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第一話 街と酔っ払いとかしまし娘
第ニ話 ロスト・チャイルド
第三話 存在
第四話 デーモン&デーモン
第五話 妄想空想夢の跡
第六話 ほっぷ・すてっぷ・ほっぷ
第七話 とぅー・びー・うぃず・ゆー
第八話 スタートライン
第九話 いちについて
第十話 よーい・どん









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






−9 いちについて−




 静かな室内に寝息が響く。
 部屋の中は薄暗い。だが適当に引かれたカーテンの隙間からは陽光が僅かにこぼれ落ちている。それだけでは光源として乏しく、だが寝息を立てる女性の前に置かれてある物が別の光源となって室内を見渡せる程度には明るい。

「……んごっ……ごごぉぉ……」

 時折豪快に寝息を立てる女性は机に突っ伏して寝ていた。臙脂色のジャージを羽織ってメガネを掛けたままだ。寝落ちした際にずれたレンズの端にショート気味の茶色い髪が掛かっている。
 彼女の前には、すでに過去の遺物と言って差し支えない、しかし一部の人間からは未だに支持を得ているモニターとキーボードが置かれていて、モニターの発する光が部屋をそれなりの明るさに保っていた。
 女性を囲む様に置かれた三台のモニター上には幾つものウィンドウが開かれていて、その何れもにギッシリと文字が書かれている。更にその内の幾つかでは文字が下から上へと流れていた。
幸せそうにいびきを立てる彼女。その幸福な時間を邪魔する音が静かな室内に響いた。
来客を告げるチャイム。次いで乱暴に部屋の扉を叩く音。

「こんちは〜っす! 御注文のピザお届けに参りました〜ッス!」

 配達員らしき元気な女性の声が寝ている部屋の主にも届き、彼女は重そうにモゾモゾと机から体を起こして大きく伸びをして立ち上がる。

「誰やねん、まったく……」

 不機嫌そうにボヤきながらボサボサ頭をかきむしる。玄関に向かって歩きながら眠たげに眼を擦り、室内に取り付けられたインターホンのスイッチを押した。

「はーい、一体誰や?」
「あ、自分『ピザ・コケコッコー』の者ッス! ピザをお届けに来たッス!」
「あ〜……? ウチはピザなんぞ頼んどらへんで?」
「えっ、マジッスか!? スンマセン、間違えたみたいっす! 失礼しました!」

 インターホンの画面の向こうで、ピザ屋らしき制服を来た女性が大きく頭を下げ、部屋の前から去っていくのを確認すると、女性は頭を掻き、大きなアクビを一つしてまた机へと向かった。
 ため息一つ。再び机に突っ伏して寝てしまおうとするが、それをまたチャイムが邪魔をする。
 ムッと表情を歪めて立ち上がり、足早にインターホンに向かう。

「ちは〜ッス!! 西本さんにお届け物ッス!」
「……ウチは何も頼んどらんし、そもそも『西本』ちゃうわ」
「そっすか? 失礼しやした〜! んじゃ『西村』さんでもいいッスよ?」
「はあ? 何言うとんねん?」
「だ・か・ら西本さんにお届け物ッスよ。受け取ってサインください」
「……んな怪しい荷物なんぞ受け取れんわ。さっさと帰り」
「そっすか? 残念ッス。んじゃ失礼しま〜す!」

 目深に帽子を被り直し、手に持った荷物を抱えてエレベータホールの方へと消えていった。
「何やねん……」と呟きながら女性が踵を返した途端、再度インターホンが鳴って、今度は女性がボタンを押す前に同じ女性の声が響き渡る。

「こんちは〜っす! 今度隣に引っ越してきた……」
「エエ加減にせえよっ!!」

 怒声をまき散らしながら女性は勢い良く玄関の扉を開けた。眼を逆立てて何度もやってくる女性を怒鳴りつけようと勢い込んで飛び出したが、ドアを開けた先に立っていたのは女性では無かった。
グレーのパーカーを着て黒い野球帽を被った男。帽子のひさしを少しだけ上げて、男は嬉しそうに笑顔を浮かべた。

「こんにちは。初めまして、ですかね? ヒサトです。
――西村ミサキさん?」

 帽子を取った男――ヒサトのその笑顔にミサキは口を開けて固まった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「いや〜、自分よう無事やったな! まま、上がって上がってや!」

 部屋にやってきた男がヒサトであると認めたミサキは破顔した。糸の様に細い目を更に細くしてヒサトとエレナを中に招き入れ、さっきまでの不機嫌さもどこ吹く風とばかりに上機嫌だ。
 
「しかし自分もイケズやな。あんなイタズラ仕掛けてくるとは思わんかったわ」
「いえ、ミサキさんは関西人だったので普通に訪ねるのも面白くないと思いまして」
「カカッ! ええ根性しとんやんけ。ますます気に入ったわ。でも関西人みんなに冗談が通じるとは思わん方がええで? 中にはくっそつまらん堅物もおるからな」

 楽しそうに笑い声を上げてミサキは二人を部屋へと通す。そして自分は二人をもてなそうと冷蔵庫の扉を開ける。

「ささっ、適当に座りぃや」

 手にはコーヒーカップとペットボトルのコーラを持ち、脚で冷蔵庫の扉を閉めながらミサキは二人に腰を降ろすよう促す。だがその横でヒサトとエレナは固まっていた。
――何だココは……
 ヒサトに戦慄が走る。冷や汗が止まらない。呼吸が苦しい。脚が動かない。かろうじて動く首を錆びついた機械の様に動かしてエレナを見る。すると、エレナもまた部屋を見たまま完全に放心していた。
部屋の床に広がるは、ゴミ。右を見ても左を見てもゴミ。床の上は足の踏み場も無い程にゴミに溢れ、申し訳程度に置かれたゴミ袋からはコンビニ弁当の空き箱やお菓子の袋が半ばはみ出している。テーブルの上の灰皿には山の様に吸殻が積み重なり、肺が灰皿から滑り落ちている。
しかしミサキは気にならないのか、足で床のゴミ山を適当に端に寄せて通路を作り出した。その後、山の中に埋もれたテーブルの上に乗っていたよく分からない理解したくないものを蹴落としてそこにグラスを置き、コーラを注ぐ。

「ちょーっとばかし汚れとるけどな、まま、気にせんどいてや」
「……ちょっと?」
「床が気になるんやったらベッドの上でもええで?」

 言われたベッドに眼を向ければ汗で黄ばんだシーツ。見えないはずの臭いが立ち上る姿が見えてきそうだ。掛け布団で見えない場所ではキノコでも生えているのではないか。女性のベッドに座るというのにドキドキ感もクソもあったものではない。失礼だが失礼とも言い切れない思考を押し殺し、不思議な液体が染み出さない様祈りつつ湿り気のある布団の上にようやく腰を下ろした。

「しかしまあ、自分、ようココが分かったな? それと、そっちの女ん人は誰や? 声からしてレジナレフはんや無さそうやけど、紹介してくれるか? 後、こないだ自分らと連絡取れんようなってからん事も教えてや」
「そうですね、ミサキさんにはお世話になりましたし、順を追って説明しますね」

 そう言ってヒサトはミサキにこれまでの経緯を話し始めた。
聖礼教義士団との戦闘と逃走。ヒサトの想いと決意。そしてヒサトの保護と現在の目的。
笑みを浮かべて時折恥ずかしそうにヒサトは語ったが、ただ聖礼教義士団の名前と現在ヒサトが彼らの庇護下にある事は述べず、ただ「とある組織の庇護下においてもらってる」と述べるに留めた。

「せやったか……まあ途中何があったにせよ、ヒサトが無事で良かったわ」
「ええ。これもレジ姉のお陰です。そしてこちらがエレナ・チェザーレさん。今保護してもらってる組織の、まあ、お目付け役ってところです」
「ども! エレナッス! よろしくお願いするッス!」
「知っとるやろうけど、西村ミサキや。よろしゅう頼むわ。しかしレジナレフはんといいエレナはんといい外国人やのに日本語上手いな?」
「自分は国籍イタリアッスけど、生まれも育ちも日本ッスから。あ、でもちゃんとイタリア語も英語も話せるッスよ?」
「かぁーっ! ホンマ羨ましいで? ウチも英語は読み書きはできるけど話すのはとんとダメやからな。
 まあその話はエエわ。んで、どうやってココを調べたん? これでも周りにバレへん様に色々と手は打っとったはずなんやけどな?」
「そうですね。予想はしてましたけど電子データは全く無いですし、ココを探しだすの結構大変でしたよ」
「って言っても実際に探したのは自分ッスけどね……」

 エレナが苦笑交じりにボヤく。その隣でヒサトも苦笑し、ミサキに方法を説明した。

「ミサキさんとはこの前TelOn越しで話しただけでしたし、まずは名前と容姿をハッキリさせようと思いました」

 ヒサトが持つミサキの情報は殆ど無かった。Visi上にも姿は表示されていなかったため、ヒサトが知っているのは声で判断できる性別と関西弁であることと恐らくはまだ若い、十代後半から二十代前半であること。加えて話の内容から情報工学に強いこと程度である。
そこでヒサトたちはまず在籍していたであろう大学を探すことから開始した。独学で情報工学を学んだ可能性もあり得るが、その可能性はまずは除外。そして関東と関西の大学で、かつ一定以上のレベルの大学で情報系学科を検索し、実際に脚を運んだ。

「ミサキさんならご存知だと思いますけど、大学って意外と古臭いんですね。律儀に入試時に提出した書類を未だに残してあるんですから、ミサキさんのフルネームと容姿を見つけるのはすぐでしたよ」

 エレナの準備した警察手帳をチラつかせ、ここ数年に入学した女子学生で、かつ現在電子データ上で在籍していない生徒を割り出す。幸運だったのは、ミサキの在籍していたのが関東地域の大学だったことだ。手始めに近場の関東から探し始めたため、三ヶ所目の大学で条件に一致する学生の資料を見つけ出すことができたのだ。

「……ヘタレやとヒサトを思っとったけど、なんや、意外と度胸あるな自分」
「最初はドキドキしましたよ。人を騙すのは得意じゃないですし、バレたら大変なことになるって。でも後半は何て言うか、ドラマの役割を演じてるみたいで結構楽しかったですよ?」
「自分の魔術を舐めないで欲しいッス。それに、バレた時はその時で対策も打ってたし、問題なかったんスけどね。ヒサトんは中々信じてくれないんスよ」

 大学を巡るのと並行して心理分析も行った。思い出せる限りのミサキとの会話の内容を、これもまたエレナが話をつけた心理分析者に伝え、ミサキの性格を割り出し、更にはミサキの現在の居住先を推測する。
室内の状況からも察せれる大雑把な性格のミサキだが、自らの関心があることに対しては非常に慎重になる。また見ず知らずのヒサトに手を貸した事から気に入った相手に対しては面倒見が良く、気配りもできるタイプだ。よって身の安全を図るために在学中の住居からは転居するも、家族に累が及ぶのを避けるため関西には近づこうとしないだろうと推測できた。
加えて強いて上げれば合理的な思考をする傾向がある。マリオネットたちから逃れる為に必ずしも遠くに逃げる必要は無く、海外への逃亡は空港でのリスクが高いと判断するだろう。半ばヒサトの希望も含まれていたが、恐らく関東圏内から大きく外れた地域には逃げないとヒサトは踏んでいた。
後は単純だ。現在の日本では、その気になれば外に出ること無く日用品の買い物もできる。合理的な思考をし、情報の改竄も容易にできるミサキがわざわざ自分の脚で買い物に出かける可能性は低く、したがってネットでの買い物を誰かに配達してもらう必要がある。ならば絞り込んだ配達業者に人を使ってミサキの写真を見せて回ればその内に住居は割り出せる。
ここまで僅か一週間。それだけで探しだしたヒサトにミサキは呆れを多分に含んだため息を返した。

「ミサキさんはネットワーク上の情報には気を遣ってたみたいですけど、アナログな情報にはあまり気を配って無いみたいですね」
「しゃーないやん。L.I.N.C.Sで管理されとる現代に置いて誰が汗水垂らして情報得ようなんて思うねん。今日日ベテランのおっさん刑事でもんな事せんわ」
「あ、ちなみに捜索中に見つけた紙情報は全て破棄しといたッスから安心していいッスよ」
「そらおおきに」

 深々とため息。ミサキは黒ずんだカップに注がれたコーラを一口のみ、話すことに夢中で忘れていたヒサトとエレナもまた温くなったそれに口をつけ、抜けた炭酸に顔をしかめた。
喉を潤した後、ミサキはジャージのポケットからタバコの箱を取り出して口にくわえる。箱と一緒にいれておいたライターで火を点け、自分を落ち着かせる様にゆっくりと煙を吐き出すと、座っていた椅子の背もたれに体を預けた。

「で、や。そこまでしてウチを探しだしたんや。ただ再会を喜ぶ為やないんやろ? ヒサトはウチに何を望んどるんや?」
「ミサキさんには……僕に協力して欲しいんです」
「自分の、その何とかっちゅう保護してもらっとる組織に認めてもらうっちゅう目的にか?」
「正確には少し違います。ここ最近のロボット暴走事件はミサキさんもご存知ですよね?」
「そらなぁ。あんだけ毎日ネットでもテレビでも話題に上がっとったらなぁ」
「あの犯人を捕まえようと思ってます」

 あまりにスッとヒサトが言ったのでミサキは聞き流しそうになった。が、ヒサトの言った意味が自分の鈍った脳に染みこんでいくと同時にガバっとヒサトに向かって身を乗り出す。

「……自分、正気か?」
「一応僕はそのつもりです。たぶん、それくらいしないと身の保証はしてくれない気がしまして」
「せやけど、大分無茶言うとるで? ウチも気になって調べとるけど、未だに警察でも情報はほとんど持っとらんみたいや。手がかりすら掴めとらん難関や。自分がやる言うとるんはそんなヤマやで?」
「分かってます。でも、やるしか無いんです」

 膝上に置かれた手を握りしめ、ヒサトは言った。

「やらないと、ダメなんです」
「そんなん言われてもなぁ……第一、勝算はあるんかいな?」
「ミサキさんが手伝ってくれるなら」
「そっちのエレナはんが手伝うてくれとるやん? そんだけやとダメなんか?」

 気乗りしない様子のミサキ。それでもヒサトはミサキの必要性を主張して説得を試みる。

「ダメだと思ってます。エレナさんにはここに辿り着くまでに骨を折ってもらいましたけど、やっぱりエレナさんはアナログに強い人なんですよ」
「ヒサトんが言いたいことはわかるッスけど、それだと自分が時代の波に乗れてない気がするッス……」

 エレナの苦情を無視してヒサトは続ける。

「エレナさんたちも情報技術は一般以上に持ってるでしょうけど、専門じゃないんです。今回の事件はロボット絡みですし、L.I.N.C.SとかH.U.S.Hとかそっちの情報に強い、云わば情報工学の専門家の手が欲しいんです」

 そう言いながらもヒサトはクルツとの会話を思い出していた。クルツはヒサトたちが来る前からヒサトたちの用件をある程度把握していた上に、L.I.N.C.Sなどの機能についても理解しているようであった。それはつまり、上層部は十分な情報収集能力を保持している。それこそ、ミサキに匹敵する程の専門家を抱えているのだろう。
だが彼らをヒサトは使えない。クルツは人材は自由に使って良いみたいな事を言っていたが、そういった人たちの存在をヒサトに対してはきっと認めないだろうし、何よりヒサトにしてもクルツの息の掛かった人材を活用できるほど、クルツという人間を信頼していなかった。
エレナもそういう意味では十分に信頼がおける訳でも無いが、彼女はやってきた時に「アンドリューに言われて来た」と言った。アンタッチャブルの存在を憎む彼だが、クルツが表向きはヒサトの抱え込みに肯定的である以上、彼ならば少なくともヒサトの脚を引っ張ることはしないだろう、とヒサトは考えている。

「お願いします。ミサキさんの力が必要なんです」

 ヒサトはベッドから降り、床に頭をつけて土下座をした。ミサキを本格的に巻き込む以上誠心誠意を尽くすべきだと信じていたし、目的の為ならば自身のプライドなぞ興味は無かった。絶対に、シイナを傷つけようとした奴を許さない。そしてシイナとの生活を取り戻すのだから。

「……せやけど、やっぱダメやわ」

 しかしミサキは首を横に振った。キィ、と椅子をきしませてヒサトたちの方から机へと体を反転させて背を向けた。

「ヒサトの手伝いをすることも吝かやあらへん。でもな、ウチにメリットがあらへん」
「……」
「勘違いせんでや? ヒサトを応援するし、できるならウチかてヒサトの役に立ってやりたいとは思っとるんや。けどな、今のヒサトの目的に手を貸したらウチがヤバイねん。ただでさえウチはVEヴェイキャント・イグジスタントや。今は国ん連中も諦めたんか平和に暮らしとるけど、ヘタこいたらまたアイツらがやる気出してウチを探しだすかもしれへん」
「けど、この前は助けてくれたじゃないですか」
「アレは特別や。ウチかて一人は寂しい。できるなら仲間が欲しいて思うたんや。自分なら分かるやろ? あん時かて相当なリスク背負ったんや。けどそんだけのリスクを犯す価値がある思うたんや。
 せやけど、冷静になって考えてみたらな、自分がどんだけ危ない橋渡っとったんか自覚してな、怖くなったんや。死ぬ目に合ってやっとんことで逃げ出して……そうやってせっかく手に入れた今の生活を危うく手放すとこやった。せやから、もうンな危ない橋を渡るわけには行かへんのや」
「……どうしてもダメ、ですか?」
「堪忍や。さっき自分、ウチを合理的な性格やって言うたやろ? ウチが危ない橋渡ってもエエて思える程のメリットが無い限り、ウチは動かれへんのや」

 そう言ってミサキはキーボードを叩き始めた。寝る前までしていた作業の続きだろうか、絶え間なく打鍵音が響き、ヒサトたちの方を見ようともしない。
 ヒサトは嘆息した。唇を噛み締め、どこともなく視線を彷徨わせる。薄汚れた天井を仰ぎ見て、もう一度深く肺の空気を吐き出すとヒサトは立ち上がった。

「ミサキさん」
「何や?」
「ミサキさんの考えは分かりました。今のこの生活を苦労して手に入れたって事も、それを大事にしたい気持ちも分かります」
「そやろ? せやったら……」
「でも僕ももう引けないんです」

 ヒサトはミサキの座る椅子を強く引いて回転させた。急に視界が変わり、作業の邪魔をされたミサキは声を張り上げる。

「っ! 何や、ねん……」

 だがヒサトはミサキの顔の両隣に手を突いてその機先を制した。掌で強かに打ち付けられた木製の机が鈍く軋む。

「ミサキさんにはもう選択肢が残ってないんですよ。僕と同じ様に」
「ど、どういうことや?」
「僕が庇護を受けているのは聖礼教義士団です」

 言ってヒサトは皮肉気に口を歪めた。ミサキは小さく息を呑んだ。

「僕が生き残る為には、彼女に会う為にはもう引けない。僕が彼らの役に立つと認めてもらうしかないんです」
「……そいつらは、ヒサトが違う・・っちゅうことを知っとるんか?」
「知ってます。だからこそ、僕が『使えない』と判断すれば容赦なく切り捨てる。人質のレジ姉もきっと殺される。彼らにとって僕らの様な存在は『居てはいけない』存在だから」

 ミサキの顔を覗き込み、次いでヒサトは後ろのエレナを振り返る。

「そして当然エレナさんもまた聖礼教義士団の人間です。今はエレナさんが手伝ってくれていますけど、彼女の本来の役割は僕の監視です。チャンスを貰ってからの僕の動きは逐次クルツ司教にも伝わっているはず」
「ま、それがウチの仕事ッスからね」

 エレナの声にヒサトはわざとニヤリと笑い、エレナに問いかけた。

「エレナさん、この場所の事を連絡しましたか?」
「ヒサト、アンタ……!」
「いや、まだッスね。話がついたらとは思ってるスけど」

 その返事にヒサトは笑みを濃くし、ミサキに向き直ると息が掛かる程に顔を近づけて口端を釣り上げた。

「これはチャンスなんですよ、ミサキさん」
「……何の、や?」
「聖礼教義士団は僕らの様な『人ならざる存在』を殲滅し、撃滅し、消滅させる事を目的としています。そして街中でそういう行動をしても黙認されてもいます。つまり、それだけの力を持った組織なんです。そんな組織の後ろ盾を得られたら良いと思いませんか?」
「何が言いたいんや……?」
「ミサキさんが協力してくれたらきっと問題はすぐに解決します。警察がこれだけ時間を掛けても解決できていない問題を、です。そこにミサキさんの恩恵は大きい。そんな人材ならきっとクルツ司教は手元に置きたがるでしょうね。あの人は、信用はできませんけど実力がある人を教義だからってむやみに殺したりはしません。現に僕がこうしてチャンスを貰ってるわけですから」
「……」
「僕は絶対に犯人を捕まえてみせます。そしてミサキさんの事もクルツ司教に認めさせます。そうすれば、僕もミサキさんも毎日あのロボットの事に怯える必要は無くなる」
「確かにヒサトんの言う通り、ウチは科学分野に関しては弱いッスからね。アンドリューさんならともかく、クルツさんなら面白がって囲い込むだろうし守ってくれると思うッスよ? あの人は自分の『物』が勝手に取り上げられるのが大嫌いッスから」
「もう一度聞きます。僕に協力してくれませんか?」

 ヒサトは頭を下げない。ミサキの瞳に映る自分の姿を見つめ続ける。そしてただミサキの答えを待つ。
ミサキはヒサトから顔を逸らし、眉間に皺を寄せて深く思案する。モニター上で流れていた文字群が止まり、処理の終了を知らせるメッセージが表示された。

「……絶対や」

 苦渋、といった表情でミサキが言葉を絞り出す。

「絶対にウチの存在を認めさせや! 何があろうとや! ウチに……ウチにまたお陽さんの元を堂々と歩ける様にさせや! 約束違えたらヒサト、何処に逃げようが絶対にウチが探しだして情報をリークしたるからな」

 その言葉を聞いた瞬間、ヒサトの顔から歪んだ笑みが消え、満面の、それでいて安堵が多分に入り混じった笑みが代わりに浮かび上がった。

「……ありがとうございます!」
「フン! 礼言うんやったらハナからウチを脅すなや。そうや、序や。ウチはこれからヒサトん為に色々調べとくからそん間は暇やろ。時間潰しに部屋を掃除しとってくれへんか?」

 感謝の気持ちから自然と頭が下がっていたヒサトだったが、その言葉で固まる。ゆっくり部屋を見回し、顔を引きつらせる。ミサキは楽しげに笑い、「ほな、よろしく」と手を振って机の方へ向き直った。
 深々とため息をヒサトは吐き、ソロリと逃げ出そうとしていたエレナを捕まえて「雑巾を買ってきてくださいね? あと、ゴミ袋と住宅用洗剤も」とお遣いを頼む。もちろんお駄賃は無しで。
トボトボと肩を落として部屋を出て行くエレナを笑顔で見送ったヒサトは「さて、やるか」と腕まくりをして手頃なゴミを集め始めた。
そんなヒサトの背後から小さく声が掛けられた。

「おおきにな」

 ヒサトは振り向くが、ミサキからは無言でキーを叩く音だけが返ってきた。その後姿をヒサトは恥ずかしいようなむず痒い気持ちで眺めた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ふぅ……」

キーボードから手を離すとミサキはメガネを外して細い眼を擦り、軽く揉み解した。そして手元のタバコに火を点けて思い切り吸い込むと、ゆっくりと時間を掛けて吐き出す。机に置いてあるマグカップの中には何杯目か分からない温いコーラ。一口それを含み、タバコの灰を崩れそうな山に追加していく。
作業開始時点ではまだ昼前だったが、すでに夜はすっかり更けていた。モニターに表示されているデジタルの時計は午後十時を示していた。都合、十二時間近く不休で調べていたことになる。

「何か分かりましたか?」
「おお、分かったも分かったで……」

 掛けられたヒサトの声にミサキは振り返り、そこで呆然と口を開けて静止した。
近所から苦情が来そうな程に部屋中に溢れていたゴミの山は全て片付けられて跡形も無い。埋もれていたらしい炊飯器を見たのはどれくらいぶりだろうか。埃とタバコのヤニで黄ばんでいた壁紙はキレイに磨き上げられ、床のフローリングはツヤツヤと輝きを放っていた。よくよく匂いを嗅げば、仄かに良い香りさえ漂ってくる。

「ミサキさん?」
「え、ああ。ウチの部屋ってこんなんやったなぁて思てな。正直ビビったわ」
「大変だったッスよ。ミサキちも女の子ならもう少し身の回りには気を配るべきだと強く主張するッス」
「でもあれだけ汚かったからちょうど時間も潰れましたし、良かったですよ。さて、ミサキさんも一段落ついたみたいですし、とりあえずご飯でも食べながら聞かせてください」

 そう言うヒサトの持つお盆上には温かい夕食の品々。輝く白米に白味噌の味噌汁。おかずには手料理人気ナンバーワンを守り続ける肉じゃがとほうれん草のおひたし。普段、食には興味を示さないミサキも唾を飲み込み、腹の虫が鳴き声を上げる。
押入れに詰め込まれていた折りたたみ式のテーブルを広げ、三人で卓を囲んでヒサトの料理に舌鼓を打つ。

「しかし自分、家事メッチャできるやん。炊事洗濯掃除と何でもござれ、や。羨ましいなぁ」
「自分もそれなりにできる自信があったんスけどね……ヒサトんの手際を見てるとなけなしの自信が木っ端微塵に砕け散ったッス」
「小さい時からレジ姉の世話をしてましたからね。これだけは自信があるんです。シイナにもぜひ嫁に来て貰いたいって熱烈に勧誘されました」
「それ喜んでエエんかいな?」

 ヒサトが嬉しそうに話す様子を見て「本人が納得しとるなら」とミサキはそれ以上の追求を諦めた。

「それで、ご飯食べながらで良いんですけど……どうでした?」
「ああ、ほな話そうか」

 口の中の物をモグモグと咀嚼して飲み込む。正面に座るヒサトは姿勢を正して聞く姿勢となる。
 ミサキは爆弾を落とした。

「犯人、分かったで」
「はい!?」
「も、もうですかっ!?」

 身を乗り出してくるヒサトとエレナ。その二人を他所にミサキは肉じゃがを突き続ける。

「せや。ウチももうちっと時間かかるかと思うたけど、思ったよりもあっさりやったで。逆にあっさりし過ぎてやりがいが無いっちゅうか……」
「それよりも! 犯人は誰なんですかっ!?」
「まま、そう焦んなや。何事も順序っちゅうもんが大事やで?」

 味噌汁をズズ、とすすり、濡れた箸先でヒサトに座る様に指図する。

「まずは暴走事件の仕組みから行こか?」
「それも分かったんスか……ヒサトんの家事能力もスけど、ミサキちも大概ヘンタイ的にすごいッスね」
「誰がヘンタイや。それはともかく、そこをハッキリさせとかな犯人には行き着かへんやろ? 実際証拠もあらへんのに無理やり犯人引っ張ってきても、そんなんウチの嫌いなスイーパーとかエレナはんトコの奴らと一緒やん?」
「人聞きが悪いッス。ウチらは別に証拠なしに討伐しないッスよ?」
「存在自体が悪とか、そんなん罪でっち上げてるんと何ら変わらへんわ。
 それは置いといて、や。ウチら人間の脳にL.I.N.C.Sが埋め込まれとるんはこないだヒサトには言うたよな? 実はロボットの脳に当たるCPUにも同じようなんが埋め込まれとるねん」
「確か、L.I.N.C.Sでソフトの思考制御したり、H.U.S.Hでの演算結果を受信したりしてるんでしたよね?」
「へー、そうなんスか?」
「魔術側は埋め込んどらん人間がほとんどみたいやけどな。で、ヒサトが言った通りL.I.N.C.Sでウチらが様々な情報を受信しとるようにロボットも、機能はしょぼいけど同じ様なチップを積んどってそれでH.U.S.Hで演算した行動を受信するんや。実際の制御とかはローカルのCPUでするんやけどな」
「つまり、どういう行動をするかっていう、人間で言うと『意思』とか『意識的』なものを、えーっと『はっしゅ』で決めて、筋肉の動きとか神経とかそういう『無意識的』に人間の脳が勝手にやってるような事を自前のコンピュータでやってるって事スか?」
「そゆことや。何や、アンタ情報工学の知識は乏しそうやけど飲み込みは早いんやな」
「ヘヘ、自分は覚えるのは苦手ッスけど理解するのは得意なんス」

 ミサキに褒められてエレナは照れくさそうにハニカんで頭を掻いた。

「それで、ロボットのL.I.N.C.Sに何か問題があったんですか? それともH.U.S.Hの演算に問題があったとか? ミサキさんみたいにH.U.S.Hをハッキングしてロボットが暴走するように仕組んだとか……」
「アホ、H.U.S.Hに不正アクセスできる人間がそないポンポン出てきてたまるかいな。前も言うたけど、H.U.S.Hのプロテクトは頭おかしいくらいに堅いんや。他の人間に真似できるほどウチの腕は安ないで? けどチップが受信した情報がおかしいっちゅうんは当たりや」
「え、でもそれじゃあ……」
「あー、つまり途中で書き換えられたってことッスか?」
「ビンゴや」

 茶碗の中を空にしたミサキは箸を置くと机の椅子に移動し、タバコに火を点ける。

「やっとる事は至極単純や。本来下された命令と実際に受け取った命令が違うだけやからな。アレや、ローテク的に言えば上司から紙の指示書が出されて、実行する当の本人が受け取る前に誰かに中身をすり替えられとるっちゅう事や」
「それは分かりますけど、じゃあどうやって情報を書き換えたんですか?」
「言うたやろ、単純やて? H.U.S.Hからの情報を遮って、自分に都合の良い指示を飛ばしただけや」
「でもそれだったらすぐに原因とか犯人とか目星がつきそうなものですけど」
「ま、普通やとそうやろな。犯人までは行かんでも原因は分かって今頃対策の一つくらいは取られとるやろ」
「そりゃそうッスよね。自分はこういう話は門外漢ッスけど、聞いてる限りだと簡単そうッス」
「実際にやろ思うたら素人には無理やけどな。それでもまあそこそこ知識がある奴やったら、バレるバレへんは別にしてプロテクトの一つくらいは破れるかもしれへん。けど相手はプロテクトを全て突破しとるのに未だに原理の一つも判明しとらん。何でやと思う?」

 ミサキが二人に向かって問いかけるが、エレナは言うに及ばず、ヒサトも特別こういった分野に詳しいわけではない。むしろヒサトは現代において「機械オンチ」に類される人間である。二人して顔を見合わせてミサキの顔を見上げるばかりだ。

「答えは、や。犯人は魔術を使うて情報を書き換えよったんや」
「そんな事できるんですか!?」
「できるできる。そない難しいことやないで」

 タバコを吸い終わり、ミサキは二本目に火を点ける。

「要は結界みたいなもんや。まずある基準の座標を中心にして一定の広がりを持つ特定の空間を作るやろ? んでその空間には壁がある。その壁に情報を書き換える術式を組み込んどけばいっちょ上がりや。壁の外側から来た信号は壁に当たって、術式を通過した後は別の信号に置き換わって通過する。ま、別ん言い方すれば壁はフィルターみたいなもんやな」
「いや、そんな風にあっさり言いますけど、魔術で信号情報を簡単に書き換えるなんて……」
「いやいやヒサトん。魔術でも同じような事をできるッス。ミサキち、魔術で言えば記憶操作とか認識阻害みたいなもんッスよね?」
「人の記憶も見た目も要は『情報』や。脳みそが記憶しとる内容も単なる記録情報に過ぎへんし、むしろこういう情報の書き換えは魔術の方が遥かに発達しとる。現代みたいな科学が発達する前の遥かな古代からエレナはんが言っとったみたいに記憶操作とかは行われとったからな。
 そないなわけで犯人は魔術を使うて世間様を賑わしとるロボット暴走事件を引き起こしとるっちゅうわけや。魔術は基本科学的な痕跡は何も残らへんし、ずっと秘匿されとるから実際に知識がある人間は殆どおらへん。おまけに漫画とかで出てくるみたいに空想の産物やと思われとるからな。科学側の人間は魔術を使うとるとか夢にも思わへんから何時まで経っても気づきもせえへんし、魔術側の人間はそもそも今回の事件に興味があらへんからな。事件は永久に迷宮入りっちゅうわけや」
「そこを我らがミサキちが暴いた、と。さっすがッスね!」

 エレナが称賛の声を上げる。ヒサトもこの短時間で流石、と感嘆するばかりだ。と同時にミサキを頼って良かったと心の底から思う。魔術と科学を組み合わせるという、言葉にすれば単純な話だが実際にそれを行うには生半可な知識では無理だろう。犯人側もそうだが、暴く側も魔術と科学両方の実力が必要だった。恐らく、ミサキでなければ解決は無理だったに違いない。
これで残る工程は一つ。犯人を捕まえるだけで、ここからは自分の番だ。そこを乗り越えれば、またシイナと会える。ヒサトは口元に笑みを作り、賛辞と感謝を述べようとミサキの顔を見上げた。

「ん、まあ、なぁ……」

 だがミサキの表情は晴れない。ミサキの賛辞にも歯切れ悪く返事をするだけだ。

「どうしたんですか? 何か気に掛かる事でもあるんですか?」
「んー……まあ気に掛かるっちゃあ気に掛かるっちゅうか……一応言うとこか」優れない表情でミサキは頭を掻く。「何っちゅうかなぁ、やっとることが雑なんや」
「雑?」

 オウム返しに問い直すヒサトにミサトは頷き返す。

「さっきは難しいことやない言うたけどな、当然情報系も魔術に関してもそれなりに知識が必要やし、素人が簡単にできる事や無い。実際、H.U.S.Hからの信号をクラックしとるとこなんぞ隠蔽とか含めて見事なもんやった」
「ミサキさんがするよりも?」
「アホ抜かせ。ウチやったらもっと完璧な仕事するわ。けどまあ褒めたってもエエくらいには立派なもんやな。せやけど魔術側の工作はハッキリ言ってザルや。もし魔術だけやったら罵倒もんやな。ウチが師匠やったらその場で勘当もんや。こないなもん人様ん前で使うたら恥ずかしくて歩けへんわ」
「そんなにひどかったんスか?」
「そらもう、これは完全に素人の仕事やな。初心者がマニュアル見ながらやったような感じや。ロボット暴走のヤツも、ロボットはただ単に暴れるだけやったんやろ?」
「はい。動きもチグハグでしたし、目に付く人を見境無く襲ってる感じでした。倒れてもそれに気づいてないみたいにバタバタしてましたし」
「それは術式に組み込まれた命令が『人を襲う』とか『暴れる』とかシンプルなもんだけやったんやろな。細かい制御はローカルでやる言うても、H.U.S.H側でも『いつ手を振る』とか『踵から足を突く』とかローカルCPUが制御しやすい様に細かく指示を出したらなアカンからな」
「はぁー、そうなんスか。人間に術を掛けるよりも面倒なんスね」
「でも、だからミサキさんも犯人があっさり分かったんですね?」
「魔術の隠蔽とかそないなこと一切行われとらんかったからな。エレナはんに頼んで現場に魔術を使える人間に行ってもらったらすぐ痕跡は分かったし、街頭の監視カメラの映像を解析したら面もすぐに割れよったわ」

 簡単すぎて全くつまらんかったわ。そうボヤきながらミサキはキーボードを叩いた。
モニターの画面が切り替わり、そこに一人の男が表示される。ややふっくらした体格で、細目とそれに反しておおぶりの口。世の中を斜に構えた目つきを持つ黒縁のメガネの男の顔にヒサトは見覚えがあった。

「この人は……」

 木村ヨウイチロウ。ミサキがそう呼んだ男は、ヒサトが喫茶店の窓越しに見た男だった。



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