはずのない、そもそも本当にそんな事が起きるのか分からない事よりも、『今』が大事なのだ。未来よりも現実。大層な遙か先の未来よりも、すぐ先にある未来のことで手はいっぱい。手の中には収まりはしないのに。

「だと言うのに……! あの老害たちはお祖父様の意思を踏みにじって世界を牛耳ることに執心し始めた! 知った未来を悪用して自らの欲望のままに勝手に……」

なのに、ルイーゼは嬉々として危機を語る。恵たちの『現実』を無視して『未来』を語る。その事を是として疑っていない。他人を蹂躙しても構わないと思っている。自分が正しい。間違ってるのは周りだ。
それはどれほど彼女の語る「老害」と違うというのだろうか。恵には違いが分からない。
憤りを見せるルイーゼだったが、突如船が揺れて話を区切ると天井を見上げた。

「来たみたいね、アナタのお友達が」

ルイーゼと同じく恵も天井を見上げた。振動が続き、静まり返る。音は聞こえてこない。

「私とアナタのお友達、どちらが勝つかしら?」

そんなつぶやきだけが恵には聞こえた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「くっ!!」

耳元を通り過ぎていった銃弾につい声を上げてしまう。それでも顔を通路の角からそっと差し出せば、またいくつも弾が飛んできて、目の前で火花を作り出してる。

「ラチが開かないわね」

榛名さんがこぼした言葉に僕も全力で同意しよう。船内に潜り込んだのはいいけれど、予想以上に敵の数が多い。奇襲だったからか、甲板から二層降りたところまでは来れた。でもそこから敵も体勢を整えてきたらしく、抵抗が激しい。完全に足止めを食らってる。

「このままじゃジリ貧ね。仕方ない、二手に分かれるか。一方が囮でアイツらを足止めする。もう一組は、遠回りになるけど奥側の階段から下に降りる。それでいいわね?」
「なら私とガードナーが囮役をするわ。榛名と空深くんは森川さんの救出をお願いするわ」
「いや、俺と姐さんが囮役になるぜ」

浅海の提案をアンディが遮った。

「それはダメよ。私じゃ空深くんを守り切れないわ。壁にはなれても突破できるほどの技量を持ってないもの。森川さんの居場所が絞りきれていない以上、私が壁となって倒れたら途中から空深くん一人で行くことになる。空深くんじゃ無理だわ」
「アタシは賛成だ。アンタら二人が森川嬢を助け出すべきだ」

角から頭を出して、敵に発砲しながら榛名さんがそう主張した。

「全てアンタが始めた事だ。ならアンタ自身が全ての終わりを見届ける義務がある。そうじゃないか?」
「それは全てが上手くいった場合よ。目的が達成できる確率が高くないのなら、少しでも可能性を上げる方法を取るべきだわ。私より榛名のほうが空深くんの護衛として適当よ」
「ならアンタ自身で可能性を上げる努力をしてみろよ」

榛名さんが浅海の眼を見る。言われた方の浅海は、怪訝な表情を浮かべてた。

「なんでアンタがやられる前提で話してんだよ。壁になるのはあくまで最後の手段だろ? 空深もアンタも、そして森川も。三人全員無事に帰ってくる努力をしろ。アタシたちはアンタらを迎え入れる努力をする。いいな?」
「それは……いえ、分かったわ」

尚も言い募ろうとしてるみたいだけど、最終的には浅海が折れた。榛名さんが任せろ、と言ってくれたなら間違いなく僕らが帰ってくる場所を守ってくれてるはず。これまで森川を守ってくれてたし、この間の夜も僕と森川を助けてくれた。だからそれくらいは彼女を信頼出来るし、信じてる。

「アンディ、もう一発くらいは撃てるか?」
「さっきみたいなデカイやつは無理だな。だけど船内で使用するくらいの規模なら何とかなる」
「ならやり方は決まりだな」

アンディが軽く眼を閉じて集中を始めた。それを見て僕も眼を閉じる。心を落ち着けて、この後のルートを頭の中で整理。同時に、もう一度雨水さんの言葉を繰り返す。
自分を認める。それはつまり、僕が持てる力を、未来を見る事を受け入れる事。そして、僕が見たい未来を想像する事。
だから僕はソウゾウする。森川と手を引いて脱出する姿を、浅海と一緒に船の上で笑い合ってる姿を。

「カウント……三、二、一、ゴーッ!」
「くらいなっ!!」

弾幕の切れ目を狙ってアンディが通路に踊り出て、その手から放たれた眩い光が通路を明るく照らし出した。爆発が起きて相手からの銃撃が一瞬止む。その隙に僕らは通路へ飛び出した。

「森川さんに宜しく伝えといてくれよっ!」

また通路の奥に引っ込みながら叫ぶ、そんなアンディの声が聞こえた。それに僕は手を振って応えて、突き当りの角を右に曲がった。その直後にいくつもの弾が通り過ぎた壁に弾けて、耳障りな音を立て始めた。

「何とか切り抜けられたわね」
「うん。でも大丈夫かな?」
「信頼してないのかしら、あの二人を?」

分かってて聞いてくる浅海に苦笑いをしつつ、僕は走りながら首を振った。

「まさか。あの二人が残ってくれるから僕らは森川の事だけに集中できる。ならその責任を果たすだけさ」

浅海に微笑んでみせ、僕の顔を見ていた浅海も小さく笑って走る速度を上げる。僕の前を走る形になり、僕は彼女の後ろ姿を眺めながら足を動かす。
そうだ、僕は責任を果たさなきゃならない。三人で帰るんだ。
敵は榛名さんたちの方に集中してるんだろう。奥に進む二本の通路のうち、僕らのいる方に相手の姿は見えない。けれどそれも時間の問題だろう。こちらの人数が少ないのに気づけば、すぐに僕らの意図に気づくはずだ。
と、世界が歪む。デッキの時と同じだ。目の前の景色は同じ。狭い通路で、前を浅海が走ってる。けれど場所が違う。すぐそこに、曲がり角がある。その陰から銃を構えた敵が現れて、目の前の浅海の体が貫かれる――
違う! 僕の見たいものはそれじゃない! 僕が見たいものは――
塗り替える。世界を塗り替える。僕だけの世界を僕自身が上書きする。

「浅海、下がって!」

浅海の返事を聞く前に僕は加速して彼女の前に。腰に吊るしたフラッシュバンからピンを抜いて、三十メートル先の曲がり角目掛けて思い切り投げた。射撃の腕は無くても投げるのならば――
果たして、投げたフラッシュバンは僕の狙い通りに曲がり角の奥に入り込んで、目が眩む閃光と爆発音を撒き散らす。

「浅海!!」
「分かってるわ!」

浅海が加速する。銃を構えて滑り込み、発砲。すぐさま立ち上がって曲がり角の奥へ突入していった。奥からは打撃音とくぐもった声だけが聞こえてきて、遅れて僕も角を曲がった。
すでに戦闘は終わっていた。床には兵士たちが倒れてて、床にも壁にも誰のものとも知れない血液が張り付いてた。浅海の顔にも少しだけ付着してたけど、怪我は無いみたいだ。

「……デッキの時もだけど、どうして分かったのかしら? 私はもちろん、空深くんだってコイツらに気づけるような技術なんて無いはずよ?」
「本当のところは僕にだって分からない。けど、未来が見えたんだ」
「いつも見てるやつ?」
「だと思うけど、ちょっと違う気がする。なんというか……」

言い終わらないうちに、視界が回転する。天井が床になって床が天井になって、血まみれで転がってる兵士たちの上に僕もまた転がった。硬いボディーアーマーが背中に当たって強かに痛い。
一体何が、というか、何をされたかは分かってる。浅海だ。浅海が僕を投げ飛ばしたんだ。では何故?
痛む背中を抑えつつも体を起こす。銃声は聞こえなかった。ならば決定的な事態は発生していないはず。
だけども、その期待は裏切られる。
浅海は銃を突きつけていた。そして同時に銃を突きつけられていた。
その相手は僕らと同じように全身を黒い戦闘服で固めてた。彼女の右手には大きなデザートイーグル。浅海と向き合って、互いの額に拳銃を突きつけ合う。僕のよく知る顔で。

「森川……恵?」

囚われているはずの森川が視線鋭く浅海を睨みつけていた。








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