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第一話 街と酔っ払いとかしまし娘
第ニ話 ロスト・チャイルド
第三話 存在
第四話 デーモン&デーモン
第五話 妄想空想夢の跡
第六話 ほっぷ・すてっぷ・ほっぷ
第七話 とぅー・びー・うぃず・ゆー
第八話 スタートライン
第九話 いちについて
第十話 よーい・どん









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






−1 街と酔っ払いとかしまし娘−




チャイムが校内に鳴り響く。それを聞いた上永ヒサトは顔を上げ、腕時計に視線を落とすと慌てて立ち上がった。机の上に広げていた本を、端が不恰好に折れ曲がるのも構わずカバンの中に押し込み、図書委員の生徒が顔をしかめるのも見えないフリをして図書室を飛び出す。

「しまった、夢中になり過ぎた……!」

部活の片付けをする生徒を横目に、ヒサトは自身の行動を悔やみながら必死に校庭を駆け抜ける。
路地に面した校門を一瞬で通り過ぎて右に曲がり、片側四車線の商業施設が立ち並ぶ大通りにヒサトは到着した。平日の夕方で、ヒサトたちの高校がすぐそばにあるお陰で同じ高校のブレザーを着た女子高生が賑やかに騒ぎながら歩道を歩き、ヒサトはその隙間を軽やかに縫っていく。

「次のニュースです。アジア経済協力会議は新たな軌道エレベータと超高高度大型太陽光発電システムの設置場所について閣議を開き、旧バングラデシュ地区に設置することを正式に決定しました。今後十年でおよそ二十三兆八千億円の投資することを行い、建設開始は来年九月から、また運用は五年後の二一五八年からを計画しています。この計画に関してビジャル・シン首相は……」

巨大なガラス張りビルの壁に投影されたビジョンを一瞥した後、ヒサトは正面からやや上に顔を上げた。立ち並ぶビル群のその先にある、ニュースと同じような巨大な一本の柱と空を覆う発電用パネル群。学校の授業では地上一五〇キロにある、習ったが天気が良ければここからもかろうじて肉眼で見える。産まれた時からあるので当たり前に感じるが、地上から伸びるというよりも空から突き刺さっている様に見えるそれに、ヒサトは改めて感嘆した。

「う〜ん……よくよく考えると人間って凄いよなぁ」
「続いてのニュースです。日本経済地区の神奈川県においてここ数日発生している街頭ロボットの異常行動について……」

だがそう思っただけでヒサトは頭を切り替えた。今しなければならないのは急いで家に帰る事だ。感嘆したってどうせ何も生み出さないのだから。ならば自分は自分でできる事をすることにしよう。
大型家電店の通りに沿って置かれた定置用モニターから流れてくる先ほどのニュースの続きを聞き流しつつ、歩道橋を渡り、車線の減った市道を通って家路を軽快に走る。商業施設が多い大通りは人も車も多いがそこから一歩奥に入れば数はグッと減る。それでもまだまだ小さな店舗が立ち並んで買い物客は多いが、まだこちらの方が走りやすい。ヒサトはスルスルと人ごみの合間を走り抜けていった。

「ん……?」

走っている最中に視界の隅に点滅信号が灯る。Visi――映像投影用網膜、通称「見えるんです」――の上で光るそれが受話器のマークである事を確認すると、ヒサトは幾分走る速度を緩めた。思考操作で左目にブラウザを起動させて、続いて髪に隠れている自分の左耳たぶに触れて装着しているボタンを押して映像通話ソフト「TelOn」を立ち上げた。

「もしもーし! ヒサト聞こえてるかなー!? 君の愛しい愛しい幼馴染のシイナだよー!」

見慣れた黒髪でショートカットの少女の姿がヒサトの視界の左半分を占める。
元気といえば聞こえがいいが、どちらかと言えば姦しいだよね。耳の奥に直接響いてくる小岩井シイナの明るい声を聞きながらヒサトはそんな事を考える。
ヒサトとシイナはすでに十年以上の付き合いとなる。二人の通う高校から歩いて三十分と少しの所にある住宅街に並んで居を構えており、家族ぐるみの付き合いを続けている。二人の付き合いは幼稚園から始まり、そこから小・中・高校とずっと同じだ。仕事のある両父親は別として、家に居ることが多い幼い二人は常に一緒で、感覚としては兄妹に近い。実際、かつてはどちらが兄か姉かでケンカしたこともあった。
幼馴染というフレーズにヒサトは不意に昔の事を思い出していたが、TelOnごしに聞こえてくる絶え間ない幼馴染の声と、Visi上に表示されているやや吊り目がかった顔がアップになったり引いたりしている目障りさに意識をVisiに戻した。

「聞こえてる? あれ、聞こえてないのかな? キチンと『見えるんです』にはヒサトの映像が見えてるんだけど。加えてさっきから『ハッ、ハッ、ハッ』なんて声が聞こえるんだけど、もしかしてヒサトはついに犬に成り下がったりしてしまったのだろうか? そうだとしたらぜひウチの愛犬としてボクが父さんに向ける愛情の五万光年倍の愛情を向けて愛してあげよう。
というわけでいい加減聞こえてたらキチンと返事が欲しいと思う今日この頃なんだけどどうだろうか? ああ、いや、そういえばヒサトは聞こえててもどういうわけかボクの声にだけは結構な頻度で反応をくれないという小学生じみたイジワルをするんだったね。いや、ボクとした事がすっかり失念していたよ。まあそれだけボクとヒサトの間には気の置けない仲があるのだということで納得しておくよ、ハッハッハ!」
「ちゃんと聞こえてるしシイナの竹刀袋を持った姿も良く見えてるよ。ついでに言えば声は今まさに走って帰ってるからその呼吸音が聞こえててただけで僕は犬になってなんかないし、光年は量じゃなくて距離の単位だとキチンとツッコミを入れておくよ。それと小学生じみた意地悪じゃなくて実際に小学生の時の話だろ、それは」
「うん、的確な訂正とツッコミに感謝するよ。さすがヒサトだ。やはりボクらは以心伝心、竹馬の友という間柄を超越してしまってるんじゃないかとつくづく感じるね。一緒にいた時間がなせる業というべきか、それとも」
「それはいいとして」

話が長くなりそうな気配のシイナの声をヒサトは強引に断ち切る。

「電話の要件は何? とりあえず早く帰りたいんだけど」
「そういえばヒサトもキチンと『見えるんです』とTelOnを使えるようになったんだね。しまったな、まずはそれを褒めるべきだったか。まあそれはそれとして、ヒサト。今、帰ってる途中って言ったのかい?」
「うん。今『夢見通り』を抜けて角食スーパーの前を通過したところだよ。それがどうかしたの?」
「何てことだ! ああ、いや、ヒサトは気にしなくていい。ただ単に、ヒサトがまだ学校にいたのなら一緒に帰りたいなとボクが思っただけだから。こんな事なら先輩の恋バナなんかに耳を傾けてないで一目散に退散してしまえば良かった」
「どうせ家隣なんだし、後でそっちに行くんだから気にしなくてもいいんじゃない?」
「む。それはそうなんだけどね。まったく、ヒサトはいつになっても何処ぞの主人公のように朴念仁さんだなあ。お姉さんは悲しいよ。少しは乙女心というものを学んで欲しいと切実に願うボクは間違っているのかな? そうは思わないかね、ジョージ」
「ジョージって誰!? ていうか、とりあえず僕の方が生まれたのは早かったし、そもそも最近の状況を考えると僕の方が兄だというのが正し……」

なおもシイナとのくだらない会話を続けようとした時、ヒサトは急に背後から引っ張られた。
身長の割に細身で軽いヒサトだが、それでも60kg近くある。しかし引っ張った何かはその重さを感じさせない様に軽々とヒサトを引き寄せる。

「がっ……!」

当然の帰結としてヒサトは背中から転がり、強かに背中を打ち付けた。呼吸が詰まり、Visi画面にノイズが走ると同時に視界いっぱいに星が煌めいた。

「なに…が……」
「馬鹿野郎ッ! 跳ねられてーのか!!」

息をつく暇も無くヒサトにメガネを掛けた黒髪の男は車内から罵声を浴びせ、そのまま走り去っていく。突然の自体に訳が分からず座り込んだまま眼を瞬かせるヒサトだったが、不意に目の前に手が差し伸べられた。

「大丈夫、デスカ?」

鈍色に光る鋼鉄の掌。無骨なそれと頭上からの女性の合成電子音に顔を上げれば、濃紺の警察服に身を包んだ警らロボがヒサトを覗き込んでいた。

「大丈夫、デスカ? オ怪我ハアリマセンカ?」
「あ、うん。大丈夫です」
「車ニ気ヅカズ車道ニ飛ビ出シソウニナッテイマシタノデ、通称ロボット規制法第三条第十一項ニ従ッテ強制救助ヲ実施シマシタ。走リナガラノVisi使用ハ危険デスノデ控エル事ヲオ勧メ致シマス」
「え、あ、はい。分かりました」

日頃から見かけている警らロボだが、よくよく考えるとこうして間近でまじまじと見るのは初めてだ。流暢に言葉を発し、動きそのものも滑らかで人間のそれと大差ないが、顔に当たる部分には凹凸は無く、鉄面の上に申し訳程度に乗せられた一対のモニタカメラだけがあった。
見た目と言動のギャップ、それとようやく頭に入ってきた事態に混乱したヒサトはやや放心気味にロボットに頷いてみせる。

「ソレデハ本官ハコレデ」

ヒサトの返事に満足したのだろうか。警らロボは小さく敬礼と共に頭を下げると再び巡回を始めた。
いちいち仕草が人間らしいな、と今更な感想を抱いたヒサトは、そういえば、と先日受けた物理の授業中の雑談で聞いた話を思い出した。
現在の技術でも人間そっくりのロボットは作れるらしく、実際に二一世紀中にはそういったロボットも試作されていたらしい。しかしあまりに精巧に作りすぎて、人間とロボットを区別できず一部の人は人付き合いを止めてロボットのみと交流を図らなくなったらしい。またそれを利用した犯罪も多発したらしく、現在では法律でそういったロボットの作成は世界中で禁止されているという話だった。それを聞きながら「まるで旧世紀のマンガみたいな話だな」とヒサトは思ったものだ。その時は鼻で笑っただけだったが、なるほど、こうして実際に接してみると仕草は人間だ。これで見た目も人間そっくりならロボットと人間を混同してしまうのも無理はないかもしれない。

「ヒサト? どうかしたのかい? 変な音がしたきりでこちらとしてはこの上なく非常に心配なんだが返事をしてくれないかい!?」

耳の中で響いていたノイズが収まって聞こえてきたシイナの切羽詰まった声に、ヒサトは電話中であることを思い出した。

「もしもし?」
「ヒサト!? 良かった、急に声が聞こえなくなったから心配したよ。何かあったのか?」
「車に跳ねられそうになった」
「え!? 本当か!? 無事なの!? いや、こうして話せてるって事は無事なのは分かってるんだけど怪我とかは無い!?」
「うん、それは大丈夫。警らロボットが助けてくれたからさ」
「そうかい! それは良かったよ! 一瞬ボクの心臓が止まったかと思ったよ。むしろ止まったね。なので謝罪と賠償を要求しよう。ぜひそうしないとボクの気が済まない。さて謝罪はともかくとして賠償の内容は何にしようか。せっかくの機会なのだからこれ幸いとばかりに普段できない事をしなければもったいないからそうだ! たまにはボクの家でボクと一緒におふ」
「話しながら帰ると危ないからまた後で」

なおもしゃべり続けるシイナを無視してヒサトはTelOnを切った。視界の左側に現れていたシイナの姿が消えて街並みが戻ってきた。
お巡りさんにも注意されたしね、と誰ともなくつぶやくと再びヒサトは走りだした。
商店が消えてそれに伴って人数もグッと少なくなる。似たような家屋が立ち並ぶ住宅街へと入り込み、住宅街のど真ん中にあるコンビニ兼酒屋の駐車場を横切っていく。その中の一つ、濃紺色の二階建ての玄関にヒサトは駆け込んだ。

「ただいま!」

乱雑に靴を脱いで玄関からすぐにある階段を駆け登る。自室のドアを開け放つと、そのまま鞄をベッドに放り投げ、制服を脱ぎ捨てていく。代わりに朝脱ぎ捨ててあったグレーのパーカーと部屋の隅にあった黒いジャージを履いて、椅子に引っ掛けてあるエプロンを手にする。そして机の引き出しから鍵を取り出すと、すぐに部屋を飛び出した。

「ヒサト」

階段を踏み外しながら降り、サンダルを履いて玄関のドアノブに手を掛けたところで声が掛けられる。

「今日は遅かったのね?」
「ちょっとね。図書室で本読んでたら遅くなっちゃって」
「そう? それで、今日も小岩井さんの家に行くんでしょ? これも持って行ってシイナちゃんとサトミちゃんに食べさせてあげて」
「うん、分かった。んじゃ急いで準備しなきゃいけないからもう行ってくるよ」

母親のヒヨリからサラダの入ったボールを受け取って、今度こそ家を出ようとした。が、後ろでヒヨリが柏手を打って再度ヒサトを引き止める。

「……今度は何?」
「んもう、そんなにうざったそうな顔しないでよ。いつからそんな子になったのかしら? 母さんは悲しいわ。だいたい……」

齢四十になる母親の泣き真似をうんざりした表情で眺めていたが、ヒサトは降参したように両手を上げた。こうなるとヒヨリの話は長い。愚痴る様に延々と幼少の頃の素直だったというヒサトの様子を語り続け、終いには父親との惚気話に落ち着いてくるのが常だ。
どうして自分の周りの女性はこうも話が長いのだろう、と表面上は笑顔を浮かべながら話の続きを促した。

「ゴメンゴメン、それでどうしたの?」
「ん? えっとね、お父さん来週帰ってくるって。さっき電話で言ってたわ」
「へえ。今回は早いんだね。ここのところ年単位で出張行ってたのに」

言葉通りヒサトの父親はここ数年海外へ出張しており、ヒサトたちと顔を合わせる機会が少ない。たまに一時帰国しても平日の昼間だったりで、ヒサトとも一言二言言葉を交わすだけでまたすぐに慌ただしく家を去っていくのが常だった。

「うん。これで海外出張は一段落して、これからはしばらくこっちで仕事になるんだって言ってたわ」

ヒヨリは嬉しそうに頬をほころばせて言った。
結婚して二十年になる両親だが、未だに夫婦仲は非常に良好だ。良好しすぎるくらいラブラブな状態で、たまに電話の会話を耳にするがとても四十過ぎの夫婦がするものでは無く、傍で聞いているヒサトの方が赤面したくなるほどだ。
ヒヨリの容姿は若々しく、ともすれば幼いと未だに形容できるほどで、先程の泣き真似だってまだ様になってしまうほどだ。対する父親は堅物で「ゴリラ」と学生の時分にはあだ名されていたらしい。まさに美女と野獣。内心で夫婦をそう称するヒサトにとって何がどうなって夫婦となるような事故が起こったのか問いただしたいところだが、今までのところそれを実行に移す勇気は持っていなかった。

「そっか。ようやく父さんと暮らせるんだね」
「そうよ。あの人、電話ごしに張り切ってたわ。『やっとヒサトと遊んでやれるな』って」
「……いいよ、別に。小学生じゃないんだからさ」

口ではそう言うものの、ヒサトの口元も少しだけ綻んでいた。
高校生になってしまって確かに今更父親と遊びたいとも思わないが、久々に父親と会えるのは純粋に嬉しかった。ヒサト自身が幼い時分には休みの度にサッカーや野球をして遊んでもらった。その時の強面ながらも優しく笑う父親は、ヒサトの中でとても印象的だ。無論叱られた事も多々あるが、今となればそれも愛されているが故と理解している。そんな父親と離れ離れで寂しいという気持ちは今はすでに無くなってしまったが、それでも父親と久しぶりに顔を合わせるのは楽しみだ。

「ふふ。そう言いなさんな。きっとあの人の方がヒサトと遊びたいのよ」
「かもね。
 あっと、やばい! それじゃシイナん家に行ってくるよ!」
「しっかり美味しいものを食べさせてあげなさいよ」

片手を上げてヒヨリの声に応えると、ヒサトはようやく小岩井家へと向かった。シイナが帰ってくる前にお風呂を掃除して夕飯の準備をしなければ。頭の中でこれからの段取りを組み立てつつわずか五メートルの道のりを向かう。
が。

「やあヒサト。しばらくぶりだね。そんなに息を切らせてどうしたんだ?」

朗らかな笑顔で出迎えるシイナがいた。

「ああ、そうかそうか。分かったぞ。いや、みなまで言わなくても大丈夫だ。うんうん、そんなにボクに会いたかったんだね。とても嬉しいよ。さあ! ボクの胸にとびこ」
「ああ、もう帰ってきちゃったんだね。ゴメン、シイナ。まだ夕飯の準備できてないんだ」
「それでそんなに慌ててたのか。なに、気にしなくていいさ。こっちはヒサトにお世話になってる立場だからね。慌てなくていいさ。ゆっくり準備してくれて大丈夫だよ」
「ホントにゴメン。お風呂で汗を流して……あ、そうか。お風呂もまだ洗ってないから……」
「それもボクがやるよ。よくよく考えればボクもサトミもこれまで毎日ヒサトに世話になりすぎてたんだ。さすがに料理をしたら……そのボクもサトミも餓死してしまうからできないけど、風呂掃除くらいならボクやサトミでもできるのだから遠慮無くボクらに指示してくれても文句なんてないさ」

うんうん、と自分の言葉に頷きながらシイナは肩に掛けた竹刀袋を担ぎ直した。
さて入ろうか、とシイナは家の鍵を取り出し、ヒサトもその後ろに付き従う。
その時、ヒサトの首筋に何か違和感の様なものが走った。その感覚をヒサトは良く知っている。日常的に、それこそほぼ毎日感じているものだ。だからこれから何が起こるのかを知っている。知っているのだがそれを回避できるのかは別問題。ヒサトは瞬時に答えを導き出して体を強張らせた。

「ヒサトだぁ〜! おっかえりぃ〜!!」

ずん、と背中に掛かる衝撃と重さ。ただ重さ自体はそれほどでも無く、タタラを踏みながらもヒサトは踏み留まって一つ、大きなため息を吐いた。

「酒クセェ……また昼間から酒飲んでるの、レジ姉?」
「えっへへ〜、実は酒屋の吉田さんから『いっつも息子の面倒を見てもらってるお礼だ! 持ってけドロボー!』ってコレ貰っちゃった」

抱きついたレジ姉――レジナレフ・エルダは背中越しに赤らんだ顔を出してヒサトの横に並べると金色の髪と酒臭い息をヒサトの口元に吹きかける。それにヒサトが顔をしかめるのも気にせずに、通学路の中途にあるコンビニ兼酒屋の店主の声真似をすると満面の笑みで左手の中にある大吟醸の一升瓶を掲げてみせた。
レジナレフ・エルダはヒサト家を挟んで小岩井家とは反対側にあるアパートに住む女性だ。非常に小柄で身長が一七三センチあるヒサトより、頭一つ分は優に小さい。何時の時代からあるのか分からない、どれだけ頭を捻っても未だに建っているのが奇跡としか思えないほどの古い木造アパートの一階に住んでおり、小学生の見た目に反してどうやら剣術に長けているらしい。近所の小学校の体育館を借りて子どもたちに剣術を教えて生計を立てていて、それなりに生徒も多い。なので収入も十分あるはずとヒサトは思うのだが、もっぱら収入の大部分は大好きな酒代に消えてしまうからまだこんな安アパートから出られないのではないかとヒサトは推測している。

「はいはい、分かったから顔を近づけないで。あと重いから早く降りて」
「ぶー! 私はそんなに重くないですよーだ! それに女の子にそんな事言うと嫌われちゃうんだよ」
「レジ姉は女の子って歳じゃないでしょうが」
「あー! それも禁句なんだよー! もう、ヒサトは図体ばかり大きくなって乙女心ってものが分かってないなぁ」
「いい歳したおばさんが乙女心とか言うとキモイ」

そしてレジ姉とはヒサトもシイナも長い付き合いだ。ヒサトたちが小学校二年生の時にアパートに引っ越してきたのでもう十年になる。剣術道場が繁盛していることからも分かるが、レジ姉は子供の面倒見が良い。シイナ共々幼い頃には、両親が不在の際はレジ姉のお世話になることも多く遊び相手になってもらっていたし、時折剣術の指導も受けていた。シイナに至っては小学生の間はレジ姉の道場に通っていて、それが縁で中学入学以降も剣道を続けているし、シイナの妹で小学生のサトミは今も道場に通っている。

「にゅー! キモイって言うなー! ……ングング、ぷは、私はまだ花も恥じらう乙女なんだぞぉ〜!」
「そそそそんな事よりレジ姉! ははは早くヒサトから離れるんだ! ヒサトもそんなに嬉しそうな顔をしてるんじゃない!」

ヒサトの背に乗ったままブンブンと手を振り回し、酒を一升瓶のままラッパ飲みして抗議の声を上げるレジ姉だが、その声をシイナが、どもりながらも大きな声で遮った。

「嬉しそうって……そんな顔してるかなぁ?」

酒臭いし小柄だとはいえ、人一人背負うのは重い。ヒサトは首を傾げながらも首元に捕まっているレジ姉の腕を解いて、なおもブーブーと抗議の声を上げるレジ姉を地面に降ろした。
ふう、と重荷から解放されたヒサトは一息吐いて振り返り――頭を抱えた。

「レ、レジ姉! なんて恰好で外に出てるんだよっ!?」
「ははははしたないぞレジ姉! あ、アナタはいい加減少し恥じらいを覚えたらどうなんだい!?」

慌てた様子の二人にレジ姉は小首をコテっと傾げ、そして自分の姿を見下ろすとニャハハ、と頭を掻いて、ペロと舌を出した。

「いやー、部屋の中が暑くってさぁ。スカート脱いじゃった」

今のレジ姉の姿は、男物のワイシャツ一枚。細身のタイプであるせいかブカブカな見た目では無いが袖や裾が長く、そのためにかろうじて下着が見えていない状態だ。白くスラリと伸びる生足が覗いていて、だが場所が外である事を除けばレジ姉の部屋に入ることも多いヒサトはそんな姿は見慣れている。対照的にシイナは恥ずかしそうに顔を赤らめながら、横目でレジ姉の脚をチラ見していた。

「……テヘ」
「『テヘ』じゃない! ウインクなんてしなくていいから早く戻って履いてきてよ!」
「それがさぁ、脱いだはいいけどどこに行ったか分かんないのよね」

ダメだ、この人。
もう何度目か分からない感想を同時に二人は抱き、また共にレジ姉の部屋の惨状が容易に思い浮かんだ。
面倒見が良いレジ姉だが、家事全般は壊滅的だ。何度かレジ姉の料理を二人は口にしていたので、能力として料理や片付けができないのでは無い。しかし、そもそも片付けるという概念をどこかに置き忘れてきてしまっている。ヒサトは常々レジ姉をそう評していた。飲んだら飲みっぱなし、食べたら食べっぱなし。服は布団の上に脱ぎ捨て。異臭を放とうが物が無くなろうが全く頓着しない。腐海と化した部屋の中で黒い冒涜的生物が酒瓶を抱いて寝ているレジ姉の体の上を這い回っているのを見た時は、本気でヒサトは気が遠くなりかけた。以来レジ姉の部屋を定期的に強制的に清掃するようにしたヒサトだったが、それにより人並み以上に家事能力が培われたのは悲しい事実だ。

「はあ……後で部屋片付けに行くから。レジ姉はまずは部屋に戻って。夕飯もシイナたちに作った後で持っていくから」
「ホント!?」
「余り物になるけどね」
「うんうん、いいのいいの。ヒサトの作る料理は何だって美味しいんだから!」

酒瓶を持ったまま飛び跳ねてヒサトの腕に抱きつく。そして「お礼よ」と言ってレジ姉はヒサトの頬にキスをし、シイナは絶叫した。

「な、な、なーっ!?」
「……レジ姉、その、誰でもすぐにキスするクセ直した方が良いよ?」
「いいじゃない、いいじゃない。減るもんじゃないし。ん、シイナ、そんな声上げてどうしたのよ? ……ははぁん、そういうこっとぉん……」

ニヤリ、とレジ姉は笑うとやれやれ、といった風に、まるで駄々をこねる子供を見るかの様に肩を竦めると、とても酔っぱらいとは思えない程に軽快な動きでシイナに飛び付いた。

「れ、レジ姉!?」
「んふっふー。そうよねー、アナタたちは昔からずっと一緒だったもんねー。だから仲間外れは良くないわよね。ゴメンネ、気づかなくて」
「えっ、いや、何を!?」
「いいわよぉ、恥ずかしがらなくたって」
「レジ姉こそ何をす」

終いまで言わせない。そんなつもりがレジ姉にあったのかはヒサトには推し量る事はできなかったが、果たしてシイナは何も言えなくなった。
ニタリと妖艶に――幼い容姿のレジ姉にその表現が適切かはヒサトは疑問だったが――笑ったレジ姉はシイナにキスをした。口に。

「ん―! んー!」

シイナはリンゴやトマトも裸足で逃げ出すほどに顔を真赤に染めてもがく。が、正面からガッチリと組み付いたレジ姉は離れない。
傍でその様子を眺めていたヒサトは、「早くご飯を作りたいんだけどな……」とポツリと呟きながらぼんやりと耳たぶを触りながら、時折あらあら、とばかりに笑いながら通り過ぎる近所の婦人に苦笑いをして待っていた。

「ぷはっ!」
「……んふ。ご馳走様」

ひとしきりシイナの唇を堪能したらしいレジ姉は、ようやくシイナを解放すると満足そうに自分の唇を舐める。対するシイナは力尽き、両腕をアスファルトについてうなだれていた。

「ぼ、ボクのファースト・キスが……」
「いや、初めてじゃないし……」

こうして酔っ払ったレジ姉に唇を奪われるのは何度目か。どういうわけかヒサトはまだ経験が無いが、シイナは幾度と無く今回のように口と口でキスをされているがその度にこうしてうなだれている。いい加減慣れればいいのに、という言葉が出てきそうだったがそれをヒサトは飲み込む。乙女心はそれなりに理解しているつもりだ。

「んひゃっ!?」
「んっふっふー。相変わらずいい形のおっぱいしてるわよねー」

シイナに馬乗りになる形で、両手でシイナの胸を揉みしだく。シイナもレジ姉も顔を上気させ、レジ姉の指が動く度にシイナは体を震わせる。

「れ、レジ姉の、方が、ん、お、おっきいじゃない、か……んあっ!」
「感度も相変わらずいいわねー。羨ましいわ」
「んひゃあっ!!」
「お? ここがええのんか、ここがええのんか」
「やめい、そこのおっさん」

興が乗ってしまったのか、嬌声を上げるシイナにレジ姉はいやらしく手をワキワキとさせるが、さすがにヒサトが止める。

「えー、これからいいところだったのにぃ」
「良くない。ほら、周りを見てみなよ」
「え?」

顔を少し赤くしたヒサトに言われてレジ姉は周囲を見回した。人通りが少ない通りではあるが、それでも住宅街だ。夕方ともなれば帰宅者でそれなりに人が通り、誰もが何事かと凝視しながら、しかし関わりあいになるまいと通り過ぎていく。
果ては遠くから迫り来る、ちょっと前にも見たロボットの姿があった。

「や、やばっ!」

レジ姉は慌ててボロアパートへと逃げ出し、ヒサトはシイナを抱き上げると小岩井家へと押し込んだ。
――さて、なんて説明しようか
そして自分は道端へとため息混じりにぼやくだけだった。





「まったく、ひどい目にあったよ!」

風呂から上がってきたシイナは、バスタオルを体に巻き付けてリビングとやってきた。未だに怒りが収まらないのか、フェイスタオルで濡れた髪の毛を拭きながらも肩を怒らせて文句を口にする。
それに苦笑しながらもヒサトは料理を作る手を止めずシイナをなだめた。

「まあまあ。怒るのは分かるけどレジ姉もたぶん今頃思いっきり反省してるから」
「だからってああああんなハレンチな事をみみ道端でなんて……!」
「今のカッコはハレンチじゃないの?」
「家の中だからいいんだよ。そ、それに今は、そのヒサトしかいないし……」

シイナの返答に「そんなものか」と納得ともつかない納得をし、ガスコンロの火を止める。寸胴からトングで茹でたパスタを取り出して更に盛りつけていく。シイナは、自分に背を向けて一向に振り向く様子のないヒサトに口を尖らせ、だがそれが面と向かい合うのに照れているのだと勝手に結論付けると、鼻歌を口ずさみながらダイニングの椅子に腰を下ろした。

「そういえばサトミちゃんは?」
「ん、サトミ? 言ってなかったかな? サトミは今日から小学校の修学旅行で沖縄に行ってるよ」
「あれ、そうだったっけ? しまった、なら作りすぎちゃったな……」
「珍しいな。ヒサトが失敗するなんて」
「あはは、今日はいろいろあって慌ててたからね……あ、そろそろ準備ができるから着替えといでよ」

ようやく振り向いたヒサトにシイナは立ち上がって部屋へと向かう素振りを見せ、だがチラリとバスタオルの裾を少しだけ捲ってみせた。

「……見たいかい?」
「早く着替えてくるっ!」

顔を赤らめて叫ぶヒサトにシイナは笑い声を上げながら部屋へと戻っていく。嬉しそうに笑うシイナだが、その頬はやはり赤らんでいた。




部屋着のジャージに着替えてきたシイナがリビングに戻ってきたのを確認すると、ヒサトはパスタを盛りつけた皿に、鍋で温めておいたクリームソースを掛けていく。シイナの目の前に置かれたそれには色とりどりの野菜が入っていて、ソースから湯気が立ち上りシイナの鼻を巧妙にくすぐっていく。

「さすがヒサトだね。野菜の切り方といい盛りつけ方といい香りといい全てがボク好みだ。これならサトミの分までペロリと食べてしまいそうだね」
「褒めすぎだよ。時間なかったからほとんど出来合いの材料しか使ってないし」
「いやいや、謙遜することはないさ。ボクやサトミが調理したらどうなるかなんて簡単に想像がつくだろ? それに出来合いであっても普通よりも十分うまい。ボクが保証してあげるよ」
「不思議だよね。シイナは他の事は何でもできるのに、料理だけはダメだもんな」

勉強、運動、容姿に人付き合いに家事全般。剣術はレジ姉の手解きのおかげでそれなりにでき、家事には自信があるものの、他に関しては平々凡々であると自負しているヒサトからしてみれば羨ましいとしか思えないシイナだが、どういうわけか料理だけは壊滅的だ。シイナもそれを自覚しており、だから決して台所には立とうとしない。

「う〜ん、できればたまにはヒサトにもボクの料理を食べてもらいたいんだけどね……ボクが料理をすると消防署の人たちが忙しくなっちゃうからなぁ」
「ハハ……」

残念そうにつぶやくシイナだが、ヒサトからは乾いた笑いしかでてこない。なぜならシイナの発言は一切の誇張を含んでいないからだ。
シイナの向上心は強い。出来ない事を出来ないままで終わらせる事は苦痛であり、だからこそ現在のシイナがある。そしてそれは当然料理にも適用され、シイナは奮闘する。
だが失敗。見た目にも失敗と分かるそれを、シイナの両親、そしてヒサトも無碍にはできず無理やり食べて三人揃って救急車で運ばれるという惨事を引き起こしてしまっていた。
最初こそ失敗続きでも次第に上達していくだろう、と誰もが、シイナ自身もそう思っており、実際見た目は普通の料理と遜色ないほどに上達していった。しかしながら味の方は一向に改善される気配が無く、隣で教えていたヒサトにも原因は分からない。さすがに周囲を何度も病院送りにするわけにはいかないとシイナが自分で作っては試食していたが、その度にシイナが病院へ搬送され、最後には両親とヒサトに懇願される形でシイナは料理を作ることを諦めた。

「これはアレだ、もう呪いの類だよね。ヒサトと全く同じ材料分量調理法で作ってどうしてアレだけかけ離れた、食べた人を遍く殺しかける劇物が出来上がるのか全く理解が出来ないな。きっと神がボクという存在を妬んでるんだ」
「一つくらいシイナにも苦手なものがあってくれないと僕の立つ瀬がないよ。それに、おかげで僕の料理をこうしてシイナに食べてもらえるんだから僕は嬉しいけどね」
「そ、そうかい? なら神様には少しくらい感謝してもいいかもね」

照れながらそんな声を上げて笑うシイナに、何を照れてるのだろうと不思議そうに首を傾げるヒサト。それに気づいたシイナは誤魔化すようにテレビのリモコンを手にした。
壁際に置かれた投影装置から発せられた光が二人の目の前に巨大なスクリーンが現れ、画面端に「連続ロボット暴走事件! その原因は……?」とテロップが打たれており、キャスターがニュース原稿を読み上げている。

「……というわけで連日起こっているこの事件ですが、本日はロボティクスの専門家であるインド工科大学のシン・ラナディップ教授にお越しいただきました。よろしくお願いします。さて、それでは早速我々の日常生活において身近な存在となっている街頭ロボの仕組みについて……」
「まったく、物騒な事件だよね」
「そうなの?」

シイナの漏らした感想にヒサトは疑問符を浮かべ、そのヒサトにシイナは少しだけ驚いた仕草を見せる。

「おや、ヒサトはこの事件の事をあまり知らないのかい? 少し前から結構な話題になっていたんだけど」
「いんや。さっき帰る時に少しだけ聞いたけど……」
「そうかそうか。そういえばヒサトは興味が無いことにはあまり関心を持たないからね。ならボクもニュースの聞きかじりではあるけど教えてあげようか。
 平たく言ってしまえば、そこのテロップに書いてある通り街頭ロボットが突然暴走する事件なんだ。街にはいろんなロボットがいるだろう? どんなロボットがいるかちょっと挙げてくれないか?」
「えーっと……街を巡回する警らロボットでしょ? それと道を清掃するロボットに建設現場で働く建設ロボット、あとは喫茶店とかにいる給仕ロボットとか……」
「うん、そんな感じでボクらの周りには色んなロボットがいるけどね、そいつらが突然人を襲い始めるんだ」
「人を襲う……?」
「うん、そうだよ。突然暴れだして周りにいる人たちに向かって暴行を始めるんだ。そして残念な事に中には死人まで出てるんだ」
「そこまでの大事件だったんだ……全然知らなかった」
「ボクの口から苦言を呈さなければならないのは残念だけど、ヒサトはもう少し自分の周りに興味を示すべきだと思うな」

ヒサトはハハハ、と誤魔化すように笑い、反省の色が薄いヒサトにシイナは小さく嘆息した。
そしてシイナは顔を曇らせる。長いまつげを伏せ気味にし、パスタを巻いていた右手を置いて左腕で右腕を掴んだ。

「ボクはね、この事件がかなり怖いんだ」
「シイナ……?」
「この事件の怖いところはね、ロボットに何の前触れもないのと、ボクらの住むこの都市で起きてるところなんだ」
「え?」

ヒサトは小さく衝撃を受けた。これまで対岸の火事ではないが、自分とは関係のない遠くの出来事と無意識に捉えていた。それが、シイナの言葉で急速に身近な事を意識させられた。強く腕をつかんで爪が食い込みそうになっているシイナの仕草がそれを更に増長させる。

「まだこの街では事件は起こってないけどね、隣の区ではもう起きてるんだ。そして初めての死者もその区なんだよ、ヒサト。暴走事件に巻き込まれるだけならまだいい。暴行を受けて怪我で済めばいい。けど、もしボクやヒサト、それにサトミや父さん母さん、ヒサトのご両親が事件に巻き込まれて万一亡くなるなんてことも有り得るんだ。突然これまでの何でもない日常が奪われてしまうかもしれないんだ。それは神ならざるボクらにとっては自分の意志で避ける事はできないんだ。そういう事を考えた時にボクは急に怖くなるんだ。こうしてヒサトと一緒にご飯を食べられなくなってしまうのが怖いよ……」

ヒサトは何と声を掛けていいか思案する。シイナはヒサトにとって姉であり妹だ。幼い頃からの付き合いで色んなシイナを見てきた。笑顔に怒った顔。喜んだ顔や泣き顔だって見てきた。
成長する中で泣き顔は減り、喜怒楽の感情を発露させる事が多くなった。しかしその中で時折覗かせる不安気な顔。その表情がヒサトは一番キライだった。喜んでいる時は一緒に喜んであげればいい。怒っている時は宥めればいい。泣いている時は慰め、楽しんでいる時は一緒に楽しめばいい。ただ不安に陥っている時、どうやって不安を取り除いて上げれば良いのか、それがヒサトは確たる方法が分からない。

「おや、ボクとしたことが失敗してしまったな。食事時にする話じゃなかった。忘れてくれないか? さあ、せっかくヒサトがボクのために愛情をたっぷりとねっとりとこれでもかと言うくらいに溢れんばかりに注いでくれた料理が冷めてしまう前に食べてしまうとするか」

ヒサトの困り顔に気づいたシイナが苦笑いを浮かべ、皿に置いたフォークに手をつける。テレビのスイッチを切って部屋が静かになると「うん、うまい。さすがヒサトだ」と言葉を続けた。
シイナが気遣ってくれているのはヒサトにも簡単に分かる。それが申し訳なく、だからヒサトは自分が知っているやり方を実践する。

「ヒサト?」

テーブルの上に置かれたシイナの左手。それにヒサトは軽く自身の右手を重ねた。

「大丈夫だよ。僕らは変わらないし居なくならない。これからも僕らの日常は変わらなく続いていくよ」

ヒサトはシイナに笑いかけ、重ねた手を包み込むように握りしめた。

「そうか……うん、うん。そうだな。ボクらは何も変わらないさ」

この毎日がいつまでも続きますように。
ヒサトには聞こえないよう、シイナは自分の口の中だけで何度もその言葉を繰り返した。






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