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第一話 街と酔っ払いとかしまし娘
第ニ話 ロスト・チャイルド
第三話 存在
第四話 デーモン&デーモン
第五話 妄想空想夢の跡
第六話 ほっぷ・すてっぷ・ほっぷ
第七話 とぅー・びー・うぃず・ゆー
第八話 スタートライン
第九話 いちについて
第十話 よーい・どん









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






−2 ロスト・チャイルド−




――人が倒れている。
ドラマや漫画の中でしか見たことがない光景を目の当たりにしてヒサトは言葉を失い立ち尽くした。
時間は午後七時。夏が過ぎて秋が到来したこの季節、空はすでに半ば以上日が落ちて街頭が灯りを点している。家々の窓からは灯りが漏れ、夕餉の支度をしているのだろう良い香りがそこかしこから上がる。
ヒサトは醤油の入ったコンビニの袋を手にしたまま、助けを求める様に辺りをキョロキョロと見回す。しかし付近には誰一人いない。帰宅途中の会社員も、買い物帰りのおばさんも、部活終わりの高校生も一人としていない。
それがどれだけ異常な事か。普段こんな時間に出歩くことのない幼いヒサトにはそれが分からない。一頻り誰か通らないだろうか、と不安な面持ちでその場から動くこともできずに待っていたヒサトだったが、やがて誰も来ないと悟った。
クシャリ、と手の中のビニルが擦過音を立てる。
ゴクリ、と飲み込んだ唾液がはっきりと聞こえ、緊張で震える脚を無理矢理に動かして倒れている人に向かっていく。それに従い暗がりで良く見えなかった姿がはっきりと見えてきた。
倒れているのは女性。そして金髪。
――たぶんガイジンさんだ。
アジア経済協力会議が発足してすでに日本という国家は、形の上では無くなったが、それでも旧日本地域には日本人が多く、ヒサトは初めて間近で見る外国人に緊張の色を殊更に濃くする。

「あ、あの……」

幾分女性から距離を置いて、か細い、声変わり前の少年特有の甲高い声でヒサトは女性に声を掛けた。だが、女性からは何の返答も無い。ヒサトはもう一歩前に踏み出し、そして気づいた。
女性の着ている白いシャツに染みがあった。それは濃い赤黒色だ。染みは服だけでは無く女性が倒れるまでに移動してきただろう軌跡を示すように、点々と道路のずっと遠くから続いている。
その染みが何であるか。幼いヒサトにもそれはすぐに分かった。血だ。紅い血だ。ヒサトの心臓はそれまでとは違った意味で緊張し、未知なる人物に対する警戒心と、普段母親から言い含められている注意を置き去りにしてしまった。

「あの……! だ、大丈夫ですか!? 怪我してますか?」

乱雑に放られたビニルが転がって醤油のボトルが顔を見せる。ヒサトは女性に駆け寄ると手が汚れるのも構わずに声をかけながら体を揺すり、何度も繰り返す内にやっと女性の口からうめき声が漏れ始めた。

「……ない。足り……ない……」
「え?」

聞き取りづらい掠れ声。ヒサトは思わず聞き直す。
そこで映像は途切れた。




ビクン、と体を震わせてヒサトは眼を覚ました。息が詰まった様な感覚。喉の奥がカラカラに乾き粘着質な口内がひどく不快だ。
ベッドの上で体を起こし、寝ぼけ眼の両目をネコが顔を洗うような仕草で擦る。何度か瞬きをしてようやく視界がはっきりしてきたヒサトは一度大きくため息を吐いて窓の外を見た。
窓の外は真暗で、少し開いたカーテンの隙間から街頭の灯りが部屋に差し込む。まだ日の出は遠そうだ。枕元に置いてあるデジタルの時計を手に取ると、時刻は一時五十三分を示していた。カーテンを開け、窓を開けると夏から秋に変わりかけ特有の涼しげな風が室内に吹き込んでくる。今日は新月らしく、空に月の姿は無い。
――懐かしい夢だったな
ぼんやりと思い出せる今しがたの夢。あれから女性がどうなったのかは覚えていない。きっと救急車で運ばれていって、その後の事はヒサトには与り知らぬことだ。
まだ深夜。寝直そうとヒサトは再びベッドに横になるが、喉の渇きが邪魔をする。それはただの乾燥では無く、小骨が引っかかったような、喉の奥を火傷したかのようなヒリヒリとした痛みを伴っていた。
吐息を一度。ベッドから降りて一階にあるキッチンへとヒサトは向かった。ヒヨリを起こしてしまわない様にゆっくりと進む。だが体重をかける度に床板は小さく悲鳴を上げるヒサトは顔をしかめた。
台所についたヒサトは、食器洗い器の中からコップを一つ取り出し、冷蔵庫からよく冷えたミネラルウォータを注ぐ。それを一息に飲み干す。火照った体が冷え、喉が潤う。ほぅ、と息が漏れ、ヒサトはそこでリビングに微かな灯りが灯っているのに気づいた。
テレビから深夜のショッピング番組が流れ、しかしリビングには誰にもいない。と思ってソファーに眼を遣れば、ヒヨリが穏やかな寝息を立てていた。
テレビを見ながら寝ちゃったのか。ヒサトは小さく嘆息して肩を竦めると、ヒヨリの寝室から掛け布団を持って戻り、ヒヨリを起こさない様にそっと掛けた。だがまだ眠りが浅かったのか、小さく体を震わせてまぶたを開いた。

「……ヒサト?」
「ああ、ゴメン。起こしちゃった? テレビ消しとくからそのまま寝てていいよ」
「ん。ありがと……」

ヒヨリは布団に包まって再び寝息を立て始める。そんな母親の様子を見て「まるで妹みたいだ」と何とも言い難い、感慨とも言えない気持ちになった。
テレビを消し、「おやすみ」とだけ呟いてヒサトは台所に戻る。返事はもう返ってこない。テーブルに置いたグラスには結露した水滴が付いて、周りにできた小さな水たまりが外からの灯りを反射していた。

「ふぅ……」

喉の渇きも言え、ヒサトはベッドの中に潜り込む。もう一度時計を見ると、午前二時十七分を示していた。
眼を閉じ、当然の帰結として視界は黒く塗りつぶされる。至極当然。だが、視界が突然真白に塗りつぶされた。
それは一瞬。ハッと眼を開けて再度閉じてみても、そこにあるのは同じ暗闇。変わらない、そう何も変わらない。そのはずだ。
しかしヒサトは感じた。何かが、ズレた。どうしてそう思うのかは分からない。何がズレたのかも分からない。漠然とした印象。ただ、そう思った。
気持ち悪い。唐突に頭が重くなり、グルグルと頭の中が回っていく。風邪でも引いてしまったのだろうか。ひどくなる一方のそれから逃れるため、眠ってしまおうとヒサトは眼を閉じ、やがて少しずつ意識が遠のいていった。

それからどれだけ時間が経ったのか。ウトウトとし続けるヒサトだったが、窓から聞こえてきた異音に眼を開ける。
ガリガリと何かを削る様な音。カーテン越しには小さな赤い点が点滅している。
やっと眠れそうだったのに、と苛立ちから爪を噛み、ヒサトはカーテンを掴むと一息に引き開けた。
息を、飲んだ。
とっさに声を上げなかったのが奇跡と思えるくらいで、呼吸が止まり、ともすれば心臓さえ刹那の時間停止したかもしれない。それくらいヒサトは驚いた。
窓の外には何かがいた。いや、何かは分かる。ロボットだ。昼間の警らロボットと同じような鉛色一色ののっぺらぼうで、それらよりももっとシンプルだった。顔に当たる部分にはわずかに眼と思われる二種類の小さなカメラが申し訳程度にあるだけ。その一つである左目に当たる場所では赤いランプが冷たく輝いていた。
窓に張り付いていたロボットは窓ガラスの鍵がある場所に細工をしていた。左手の人差し指からケーブルが伸び、サッシの中に組み込まれてある鍵情報を読み取ろうとしている。
カーテンが開き、ロボットも異常に気づいたか、鋼鉄の顔がヒサトを捉えた。威圧感のあるその相貌に気圧され、今度こそヒサトは悲鳴を上げた。
腰を抜かした体勢のまま後ずさってベッドから落ちて背中を打ち付ける。肺から空気が押し出されて、ヒサトは餌を求める金魚の様に口を動かし、ベッドを支えにしてやっとのことで立ち上がる。
それと同時にガラスが破られた。鋼鉄の肉体を持ったそれはアルミサッシごと窓をぶち破り、細かく砕けたガラス片をまき散らしながら、鈍重な見た目に反する軽やかな動きで空中で一回転して部屋に着地した。

「あ、あ、あ……」

言葉にならないうめきしかヒサトからは出てこない。着地したそれは着地の瞬間だけうつむいた姿勢で硬直し、やがてギュイン、という機械音と共に顔を上げた。まるで最後の宣告を与えるようだった。

「う、うわああああっ!!」

ヒサトは叫び、部屋を飛び出した。部屋の向かいのクローゼットに体をぶつけ、無理矢理に走る方向を変える。廊下を一歩で描け、階段を駆け下り始める。
おぼつかない足取り。それが恐怖からくるものか、それとも寝起きで体がついてこないのか。ヒサトは階段を踏み外し、転がりながら一階へ落ちていく。

「っつ……!」

頭を抑えてヨロヨロとヒサトは立ち上がる。抑えた右掌にはぬめり、とした感覚。べっとりとついた自分の血を見て、ヒサトは興奮と恐慌の入り混じった感情に支配され、気が遠くなりそうだった。

「なに……? どうしたの……?」

リビングから聞こえる寝ぼけ声がヒサトを硬直から解放する。
ヒヨリを守らなければ。未だ混乱の渦に飲み込まれているヒサトの脳は真っ先にその想いを弾き出し、自分でも驚くほどに大きな声で叫んでいた。

「逃げて、母さん!!」
「え?」

ヒヨリの間の抜けた声をかき消すように足音を立てて、ヒサトの部屋から先ほどのロボットが姿を現す。ゆったりと迫ってくるその異形は、言葉なくプレッシャーをヒサトに押し付けてくる。ヒサトは喉を鳴らした。

「あ……ひ……」

ヒサトを捉え、次いでロボットを目にした途端にヒヨリはその場に腰を落とした。その物音に反応してか、ロボットの赤い瞳は不気味にヒヨリを捉え、しかしすぐにヒサトへと視線を戻す。
震えるヒヨリの姿に幾分冷静さを取り戻したヒサトは、昨日にシイナと話していた事件の事を思い出した。
突如として暴走するロボットたち。彼らは暴れ、人を傷つけるという。
ならばこのロボットもそうなのだろうか。だとすれば何ができるのか、何をすべきか。頭の痛みを堪えて、ヒサトはどうやってこの状況から逃げ出そうか、と策を練り始める。
その時、玄関のチャイムが鳴った。

「山手警察の者ですけど、上永さん聞こえますか!? 聞こえていたら返事をお願いします!」

警察だ。ヒサトはその声を聞いた瞬間に安心感からか、膝の力が抜けそうだった。
これで助かった。その思いはヒヨリも同じだったのだろう。ヒヨリは床を這うようにして玄関へ向かい、ガチャガチャと音を立てながらチェーンロックを外していった。

「大丈夫ですか、上永さん!? どうしました!?」

ドアの向こうから入ってきたのは、掛けられた言葉通りの警察官。ただし昼間ヒサトが見た警らロボットでは無く、同じ制服に身を包んでいるものの正真正銘の人間の警察だ。まだ若い青年警官はドアが開いたと同時にもたれかかってきたヒヨリを支えながらも事情を聞く。
そしてヒヨリは言った。

「あ、あの、あのロボットと知らない男の人・・・・・・・がいつの間にか二階にいて……!」

怯えるヒヨリの指した指先にはヒサトしかいなかった。それまで訝しげだった警官の視線が一層険しくなり、二階にとどまったままのロボットとヒサトを見比べていく。

「ちょっと君、話を聞かせてもらおうか?」
「な、こんな時に何を言ってるんだよ、かあさ……」

警戒を露わに近寄ってくる警官。ヒサトはヒヨリの言葉に呆けていたが、警官の声に我に返って声を荒げ、だが最後まで続ける事ができなかった。
跳躍。小さく階上の床がきしんだ音をヒサトは捉え、とっさの事に反応できなかった警官からヒヨリの腕を掴むとそのまま引き倒した。

「ご……!」

頭上を通り過ぎていく何か。奇妙な悲鳴に潰れた音。そして玄関ドアの破砕音。直感的にそれらが何を意味するかを悟ったヒサトは、そちらに引っ張られそうな注意を無理矢理に抱き抱える形になったヒヨリに注ぐ。

「大じょ……っ!」

ヒヨリの様子を確認したヒサトは言葉を失った。
ヒヨリは震えていた。自分の体の上にまたがっているヒサトに対して、まるで見知らぬ誰かの様に怯えた視線を震わせていた。少なくとも腹を痛めて産んだ息子に注ぐ視線では無い。

「……くっ!」

状況は考察も感傷も許さない。鋼鉄の豪腕は容赦なくヒサトの思考を中断させる。
玄関を破壊したロボットは踵を返すと再度ヒサト目掛けて襲い掛かる。
ヒサトはヒヨリの体を蹴り飛ばすと自身は床を転がって鈍色の腕を避け、ヒサトのいた場所にロボットの腕が突き刺さり、何かに引っかかったのかそのまま動けなくなった。
――ロボットの狙いは間違いなく僕だ。
ままならない思考でもそれだけは断言できる。ヒサトは頭を抱えて尚も震え続けるヒヨリを泣きそうな眼で見た。それだけで胸が張り裂けそうだった。
折れそうな心を叱咤してヒサトは立ち上がった。まだロボットは腕を引き抜こうともがいている。それを横目に見ながら靴を履き、顔の無い警官の姿を極力見ない様にして家を飛び出した。
直後に背後から甲高いモーター音が響く。それは声を持たないロボットの雄叫びの様だった。
腕を強引に引き抜き、建築材をばら撒きながらロボットはヒサトの後を追って家を飛び出し、道路へ出ると両足の裏から車輪が現れる。赤い瞳が逃げるヒサトの姿を捉えると車輪が回転してヒサトを追いかけ始めた。
ヒサトは息を切らして全力で逃げる。ここは住宅地で、区画は整理されているがその分頻繁に曲がり角が現れる。それらをいくつも曲がり、曲がる直前には振り向いてロボットの姿が見えない事を確認している。にもかかわらず、車輪の走行音は確実に背後から聞こえてきていた。

「どうしてっ……!」

向こうにはヒサトがどこにいるか、確実に把握している様だった。逃げても逃げても追いかけてくる。それはジワジワとヒサトを追い詰める。息が苦しく、脚の動きも鈍くなっていく。
自分はこんなに体力は無かっただろうか。進むごとに辛くなる自身の体に問いかける。ヒサトの中で、最近あまり運動していないとはいえ、もっと早く走れたイメージがあったし、スタミナも底知らずだった気がした。
だが現実はこうだ。辛く、考える事も満足にいかない。ただがむしゃらに走るだけで、どこに逃げればいいのかも分からない。
何度目か分からない角を曲がったところで、ヒサトの耳に音が届いた。それは先程まで背後から聞こえていた音だ。正確にはまだ・・後ろから聞こえてきている。

「マジかっ……!」

靴底をすり減らして立ち止まる。足腰が悲鳴を上げ、それを無視して曲がろうとしていた角を直進する。
ヒサトが通り過ぎた角で轟音。まるで鉄の塊が落下した様に辺りが揺れる。後ろから追いかけてくる兵士は二体に増えていた。

「まだ来るのかよっ!」

角に差し掛かる度に増えていくロボット。それらが全て無言で追いかけてくる。赤いランプだけが煌々と煌めき、自分を捕まえるためだけに数を増やしていく。加えて直線だけならばロボットの方が速い。だが曲がる際に大きく減速せねばならず、それを利用してヒサトはここまで逃れる事ができた。しかしそれも限界。ジワリジワリと距離は詰められていく。それはなんという恐怖か。

「っと、たっはぁ!」

角を曲がり損ね、ヒサトは脚をもつれさせて転んだ。自然、すぐにロボットたちが追いついて地面に這いつくばるヒサトをグルリと取り囲んで見下ろす。全ての個体が銃を構え、ヒサトに対して丸い銃口が向けられた。
その内の一体がヒサトに近寄る。膝を折ること無く上体を前屈させると、右腕だけでヒサトの頭を掴んでそのまま容易く持ち上げた。
ヒサトの頭が軋む。バタバタともがくヒサトの脚は、しかして宙に浮いたまま地面を捉える事はできず、ばたつかせる脚がロボットの脚を蹴り上げようとも感じていないのか微動だにしない。

「あ、あ、あ……」

悲鳴を上げながらロボットの腕を掴んでヒサトは引き剥がそうとする。だが、ヒサトの非力では引き剥がせるはずも無い。ギチギチと軋む痛みに涙が溢れ、歪む視界に見えた空洞。それが、自分の顔に突きつけられた銃口だと気づくのに、ホンの少しの時間を要した。
――これからも僕らの日常は変わらなく続いていくよ
夕食時の自身の言葉が虚しく頭の中を駆け抜けていく。こんな、こんなにも呆気無く日常が、終わる。終わってしまう。

「いや、だ……」

零れ落ちる願い。ささやかな願い。これまで願うまでも無かった当たり前の事。

「いやだ、いやだ、いやだよ……こんなのって無い」

銃口の奥が白く染まる。それはエネルギーの塊だ。音も無く発射されたエネルギー塊はきっと当たり前の様にヒサトのこれまでを終わらせてしまう。
不意に、幼馴染の姿がヒサトの視界を占めた。

「まだ……終わらせないっ!」

ヒサトの眼が輝いた。素早く動いた腕が銃口を弾き飛ばし、明後日の方向へと発射されたビームが夜空を切り裂く。
それを合図とした様に、空から何かが降りてきた。白い何かは、明らかに周りのロボットとは一線を画していて、ヒサトを掴んでいるロボットの背後に音も無く着地した。
ずれていく体。ロボットの首筋から腰にかけて袈裟に切り裂かれたロボットはゆっくりと断面を滑っていき、地面に落ちて静寂を破る。
ロボットの切断面から吹き上がる血のように真っ赤な液体。溢れたそれが地面を濡らし、ヒサトの顔も赤く染めていく。

「変な感じがしたから追いかけてきたんだけど、間に合ったみたいね」
「レジ姉!!」

金髪を掻きあげて、平然と佇むレジナレフ・エルダがそこにいた。

「で、こいつらは何?」

疑問を口にし、二人を取り囲んで銃を向けるロボットたちを一瞥。その口調はヒサトが知る平時のものと変わりなく、手に持った両刃のショートソードをクルクルと弄ぶ。

「……たぶん、暴走したロボットだと思う。最近ニュースでも話題に上がってるけど」
「そうなの? ふーん……」
「知らないの?」
「知るわけ無いじゃん。興味ないし」

あっさりとそう言い放つレジナレフに対し、ヒサトは自分も昨日知った事を棚に上げてため息を吐く。
しかし。ヒサトは不思議だった。自分を狙うロボットがたくさんいて、相変わらず絶体絶命な状況で。
なのに――

「ま、そんなのどうでもいいわ。どうせ――」

レジ姉がいるだけで先程までの不安は鳴りを潜め、こんなにも安心している自分がいる。

「――やることは変わんないもの」

レジナレフの姿が消える。次の瞬間にはロボットたちの囲みを超えてヒサトとは離れていた。
剣を一振り。ショートソードについた油を払う。その動作と同時にロボット二体の腕が斬り落とされ、銃を握ったままの腕が地面に落下した。
そこで初めてレジナレフの行動に気づいたのだろう。ようやくロボットたちは銃口をヒサトからレジナレフへと向け、警戒度合いを高めて距離を置く。
発砲。レーザー弾がレジナレフへといくつも発せられ、深夜の静寂を保ったままに光が日常を切り裂いた。
だがレジナレフはただ体を少し横にずらすだけでそれらを回避する。安全地帯が予め分かっているかのようにためらい無く正確に最小限しか動かない。
疾走。身を、体が地面を擦るのではという程にかがめてビームを掻い潜りながら接近する。
機敏な動作を見せたロボットたちだったが、それは見た目に反して、という注意書きが付くに過ぎない。実際の人間に比べれば動きは鈍重で、特に下半身を狙った攻撃への対処は鈍い。そのため脚部は上半身に比べて頑丈に作られていた。
それでも弱い部分は存在する。レジナレフは正確な剣さばきで関節部を切り裂き、一体、また一体とロボットを地面に転がしていく。
その姿は美しい。小柄なレジナレフが遥かに大柄な敵を手玉に取る。圧巻で圧倒的。ヒサトは座り込んだまま、ただ感嘆と興奮を以て見つめていた。

「……ちっ!」

金属同士がぶつかり合った甲高い音を立てる。それと同時にレジナレフは舌を打った。上段から振り下ろされた剣はロボットの鋼鉄の腕により防がれ、続く二撃、三撃も関節部を外して防御された。
背後からの銃撃。レジナレフは跳躍してそれを避ける。レーザーはレジナレフが避けた先のロボットに命中するが、同士討ちに対処しているのか、命中部が数瞬赤く染まってまたすぐに元の鈍色に戻る。
再度レジナレフが横薙ぎに剣を振るう。それはまたしてもボディに防がれる。
だがレジナレフはそれに気にすること無く右手の剣を振りぬいた。剣が弾かれ、しかしそのまま体は回転。
金属音が響く。その直後、レジナレフの左手が光を放つ。
刹那の光の後に握られていたのはもう一振りのロングソード。どこからか現れたそれは、右手のショートソード弾いた腰関節部に正確に吸い込まれていった。帰結は、また一つガラクタが増えるという事。

「ふっ!!」

斬り裂いたその動きの最後、回転したレジナレフの手からショートソードが放たれた。
それは背後から近づいていたロボットの喉を貫通し、力を失って仰向けに倒れていく。倒れ伏して動かなくなり、喉に刺さっていた短剣は光の粒子となって消えていった。

「……はぁ、疲れた……」

辺り一帯にいた大量のロボットたち。それらは全て切り裂かれて地面に転がっており、レジナレフは一瞥して大きくため息を吐き、それと同時に左手からロングソードが消え去る。

「レジ姉、大丈夫?」
「あーダイジョブダイジョブ。それよりヒサトは怪我は……ってアンタ、頭大丈夫?」
「言わんとしてることは分かるけど、怪我も大したこと無いし頭もおかしくなってはない……と思う」

頭を怪我してる事は今の今まで忘れていたのだ。特に痛みも無く、触れてみても乾いた血塊がボロボロと崩れるだけで問題はない。

「上等。ま、怪我はどうせもう治ってるでしょうけど」
「え?」
「それよりも、まだイマイチ状況が飲み込めて無いんだけどさ、詳しく説明を……」

してくれない、と言葉を続けようとしたレジナレフが膝から崩れ落ちる。ペタン、と尻餅をつき、額には大粒の汗が浮かんでいた。

「だ、大丈夫!?」
「あ、あはは……ちょっち疲れちゃったみたい」

そう言って笑いながらロングスカートのポケットに手を突っ込み、しかし目的の物が入ってなかったのか、手で顔を覆うと天を仰いだ。

「あー、ヒサト?」
「ん、何?」

スッとヒサトの前に手を差し出した。

「お酒、ちょうだい?」
「持ってないよ!」

大声で全力で否定すると、レジナレフは露骨に唇を尖らせた。

「えー、持ってないのぉ? 酒くらい常備しておいてよ」
「むしろ逆にどうして高校生が持ってると思ったかなぁ!?」
「え? だってヒサトだし」
「その言い方はやめて! 僕が常にお酒飲んでるみたいに聞こえるから!」

はぁ、と心底がっかりしたような深いため息をレジナレフは吐き、ヒサトは顔をひきつらせた。

「……まさか」

そんな会話の最中、ヒサトはある音を捉えた。それはレジナレフも同じで、重そうな体を起こして立ち上がる。
ギギギ、と錆びついた車輪が軋むような音。音の方を振り返ると、先程倒したはずの、喉を貫かれたロボットの一体が起き上がろうとしていた。
一体だけでは無い。膝で割かれたロボットは膝上だけで立ち上がり、体を上下に二分されたロボットは上半身だけで地面を這う。
それらは皆、ヒサトだけを捉えていた。ゆっくり、ゆっくりとヒサトに近づいてくる。赤いオイルをまき散らしながら迫るその姿に、ヒサトの背筋を怖気が走る。
更に遠くからアスファルト削る車輪の音。その音は、レジナレフが駆けつけるまでずっと背後から耳にしていた音だ。そしてヒサトたちを追いかけていたレジナレフも当然その音を知っている。

「ヒサト、酒は持ってないのよね?」
「え? あ、ああ、うん。って、こんな時に何を……」
「ゴメン、悪いけど手を出して。あ、それから袖もまくって」

普段とは違った真剣な表情のレジナレフにヒサトはやや戸惑うが、しぶしぶ言われた通りに袖をめくってレジナレフの方に腕を差し出した。
瞬間、鋭い痛みが走った。

「っ!」

ヒサトは眼を疑った。言われるがままに差し出した腕には一本の切り傷。あまりに一瞬過ぎた。気がつけばレジナレフはショートソードを振るい、そして今、わずかに頬が紅く染めている。

「レジ姉、何を……」

とっさに傷口を抑えようとしたヒサトの腕を強引に払いのけ、レジナレフは腕を引き寄せる。そして、そのままヒサトの血が流れ落ちる傷口に口付けた。

「レ、レジ姉……」

呼びかけに応えずに、レジナレフはヒサトの血を口に含み、じっくりと味わい、咀嚼し、喉の奥へと滑りこませる。ヒサトから血を吸い出し、喉を血が通過する度に喉が鳴る。
突然の行動にヒサトは驚いていたが、不快ではない。むしろ心地よい。頭に渦巻いていたレジナレフの奇行に対する疑問は消し飛び、なされるがままにされていた。

「……はふぅ。ごちそうさま」

二口、三口分程度だろうか。レジナレフはヒサトの腕から口を離し、傷口を丁寧に舐めとって自身の口元を拭う。拭きとった右手の指に付着した血液に気づくと、それを愛おしそうに綺麗に舐めた。

「……ちゃんと説明してからにしてよ」
「あら、時間があったらちゃんと説明したわよ? 今はその時間が無かっただけ」

ほら、と振り向けばちょうどそこには地面のロボットたちと同じ姿形のロボットたちが現れていた。

「逃げるわよ」

言葉と同時にレジナレフはヒサトの手を引いて走りだした。それと同時にレーザーが一斉に発射され、二人はそれを避ける様に素早く角を曲がった。角の塀にレーザーが当たり、無数のそれがコンクリ塀を溶かし、一角が崩れ落ちた。

「逃げるってどこにさ!? 第一、レジ姉ならさっきみたいにあいつらを倒せるんじゃ……」
「倒せるのは倒せるけど一々あいつらの相手なんかしてられないわよ。それに今の私の魔力だと倒しきる前にガス欠になってお終いよ」
「魔力?」
「あー、そこら辺も後で教えてあげるから! とにかく今はあいつらを振り切るわよ!」
そう言ってレジナレフは加速した。追いかけてくるロボットたちとの距離がジワジワと離れていく。だがロボットたちも直線走行時の速度を上げ、引き離すことができない。
それに気づいたレジナレフはため息一つ。前髪につけていたヘアピンを取り外すと何かを唱えた。

「前向いてて!」

ヒサトに叫び、そしてそのヘアピンをロボットたちに向かって放った。
レジナレフの手から離れたヘアピンは、ロボットの眼前に達し、数瞬だけ空中に静止した。
途端、眩い閃光が辺りを包み込む。瞬く間に夜は白一色に変化し、レジナレフは言われた通りに前を向いて走り続けていたヒサトの腕を掴むと、告げた。

「跳ぶわよ」
「飛ぶ?」

ヒサトがオウム返しに聞き返したのもつかの間。ヒサトの体は宙に浮いていた。
レジナレフに引き寄せられ、夜の街に空を舞う。走り回っているこの場所は住宅街であり、比較的家屋の背丈は低い。見渡せた深夜の街には多くの灯りが彩り、眠りにつく様相を見せない。
レジナレフはロングスカートをはためかせ、ヒサトより一足先に軽やかに屋根の上に着地する。遅れてヒサトも膝をうまく使って降り立った。すでに手は離されていた。
レジナレフはヒサトを振り返ると無言のままもう一度跳ぶ。「跳ぶ」よりも「翔ぶ」の方がふさわしい。レジナレフの後ろ姿を見上げながら、ヒサトは背中に白い羽根がついている気がした。
ヒサトは膝を折った。太腿の裏とふくらはぎがくっつくほどに折り、つま先に力を込める。
大丈夫、感覚は掴んだ。
なぜレジナレフがあんなにも跳べるのか。一飛びで数メートルもある屋根の上に登れるなんて人間業じゃない。機械に改造した人だってあんな跳躍力はもっていない。当然自分だってできやしない。けれどもヒサトは、レジナレフに掴まれて空を翔んだあの景色を昔にも見た、そんな気がしていた。

「……うわぁ」

屋根を強く蹴り、同じように多くの家々を見下ろした。同様にまた屋根の上に着地し、次はヒサトを待っていたレジナレフと並んで跳躍する。
次から次へと家々の上を飛び跳ねて二人は逃げる。ある程度の数をこなし、ヒサトにもすっかり余裕が出てきた。

「うん、どうやら大丈夫そうね」
「そうみたい。でも、なんでだろ? なんていうか、昔にも同じような事をしてた気がするんだ」
「……そうね。そこらも後でぜ〜んぶまとめて話したげるから、とりあえず私たちが今やることは?」
「えっと、ロボットたちから逃げる事? でもさすがにもう……」

いなくなったでしょ、という言葉を吐き出すことはできなかった。屋根の上から見下ろした景色の中には多くの赤い瞳が光っていた。さすがに距離はあるものの、確実に、そして着実にヒサトを追いかけ続けていた。

「しっかしどうしたものかしらねぇ。ねえヒサト、アンタ何かやらかした? あいつら確実にヒサトだけを追いかけてきてるわよ」

訝しるレジナレフに、ヒサトは首を横に振る。公明正大、清廉潔白な生活を送ってきたとは言えないが、少なくとも誰かに追われる様な事はしでかしてなど無い。
ヒサトからしてみれば寝ているところを突然襲われたとしか思えないし、なぜ自分がこんな目に合っているのか、説明できる人がいたら誰でもいいから教えて欲しかった。
ともかく逃げなければ。しかしどうやってロボットたちを撒くか。
頭を抱える代わりに働かせようとヒサトが爪を噛んだ時、ヒサトの視界左半分が切り替わる。

「え?」

ヒサトの意思に反してVisiが起動し、TelOnが立ち上がる。Visiの画面上には「SOUND ONLY」という文字だけが表示されている。ヒサトがソフトを落とそうとしてもどういうわけか操作を受け付けない。

「よう、ご同輩! 苦労しとるみたいやな」

快活な女性の声が突然流れ始めた。

「えっ? えっと、こんにちは?」
「おお! せやった! まずは挨拶からっちゅうんは人としての基本やな。ここは時間を考えたらこんばんはやろか? いや、それより先にお兄やんにピッタシの挨拶があったわ」

一方的に電話先の女性はまくし立てると、一度言葉を区切った。Visiには相変わらず姿は表示されてない。にもかかわらずヒサトには女性がニタリと笑ったのが分かった。

「まずはこんばんは。そして死人の世界にようこそや!」








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