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0th Bad Dream Believer(11/12/03)
1st 浅い空、深い海(11/12/03)
2nd Who Can Understand Me?(12/01/04)
3rd 普遍、不変(12/01/04)
4th You Are Not Me(12/01/29)
5th 狂々、繰々(くるくる、くるくる)(12/01/29)
6th Do You Love Me?(12/03/04)
7th 僕らの手(12/03/04)
8th Terminal(Bad Dream is over)(12/04/03)
9th 僕はここにいる(12/04/03)
10th No One Knows Everything(12/04/03)









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






-3rd 普遍、不変-




雨が降っていた。ひどい雨だった。分厚い雲がどこまでも遠くに延びていて月明かりを遮断してた。
街灯だけが僕を照らしていた。いや、僕だけじゃない。僕と、モノになり果てた人だったもの。僕らを、冷たい鈍った光が照らす。落ちてくる雨粒に反射して、眩しくて僕は眼を軽くつむった。雨音がとても耳障りだ。それでも雨は僕らを濡らし、水溜まりでパシャパシャと音を立ててくる。
雨音以外に音は無いし人通りも無い。当たり前だ。時間は深夜で、ここは住宅街。こんな時間にこうして雨の中で傘もささずに立っている僕がおかしいんだ。冷え切っていく体を自覚しつつ空を見上げる。目の前の建物の屋上にはグルッと囲むようにフェンスが張り巡らされてて、だけど壊れた一部が外側へはみ出していた。
足元の彼女は雨雲を眺めて眠っていた。美人とは言えない、でも比較的整ったその顔は、初めて会った時は憂いを多分に含んでいたけど、今はとても穏やかだ。
そう、とても穏やかなんだ。眼は閉じて、本当に眠っているように見えるし、悩みや苦しみや哀しみ、それら全てから解放されてしまって彼女はきっと素晴らしい夢を見ているんだろう。
僕の気持ちも知らないで。
僕は彼女の名前も知らない。生まれも育ちも、彼女の事は何も知らない。知っているのは彼女が死のうと考えてたこと。それの実行日が今日だったことだけ。僕は、彼女が秘めて秘めて、誰にも知られてないはずのそれを、偶然にすれ違っただけで知った。
だから僕は彼女を止めた。誰にも死んでほしくなくて、それは見知らぬ行きずりの人だろうが変らない。僕に助けられるのなら、僕の手で救えるのなら生きていて欲しかった。父さんと母さんみたいに、助けられる可能性を見逃して死なせてしまう様なことは、絶対にしたくなかった。
彼女を思いとどまらせるために何を話したのかは、正直覚えていない。ただ必死だったのは覚えてる。誰もいない静かな屋上で、必死で言葉をつむぎ、年上の彼女に幼い僕の考えを伝えた。まだ中学生の、罪とも言える無知と無垢さを以て訴えた言葉。だけど彼女はそれを受け入れてくれた。生きることを約束してくれた。
その結果がこれか。眼を開けない彼女の顔を見て自分を吐き捨てる。唾棄した自分に引きずられて膝から力が抜ける。いつの間にか口からは嗚咽が漏れていて、なのにそれが自分のものじゃないかのように遠くに聞こえる。
僕には、何も出来ない。何をしても結果は変らない。なら、未来が見えることに何の意味があるというのだろう。
ノイズが混じる。映像が乱れる。壊れたテレビみたいにザーザーと音がうるさい。だってそれはそうだ。こんなにも雨が降っている。ザアザアと、バシャバシャと――



――ジリリリリリリリリ……
唐突に視界が開けた。仰向けの顔が見ている天井は当然知っている天井であって、眼が覚めるとそこはどこか違う場所だなんて事は無い。いつだって眼が覚めれば、そこにあるのは現実だ。
大きく肺から息を吐き出して一息つく。ひどい夢だ。もうずっと見てなかったというのに、どうして今になってみるというのか。まったく、朝からひどい気分だ。寝起きの悪い僕がスパッと目が覚めたのは良い事かもしれないけど。
けたたましく鳴り続ける目覚ましを止めるために姿勢を入れ替えようと体をひねる。すると、何とも形容しがたい、慣れない感触が肘に伝わってきた。言葉で表現するならそう、「ムニュ」っと――

「へ?」

おかしな感触の発生源を求めて顔をゆっくりと動かしてみる。ギギギ、と何だか錆びついた機械じみた音もしてる気がするが。

「すぅー……」
「ななななななななな!?」

何で浅海が僕の隣で寝てる!?しかも僕の腕を自分の胸に抱きしめて!?
確かに夕べ寝た時は浅海とは距離を置いて横になったはず。浅海に布団を占領されてたから僕は布団の隣で寝たはずだ。こんな真が喜びそうな状態になるような距離じゃなかったはず。寝起きでイマイチ回らない頭がフル稼働しながら自分の場所を確認すると、僕は確かに布団からは距離を取っていて、それはつまりは浅海の方から寄ってきたわけで。
僕の声の所為か、浅海のまぶたがゆっくり持ち上がる。焦点が定まってないのか、何回か瞬きをして左手で眼を擦ると今の状態に気がついたのか、僕の眼からも浅海が驚いたのが分かった。
けれどもそれも一瞬の事で、すぐに表情を取り繕うと、浅海はニヤリという擬音が適切な程に唇を歪めた。

「寝てても人を抱き寄せるなんて、空深くんはよっぽど不満が溜まってるのね。まったく、とんだド変態だこと」
「いや、腕を抱きしめてるのは浅海の方ではあるんだけど」
「あらあら、女の子の所為にするなんて男らしくない。いっその事切り落としてしまえばいいのに。どうせ使うこと無いんだから」

朝から全開なことで。なんというか、昨日の暴言を吐き続ける浅海の記憶も蘇ってきて、今しがた浅海の姿に驚いて損した気分になった僕は決して悪く無いと思う。未だ胸に抱かれたままの腕をそっと引き抜くと、浅海は名残惜しそうな、残念そうな顔を浮かべた。そんな顔をするならもうちょっと男をその気にさせる言葉を口にして欲しい。そんな考えは僕は口にしないけれど。
ともかくも今日も平日な朝なわけで、いつまでも浅海とこうして寝たまま顔を突き合わせて暴言を聞き流し続けてる時間は無い。起き上がって髪をかきむしり、シャワーを浴びようと立ち上がったところで手を掴まれた。ホント、その細い体のどこにそんな力があるんだよって言いたいくらいの力で引っ張られて座らされる。

「先にシャワー使うわね。空深くんは先に他の準備でもしてて」

寝る前と同じく一方的にそれだけ告げると、さっさと自分は風呂場に入っていってしまった。歩きながら着ていた制服を脱ぐなんて器用な事をしながら。

「勝手だなぁ……」

ため息をつきながらも浅海の制服を集めるとシワになってないか確認する。すると少しだけ深いシワがあったから、窓際に置いてあったアイロンとアイロン台を持ってきて、その時にテレビのスイッチも入れる。テレビのニュースをBGMにしながら簡単にアイロンをかける。
適当にアイロンをかけ終えて、流しを洗面台代わりにしようと思ったら夕べの皿がタライに浸かりっぱなし。それを見るとついついため息が出る。テレビに表示されてる時刻を見れば、まだ余裕がある。朝からメンドクサイけど、仕方ない。どうせ五分もあれば終わることだし、と寝起きの格好のままスポンジを手に取った。

「それでは最新のニュースをお伝えします。
 IHFL――国際生命科学研究所日本支社の石村光一社長は昨日会見を開き、癌に対する新たな新薬の開発に成功したと発表しました。会見で石村社長は、この新薬は従来よりも副作用がほぼ無く、服用してもこれまでと同じように生活を送る事が可能で、およそ一ヶ月ほど服用を続けることで体内の癌細胞を完全に消滅すると述べました。また石村社長は『この新薬により、人類を長年苦しめてきた癌という病を完全に克服し、新たな未来を手に入れた』と述べ、大塚厚生労働大臣も『素晴らしい開発だ。世界中がこの新薬を祝福している』と……」

ニュースを聞き流し、一通り食器を片付けて歯を磨く。その間に袋からパンを取り出してトースターに突っ込む。朝の準備を一通り終えて、コーヒーを飲みながらいつも通りボーっとして登校までの時間を過ごす。

「あら、朝ご飯の準備してくれたのね」

声に振り向くと下着だけ着けた浅海がバスタオルを肩にかけて立っていた。制服の上からだとそこまで感じなかったけど意外と浅海は細かった。スラリとした足は少し汗ばんでいて、扇情的というのだろうか。腰のところもくびれてるし、肌も白いしとてもキレイだと思う。

「ジロジロ見てるのは、まあ私が魅力的だから許してあげるけど何か言うことは無いのかしら?」
「ん? ああ、そっか。キレイだね」
「……感情がこもってないわ。三点ね」
「何点満点で?」
「千点満点」

ああそうかい。まあ所詮お世辞だし、どうでもいいんだけど。

「空深くんってどうにも反応が淡白な事が多いわね。ツッコミは別だけど。まさか――」
「淡白なのは認めるけど体はどこもかしこも至って正常。それと朝から下ネタは禁止」
「つまんない男ね」
「そいつはどうも。それよりも、さっさと着替えて飯を食う。時間が無くなる」

折り畳んでおいた制服を指さすと、浅海はありがとう、と礼を述べてブラウスとスカートを手に取った。なんだ、コイツもお礼は言えるのか。

「アナタの考えてる事が手に取るように分かるわ。私だって感謝の言葉くらい知ってるわよ。バカにしないで欲しいわね」
「よく僕の考えてる事が分かるな。浅海は読心術でも身に付けてるのか? それとも僕みたいに未来が見えるのか、実は?」
「人生経験の差よ。自慢できることじゃないわ。未来なんてとっくの昔に見えなくなったし」
「え?」

最後の言葉に僕は浅海の顔を見た。伏せ気味の顔には長い髪が垂れてきていて彼女の顔を隠していた。その隙間からうかがい知れた、ほんの少しだけ覗いた彼女の眼は、どこか泣きそうな色をたたえていた。

「さて、それじゃせっかく準備してくれたんだし、いただきます」

その顔の訳を聞こうとして、浅海の声に遮られる。それがなんとなく拒絶されているような気がして言葉にできず、だから僕も浅海と同じように手を合わせてトーストにかじりついた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



僕と浅海はクラスメートだ。たった二日前に浅海が転校してきて、まあ彼女は学校ではこの二日間、猫を三味線を作れそうなほどに何枚も被っているみたいだから当然評判は良い。髪は薄く茶色に染められてはいるけど、和服が似合いそうな落ち着いた雰囲気だし、お淑やか(に見せかけている)で誰にでも丁寧に接してるらしいから男女問わず人気が出てきている。
そうなれば男女関係に関心の高い思春期の我らの注目を浴びるわけで、恐らくは彼女一人で登校していても十分に周囲の眼を引きつけているに違いないと僕は思う。
なら、その隣に男の姿があったならどうなるか?答えは火を点けたら煙が出るのと同じように明らかであって、更にはその男が学校では敬遠されている僕みたいな人間だったら、それこそ老若男女問わず注意を集めてしまうわけで。

「……」

なもので僕はその注目を校内で絶賛大収集中である。隣の浅海は呑気に鼻歌を歌いながら、周りの注目などどこ吹く風、と言った感じに歩いている。たいがい僕も周囲の視線には図太いと思ってたけど、彼女の図太さにはさすがに感心するな。

「周りの有象無象の事をどうして気にかける必要があるの?」
「道端に並んでる銅像がみんな自分の方を見てたら気になるだろ?」
「ふぅん、まあそうかもね」

まったく以て度し難い。どうしてみんなそこまで周囲に関心を払えるんだろうか。疲れないんだろうか、とつくづく思う。周りと関わって、全く良い事が無いとは言わないけど、僕からしてみればデメリットが多い。柵は増え、気は遣わないといけないし、無意識下で相手に対して期待を掛け、掛けられる。
付き合いなんて最低限度、数人腹を割って話せる相手がいればそれでいいじゃないか。このご時世、周囲と深く関わらないと生きていけないなんて事は無いんだから。みんな僕と違って十分に助けてくれる人はいるだろうに。

「よ〜る〜……」

と、後ろから恨めしげな声が聞こえてきて、その声こそまあ僕の数少ない友人に数えられる相手のものであることは、残念ながら声を聞くだけで分かってしまった。

「おはよう、真」
「おはよう、じゃねえよ! 何だっていきなり転校生とうらやましい展開になってんだよ!? 昨日お前が俺に言ったのは嘘だったのか!?」
「……何か言ったっけ?」
「くぁーっ! どの口がンな事いうかなぁ!? 昨日隣の転校生とは何にも無かったって言ったじゃねえか!!」

確かに浅海とは別に何も無かったけど、真にそんな事を言った覚えは無い。無言のまま真を沈めたはずだから。

「別に何も無いよ。一緒にガッコに来ただけじゃん?」
「あ〜や〜し〜い〜な〜」
「あ〜や〜し〜い〜ね〜」
「なんで三上先生まで乗っかってくるんですか……」

そもそもいつの間に現れたんだ、あかりちゃんは。
そんな僕の疑問をよそに、あかりちゃんはちっちゃな胸を張って、外向けの笑顔から浅海そっくりなニヤリ笑いを浮かべてくる。

「いや〜青春してるよね。恋愛するのはいい事だよ! さすがに夜クンがここまで手が早いとは思わなかったけど。あ、夜クンの事だから大丈夫だと思うけど、浅海さんは、もし夜クンが無理やり高校生にあるまじき事をしてきたらコッソリ教えてね。首を絞め落とすから」

信頼されてるのかそうじゃないのか。判断に迷うところだけど、話のそもそもの前提が違う。

「だから……」
「あ、あの……」
「ん?」

掛けられた声に振り向けば森川の姿。真と浅海も一緒に振り向いた所為か、森川はビクッと首を竦ませて、オドオドしながらも尋ねてきた。

「そ、その……空深くんと、あ、浅海さんは付き合ってるの?」

……森川、お前もか。
思わず英国のかの作家で有名になったセリフを吐きつつガックシと脱力してしまうのを何とか堪えつつも、そこははっきりさせておかないとまずいだろう。

「僕と浅海はそういう関係じゃないから」
「……本当に? 手を繋いだりとかもしてないの?」
「してないしてない」
「き、キスとかも……」
「舌とか噛み切られそうだな」

いったい森川の中で僕と浅海の関係はどういう関係に昇華させられているのだろうか。ともかくも僕の言葉の何かに安心したのか、森川はホッと胸をなで下ろした。まあ、なんにせよ、誤解が解けた様で何よりだと思う。

「ま、そうね。私と空深くんは皆さんが期待している様な関係じゃないですから」

……なんだろうか。まだ浅海と出会って三日目なんだけど、こうも素直に僕の期待通りのセリフを吐いてくれるとどうも逆に不安になる。
あかりちゃんも真も僕と浅海が揃って否定したからか、矛先を納めたけどどこか不満そうだ。特に真。お前は僕が浅海と付き合ってた方が良いのかそうじゃないのかどっちなんだよ。
ともかくも教室へ、と珍しい五人で廊下を歩き出したところで浅海が口を開いた。

「空深くんとは一緒に住んでるだけですから」

頼むから勘弁してくれ。
そんな僕の願いが通じたのか、幸いにして前を歩くあかりちゃんと真には聞こえなかったらしく二人は会話しながら人がごった返す廊下を進んでいた。隣で浅海が盛大に舌打ちをしていたけどそれは無視しておく。
だけど森川には聞こえてたみたいで、ものすごい衝撃を受けたような顔をしていた。それはもう形容するのが僕のチープな感性では一生かかっても困難なくらいに。森川もアレだな、気づかなかったけど表情が豊かだな。羨ましい。
立ち止まったままの森川を放置していくのも問題だから現実復帰させようと声を掛けようとしたところで、突然森川がにやけ出した。

「……どうしたのか、森川? すごい不気味なんだけど……」

衝撃で頭がおかしくなったわけではないと信じたい。そもそも、そんなに衝撃を受けることなのかは残念ながら僕には理解できないが。

「えっ!? う、ううん、何でもない」
「そう言う割りにはずいぶんと……嬉しそうだけど?」
「うーん……そうかもしれない」

今までのやり取りのどこに森川が嬉しくなる要素があったのか。まあ人の心なんてちょっとした事で上がりも下がりもするものだから、そんなモンだと思っておこう。
ニッコリと黒縁メガネの奥の眼を三日月型にして、どことなく弾む足取りで森川は前を歩く。
軽くため息を吐く。何だか朝から疲れた。教室の入口に刺さる二ー七の室名札が見えてきた時、浅海が体をそっと体を寄せてきた。そして僕の耳元で甘く囁く様にして告げた。

「……今日の放課後、森川さんの家に行くわよ」






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「ここなら大丈夫そうね」

そう言って浅海は手に持っていた携帯用の椅子を広げた。そしてそれをきしませながらドカッと座ると、双眼鏡を取り出して覗き込んだ。椅子といい双眼鏡といいどこから持ってきたのか。相変わらず浅海は謎だ。

「それで、どれが森川の家なんだ?」
「あれよ。あの青い屋根の白い家」

マンションの屋上の外壁から少しだけ身を乗り出して浅海が指さしてる方向を見ると、そこには似たような住宅が立ち並ぶ団地が広がっていた。どの家も四角四面に同じ作りで個性も何も無いつまらない家だ。それが悪いとは言わないけど、もう少し区別してもいいんじゃないだろうか。

「どれだよ?」
「だからあれよ。ちょっと屋根が色あせてる家があるでしょ?」

言われて注視してみる。なるほど、確かによくよく見れば、ちょっとだけ、ホントに微妙に色が周りと違う家が一軒ある。あるけど、あれを一発で見つけるのは無理だろ。

「よく分かったな。言われないと絶対分かんない」
「詳細な事前調査の結果よ。毎日見てれば分かるわよ」

あっさりとそう言いいながら、浅海はじっと森川の家を見ている。いったいいつから準備を始めていたのか気になるところだけど、それよりも気になることがある。

「ホントに森川が……誘拐されるのか? イマイチ信じられないんだけど」
「それは絶対よ。間違いないわ。断言してあげるから、そこは疑う必要ないわよ」

そこまで言うのなら本当に森川は誘拐されてしまうのだろう。僕にはそんな未来は見えなかったけど、それこそ浅海は未来を見てきたかの様に言う。

「どうやってそれを知ったんだ? 別に疑ってるわけじゃないけど、良かったら教えて欲しいんだけど」
「そうね……」

何気なく聞いただけなんだけど、浅海は双眼鏡から眼を離すと空を仰ぐようにしてじっと考えこむ。眼を閉じて、そしてまた開くと再び双眼鏡を覗き込みながら、今度は浅海の方から尋ねてきた。

「空深くんが私たちに協力してくれると約束してくれること、そして聞いた内容を一切他言しないこと。それを守ってくれるなら、全部じゃないけど教えてあげてもいいわ」
「私たち? 浅海だけじゃないのか……って、それもまだ教えてはもらえないか」

うなずく浅海。確かに、まだ完全に味方になってくれるかどうか分からない相手にアレコレと教えてくれるはずは無いか。具体的にどこまで話が広がっているのか、危険がつきまとうと夕べ浅海は言ってたけど、それもどこまで危険度が高いのか。例えば、ちょっと油断しただけで命の危険にさらされる程なのか、それとも運が悪かったら命を落としてしまう程度なのか。
そこまで考えて、つい口元に笑みが浮かんでしまった。
そもそも、僕に何かやりたいことがあるわけじゃない。何となくこれまで両親が死んでから生きてきたけど、それこそ何となくで、絶対に死にたくない理由は無い。人の未来は見えても、自分の未来は見えないのだから。
未来を見えることなんて面白くないじゃないか、と普通の人は言うだろう。きっと、それは事実なんだろう。だけども、僕に話を限ればそれは当てはまらない。未来が見えることは生きている証なんだ。未来が見えるなら、少なくとも僕が見た未来の時点まで彼らは将来があるんだ。なのに、僕にはそれが無い。彼らの様に僕の未来が見えない。
その事に気づく度、僕は僕自身によって僕を否定されている様な気分になる。お前には何も無い、何もできない、ただいるだけなんだ、と。生きているのか死んでいるのか分からない、誰にも影響を及ぼすことのできない存在なんだ、と。
なのにまだこうしてのうのうと生きている理由はなんなのだろう。たぶん、僕はまだ諦めてないんだ。誰かを救えることを。
浅海が言ったとおり、僕は僕が価値ある人間だと証明したいんだ。僕には力があると信じたいんだ。無力なんかじゃない、まだ生きていていいんだと思いたいんだ。だからこうして浅海と一緒にいる。荒唐無稽な話を、その実、疑いもせずに信じてるんだ。彼女といれば、僕が僕を信じれるチャンスを与えてくれると分かったから。
ならば、僕の危険度合いなんてどうでもいい話だ。幸いにして、僕はまだ森川の未来は見えてない。だから、今まで見てきた僕の未来たちとは違って頑張り次第で未来がどうとでも変わるかもしれない。それは僕が見てきた未来を変えるという、不毛でしかない行為よりよっぽど有意義だろう。

「……協力するよ。こんな人間に何が出来るか分からないけど、誰かを僕が協力することで助けられるなら手を貸させて欲しい。モチロン口外もしない。口外した時は……そうだね、浅海が僕を殺せばいい」

だから、誰かを救わせて下さい。僕の力が、存在が意味あるものだと信じられるように。

「……そんなこと、言われなくてもそうするわ。私が危険に陥った時に真っ先に盾にしてあげるから覚悟しておくことね」

ちょっとだけ間を置いて浅海は答えてくれた。顔の向きは下に広がる住宅街に向けたまま。横顔も長い髪に隠れて僕からは見えなかった。

「それで、なぜ私が森川さんが誘拐されるって知ってるかだけど、彼女の未来を見たからよ」
「それは……僕みたいな能力者が森川以外にもいるって判断していいの?」
「んー……そうね、そう言ってもいいわ。だから彼女が誘拐に合うのは既定事項と言える。でもただ一つ問題があるの」
「問題?」
「ええ。彼女がいつ誘拐されるか。それがはっきりしないのよ」

ちょっと待ってくれ。それじゃいつ起こるか分からない誘拐の現場を押さえるために毎日ずっと森川を見張ってろって事か?

「一応ある程度期間は絞れてはいるわ。今日からおよそ二週間以内に、彼女は自宅から誘拐される」
「結構幅があるな。もうちょっと絞れなかったの?」
「仕方ないわ。その様子を見たのもずいぶん前で、記憶がはっきりしてないもの」

しかし、ずいぶんと未来の事まで見えるんだな。それだけ先の事が分かれば、準備も十分できそうだ。そう考えると、一日二日先しか分からない僕よりかはよっぽど役に立つな。

「まあでも、自宅って分かってるならまだやりやすいのか。どこで攫われるかも分かんないんじゃ、それこそ森川をストーカーするしかなくなるしな」
「あら、空深くんてそういう趣味もあったのね。やっぱりモテナイ男は違うわね。お願いだから一度捕まって性格を改造してきてくれないかしら? なんならモイデきてもらってもいいんだけど」

何を、とは敢えて聞くまい。浅海の方こそ口の悪さを矯正してくれると、きっと世の中が上手く回ってくれるだろうな。主に僕の周囲の世界が。

「僕の事はどうでもいいから。そんなことより森川はまだ帰ってこないのか?」
「ちょっと待って……いたわ。一人でまっすぐ家に向かってるみたいね。つまんない子。少しくらい寄り道するとか男連れてくるとかないのかしら?」

それだと困るのはコッチなんだけどな。監視するならあんまり対象が動かないほうがいいだろうに。

「そんなの分かってるわよ。それでもどうせ見てるだけなら何か面白いイベントがあった方がいいじゃない」
「世の中そうそう面白い事なんて起きないもんだよ。起きるのは大概笑えないイベントだし」
「まったく、そんなに悲観的で生きてて楽しいのか聞いてみてもいいかしら?」
「僕を見てれば分かるだろ? 悲観的に生きる方が楽なんだよ」
「それには同意するわね。それでもペシミスティックな考えだけじゃ生きていけないものよ? 覚えておくことをオススメするわ。
 ……っと、家の方からも誰か出てきたわ」

そう言って浅海は意識を双眼鏡の奥に戻した。
そうなると双眼鏡も望遠鏡も持っていない僕はまた暇になるわけで、完全に今日は浅海の付き添いの範囲を抜けない。
椅子も無いから冷たいコンクリートの床に腰を下ろして、ぼんやりと空と浅海の横顔を行ったり来たりする作業をするしかない。
空は夕暮れ。何も無いといいけれど、何か起こるとしたらこの時間帯だろうと思わせる微妙な時間帯。壁にもたれかかりながら森川の事を考えてみた。
僕にとって森川は数あるクラスメートの一人でしか無い。ずいぶんと昔に流行ったような太い黒縁のメガネを掛けて、いつもいるかいないか分からないように教室のスミで静かにしてるイメージが強い。ここ数日で少しイメージが変わりつつあるけど、大人しくて目立たないことには変りはない。
そんな森川が僕と同じ力を持っているとは思っていなくて、浅海に言わせればその力は世界を支配できる可能性を持ってるなんて、ずいぶんとスケールが大きな話だと思う。だけど僕に言わせればそんなもの役に立たない。見てしまった時点で未来は固定される。信じたくないけど、それがこれまでの人生で気づきあげた僕の経験則だ。そんなものをどっかのエライ人たちが欲しがってるなんて馬鹿げた話だ。もっと他にやることなんてあるだろうに。
それでも。それでも彼女は必要とされている。世界に影響を及ぼす可能性を持つ人物として。
森川恵。浅海は彼女を止めようとしてるけど、それは森川自身にとってどうなのだろう。止めずにどこかの組織なり政府なりに雇われる方が、彼女が幸せを感じられる。もしそうなら、僕がやろうとしてることは彼女を救けることじゃなくて、彼女を貶める事に繋がりはしないだろうか。
そんな考えが浮かんだ瞬間、胸の奥が疼く。その思考をすること自体を戒めるように。

「どうやら単なる来客みたいね。家族も見送ってるみたいだし、関係は無さそう、か……」
「見張り始めた初日になにか起こるなんて事はないだろうさ。こういうのは気長に待つのがいいよ。そういや、時間とかも分かんないの?」
「正確な時間は分からないわ。でも……確か夕方から夜に掛けてだったと思う」

思い出すように顎に手を当てて浅海は言った。
空はまだ青い。夕方も浅くて、仮に今日何かが起こるとしたらまだ少し先の事だろう。

「そっか。それで森川はまだ道を歩いてるの?」
「ちょっと待ちなさい……」

双眼鏡を眼につけたまま、浅海は右へ左へと顔を動かす。けれど、どうにも様子がおかしい。焦った風に何度も道路と家の間を視線が行き来して、苛立たしげな舌打ちが聞こえた。

「……いないわ」
「は?」

ちょっと待ってくれ。いきなり初日に誘拐されるのは、可能性としてあり得る。でもさっきの浅海の話が本当なら、まだ誘拐されるのは先のはずだ。

「どういうことだよ!? まさかもうさらわれたって言うのかよ!?」
「そんな事分かんないわよ! こんな出来事なんて、私は知らない……!」
「誰かが見たっていう未来には無かったって事か!?」

まさか、そんな事は有り得ない。未来なんて固定のはずだ。未来を見てしまった以上、その未来が外れる事なんて無い。それは時間も、場所も、状況も全てが合致する。浅海が記憶違いをしてなければ、まだ森川が誘拐される時間じゃない。だから……そんなはずはないんだ。

「そんなの信じられないわ! 未来なんてちょっとした変化で簡単に変わるものよ! もし、私が来たことでタイミングが変わったとしたら……」

感情を抑えるように下唇を噛んで浅海は僕を否定する。それを僕は心の中でだけ否定する。そんなはずはない、そんなはずはないんだ……
浅海は屋上から探すのを諦めたのか、双眼鏡を僕へと投げ渡した。そして屋上の出入り口へと走りだした。

「どこ行くんだよ!?」
「この辺りを探してくるわ! 空深くんはここから森川さんを探してて!」

彼女らしく、ここ二、三日で慣れた一方的な物言いを残して浅海は消えた。僕は屋上に一人残されて、夕暮れの風が頬を撫でる。
僕は渡された双眼鏡を見下ろし、ため息をつきながら一人寂しくレンズ越しの街を見下ろした。丁寧に整頓された街が歪んで、歪な形に変わる。覗き込んだはずの街から覗き込まれ、いつしか僕は見下ろされていた。いつもの学校の屋上と同じように。

「……やっぱり居た」

けれどそれも一瞬だけだった。聞き覚えのある声に振り向けば、そこには彼女がいた。

「え? 森川?」

どうして彼女がここにいるのか。混乱半ばの僕に向かって森川は恥ずかしそうに笑いかけると、コッチに向かって歩いてくる。

「ここで何してるの?」

学校指定のカバンを後ろ手に持って、何が嬉しいのか弾むような足取りだ。その様子は、普段学校で見てるのとは違って、どこか森川らしくない。いつもうつむきがちで、人と話すのが苦手そうなのに、どうも僕と話す時はそんな事はないらしい。

「何って……別に何もしてないよ。ただこっから街を見てただけ」

嘘は言ってない。嘘はなるべく言いたくない。浅海は何も言わなかったけれど、こうやってこっそりと森川の様子を伺ってるって事は、きっと森川に監視してるのを悟られてはいけないんだろう。理由は分からないけれど、ともかくはごまかすしか無い。まさか森川も自分を監視してるなんて想像してないはずだ。

「ふふ、当ててあげようか? 私を見てたんでしょ?」

だけどもそんな予想も覆された。「どう? 当りでしょ?」と得意気に胸を張る森川に、僕は何と返せば良いのか分からず、だから僕も「さあ、どうだろう?」と意味も無く嘯いてみた。もっとも、森川はそんな僕の言葉なんて聞いてないみたいで。

「イケないんだよ? 女の子を隠れて見てるなんて。あ、もしかして……その、空深くんってストー……」
「断じて違う」

言いがかりも甚だしい。僕には女の子をつけ回す趣味なんて一切ない事は、僕のすでに地に落ちてる名誉のためにも声高に断言しておきたい。とは言え、やってることは否定できないのが辛いところだけど。
あと、どうして森川はそこで残念そうにしてるんだ。

「じゃあどうして私を見てたの?」
「それは……」

森川が僕の顔を覗き込む。僕は言い淀んで、後ろめたいからだろうか、つい顔を逸らしてしまう。
僕は残念ながら弁が立つ方では無いし、アドリブにはめっぽう弱いと自覚してる。一向に妙案が浮かんでこない怠け者の頭を恨みつつも考えを巡らせるが、当然のように何も良い言い訳なんぞ浮かんでは来ない。

「いいよ、別に。言いたくないなら」
「えっ? いいのか?」
「うん。空深くんなら、私を見てたのもきっと何かちゃんとした理由があるんだろうし、言えない理由もあるんだと思うから。でも、その……お願いがあるんだけど……」

この際だ。深く追求せずにいてくれるんなら多少の難題でも聞こう。あくまで僕の出来る範囲でしか無くて、だからものすごい狭い範囲のことしかできないのだけれど、森川のことだ、そう無理難題は言ってこないだろう。浅海ならとんでもないことを言い出しそうだけど。一生私の奴隷になりなさい、とか。

「僕でできることなら大丈夫だけど……」
「うん、えっとね……」

いつも学校で見る森川と同じように、モジモジと恥ずかしそうにして言葉を区切る。チラチラと僕の表情を伺いながらも、だけど森川は耳を疑う様な事を言い出した。

「その……私とデートしてください」












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