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第一話 街と酔っ払いとかしまし娘
第ニ話 ロスト・チャイルド
第三話 存在
第四話 デーモン&デーモン
第五話 妄想空想夢の跡
第六話 ほっぷ・すてっぷ・ほっぷ
第七話 とぅー・びー・うぃず・ゆー
第八話 スタートライン
第九話 いちについて
第十話 よーい・どん









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved







−7 とぅー・びー・うぃず・ゆー−



 真っ白な祭祀服を着こんでドアを開け放ったクルツは木製のドアに右肘を突き、その手で頭を支えた姿勢のままニヤニヤとした笑みを浮かべた。

「久し振りだね、レギンレイヴ。それともレジナレフと呼んだほうがいいかな?」
「どっちでも、と言いたいところだけどそうね、レジナレフの方がいいかしら? 最近はずっとこっちの名前で呼ばれてるから」
「そうか、分かったよ、レギンレイヴ」

 自分から聞いておきながらレジナレフの希望を無視し、真名の方で呼ぶとレオンハルトは一層笑みを深くした。その笑みは人を嘲る事に慣れた風で、だが一目にはそれを人には悟らせない狡猾さがある。アンドリューほどは背も高くなく、だが平均的日本人のヒサトよりはずっと背は高い。金髪と整った容姿から作られる人懐っこい笑みはさぞ他者を魅力するだろう。ヒサトもまた今のやり取りがなければ「人の良さそうな人だ」という印象を抱いたに違いない。

(この人は――好きになれない)

 直感的にレオンハルトの人となりを感じ取り、ヒサトはアンドリューに蹴り飛ばされた痛みに隠れて顔をしかめる。

「ま、別にそっちの名でも構わないわ」

 レジナレフとレオンハルト・クルツ。既知の仲であることはやり取りから明白だが、果たして二人は敵対関係に在るはずではないか。なのにレオンハルトのそんな態度にもレジナレフは慣れているのか、軽く肩を竦めただけで受け流すだけ。友好関係かどうかまでは分からないが、少なくともヒサトの眼には敵意を持っている――悪意はありそうだが――ようには見えない。

「やれやれ、久しぶりなんだからもう少し私を楽しませてくれても良いだろうに。まあ、いいさ。しかし、久しぶりに君の姿を見たと思ったらそんなに可愛らしい姿になってしまってどうしたんだい? それに昼間からこんな場所にやってきて何を? ずいぶんと派手に楽しんだみたいだけど」
「ちょっと粗相をしてアンドリューに叱られただけよ。大したことじゃないわ。後、女性の体の事に触れるのはマナー違反よ」
「ああ、それは失敬。八年前にこっぴどく我々にやられてしまった代償か。以前のグラマラスな体つきも見事だったけど、今の姿も中々どうして悪くないじゃないか。きっと一部の男性連中には受けが異常に良いことは保証してあげよう」
「大きなお世話よ」
「そうか、残念だね。しかし、アンドリューを怒らせるのは……なるほど。彼の今は亡き妻の事に触れてしまったわけだね。いや全く面白いことをしてくれるじゃないか。彼は相当な愛妻家だったらしいからね。もう六年も経つのに未だに思い出すのも辛いらしいんだ。
 そうだ! せっかくだからレギンレイヴ、君が彼を慰めて奥さんの事を忘れさせてやったらどうだ?」
「……お戯れを。それよりもお騒がせしまして申し訳ありません」

 ニヤニヤ笑いを続けながら、アンドリューにとって冗談でも酷な提案をするレオンハルト。そこには悪意は無く、しかし意地の悪さが容易に伺える。だがアンドリューもまたすでにこういったレオンハルトの性格を熟知しているからか、一度瞑目して心を落ち着けると窘めと謝罪の言葉を口にした。
 それに対し、レオンハルトは「ああ」と手をヒラヒラと振った。

「構わないさ。なに、部屋の修復には君への月々の給金から引いておくから」
「……」
「それくらい教会で出してやりなさいよ。どうせわんさかと信者から巻き上げてんでしょ?」
「人聞きが悪いなぁ。彼らは神への信仰として寄付をしてくれてるんだよ?」
「はいはい、言ってなさい」

レジナレフの言い草にレオンハルトは心底心外だ、と言わんばかりに大仰に肩を竦めて嘯く。

「それよりもちょうど良かったわ。アンタに話があるんだけど」
「おや、珍しい。というよりも君から話があるなんて初めてだったかな? まあいい。面白そうだから聞いてあげよう。話の内容なんて大方推測がつくけどね」そう言うとレオンハルトはクルリと向きを変えた。「付いて来いよ。私の部屋で話そう」

 開け放たれたドアから廊下を左に曲がり、一番奥の部屋へ四人は向かう。部屋のドアに手を当て、他の三人に聞こえないよう短く囁くように呪文を唱えながらレオンハルトは素早く魔法陣を描いた。一瞬だけヒサトからも見えたその陣は非常に複雑で、にもかかわらず瞬く間に描き終えるとドアが勝手に開いた。

「解錠の陣にしては複雑ね。面倒臭くないの、それ?」
「どうせ密談にしかこの部屋は使わないから機会が少なくてね。だから気にならないよ。ま、そんな事より掛けてくれたまえ」

 レオンハルトはレジナレフとヒサトをソファーに座らせ、自分もその向かいのソファーに腰を降ろすと深く体をそれに沈ませた。アンドリューは手を後ろに組んでドアの隣に立ち、眼を閉じる。

「さて、それじゃ聞かせてもらうとしようか」
「その前にこっちも聞かせて」
「何を、かな?」
「L.I.N.C.S、スイーパー……この言葉に聞き覚えはある?」

 レジナレフがいくつかの単語を口にする。レオンハルトはそれらを聞いて少しだけ驚きの表情を浮かべると身をソファーから起こして口元を歪め、クツクツと喉を鳴らし始めた。

「なるほどなるほど……それで私の所に来たわけか」
「知ってる、と捉えても良さそうね」
「ああ、知ってるとも。恐らく、レギンレイヴ。君が知っている以上にね」
「そう。なら話は早いわね。と言っても、本当にアンタがコッチよりも詳しいという保証は無いわ。多少は知ってるんでしょうけど、知ったかぶってコッチが情報を勝手に喋りだすのを待ってるって可能性もあるわ」
「さて、ウチの情報網も舐められたもんだねぇ……」

一度ため息を吐き、ヒサトに視線を向ける。

「いいさ。せっかくレギンレイヴがその少年を想ってウチまで脚を運んでくれたんだ。悪魔が少年を助けるために危険な橋を渡ったという美談笑い話を提供してくれた勇気に敬意を表してあげよう。まあまずは自己紹介といこうか? 私はレオンハルト・クルツ。この教会の司教をしているよ。それで少年の名前は何て言うのかな?」
「あ、はい。上永ヒサトです。その、今日はこういったお時間を取って頂きまして……」
「ああいいよいいよ。堅苦しい挨拶は無しだ。どうせ暇で暇で退屈してたところだったし」
「少しは仕事しなさいよ……」
「仕事はしてるさ。ただ、予定されてた会合が急遽キャンセルになってね。どうやって部下いびり暇つぶししようか悩んでたんだ」
「相変わらずやることがゲスいわね……」
「だろう?」

 どう考えても褒め言葉では無いのだが、レオンハルトは「フフン」と胸を張る。その仕草はどうにも子供っぽいのだが、そういった所が周囲の警戒心を解いてしまうのかもしれない。

「では存在を失った・・・・・・ヒサト。君は何を望む?」

 ソファの肘掛けに肘を突き、右手で頬を支えた姿勢で面白そうに口元を三日月の形に変えてレオンハルトはヒサトに尋ねる。
存在を失った者が何を望むか。そんな事程度分かってるだろうに、敢えて尋ねるのは本人の口から聞きたいのか、それとも会話を楽しむためか。はたまたヒサトの考えが及ばないような裏があるのか。そのいずれかだとしてもヒサトの望みは変わらない。目の前の男の掌の上で踊らされるような感じがして、ヒサトはどこか不快感を覚えるが、その感情を飲み込んで望みを口にする。

「……元の生活を。皆と泣いて笑って過ごしていた、昨日と同じ日常を取り戻したい」
「そこまで把握してる、か……それともヒサトの事はカマかけしたのかしらね? いずれにしても『存在の消去』について把握してるなら問題ないわ。
 で、コッチの要望は今ヒサトが言った通りよ。ヨハネス会派アンタたちにはヒサトの存在を保証して欲しいの。このままだとスイーパーの連中に夜な夜な狙わねかねないから。ヒサトが安心して暮らせる環境を整えてほしい」
「貴様っ……我々に、神に仕える我々に悪魔を保護しろとほざくのかっ!!」
「ふむ……それは戸籍を偽装すればいいのかな?」
「クルツ司教!!」

 ドアの傍で話を聞いていたアンドリューが怒りを顕にして掴みかからんばかりにレジナレフに寄ってくる。だが、レオンハルトはその声を無視し、ヒサトの望みを叶える方法論を口にした。
 アンドリューが驚きと異議とが入り混じった叫びを上げるが、レオンハルトは片眉をピク、と上げて横目で冷たい視線を投げかける。

「アンドリュー。私に意見できるとは随分と偉くなったものだな?」
「しかしっ!」
「『しかし』何だ?」
「……いえ、出すぎた真似を致しました」

 眉に皺を寄せ、アンドリューは強く瞼を閉じる。そして絞り出すように謝罪を口にすると一礼して再びドア傍に控えた。
 その様子をヒサトはポカンと呆けた様に、レジナレフはため息混じりに頬杖を突いて見ていたが、気を取り直すと話の続きを再開する。

「戸籍ももちろんだけど、それくらいなら偽装がバレた時に全ておジャンでしょ?」
「つまりはレギンレイヴ、君はこう言うわけだな。
 『偽装である事が問題にならない程度に相手に存在を認めさせろ』と」
「だから言ったでしょ? 『存在を保証しろ』って。居ないはずのヒサトが居ても誰にも咎められない様にしなさい。それともできないのかしら?」

 最後にわざと挑発する様にレジナレフは鼻で嗤った。それくらいでレオンハルトがムキになるとも思えないが、果たして、レオンハルトは頬杖を突いたまま「フム……」と小さく唸った。

「可否についてイエスかノーかで応えるなら、イエスだ。だが少々骨が折れる仕事だね。我々の能力を高く買ってくれているのは喜ばしいけど、簡単な仕事ではないよ?」
「できるのなら構わないわ」
「やれやれ……それで、だ。対価として何を提示してくれるのかな? 言っとくけど、ウチらは慈善事業家じゃないからね? 君なら分かってるだろうけど、タダじゃ動けないな」
「仮にも聖職者なら慈善事業くらいやりなさいよ……」

 レオンハルトの言い草に呆れながらソファーから立ち上がり、レオンハルトへと近づく。それを見たアンドリューが動きかけるが、レオンハルトはそれを手で制するとニヤけた笑みを一層濃くした。
 それはおもちゃの到来を待つ子供のようで、何をレジナレフが与えてくれるのかを待ちきれない。ヒサトが同じ顔色を浮かべたらレジナレフも苦笑の一つも浮かべただろうが、レオンハルトには能面の様に無表情に近づいていく。
小さな体を少しだけかがめてレオンハルトに耳打ちする。何を伝えているのかヒサトまでには届かない。
しばらく耳打ちをし、レオンハルトはレジナレフの言葉にしばらく頷いていたが不意にその様子が変わった。

「ク……ククッ、クハハハハハハハハッ!! ハッハッハッハッハ――! そうかそうか、そんな事があるとはね! 面白い、面白いじゃないか、レギンレイヴ。そんな面白い話を持ってくるとは気が効いてるじゃないか?」
「気に入ってくれたかしら?」
「ああ気に入るとも。最近では一番面白い話だよ。
 しかし聖痕持ち、か。まさか君の口からその情報が聞けるとはね」
「聖痕、持ち?」

 聞こえてきた聞きなれないフレーズにヒサトはオウム返しに尋ね返す。それを聞いたレオンハルトは意外だ、と言わんばかりにレジナレフの顔を見上げた。

「ああ、ヒサト。君はまだ知らなかったか。レギンレイヴ、まだ説明してなかったのか?
 いいさ、面白い話を聞かせてくれた礼だ。話してやるよ」
「クルツ司教」

 話そうと口を開きかけたがアンドリューが窘める様に声を上げ、レオンハルトはつまらなさそうに口を尖らせると頭を掻いた。

「全く、アンドリューは頭が硬いな。石頭だ。そうだ、一度瓦割りならぬレンガ割りを――」
「十枚は割れます。もしご所望であればクルツ司教の頭蓋も割って見せますが?」
「謹んで遠慮しておくよ。という訳で、ヒサト。済まないが今の君には話してやることは出来ないな」
「いえ、まあ、僕は部外者ですから。仕方ないです」

 レオンハルトの言葉に答えながらヒサトは横目でアンドリューを見た。そこで小さく安堵のため息を吐く姿に、自分を傷めつけた相手ながら同情を禁じ得ない。

「しかし、だ。レギンレイヴ、君の話はとても有意義な物だったがまだ足りないな」
「え?」
「考えてもみてくれよ。ヒサトを保護するということは国と事を構えるという事だ。これは我々にとっても相当なリスクだと思わないか?」
聖礼教義士団裏の顔も十分国に喧嘩を売ってると思うのは私だけかしら?」
「それを知ってるのはこの国だと極一部だよ。国をどうこうしようなんてつもりは無いし、そこら辺は根回しが済んでる話だ。ましてやヒサトは今や国にとっては存在してもらっては困る存在。云わば敵だ。そういう存在を庇い立てするにはレギンレイヴのくれた情報だけじゃ不十分だと思うわけだよ、私は」
「……何が望みかしら?」

 レジナレフが表情を険しくし、睨むようにレオンハルトの顔を覗き込む。レオンハルトは鼻を小さく鳴らして体を起こし、頬杖の支点を自らの膝へと移す。そしてヒサトに向かって手招きして、ヒサトが身を乗り出すと同時に自身も大きく身を乗り出して息が掛かる程に顔を寄せた。

「……何でしょうか?」
「レギンレイヴは君の為に我々に有益な情報をくれた。
 だが、上永ヒサト――」
――君は、我々に何を差し出す?

 ヒサトは息を飲んだ。ヒサトの奥深くを探ろうとする、レオンハルトのぞっとするような視線に体が硬直し、呼吸が詰まった。
 恐怖した。不遜な態度でこの場における権力者だと理解していても、軽薄とも取れる口調と若い見かけから警戒心を知らずにヒサトは解いてしまっていた。無意識の内にヒサトと同等の存在なんだと、最悪でも力づくでどうにかなる存在なのだと傲慢にも思い込んでいた。だがそれが失敗だったと、今更ながらに後悔する。
 目の前の男は強大な敵なのだ。かつてはレジナレフを追い詰め、昨日もつい先程も一方的にやられたアンドリューの上司なのだ。その地位には口だけでも権謀だけでも辿り着くことはできない。戦闘に関する実力も遥かに自分より上なのだと、ヒサトは覗きこまれただけで理解させられた。
生半可な代償ではこの男は動かない。それは今日初めて出会ったヒサトにも容易く理解できる。しかし、学生で地位も財力も無いヒサトでは提供できるものは一つしか思い浮かばない。

「……貴方達のお手伝いをします。聖礼教義士団は、僕やレジ姉みたいな人ならざる存在アンタッチャブルを探して倒してるんでしょう!? なら人手は、貴方の手足はたくさん必要なはずです」
「確かにそうだね。君の指摘は的を得ている。我々はハッキリ言って人手が足りない。アンタッチャブルは人の括りを超えた存在だ。そんな奴らに対抗できる人間なんていうのは普通そうそう集まらないな」
「なら……」
「だが却下だ」

 ヒサトの話を遮り、つまらなさそうにソファに身を沈めると軽く嘆息した。

「昨日君も体験しただろう? 普通なら戦力不足に頭を悩ませる所だろうがな、ウチは十分揃っている。まして、戦闘能力の無いただの手足ならそれこそヒサトじゃなくてもそこらに転がっている。使い捨ての人材なんぞ、道の石ころを探すより簡単だ」

 ヒサトには反論の言葉さえ浮かばない。昨夜の事を思えば戦力は十分だ。そもそもアンドリューだけでもレジナレフと対等以上に戦えるのだ。昨日居た他のメンバーもアンドリューほどでは無いにしろ、魔術も使用していたし実力は問題ないのだろう。少なくとも身体能力だけのヒサトより上だ。
 そもそも、戦闘になる場面が多いとも思えない。アンタッチャブルが今の世の中にどれだけいるのかヒサトには予想もつかないが、日常的に出会う程多く街中に潜んでいるなどあまり想像したくない。
だからこそヒサトの言葉通り探す人員が必要で、それならば戦闘能力は必要ない。どうやって探すのか、という疑問は残るが、そこにヒサトである必然性は皆無だ。
何か自分がアピールできる点は無いのか。唇を噛み締めながら頭をひねるが特別優れた思考能力を持つわけでも無く、そも自分が無個性に類する人間だと悟っているヒサトに早々名案が浮かぶはずもない。

「私が君に求める事はただ一つだ。我々がリスクを払ってでも君を保護するに値する存在だと示してさえくれればいい。
 なに、すぐに結論を出す必要は無い。私は気が長くてね。期限は設定しないからのんびりと考えるといい。もっとも、レギンレイヴとの行動は禁ずるけどね」
「え?」
「当然だろう? 私は『君が価値ある存在』だと知りたいんだ。その為にはレギンレイヴの存在は邪魔だからね。ここで拘束させてもらおう。ふふ、そんな眼で睨まないでほしいね。別にレギンレイヴを害するつもりは無いし、行動も制限はしないさ。単にこの教会から出られないというだけだよ」

 そう言われても目の前の男は信用出来ない。縋るようにヒサトは自分の隣に戻ったレジナレフを見るが、レジナレフはヒサトを安心させる様に優しく微笑んだ。

「この男は言った事は守る人間だから、私の事は心配しなくて良いわ。それに、ヒサトが今後生きていく為には、気に入らないけどコイツの言う通りヒサトの力を示さないといけないわ。悔しいけど、確かに私がいたらヒサトは無意識に頼っちゃうだろうし」
「レジ…姉」
「そんな顔しなさんなって。大丈夫、ヒサトなら大丈夫だから。
 まあ一つ気をつけるべきは、この男は約束は守るけどそれ以外で平気で人を騙すところくらいかしらね?」
「これから助けてもらう相手にひどい言い草だね、まったく。神に仕える身としてこんなにも清廉潔癖に生きているというのに」
「一遍死んで生まれ変わって来なさい」

 レジナレフの呆れた様な暴言に、レオンハルトは楽しそうに肩を揺らす。

「と、言うわけだ。それまではこの教会で寝泊まりしても結構だし、いざ行動する時にはウチの人間を助手としてつけよう」
「監視役というわけね」
「それくらいはいいだろう? なに、安心していいよ。レギンレイヴにさえ頼らなければ助手の人間は好きに使ってくれていい。人を上手く使うのも能力の内だからね? それに、いざとなれば君の事は簡単に見捨てる様伝えておくから」

 それのどこに安心する要素があるのか。
冗談なのか本気なのか判断に困るセリフに少しばかり顔を引きつらせながらもヒサトは「分かりました」と同意し、そして突き付けられた難題にうなだれた。

「空き部屋が幾つかあるから、これからはそこを使えばいい。アンドリュー」
「分かりました」

 レオンハルトの指示なき指示をアンドリューは当然の様に察し、ヒサトに視線を向けた。
 今からレジナレフとは会えない。
それをヒサトも察し、不安げにレジナレフを見遣るがレジナレフは安心させるように小さく微笑むだけだ。
 下唇を噛み、躊躇いがちにヒサトは立ち上がりもう一度レジナレフを見る。今度はレジナレフはニカッ!と歯を見せて笑ってみせ、力強く親指を立てた。かと思えば今度は指で口を大きく横に開いてみせ、ベロベロと舌を左右に振ってみせる。
 突然の変顔にヒサトは吹き出した。そして、レジナレフの意図に乗ってぎこちなくも笑顔を浮かべて手を振って部屋を出て行く。レジナレフも最後にはキチンと手を振って互いに笑顔で別れた。
部屋にはレオンハルトとレジナレフの二人だけが残った。

「ずいぶんと彼を気に入ってるみたいだね」
「だってやっぱりヒサトって可愛いじゃない? さっきの不安そうな泣きそうな顔なんてもう母性本能がキュンキュン刺激されるのよ! そうじゃなくても長い間一緒だもの。情の一つも自然と湧くわよ」
「君に母性本能なんてものがあるのかは知らないけどね、いやはや、立派なものだと思うよ? 同時に恐ろしくもあるけどね。
 なにせ、彼の為に彼の大切な人・・・・を平気で売るんだから」

 わざとらしく含んだ物の言い方をするレオンハルト。それにレジナレフは恨めしい視線を刹那の瞬間向ける。だがすぐにレオンハルトから顔を背け、それを見たレオンハルトは楽しげに喉を鳴らした。

「別に責めてるんじゃないよ。聖痕持ちの情報くらいでなければ私は動かないだろうし、彼女の存在はここにいる誰にとっても都合がいい。我々は彼女の存在を保護したい。ヒサトは彼女の傍にいたい。しかもヒサトが以前に近い生活に戻れれば、我々としても彼女の危機にすぐに対処できる。ただでさえ聖痕持ちは長生きしないからねぇ。本当に君には感謝しているよ」
「……話は終わりね。失礼させてもらうわ」

 ソファから立ち上がり、無人になったドアへとレジナレフは足早に歩いて行く。レオンハルトはその後姿には目もくれず、懐中時計を取り出して「ふむ」と唸った。

「もうこんな時間か。思ったより長話になってしまったみたいだね。しかし良かったのかな?」
「何がよ?」
「君の出した交換条件。それをヒサト本人に伝えなくて」
「……」
「アンドリューを始め、ウチの人間には散々悪魔だ何だと罵られてきた君だけど、やはり君の在り方は人に近しいと思うよ。君にとって大切なたぁいせつな人に嫌われたくないと恐怖する程度にはね」

 今度は返事をしなかった。無言で扉を開けるとレジナレフはバン、と乱暴に閉めて部屋から立ち去る。レオンハルトはその姿を見て一層面白そうに声を上げて嗤った。
 そして誰にともなく小さくつぶやいた。

「さて、彼女こそ神に耐えうる器グレイルだろうかね」

――小岩井シイナ




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 翌日、ヒサトは一人街を歩いていた。来る時にはレジナレフと歩いた高級マンション群の隙間を一人で抜け、高校の前を通りかかる。時刻は十時くらいだろうか。教会を出る前に時計を見ていなかったので分からない。そういえば、と校舎に大きな時計が掛かっているのを思い出して見上げた。以前なら敷地の外からだとボンヤリしか見えなかった時計の針も今ならハッキリと見える。
いつもならグラウンドで体育の授業でも行われているはずだが、ヒサトから見える限りでは生徒の姿は見当たらない。校舎の窓ガラスに視線を移しても、どのクラスにも人影は無かった。
今日は何曜日だったろうか、と記憶を探り平日であるはずだと思い至ったが、よくよく考えれば学校は休みだ。創立記念日と称された教師たちの完全休業日を間近に控え、教室でクラスメイトが休日の過ごし方を相談していたのが記憶の片隅に残っていたし、ヒサト自身も数人の友人と同様の話をしていたのを思い出した。
そんな事、誰も覚えていないんだろうな。
シイナにさえ忘れ去られて、散々レジナレフに縋って泣いたのに、寂しさに未だに囚われて脚を止めてしまいそうになる。女々しい、と自身を叱咤してヒサトは歩みを再開する。忘れられたならもう一度、思い出を創ればいい。その為に今為すべきことをしなくちゃいけない。幾分歩みを速くして学校を通り過ぎていった。
だがしかし、自分は何をすれば良いのだろうか。一晩ヒサトは教会のベッドの上で考えたが何も思い浮かばなかった。
上永ヒサトという人間は単なる高校生にしか過ぎなかった。家事が得意で、昔にレジナレフから剣術を多少習ったに過ぎない、日本を探せばそれなりに見つかる程度の一般人でしかなかった。今でこそ人という枠組みを外れ、異常といえる身体能力を持ってしまったが、それを活かすための方法など考えた事もなかったし、剣を作り出す力もまた然りだ。こんな事態になるまではまだ親の庇護下でのんびり過ごすつもりであったし、その後の進路も明確ではなかったものの、大学にでも進学し、日々をそれなりに楽しみながら社会に出る準備をゆっくりする予定だった。
それが突然外の世界に放り出された。頼るべき人もレジナレフ以外に居らず、その彼女に頼ることも禁じられた。
『『君が価値ある存在』だと知りたいんだ』というレオンハルトの漠然とした要求だが、それだけに難しい。全てを自分で決め、方法を自分で考え、要求を満たさなければならない。ヒサトにとってそれは高いハードルだ。
 頭を悩ませながらアテもなく歩く内に、いつの間にか繁華街にまで到着していた。平日の昼前だけあって人の数はヒサトの記憶よりもずっと少ない。いつもならぶつからない様に注意を払いながら進まなければならないが、今歩いているのはビジネスマンらしきスーツを着た人が多く、それ以外はまばらにしかいない。時折見覚えのある女の子とすれ違うが、きっと同じ高校の生徒だろう。可愛らしい洋服に身を包み、楽しそうだ。
ヒサトは自分の服と彼女らの服を見比べ、深々とため息を吐いた。ホコリまみれの黒いジーンズに所々血で汚れたグレーのパーカー、それと黒い野球帽。血は目立たない所なので気にするほどではないが、随分とみすぼらしい。

「早く何とかしないとなぁ……」

 そうは思うが、全くもって何から始めればいいのだろうか。その検討もつかず、ヒサトは途方に暮れるしかない。
どうすればレオンハルトに認められるのか。ただ強いだけではダメ。魔術も魔法の知識・技術も無い。そもそも、ヒサトには――

「自慢できる事なんて無いもんなぁ……」

 レジナレフみたいに剣の腕もない。話術が優れているわけでもなければ、頭の回転が速いわけでもない。一生懸命に何かに取り組んだ事もない。今、初めて生きる事に一生懸命になろうとしていた。同時に、初めて懸命に生きようとしなかった事を後悔していた。

「時間はあるけど、それじゃダメだ。クルツさんはイマイチ信用出来ないし、レジ姉を害さないって約束はしてくれたけど拘束されたままにしとけない」

 何よりも、ヒサト自身が待てない。早く元の生活に戻りたい。早く高校に帰りたい。早く、シイナの傍に戻りたい。
シイナへの想いを自覚したのが昨日。一晩実力を示す方法を考えながらも、度々シイナの顔が頭に浮かんできた。鮮明に、鮮明に繰り返し思い出し、シイナへの想いは加速度的に強くなる。こんなにもシイナの事を想っていたのに、どうして今まで自覚できなかったのか、自覚しようとしなかったのか不思議なくらいだ。今もこうして一人、街を歩いているそれさえも寂しいと思えてしまう。

「……これじゃダメだよな」

 目標を定めるのは良い事だろう。でも、それだけを考えていてはダメだ。目標を達成する、その為にするべき事を考えなければ。

「それが思いつかないから苦労してるんだけど……」

 昨日から数えて何度目だろうか。行き着く同じ結論に、同じ様に深いため息を吐き出した。
 時折頭を抱え、顎に手を当て考えこむ。そんな仕草をしながら普段より少ないとはいえ人通りの多い道を歩いていれば当然周囲への注意は散漫になる。

「キャッ!」

 ヒサトが人にぶつかったと気づいたのはそんな悲鳴を聞いてからだった。見下ろす形になった先には、歩道の上で尻餅を突いた白いブラウスの上に黒いジャケットを着た少女の姿があった。
 ハッとしたヒサトは大慌てで謝り助け起こそうと身を屈めた。

「す、スイマセン! 大丈夫ですか!?」
「う〜いたた……大丈夫だけど気をつけて欲しいな? 男の子の方が力強いんだからか弱い女の子の事は誰であろうと注意して取り扱ってくれないと、ね。ま、ボクもボンヤリして前をちゃんと見てなかったからあんまり強く君の事を非難なんてできないんだけどねっ! ああ、君の方からちゃんと謝ってくれたんだし、ならボクもキチンと謝らないとイケナイよね? ゴメンナサイ、君の方こそ怪我はないかな?」

 それは毎日聞いていた声。一度話しだすと切れ目なく長々と話しだす癖。悪いことはキチンと謝り、さっぱりとして後腐れ無い付き合い方。
自身の脳裏を過ぎったまさかの予想に唇が震え、しかしヒサトは胸の内から湧き上がる衝動に抗えきれず顔を上げた。
少女はズレた黒いハンチング帽を正し、そしてヒサトと同じ様に顔を上げた。その瞬間、ヒサトの心臓は何かに激しく掴まれた。

「――シイナ」

見ず知らずの少年に名を突然呼ばれた少女は小さく首を傾げた。







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