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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved





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日が傾き始め、夕暮れに差し掛かろうとする頃、オルレアは高層ビルの中にいた。
アンジェたちがホテルから出ていき、一人残されてベッドから降りる事も無く時間を過ごしていた。漫然と時間だけが流れていき、部屋に備え付けのレトロな時計が一定のリズムを刻む。それに黙って耳を傾けるだけで何をする気にもなれない。
オルレアは時間を無駄に過ごすことが嫌いだ。無為に過ごす時間の価値を知らないわけでは無いが、それでも何かをしていなければ落ち着かない事が多い。何かをしなければならない。そんな想いに押されるように手を常に動かし、できることを探した。成長し、ギルトに所属する様になってからは休日を取ることも無く毎日勤務していたし、空いた時間には鍛錬を欠かさなかった。
アウトロバーは成長が遅い。能力をゼロからあるレベルまでに達することは、プログラムをダウンロードするだけなので容易いが、そこから熟達していくには恐らく人間以上の鍛錬が必要になる。生命である以上才能の差はロバーといえども存在するが、結局のところは鍛錬の時間が再重要になる。
そういった事をオルレアはきっとギルトの中で一番自覚していた。ギルトの戦闘要員の中で最も若く経験が足りない。そして最も弱い。だから日々の鍛錬を怠らなかった。いつか、ジャンやトリエラたちに追いつき追い越す。それが目標だった。経験の尊さを知っていたから、誰よりも動いた。
しかし今は体に力が入らない。動こうという気にもならない。横になった状態で見る両目のカメラは窓でもドアでも無く、遮光性のあるカーテンによって薄暗くなっている、少しくすんだ天井だけを写している。じっとしていると気分はますます沈み、それに引き摺られる様に動こうという気も深く奥底に沈んだままだ。
そんな自分に嫌気が差す。いつから自分はこんなにも悩むようになってしまったのか。人間が死んだだけなのに。あれだけ嫌いだったメンシェロウトを自分たちアウトロバーが殺した。胸が透く想いがあってもよさそうなものなのに。
そんな考えが浮かび、反吐が出そうなそれに自ら嫌悪する。また気分が沈む。ベッドに体がずっしりと沈み込んでいった。

(ダメだな……)

どこまでも沈み込んでいきそうな感覚。それを嫌って、何とか体を起こして服を着替える。思考を放棄して、何も考えずにオルレアはホテルを出た。人ごみの中を、時々ぶつかりながらアテも無く歩きまわり、気がつけばデパートへとやって来ていた。

(騒がしいな……)

多くの人で賑わう店内。あまりのうるささに顔をしかめるが、外に出るのも何となくためらわれてオルレアはぶらつき始めた。が、ふと自分の服を見た。
すっかり汚れてしまった服。あまり着る物に頓着しないが、周りを見て気後れしてしまう。かと言ってそこらのテナントの店先に置いてある、華美な服を買おうとは思えない。欲しいのはそれなりに清潔感があって動きやすいシャツ。それで十分だ。

(まあ、どこかにあるだろ)

果たして、オルレアはすぐに目的の店を見つけると今度はためらう事無く入っていった。昨晩の出来事でボロボロになったシャツを捨てて、襟のあるシャツを試着してそのまま購入する。ついでに、と同じようなシャツを数枚買い込むとショップを出てデパートの外郭部にある喫茶店へと足を向けた。

時刻は三時を過ぎ、店内は女性客を中心に賑わっていた。女性客同士のペアもいればカップルだろう男女の二人組もいて、誰もが楽しくおしゃべりに興じていた。
こういった極普通の喫茶店にもオルレアはほとんど来た試しがない。住んでいたのは田舎町で、一緒に来る様な相手もいない。カウンターに並んでから止めればよかった、と慣れない店内の空気に居心地の悪さを感じながらも、注文の順番が来たために適当にメニューの一番上にあるコーヒーみたいな飲み物を頼む。程なくそれが出来上がり、オルレアに渡されると逃げるようにして店の端の方へと向かった。
オルレアが陣取った席は窓際だった。デパートの十九階にあるそこからは、端にある向かいのビルが邪魔であるものの、少しは街の景色が見れて悪くない。空いていたのは一人がけの席であることと、すぐ横には歪な店内の形を表す壁があるからだろうか。座ってみるとすぐ横にある壁が圧迫感を覚えるが、今のオルレアには逆にそれが店と自分を遮ってくれているようで心地良かった。

席に座るとオルレアの口から意図せずしてため息がこぼれた。慣れない行動は思った以上に自身に疲労を強いていたらしく、自嘲の笑みが口元に浮かぶ。
ずいぶんと狭い世界で自分は生きていたのだ、と自覚せざるを得ない。ビシェというヘルゴーニの辺鄙な片田舎。そこが自分だけの世界だった。娯楽の少ない町で、娯楽とは縁のない生活を送っていた。小さい頃から自分の回りだけが全てで、外に眼を向けることが無かった。成長してからもギルトに勤め、代わり映えのしない生活を送る毎日。そこに不満は無かった。
オルレアはストローに口を付け、プラスチックの容器に入った、先ほど注文した飲み物を飲む。適当に注文したが、どうやらそれは失敗したらしく、ひどく苦い。一口だけ飲んで顔をしかめ、テーブルの上に戻す。そして外へと眼を向けた。
高層ビルが立ち並ぶその景色は狭い。けれども、隙間は必ずあってその奥には世界は続いていた。オルレアの席からはほとんど見えないが、それでもどこまでも広がっていた。
青々とした空に浮かぶ白い雲。景色の端には山が姿を現していて、すぐ足元に目線を移せば多くの人が地面を埋めている。
世界は広い。肘をテーブルに付き、手の甲に顎を乗せて外を眺めながらそんな当たり前の事をオルレアは思った。この街に来る途中、自分はアンジェにこのままではいけないと思っている、と伝えた。だが振り返ってみると、結局は思っているだけだったのだ、と感じざるを得ない。それと同時にこうした機会を与えてくれたアグニス部長に感謝を述べたくなった。
アンジェとハルと出会い、人間嫌いだった自分がメンシェロウトを助けた。これまで触れ合う事が無かった人間と接する事で、自分に根付く偏見も少しは和らげる事ができた。
しかしその反面として、その人間が死んでいく様を見てしまった。流れ出る血を見て、同じ生命なんだと今更ながらに当たり前の事実を実感してしまった。その生命が奪われてしまった。自分と同じアウトロバーの手によって。
一方的な攻撃だった。戦争とはそういうものなんだ、と理解はできる。が、オルレアに与えた衝撃は小さくはない。

(あれでは……まるで虐殺ではないか)

アンジェとハルといるせいでオルレアはあまり意識していなかったが、人間は脆く壊れやすい。人間側もロバーを倒すことはできるが、基本的な性能差には厳然とした差がある。
訓練していない人間の子供はどう頑張ってもロバーを殺すことはできない。だがロバーなら、それこそ一桁の年齢の少女であっても人間の大人を素手で殺すことは不可能ではない。ましてや、自分なら――
いつしかオルレアは自分の掌を見つめていた。人間と何ら変わりのない見た目の姿。なのに段違いに強い。そこに歪さをオルレアは感じる。

(お前は今後も他人事じゃなくなるだろうし)

ホテルでのハルの言葉が蘇る。ギルトは有事の際には治安維持軍としての機能も有している。そして戦況によっては相手国の土地で任に当たることもあり得る。
その時には自分が銃口を向けられ、また自分も向けるかもしれない。
ほんの数日前なら迷うこと無く人間を殺せただろう、とオルレアは思う。卑劣な弱者と蔑んで、相手の全てを否定して、嫌悪感に塗れて引き金を引き、剣を振るい、両腕で骨を砕き、それに疑問を抱かないだろう、と過去の自分を顧みてそう思った。だが今はどうなるか。直接身を守るためなら引き金を引く自信はある。しかし、それ以外の状況で、上役からの指示に従えるかの確信はどこにもない。

改めてオルレアは店内を見回した。誰もが楽しく語らい、笑顔を浮かべて今を楽しんでいる。
平和だ。きっと誰一人として昨夜の事を理解していないのだ、と苛立ちと共にオルレアは顔を歪める。所詮自分たちには関係のない、対岸の火事に過ぎないと何処かで思っているに違いない。
それが場違いな怒りだと、オルレアも分かっている。平和であることは祝福されるべきだし、一般の人ならば戦争なんて無関心で良いはずなのだ。関心がある程に身近にあってはいけない。
城壁に囲まれた街。それは箱庭であり、この街にとってはそれだけが全ての狭い世界。なのに誰も外の世界を知ろうともせず、現状で満足している。
その姿は少し前までのオルレアの姿であり、だからこそ彼女を苛立たせる。
オルレアはカップに取り付けられた蓋を外し、一気に中身を飲み干した。そして殻になった容器をグシャリと握りつぶして店を出て行った。



収まらない苛々を冷まそうと、オルレアはデパートの中をアテも無く歩いて回った。平日にも関わらずどのテナントも人が次々と入っては出ていき、それぞれの店も趣向を凝らして特徴的な趣を作り上げていた。
明るい店内にきらびやかな装飾。スピーカーからはいろんなジャンルの音楽が流れて、通路にいるとごちゃまぜになった結果、何が流れているのかさえ分からない。その中をオルレアは何処とも無く視線をさまよわせた。
のんびりと歩いていたが、やがて見覚えのある店が見えてきてフロアを一周したことを悟る。時刻は四時過ぎ。ハルは夜に飯を食うと言っていたから、まだ当分時間はある。
時間の潰し方を知らない自分を情けなく思いながらも、結局はまた同じフロアをグルグルと回り始めたオルレアだったが、ふとあるコートが目に入った。
それに吸い込まれる様に店内に入って周囲を見渡す。どうやら旅人をターゲットにした店らしく、旅に必要になりそうな物が雑多に棚に並べられていた。
だが、そうは言っても小奇麗な店内の品物には、どれも可愛らしい装飾やシンプルだがカッコいいと思わせるデザインの物が多く、中には邪魔ともいえる程に飾り付けられた物さえある。
そんな中でオルレアが目をつけたコートは明らかに場違いな雰囲気を出していた。
やや暗めのベージュ一色で染め上げられ、左右に幾つもポケットがあって細々とした物をたくさん入れられそう。触ってみると生地は丈夫で防寒性も高く、また熱い時でも見た目ほど熱はこもらない構造になっていた。
店内にはオルレア以外にも数人の客がいたが、誰も見向きもしない。派手な見た目の商品の方にばかり集まっている。

「いかがでしょうか?」

声の方にオルレアが顔を向けると、ニコニコとした女性の店員がオルレアの様子を伺っていた。

「そちらの商品は少々地味ですが、撥水性に優れてまして旅の途中の急な天候の変化の際にも十分に機能いたします。厚手の生地で作られておりますので防寒性も良く、また空気も良く通しますので夏場でも思ったほど熱くは感じないかと思います、ハイ。
ただお持ちになって頂きますと分かるのですが、かなりしっかりとした作りになっておりますので重くなってしまっているのが欠点ではありますが……」
「……なるほど、これは結構な重量みたいだな」

オルレアが実際に持ってみるとかなりの重さがあるようで、ずっしりと感じる。ロバーであれば問題ないだろうと思われ、試着してみると重くはあるが思った以上に動きやすく、あまり運動が制限される感覚は無い。

「ええ、十分な防弾性も持たせておりますので、もしお客様が本格的な旅をなさる予定であれば十分重宝すると思いますよ」

店員の話を聞いて、オルレアはあごに右手を添えて考える。
旅をしてみるのもいいかもしれない。そんな考えがオルレアの頭を過る。
今、自分の世界は広がっている。しかし、それでもまだ小さい。この数日で見た事聞いた事、それさえも整理できないほどに自分の経験は不足している。
これはチャンスかもしれない。
住み慣れた町から出て、見識が広がりかけている今こそ、いろんな物を見て回るべきなのだろうか。
そうすれば何か答えが出るかもしれない。
そうすれば何かを吹っ切れるかもしれない。
コートを着た姿が、正面の鏡に映る。決して長身では無い自分には余るコートの丈。それ以上にコートの持つ雰囲気と自分の姿がひどくアンバランスに見える。

「あまり似合ってないな」
「そんな事はありません。よくお似合いですよ」

店員のリップサービスが聞こえてくるが、どう見ても似合っているとは思えない。
でも、もしこの姿が似合っていると思えてきたら、自分は成長できているのだろうか。
コートを脱ぎ、値札を確認する。

「このまま着て帰るから、値札を外してくれないか」




何度も自身の姿を確認しながらオルレアは人ごみの中を歩いていた。買ったは良いが、季節に合っているとは考えづらい。年中穏やかな気候のこの地とはいえ、もうすぐ夏が来ようというのにコートとはいかに。
売っている店も店だが買う自分も自分だ。冷静になってみると何か間違っている気がしないでもなく、オルレアは心の中で小さくため息をついた。心無しか、周囲からもジロジロと見られている気がする。
だが笑顔が浮かぶのを上手く抑えられない。思えば欲しいと思って買う服はこれが初めてではないだろうか、とこれまでを振り返って気づく。ワクワクして、何とも言えない高揚感がある。なるほど、世間の女性が洋服にお金を掛けるのはこの気持ちが忘れられないからか、と一人でオルレアは合点した。
しかし、やはりまだ早いか、とオルレアはコートを脱ぐ事にした。ついでに少し腰を下ろそうとベンチを探し、そして窓際にそれを見つけた。
丁度いい、とそちらに向かって歩を進める。一面ガラス張りの窓からは街の様子が良く見え、よく磨かれて透き通った窓越しには向かいの建物の中まで見ることができた。
小さな女の子が窓の外を眺めていた。笑顔を浮かべて、何とか真下を見られないかと体を動かして四苦八苦していて、その様子が微笑ましい。知らず、オルレアはそれを眺め続け、顔には笑みが浮かんでいた。
隣に座っていた女性が女の子の頭を叩く。親だろうか。女の子はそれでも笑いながら窓の外を眺めて、そしてオルレアと、眼が合った。
女の子はニコリ、と向かいのビルのオルレアに笑いかけた。小さくだが手まで振ってくる。その行動に面食らったが、少し遅れてオルレアも手を振り返してあげる。それが嬉しかったのか、女の子は破顔した。その顔を見ていると、先程までの悩みがどうでもよくなってくる。思考の渦に取り込まれてしまった自分を思い出し、軽くため息をついた。

突如、ビルが爆発した。
向かいのビルが光ったかと思うと次の瞬間には炎を壁から吐き出す。女の子の姿は消えた。赤黒いそれがガラス窓を砕き、ビルの建材を巻き上げながら破片を四方へと撒き散らす。
一瞬でオルレアのいるビルの窓が細かく砕け散り、凶悪な弾丸となってオルレアを始めとする客たちに襲いかかった。
窓際にいた客が吹き飛ばされて倒れこみ、ガラスで怪我をした者は赤いオイルを滴らせて白い床を汚す。
世界が一変した。
楽しげな笑い声で満ちていた空間が今は悲鳴で溢れている。何が起こったのか理解できずにオロオロする女性。事故か、いや攻撃だ、テロだと無責任に叫び、周囲に混乱をもたらす男性。爆風に弾き飛ばされて動けない者を介抱する者。視線を少しだけずらすと、我先にと非常口へと群がる群集。尋常ではない雰囲気に子供が泣き叫ぶも、誰一人として注意を払わない。
そこへもう一度爆発。向かいのビルの別のフロアからも白煙が上がり、混乱に拍車が掛かる。

オルレアは身を守るよう咄嗟にガラスに背を向けて頭を縮こませていたが、破片の雨が収まったのを確認して自分の体をチェックする。
手の甲や頬に小さな切り傷はあるもののその他に異常は無し。コートの裾には細かな破片が突き刺さっているが、貫通している物はなく店員の言葉の正しさを実感した。

状況を確認すると、オルレアはすぐに動いた。
ギルト証を見せて身分を示して、客に煽られて混乱気味の店員を落ち着かせ、客を誘導するよう指示を出す。突然の出来事に驚きはあるものの、オルレア自身に焦りは見られない。落ち着くよう店員や客に言い聞かせ、同時に自分にも内心で言い聞かせる。非常時のマニュアルを記録の中から引っ張り出し、努めて冷静さを取り繕った。
店員に指示を出しながら屈強な男を引きずり込んで怪我人を運ばせる。女性や子供を優先させ、必要とあらば戦闘用ロバーとしての暴力も辞さない態度で秩序を維持する事に全力を尽くす。
そうした中で客たちも表情に不安の色を濃く残しながら、だが秩序を取り戻していった。非常階段は人でごった返してはいるものの、少しずつ外へと誘導されて行く。
厳しい表情でその様を見守っていたが、ある程度フロアにいる人影が少なくなったところでようやく肩の力を抜く。それと同時にドッと疲労が押し寄せるのを感じた。
どこかに腰を下ろしたい衝動に駆られるが、まだそれは早い。少なくともこのビルから全員避難してからだ。
気合を入れ直し、まだ残っている人間がいないかとオルレアが歩き始めたその時、再度爆発音が建物内に響いた。それと同時に足元が激しく揺れる。
落ち着きを取り戻していたはずの客が再び騒ぎ出し、外に眼を遣れば瓦礫が次々に上から落ちてきていた。

(今度はこっちか!)

遮るものの無くなった窓から慎重に顔を出してみれば、数フロア上から煙が上がり、細かな破片がパラパラと落下する。
悲鳴が上がる。見上げると頭上から何か塊が降ってきた。
それは人だった。断末魔の叫びを上げながら数十メートル下の地面に次々と落ちて行く。衝動的にオルレアはその光景から眼を逸らした。高性能なマイクが、遥か下で潰れる音が拾い上げる。
ほどなくして燃え続けていた向かいのビルが妙な音を立て始めた。オルレアが顔を上げた途端、待っていたかのように轟音を響かせ、崩れ落ちていった。
恐ろしい光景だった。目の前にあった、極当たり前に存在していた巨大な物が一瞬で崩れ落ちて行く。粉塵を巻き上げ、破片を撒き散らし、人を飲み込み、そして消え去っていった。
昨夜が蘇る。炎が空を穿つ光景。無力感に今も苛まれている自分。
今回はそれとは違う。全てを焼き尽くす炎は無い。しかしそれ以上の迫力と感情をオルレアにもたらす。
それは恐怖だった。恐らくは長い時間と金と人手を掛けて作られただろうビルが一瞬で崩壊する。たくさんの人が一瞬で死んでいった。命が散っていた。そこにロバーもメンシェロウトもノイマンも無い。無数にも思える誰かが目の前で死んでいた。目の前の光景がそれをリアルに想像させ、オルレアは自身が震えているのさえ中々気づけなかった。

またか。連日の無力感がオルレアを襲う。
轟音が絶え間なく叫びを上げ、それが巻き込まれた人の声にも聞こえる。音は鳴り止まず、舞い上がった煙とも粉塵ともつかない何かが立ち昇る。それが人のようにオルレアには思えた。
空が黒い。夜も近づいていたが、それ以上の闇が辺りを覆い尽くしていた。

まだだ。奥歯を強く噛みしめ、自身を叱咤する。
すでに跡地となった所に背を向け、意識を騒ぎ続ける階段の方へと戻してそちらへと走っていった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





人気の無くなったビルの中。一階と二階の間の天井裏に男はいた。
通気口からの光が差し込んで、微かに男の顔と手元を明らめる。浅黒い肌に彫りは深い。太めの眉に、長くはない髪がオールバックに上げられている。口元には小型のライトを加え、額には大粒の汗が反射していた。
ライトの光は男の手の中にあるコードを照らしており、いくつかの色分けされたそれが複雑に絡み合っている。
不意にビルが揺れる。それに従って男の手元も狂って思わず怒声を上げてしまう。

「クソッ!」

罵りは一度だけでは収まらず、小声ながらも呪詛のように繰り返し、心の中でも万に届けとばかりに同じ言葉で溢れかえっていた。そしてその言葉は、ここにはいない彼の仲間へと向けられている。
始めからツイていなかった。受け取った品物は、蓋を開けてみれば断線していてそのままでは使えず、已む無くこうしてこんな狭苦しい暗い場所で作業をするハメになってしまった。
加えて同じく実行犯のバカ野郎は予定よりも早く隣のビルを爆破してしまった。故意か事故かは知らないが、客がパニックになって騒ぎ出したおかげで物音が原因で自分の行動がばれる心配は消えた。代わりに消し去ってしまいたいアウトロバーたちは軒並み逃げ出してしまって、これだけで男の目標は八割方潰えてしまった。おまけに触発されたバカが自分がいるビルも早々に爆破させやがった。ビルは全体的にガタが来て、今にも崩れ落ちてしまいそう。なのに自分はまだこうして作業の真っ只中。
アイツらも爆発に巻き込まれて死んでしまっていればいいのに。男は憤怒に顔を歪ませながら吐き捨てる。

「……よし。
……ッ!クソッタレがっ!!」

コードの修復が終わり、付属されていたタイマーが動き出す。だがその表示を眼にした瞬間、男の眼は見開かれ、誰に向けられたのでもない罵声が口から飛び出す。
通気口の蓋を蹴り飛ばして床に飛び降り、そのまま全力で走り始める。本来の予定ならば入った時と同じルートで脱出するつもりだったが、それでは到底間に合わない。
計画通りならばもう一箇所に男は爆弾を設置する手はずになっていた。タイマーはその時間も含めて脱出に十分な時間が設定されているはずだが、表示されたのはそれよりも遥かに短い時間。設定ミスか、それとも作業している間にもタイマーだけは作動していたのかは分からないが、男にそれを考えるだけの余裕は無かった。

「まだ残っている奴がいたのか!
こっちだ!!」

逃げる男の姿を見つけたオルレアは大声で叫ぶ。その声に男も気づき、呼ばれる方へと逃げる方向を変えた。
男が通り過ぎて後を追う様にオルレアも走り始める。ここより上に人はおらず、静まり返ったフロアに男の足音とオルレアの脚が鳴らす金属音が響く。

「どうして今まで逃げなかった!?」

一歩遅れる形で走るオルレアが非難混じりに男に尋ねる。だが男は返事をせず、オルレアの方を一瞥だにせず足を動かし続ける。
階段のほとんどを飛び降り、一階からグラウンドフロアへ。階段部から売り場の方へ飛び出すと外の景色が見えた。

「もうすぐだ!」

足の回転が鈍ってきた男を励ますようにオルレアは声を掛ける。男はやはりうなずきさえもしなかった。
ガラスの扉を割らんばかりの勢いで二人は外へと飛び出す。それを待っていたかの様に、男の設置した爆弾が爆発する。
轟音ともいうべき音が鳴り、火炎が瞬く間にフロアを這いずり回る。意思を持って床や天井を破壊し、展示されていた華麗な商品の数々が飲み込まれ、全てをなぎ倒す。ビルを支えていた外骨格は衝撃で吹き飛ばされ、ねじ曲がる。

「危ないっ!」

吹き飛んだ破片が建物の外に弾き飛ばされて男へと落ちてくる。オルレアは男を引っ張り寄せてそれを避ける。男は一度オルレアの方を見上げた。だが口は堅く閉ざされたまま足を動かした。
ビルが不自然に傾く。ミシミシと嫌な音が、だが塞ぐにはあまりに大きすぎる音が逃げる二人の耳に入った。自分たちの背後で何が起きているのか、それを知りたいという欲求に抗えずオルレアは後ろを見上げた。
そこには迫り来る影があった。傾いていたビルは徐々に倒壊の速度を上げ、オルレアたちに向かって倒れ込んできていた。
オルレアは隣を走っていた男の肩をつかむ。そして男が振り返る間もなく体全体を抱え上げ、ロバーとしての力を使って全力で前方に向かって投げ飛ばした。
それと同時にビルが全身を地に投げ出した。彼女は迷うこと無くその身を前方へと投げ出す。
倒壊の余波に彼女は跳ね飛ばされ、七十キロを越す体が容易く宙を舞ってその上に崩れたビルの残骸が雨の様に降り注いだ。


どれだけの時間が経ったか。辺りは静まり返る。騒がしかったはずの声も今はない。砂ぼこりが舞い上がり、一面は灰色。遠くからはサイレンが鳴り響き、瓦礫の山が四方を囲む。

「う……」

オルレアはうめき声を上げながらもゆっくりと身を起こした。そのまま立ち上がろうとするが引っ掛かりを覚えて足を見てみると、ちょうどオルレアの体程度の瓦礫が乗っていた。
両腕に力を込め、少しだけ瓦礫が持ち上がる。その隙に挟まっていた足を抜き、ヨロヨロと立ち上がった。
オルレアは全身をチェックしてみるが、足以外に大きな損傷は無かった。付近には大小様々な瓦礫が散らばっていて、中にはロバーの肉体といえども到底耐えられないだろう破片も横たわっていた。挟まっていた左足はひしゃげていて、とても満足に動きそうになかったが、体が潰されなかったのは幸運と言えるのだろうか。
動かない左足を引きずりながら、オルレアは自分が投げ飛ばした男の方へ歩き始めた。
男は仰向けに倒れていて、頭に少々怪我をしているものの、命に別状は無さそう。意識はないが、男は何かを大事そうに抱え込んでいた。
それが何か気にかかったオルレアは失礼、と小さく呟いて男の腕をどかせて抱えていた物を確認した。
箱状の何か。悪いとは思いながらもオルレアはその中身に対して簡単な走査をした。

スキャンが終わり、しばらく立ち尽くしていたが遠くから救助の声が聞こえてくる。
横たわる男。刹那の時間、オルレアは男とその箱を見つめた。
やがてオルレアは男を抱え上げると、そのまま声のする方とは反対方向へと歩き去っていった。








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