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第一話 街と酔っ払いとかしまし娘
第ニ話 ロスト・チャイルド
第三話 存在
第四話 デーモン&デーモン
第五話 妄想空想夢の跡
第六話 ほっぷ・すてっぷ・ほっぷ
第七話 とぅー・びー・うぃず・ゆー
第八話 スタートライン
第九話 いちについて
第十話 よーい・どん









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






−4 デーモン&デーモン−



「レギン……レイヴ?」

男が口にした名前をヒサトはオウム返しに聞き返した。恐らくはレジナレフの事を指しているのだろう。レジナレフも特にその呼び名を否定しない。だが、その名が意味するところは見当がつかない。
剣呑な雰囲気を醸しながら近づいてくる男にヒサトは気圧された。背はヒサトより頭ひとつ分近く高い。面長の顔には小さな丸フレームのメガネが乗っている。丸い物は普通柔らかな印象を与えるものだとヒサトは思っていたが、やはりそれは一般論でしか無いのだと痛感する。
恐ろしい。恐怖だけがヒサトを満たしていく。丸メガネの奥にある双眸は細く鋭く、眉間に刻まれた幾つかの深い皺がその感情を助長する。真っ直ぐに伸びた体の肩からは黒いマントが掛けられ、背後からの光が男の顔に影を作り出す。影の奥でメガネのレンズが反射した。
ヒサトの声には誰も応えない。気づけば同じような銀色の軽鎧を着込んだ男たちが道を塞いでいる。中に一人女性も混じっている。その誰もの表情をうかがうことはできない。ただ、ヒサトたちを逃がす気が無いことは十分に伝わってきて、冷たい戦慄にヒサトは体を震わせる。

「貴様はあの時殺したと思ったが、不覚だったな。やはり悪魔は存外にしぶといか」
「アンドリュー・リヒトシュタイナー……アンタの詰めが甘いせいで何とか生き延びる事ができたわ。まあほぼ死んだようなものだったけど。しかしまさかここでアンタに出会ってしまうとは私も存外だったわ」
「その批判は甘んじて受け入れよう。貴様を殺し損ねたのは受け入れ難い事実だが、事実は事実。いかなる誹りも神の下した判決もこの身で受け止めて見せよう。そして――」

腰に差していたフランベルジェを抜き、腰だめ下段に構えた。レジナレフも舌打ちしながらも右手にバスタードソードを顕現させ、アンドリューと同じく腰を落として構えた。

「何度でも神の名の元に鉄槌を下して見せよう。
――神は常に我に有りDeus est mei

アンドリューの鎧の一部が淡い光を放つ。複雑な紋様が刻まれた両腕と両脚部。小さな光柱が上がり、アンドリューの鎧全体を覆うようにして光が広がった。
アンドリューの姿が一瞬で掻き消えた。
姿を見失ったと思った瞬間にはアンドリューはあっという間にヒサトたちの目前に迫っている。一歩地面を踏み込む度にアスファルトが削れ、圧倒的な迫力を持って風を切り裂いてくる。
そして風は隣でも吹いた。
重量感溢れるアンドリューとは対照的な軽い足音を響かせ、レジナレフは身を低くさせたままに翔ける。

「うおおおおおおおおおおっ!!!」
「はああああああああああっ!!!」

互いの雄叫びが夜の街でぶつかり合う。一足の間合いに達し、二人は同時に剣を振るった。
ガキンッ!
剣同士が交差し、火花が散る。ぶつかり合った剣からは甲高い音が響き、アンドリュー、レジナレフ双方を弾き飛ばした。
立ち直りはわずかにアンドリューが速い。眉間の皺を一層深くし、声にならない叫びを体の内に響かせながら横薙ぎに払った。
対するレジナレフも剣戟の重さに押されて刹那に遅れたが、その遅れをすぐさまに察知して剣を縦にする。直角に交じわったアンドリューの剣は剣ごとレジナレフを弾き飛ばし、しかしレジナレフはそれに逆らわず体を捻って力を受け流した。

「はあっ!!」

気合の叫びと共に一閃。回転を利用したレジナレフの鋭い剣閃が逆にアンドリューの腕を捉えた。服の上から手首を打ち据え、通常なら切り落とされたはずのそれは、だが金属音を響かせ確りとアンドリューの腕と繋がっている。

「ちっ……!」
「前回と同じ失敗はせん! 人間を舐めるな!」

アンドリューが腕に力を込め、唸り声と共に腕を跳ね上げる。体重の軽いレジナレフの体は剣と一緒に容易く跳ね上がり、その隙を狙って右手のフランベルジェをアンドリューは振り上げ、レジナレフは空中で姿勢を整えると上段から渾身の力でバスタードソードを振り下ろす。
高くも鈍い音が弾けた。
三度の剣戟の交差を経て、八年前に命を削り合った二人は間近で見えたまみえた

「くくくっ……匂う、匂うぞレギンレイヴ! 悪魔から漂う腐臭で鼻がもげそうだ!」
「あっそ! ならさっさと私の目の前からいなくなってちょうだい!」
「そうはいかん。神に仇なす悪魔を討つのは私に与えられた使命だからな!」

強引にレジナレフを押し飛ばしアンドリューが剣を振り下ろし、レジナレフもバスタードソードを振り上げる。だがまたしても互いの剣は交差し、甲高い音を響かせる。

「どうした? 随分と剣が軽くなっているぞ?」
「アンタにやられた傷が癒えてないのよっ!」
「ならば大人しく我が剣で滅せよ!」

歯をむき出しにしてアンドリューは嗤い、レジナレフは押し潰されそうなプレッシャーに歯を軋ませる。

「――神は我を祝福せりDeus mei benedico

剣戟とは裏腹に静かに詠唱される呪文。声に伴って鎧に刻まれた魔法陣が輝き、レジナレフを押し込む圧力が一段と増す。
鍔競り合いの体勢のまま踏ん張っていたレジナレフが後退する。靴底がアスファルトで擦れ、必死に両足に力を込めて耐えるがズズズという音と共に顔を歪ませ、レジナレフの姿勢が崩れ始めた。

「おおおおおおおっ!」

雄叫びを上げ、レジナレフを押し潰さんとのしかかり、これ以上耐えることは不可能と判断したレジナレフはたまらず体を反転させて圧力から脱した。
好機。地面を蹴り、大きく退いたレジナレフをアンドリューは追いかけた。フランベルジェが風を切り裂き、レジナレフは必死にそれを防ぐ。かろうじて防御が間に合い、先程までと同様に反撃に出るかと思われた。レジナレフ自身もそのつもりで、アンドリューの剣を弾き飛ばしたはずだった。

「えっ?」

だが目の前にはアンドリューの波打った剣が在った。振り被りかけた剣を慌てて戻し、剣戟を受け止める。
受け止めた一撃は二度目の詠唱前と比べ遥かに重い。そして遥かに速い。それが連撃となってレジナレフを襲う。
それはまるで暴風。風すらも剣と化したのでは無いかと思われる程に鋭い剣戟が荒れ狂い、その力は全てをなぎ倒さんばかりで、レジナレフはそれをただ受け止めるしかない。
剣が交差する度に衝撃が伝わり、腕がしびれ、体を切り刻まれたかのようなイメージがレジナレフの脳裏を過り、そしてまだ首が脚が腕が繋がっていることに安堵した。
幾ばくかの恐怖を滲ませるレジナレフを見下し、愉悦に顔を歪ませるアンドリュー。醜悪とも言えるその表情は、離れて見ているしか無いヒサトに苛立ちと不快感を抱かせる。そしてそれ以上に劣勢に陥っているレジナレフを手助けできない事が腹立たしい。
――さっきはレジ姉が助けてくれたのに
自分には力が無い。例えあの剣戟の中に身を投げ出したとしてもアンドリューは事も無げに斬り伏せ、その上でレジナレフも斬ってのけるだろう。その想像は容易い。
何か、何か助けになることはできないか。焦る頭を落ち着かせて必死で思考を巡らせるヒサトだったが、アンドリューが率いてきた男たちの一人が何かを取り出すのを見つけた。
紙、のようだった。長方形状の手のひらサイズの小さな紙で白地に何かが書かれている様だが、心もとない街灯の下でしかも距離のあるヒサトの眼では到底中身を読み取る事ができない。
男が紙を取り出したのを見て、隣にいた人――女性だろうか――が男の腕を掴んで制止しようとしている。だが男はその手を振り払うと、バランスを崩して尻餅をつく女性に気を払うこと無く紙を空へと放り投げた。
舞い上がった紙は空に留まる。何枚もの紙は重力を無視してクルクルと回り始め、やがて赤く周囲を照らしだす。
それは炎だ。燃え始めた紙は、しかし燃え尽きること無く煌々と燃え上がり、描く円の内側に幾何学的な模様を瞬く間に作り上げた。
模様の内に創りだすのは炎の槍。直径五十センチ程度の円の中を槍がぎっしりと埋め、飛び出す瞬間を今か今かと待ちわびていた。
それが意味するもの。ヒサトは叫んだ。

「レジ姉! 避けてっ!!」
「……っ!」

ヒサトの呼び声にレジナレフも異変に気づく。だがヒサトの叫びがきっかけとなったかレジナレフが魔術に気づくと同時に炎の槍が放たれた。
高速で飛来する火炎。闇を裂き、周囲の酸素を取り込んで火勢は勢いを増して剣をぶつけ合う二人に襲いかかる。

「くっ……! ――acceleratio」

已む無くレジナレフはアンドリューの剣戟よりも槍の対処を優先した。一言だけ呪文を唱え、瞬間、レジナレフの動きが急速に加速する。
剣が交差するのとほぼ同時にアンドリューの目の前から砂埃を巻き上げてレジナレフの姿が消え、フランベルジェが初めて空を切った。そしてアンドリューの背に強い衝撃。吐き出される酸素を無理やりに抑え、アンドリューは踏み留まってフランベルジェを握る腕に力を込めた。
一瞬で背後に回るほどの速度を見せたレジナレフだったが、アンドリューを蹴り飛ばした直後にレジナレフの膝から力が抜け、姿勢を崩した。
それでも最後のヘアピンを髪から取り外して槍に向かって投げ、構築された防御陣が槍の襲来を防いだ。
が、次々と到来する槍に魔法陣は徐々に光を失い、やがてガラスが砕ける様な音を立てて砕け散る。その奥から防ぎきれなかった炎の槍が動けないレジナレフに降り注いだ。

「あぅっ……!!」

微かに身を捩って直撃だけは避けるも掠めたそれらはレジナレフの頬や脇を削り、火炎による火傷の跡を残す。
苦痛に顔を歪めるレジナレフ。膝をつくその眼に映るのは剣を振るったアンドリューの姿。レジナレフは鉛の様に重い腕を必死で振り上げた。
繰り返しの様な剣戟の交わりが再開するかに思われた。しかし剣は交差する事無く、無手の腕だけがレジナレフの目の前を通過していった。
直後。

「がはっ!!??」

腹に貫かれたかの様な衝撃。鳩尾に突き刺さったアンドリューの強化された右脚に、レジナレフの体が大きくくの字に折れ曲がる。

「ふぅんっ!!」

力任せに脚を振り抜く。レジナレフの体はボールの様に吹き飛ばされアスファルトの上を跳ねながら転がり、電信柱の下に捨てられたゴミ袋の山へと突っ込んでいった。

「レジ姉っ!!」
「……ふん」

レジナレフを蹴り飛ばしたアンドリューは、しかし宿敵に一矢食らわせたにもかかわらずつまらなさそうに鼻を鳴らした。レジナレフを蹴る直前に放り投げたフランベルジェが落ちてきて右手で掴みとる。そして腹立たしげに踵を鳴らすと自らの部下たちの方へ向き直った。

「……なぜ撃った、リカルド。邪魔をするなと言っておいたはずだ」
「お言葉ですが」

リカルドと呼ばれた金髪の男が、他の部下たちよりも一歩前に歩み出る。手には未だに残りの呪符が握られており、オールバックの髪から一房垂れた前髪の奥にある碧い瞳はアンドリューよりもその先のレジナレフを見据えているようだった。

「我々の使命は神と我ら人類に仇なす存在と戦う事ではありません」
「ほう。では何だと言うのだ?」
「奴ら悪魔を滅ぼす事です」

事もなくリカルドは言ってのける。自身が口にしたことに一片の疑いもなく、思想に迷いは無い。何故当たり前の事を聞くのか。アンドリューに対する疑念と一分の嘲りさえ見て取れる。
そしてそれはアンドリューも然りだ。思想自体に鷹揚に頷き、しかし為した行為について糾弾を続けた。

「そうだ。悪魔は全て討ち滅ぼさなければならない。我らが未来の為に、我らが神の為になpro futura nostra, nam Deus
「では」
「だが貴様が邪魔をしたおかげでレギンレイヴはまだ生きている」
「それは貴方が本気で殺そうとしなかったから……」
「悪魔とはいえ、自らを助くるものを斬って捨てろというのか貴様は!」

アンドリューの怒声が夜の街に響く。その迫力にリカルドは身を震わせ、離れていた他の部下たちも一瞬身を竦ませる。

「貴様が私を邪魔に思うのは構わん。出世を望む俗物が私を悪魔ごと炙り殺そうが恨みはせんし、謀殺しようが寝首を掻こうが一切追求はせん。だが始めに言っておいたはずだ。
――戦いの中で邪魔をすることだけは許さんと」
「……申し訳ありません」
「貴様への処分は後回しだ。今は――」

忌まわしげに睨みつけるリカルドに背を向け、ゴミの中に横たわるレジナレフの方へ歩を進める。

「甚だ不本意だがそこの悪魔を先に滅ぼすことにしよう。ああ、私を庇って傷ついた者を相手にするのは心底腹立たしい。が、神への忠誠は全てに優先される」

フランベルジェを一振り。ビュン、と風が断ち切られ脇構えでようやく身を起こし始めたレジナレフに歩み寄ってゆく。
だが。

「……どきたまえ、少年」

アンドリューとレジナレフ。その二人の間にヒサトは割って入った。

「い、いやだ」

アンドリューの言葉にヒサトは大きく首を横に振った。その返答にアンドリューは不快気に眉根を寄せる。

「もう一度言う。どけ、少年。斬って捨てられたいか?」
「ヒサト……に、逃げなさい」
「……き、斬り捨てられるのは嫌だけど、それでも嫌だ。例えレジ姉のお願いでもここはどかない」

フランベルジェが灯りに反射して凶悪なシルエットが映し出され、ヒサトは息を呑んだがやはり首を横に振る。
自分には何もできない。それは重々承知している。けれども、この状況で何もしないなんて選択肢はヒサトの中には存在し得なかった。レジナレフに手解きを受けていたから剣は少し自信がある。それにまだキチンと理解できてないけれども、身体能力も人間離れしてしまったから完全な無力ではないはずだ。
それが自分の都合のいい妄想に過ぎない事は理解している。さっきの戦闘は十分すぎるほどの人外の領域で、片足を踏み外した程度のヒサトでは足止めさえきっとできない。
けれど。
――自らを助くるものを斬って捨てろというのか
先ほどのアンドリューの言葉がヒサトの頭を過る。レジナレフはヒサトを助けてくれた。昔から傍に居てくれた。何より、ヒサトの事を覚えていてくれた。

(見捨てるなんて事、できるもんか!)

目の前の男が怖くて怖くて、今も脚なんて生まれたての動物みたいに無様に震えてる。でも、上永ヒサトのとるべき行動は「レジ姉」を助けるためだけ。
その目的を果たす糸口を探すべく、ヒサトは声を張り上げた。

「だ、だいたいアンタたちは何なんだよ! 突然現れて、勝手に戦い始めてさ!」
「君には関係のないことだ」
「関係は大有りだっ! レジ姉は僕の家族だ! 家族を傷つけられて黙っていられないよっ!」
「ヒサト……」

歯を食いしばって睨みつけてくるヒサトにアンドリューは一度瞑目し、そして眼を開く。

「その悪魔を家族と呼ぶか……」
レジ姉家族をそんな風に呼ぶな!」
「ふん、好かれたものだな、レギンレイヴ」
「それもだ! レギンレイヴとか意味分かんない名前で呼んで……」
「何だ貴様、そんな事もこの少年に話していなかったのか」

片眉をわずかに上げ、アンドリューはレジナレフに呆れた視線を向け、レジナレフは気まずそうにヒサトから顔を背けた。

「レジ姉?」
「少年、名前は?」
「え? え、あっと、ヒサト。上永ヒサトです」
「ヒサト。レギンレイヴと無関係でないと言うのなら教えてやる。その上でその悪魔と関わり続けか考えるがいい」

尚もレジナレフの事を悪魔と呼ぶアンドリューにヒサトは眉根をきつく寄せるが、そのヒサトをアンドリューは気にした風も無い。

「まずはヒサトを巻き込んだ事は謝罪しよう。我らは聖礼教義士団、そして私はその極東支部第一騎士隊隊長のアンドリュー・リヒトシュタイナーだ」
「聖礼教義士団……?」
「……ヨハンナ会派直属の退魔組織よ。決して表に出ない、こいつらの教義に背く存在を消滅させるための戦闘部隊。その行為は過激にして苛烈。一旦敵と定めたら一切の容赦無しに、ただ殲滅の為に行動する自称正義の集団よ」
「全ては神の御心のままに。その悪魔が言った通り我らの使命は悪魔を、そして『アンタッチャブル』を滅する事」
「『アンタッチャブル』……」
「元は人でありながら存在を人ならざる存在に取って代わられた存在の事だ。少年には信じられないだろうが、この世には多くの悪が存在する。神代の悪魔、かつての英雄、そして魔女……奴らはすでに肉体を失いながらもこの世に存在し、人の存在を食らって人に擬態し、この世に災いをもたらす」

魔女、という単語にヒサトは先程のミサキとの会話の最後を思い出した。ミサキには「キルケ」という魔女と存在を共にしていると言った。それに対してレジナレフは絶対にその事を口にするなと忠告した。「ヤバイ奴ら」がやってくるから、と言って。

(この人たちが、そのヤバイ奴ら……)

冷たい汗がヒサトの額を流れる。なるほど、納得だ。彼らは容赦無い。情けがない。レジナレフとの攻防を見ていてそれを実感した。
しかし。そうならば――

「レジナレフとヒサトが呼んでいるその女も人間では無い」
「……」
「ヴァルキューレ、という名を聞いた事があるか? もしくは英語読みのヴァルキリーでもいい」
「……ヴァルキリーなら聞いたことがあります。北欧神話に出てくる女神たちの名前で、戦士の魂を、えっと、確かヴァルハラに迎え入れるとかなんとか……」
「そうだ。我らが神が生まれるよりも遥かな昔、邪神どもが生み出した半神半人の悪魔の集団。古来より多くの物語で登場し、醜く愚かな邪神どもが滅びる時に全てが姿を消した。
 だがたった一人、その神々が残した者がいる」
「それが……」
「神代の時代からしぶとく生き続ける悪魔。その名はレギンレイヴ。そこに転がっている悪魔だ」

バッとヒサトは背後を振り向いた。ボロボロになったレジナレフがそこにいる。傷だらけで赤い血を流したレジ姉がいる。昔から姿が変わらずちっさくて、いつの間にか背も追い越し、面倒見が良いくせにすぐ甘えてくる姉がいる。人だ。アンドリューがいう様な悪魔なんかではない。そうは到底思えない。何百年どころか何千年も生き続けているような、お伽話に出てくる人物じゃない。
否定の願いを込めてヒサトはレジナレフの姿を見下ろした。顔をじっと見つめ、その口が否定の言葉を吐き出してくれることを願った。だが、レジナレフは顔を背けたまま何も言葉を発しなかった。

「……本当、なの、レジ姉?」
「……そうよ」

そして返ってきたのは肯定。立ち上がったレジナレフは剣を片手に力なくぶら下げたままにそれきり無言。

「……それでも、それでもレジ姉はレジ姉だ。人じゃなかろうが構わない」
「だが悪魔だぞ? いずれ少年に災いをもたらす」
「災いならもう起きてる。今のこの状況がもう災いだ。家族を失って、レジ姉が傷ついてる今が僕にとって災いの真っ只中だ。だから、これ以上の災厄なんてみたくない。レジ姉を傷つけられたくない。失いたくなんてないんだ」

両手を広げ、アンドリューの視界からレジナレフを覆い隠す。
逃げたい、けれども逃げたくない。自分が傷つき、ともすれば殺されるかもしれない。それを考えると怖い。けれど、ヒサトにとって自分が傷つくよりもレジナレフが傷つけられる方が恐怖だ。

「悪魔と知り、それでもなお悪魔を選ぶか。まあいい、ヒサトも説教を聞けば悪魔の本質を知ることになる」
「間に合ってるから結構です。家族を悪魔扱いする様な教義なんてクソ食らえだ。第一、レジ姉がアンタらに何をしたっていうんだよ?」
「悪魔が何をしたかなど問題ではない。悪魔は災厄である。悪である。人の世に神以外の人ならざる存在がいる余地は無い。そこに『存在するある』、それが問題なのだ」
「ふざけるなよ! レジ姉がいるだけで悪だって言うのかよ! 何もしてないのに、人じゃないってだけで悪魔なのかよ! アンタらの神がそう言ったのか!? そんなに、そんなにアンタらの神様は偉いのかよ!」
「無駄よ、ヒサト」

レジナレフは重そうにバスタードソードを構えた。

「こいつらにとって神はただ一人。それ以外の遥かな昔より存在した神々は全て邪神で、眷属は悪魔。人智を超えた存在は在る事を許さず、人の枠から外れた存在は滅すべき存在。説得なんて聞く耳を持たない腐った奴らよ」
「何とでも言うがいい。我らが為すべきは一つだけだ」

アンドリューも剣を握り直し、行く手を阻んでいるヒサトへと近づく。

「今度こそレギンレイヴ、貴様を滅ぼす」
「そんな事、させない!」
「どきたまえ、ヒサト。これが最後通牒だ」

そう言ってアンドリューはヒサトをどかそうと肩に手を掛けた。
それと同時に何かの香りが漂ったか、アンドリューが鼻をひくつかせる。ヒサトに手を掛けた左手を鼻に持っていき、匂いを嗅ぐ仕草をした。
途端、アンドリューの顔つきが急に険しくなる。みるみるうちに白い顔が紅潮していき、憤怒に顔の皺が深くなっていった。

「貴様っ……! この少年を喰った・・・なっ……!!」

その言葉にレジナレフはハッと表情を曇らせ、ヒサトに向かって叫んだ。

「ヒサト、離れてっ!!」

だがヒサトはその意図が分からず「え?」とレジナレフに振り返り、その隙にアンドリューの腕がヒサトの肩を掴んだ。
その力に顔をしかめるヒサト。何事かと見上げれば顔を歪ませるアンドリューがいた。

「なれば話は変わった。何が何でも殺す。必ず殺す。絶対に、たとえ我が神が許そうとも貴様を殺すぞ、レギンレイヴ。
 少年。君には罪は無い。だがたった今少年の存在それ自体が罪となった。恨むならその悪魔を恨め」
「な、何を……!」

一方的にヒサトに告げると、アンドリューはヒサトの首を掴んで片手で持ち上げる。首が締まってもがくヒサトだが、アンドリューの膂力は凄まじく解くことはできない。カリカリ、と爪が鎧を引っかく音だけが虚しい。
アンドリューは持ち上げたヒサトを後ろへと放り投げた。アスファルトを転がり、強かに打ち付けた全身の痛みに涙目になりながらヒサトはアンドリューを見上げる。

「少年を捕まえておけ。今ならまだ浄化が間に合うかもしれん」
「何をす……んぐっ!?」
「はーいはい。君はおとなしくこっちで待ってようね?」

突然のアンドリューの行動に抗議の声をヒサトは上げるが、立ち上がり掛けたところで背後から手が伸びる。
口を塞がれ、唇に伝わるは手袋の感触。指先は細く柔らかい。そして耳元で囁かれる女性の声。

「大丈夫。静かにしてれば何もしないから――神の使いは優しくささやくMediocris susurri quiete

声を聞いた途端にヒサトのまぶたが半分落ちる。眠ったわけでもなく起きているわけでも無い、半端な状態。体は眠り、しかしヒサトの意識はハッキリとしたままだ。

「う〜ん……イマイチ効きが悪いなぁ。やっぱ耐性が強いのかな?」

呟きが耳を、ショートカットの女性の髪がヒサトの頬をくすぐる。普段なら緊張する状況だが、今のヒサトを思うように動かない体に対する苛立ちだけが占めていた。
視界はうっすらとぼやけ、アンドリューと対峙するレジナレフが、ホンの数秒で届くはずの彼女が遥か彼方にいる様。
その二人が、再び動き出す。
交わり始める剣と剣。感覚の鈍くなった耳に届く戦いの音。風を切り、時間を斬り裂き、夜の闇を斬り裂いていく。
豪剣を振るうはアンドリューのフランベルジェ。迫力に満ちたそれをレジナレフはひたすらに受け続ける。

「足りん、足りんぞ、レギンレイヴ!! 八年前の貴様はどこに行ったァッ!!」
「盛り上がってるとこ悪いけどっ! 今の私にはアンタを満足させる力なんて無いわよっ!」
「抜かせ! 少年を喰らって得た力があるはずだ!」
「そんなもの……!」

アンドリューの剣を受け流し、捌き、避け続けるレジナレフ。しかし、次第に剣戟の速度に追いつかず、腕に、頬に傷が増えていく。
剣戟に加え、アンドリューの攻撃に体術が混じり始める。鋼鉄の拳とバスタードソードがぶつかり、剣同士とは異なる音が加わっていく。手数の増えた攻撃に更にレジナレフは劣勢に追い込まれていった。
それはすでに時間の問題だったか。回避の遅れたレジナレフの胸元に拳が突き刺さる。
ヒサトは思わず叫んだ。だが喉は震えず、少しだけ荒い息が口から吐き出されるだけだ。

「ゴヒュっ……!」

不自然な呼吸音を残して民家の壁にレジナレフは激突した。衝撃に顔をしかめ、それでも姿勢を立て直そうとした彼女だったが、それは阻まれた。

「がっ……!!」

腕を襲った激痛にレジナレフは眼を大きく見開いた。眼前には、吐息も掛かるほどの距離にアンドリューの阿修羅面。その手にある剣がレジナレフの左腕を貫き、壁へと縫いつけていた。

「あ……う……」
「……何を考えている、レギンレイヴ。弱い、弱すぎるぞ。拍子抜けだ。少年から奪った力はどうした?」
「っ……ヒサトからはっ、何も……」

レジナレフの言葉が途切れ、代わりに返ってくるのは苦悶の表情と声にならない悲鳴。アンドリューは突き刺した剣を、レジナレフの腕を抉るように捻り、左腕で顔を掴んで額を突き合わせる程に近づかせる。

「侮るなよ、レギンレイヴ。ならば何故あの少年から貴様の魔力の匂いがすると言うのだ!?」

アンドリューは怒声を浴びせるが、レジナレフからは悲鳴が上がるだけだ。一向に口を割らないレジナレフに、アンドリューの苛立ちは更に増していく。

「人に擬態し、現代まで生き残る生き汚い貴様ら神代の悪魔の事だ。何かを企んでいるのは間違いない」

アンドリューはレジナレフの顔面を殴り飛ばし、切れた口から血しぶきがアンドリューの鎧を汚していく。何度も何度もアンドリューはレジナレフを殴り、その光景をヒサトはただ見ているしかできない。

(動け、動けよ……!)

何度も念じ、体に力を繰り返し込めていく。そしてわずかに力がこもった感覚をヒサトは覚えた。
まずは指先。力なく垂れた指先が地面を小さくひっかく。次いで脚。だらしなく伸びた両足を徐々に膝立てていく。

(後少し……)

一度感覚を取り戻せば後は順調。眠りから覚める時と同じ様に加速度的に体のコントロールを取り戻していく。
ヒサトは背後で自分を抱え込んでいる女性をチラリと見遣った。魔術を掛けた事で安心しているのだろうか、女性はアンドリューとレジナレフの方に注目していて、ヒサトには注意を払っていない。ヒサトは逸る気持ちを抑え、チャンスを待った。

「……頑固だな。何を企んでいるかは知らんが、まあいい。とりあえずは貴様を殺して、その上でヒサトに尋ねる事にしよう」

フランベルジェをレジナレフの腕から抜き取り、ずり落ちていく腕が壁に血の跡をつけていく。
壁に持たれたままレジナレフは憎々しげにアンドリューの姿を見上げた。フランベルジェを通常とは逆手に持ち、足元のレジナレフを突き刺すためにアンドリューは両腕を空に掲げた。時代遅れの白熱灯がアンドリューの影をレジナレフに落とした。

「思いがけず長い付き合いになったが、それもこれまでだな」

小さく笑い、レジナレフと視線を交わらせる。そして大きく掲げた剣をレジナレフに振り下ろし――

「熱っ! あっ、えっ!!??」

女性の戸惑った声が夜の街に響いた。その声を後押しするように、事態を把握したレジナレフが叫ぶ。

「ヒサト!?」
「うおおおおおおおおおおっ!!」

女性の拘束を抜け出し、叫びながらヒサトは掛ける。人間の枠を超えたヒサトの脚力は瞬く間に距離を詰め、アンドリューへと肉薄していく。

「……間に合わん!」

叱責を受けて行動を控えていたリカルドは、手に持ったままだった呪符を投げ上げる。展開していたまま光を失っていた魔法陣に再び魔力がこもって輝きを取り戻す。

「ダメッ! ヒサトッ!」
「レジ姉ええェェェっ!!」

アンドリューに向かって無手のまま腕を振り上げた。対するアンドリューは剣を持たない左手のみを構えた。所詮は素人。ヒサトの動きは、ただの人間だと思っていたアンドリューの予想を遥かに上回っていたが、いくら俊敏であってもアンドリューにとって対処は容易い。
ただし、素手ならば――

「何だとっ!!??」

何も持っていなかったはずの右手には今は長剣が輝いていた。
慌てて剣を構えようとするが、それよりもヒサトの方が早い。

「ぬおオオォォ!!」

身を翻して何とかアンドリューは避けようとするが、到底避けきれない。油断した自らの不甲斐なさを罵りながら、アンドリューは覚悟した。
アンドリューの剣が振り上げられるよりも速くヒサトの剣がアンドリューの鎧を斬り裂く――
ズブリ――

「え――?」

斬り裂く前にヒサトの動きが止まる。感じたことの無い感触を腹部から感じ、剣を振り上げたまま脚を止めて自分の体を見下ろした。

「何だ、これ……?」

腹から突き出る真っ赤に燃える何か。それがリカルドの魔術で編まれた炎の槍とヒサトは気付けない。思考が結びつかない。
急激に感じる熱。自らの内が焼けていくデタラメな痛みに、痛覚以外の全てが消え去っていく。

「ヒサトオオオッ!!!」

レジナレフの悲鳴を嘲笑うかの如く、槍から噴き出した炎はヒサトの全身を包み込んでいった。








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