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0th Bad Dream Believer(11/12/03)
1st 浅い空、深い海(11/12/03)
2nd Who Can Understand Me?(12/01/04)
3rd 普遍、不変(12/01/04)
4th You Are Not Me(12/01/29)
5th 狂々、繰々(くるくる、くるくる)(12/01/29)
6th Do You Love Me?(12/03/04)
7th 僕らの手(12/03/04)
8th Terminal(Bad Dream is over)(12/04/03)
9th 僕はここにいる(12/04/03)
10th No One Knows Everything(12/04/03)









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






-2nd Who Can Understand Me?-




「おはよう、空深くん?」

いるはずのない彼女がそこにいた。
たおやかに微笑み、小さく頭を下げた彼女の姿に僕は思わず足を止めた。
なぜだ、どうして彼女がココにいる。彼女は……死んだはずじゃなかったのか。崩れた足場に潰されて何も言わない暗い瞳で僕を睨んでたじゃないか。
まさか生きていたというのか。僕が見た時はまだ生きていて、単に気を失っていただけとか。でもそれはそれでおかしい。僕は浅海の顔を見た。
妖艶に笑う彼女が怪我をしている様子はない。確かに、昨日見た彼女は怪我をしていた。真っ赤な血が流れ落ちて、それこそ死人と見間違う程に、生きていたとしても重傷で、翌日にこんなにピンピンした様子で登校できるはずは無かった。
なら、彼女は誰だ?彼女は何者だ?浅海、圭は、何だ?

「どうしたの? ずいぶんと怖い顔してるけど」

気がつけば彼女は目の前にいた。笑みを壊さないままに眼を細めて僕の顔を、眼を覗き込んでくる。見上げた口から吐息がそっとかかる。

「まるで、見ちゃいけないものを見てしまったみたい」
「っ!!」

ゾッとしたものが僕の背筋を走る。思わず僕は伸びてきていた彼女の手を力いっぱい払い飛ばした。
パシッ、という乾いた音が朝の教室に響いた。ハッとしてみれば、ブレザーの袖からのぞく彼女の白い手が赤く染まっていた。さすがに笑みは引っ込んだけど、特に驚いた様子も痛がる様子も無く自分の手を見ていた。

「嫌われちゃったみたいね」

どこか残念そうに言う。その表情に謝罪の言葉がつい出てきそうになったけど、乾いた口のせいでキチンとした音にはならない。
ガラッ、と後ろでドアが開く音がした。振り向くと、森川がいた。

「あ…えっと……」

一体何を勘違いしたんだろうか。森川は僕と浅海の姿を認めるとどこか気まずそうに視線を逸した。しかもどこか顔も赤いし。

「邪魔が入ったわね」

冷たくそう言うと、浅海は「また後でね」と言い残して僕を置き去りにして教室から出ていった。出ていく時にブツブツと独り言を漏らしている森川に冷たい視線を送りながら。

「ん、いや、でもまさか、そんな……うん、大丈夫、大丈夫……」
「森川」
「転校してきたばっかりなのに……でも、愛に時間は関係ないって言うし……」

当の森川はと言えば、浅海の凍える視線にも気づかず頬を染めたり悶えたりと一人遊びに忙しいらしい。今まで森川の事をほとんど意識してなかったけど、森川ってこんな奴だったのか。みんなの前で今の姿を見せればきっと人気者になってくれるだろう。僕はオコトワリだが。
登校する生徒が増えて廊下がにわかに騒がしくなる。さっきまでのシリアスな教室の空気は吹き飛んで、すっかり緊張が解けてしまった。
頬に手を当ててクネクネとしている森川を現世へと帰還させるべく、もう一度声を掛けた。

「森川」
「あっそそそ空深くんっ! おおおおはようっ! ああ浅海さんもおはようございますっ!」
「うん、おはよう」

森川らしくない元気な挨拶をして、これまた元気よく頭を下げた。その拍子に掛けていたメガネが落ちる。次いで肩に掛けていたカバンが滑り落ちて綺麗に真上から完璧に流れる様なタイミングでメガネを潰した。

「あああああっ!?」
「どんまい、森川。あと、浅海はもう居ないよ?」
「ええええええっ!?」

世界は今日も朝から元気です。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





鐘が鳴る。鐘が鳴る、とはいっても実際に本物の鐘がなっているわけじゃなくてスピーカーから流れるのは、本物と聞き間違えるかのように精密な電子合成音。無駄なところに技術が使われてるなぁ、と寝起きのボンヤリとした頭で感心しながら背伸びをする。
午前の授業が終わり、担当の先生が出ていくのと間を置かずして教室内は一気に賑やかに。弁当を広げる奴もいれば学食に向かってダッシュしてる奴もいる。

「屋上に来なさい」

唐突に頭上から掛けられる声。見あげれば浅海が僕を見下ろしていた。
一気に意識が覚醒する。よくよく考えれば、彼女の後ろでよくもまああんなに熟睡できたものだ。自分の脳天気さが笑えてくる。
浅海はその一言だけ伝えると、さっさと教室から出て行ってしまった。クラス中が彼女の背中と僕を見つめる。恐らく有り得ない展開だとか好き勝手思ってるんだろう。

「何だ何だぁ、夜よぉ。いきなり美人の転校生といい関係だってかぁ? 女に興味なさそうな顔してやるなぁ、おい。このむっつりスケベ」
「やかましい。何なら僕の代わりにお前が行ってきてくれよ、真」
「んな事できるかよ、バカ夜。圭ちゃんから直々のお誘いだぞ? ここで行かなきゃ男が廃るってもんだろ?」
「別に廃ってもいいんだけどなぁ……」

ていうか命令だったし。お誘いの空気は微塵も感じなかったぞ。
それに用件は朝の続きだろうし、それを考えたらクラスの男子が想像してる様な甘い展開なぞ僕には想像できん。
とはいえ、この空気で拒否もできないし、何より僕自身、彼女がなぜここにいるのか気になるのも事実。大人しく屋上へと向かうか。

「あの……」

教室を出て生き際に森川が声を掛けてくる。だけど朝の元気はどこに行ったのやら、僕が森川を見るとプイ、と眼を逸らしてうつむいてしまった。ちなみに壊れたメガネのアームはセロハンテープで固定されてる。
何か用か、と続けようかとも思ったけど、廊下を歩く笹川の姿が見えたから止めた。きっとアイツのことだから森川と話してるだけで僕が一方的に絡んでると決めつけてメンドクサイ事になるだろうし。だから、森川に小さく手を振って僕は屋上に向かった。

屋上へは日常的に足を運んでるから、そこに至るまでの景色は代わり映えしない。同じ校舎なのだから見慣れていようが見慣れていまいが代わり映えはしないのは極当たり前の話で、だけど屋上へ行くのは禁止されてるから、全くといっていいほど人影は無い。それだけで特別な場所である感じがして、僕は好きだ。
人がいない空間というのは良いものだ。誰にも邪魔されず、自分だけの空間であってそこを犯す奴は誰一人としていない。何も僕を煩わせず、だから僕はひどく落ち着くことができる。
ポケットの中から鍵を取り出す。家の鍵の中に混じって、屋上の扉の鍵がある。僕が落ち着くために屋上へ行きたがった時、あかりちゃんがこっそり渡してくれたものだ。その鍵を手で弄びながら屋上への階段を登っていく。
しばらく教室でボーっとしてたから浅海を待たせてしまったな。彼女の事をあまり知らないが(当然だが)、今朝の笑顔とは裏腹にどこか冷たい印象がある。森川を見る眼も冷ややかだったし、昨夜の事といい、得体の知れないところもある。間違いなく何となく文句の一つでも言われそうだ。いや、意外と細かい事は気にしない性質の可能性もある。そうであって欲しい。
階段の最後の踊り場を曲がり、屋上のドアを見ると、浅海がドアにもたれかかって待っていた。眠っているかのように動かずに、眼を閉じてうつむいている。と、僕の気配に気づいたのだろうか、長いまつげがゆっくり持ち上がり、柔らかさのない怜悧な視線が僕を貫いた。

「遅かったわね。女を待たせるなんて、まったくなってないわ。まるでダメダメな男、まるでだめ夫ね。これだから女の子の扱いを知らない童貞むっつりスケベは困るのよ」

のっけからひどい言われようだった。

「むっつりスケベはともかく、僕に経験があるかどうかは知らないと思うけど?」
「じゃああるのかしら?」
「いや、ないけど」
「……ハッ」

鼻で笑われた。しかも腰に手を当てて見下されて。いや、僕が階段の下にいるから見下ろされるのは当然ではあるけれど。
しかし、経験ある奴もいるかもしれないが、高校生でギシギシアンアンな展開を経験してるヤツは少ないと思うのは僕だけか。

「なら浅海はあるのか?」
「私をそこらの尻の軽い女と一緒にするなんてどういうつもり? まあ想像するくらいは許してあげるけど」
「けど?」
「肖像権の侵害で訴えてあげる」

許してねえし。

「そんな事より早く鍵を開けなさいよ。まだ私を待たせるつもり? それともまさか鍵を持って来てないとか言うつもりかしら?」
「そういうそっちは鍵持ってないの?」
「転校二日目で鍵を用意できる程私の尻は軽くないわ」
「その言葉の使い方は間違ってる」

浅海ってこんなキャラだったのか。転校二日目にしてお淑やかだか、オトナっぽいとか言ってるクラスの男子達が聞いたらどんな反応を示してくれるかね。
そんな事を思いながらも、鍵穴に挿し込む。

「何だか鍵を挿すって卑猥ね」
「黙っとけ」

ドアを開けると廊下の湿った空気が抜けて、代わりに爽やかな風が吹き込んでくる。青空が広がって、それを見ていると何とも言えず僕の気持ちも自然に晴れやかになっていってくれる。
背後でドアが閉まる。カチャリ、と鍵が閉まる音がした。

「それで、屋上に来て何の話……」
「動かないで」

唐突に僕の手がひねり上げられた。細い体のどこにそんな力が、と言いたくなるほどに力強くてミシミシと骨がなってるみたい。痛みに顔をしかめて文句を口に仕掛けたところで、冷たい物が僕の首に当たる。

「動いたら、死ぬわよ?」

太陽に反射して金属製の何かが光る。そっと横目で見てみると、鈍色にハサミが輝いていた。それも工作用のハサミじゃない。人を容易く刺せそうな程に鋭く尖った裁ちバサミだった。その先端が僕に向かって押し当てられていた。

「空深、夜。アナタは昨夜何を見たのかしら?」
「な、何を見たって……」
「答えなさい。さもないと、私はアナタを殺さないといけなくなる」
「殺すって……」
「ずいぶんと物騒だと思うでしょう? でもね、本当にそうしないといけなくなる」

そう言って少しだけハサミが僕に食い込んだ。軽く皮膚が破け、紅い珠が首筋に浮かんで僕は感じた。彼女は、本気だ。

「私としてもせっかくのクラスメートで、しかも席が前と後ろだなんて親しくなれそうな人を傷つけたくないの。だから正直に答えて。アナタは昨日の夜に何を見たのか」
「それは……」

言っていいものか。浅海が、死んでいた、だなんて。死んだはずの人間が、まだ生きているだなんて。そんな非常識な事があるはずがない。僕が生きているのはフィクションの世界じゃなくて、面白くもない辛いだけの現実だ。だから僕が見た浅海の姿が真実なら、浅海はココにいてはいけない存在なんだ。

「浅海が……死んでいた……」

ならば、今僕の後ろにいる浅海圭は何者だというのだろう?僕と話している彼女は誰なのだろう?
僕は殺されても文句は言わない。たくさんの死を見とってきたんだ。今度は自分の番だとしても不思議には思わない。けれど、僕を殺すのが誰なのか、それは知っておきたかった。

「崩れた足場に潰されて浅海圭は死んでいた。いや、死んでいたかは分からないけど、少なくとも今日明日で治る様な怪我じゃなかった。頭から血を流して、僕の靴を濡らした。真っ黒な動かない瞳で僕を睨みつけていた。だから、浅海圭が今日ココにいる筈はないんだ」

ゆっくりと顔を動かして、ハサミを持つ彼女の顔を見る。じっと漆黒の、死者の瞳で僕を見据えていた。

「君は、誰?」
「……質問をしてるのは私だけど、いいわ。答えてあげる。私は浅海圭。昨日確かに事故で死んで、でも昨日と同じ私がここにいる」
「でも……!」

ならどうして君は生きているんだ。そう続けようとしたけど、彼女のハサミがそれを邪魔をした。

「その前に! 答えなさい。その事を誰かに話したの?」
「……いや、話してない」
「家族にも?」
「僕に家族はいない。それに……僕は逃げた。浅海を死んだままにして僕は逃げた。救急車も呼ばず、警察にも連絡せずに。例え家族がいたとしても話せるもんか」
「そう……」

ハサミが少しだけ首から離れた。やっと解放されるのか。そう思ったけど、彼女の手はそのままだった。

「最後に一つだけ。空深くんの家は事故があった場所とは全然違うはずよ。どうしてアナタが発見したのか、教えなさい」
「それは……」

言葉に詰まる。たまたま用事があって通りかかった。そう答えるのは簡単だ。だけど、ごまかすのはイヤだった。ごまかしたらいけない。根拠も何もないけれど、そんな気がした。
僕は一人だ。誰も僕を理解出来ないし、僕も誰も理解できない。僕の秘密なんて真実共有なんてできないし、そもそも他人の重い秘密なんて共有なんてしたくもないはずだ。でも抱え込み続けるのは難しい。数カ月に一度、他人に全てをぶちまけたくて、吐露したくて、助けて欲しくなる時がある。辛くて、息苦しくて、生き苦しい。今日という日がちょうどその日にあたったのかもしれない。脅されていた、という言い訳エクスキューズもある。だからか、僕は正直に浅海に話していた。

「僕は……未来が見えるんだ」
「未来が……? 何を言ってるのかしら?」
「嘘に聞こえるかもしれないけど、嘘じゃない。僕には時々、近くにいる人の未来が見えるんだ。それも悪い未来だけははっきりと」
「ふぅん……それでこの前倒れたわけね」
「あまりにもはっきりと……浅海が死んでた姿が見えて、でも目の前の浅海は生きてたからたぶん混乱したんだと思う。放課後に眼を覚ましてから浅海を止めようと思ったんだけど、間に合わなかった。ゴメン」
「どうしてアナタが謝るのよ?」
「助けられなかったから」
「でもアタシはこうして生きているわ」
「痛かったのには変わりないだろ? だから、ゴメン」

打算混じりの謝罪を吐く。
浅海は僕に刃を向けたまま、じっと考え込んでいる様に黙っていた。動きも、呼吸すら止まっているかの様に静かだった。
どれだけ時間が経ったろうか。状態が変わらないと、緊張も次第に解けてきて、今の身じろぎ一つすらできない姿勢は中々に辛い。だから今の状態を変えるべく、僕の方から彼女に声を掛けた。

「……それで、僕の解答は正解なんだろうか? いい加減この体勢も辛いものがあるんだけど」
「そうね……いいわ、とりあえずアナタの言葉を信じてあげる」

ただし。ハサミを離しながら、彼女は続けた。

「アナタの話に一片でも嘘が見つかったら、その時点でアナタを殺すから。そしてアナタだけが私の事で知っていること、それを第三者にバラしてもね。それでいいかしら、空深くん?」
「いいも悪いもないだろ? どうせ選択肢なんか無いんだから」
「別にいいじゃない。女の子とこんな近くで触れ合ったことなんてどうせ無いんでしょ? 役得じゃない」
「命賭けてまで触れ合いたくねえよ」

とはいえ、だ。張り詰めていた空気も解けたし、僕の方もやっと一息つけて思わずため息が出た。
少し痛む首筋を抑えながら後ろを振り向くと、すでに浅海は何処かにハサミを仕舞っていて、姿形も無い。……結構おっきいハサミだったと思うんだけど、何処に隠したんだ?

「いい女には秘密がいっぱいあるのよ。具体的には2つくらい」
「少なっ!? てか思考を読むな! ついでにいい女はいきなり刃物を突き出したりしねえし!」
「良いツッコミね。才能あるわよ」
「嬉しくねえよ」
「あら残念」

なら少しは残念がる素振りでも見せやがれ。
そんな僕の心中とはお構いなしに、浅海はクスクスと笑いながら踵を返してドアノブに手を掛けた。

「ちょっと待て。何勝手に帰ろうとしてるんだよ?」
「だってもう昼休み終わるもの。急がないとお昼食べられないじゃない。私は何があろうと一日三食キチンと食べることを自分に課してるの。邪魔しないでよ?」
「浅海の信条は知らないけど、まだコッチの質問に答えてもらってない」
「また後で答えてあげるわ。いいでしょ? どうせ今、知っても後で知っても変わりないんだから。それとも何かしら? 今答えをもらわないと昼から眠れないとか女々しい事を言い出すのかしら? ハンッ、そんなんだからいつまで経っても童貞なのよ」
「もうその話はいいから……」

眠れないとは言わないけど、気になるのは確かで、午後からずっとこの悶々とした落ち着かないまま過ごさなきゃいけないのかよ。いくら打算が多分に含まれてたからって僕の秘密を明かした対価がそれじゃあんまり過ぎる。
なのに浅海は素知らぬ顔でメンドクサイ結果になるであろう言葉をプレゼントしてくれた。

「あ、そうだ。私、午後からサボるから?」
「は?」
「空深くんの話を聞いて、色々と調べないといけないことができたの。だから先生への説明宜しくね?」
「いや、ちょっと……」
「それじゃそういう事で。またね」

制止も何処吹く風。馬耳東風。馬の耳に念仏。微妙に意味が違ってる慣用句が頭の中に飛び交ってる僕を尻目に、彼女はスタスタと歩いて階下へ消えていった。
残された僕は呆然とせざるを得ず、微妙に赤く染まった首元と先生への言い訳を黙考することしばし。とりあえず全部放棄して不貞寝することを脳内会議で決定すると、この後の真の絡みを想像しつつ、彼女の後を追った。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





光陰矢のごとしと言ったのは誰だったか。古典に全くと言っていいほど興味を持たない僕でも知ってる言葉で、だけども言葉を最初に放った人物が誰であったか思い出すことは到底僕のやる気では無理ではあるのだけれど、その言葉の意味というものを実感するのは非常なほどに容易い。何せ目をつむって目を開ければすでに放課後だ。我ながらよく寝たものだと、自分の体に感心すると同時に空恐ろしい物を感じてしまう。
教室に帰り着くやいなやクラス中の視線が僕に集中するのは予想通りで、真がニヤニヤとこれでもかと言わんばかりにニヤつきながら近寄ってくるのもこれまた予想通りではあったけど、いやはや、その第一声までは予想して無かった。

「で……やったのか?」

いやらしい笑みを浮かべて突き立てた中指をクネクネさせながら肩を組んできた真をその場で殴り飛ばさなかった自分をぜひ褒めて欲しい。僕も真に笑いかけ、自分から真の肩に手を伸ばす。真を席に着かせると僕はそっとその頭に手をやる。「おっ! マジでやったのか!?」と下品に笑う真に微笑みかけると、全力で真の頭を机に叩きつけてやった。

「……任務完了」

頭から白煙を上げる真を放置すると、僕はそのまま自分の席に突っ伏した。どうにもすぐメンド臭くなってしまうのは僕の悪癖の一つではあるが、これで周りからの不躾な視線も飛んでこないだろうし、たった一つの冴えた殺り方だと信じてる。浅海から受けた理不尽な扱いのストレス解消も兼ねてはいるのを否定はしないけど。
授業が始まって浅海の姿を尋ねる先生の声が聞こえたけど、誰も何も言わない。だいたい浅海のサボリの言い訳を僕がしなきゃいけない理由はない。が、頼まれたからにはしないといけないだろう。「気分悪いんで帰りました」とだけつっぷしたまま言ってやると、それきり何も追求が来なかったから僕は安心して安眠モードに入って、以上の事を回想しながら道を歩いてると、いつの間にか家の前に立っていたりするから不思議だ。

「まあ、夕べの事以上に不思議なことなんてそうそう無いだろうけど」

平穏が一番。これ重要。できれば僕の力も一生発動しなくていいんだけど。

「自分でどうにかならないものを考えても無駄か」

独りごちながら結論付けると、見慣れたボロ屋の門をくぐる。二階建ての、風が吹く度にギシギシどころかミシミシと崩壊も近そうな音がするのに、どうにか崩れずにちゃんと建っているのが不思議すぎる。もしかしたらこのアパートの存在自体が一番の不思議現象かもしれない。
鍵を挿し込んで一回し。カチャと音がしてドアノブをひねるけど開かない。
まさか泥棒?そんな疑念が過るけど、誰が好き好んでこんなボロ屋に盗みに入るというのだろうか。いや、セキュリティはザルもザルなのでそういう意味では入りやすいだろうけど。
ともかく、もう一度鍵を回して開錠し、警戒しつつソっとドアを開けて中を覗き込む。
そして中にいた人物を見て呆けたのも仕方ない事だと思う。

「は……?」
「お帰り。早かったわね」

そう言って出迎えてくれたのは、今日の昼間に散々人をいたぶっといてさっさと帰ってしまった女王様だった。しかも制服姿に白いエプロン、頭には三角巾という古風豊かな格好で。

「なにいつまでもそんなとこにつっ立ってるのよ。早く入りなさいよ」
「あ、うん」

目の前の光景にイマイチ頭が付いて行かない。もしかしなくても僕はまだ学校で寝ていて夢を見ているのだろうか?

「ちょっと待ってて。もうすぐで夕飯できるから。あと勝手に部屋も掃除しといたわよ」

浅海の言葉通り、狭い台所からは夕飯のいい匂いが漂ってきてるし、部屋も、元々対して散らかってはいなかったけど、キレイに整頓されててフトンも折りたたまれて端に寄せられていた。
……浅海、だよな?つい内心で確認を取ってしまう。外から帰ってきたらご飯が準備されてるなんて、何年ぶりだろうか。一人は慣れてるはずなのに、どういう訳か鼻の奥がツン、と熱い。トントントン、なんてまな板を叩く音一つ取ってみても懐かしさがこみ上げてきて、浅海の後ろ姿が、死んだ母さんの姿とダブって見えた。

「しっかし、狭い家ねぇ。今にも崩れそうだし部屋は汚いし風呂場なんてカビだらけじゃない。よくもこんな家に住めるものだと初めて空深くんを感心したわ。きっとゴキブリやダニがアナタのお友達なのね。ああ、ゴキブリと同列に語っちゃ可哀想ね。ゴキブリが」

浅海は浅海だった。
ほっとけ、どうせただ物が少ないから整理されて見えるだけで、ほとんど掃除なんてしてない汚くてボロい家に住んでるダメ人間だよ!
って違う!

「なんで浅海がここに!? しかも料理中!? ていうかどうやってウチを調べた!? そもそもどうやって入ったんだよ!?」
「昼間も思ったけど相変わらずツッコミのキレが良いわね。M-1グランプリにでも出たら?」
「ボケなしで!?」

そんな事よりも僕の質問に答えて欲しい。何故に浅海がウチにいて料理なんか作ってるのか。どうやって中に入ったかはこの際眼をつぶって警察には通報しないでいてやるから。

「後でちゃんと話してあげるから、とりあえず風呂にでも入ってらっしゃい。出る頃には夕御飯もできてるから」
「……分かったよ」

何が狙いか分かんないけど、ともかくココは浅海の言う通りにしておくか。別に盗まれる物は無いし、暖かい飯は出てくるわけだし。
まあそれでも一応釘は刺しておこう。

「覗くなよ?」
「ポークビッツを見てほしいの? とんだ変態ね」
「……」

もう何も言うまい。おとなしく黙ってシャワー浴びてこよう。

「あら、図星?」
「ノーコメントで」

男だって秘密がある方が魅力的だ。そういう事にしておいてくれ。



で。



「……」
「……」

ズズー、と音を立てて二人して食後のお茶を飲んでたりする。流しには食べつくされた皿の山。浅海の料理がどういったものか、もしかしたら料理もどきの真っ黒な正体不明暗黒物質でも出てくるのかとも思ったけどなかなかどうして、久々の手料理だってことを加味しても十分うまかった。美人だし、浅海を彼女にできる男はきっと幸せな気分に浸れるだろう。

「何よ、人の顔をジロジロ見て。誰が視姦する許可を出したというのかしら? さっさとその汚らしい眼をどかしなさい。肌が腐るわ」

口の悪さにさえ眼をつむれば。

「それで、ちゃんと話してくれるんだろうな?」
「ええ。もちろん話せない部分はあるけれど、教えられる範囲で話してあげる。私は口は悪いけど嘘は吐かないわ」

自覚はあったのか。

「じゃあ、まず一つ目。昼間の質問から答えるわ」

コトリ、とちゃぶ台の上に湯のみが置かれる。まだ暖かいお茶からは湯気が立ち上っていてユラユラと揺れ、浅海はそれに眼を落としながら口を動かす。

「私は浅海圭。昨日空深くんが見た死体も間違いなく浅海圭、つまり私よ」
「そんなバカな。まさか生き返ったとか非現実的な事を言い出さないよな?」
「そのまさかなのよ。より正確に言えば、私は死んでなかったのだけれど」
「……嘘じゃないんだよな?」
「さっきも言ったけど、私は嘘は吐かないの。そうね……」

顎に手を当てる仕草をすると浅海は視線を宙にさまよわせ、そしてどこからともなく昼間も見たハサミを取り出した。何をするのか、と浅海を注視すると、突然浅海はハサミの刃を自分の手首に当てて躊躇いも無く切り裂いた。

「バカッ、何を……!」
「いいから黙ってみてなさい」

立ち上がり掛けた僕を浅海は落ち着いて制止すると、ボタボタと流れ出る赤い血をただ眺める。僕も言われた通り黙って見ていたが、やがて言葉を失った。

「血が……」

深々と切り裂かれた手首から血が止まり、濡れたそこを拭うと傷の無い、元の綺麗な肌が現れる。唖然としてそこをマジマジを見ていたけど、僕に向かって掛けられた平坦な声に意識を戻される。

「理解したかしら? こんな体のせいで私は死にもしないし老いることも無い。だから昨日空深くんが見た浅海圭も、今こうして話してる浅海圭も矛盾しないの。ま、空深くんの中の常識にはケンカを売っているでしょうけど」

……信じられないけど信じないといけないんだろうな。浅海の言葉通りこれまでの僕の常識には反するけど、これも事実だ。まさかこんな人間がいるなんて、空想の世界だけだと思ってた。
だけど気になる事が一つ。浅海の言い方だ。口調はもうだいぶ聞き慣れたいつもと同じ調子だけど、どこか自嘲するような、悲しげな響きがあったような気がする。浅海のこの体質が生まれつきのものなのか、それとも後天的な、何かきっかけのような事があったのか聞きたくもあったけど、彼女のこの体の事にこれ以上触れてはいけない様に思えて、僕は口を噤んだ。僕があまり僕の能力について触れて欲しく無いように。

「浅海が元気な理由は納得しておくよ。今こうして目の前に浅海がいるわけだし、仮に今の話が嘘だとしても僕には確かめようが無いわけだしね。
 それで、次になんで浅海が僕の家にいるか聞いてもいいか?」

まさか空き巣ってわけでも無いだろうし、何か用事があったからいるんだろうけど、残念ながら僕には相手の心なんて複雑怪奇なものは読めないし、未来だって自分の事は見えないからその用事が何なのかはサッパリだ。

「それは単純な話よ。私が空深くんに話があったから」
「まあそうだろうね。できれば家主の帰りを待って中に入ってくれたら心から歓迎できたけど」
「なんで私が外で立ってなきゃいけないのよ」
「だろうね……で、その話って?」
「私に協力して欲しいの」
「協力?」

協力、ね……いったい僕に何を求めてくるのやら。中途半端な力しか持たない、無力としか思えない僕に何ができるというのか。期待してもらう分には自由だけど、結果は求めないで欲しいんだけどな。

「そもそも私がこの街に来たのは、ある人物を助けるため。そのために空深くんには私を手伝って欲しい」
「手伝うったって僕には何もできないよ。だいたい、人助けなんてだいそれた真似、僕には向いてない。しかもなんで僕なのさ? もっと他に助けてくれそうな人を探したほうがいい」
「残念ながらそうはいかないの。空深くんは私の秘密を知ってるし、アナタの能力が役立つ時があるかもしれない」
「浅海の秘密がバレる恐れがあるって事は……もしかしなくても危険だったり?」

そう尋ねると浅海はあっさりと頷いてみせた。

「ハッキリ言うと、命を落すかもしれないわね」
「なら断る。そんな重たい協力なんて僕の手にあまる。別の人に頼んでくれよ」
「さっきも言ったけど、協力を頼める相手は限られてるの。それに……私が助けようとしてる人は空深くん、アナタにも関係ある人なんだけど、それでも他の人に頼めっていうの?」
「……誰だよ、その、浅海が助ける相手って?」
「森川恵」

一瞬、呼吸が止まったような気がした。どうして、そこで森川の名前が出てくる?クラスメートで、目立たず地味で、言葉は悪いけどコレといった取り柄もなさそうな森川の命が危ないんだよ。

「これは空深くんが協力を約束してくれてから話すつもりだったんだけど……森川恵は近々誘拐されるわ」
「なんでだよ? なんで森川が誘拐されるんだよ?」
「彼女はね、アナタと同じなのよ」
「僕と……?」
「そう。彼女は未来が見えるの。それもアナタと同じか、それ以上にね」

そんなバカな。僕と同じ能力者がそんなにポンポンといるもんか。これまでの十七年間、誰もそんな力を知らず僕を理解してくれる人なんていなかった。なのに身近に……同じクラスになんているはずがない。

「信じられないって顔ね」
「そりゃそうだろう? 僕の力が珍しいことくらい僕だって分かる。なのにそんな近くに同類がいるだなんて信じろって言う方が無茶だ」
「ええ、確かに珍しいし、こんな、同じ学校に二人も見つかるなんて私だって予想外よ。でも、間違いなくそれは事実だわ。私が保証する」
「百歩譲って、森川も未来が見えるとする。でもなんでそれで森川が誘拐されることになる?こんな役に立たない力で……」
「アナタにとっては役に立たなくても、周りから見れば非常に有用な力なの。それくらいはアナタの事だから分かってると思ったけど」
「買い被らないでくれ。こんな無能者の不良の事をどこまで当てにしてるんだよ?」
「……話を続けるわね。もし、未来を見る力を完璧に扱えるなら、未来の情報を狂い無く手に入れられるならそれは野心さえあれば世界を支配することに等しいわ。常に相手の先手を打てる。個人には無理でも、力を持つ組織であれば世界構造を手中に収めるのは難しくない」
「だから協力しろって? 冗談じゃない。そんなの僕ら一般市民からしてみればいわゆる『お上』が変わるだけじゃないか。僕らの、僕の生活が変わるわけじゃないし、権力闘争なら勝手にやってくれよ。僕には関係ない」

何も変わりはしない。せいぜい与党が変わるくらいだ。僕の生活は今まで通り続いて、それは変らない。何か変化があったとしてもそれは所詮規定された変化にすぎない。支配者が変わっても変わらなくても、世界構造が変化してもしなくても起こっただろう差分だ。そんなものに興味は無い。

「私も興味なんて無いわ。権力闘争なんてせいぜい狐と狸が化かし合ってればいいもの。私が言いたいのは、アナタの持つ能力にはそれだけの価値を見出す人間がいて、森川恵は誘拐されて人間としての尊厳を奪われる。それを私は止めたいだけよ」

浅海が体を乗り出してちゃぶ台に覆い被さる。俯いた僕の顔を覗き込み、彼女の黒い瞳に僕の歪な姿が写り込んだ。

「そして……それは空深くんも同じじゃなくて?」
「僕は……」
「ずっとアナタは助けられなかった。助けたくてもいつも最後は助けたい相手がスルリと手から滑り落ちていく。そうでしょう?」
「……」
「これはね、空深くん、アナタにとってもチャンスよ」

そう言って浅海はワラウ。いやらしく口端を歪め、その目は全てお見通しだと語ってた。グニャリと歪んだ僕の姿から眼を離したくても離せない。

「誰にも理解されず協力者も無くて失敗してきた。なら協力者がいればどうなるのかしらね? 相手を救えるのならば、空深くんに巣食う無力感も拭えるわ」

誰かを、救えるというのだろうか。そんな傲慢な考えが、僕に許されるというのか。彼女の眼がそれを肯定する。私に従えば大丈夫だと、そう言っているのか。
突然柱に掛けていた古い掛け時計が鳴った。深淵から這い出して見上げると、針は十時を指していた。それを合図としたかのように、浅海は僕の体から離れて元の位置に正座する。

「まあ、すぐに返事をもらえるなんて思ってないから。しばらくその空っぽの頭で悩みなさい」

バカにした口調で、でも顔は普通に笑って浅海はそう言った。

「それじゃ私は寝るから。寝不足は美容の天敵だもの。また後で聞かせてもらうから答えは用意しておいて」

そうは言うけれど、答えを出せるのだろうか、僕は。でも、出さなきゃいけない。森川を助けるか、それとも見捨てるか。言葉にすればその程度で、正しいのは助ける方。でもその選択をするのは難しい。

「……分かったよ。んじゃ、送ってくよ。浅海の家はココから近いのか?」
「近いわよ。動く必要が無いくらいに」
「え?」
「今日からココが私の家だもの」
「……は?」

いや、意味が分からないんだけど。
意味を咀嚼するために固まっている僕の横で浅海はさっさとエプロンを外して、勝手に僕の布団を広げるとその中に潜り込んでいった。

「あの、浅海? ココは僕の家のはずだけど?」
「そして今日から私の家。ああ、別に名義は変わってないし空深くんもココに住む権利はちゃんと有してるから安心して」

それじゃおやすみなさい、と言いたいことだけ言ってしまうと、浅海はあっさりと寝息を立て始めた。丸メガネの小学五年生もびっくりな速さだ。

「えーっと……」

寄る辺なく周期的に上下する僕が寝るはずだった布団を眺めていたけど、そうしていてもしょうがない。深々とため息をつくと、電気を消して僕も適当に畳の上に寝転がって、体を抱え込む様に丸めて寝ている浅海に背を向ける。まったく、幸せが逃げたからため息が出るのか、ため息が出るから幸せが逃げていくのか。
静かになった室内で、浅海の穏やかな寝息だけが僕の耳に入る。それもまた僕にとっては久々の事だ。そう考えると少しささくれだった畳の寝心地も悪くなく思えてきてしまう。
そんな事を考えながら僕も眼をつむる。そして僕もいつの間にか彼女と同じように寝付いてしまっていた。












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