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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved







-13-




「それじゃ、そろそろ行くか」

ホテルの一室でハルは荷物を肩から担いでアンジェに声を掛けた。ちょっと待ってください、と返事をすると、アンジェは衣服やらをグチャグチャにしたまま茶色のトランクに詰め込んで上から体重を掛けて無理やり蓋をした。

「お前な……もうちょっと整理したらどうだ? 服とかもうシワクチャじゃねーか」
「いいんですよ。こんなのは入って持ち歩ければいいんです」

女の子としてどうよ、な返事を返すアンジェ。ハルは処置なし、とばかりに肩を竦めて荷物を担ぎ直す。
ノイマンとの邂逅を経て、食事を終えた二人は早々に街を去ることにした。元々ブルクセルにそれほど長居をする気も無かったのだが、このままこの街に滞在していると何かとトラブルに巻き込まれる気がした。サリーヴといい、この街といい、どうにも大きな街には良い縁が無い。人があればそれだけトラブルの種は転がっているものだが、戦後の火種もまたどこかでくすぶっている。加えてユビキタスという組織の存在も明らかになり、ギルトの本部があるこの街はこれからも彼らの狙いの可能性もある。ハル自身、出来る限り人を相手にした戦闘には関わりたくないし、アンジェを関わらせたくもない。
ハルはマントを羽織っているアンジェを見た。こいつは自身に直接関わりが無くても、目の届く範囲であれば自分から首を突っ込んでいく。最近はその気質も少し薄れつつあるみたいだが、本質は変わらない。ハルが止めようとも、いつの間にか巻き込まれる位置に立っている。それはもう呪いだ。ハルは、アンジェのその性質をそう例えた。
何がアンジェをそれほどまでに駆り立てるのか、残念ながら未だにハルには分からないが、出来る限りアンジェを闘争の匂いから遠ざけたほうが良い。

「はい、終わりました。それじゃ新しい街へ行きましょー!」

元気いっぱいに叫んで拳を天井に向かって突き上げる。そんなアンジェにハルは小さく笑ってドアを開けた。

廊下に出ると板張りの床がギシギシと悲鳴を上げる。金をケチって安宿にしたおかげで設備その他は古いが、数日間の滞在は問題なく過ごせた。宿泊客も少なかったので最初は少し不安だったが、なかなかどうして悪くない。飯もうまかったしな、と朝食の味を思い出し、ハルは内心で評価を上げた。

「チョックアウトを頼む」

フロントのおばさんに部屋のキーを差し出す。

「おや、もう出発かい? この街は堪能できたかしら?」
「ああ、いい思い出ができたよ。ココの食事も素晴らしかった。なかなかこの街に来る機会が無いのが残念だよ」
「寂しい事言うねぇ。また好きな時に遊びに来な。こんなボロ屋で良かったらいつでも部屋は空いてるよ」
「いつになるか分からないけど、そうさせてもらうよ」

会話しながら財布をマントから取り出し、精算を済ませる。気をつけていってらっしゃい、と女性は微笑んで二人を見送る。ハルが軽く頷き、アンジェが大きく手を振ってホテルを出た。

「やっと来たな」

駐輪場へ到着して早々にそんな声が二人を出迎えた。振り返りざまにハルに向かって紙の束が飛んできて、驚きながらもそれを受け止める。

「報酬をまだ渡していなかっただろ? 受け取れ」
「私もまだお礼を言ってませんでしたよね? ありがとうございました」
「最初に聞いていたよりも多いみたいだが、いいのか?」
「構わん。想定外の事態だったみたいだしな。働いたものには正当な報酬で応える。それが私の方針だ」

ロッテリシアの言葉にそういう事なら、とハルは札の束を財布へとしまう。

「それで、用は終わりか?」
「いや、もう少し付き合ってもらおうか」

そう言ってロッテリシアは同行していたリーナを見る。リーナは持っていたカバンから紙を取り出すと二人に渡す。

「また何かのリストか。今度は何だ?」
「ユビキタスの存在が確認された都市です。構成員が最低五名以上いた町のみをリストアップしました」

細かい文字でギッシリと書きこまれた町の数は、大小あわせて百を超えていた。ハルたちに依頼した後、ロッテリシアが各町のギルトに命じて一斉に洗い出しをさせた結果だった。嫌な予感に駆られたロッテリシアが強権を発動させ、強引な方法も許可して探させたが、これでもまだ一部であり、今後ますます増えるだろうとリーナは告げる。
先日のアイントヘブン支部で行われた凶行を思い出し、アンジェは戦慄に顔を強ばらせる。ハルもまた顔をしかめるが、解せない事が一つあった。

「どうしてアタシたちにこの事を教えるんだ? この件に関する依頼はもう受ける気は無いぜ?」

アンジェを争い事に関わらせたくない。その考えは嘘ではない。だがそこにはハル自身の感情も深く関わっていた。ハル自身が戦闘を忌避している。潜在化でハルはそれを望んでいた。しかし、それは更なる潜在化で眠る、かつての戦闘に喜びを見出していた時の姿をアンジェに見せたくないとの想いに拠っている。そしてその事にハルはまだ気づいていなかった。
ハルの返事にロッテリシアは言う。

「それも報酬の一つだ。気にせず受け取っておけ」
「どういう魂胆か分からない内には受け取れないな。後で報酬の前払いだとか言われて強制徴集とかゴメンだ。依頼したいことがあるならハッキリ言え。今なら話だけなら聞くさ」
「舐めるなよ、ナカトニッヒ。今から街を離れようかという輩に依頼するほどギルトも人材不足では無い。
だが……言うなればこれは忠告だ。私の目に届かない所で勝手に野垂れ死んでくれるな、というな」
「あの……それはどういう意味ですか? 何か私たちに関係があるんですか?」

アンジェがハルの前に出て、ロッテリシアに尋ねる。「これはアンジェに関する事だ」ロッテリシアは腕を組んでそう告げた。

「私に?」
「ああ、そうだ。アイントヘブンで、奴らに誘われたと言ったな? 正確にはユビキタスとは別の組織だが、恐らくは協力体制にあることは間違い無いだろう。もっとも、ずいぶんと表面的な協力関係みたいだがな。それはともかくとして、その協力関係にある組織のトップがアンジェの『姉』と名乗った。となれば、奴らがアンジェに再度接触を図る可能性は高い」
「誘拐をしてくる、と?」
「そこまでは言わん。だがそういった事も十分考慮に入れておくべきだろうな」
「……私はあの人たちには付いて行きませんよ。ハルから離れるつもりはないですから」
「貴様の意志などどうでもいいんだよ、アンジェ。奴らがその気になれば貴様一人を連れ去る事は容易い」

寝言をほざくな、と言わんばかりにロッテリシアはアンジェを睨みつけた。それはこの街に来てアンジェがロッテリシアに向けた冷たい視線であり、射竦められてアンジェはたじろいだ。

「つまり、ユビキタスがいる街には近づくな。そう言いたいのか?」
「貴様も勘違いしているようだな、ナカトニッヒ。貴様らしくも無い。それともわざと気づかないふりをしてるのか?」

ロッテリシアは嘲笑の視線をハルに向け、鼻で哂ってみせる。何を、とハルはロッテリシアを睨みつけるが、彼女の見透かすような視線につい、と眼を逸らした。

「貴様はアンジェを争いから遠ざけたいと考えているようだが、それこそ愚かだな。一度闘争に魅入られた者はそこから離れられはせんよ。
奴らに関わるな、というステージはとうの昔に通り過ぎた。ユビキタスは相当に大きな組織だ。我々とタメを張れるくらいのな。でなければギルト本部のあるブルクセルの近くでギルトを襲うなど考えられん。そんな組織から貴様ら二人が逃げ切れるか」
「なら……なら、どうすればいいんですか!?」
「抗え。抗って抗って抵抗してみせろ。そうすれば活路が見えてくるかもしれん。今日わざわざココに来たのはそれを伝えるためだ。もっとも、最後まで抗いきれる保証はどこにも無いがな」

精々あがいてみせろ。そう言い残してロッテリシアは二人の元を去っていった。

「その……何と言っていいか分かりませんけど、お二人ならきっと大丈夫です。だからあまり悲観しないで下さい。長は元々悲観的に物事を考える人ですから、実際には巻き込まれる事なんてありませんよ」
「だと良いけどな……」

リーナの励ましにもハルとアンジェの二人は厳しい表情のまま。
二人とも感じていた。徐々に迫り来る、自身を覆い尽くす様なうねりから逃れられはしないのだと。

「ああ、良かった! まだこの街にいたんだね」

暗くなっていた雰囲気に、リーナはオロオロしていたが、ややしわがれかかった声がそこに割って入った。

「もう街を出ちまったかと思ったよ。いやー、この歳になるとやっぱ走るのは辛いね」
「おばさん! どうしたんですか?」

先ほど留守だったはずのテティのおば。走ってきたらしい彼女は腰に手を当てて大きく空を仰ぎながら呼吸を整えていた。

「アンタたちに伝言があってね! 慌ててやってきたんだよ」
「伝言?」
「そ。伝言さ」

何だろう、と顔を見合わせるアンジェたちに、彼女は走って乱れたエプロンの裾をパン、と叩いて告げた。

「テティとガルトが門の外で待ってるよ」




-14-




街中の舗装された道と違い、荒れた地面からの振動がダイレクトに伝わる。ガタガタと上下に揺れ、その振動音はエンジン音と混ざって何も無い山道に響いた。

「テティちゃんたち、いませんねー……どこ行っちゃったんでしょう?」

空は薄曇り。旅立ちには決して悪くない天気だが、山の天気は変わりやすい。事実、目の前にある小高い山の向こうには黒い雨雲が広がっているのが見えた。

「さあな。ずいぶん待たしちまったから、諦めてもう別の街に向かったのかもしれないな」

テティとガルトの二人を探すため、ハルはゆっくりとした速度でバイクを走らせる。街を出てすぐに道の両脇に森が広がり、木々の隙間に眼を凝らすが、二人がいそうな雰囲気は無い。悪いことしたなぁ、という残念そうなアンジェのつぶやきが、ひんやりとした森の中に消えていった。

「ま、縁があればまた会えるさ。お互い旅をする身だし、案外すぐに巡り会うかもしれないぞ?」
「そうだと嬉しいですけど……そう、ですね。また会えますよね、きっと。ふふ、あの歳であれだけ可愛いんだし、次に会う時はすっごい美人さんになってますよ」
「少なくともアンジェよりは可愛いだろうな」
「その一言は余計です」

いつの間にか二人ともテティたちを探すのを諦めて、いつか再会する日を想像していた。すでにブルクセルの城門からは相当に離れている。ゆっくりバイクを走らせてるとはいえ、街を出てからもう十分近く経ってしまった。テティとガルトの移動手段が何かは知らないが、もう次の目的地へ行ってしまったんだろう。
そういえば、とアンジェはアイントヘブンでテティが告げた話を思い出した。人を探している、と彼女は言っていたが、その人は見つかるだろうか。どこにいるかも分からない誰かを探す彼女を、自分の正体を心の底で探し求めるアンジェは無意識に重ねていた。どこに探し人がいるのか、テティに検討がついてる様子は無かったが、どうか見つかってほしいとアンジェは願った。そうすれば、自分の求めるものもきっと見つかる。そんな気がアンジェにはした。
そんな事を思い、遠くの山々を眺めていたアンジェだったが、静かな山に銃声が突如響いた。そして不意にハンドルを切ったバイクに頭を揺すられる。

「ハル!」
「流れ弾だ。場所は近いぞ」

バイクを止めながらハルは弾が飛んできた方向を見遣る。木々の合間を動く、小さな人影が見える。その人物が誰か、想像するには難くない。

「行くぞ」

バイクの向きを整え、ハルは一気にスロットルをひねった。エンジンが回転数を上げ、猛々しさが増す。
森を迂回して二人に近づく。要する時間は一瞬。曲がりくねった道を、バイクを弾ませながら走っていく。
カーブを曲がり切ると一気に森が開ける。それと同時にむせ返る様な生臭さがアンジェたちにまとわりついた。
恐怖を顔全体に張り付かせた男が、震えた銃口をガルトに向けていた。目の前に立ちはだかる大男に震え、それに耐え切れず引き金を引く。それよりも一瞬だけ早くガルトは体を横に動かすと、弾丸は何に遮られることもなく木々の中に消えていく。ガルトは巨大な十字を背負ったまま、ロングソードを袈裟懸けに振り下ろし、切り裂かれた男の体から血霧が立ち昇った。地面に倒れ伏し、他の転がった男たちと同じ存在になり果てた。
動かなくなった男をガルトは出会った頃と変わらない無表情で見下ろす。そして血の付いた剣を握ったまま、アンジェたちの方を振り向く。

「ああ良かった。やっと来てくれた」
「テ、ティ……?」

だがガルトは言葉を発する事なく、代わりに女性が二人に声を掛けた。それに対してアンジェは語尾を上げ、ハルもまた疑わしげな視線を向ける。
二人に声を掛けたのはテティだ。だが、数日接してきた彼女とはすぐに結びつかない。背丈も容姿もテティだと主張する。しかし、何かが決定的に彼女と異なる。それ故にアンジェはテティを心配する声を掛けられない。
テティは、そんなアンジェに気づかないのか、笑顔を浮かべて近寄ってくる。血で濡れた地面を気にする事無く、血と同じ色の服をまとっている。張り付いた笑顔に、背筋に寒いものが走る。

「テティ……お前がこいつらを?」
「そうよ? まあ、殺ったのはガルトだけど。アイントヘブンでとんでもないことしてくれちゃったからさ、抗議したら逆に殺そうとしてくるんだもの」
「じゃあこの人たちは……」 「ええ、コイツらはユビキタスの人間よ、アンジェ。名前くらいはそろそろ聞いた事があるんじゃない?人類を裏から操る巨大組織。その規模は誰も把握していない、みたいな?」
「お前はユビキタスを知っているのか」
「もちろん。だって、私は彼らに協力してたんだから」

そう言ってテティは笑みを深めた。それはぞっとするような笑顔だった。数日前に会った時の様な、無垢で純真な表情は何処にもなくて、どれだけ深くまで覗き込んでも底の見えない、まるで深淵を覗き込んでいるかのような錯覚をアンジェに与えた。

「ああ、でも勘違いしないでね。アイントヘブンの事を彼らに伝えたのは私じゃないのよ? 私だって完全に巻き込まれた立場なんだから。協力する時に私の邪魔はしないようにって散々言って聞かせたのに、コイツらそれを無視して私ごと殺そうとしたからね。だから返り討ちにしてあげたのよ」
「ならお前は、どうやって奴らに協力してたんだよ? どういう時に手を貸してたっていうんだ?」
「なに、単純な事よ。荒事を彼らが起こす時、少し暴れてあげるだけ。この前の『彼女』みたいにね。彼らだけじゃ暴力が足りなくて、私は彼らの情報網を利用できる。ギブ・アンド・テイクな関係ね」
「それってじゃあ、この前のあの女の人と同じなの……?」
「ユビキタスに協力してるとかいう、別の組織。そこにテティとガルトも所属してるのか?」
「そうよ。とは言っても、私もガルトもいわゆる腰掛けみたいな形だし、『彼女』の名前も知らないし知る気も無いわ。でも、そうね、組織の事をまだ二人とも全然知らないみたいだし、組織の名前くらいは教えてあげる。
ペリオデオ。それが彼女たちの組織の名前」
「……良いのか、そんなにペラペラと喋って? 後々面倒な事になるんじゃないのか? 例えば、粛清とか」

冗舌なテティにハルは尋ねる。隣のアンジェはその言葉にハッとなってテティとガルトの顔を見た。だがガルトは無表情で、テティは笑顔を振りまきながら見返すだけだ。

「心配してくれてるの? ふふ、優しいのね、アンジェは。でも気にする事は無いわ。だってもうペリオデオにもユビキタスにも戻るつもりは無いもの」
「え?」
「この前話したとおり、私の目的は人探し。そのためには組織に入ることが都合良かった。なら探し人が見つかってしまえば彼らの力を借りる必要はなくなるのは当然でしょう?」
「見つかったんですか!?」

喜色に染めた表情で、アンジェは嬉しそうに問いかけた。微笑んだまま、テティはそれに頷いてみせる。
その瞬間、弛緩し始めていた空気が不意に重くなる。敏感にそれを感じ取ったアンジェは一歩テティから後退り、ハルもまた意識を緊張させた。

「私の探し人。ずっと昔に私から家族を奪い、私という人間を壊してしまった人。真っ赤に染まって私を見下したその顔を一秒たりとも忘れたことは無かったわ。もっとも、私の事なんて覚えていないでしょうけどね。
――そうでしょう、ハル?」

テティは笑みを崩さないままに言葉を一度区切った。それを合図としてガルトが駆け、テティの体ほどの長さもあるロングソードを構える。
それを見てアンジェは見構えた。だがそれより先にハルがガルトを制そうと前に飛び出し、ナイフを腰掛ら引きぬいてガルトの剣に合わせようとした。
しかしハルの目論見は外れる。予めハルがそう行動するのが分かっていたかのように、ガルトは剣をナイフに合わせると、剣を手放した。
予想外のガルトの行動に、ナイフは軽い感触だけを残して空を切り、わずかにバランスを崩した。
来る。ハルは間もなく襲ってくるだろうガルトの攻撃に体を強ばらせる。
それは決定的な隙。果たして、その隙すらもガルトは見逃し、ハルの横を素通りした。
ガルトの目的はハルと斬り合うことでは無かった。その役目は自分では無い。ガルトは拳をアンジェに向かって振り下ろした。
体重の乗った思い拳がアンジェの腕へとぶつかり、腕の金属がミシミシと軋む。それでも吹き飛ばされないよう腰を落として踏ん張るが、アンジェの眼には腹めがけて迫る掌打があった。
「ガハッ!!」

とっさに間に腕を挟んで直撃を避ける。だがガルトのそれは防御さえ貫通してアンジェを弾き飛ばした。

「アンジェ!!」

ハルが叫び、アンジェの方へ駆け寄ろうとする。しかしその前にテティが立ち塞がる。

「ダメよ。ハルは私の相手をしてくれなきゃ」
「退け」
「イ・ヤ」
「……なら仕方ない。力づくで行かせてもらう」

ハルの瞳孔が収縮し、テティの前から姿が消える。
口ではああ言ったが、ハルはテティを傷つける気は無かった。テティが何を言っているのか、見当もつかないが、まずはアンジェとガルトを引き離す。アンジェがそう安々とガルトにやられるとは思えないが、先ほどの動きを見るにかなりの実力者だ。簡単には無力化できないだろう。スピールトの時の様に、アンジェが我を失えばどうにでもなるだろうが、ハルとしてはそういう事態にはしたくない。してはいけない、そんな気がしていた。
そのためにもテティを速やかに無力化する。先ほどの様子を見ている限り荒事にも慣れているみたいだが、どうにも今目の前のテティとブルクセルの快活な少女だったテティとが結びつかない。
明るくて、感情表現が豊かで、見た目相応の少女だ。笑顔が魅力で、行動力があって、しかしか弱い少女。そう、少女のはずだ。
ハルはテティの背後に回りこみ、動きを拘束するために彼女の腕に手を伸ばした。

「舐められたものね」

掴みかけたハルの腕は虚しく空を掻く。代わりにテティの小さな掌がハルの喉に食い込み、片手一つで真上に体を持ち上げると頭から地面へと叩きつけた。
抉れた地面にハルの頭が沈み、テティは痛みに顔をしかめたハルの眼を覗き込む。

「こんなにあっさりやられちゃっても困るのよ、ハル・ナカトニッヒ。私のこれまでの人生を無駄にするつもり? 貴女はもっと強者であるはずよ。油断なんて微塵もなく、常に強かで無慈悲で無感動に敵を殲滅し、私を見下してみなさいよ。あの時と同じ冷たい瞳で」

含ませる様に、口に笑みを浮かべたままで蒼い瞳だけを憤怒に歪ませた。そこには深い深い、怒りがあった。心の奥底から沸き上がる、叫び出したい程の感情が渦巻いていた。無理矢理に笑顔に歪めた桃色の唇が震え、噛み合わない歯が歪な音を立てる。
だがテティは、ああ、と息を吐き出すとハルの喉から手を離してハルを見下ろした。

「やっぱりこの見た目が悪いのね。どう見ても小さな子供だもの。暴力は奮いたくは無いわよね。貴女も歳を重ねて丸くなったということなのかしら?」
「お前は……!」
「こう見えても私はアンジェより歳上なのよ? もっとも、体の成長は7年前に止まってしまったけれど。貴女に親を殺されたあの日にね」

貴女は覚えていないみたいだけど、私は覚えてる。
ヨロヨロと立ち上がるハルに向かってテティはそう言い放つ。仮面の様な笑みを貼りつけてハルに対峙し、ハルもまた睨みつける様にしてテティを見据えた。

「そうよ、その顔。じゃないと私も張り合いが無い……わ!」

テティが地面を蹴ると同時に砂ぼこりが舞い上がる。汚れを知らないような白くて小さな拳が握りしめられ、ハルへと伸びる。
一方のハルもほぼ同時に動く。首の動きだけでテティのパンチを避け、それに合わせてミドルキックを振るう。が、テティもそれを読んでおり、左腕一本でその蹴りを止める。そのまま体を反転させて裏拳を浴びせる。
ハルはその腕を掴む。そして背負い投げの要領でテティの軽い体を持ち上げて投げ飛ばした。
しかしテティは空中で体勢を整えると、着地と同時に再びハルと肉薄する。

「そうそうそうそうっ! 良いわっ! これでこそ殺して上げ甲斐があるのよ!」

楽しげに笑いながらテティは無数のパンチを繰り出す。ハルはそれら全てを捌いていたが、徐々に速くなるテティの拳に対処しきれなくなっていた。
幾つかの拳がハルの頬をかすめ、すり切れた場所から血が滲み始める。動く度にそれが舞い、少しずつテティの拳を赤く汚す。
それでもハルは表情を変えない。速さこそあれど、テティの攻撃に威力は無いと分かったからだ。力こそ一般人を遙かに超えてあるが、それだけだ。小柄な体ゆえか、一撃一撃に重さは無く体の芯に響くようなダメージは無い。掴まれれば、先ほどの様に地面に叩きつけられる事もあるだろうが、いくら速くてもそれを捌く事程度はハルには容易い。
何より――

「経験が足りない」

そうつぶやくと一瞬の隙をついてテティの軸足を払う。倒れそうになるテティだったが、それをハルは許さない。宙に浮いた一瞬に渾身の力を込めてテティを蹴り飛ばした。
地面を削りながらテティが軽々と転がっていく。十数メートルも飛ばされた所でようやく止まり、転がるテティに向かってハルはゆっくり歩を進めた。

「う…くっ……」
「まだ続けるか? アタシとしては、これ以上お前を傷つけたくないんだが」
「ふ…ふふ……甘いのね、甘いわ。甘すぎる。こんなもので私の心を折ったつもり?」
「いや、そうは思わない。だがお前の動きはもう見切った。これ以上続ける理由は無い」
「私にはある! せっかく見つけた敵ですもの。貴女を殺して殺して殺しつくすまで離さない! 絶対に諦めないわ……!」
「そうか……」

ハルは顔を歪めて空を仰ぐ。
どうして、こうなってしまったのだろう。自分らしく生きたいと願ってしまったことが罪なのだろうか。
いや、違う。やはり誰かの不幸の上に幸せを求めたのがそもそもの間違いだったのだ。短絡的に幸せを求めたのが間違いなのだ。それは決して許されるべきではない。
だから――

「なら、かかってこい、テティ。お前が満足するまでアタシが付き合ってやるよ」

許されないままに、アタシは生きる。誰からも許されないでも、アタシはアタシの幸せを求めて生きる。それが誰かを更に不幸にすることであっても。
でも、願わくば――

「お前がお前の道を生きる様に、アタシはアタシらしく戦い続けてやる」

誰かを幸せにできますように――




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「なんでこんな事をガルトさんは手伝ってるんですか!?」
「…………」

ガルトの剣戟を受けながらアンジェは叫ぶ。二人から離れたところではハルとテティが激しい攻防を繰り返しており、そしてガルトとアンジェの方もそれに引けを取らない。巨体から繰り出される攻撃は苛烈にして強力。スピードも二メートルを越す巨体とは思えない程に俊敏で、ラスティングを精一杯に掛けてもアンジェは受けるのがやっとだった。

「ガルトさんはテティちゃんを止める立場でしょう!?」
「俺がテティのしたい事を止めることは無い」
「なんで!?」
「それがテティの望むことだからだ」

剣戟を左腕で受けるとアンジェは右腕をガルトに向けて突き出す。ガルトはそれを左腕でガードするも、腕に伝わる鈍い痛みに顔を少しだけしかめる。
アンジェも同じように顔を歪めていた。だがそれは攻撃を受け止めた腕に走る痛みではなく、哀しさと理解のできないガルトの言葉によるもの。動きながらもアンジェは理解をしようと話を続ける。

「テティちゃんの言うことなら何でも聞くんですか!?」
「ああ」
「じゃあもし、彼女がガルトさんに……死ね、と言ってもそうするんですか!?」
「そうだ」

ガルトは即答した。アンジェはガルトの眼を見る。やや細目の双眸の奥にある真っ黒な瞳からは動揺も疑いも無い。おそらくテティがそう言えば本当にそうするのだろう。
それが気味悪く、アンジェは理解できない。
アンジェは大きくバックステップし、ガルトから距離を取る。ガルトは離れまいとアンジェを追いかける。
アンジェは右腕を前に突き出す。肘から彼女の腕が折れ曲がり、銃が姿を現す。発砲音と共にゴム弾が発射され、ガルトの眉間目掛け飛んでいく。
それと同時にアンジェに頭痛が走る。こみ上げてくる不快感と快楽を抑えつけ、弾丸の行方を見守った。
果たして、ガルトに弾は当たらなかった。ガルトは予測していた様に身を屈めてそれを避けると、再度加速する。

「ぬうううううぅぅん!!」

雄叫びと共に下段から剣を振り上げる。両目は大きく見開かれ、全膂力を駆使してアンジェを切り裂こうと力を込めた。
とっさにアンジェは左腕を差し出して、掌でそれを受けようとした。が、それはあまりに無謀だった。重厚な剣によって腕ごと跳ね飛ばされ、左手の指が四つ、オイルをまき散らしながら空を舞った。

「…………っ!!」

体中を駆け抜ける激痛。意識が一瞬飛ぶ。ガルトは動きの止まったアンジェの頭蓋目掛けて、振り上げた剣を一気に振り下ろした。
瞬間、ガルトの視界の中の、アンジェの体が消失した。一瞬で何かがガルトの脊髄を駆け巡り、自身の脳が発した命令を疑うことさえせずに振り下ろしていた剣を止めて体を捻った。
抉りとられた。一瞬だがガルトの脳はそう認識した。首が取れるかと錯覚するくらいに首が折れ曲がり、巨躯が地面を滑っていった。
滑り止まるとガルトはすぐさま起き上がり、更なる追撃に備える。だがアンジェからの攻撃は無く、アンジェは俯いたまま荒く呼吸していた。それを見てガルトは自分の顔をそっと撫でる。手の感触から欠損はどこにも無い。そのはずなのに、何故か今の自分の顔はどこかが欠けているとしか思えなかった。
その一方でアンジェは俯いたまま、奥歯を強く噛み締めて飛びそうな意識を押し留めていた。
痛覚は無い。意識が飛んだ瞬間にすでに遮断されている。
意識を失った方がアンジェは強い。それはアンジェ自身も承知している。それでもそれは認められない。そうなれば、恐らく自分はガルトを殺してしまうだろうから。
呼吸を整え終えると、アンジェは顔を上げた。

「ガルトさん……アナタは直感インテュイション能力者ですね」

ガルトはアンジェの顔を見上げるも何も発しない。それでもアンジェはそれが正解だと疑っていなかった。
サリーヴの街の時と同様、アンジェの脳裏に説明と一緒に能力名が蘇った。理由は分からないし、自分という存在の気味悪さをまざまざと見せつけられる様で。それでも、今のアンジェには必要であり、その感情を捨て置く。

「インテュイションは未来予知プレコグニションと違って完全に相手の動きを予測できない。その代わりに蓄積された相手の情報ではなくこれまでの経験全体から相手の行動を予測するために、例え初めて見る相手でも漠然と行動が予測できます。ですけど、完全に予測していないのでどうしても動き出しが遅れて、プレコグニションより対処範囲が狭くなります。だから、相手の動きが自身の身体能力を大幅に超えている場合には一切対処できない。それが弱点です」

ガルトの能力を超えるにはブーストが必要。だが、アンジェは自分の意志でブーストをかけることができない。先ほどの様に意識が飛ぶような事があればブーストできるかもしれないが、そうするには確証がなさすぎた。
その事を気取られないよう、極力表情を意識してガルトに告げる。

「もうガルトさんには私を抑えておくことはできない。ガルトさんを気絶させて、ハルと合流すれば、テティちゃんにも勝ち目はなくなります。それでもテティちゃんはハルと戦うのを止めないでしょう。だからガルトさん、テティちゃんを止めて下さい。ずっと一緒に旅をしてきた貴方の言葉なら、きっと止めてくれます」
「……俺の言葉でもテティは止まらない」

アンジェの説得に、だがガルトは首を振った。

「俺にテティを止める力など無く、止める気も無い。テティが止まるのは、テティが死んだ時だけだ」
「……なら、無理矢理にでも止めます。復讐なんて……」

アンジェの脳裏に、サリーヴで散ったアブドラの顔が浮かぶ。復讐に生きて、誰も彼も傷つけて死んでいった生き様。最期には救われたかもしれないが、アンジェは彼に救いがあったとは思えない。

「復讐なんて、何も生み出さない」
「だが、止めたところでテティに何が残る?」

立ち上がりながらガルトは背中に背負った十字架に手を掛ける。

「私は……感情というものが理解できない。生まれつき感情が欠損していたから。だから、テティの心など理解できない。彼女が何を思ってここまで生きてきたかを正確に知ることは無い。だが、感情がどういった行動を生み出すかは、これまでの経験から推測できる。
アンジェ、君は怒りと哀しみと憎しみを抱えたまま生きて、テティに何ができると考えているか俺に教えてくれないか?」
「それは……」
「復讐を、何か別の行動に昇華できるならそれでいい。そうできていれば彼女は今頃きっと何処かの街で幸せに暮らしていただろう。しかし彼女はそうならなかった。彼女の内にあるのは『復讐』という言葉だけだ。仇を殺す、そのことだけだ。今更他の事に転嫁などできない」
「そんな事はありません……私の出来損ないの頭じゃ何も思いつかないけど、テティちゃんには他の道があるはずです」
「無理だ。テティの生きる道はすでに復讐を果たして死ぬか、復讐を果たせずして死ぬか、そのどちらかしか無い」
「そんな事無い! そんなはずない……だって、そんなの悲しすぎるじゃないですか……」

白い布に包まれた十字架。幾重にも巻かれ、ベルトでガチガチに固定されたそれを、ガルトは一つずつ解いていく。

「それを決めるのは俺でも君でも無い。テティ本人だ」

パチン、と音がする度に布が落ちる。地面にいくつも重なり、最後の一枚だけが十字架に巻きついていた。

「何をするか、何を思うか、それは全て彼女だけのものであり、自分の意思を持たない俺は、彼女の望みを助けるだけだ」

その言葉と共に、ガルトは十字架を空へと放り投げた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆







砂ぼこりを巻き上げながら、テティが転がっていく。真新しかったエンジ色のマントは汚れて薄く砂の幕をまとってしまっている。滑らかだった肌にはいくつもの傷が走り、擦り傷の下からは赤い血がじわりと滲んでいる。

「どうした、もう終わりか? アタシはまだ立っているぞ?」
「ふふ……バカなこと言わないで。これからが本番よ」

口元を拭いながらテティは、息一つ乱さず立っているハルに強がりを言う。ハルは「そうか」とだけつぶやき、テティが立ち上がるのを待った。

「甘い、甘いわね、ハル。昔の残忍な貴女なら私を待つこと無くさっさと叩き潰してたんじゃなくて?」
「なに、ちょっとしたハンデだよ。弱いものいじめは趣味じゃなくてな」
「言ってくれるわね。でもこの有様じゃ仕方ないか。もうちょっといけると思ったんだけど」
「十分すぎるさ。アタシ程度のラスティングよりよっぽど速くて強い」
「そりゃそうよ。だって、ずっと鍛えてきたんだもの。ラスティングを二十四時間使って、脆弱だった自分でも貴女に勝てるように」
「お前……」

ハルは言葉を失った。
ラスティングはノイマンが使う能力の中では最も人数が多く、負担が小さい。だが、それはあくまで他の能力に比べて、だ。通常の生活をする時に比べて格段に肉体を酷使する事になる。
骨格を、筋肉を、神経を、そして脳を休ませる事無く傷めつける行為に他ならない。
ハルはテティをじっと見つめた。奥歯を噛み締めて、沸き上がってくる衝動を堪える。それでも、堪え切れないものが眦から溢れ出しそうになって、ハルはテティに見られないよう眼を逸した。

「でも確かにこのままじゃダメね。叶うならば、この手でハルを殺したかったんだけど、そこは諦めて別の手段を使うことにするわ」
「……なんだ、今までアタシも手を抜かれてたのか」
「そういうわけじゃないわ。私は夢想家ではないし、どちらかと言えば現実主義者リアリストのつもりよ。でも、やっぱり夢想家なのかな……貴女を殺して、その後も生きていたい、だなんて考えてしまうから……」

その時、ハルの頭上から影が降り注ぐ。ハルは空を見上げ、宙に浮かぶ何かを認めた。雲の合間から注ぐ陽光。それが影に遮られ、十字となってハルへと降りてくる。
空中でそれがまとっていた布が解けて別れる。布はハルの姿を上空から覆い、ハルとテティの間には巨大な十字架が境を造った。
予感が、走った。具体性も何もないそれに従って、ハルはその場を飛び退いた。差は数瞬だっただろうか。猛烈な暴力を内包した何かがハルの残像を砕いた。

「さすが、ね。今のはチャンスだったと思うんだけどな」
「……そこは何度も死にかけた経験のおかげだ。そんなもので殴られたら一撃で跡形も無くなってしまうからな。経験に裏打ちされた予感てモンは当たるもんだ」
テティの手の中にあるのは強大な剣だった。いや、剣というにはおかしい。二メートルを優に超える長さ。肩幅よりも広い剣幅。数十キロに及ぼうかという重さのそれを剣と表現するにはあまりにも異常。
なにより。
なによりも異常なのは、それを扱うのがわずか一三〇センチしか身長が無い、細身で華奢な少女ということ。
テティは軽々と振り抜いた大剣の位置を元に戻すと自身の肩に載せるが、そうしてみるとその巨大さがよく分かる。あまりにアンバランスで、なのにそれがキチンとテティに馴染んでいるのが恐怖にも似た感情を起こさせる。

「だから使うの嫌だったのよ。誰か分からないなんて、確認できないから本当に貴女を殺したのか、夢か現実か分からないじゃない」

儚げにテティは笑った。
ゆっくりと剣の重さを感じるように、テティは脇構えに体勢を変える。それを見て、ハルもまた体勢を再度臨戦モードに切り替える。
受ける事はままならない。あの剣は切るためのものでは無く、重量で押しつぶすためのもの。もし自分のナイフや銃で受け止めようものなら、それこそ上半身ごと吹き飛ばされて原型を留めないだろう。

(かわすしか無いか……)

問題はテティのスピードだ。先ほどまでの様なスピードで来られたら間違いなく殺される。かつて、自分が殺してきた相手と同じように。だが、あの重量だ。剣を見ながらハルは考える。本人よりも重そうなそれ。大剣を持ってなお、同じ動きができるとは考えづらいが――

「……っ!!」

テティが動いた瞬間、ハルはとっさに動いた。だがそれだけでは間に合わない。無意識の内に発動したブーストが一瞬にしてハルを剣の範囲外へと投げ出す。

「――っ、はっ、はあっ、はあっ!」

だがそれはハルの体に多大な負担を強いた。そしてそれだけでなく、予期せぬ動きは精神的にもダメージを与えた。
冗舌さを隠し、感情さえも置き去りにしたままにテティは走る。自身が持ち得なかった、間合いと威力を携えて。
まるでハルの持つナイフと同じように剣をテティは振るう。その度にハルは緊張に晒され、負担に体が蝕まれる。汗が滴り落ち、食いしばった口からは軋む音が溢れる。

「さっきまでの勢いはどうしたのかしら!? 余裕ぶった態度はどこに消えたの!?」
「くっ……!」

テティの嘲るような問いにも応える余裕はハルには無い。ただ体力だけが徒に削られていく。
ブーストはラスティングの強化版とも言える能力だ。筋力も、反応速度も、動体視力も急激に増加させる事ができる。事実、ハルもテティの剣の動きは余裕を持って捉えていた。が、欠点はその負担と、発動時間の短さだ。一方向に動くだけならテティを捉えるのは容易。しかしテティの剣戟を避けるそのためにもブーストを掛けなければならない。剣戟を避けてその後にテティへと向かっていくほどに発動状態を維持するのは難しい。
またハラリ、とハルの前髪が落ちる。ハルの動き出しのタイミングが遅れたためだ。動き続ける筋肉が軋み音を立て、限界を越えた働きを続ける視界がぶれ始める。

「逃げるだけじゃダメよ! もっと攻めてきなさいよ!」
「無茶を言ってくれる!」

回避運動を続けながらハルは搾り出すように叫ぶ。
ギリギリを通過していく剣先。かろうじてかわしたハルの頬に暖かいものがかかる。
それは血だった。自身のどこかが気が付かないうちに斬りつけられていたのかと思った。しかし、避ける度に飛んでくるそれの原因をハルはテティに見つけた。
剣を振るう両腕が真っ赤に染まっていた。それは擦り切れた傷からではなく、浮き出た血管が皮膚を突き破って血液を垂れ流していたから。
テティの顔を見る。大粒の汗が浮かび、押し隠しているが苦痛が表情の端々から読み取れる。真紅に染まった、釣り上がり気味の眦からは涙に混じって血が頬へと伝わり落ちていた。

「そして! 私を殺してみなさいっ!!!」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「だから俺は君をここから先へとは行かせない」

ガルトは静かに告げると、両手を大きく広げた。ただでさえ大きな体が更に大きく見え、アンジェを圧倒する。
アンジェは一歩後退った。悔し気に顔を歪め、指の無くなった左手を前に出してガルトの動きに備える。

(止められない……)

奇しくもそれはハルと同じ結論だった。だが止められないのならどうすればいいのだろうか。アンジェはその答えを出すことができない。無理矢理にでも止めるのか、それとも相手の好きなようにさせるのか。揺れる想いのままにアンジェはガルトの前に立っている。
ガルトは走った。地面に転がっていた剣を拾い、腰構えにアンジェに迫る。速さに衰えは見えない。
アンジェは腕全体でそれを受ける。金属音が響き、対峙が中断する前と同じような光景が再開される。
表情を変えぬままに重い連撃を次々に繰り出すガルト。対するアンジェは泣きそうな表情でそれを受け続ける。

「止めましょう……こんなの……」

口から零れるのは、そんなすでに意味を成さない言葉だけ。無論それでガルトが止まるはずもなく、剣戟は止まない。
幸いなのは、アンジェのブーストを警戒してか、深く力のこもった攻撃が来ない事か。手数こそ変わらないものの、アンジェとしても受けるだけなら問題は無い。

(時間を稼がれてる……)

この場合の互いの勝利条件、敗北条件は何か。ガルトはアンジェを倒す必要は無く、ハルとテティの戦闘が終了するまでアンジェを足止めすれば良い。要は、二人の戦いを邪魔されなければいいだけなのだから。対してアンジェは全ての戦闘行為を停止させたい。しかし、誰も死なせたくないしできるだけ傷つけたくない。ところがそのための説得はできず、次善の策も思いつかない。
ガルトにとって有意義な、そしてアンジェにとっては無情な時間が過ぎ去っていく。疲れからか、ガルトの動きが徐々に鈍くなり、一方のアンジェは手足がロバーと同じHI-MAGECEM金属で造られているためか疲労の度合いは弱い。
時折、アンジェの攻撃が有効打となってガルトに当たる。その度にガルトは仰け反り、膝を突きそうになるも心は決して折れない。痛みなど全てを超越してアンジェへと斬りかかっていく。
やがてガルトの剣閃と金属音が止む。アンジェはガルトの剣を右手で握り締める。

「どうして……そこまでガルトさんはテティちゃんのために戦うんですか……?」
「彼女を愛しているからだ」
「え……?」

意外な答えに、アンジェの握る力が緩む。その隙にガルトは剣を引き抜き、左下から剣を振り上げる。

「感情を持たない俺が唯一持つ感情。それが彼女への想いだ。それは決して無くならない。失わない。平坦な心の中で、彼女だけが俺に生きる喜びをくれた。そして俺はまだ彼女に何も返せていない。だから――」

堪え切れなかったアンジェの腕が力に押されて跳ね上がる。

「俺は彼女の心を守る」

決定的な隙だった。遮るものが何も無く、アンジェの体がむき出しになる。
しまった。アンジェは歯噛みするが、すでに遅い。ガルトは振り抜いた剣を振り下ろすべく、剣に力を込めた。
その時、爆発音が響いた。
二人はその音のした方向を振り向き、折れた剣が宙を舞っているのを目撃する。

「ハルッ!!」

アンジェは叫んだ。ハルは力なく地面に膝を突き、それでもなお腰からナイフを抜こうとしていた。
テティは根元から折れ、重量を失って軽くなった剣にバランスを崩してたたらを踏んでいた。だが力強く地面を踏みしめると、無くした間合いを埋めるために一歩ハルの方へと踏み込んだ。
アンジェもまたあらん限りの力で地面を蹴る。しかし、彼女よりも遙か前を彼は走っていた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




ズブリ、という感触をテティは感じていた。自身の持つ剣が肉を貫いていた。もう眼も見えないけれど、感覚だけは残っていて、自分は成し遂げたのだということに気づけたのが嬉しかった。
爆発音が響くと同時に手に持っていた大剣の重さが消えたから、剣が折れてしまった事は分かった。きっとハルの爆発ブロークン能力だろう。今までは使って来なかったけれど、そう言えば初めて会った時はそんな能力も使っていたなぁ、とテティは記憶の中のハルを思い出す。
手の中は軽くなったけれど、体は重くて軽い。今なら空さえ飛べそうな程に。なのに体は吸い寄せられるように下へと倒れていく。
その途中、ゴツゴツとした、けれども暖かい大きな体にぶつかって背中には慣れ親しんだ感触の手で抱き寄せられた。

「ガルト……?」
「ああ、そうだ」

やっぱり、とテティは微笑んでガルトを見上げた。真っ暗で何も見えないけれど、それでも最期くらいはガルトの顔を見ながらでありたかった。

「……私、やったよ。ついにやり遂げたんだよ。お父さんとお母さんの敵を討ったんだよ」
「ああ……よく頑張ったな」

ガルトは苦痛を抑えてテティを強く抱き締めてやった。見上げてくる、小さなテティをガルトもまた見つめ返してやる。

「ガルトも無事だったんだね、良かった……」
「ああ、俺も問題無い。万事、問題無く終わった」
「ホント?」
「本当だ。俺は嘘を吐かない」
「そっか……そうだよね。ガルトは嘘を吐けないもんね」

ガルトは頷く。ガルトは腰を下ろし、あぐらをかいて膝の上にテティを乗せる。
軽い背中が、安心したようにガルトへともたれかかった。

「何だか、疲れちゃった……」
「頑張ったからな。しばらく休めばいい」
「うん、そうする。ねえ、ガルト」
「何だ?」
「目的も果たしちゃったし、これからどうしよっか?」
「何も変わらない。これまで通り、二人で旅をすればいい」
「まだ……一緒にいてくれるの?」
「当たり前だ。これからも俺はテティの傍にいる」
「ふふっ、ありがとう、ガルト……ねえ、お願いしていい?」
「ああ、構わない」
「汗をかいたからかな……? 寒いんだ……だから、もっと抱き締めてよ」

眼を閉じたままのテティのお願いを、ガルトは大きく頷くと小さなテティを覆うようにして全身で抱き締めてやる。それで不安げだったテティの表情が和らぎ、テティはガルトの頬をそっと撫で、やがて膝の上へと落ちた。
ガルトはそれを見届けた。そして自身も眼を閉じた。苦痛を訴える事も無く、静かに眼をつむった。
腹と背中。突き刺さった二本の剣が、陽の落ちかかった地面に二本の十字架を描いて。





-epilogue-





ブルクセルの街外れに風が吹いた。まだ夏だというのに、木枯らしの様に冷たい風がマントを揺らす。
空は曇天。雨は今にも降り出しそう。冷えた空気の中で、ハルとアンジェは真新しい墓の前に立っていた。
テティ・アイナ。ガルト・バーク。二人の名が刻まれた墓碑に向かって言葉を発する事無く、ただ黙って立ち尽くす。弔ったはいいが、この二人に向かって何を語りかければ良いのか。それをしばし探していたが、ハルもアンジェもそれを見つけることができていない。

「そんなとこに突っ立てると、風邪引いちまうよ」

背後から掛けられた声に振り向くと、そこには食堂の彼女がいた。菊の花束を手に二人の間を通り抜けると墓前にそれを供え、胸の前に手を合わせた。一分ほどそうしていたが、やがて立ち上がると二人に向かって感謝の言葉を述べる。

「ありがとうね、二人を弔ってくれて」
「よしてくれ。アタシが二人を殺したんだ。礼を言われるなんてとんでもない事だ」
「いいんだよ。アンタは立派に役目を果たしてくれた。
 アンタ、本当はあの子の親を殺してなんかいないんだろう?」

彼女の言葉にアンジェは驚き、ハルの顔を見上げる。ハルは顔を曇らせると、女性から顔を逸した。

「……アタシが殺したようなもんだ。もう少し早く男を捕まえていれば、あの夫婦は助かったんだから」
「そんな事言ってたら、世の中殺人犯で溢れてるよ。悲しいけれど、あの子はそういう運命だったんだ。テティも、ガルトもね。そう思わなきゃやってられないよ」
「……テティちゃんにその事を教えてあげなかったんですか?」

唇を噛み締めてアンジェは女性に問うた。女性は首を小さく横に振った。

「確証が無いことだからね。何より、あの子本人が信じやしないさ。テティの、あの子の中ではハルが親を殺したということが真実で、例え本当の事を信じたところで晴らすことのできない恨みで潰れていたさ。どのみち、あの子は長くなかった。なら、最後まで嘘を吐き通してやりたいじゃないか」

もっとも、アンタたちにはとんでもない迷惑をかけちまったけどねぇ。そう言って女性は二人に謝罪した。

「これは少ないけど、迷惑料だよ。受け取っておくれ」
「コレって……店の権利書じゃないか。こんなもの受け取れない」
「いいんだ。どうせ店も近々閉めるつもりだったんだ。誰かに売っぱらうなり、自分らで店を開くなり好きにしておくれ。アタシはもう田舎の方に引っ込むよ」

そう告げた女性は、どこか以前よりも老けて見えた。声の質こそ前と変りないが、髪を見ればホンの数日前より白髪が増えた気がする。

「だとしても、だ。これからの生活費とかあるだろう」
「心配は要らないよ。これでも蓄えは十分にあるんだ。お金でカタが着くとは思っちゃないけど、こういった物騒な話との手切れ金代わりでもあるんだ。今後、アタシの事を誰にも話さないでおくれよ」
「どうしてだ?」
「アタシも、あの子と同じ組織の一員だからね」

驚きに眼を見張るハルとアンジェ。その表情に苦笑いを浮かべながら、彼女は墓地を後にした。

「こんなもの……どうしろっていうんだよ」
「ですよねぇ……」

ガシガシと頭をかきむしりながらハルは手元の書類を見る。すでに店の権利者名はハルの名前に書き換えられていて、どういうわけか自分の字とそっくりなサインまでされている。

「こんなものもらったって……嬉しくも何ともねぇよ……辛いだけじゃねぇか……」
「ハル……」

声が震える。これを持っている限り、ハルはテティとガルトの事を忘れない。忘れられないし、まざまざと思い出させられる。
これはきっとあの女性のささやかな意趣返しなのだろう、弟夫婦と姪を殺された事に対する。誰を恨めばいいか、あの女性も分からなかった。戦争という曖昧な存在だけでは足りず、ハルという具体性を持った存在にその矛先を見つけたから。

「全く……生きるって辛い事ばっかだよなぁ……」
「…………」

涙声でハルは空を見上げた。アンジェも無言で空を見上げる。
雨雲に混じった涙雲がどこまでも広がっていた。











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