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0th Bad Dream Believer(11/12/03)
1st 浅い空、深い海(11/12/03)
2nd Who Can Understand Me?(12/01/04)
3rd 普遍、不変(12/01/04)
4th You Are Not Me(12/01/29)
5th 狂々、繰々(くるくる、くるくる)(12/01/29)
6th Do You Love Me?(12/03/04)
7th 僕らの手(12/03/04)
8th Terminal(Bad Dream is over)(12/04/03)
9th 僕はここにいる(12/04/03)
10th No One Knows Everything(12/04/03)









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






-8th Terminal(Bad Dream is Over)-




カンカンカンカン――
ドップラー効果を奏でる踏切の音を聞いて僕は眼を覚ます。
時間は夕方。いつか見た夢と同じく揺れる電車の中に僕は座っていた。当たり前の様に周りには誰もいない。隣の車両を見てみても誰一人いない。
――クスクスクスクス
笑い声がした。少年は、僕が少年に気づいて顔を上げたのを確認すると、肩を震わせて笑う。

「だから言ったでしょ? お兄さんは何も救われてもいないし、救ってもいないって」

嬉しそうに、心底愉快でたまらないといった具合に顔の見えない少年は言う。それに僕は応える術を持たない。ただうなだれるだけしかできない。

「ま、お兄さんが抱いてたのは単なる幻想だったっていうのが今回ので証明されたね。良かったじゃないか。これでもうお兄さんも無駄な努力をしなくてもいいよ。余計な期待を抱くこともないし、その度に裏切られて傷つくこともないしね」

そうだよな? 所詮僕はこの程度の人間。ありもしない妄想が叶うなんて信じこんで馬鹿みたいだ。いや、馬鹿そのものか。全てが無駄無駄。誰かを救うなんて、そんなの力のある他の誰かに任せておけばいい。例えば浅海とか。死なない彼女のことだ。きっとこれから先も誘拐されそうな人たちをたくさん救ってくれるだろう。ま、今回は無理だったけど。これも僕が余計なものを見たからだろうな。森川を救おうと頑張ってた浅海には申し訳ないけど、僕という存在を引き込んだ自分の愚かさと一緒に僕を恨んでくれ。
まったく、自分自身すら救えない、救いようもない愚か者である僕が誰かの役に立とうなんて烏滸がましいにも程があったんだ。烏滸がましい、という言葉すら烏滸に失礼か。

「だから自分をごまかすのなんてやめよ? お兄さんも十分頑張ったよ。諦めたふりも、まだなんとかなるなんて、自分に言い聞かせる耳障りのいい言葉で飾って自分をごまかすのもやめよ? 全てはお兄さん一人の手に負えない事だったんだ」

そうだ、僕は頑張った。だからもう良いだろう? 本当に諦めてしまっても、構わないだろう? もう、疲れたよ。心を保つのに疲れたよ。辛いことを目の当たりにするのに疲れたよ。
みんなを、傷つけてしまうのに疲れたよ。
だから辞めてしまいたい。僕の力を捨ててしまいたい。
なら、僕は誰に許しを請えばいいのだろう?

「全部終わり。オーバー。これでお兄さんは救われる。救いのない救いだけどね」

少年がシートから降りて僕に近づく。ガタンゴトン、と揺れる車内でもバランスを崩さずに真っ直ぐに僕に向かい、下を向く僕の顔を覗き込む。そこで僕は彼の顔を初めて見ることができた。見覚えのある、幼い顔。遠い昔に捨て去った懐かしい顔。

「さあ、僕と一緒に眠ってしまおう? そしてまた新しい明日が始まるんだ。無味無臭無色無感動な毎日が」

彼は僕だ。幼い時の僕だ。父さんと母さんが死んだ時に置き去られた、諦めてしまった僕だった。その僕が、また新しい仲間を求めて僕を引きずり込もうとしている。
それもいいか。楽になれるのなら、それでいい。
でも。
何かが引っかかる。それが何か分からないけど、何かが僕に訴えてくるんだ。小さな凝りの様なものが邪魔をする。楽な方に流されてしまう事を咎める。
少年が訴える。諦めてしまえ。
何かが咎める。それでいいのか、と。
僕は……どうすればいいのだろう?
答えは出ない。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




息苦しさに眼を開けるといくつものむき出しのパイプが天井に走っていた。頭の下からは腹の底に響くような低いエンジン音がしてる。視界がゆったりとした周期で上下に揺れる。体調が悪いのかと思ったけどそうじゃないらしい。地面が揺れてるみたいだ。

「おっと、眼が覚めたか」

天井を遮って榛名さんの顔が入り込んだ。アンディも続いてきて、僕は体を起こす。

「ここは……」
「クロトの所有してる船の中だよ。もっとも、漁船を改造したみたいなモンだから大した船でもないけどな」

苦笑いをして僕の隣に座る。僕は寝起きの回らない頭でボーっと天井を見ていた。

「今は日本海を南下して京都の方に向かってる。そこまで行けばアタシらのセーフハウスがあるから、そこでアンタの今後について決定するつもりだ。だからもうしばらくアタシらと付き合ってくれ」
「はあ……」

そう言えば僕は何でココにいるんだっけ? 確か、森川を救けるために浅海と一緒に新潟にいたんじゃ無かったっけ?

「……済まなかったな。森川さんのことは申し訳ないと思ってるよ。だけど、IHFLの応援部隊が近づいてきてて、海に飛び込んでまで彼女を探す暇が無かったんだ」

ああ、そっか。なぜ僕がココにいるのか思い出した。
ダメだったん…だよな……?
吐息と一緒に、海に消えていく森川の姿が再生される。僕に向かって手を伸ばす森川。スローモーションで彼女が海の中に飲み込まれていった。力の入らない体から更に力が抜けていく。
榛名さんとは反対側にアンディが立って壁にもたれかかった。

「最後にお前らを撃った奴も追いかけたんだけどな、ワリィ、追いかけきれなかった」

その言葉に、森川が落ちて行く直前に見た人影の事を思い出す。遠く離れて顔も何も見えなかったけれど、うっすらと見えたその姿。男か女かも分からないその人が森川を奪い去ってしまった。
彼か彼女かは敵なのか。敵――IHFLの人間だとしたらどうして僕らをあのタイミングで撃ったのか。撃つならば、僕が森川を引き上げて安心したところを撃てばいい。なのにそうしなかった。何故だ?
そこまで考えて、つい笑いが零れた。どうせもう終わったことだ。考えても意味の無いことだ。

「眼を覚ましたのね、空深くん」

うなだれた僕の頭上から冷たい声が掛かる。顔を上げると浅海がそこにいて、未だプロテクターを着てる。手にはハンドガン。マガジンを取り出して残弾を確認すると再装着し、いつもと同じく視線鋭く僕を見下ろす。そして手に持っていたその拳銃を僕に向かって放り投げた。

「弾は込めておいたわ。もうすぐIHFLの船に乗り込むから、他の準備をしておいて。榛名とアンディは空深くんの準備を手伝ってあげて。作戦決行は一時間後よ」

相変わらずの一方的で僕に有無を言わせない口調で浅海は告げると、長い髪を翻して僕らの元から立ち去ろうと背を向けた。

「待てよ」

でもそれに待ったを掛ける。榛名さんだ。

「船に乗り込むってどういう事だよ? もう今回の作戦は終わったはずじゃねーのか? 後は空深の動向についてアンタらが話し合うだけだろ」
「誰がそんな事を言ったのよ? 私は一言も言った覚えは無いけど?」
「ふざけるなよ」

榛名さんが立ち上がって表情険しく浅海を睨みつける。百七十近い榛名さんが浅海を見下ろす形になるけど、浅海は浅海で榛名さんの眼を見て互いに睨み合う。

「アンタが諦め切れねーのは分かるが、森川は海に落ちて今頃日本海の底で、後は運良くどっかの浜辺に打ち上げられるのを待つだけだ。確かにもしかしたらIHFLの連中が遺体くらいは回収してるかもしれねーけど、それが何になる!? それともアンタはあの子の命なんざ二の次で体さえ手に入りゃ十分ってか!?」
「森川さんは生きているわ」
「その証拠はどこにあるんだよ?」
「アナタに示す必要は無いわ」
「ハッ! アタシたち兵士は黙ってアンタら上の命令を聞いてれば良いってか? 一人じゃまともに役目も果たせないヤツがざけんじゃねーよ!
 だいたい、今回の件は最初から気に食わなかったんだ。アンタみたいな得体の知れない奴が突然やってきて、詳しい説明もせずにアタシらを他の任務から連れ出して、人手不足にも関わらずあのお姫様を救うときた。確かにアタシたちは未来視の能力者を保護するのが仕事だ。けどな、助けを待ってんのは森川だけじゃねぇ。他にも優先して助けるべきヤツはいるんだよ。重要度で考えれば、申し訳ねぇけど森川はかなり下だ。まして相手はIHFLだ? 今回のヤマはハッキリ言って割りに合わねえんだよ。ちゃんとした説明がなきゃアタシはこれ以上動けないね」
「申し訳ないけどさ、俺も同意見だよ。副代表に言われたからここまでアンタに付き合ってきたけど、いい加減詳しく聞かせてほしいね」

榛名さんとアンディの二人と浅海が向き合ってピリピリとした空気が流れる。僕は一連の流れを聞いていたけど、それだけ。今はもう何もしようという気が起きない。
船の一室で険悪な雰囲気が立ち込めてる。浅海は二人の顔を交互に見て、そして僕の顔を一瞥した。

「……言いたいことはそれだけかしら?」
「なんだ、まだ他にも言って欲しいのか? いいぜ、言ってやろうか? 今回の件だけで腐るほどテメェに言いてぇ事があるんだ」

榛名さんが浅海の胸ぐらを掴んで持ち上げる。軽い浅海の体があっさりと宙に浮く。けれども浅海は眼を逸らさないし、榛名さんも射殺さんばかりに睨みつけたまま。

「二人とも、それくらいにしておいてくれないかな?」
「雨水副代表!?」

だけどその空気を男の人の声が打ち破った。僕もアンディも、そして睨み合っていた榛名さんと浅海もその声の方に顔を向けた。
副代表と呼ばれたその男の人はにこやかな表情でこちらに近づいてくる。黒いスーツを着ているけどネクタイはつけていなくて、パリッとした服装なんだけどどこか接しやすさも感じる。見た目は四十代ってところだろうか。オールバックにまとめた髪には白髪も混ざっているけど若々しい。そんな彼がコツコツと革靴を鳴らしながら歩き始めると、榛名さんもアンディもハッとした様子で敬礼をした。唯一、浅海だけがバツの悪そうに視線を逸した。

「副代表もこの船に?」
「意外かな? 一応この船の所有者は私になってるんだが」
「いえ……しかし、作戦を終えたとは言えこの場所は危険です。万が一ということもあります」
「気にしなくていい。もう組織は私がいなくても回る程度には育っているし、人手も足りないからね。たまには現場に出て皆の手伝いもしようかと思って危険を承知で来たのだ。ああ、もちろん水城代表も承認済みだよ」
「ですが……」
「なに、君らの足を引っ張る様な事はしないから安心してくれたまえ」

それよりも、と副代表のその人はなお言い募ろうとする榛名さんの話を断ち切った。

「引き続き森川さんの救出作戦を続行してくれないだろうか? これはクロトの副代表としてではなく、雨水・鏡個人としてのお願いだ。危険なのは私としても重々承知している。だが彼女だけはどうしても助けてあげたいのだ」
「お気持ちは分かりますが、森川さんはもう……」
「彼女は生きているよ」

浅海に続いて副代表もそう断言した。それを聞いて僕の体に少しだけ活力が湧いたのが自分でも分かった。何も感じなかった指が拳銃を撫でると、その武骨なシルエットを少しだけ感じる事ができた。

「……分かりました。雨水副代表のお言葉ですから森川さんの生存を私も信じますし、作戦も続行します。ですが、そこまで森川さんの救出にこだわる理由をお聞かせ願えますか?」
「森川さんが生きているのは厳然たる事実なんだが、まあいいか。
というわけだ、浅海。彼らにキチンと説明してくれないか? 当然、空深くんにも、だ」

雨水さんは浅海の方に向き直ってそう言った。だけども浅海はためらっていた。森川を助ける理由。それを言うのにそこまでためらわせる理由はなんだろうか。

「彼らには教えてもいいだろう? 浅海の気持ちは分かるが、彼らの協力なしには君の目的も達成できないだろうし、君の事を知ってもらうべきだ。もし浅海が良ければ私が彼らに話そう」
「……勝手にしてちょうだい」

それだけ言い残すと浅海は長い髪を翻し、今度こそ僕らの前から立ち去っていった。
雨水さんはその後姿を見送りながら小さく肩を竦めた。

「すまないね。浅海も自身の事を誰にも話すつもりは無かったからね、心の準備ができていないんだ。悪く思わないでくれ」
「いえ……あの、副代表は浅海と付き合いが長いのでしょうか? 親しい様に見受けられましたが……」
「そうだね……まずはそこから話そうか」

顎を撫でながら雨水さんはそう言うと硬い床に腰を下ろした。そして懐のポケットからタバコとライター、そして携帯の灰皿を取り出して火を点ける。一度大きく吸い込んで吐き出したところで「おっと」と声を上げた。

「悪いね。今更だけどタバコ吸っても大丈夫かい?」
「問題ありません。それより、時間もありませんので……」
「俺も大丈夫っすよ。だから姐さんの言う通り早く聞かせてくれよ」
「ああ、そうだね。とは言ってもどこから話していいものか悩むところでもあるんだが……
 ふむ、浅海の事を知ってもらうのだから、私が知る一番昔の事から話していこうかな。まず最初に知っておいてもらいたいのは、浅海は見た目通りの年齢では無いということだ」
「それはオッサンが見た目より若いとかそういう意味なのか?」

アンディにオッサンよわばりされた雨水さんは苦笑いをしながら首を横に振った。

「正直私も彼女の本当の年齢は知らないんだ。何せ、十五年前に初めて会った時から変わっていないからね」
「十五年前!?」
「そう。彼女はね、歳を取らないんだ」

十五年。その意味するところが僕の耳に入って、だけども理解が及ばない。言葉だけがグルグル頭の中を回って落ち着かない。それは榛名さんとアンディも同じらしくて、口を半開きにポカンとしたままだ。
雨水さんはその状態になることを予想していたのか、話を区切って一度タバコを吹かす。

「浅海が死なない事は知っているだろう? 彼女は歳を取らない代わりに成長もしない。肉体的にも精神的にもね。今の姿は、確か十七、八才の時の姿だと言っていたかな? あと、顔は整形して昔の面影はほとんど残ってないらしいけどね。
 それで、十五年前に彼女に出会った私は当時、異能力者を相手にした秘密の警察組織みたいな所に務めていた」
「それは、俺みたいな人間が他にもいっぱいいたって事か?」
「そうだよ。ガードナー君のように電気を操る者、炎や氷を弾丸の様に操る者もいれば、剣や盾を創りだしたり身体能力を強化する能力者もいた。もちろん、未来を見る人間も。そういう人間は基本的に理性を失ってしまったものが多かったけれど、まれに理性を保ったまま能力を保持する人間もいてね、私のいた組織は普通の人間と理性を保った能力者で構成されていた。仕事内容は罪を犯す能力者の殺害、それと能力者のスカウトだったな」
「その時に浅海と出会ったんですか……副代表は彼女をスカウトなさったんですか?」
「ああ。もっとも、彼女には断られたがね。でもそれは正しい選択だった。彼女は知ってたんだろうね」
「何をですか?」
「組織が壊滅する事を」

静かに煙を吐き出した。険しい顔をして、何かを耐えるかのように雨水さんは左手で顔を覆った。でもすぐに気持ちを切り替えたらしく、顔を上げて元の穏やかな表情に戻った。

「話が逸れたね。まあ、それで僕ら組織の人間は職を失って途方に暮れてた。そこにまた彼女が現れたんだ。そしてこう持ち掛けてきたんだ。『能力者を保護する組織を作らないか』とね」
「なら、浅海が組織を作ったっていうんですか?」

僕の質問に雨水さんはうなずく。

「『能力者を保護する』って、僕はクロトは『未来視能力者』を保護するって聞きましたけど、他の能力者も保護してるんですか?」
「いや、今は未来視能力者しか保護していないよ。そもそも、未来視以外の能力者は今はほとんどいなくなったんだ」
「どうしてですか?」
「さあ……どうなんだろうね。理由は分からない。そもそも私が所属していた組織が壊滅させられたのもそういった能力者の減少が原因だし、それは事実だよ。逆に未来視の能力者は増加していっているんだ。そういうわけで今は未来視能力者の保護を優先して行なっているよ」
「彼女が、浅海……さんが今まで表に出てこなかった理由は彼女が歳を取らないからですか? 人として不自然な姿を見せないために、私たちに不審を抱かせないために今までずっと極秘に活動してたわけですか?」
「おそらくそうだろう。けれど、本当のところは私にも分からない」
「しっかし、十五年だろ? それまで俺たちに見られないようにしてたわけで、なのに何で今回は夜や俺らと一緒に行動したんだ? それにずいぶんと今回の森川の件は入れ込んでるみてーだけど」

確かに。これまでとはうって変わって僕らと行動を共にすることが多い。今までも浅海が動く時は少数の人員で動いてて、たまたま榛名さんやアンディが知らなかった可能性もあるけど、雨水さんの様子を見る限り今回が特殊なんだろう。
浅海は言っていた。森川を救うのが自分の目的だと。それはクロトという組織としての目的かと思っていたけど、実際は浅海自身の目的なのか、浅海自身の悲願なのか。なぜ、森川なんだろう。そこまでこだわる理由は、何?

「このクロトという組織は、森川君を救うために設立されたといっても過言じゃない。浅海はそのために私に組織の設立を持ち掛けてきたんだ。かつての自分を救うために」
「かつての……自分?」
「そうだ。
 浅海・圭。彼女の本当の名前は森川・恵。死という未来を失った、今より遙か未来からやってきた森川君なんだよ」
「浅海が……森川だって……」

僕のうめく様な声に、雨水さんは黙ってうなずいた。

「彼女にとって遙か昔、森川・恵は今回と同じようにIHFLにさらわれた。いや、親によって売られた。IHFLの研究所に運ばれた彼女は、それから毎日の様に実験を受けていたらしい。現在の医療機関で行われているような血液検査から様々な投薬実験。その中には副作用の強い薬剤も含まれる。未来を見ている時の全身の動きを見るために体を切り刻まれ、時には覚醒状態で頭蓋を切り開かれた事もあったようだ」
「ひでぇ……」
「彼女の他にも同様の実験を受けていた未来視能力者も当然ながらいた。昼夜を問わず実験・観察は行われ、過酷さに自殺者が出ないよう常に監視もされていた。彼らの中には人権意識というものは無いらしいね」

頭の中で雨水さんの話が再現される。話を聞いているだけで浅海の叫び声が聞こえてくる。それは未来視の結果じゃない。実際に起こった厳然たる事実だ。悲痛な泣き声に浅海の容姿が重なり、だんだんとその姿は森川へと移り変わっていく。苦痛に、見ていた僕の顔が歪むのが自分でも分かった。

「一緒に受けていた被験者たちは一人減り二人減り、そうした中、浅海の脳内を観察していた研究者の一人がある発見をした。未来を見ている最中にある一箇所、本当に極々ある微小な箇所の働きが活発になっていた。そしてそれこそがIHFLが求めてやまなかったものだったんだ」
「何ですか、それは?」
「私も名称までは知らない。だがその脳内にある『器官』こそが未来を所有者に見せているものらしい。その器官は誰にでも存在するものではなくて未来視能力者固有の物で、そのサイズや働きにも個人差がある。それを発見した研究者たちは実験を次の段階に引き上げた。いかにその器官の働きを人為的に制御するか、だ。しかし、その実験はすぐに暗礁に乗り上げた。何故か? その器官は、外部からの刺激にさらされるとその機能をたちまち失ってしまうからだ」

雨水さんの持つタバコの長い灰がポトリと床に落ちる。灰は落ちた衝撃で形を崩し、タバコの火はフィルターに到達して消えていった。

「その機能を失った人間は死んだ。何の前触れも無く唐突に心臓が活動を止め、その肉体はあっという間に老人のように朽ちていった、と浅海は言っていた。まるで、その瞬間から先の未来を奪われてしまったように。だが、ここで浅海は例外だった」

例外、と誰とは無しに疑問の声を上げる。雨水さんはもう一本タバコを取り出して火を点け、やや暗い室内に明々とした火が灯った。

「浅海の、未来を見る機能も実験の最中で失われた。だが彼女は死ななかった。代わりに、君たちも知る新しい能力が生まれた」
「不死……」
「そうだ。人間は死に向かって生きている、とは誰の言葉だったかな? フロイトだったか? ともかく、彼女は未来視の能力を失ったことで『死』という未来を奪われた」

それは想像を絶する絶望だ。死は人間の終着点であると同時に最後の逃げ道でもある。人は死があるからこそ死を恐れるし、『生』が意味を持つ。そして『生』に意味を失った時『死』を渇望し、全てを捨てて逃走していく。
『死』は希望であり、未来だ。未来を失った事を知った時、浅海の心中はどんなだっただろうか。僕には想像もできないが想像するしかない。真っ暗で、怖くて、泣き叫んで、でも何も変らない。時間がどれだけ経ち、どれだけ周囲が変化しようとも取り残されていく恐怖。きっと、僕ならば気が狂ってしまっているだろう。
だからこそ納得もいった。なぜ浅海がそこまで森川の奪還に執着するのか。この時代の森川はまだ未来を失っていない。浅海自身が絶望の象徴ならば、森川は希望だ。絶望に塗れた浅海の最後の希望だ。それを最後の最後まで浅海が手放すわけがない。

「浅海さんが森川の奪還に固執する理由は分かりました。それならばこの期に及んでもまだ諦めないのも理解できます。しかし、それならば何故こんな少人数で挑もうとするのですか? 裏に隠れていたとは言え、彼女の発言力は小さくないはずですし副代表だって協力は惜しまないでしょう? 現に今副代表はこの場所にいらっしゃいます。なのにどうして……」
「森川君のために人員を割けばその分他の能力者の救出に支障がでるからだ。彼女はずっと見てきたんだ。IHFLに囚われた能力者がどのような扱いを受けるのか、を。自分の願いのために他者の未来を奪う事は耐えられない。だから浅海は、今動ける我々だけで彼女の目的を果たそうとしてるんだ」

僕は思った。浅海は馬鹿だ。思わず唇を噛み締め、包帯の巻かれた右手を握りしめる。
愚か過ぎる。そこはわがままでいいじゃないか。自分のエゴを通していいじゃないか。見ず知らずの他人より、自分の希望を優先したって誰も責めやしない。これで失敗したら、何のために過去に戻り、組織を作ってきたのか分からないじゃないか。
ああ、そう言えば。僕は昨日の遊園地を思い出す。デート中だというのに迷子を助けるのを優先して、自分の事は二の次だった。
森川が僕に好意を抱いてくれてるのは知っている。引っ込み思案で、人と話すのも苦手な彼女が勇気を出してデートに誘ってくれた。相当な勇気が要ったと思う。そして手に入れた貴重な時間を他人のために使って、その事を苦とも何とも思っていなかった。
自分を捨ててでも他人のために。例え、捨ててしまうことの中に、一生を掛けてでも叶えたい願いがあったとしても他者のことを慮ってしまう。
本当に、馬鹿だ。なんて、なんて――

「優し過ぎるよ……」
「私もそう思うよ。でも、そんな浅海だからこそ私は彼女に協力したいと思ったんだ」

ちょうど雨水さんの二本目のタバコが終わる。時計を見て時刻を確認して立ち上がった。

「そろそろ準備をしよう。
 ガードナー、力の戻り具合はどうだ? 使えそうか?」
「ああ、完全じゃねーけど一発くらいならデカイのを撃てそうだぜ」
「そいつは重畳。君の一撃がキーになるからね、腕前をしっかり見させてもらうよ」
「ああ、任せときな。とびきりなヤツをぶちかましてやるぜ」

自信満々に宣言したアンディに向かって雨水さんは満足気にうなずくと、僕の方に視線を移した。

「空深くんの準備は私が手伝おう。この後IHFLの船に強襲を掛ける。榛名は突入後のプランを練っていてくれ」

言いながら雨水さんは数枚の紙を榛名さんに手渡し、それを見た榛名さんの眼が驚きに染まるのが分かった。

「これは船の全体図ですか……よくこんなものを」
「なに、ウチの組織も無能じゃないって事さ」

年齢とは不相応な、それでいて何処か似合っているウインクで榛名さんに応える。榛名は、苦笑いをして、最後にアンディ共々敬礼をしてこの場から去っていった。
さて森川、ひいては浅海を助けるために僕は何ができるか。寝ていた場所の脇に置かれたプロテクターを手に取りながら考える。残り時間まではもう少ない。戦闘のプロでもない、浅海のように死なないわけでもない。この僕に、何ができるのか――

「さて、これでやっと君と話ができるね」
「え?」

さっき初めて会ったばかりのこの人と何か二人きりで話すことがあっただろうか。僕の疑問をよそに雨水さんは突然頭を下げた。

「今回は巻き込んでしまって申し訳ない。そして、協力に感謝します」
「や、止めて下さい。僕は……最初は巻き込まれこそしましたけど納得済みですし、僕も森川を助けたいと思っていますから」
「それでも、だ。本来は君は私たちが保護するべき人物であって前線にいてはいけないんだ。森川君の事も君は与り知らないままだったのにこうして気に病ませてしまっている。組織の代表として、せめて謝罪だけはさせてくれないかな?」

そう言って一向に頭をあげようとしてくれない。その間、僕は恐縮するばかりで、他に何ができるというのか。居心地悪くて仕方ない。だから謝罪を受け入れる旨を伝えると、雨水さんもホッとした様子で顔をやっと上げてくれた。

「あの、それで話は以上ですか? 早く準備をしないといけないんですけど……」
「いや、話はこれからだよ。それに、準備なら浅海がやってくれてるさ」
「はあ……」
「突然こんな話をしてなんだが、君は自分の力を疎んでいるらしいね」
「……浅海に聞いたんですか?」

雨水さんは首肯した。

「おまけにその感情を取り除いてやってくれ、とも頼まれたよ。もし良かったら、その理由を話してくれないかな?」
「別に構いませんけど、大した話じゃないですよ? よくある、ありふれた話です」
「それでもいいさ。ま、愚痴を零すつもりで気楽に話してくれればいい」

雨水さんは今の時代に珍しく、どうやらヘビースモーカーらしい。また一本タバコを口にくわえた。
それから僕は雨水さんにも僕の能力について詳しく話した。これまでに僕が経験してきた事を。突然の事だったからまとまりも何も無くて、時間も十分には無いから端折りながらの話だからわかりにくかっただろうと思う。それでも雨水さんは穏やかに笑顔を浮かべて、時折相槌を打ちながら話を聞いてくれた。
話し終わった後、雨水さんは黙ったまま天井を見上げていた。僕に対して何を言うでも無く、でもコッチから何かしら反応を促すのも違う気がして結局僕も黙ったままだ。

「……君は偉いね」

ふと、唐突に雨水さんは口を開くとそんな事を言い出した。

「うん、偉い。立派過ぎる程立派だ。そんな事があったなら、僕ならとっくの昔に諦めてる。君は、凄い人だよ」
「何も凄くないですよ……結局僕は何もできていないんですから」
「いや、君は君ができる最大限の事をやったと思う。諦めずに何度も何度も挑戦して、何度も何度も失敗して、それでもなお君は君ではない誰かを救おうとしている……それは誰にも真似できないことだ。もっと誇っていい。いや、もっと誇るべきだ」
「誇れるわけないじゃないですか。そんなに僕が立派ですか? そんなに僕が凄いですか? 雨水さんは、助けたくても助けられなくて、自分が不甲斐なくて目の前で誰かが死んでいくのを見て、それでも自分を誇れってアナタならそんな事ができるんですか!?」

そんな事、できない。できるはずが無い。あんなに辛くて、悲しくて、悔しくて、忘れたいのに忘れられない。そんなものをどうやって誇れとこの人は言うのか。

「僕は君じゃないから、君の中に渦巻く感情を理解なんてできない。きっと『理解』なんて言葉さえ使ってはいけないんだろうと思う。だから、申し訳ないけど君の感情は無視して、僕の考えを述べさせてもらうよ。もちろん君がどう受け取ろうと勝手だし、僕も受け入れてもらおうなんて思っていない。そこは自由だ」
「……いいですよ、言ってください」

雨水さんは小さく息を吸い込んで、そして吐き出した。

「君が得た結果は、確かに君にとって誇れるものでは無いと思う。僕だってきっと君と同じ立場なら誇るなんて無理だ。でも、だからと言って君自身を否定する必要は無いんだよ」
「僕自身……」
「そうだ。あくまで失敗したのは『結果』であって、なるほど確かに他人の評価は結果だけを見てのものかもしれない。それは世の中の事実だ。しかし、だ。自分でその『過程』を否定する必要は一切無いんだ。君は頑張った。他人に見えないところで努力した。その事実は確かに存在していて、その事を完全に知っているのは君しかいない。だから君が君自身の行動を認めてあげないといけないんだ。そうでないと、君はいつまで経っても君が望む『未来』を手に入れる事はできない。僕はそう思うよ」
「途中の過程を認めたからって何になるっていうんです? そんなのただの自己満足じゃないですか!? それで誰かが救われるんですか!? 誰かが生き返るんですか!?」
「少なくとも君は救われる」

僕の眼を見て断言した。胸の内が開いていく様な感覚が僕の中に広がる。少しだけ、暖かいものがこみ上げてきて、それが何か分からずに僕は雨水さんから眼を逸らす。

「反省は必要だけど自己否定は何も生み出さない。それは誰も救えない、犠牲だけで目的も達せない最悪の手段だ。君の持っているもの、経験してきたこと……どんなに取るに足らないと思える事でも意味はあるんだよ。ましてや、君には力がある。他の人は持っていない力があるんだ。君は言ったね? 自分の力は他人を不幸にする、と。他人を不幸にしてるのは力じゃない。その考えは君が自己否定の結果に生み出してしまった、君を不幸にするだけの悲しい産物だ。未来を知っていたのにご両親を救えなかったという、不運にも出だしでつまずいてしまったが為に根付いてしまっただけで、君の力はそんな悲しいものじゃない。君が思い込んでいるような他人を不幸にする能力では無くて、君を幸せにするための力なんだよ」

それは何の根拠も無い、ただ雨水さんがそう思っているだけの話だ。信じるに足る要素なんてどこにも無い、それこそ単なる願望に近い。そんな事、理解してるのに。
――どうして涙が止まらないんだろう

「自分を否定しないで、受け入れてごらん。悲しい未来を見る必要はないんだ。空深くん自身が笑っている未来をソウゾウすれば良い。君は、君が歩みたい未来に向かって進めばいいんだよ」
「僕…は……幸せになって、いいん、ですか……?」

――僕は、未来を見てもいいんですか?
言葉にならない声が聞こえたように、雨水さんは僕の頭を撫でてくれた。今日、会ったばかりなのに、その手は男の人にしては小さくて、暖かくて優しい。

「君が幸せになるんだ。全てはそれからだよ」

僕は声を上げて泣いた。
父さんと母さんが死んで以来、初めての涙は僕に優しかった。










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