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0th Bad Dream Believer(11/12/03)
1st 浅い空、深い海(11/12/03)
2nd Who Can Understand Me?(12/01/04)
3rd 普遍、不変(12/01/04)
4th You Are Not Me(12/01/29)
5th 狂々、繰々(くるくる、くるくる)(12/01/29)
6th Do You Love Me?(12/03/04)
7th 僕らの手(12/03/04)
8th Terminal(Bad Dream is over)(12/04/03)
9th 僕はここにいる(12/04/03)
10th No One Knows Everything(12/04/03)









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






-5th 狂々、繰々(くるくる、くるくる)-





どれくらい走ったのだろうか。五分か十分か、はたまた一時間近く走っただろうか。
そして僕はどこをどう走ったのか。ここまでの景色を全く覚えていない。単色の似た家々が並ぶ住宅街を駆け抜けたのは覚えている。だけども、ネオンの輝く国道沿いに出てからは何もかもがはっきりしない。
感覚が完全に麻痺して疲れも今、自分がどれくらい疲労しているのか分からない。息が荒いのは走ったからなのか、それとも先ほどの異常事態に体が警告を発しているからか。ずいぶん前からその警報は発せられていたような気もするけれど、それに気づかないふりをして僕は走り続けた。

「ご…めん……ちょっと、待って……」

左手の先からの声に、僕は足を止めた。振り返れば、森川は膝に手をついて息も絶え絶え。ようやく僕は、走っていたのが僕だけではないという、当たり前過ぎる事に気がついた。

「ご、ごめん……」
「う、ううん……だい、じょうぶ、だけど……ちょっとだけ……」

汗で額に張り付いた前髪を払いのけながら森川は力なく笑った。
僕も呼吸を整える。そこでやっと周りを見る余裕を取り戻した。
一見この街のどこにでも有りそうな町並み。静かで、まだ夜も浅いのに人通りは無い。少し離れた国道からは、昔のガソリンエンジン自動車を真似た音が響いてきてる。
その中で特徴的な大きなビルが異彩な光を放つ。百メートルを越す高層ビルと、その周りを取り巻く様に林立するやや低めのビル群。中心に建つビルの屋上には「IHFL」の文字が踊っていた。距離はかなり離れている。なのにそれがココから見えるのは、ここらが古く低い建物が密集しているから。
そう、僕はこの場所を知っている。ここは、僕の住む町だ。

「は……ハハ…………」

どれだけ必死に逃げまわっても、どれだけ自分を見失っても、結局帰ってくるのは我が家と言うことか。それとも、無意識下で浅海が何とかしてくれる、なんて他人任せで無責任な考えでもあったのだろうか。どっちにしても情けない。思わず笑い声が出てしまったくらいだ。
無責任、と言えば。未だ必死に呼吸を整えてる森川を見る。
彼女を守ると浅海から課され、自分でもそれを請け負ったにもかかわらず最後の最後で晒した醜態。そして逃げるのに、生きるのに必死で、今の今まで彼女を連れていた事を忘れていた無責任さ。まったく、ひどく情けなくなる。なにが誰かを助けたい、だ。誰かを救けることで自分が救われる、だ。心理学者ぶって自分を分析して、分かった気になって、その実、自分が結局一番生きるのに必死だったという事実。思い返してみても反吐が出そうだ。
だけど。
今はそんな反省も後悔もどうだっていい。まずは安全を確保することが最優先だ。
そういえば、浅海は無事なのだろうか。今日の浅海の行動を把握しているわけじゃなく、だけどもどういうわけか一緒に生活するようになって、夕飯の時間には必ず家にいて料理を作っている。その生活パターンに沿っているのなら、今の時間はウチにいるはずだ。
あくまでターゲットは森川のはずだ。だから、浅海に何かが起きているとは思いづらい。
しかし、だ。それはあくまで相手が浅海を一般人だと認識してる場合だ。

(もし、万が一、森川を監視している事が相手にバレていたら――)

嫌な想像だ。だけど、何が起きているか僕には正確に分からない以上、最悪を想定するべきだ。
気持ちの悪い汗が流れ落ちて、それを左腕で拭う。

「森川。動けるか?」
「……だ、大丈夫。でも……どこに行くの?」
「ウチ」

浅海をほっとけるわけがないよな。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





辺りを警戒しながら歩くこと五分程度。森川の手を引きながらそっと塀越しにアパートを覗き込んだ。
僕のアパートは全部で十部屋。そして僕が把握している限り、その内の四部屋に住人がいる。そのはずなんだけど、今はどの部屋も灯りがついていない。全ての部屋が真っ暗で、誰かがいる気配が無い。それは僕の部屋も例外じゃなかった。
他の部屋と同じように一階の部屋に電灯はついてない。けれど、ほんのりと夕飯の香りが漂ってきてた。つまり、今の今まで浅海は部屋にいたということで――

(出かけてる? それとも、まさか……)

どうにもダメだ。嫌な想像ばかりが頭に過ぎってしまう。
何も起きてない。浅海はただちょっと買い物にでも出てるだけ。そう言い聞かせてドアの傍まで静かに近づき、ドアに耳を当てた。
家の中からも外からも音はしない。音はしないけど、妙な予感がする。それは未来視とかそういったものじゃなくて、単なる勘の域をでない。そして、何より役立たずなのは、その予感がドアを開けた時に具現化するものなのか、それともこのままこの場を去った時に発現するのか分からないということ。

(賭けてみよう……)

なら悩むだけ無駄というモノ。判断するにも情報は無いし、時が過ぎて状況が変わるのを待つ選択も無い。ドアを開けるか、ここから去るか。二つに一つ。結果は髪のみぞ知るってところか。
ドアノブに手を掛ける。そして一気にドアを引き開ける――

「どわぁっ!」

つもりだったけれど、ノブに手を掛けた途端に内からドアが押し開けられて、中に引き込まれた。そして、頭に何かを押し付けられた。

(しくじった……!)

口元を抑えつけられ、硬直する体。頭につきつけられているのが何かなんて、簡単に想像がつく。左手でつかんでいた森川の手を離さなかったのは幸運なのかそれとも不幸だったのか。僕としては一人じゃなくて幸運だったかもしれないけど、森川にとっては不幸か。さっきまで怖い思いして、助かったと思ったらまたこんな状態。あまりにも自分が無様過ぎて、笑いさえ出てこない。
ほら今もこうして恐怖にひきつった顔をして――

「…………?」

森川は呆然として僕の方を見上げてた。背中を畳に倒れこむような表情で、でもその顔に恐怖の色は見えない。
どういうことだろうか。僕を引きずり込んだ相手の顔を見ようと、静かに振り向こうとする。だけど、その行動も頭に押し付けられた拳銃で押し留められて、代わりに囁く声が耳元に届いた。

「動かないで」

もう聞きなれたその声は浅海圭その人のもので、つまり、僕は浅海に背を預ける形になってるわけで。

「…………」

頭の横に拳銃。後ろには浅海の胸の柔らかさがあったりする。
この非常時に何を考えてるんだ、と言われそうだけど、そうは言っても気になるものは気になる。
少しだけ、頭を動かして浅海の顔を伺う。暗闇の中で浅海は壁に背を預けて、じっと玄関の方を見つめてる。その顔は真剣そのもので、とても茶化せる空気じゃないから、僕もまたじっと浅海に口を抑えられた状態で時が過ぎるのを待った。
僕ら三人、声を発することもできず身動ぎさえ許されないような張り詰めた空気の中で耐えていた。それを破ったのは浅海だった。

「こちら浅海」

ポケットから取り出した無線器を耳に当て、硬い声を浅海は発した。そして二、三言言葉を交わして舌打ちをすると「了解。お疲れ様」と短く相手に告げて無線を切った。それと同時に僕を拘束していた力も解かれて自由になる。

「もうしゃべってもいいわよ、二人とも」

浅海はそう言って立ち上がって、そして部屋の灯りを点け、そこで浅海の全身が顕わになった。
全身を覆う真っ黒なスーツ。足にはゴツイ軍隊が使うようなブーツを履いて、上半身には防弾用らしいプロテクターを着てる。右手の中には黒い拳銃が握りこまれていた。
戦闘服、というのだろうか。今までどこに隠し持っていたのかしらないけれど、機能性を重視したであろうその服は、ピッタリと浅海の体にフィットしてスラリとした体型をそのまま表していた。

「あ、浅海さん……? どうしてココに……?」
「どうしてって、私がココに住んでるからよ? ああ、もちろん空深くんも一緒にね」
「なっ!? そんな……! こ、高校生で同棲なんて……」

……まあ、そう思うよな。実際は恐らく妄想好きな森川が妄想してるような甘い展開は一切無くてむしろ残念過ぎる日々だとしても。
表情が雄弁に語る森川に対して、浅海はなぜか勝ち誇ったように眼を細めて笑う。

「あら? もしかして羨ましかったりするのかしら?」

森川の口から「ぐぬぬ……」なんて声が聞こえてきそうだった。それに対して浅海は胸を張って「フフン」と鼻で笑ってみせる。なんだ、森川の事が嫌いだと思ってたけど、実はそうでもないんじゃないか。
昨日までの空気が戻ってきたみたいで、ホッと息を吐き出すと安心したからか、急に力が抜けて眠気が襲ってきた。体が右に倒れ、それを支えようと右手を床に差し出した。けれど――

「あ、れ――」

ヌルリ、とした感触がしたかと思うと、そのまま何故か体が横に倒れていく。

「さりげなく横になってまでスカートの中をみたいだなんて――って、アンタ、その傷……!」

傷?ああ、そう言えば僕は怪我してたんだっけ。
他人事の様に思いながらまぶたが閉じていくのに気づき、それに抗う気も起きなかった僕はそのまま眼を閉じた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





カンカンカンカン――
僕を乗せた電車が夕焼けの中を走り抜け、踏切の音が高くなりながら近づき、そして低くなりながら遠ざかる。建物の影が車内を通り過ぎ、僕の目の前を一瞬で横切っていった。僕は一人八人掛けのシートに座っていた。他に誰もいなくて、隣の車両にも、そして運転席にも人はいない。
薄暗い車内で僕は自分の手を覗き込む。
助けられた。その言葉が僕の中を駆けまわる。走りまわって走りまわって、歓喜が胸の奥から沸き上がって来る。
長かった。本当に長かった。僕の手の中には温もりが残っている。初めて僕の手で救けることができた、森川の体温がまだ残っていた。確かめるように僕はその手のひらを強く握り締める。
今までと違ってたくさんヘマをした。だから森川を助けられたのは奇跡にも等しいかもしれない。それでも、それでも僕はやっと成し遂げたんだ。
僕は、救われたんだ。
夕闇の電車で一人、満足感に浸る。

「本当にそう思ってるの?」

声がした。誰もいないはずの車内からそれは聞こえてきて、顔を上げたら正面に誰かが座っていた。
逆光になっていて相手の顔は見えない。だけど、シートから伸びた足が床につかないほど体は小さくて、聞こえてきた声も幼い。
いつの間に――
突然現れた少年に驚く僕を尻目にして、男の子はクスクスと笑い声を立てた。

「だとしたら、お目出度い頭だよね。笑っちゃうよ」
「……誰だよ、お前」
「僕のことなんてどうでもいいよ。それよりお兄さんの事が大事さ。もう一度聞くよ? 本当に自分の力であの女の人を助けられたって思ってるの? 本当に――自分が救われたって思ってる?」

ドクン。心臓が大きく跳ねた。
思ってるさ。確かに僕だけの力じゃなかったかもしれない。けれど、大切なのは結果だ。結果として森川は助かった。それに力を貸した僕も救われた。どこに間違いがあると言うんだ?

「そうやって誤魔化すんだ? いつだって君はそうだ。自分を騙して、欺瞞に満ちて、そのまま自分を誤魔化し通す。なのに本当は騙されたフリをして、諦めたフリをしてるからいつまで経っても奥底に消化しきれない膿を抱えてる。今回だって救われた、だなんて微塵も思っちゃいないくせに」

そんな事はない。僕の心はすっきり晴れやか。これ以上望むものなんてないさ。
なのに。心臓は警鐘を鳴らしているかのように次から次へと鼓動し、目の前の景色がグニャリと歪んでいく。
耳鳴りのする鼓膜に、少年は更に負担を強いる。やめろ、それ以上言葉を紡ぐな。口を開くな。その汚い口を閉じていろ。

「ならどうしてこんな所にいるのさ?」
「え?」
「満たされたのなら、本当に救われたのならお兄さんはこんな所にいやしない」
「何が言いたいんだよ?」
「さっきも言ったじゃないか。お兄さんは救われてやいないって。だって――」

彼女を救ったのはお兄さんじゃないから――
そう言って目の前の少年は大きく口を歪めて哂った。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「きゃ!」

寝苦しさに僕は跳ね起きた。前髪がたっぷりと汗を吸って重くしなだれ、全身に掻いた汗をシャツが吸って重みを感じるほど。心臓が苦しくて肺がうまく膨らまなくて、息を吸う度にまるで喉に穴が開いたみたいに乾いた音を立てていた。
手を突いた右手に疼痛が走って僕は顔をしかめた。触れた左手に包帯の感触が伝わり、それが僕に夕べの出来事が夢でないことを教えていた。

「だ、大丈夫?」

恐る恐る、といった感じに森川は声を掛けてきてくれて僕の顔を覗き込み、彼女の瞳に歪んだ僕の姿が映り込む。だから僕は彼女から顔を逸らして、目元を揉みほぐす仕草をして誤魔化した。

「ああ、うん、大丈夫。それより、夕べはどうなったんだっけ?」

森川を助けて、浅海も無事でどうやら事態は収集したらしくて安心したところまでは覚えてるけど、そこからは記憶がプッツリと途絶えてる。途中で寝てしまったみたいだけど、僕が寝てる場所はここ最近浅海が占領している僕の布団の上で、そこから見える部屋の風景もいつもと変わりないから何事も起こらなかったんだろう。
尋ねながら、姿勢を変えようと体をよじる。そこで僕は体に掛かる重さに気がついた。

「空深くんが気を失った後は大変だったんだよ? 腕から血がダラダラ出てるし、それを見た浅海さんが取り乱すし……」
「浅海が?」

僕の脚に覆い被さるようにして眠っている浅海の寝顔を見る。
意外だな、基本的に落ち着いた雰囲気の浅海が取り乱すなんて。自分でも忘れてたけど、確かに僕の怪我は相当なものだった。けれども昨夜見た、武装した浅海の姿は様になっていた。軽そうな体と対照的に、無骨で重量感ある銃を持って扉の向こうを見据える浅海は明らかに場慣れしてる様子だったし、そうであるならば僕程度の怪我人は見慣れてその処置方法もお手のものだろう。出血量は多かったかもしれないけど、即座に命に関わる程でも無い。それとも、僕の勘違いで内心では戦闘に慣れてないのか。

「浅海さんが起きたら空深くんもお礼を言わないといけないね。一人で治療も全部やっちゃって、さっきまで空深くんの看病してたんだよ」
「起きたら言っておくよ。それと……森川もありがとうな」
「私? 私は……何もしてないよ。オロオロするばっかりで、実際には何もできなかったから。すごいよね、浅海さんって。あんなに取り乱してたのに、すぐに立ち直ってテキパキと動いていくの。学校でも美人で人気があるし、運動神経も抜群で頭も良いし、何でもできる。私なんかとは大違い……」

顔を伏せて森川は泣きそうな顔をする。そして呟いた。

「傍にいない方がいいのかなぁ……」
「え?」
「えっ、あっ、ううん、なんでも無いよ! そ、それよりも! 今日は一日安静にしていてね!」

そう言って立ち上がって森川は流しの方へ向かう。台所では鍋が火にかけられていて、コトコトと音を立ててる。炊飯器の電子音が鳴ってご飯が炊きあがった事を教えてくれて、森川もコンロの火を止めた。手際良く朝食の準備をしていってるから、きっと森川も普段から自分で作ってるんだろう。
と、布団の上で浅海がもぞもぞと動く。匂いに釣られたわけじゃないだろうけど、何ともいいタイミングだな。

「……おはよう」

眼を半分だけ開けて、ぬぼーっとした表情で挨拶だけはしてくる。けれどいかにも眠そうで、僕の方を見たまんま固まった。
しばし沈黙。森川は浅海が起きたことには気づいてるみたいだけど、今は準備の方に集中している。半分眠ったまま浅海が見つめ、なぜだか眼を逸らしたら負けな気がして何食わぬ顔で見つめ返してやって、その結果何も生み出さない不毛な時間が生まれたりしてる。

「お風呂入ってくる……」

寝ぼけ眼のまま、のそのそとした動作で浅海が立ち上がる。
そしてその場で服を脱ぎ始めた。

「ぶっ! ちょっ、浅海!!」

いやいやいやいや、寝ぼけてるにも程があるだろう!今まではずっと浅海の方が僕より起きるの早かったから気づかなかったけど、もしかして浅海は毎朝こんな状態だったのか!?そして僕はこのうらやましい景色を見逃して……じゃなくて!

「どうしたの……ってきゃああああっ!? 何をしてるんですか、空深くん!?」
「違う、俺じゃない! 浅海が勝手に脱ぎ始めたんだ!」
「だったら早く止めてください!」
「わ、分かった……って、おい!?」

パサァ、と浅海の体を覆っていた最後の砦が取り払われて見事な肢体が僕の目の前に――

「見ちゃだめええええっ!!!」
「ふぼあっ!?」

森川のじゃん拳が目に突き刺さる!僕は目の前が真っ暗になった!

「ごめんなさい! 浅海さんをお風呂に連れて行ってきますからちょっと待ってて!!」

眼を抑えてゴロゴロと転がり回る僕に声を掛けると、二人の足音が遠ざかっていく。
僕……何か悪いことしましたか?





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「さて、せっかくだからご飯を食べながら話をしましょうか」

ちゃぶ台に並べられた良い香りが漂う朝食を前に浅海が切り出す。テーブルの上には白ご飯に白味噌の味噌汁、それに目玉焼きと定番のメニュー。結局夕べは何も食べられなかったからか、匂いを嗅いでいるだけで唾液が口の中に広がっていく。
シャワーを浴びる前までの浅海の姿はもうどこにも無くて、すました顔をして味噌汁を一口飲む。朝っぱらからの惨事を知ってか知らずか、まったく気にした様子が無いのが恨めしいからちょっと睨んでみたら思いっきり睨み返された。朝から睨み合いするのも疲れるから僕の方から眼を逸らす。決して浅海が怖かったからではない。
ズズ、とここ最近飲み慣れた味の味噌汁を一口。うん、美味い。

「森川さんもずっと気になってるでしょ? どうして自分がさらわれそうになったのか」
「はい……でも、聞いたら教えてくれるんですか?」
「ここまで来たら隠してなんかいられないわ。本当はアナタには何も気取られずに事を済ますつもりだったのだけど、こっちとしても色々と予想外の事が起きてる以上、話せる範囲の事は全部話してあげる。その代わり、森川さんも私たちと一蓮托生。協力してもらうからそのつもりでいなさい」
「……全部自分の身に関わること、いいえ、空深くんにも怪我をさせてしまいましたし、周りにたくさん迷惑を掛けてる以上他人顔をするつもりはありませんから」
「良い覚悟だこと。とは言っても、森川さんにしてもらう事はほとんど無いんだけどね」

森川はご飯に箸もつけず、正座して緊張した様子で浅海の話を聞いてる。対照的に浅海は次から次へと朝ごはんを口に運んでるんだけど、それでも下品な感じがしないのはなんでだろう?

「アナタにしてもらうのは、森川さんを取り巻く状況を知ってもらうこと、そして事が起こった時に私たちの指示に逆らわずに従ってもらうこと。それだけよ」
「それだけでいいんですか?」
「ええ。どうせアナタは素人だし、難しい事はできないでしょ? 私たちの邪魔さえしなければそれでいいわ」

僕は横で黙って聞いているだけだけど、やっぱりどうにも浅海の言い方は険がある。口の悪さは僕に対する方が悪いんだけど、森川に対する時は逆に口調は丁寧でも嘲りとかそういった類のものがあって、それは浅海が森川の事を嫌っているんだという確信を僕に抱かせるには十分だった。
当然そんな空気は直接受けている森川に伝わらないはずは無い。珍しくムッとした表情を浮かべて浅海を見ている。

「それを言ったら空深くんだって素人じゃないんですか?」
「少なくともアナタよりは役に立つわ」

このままじゃ話が進まない。二人の間に広がる雰囲気ばかりが悪くなるだけで、時間が無駄に掛かるばかりだ。それはきっと二人の本意じゃないだろうし、僕としても不本意。というより気分が悪い。せっかくの朝ごはんが台無しじゃないか。

「浅海」
「空深くんは黙ってて。今は私が話してるんだから」
「それなら、森川に何を含んでるのかは知らないけど、さっさと話を進めてくれ。少なくとも僕らは森川に協力を頼む立場なんだ。相手の神経を逆なでするような真似は止めろ」

そう言い放つと僕はご飯を口に運んで味噌汁を飲む。暖かい汁が胃に流れ込んで少しささくれだった心が落ち着く。
浅海はうつむいて一つため息をついた。

「そうね……失礼したわ。ごめんなさい、森川さん」
「森川も、これで許してくれないか?」
「え? あ、いえ、私は別に……」

森川も面食らったらしく、バツが悪そうにうつむいてしまった。浅海はパンっと自分の顔を一度両手で叩くと、姿勢を正した。

「それじゃ改めてお話するわ。森川さん、アナタを取り巻いている状況について」

そうして浅海は話し始めた。
話は三十分くらいだっただろうか。話した内容はこれまでに浅海が僕に聞かせてくれた内容と大差は無くて、目新しい情報は無い。
話し終えた浅海は茶碗の上に箸を置くと、手を合わせて「ごちそうさまでした」と言って僕の方を見た。

「まあこれは空深くんにも話した内容ね。ここからは質問に答える形にするわ。もちろん、空深くんも質問しても問題ないわ」
「なら早速だけど」コップの水で喉を潤して浅海に尋ねる。「昨日の事について詳しく教えてくれないか?」
「そうね……とは言ってもどこから話せばいいかしら……」
「昨日の敵と、僕らを助けてくれた人たち。それと、浅海の事も」

これまで浅海は単に「敵」がいるとしか教えてくれていない。そして、頼れる人は限られている、と。つまりは未だに敵が何者なのか、そして誰が味方なのかそれさえ僕は知らない。浅海から教えてくれるまで黙っていようと思ったけど、もう昨日の一件で僕もどっぷりと浅海たちの事情に浸かってしまった。当事者たる森川本人もいることだし、もう教えてと言っていいだろう。

「それじゃあ昨日、森川さんたちを襲った相手について話すわね。
 犯行グループは確認されてるのは三人で、それは空深くんたちが見た人数と違い無いわよね? いずれも北朝鮮国籍の工作員で、十中八九森川さんの能力を聞きつけた国のトップからの指示でしょうね。将軍家が途絶えても結局は支配が金一族から軍のトップに変わっただけの独裁政治に変わりないわけだし、去年の収穫は不作で、国連からも支持されてないわけだから各国からの支援は無し。森川さんを手中に納めて、未来を読んだ交渉をアメリカ当りに仕掛けようとしても仕方ないわね。そんなに都合よくいくはずがないのに」
「私にそんな力無いのに……」
「本人じゃない限りそんな事は分からないわ。そもそも未来を見る、なんて能力自体がまだ誰にもよく分かってないもの」

しかし、相手は「国」か。それじゃ警察なんか頼りにならないし、話は政治的な問題になるだろう。明るみに出たところで国が動いてくれるかも分からないし、下手すれば世間のあずかり知らぬ間に全てがもみ消されて無かった事にされてしまいそうだ。少なくとも僕はその程度にこの国の政府を信用していない。

「でも、まさかあの国が先に動き出すとは思わなかったわ。いえ、私が知ってる未来を過信しすぎたのが原因ね。空深くん以外に怪我人がいなくて良かったわ」
「なら、昨日私たちを助けてくれたあの人たちも怪我は無かったんですね?」
「ええ。榛名もアンディも――昨日二人を逃した奴らね――怪我なく相手を制圧したわ。もっとも、工作員の三人は自害したけど」
「え?」
「恐らく私たちを警察か、この国のCIAみたいなものと勘違いしたんでしょうね。情報を漏洩されないように、工作員に捕まった時には自殺するよう訓練されてるんでしょ。まあ別にあの国の情報なんて特に欲しくも何とも無いからいいんだけど」
「いや、敵の情報は重要じゃないか? 情報の価値に差はあるだろうけど、要らない情報なんてないだろ?」
「そりゃ敵の情報なら私だって欲しいわよ。でも敵でも何でもない、横から手を出してきただけの相手の情報なんて重要でも何でも無いわ」
「敵、じゃない……?」
「ああ、でもこれ以上横槍入れられない様に、という意味だと情報は欲しいわね」
「ちょっと待ってくれ、浅海。昨日のは何だったんだよ?」
「今、言ったじゃない? 朝鮮半島の北側の連中が手を出してきたって」
「あの……もしかしてなんですけど、私は本当は昨日さらわれるはずじゃなかったって事ですか? その、浅海さんが知ってる未来だと」
「だからそうだって……ああ、そっか、ごめんなさい、そこをまだ伝えてなかったわね。すっかり伝えたつもりになってたわ」

額に手をやると浅海は一息ついて長い髪を一度掻き上げる。僕と森川が固唾を飲んで次の言葉を待つけど、浅海は立ち上がって窓の方に向う。窓を開けると朝の爽やかな風が室内に吹きこんでくる。浅海の長い髪の毛が風になびき、甘い香りが鼻をくすぐった。
こちらを浅海は振り向く。浅海と隣のアパートの隙間からは遠く離れた、毎朝眺めている巨大な建物が見える。
浅海はその建物を親指で差して宣言した。

「IHFL――国際生命科学研究所。あれが私たちの敵よ。そして」

今度は僕らの方に戻ってきて、恭しく頭を下げた。

「私たちの組織――クロトにようこそ」













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