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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved







-12-






ハルのバイクはようやくサリーヴへと入り、振動の少ない、舗装の整った道を走る。片側数車線に及ぶ道路にはバイクに乗用車、トラックやバスが溢れている。歩道でも人が窮屈そうに歩き、信号が変わる度におびただしい数が車道に押し出される。
街に眼を向ければ、綺麗に区画されたビルがそびえて人々を見下ろし、引っ切り無しに人を飲み込んでは吐き出す。襟のある、オフィシャルな服を着て忙しそうに歩く人も居ればラフにシャツで歩いている者、オシャレに幾重にも綺麗な服を着込んでいる者、作業着らしき汚れた格好で談笑している者など、様々な姿がそこにはある。中にはアンジェやハルみたいに、旅をしているらしく大きな荷物を抱えてマントを羽織っている姿も見受けられた。
際限なく音が三人の耳に入ってくる。それは騒音や怒号と言ったものでは無く、一つ一つは何でも無い普通の会話。それも数が揃えば騒音にも等しくなる。本来ならば旧時代の遺物とも言えるハルのバイクはかなりの騒音を立てているが、それすらも気にならないほど街は賑やかだった。

「はぁ……」

ぽかんと間抜けな顔をしてアンジェは空を見上げる。空は晴天のはずで、先程まではバイクに乗っていてちょうどいい日差しだったが、今は少し肌寒い。ビルが光を遮って濃い影をアンジェに落としていて、見上げた空は想像より狭かった。

「サリーヴに来るのは初めてか?」

アンジェの顔に苦笑いしながらもオルレアは話しかける。アンジェは曖昧な返事をして、そのまましばらく街を三六〇度見渡した。

「おっきい街なんですねぇ。びっくりしました」
「ああ。大きい街だとは聞いていたけど、まさかここまでとはな……」

信号が変わり、バイクを止めるとハルもアンジェに釣られるように近代的な街並みを、感嘆の声と共に眺める。ここしばらくハルもアンジェも田舎の小さな町や村を訪ねることが多く、多少大きな街でも戦争の傷跡が生々しく残っているところがほとんどだった。瓦礫の山にかろうじて残った、ひび割れだらけのビル群。燃えつきた民家。建てかけの、だが吹けば壊れそうなまでに不安定な仮住まい。無様にも剥がれた道路の舗装が絶えずバイク越しに揺れを伝える。それが二人だけでなく、世界の至る所で見える光景だった。
しかし今見ている景色は違う。真新しい建物が数多く、所狭しと立ち並び、空に向かって高く伸びるビルはまるでバベルの塔。全ての建造物には最新の発電用パネルが設置され、その能力を最大限に発揮して、郊外に集中して建てられた住宅や工場に電力を供給している。
シグナルが赤から青へと変わり、止まっていた車たちが動き出す。後ろの車に急かされる様にしてハルもバイクを発進させた。

「ここはこの国の首都だからな」

やや冷たい風が三人の頬をなで、髪をなびかせる。

「国全体が荒廃していたが、再建の要、という事で金と資材をこの街に集中させたのさ。再建するにも金が掛かるから、という理由で政治・経済・司法の全機能をここに集めた。一箇所再生させればそこに金も人も集まるからな。基盤となる場所が生まれれば他の場所も再生しやすいし意思決定も迅速になる」
「しかし、それだと危険じゃないか? ここをやられれば国としての機能をやられるって事だろ?」

オルレアの説明にハルが危険性を口にする。オルレアは勿論それも国は考えてる、と説明を続けた。

「入ってくる時に見ただろう?街をグルッと取り囲む城壁みたいな壁と審査を」

言われてアンジェは街に入る時の事を思い出した。
街に近づくにつれて巨大な壁が視界の大部分を占めていった。遥か遠くからでもその姿が見えていたが、近くに来るとその異様さが眼につき始める。左右に顔を振れば、硬質な壁は切れ間なく、果てしなく続く。特別な高さは無いものの、数メートルの高さからは監視カメラと思しきものが近寄るものに警戒を払っている。
街へは限られた入口からしか入ることしか出来ず、その入口でさえもギルツェントの人員が重装備で常に入ってくる者を無遠慮に監視していた。その視線はアンジェたちも例外では無く、冷たいそれにアンジェは思わず身を縮ませていた。同じロバーであるオルレアも散々質問と身分照会を受け、アグニスからの連絡が確認出来たところでようやく門を通されていた。

「あれでも早いものだ。予め部長から連絡が入ってたからな」
「もしかして街から出る時もあんな感じ何ですか?」

出る時の事に思い至ったのか、ハルはうげっ、と思わずうめいた。

「マジでか? 勘弁して欲しいな……」
「残念ながらそうはいかないだろうな。元々街に住んでいる者は身元がはっきりしているから比較的スムーズに出られるが、私たちみたいな者はまず無理だろう」

返ってきたオルレアの返事にハルは当然、アンジェもげんなりした様子でハルの背中に突っ伏した。
予想通りの二人の反応に再度オルレアは苦笑いし、二人から視線を街の外の方へと向けた。
立ち並ぶビルの合間にも建設用のクレーンがそこかしこに見える。半年ほど前にこの街を訪れた時よりもビルの数は更に増えている。
オルレアは故障せずに済んだ両目のカメラの倍率を上げ、街を取り囲む壁の上を見た。監視カメラの間にもロバーが立っていて、忙しなく首を動かしている。視界を動かし、別のビルの切れ間に眼を遣れば、砲身だけで数メートルはある巨大なライフルが備え付けられていた。その風貌は近づくもの全てを威圧する。
次に倍率を元に戻し、近くの街並みを眺めた。笑う者、急ぐ者、下を向いて歩く者。表情は様々だが、様子は平和そのもの。

しかし。オルレアは思った。
この街は、この国は何処に向かうのだろうか。そして自分はどうすべきなのだろうか。
街は活気に溢れ、この時勢に珍しいほどの発展を遂げ、何不自由の無い生活を皆送っている。だが一度外に出れば荒野が広がり、人影は無く、盗賊や山賊が幅を利かせる世界。
押し寄せる全てを拒絶し、国に望まれた一部の者だけが楽園を享受する。対話も拒み、自らが作り上げた真実のみを教え、そして民もそれを自分の様に鵜呑みにして生きていく。疑うことを知らず、疑えども本当の真実を確かめる術も持たない。術を探そうともしない。
このままでいいのか、という疑念がオルレアの中でくすぶる。このままではいけない、とアンジェに伝えた想いと、このままでいい、とこれまで通りの生き方への願いがすれ違い、時にぶつかる。
自分たちが人間を憎むように人間も自分たちを憎んでいるのだろう。
人間とアウトロバー。
隣に居るアンジェとハルを見る。
姿は同じなのに、歩み寄れない。歩み寄らなければならない。なぜだかオルレアはそんな、強迫観念にも似た衝動に駆られた。初めて人間に接したからだろうか。今まで人間を理解しようなんて気は無かったのに、二人を見ているとそうすべきだと思ってしまう。自分にこんなにも影響を与える人間ではなさそうなのに。
二人の人柄に短いながらも触れた。初めて人間に触れ、人間に対する小さな印象の変化をオルレアは自覚していた。少なくとも教えられた様な人間ではない。だからだろうか?もしくは自分もずっと疑問に思っていたのかもしれない。長く聞かされてきた人間についての真偽に、憎しみしか抱かない周囲に、知ろうともしないお互いに。それがアンジェやハルと話して表面上に噴き出してきているのか。
だが、まだ歩み寄れない。自己に根付いた、作られたかもしれない真実を、まだ払拭出来ずにオルレアはいた。

「おい、そろそろ曲がるんじゃなかったか?」

ハルの声にオルレアは我に返る。気づけば、高層ビル群は後ろに流れ、比較的小さな建物が立ち並ぶ地域に差し掛かっていた。
慌ててオルレアは自分のメモリに保存されたデータを引っ張り出す。

「あ、ああ。二つ先の交差点を右に曲がってくれ。その三ブロック進んだところで左折だ」
「OK」

オルレアの指示に従ってハルはハンドルを右に切る。道路が細くなり、歩道を歩く人も目に見えて少なくなる。ビルが後ろから右へと移り、そして近くの建物に隠れて見えなくなった。
オルレアは自身の左手を太陽にかざす。影が顔に落ち、掌の中に陽は収まる。
二人と一緒に居れば、いつか自分だけは変わっていけるのだろうか。
バイクが左に折れ、太陽は建物に隠れる。冷たい手だけがオルレアに残された。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



ハルのバイクが少しだけ傾き、角を曲がる。。いつもと変わらぬエンジン音を響かせ、クラッチを切って一度エンジン音が小さくなる。曲がりきったところでクラッチを繋いでアクセルを開き、ドッドッドとまた街に低音がこだまする。

「次は右だ」
「またか? ずいぶんと入り組んだ所にあるんだな」

もう何度オルレアの指示に従って角を曲がったか。ハルはハンドルを切り、ずっと続く細い道を走らせる。
建物は小さなものが所狭しと並び、華やかな都心部と比べるのもおこがましいほどに区画全体が暗い雰囲気を出していた。むしろここいらの方が街としては普通だろうか、とハルはすでに通り過ぎた区域を思い出しながら眺める。
アンジェはゴーグルの奥から大きな瞳を忙しそうにキョロキョロさせていた。

「こういう街は見たこと無いのか?」
「いや? そういうわけでも無いですよ?」
「じゃあなんでそんなにキョロキョロしてるんだよ」
「暇だからです」

ああそうかい、とハルはアンジェとの会話を打ち切った。そしてまた運転に集中し始めて、アンジェもまた暇、という割には熱心に街を見る。
バイクに乗っている時はだいたい二人の会話はこんなものだが、隣で聞いていたオルレアは何だろうな、と首を捻る。

「んで次はどっちだ?」
「ん? ああ、また右に曲がってすぐに左だ」

あいよ、と突き当たりを言われた通りに曲がる。

「ここら辺は古い区画らしくてな。とりあえず住むところを、と家を建て続けたらしい」
「なるほどね。それでこんなにゴチャゴチャしてんのか」
「戦争中の話だからな。余裕が無かったんだろう。
その角を左に曲がってくれ。そこが目的地だ」
「ようやくご到着、か」

最後の角を曲がり、バイクが止まる。エンジン音が鳴り止み、やれやれ、とハルはゴーグルを外してコキコキと首を鳴らした。

「ずいぶんと小さいんですね。もっとおっきい建物を想像してました」

そう言いながらアンジェは建物を見上げた。見上げた、とは言っても目の前の工場はかなり小さい。二階建てで、横幅があるかと言えばそうでもない。少し首を横に振ればすぐに端が眼に入る程度。だいたい二十メートルだろうか。建物の壁はひどく汚れていて、元々は白い壁だったのだろう、うっすらとだけ地肌をのぞかせている。
続いてアンジェは正面の入口に眼を遣った。
風通しの為か一階部分の高さ一杯まである大きなドアは開け放たれ、反対側のドアから風とともに光が暗い室内に取り込まれている。二階に視線を移せば小さな窓が二つだけあり、窓越しにタンスの後ろ姿が少しだけ顔をのぞかせていた。二階は住居だろうか。

並んで建物を観察する二人を置いて、オルレアは地図情報と外観記録を照らし合わせると入り口へと足を進めた。
中に入ると外から見た以上に暗い。光が当たる部分だけは見えるが、それがかえって暗さを際立たせて部屋の隅では視界は良くない。
オルレアは片目だけ感度を調整して部屋を見渡した。人影は無く、隅にはラックがいくつか備え付けられていて、工具箱や工具が裸のままで乱雑に置かれている。ネジやボルト、座金が集められた箱は油で汚れていて、だがきちんとサイズ毎に整理されている。


「誰か居ないのか?」

奥に向かってハルが声を掛ける。が、返事は無い。
工場らしき所から簡易キッチンのある奥へとアンジェは入っていく。しかしそこにも人影は無くて、アンジェもまた声を張り上げた。

「誰か居ませんか〜?」

アンジェの高い声が響き、そしてまた静寂が戻ってくるだけで、ハルは頭を掻いた。

「参ったな、留守か」
「でも留守だったらドアとか全部締め切って行きますよね?」

だよなあ、とハルが同意したその時、突如として工場にバン、と大きな音が響いた。
慌てて三人が音の方に振り返ると、床の一部が跳ね上がってそこから銀色の頭が姿を現していた。

「……誰だテメエらは?」

低い声と一緒に頭が上に昇っていき、地下へと伸びる階段を踏み鳴らしながら全身があらわになる。
男は灰色がかった髪をしていた。細く鋭い眼に二メートル近くある巨大な身体で三人を見下ろしている。濃いグレーのシャツからはアンジェのウエストほどはありそうな太い腕が出ていて、シャツの上からでも立派なガタイである事が分かる。鷲鼻の下には鼻ひげが蓄えられて、目元や口元にあるシワがそれなりの年齢を演出する。
男はただ立っているだけだが、全体的に角張った印象を与えるその体から発せられる威圧感は相当なもので、ハルとオルレアは思わず戦闘態勢に入ってしまう。
だが男はそれが眼に入っていないかのように首だけを動かして三人の顔を確認し、再度問いかける。

「もう一度聞く。テメーらは誰だ?」
「あ、えっと、アンジェ・エストラーナって言います。私たちここで修理してもらいたいものがありまして、えっと、あの……
オルレア、誰さんでしたっけ?」
「確か、ブラウン・シュバイクォーグ氏だ」
「そうですそうです。あの、シュバイクォーグさんですか?」

ワタワタしながらアンジェが尋ね、オルレアが緊張したまま目的の主の名前を口にする。すると男は無言で三人に背を向けるとしゃがみこみ、床下に向かって呼びかけた。

「親方、お客さんです」

アンタじゃ無かったのか、と三人が三人とも心の中でツッコミを入れた。
誰一人として口に出してはいないのだが、男は聞こえていたかの様なタイミングで振り返り、

「慣れている」

とだけ渋い声で答えて再び地下へと降りていった。

「……で、今のは誰なんだ?」
「さあ……?」
「俺の弟子だ」

先程の男に負ケズ劣らずの渋い声がハルの疑問に応える。今度現れた男も、三人の中で一番大きいハルよりも頭半分ほど長身で、ロマンスグレーに大分白髪の混じった髪を短く刈り込んでいる。弟子の男性よりもいささか細身で、顔の至るところに刻まれたシワの深さからかなり年上と思われるが、どちらかと言えば弟子の方が親方に見えなくもない。あまり陽に当たらないのか、やや病的な肌の白さをしていた。

「バーチェスってぇのはどいつだ?」
「私です。初めまして」

オルレアが名乗り出て手を差し出す。軽く握手をして、次いで他の二人とも簡単に挨拶を済ませる。

「アグニスの奴から話は聞いてる。アンタら二人の事もな」
「ならコイツの武器もお願いしたいのですが?」

ハルを親指で指しながらオルレアはブラウンに尋ねる。ブラウンは一度目線だけをハルへと動かし、そして近くにあった丸椅子を引き寄せて座る。

「構わん。それよりもまずはお前だ。そこに座れ」

そいつを持って来な、とブラウンがオルレアの後ろの壁に立てかけられている椅子を指し、アンジェが小走りで取りに行ってオルレアに渡す。言われるがままに座り、ブラウンの要求に従ってズボンの裾をめくり上げる。
ズボンの下からオルレアの白くて細い足が現れる。普段は綺麗な肌をしているのだろうが、先の戦闘の傷跡が残っていて痛々しい。
フィンを広げろ、と言われてオルレアがバーニア用のフィンを展開する。ふくらはぎに当たる箇所で皮膚が裂け、数枚のフィンが広がるが不具合のせいで完全に広がりきれない。

「おい」
「へい」

ブラウンが手を横に差し出すと、阿吽の呼吸でいつの間にか階下から上がってきていた弟子の男がバイザーの様な物を手渡す。それを装着し、ハンマー片手にオルレアの足に触れていく。
右足を診終えると次は左足へ。オルレアはすでに両足の感覚を遮断しているが、何処かむず痒く感じる。だがブラウンは黙って真剣な様子で足を見つめているので文句も言えない。
アンジェもハルもオルレアの後ろで、邪魔をしないように静かに眺めていたが特に面白いものが見れるわけでも無い。退屈そうにアンジェは視線をさまよわせ、頻繁に姿勢を変える。ハルに至ってはポケットからタバコを取り出してふかしているが、ブラウンも弟子も特に咎めることも無い。
ブラウンは集中して足に注意を払い、時々ハンマーで軽くオルレアの足を叩いていたが、やがてバイザーを外すと弟子の方を振り返った。

「八番を持って来い。後、工具も」

了解、と短く返事をすると男は階下へと消える。そしてすぐに右手にロバーの足と思われる物を、左手には工具箱といくつかの工具を裸のまま抱えて戻ってきた。
必要となる物をブラウンに手渡し、他の物は床に丁寧に置く。

「外すぞ」

それだけ言うと、返事も待たずにブラウンは工具をオルレアの足に突き立てた。
膝関節の隙間に小型のバールを突き刺し、人間と区別がつかない程に精巧に出来た表皮を剥がす。膝の部分をまるっと剥がし終えると電動のボックスドライバーを使って比較的大きなボルトを外していった。外側のカバーを取り、極細のパイプがいくつも通る関節部内が顕になる。弟子の男がライトでそこを照らし、その中に精密ドライバーが入っていく。
そこからの動きに皆、言葉を失った。極細のドライバーの先端が極小のビスの頭に寸分違わず吸い込まれる。それと同時にピンセットが外れたパーツをつかみ、外へと出す。そして人工筋肉を丁寧に剥がし、パイプ内を流れる液体が溢れぬよう栓をしていく。
時に右手にドライバーを、時に右手にピンセットを。巧みに工具を取り替えつつ手は止まらない。

口を半分開けたままオルレアは自分の足を見ていた。彼女自身、簡単なメンテナンスを自分で行うことがある。構造は全て把握され、どのようにすれば良いか、その手順も記録されていて、ロバーである事の利点を生かした、精密な、それこそ寸分の狂いも無く作業をすることが出来る。
だがこれは次元が違うと思わざるを得なかった。このスピード、正確さ。ブラウンの様な仕事を生業にしているものを知っているが、それと比べても、いや、比べることさえ烏滸がましい。ロバーでこういった職業を生業としている者でさえここまでの作業ができるだろうか。
その感情をまた、アンジェとハルも抱いていた。彼女たち自身は他の者が作業している様子を見たことは無いが、ブラウンの動きを見て尊敬の念を抱かずにはいられない。
どれだけこれまでにこうした作業を繰り返してきたのか。何十では足りない。何百でも足りないだろうか。神業、と呼ぶのが相応しい。
いつの間にかオルレアの右足は外されて、代わりの足が取り付けられる。先程の作業とは逆の順に作業が行われていく。いくつかの筋肉繊維の束をつなぎ合わせ、パイプを接続し、ビスを差し込む。外したカバーを取り付け、ボルトで固定する。気がつけば、見た目には元通りの足がそこには有った。
息を着く暇も無くブラウンは左足に手を掛ける。ただひたすらに眼と腕は足にだけ注がれていた。無表情で、瞬きをしているのかすら怪しい。しかし鬼気迫るものでは無く、ブラウンにとっては淡々と、数ある作業のうちの一つでしか無いのかもしれない。
数分の後にガチャリ、と金属が音を立てる。剥がされた皮膚と皮膚の境をテープで固定し、ブラウンはオルレアの新しい両足を自身の膝の上に置いて左右の長さをチェックした。

「終わったぞ」

脇に転がった工具と、取り外されたオルレアの足を弟子に渡してタバコに火を点ける。
もう終わったのか、とマジマジとオルレアは自分の新しい足を見て触る。

「ちょっと歩いてみて、感触を確かめてくれ。いらん遠慮はするなよ」
「ふむ……いや、悪くないみたいです。だが重さが気になるな」
「スペアの義足だからな。サイズもある程度調整できる仕様になっている。アウトロバーの足みたいにはいかん」

立ち上がってオルレアは室内を歩き回る。その度にガシャガシャと音を立て、大昔の鎧をハルは思い浮かべた。

「接続部に違和感は残りますが、感覚的なものなのでその内取れると思います。
どれくらいかかりますか?」

「……費用の事を言ってるなら気にしなくて良い。アグニスから労災として直接俺が受け取るからな。
時間なら、普通ならば五日、と言いたいところだが三日で修理してやる」
「三日ですか……」
「申し訳ねえが、こっちも他に仕事を抱えてるんでな」
「あっ、いえ、そんなつもりでは……」

単なる呟きのつもりだったが、ブラウンに不満としてとられ、慌ててオルレアは否定する。だがブラウンは端から気にしてなかったのか、表情を変えること無くタバコをもみ消した。

「それより他に壊れてる所は無いだろうな?」
「はい。外傷的な分は、足以外は自己治癒で何とかなりそうです」
「なら先に内蔵機器の方を修理してしまえ。んで三日後に来な」

ブラウンのその言葉にオルレアは了承の意を伝え、一歩下がってハルを前に出す。

「メンテナンスは自分でしているんだけど、所詮素人だからな。念のため診て欲しいんだが」
「見せてみろ」

ブラウンに促されてハルは懐から一丁の銃を取り出して手渡す。通常使っている比較的小口径の物で、長く使い込まれているのか銃身のあちこちに細かい傷があった。

「出来れば、でいいんだけど、表面の細かい傷も直して欲しい」
「やっておく。フレームの交換になっても問題ないな?」
「大丈夫だけど、出来るだけフレームは残しておいて欲しいな。もし交換になったら銃と一緒に返してくれないか?」

愛着があるもんで、と頬をポリポリ掻くハルにブラウンは頷いて応える。そして手に持っていたハルの銃をケースに入れて後ろに控えていた男に渡し、だが視線はまだハルに注がれたままだった。ハルもその視線には気づいていたが、ハル自身もまだ迷っていた。
もう一丁の銃は法に反して所持している物で、おいそれと人に渡せる物ではない。常人なら扱えるはずも無い大口径。まして見た目だけで判断するなら、女性であるハルが持っているとはそうそう予想もつかないはず。出来れば無闇に人前にも晒したくは無い。
しかしこの銃で人に向かって発砲するつもりもハルには無い。人間ならいざ知らず、ロバーに対しても凶悪な破壊力を持つがゆえに危険な物。自身の危機が迫っている時にまで躊躇はしないが、可能な限り牽制のみに使いたかった。それを考えると、この街に来る途中で考えたように、アンジェみたいに非貫通弾用に改造するのも魅力的に思える。貫通力よりも打撃力を。無論使い道は注意しなければならないが、それでもこれまでよりも使いどころは増える。
思考を巡らし躊躇するが、やがてハルはもう一つの銃もブラウンに手渡した。

「コイツを改造してもらいたい。実弾じゃなくてゴム弾みたいなものを使えるようにして欲しい」
「いいのか?」
「構わないさ。元々人に向かって撃つつもりはなかったからな。
それと、専用の弾が欲しい。もしくは作れる道具か何か売ってくれないか?」
「構わんが、そっちはアグニスからもらったのとは別料金になるぞ」
「幾らだ?」
「弾なら一発十二ジル、道具一式なら材料も付けて五千ジルだ」
「それなら買いだ」

即決するとハルは懐から財布を取り出して、そこから札の束を取り出した。何の気負いも無く大金を取り出したハルに、アンジェは眼を丸くした。

「ホントにお金いっぱい持ってたんですね」
「まあな。払いの良い仕事をしてたんだが中々使う機会が無くてな。普段の生活はギルトの稼ぎだけでしてるけど、こういった出費は貯金から出してるんだ」
「なら安心しました。これで何の気兼ねもなくご飯いっぱい食べられます」

今まで遠慮した事ないだろ、と突っ込みつつ、ハルは手にした札をブラウンに差し出した。

「七五〇〇ジルあるはずだ。それで道具と弾を百発頼む」
「数日掛かるが大丈夫だな?」
「ああ。その間、代わりの銃を貸してもらえないか? この街のことだし、大丈夫だとは思うが念のために」

ブラウンは頷いて奥の部屋へと引込み、手にした札束を特に数えることなく金庫に放り込む。札の代わりにケースから銃を取り出して、釣りと一緒に渡した。

「俺が昔使っていたヤツだ。しばらく使ってないが、メンテだけはしてある。不安なら裏で試し撃ちしてもいいぞ」
「そうさせてもらうよ」

銃の感触を確かめ、何度か抜き撃ちの動作を繰り返す。ブラウンの言葉通り少し古いタイプの物だったが感触は悪くない。構えた時に違和感も特に感じることは無く、何度か試せばすぐに手に馴染みそうだった。
マガジンを取り出して残弾を確認する。フルに装填されていて、他も特に問題は無さそうだった。

「お前の方はいいのか?」

ハルは視線を銃からブラウンの声の方へ動かす。その声はまだ何もしてもらっていないアンジェに向けられていて、当人は慌てて首を横に振る。特に慌てる必要も無いだろう、と思わないでも無いが、相変わらずだとハルは思った。

「そうか……」

それだけをブラウンは発したが、その眼はアンジェの腕を離れない。
チラ、と横目でブラウンはハルとオルレアの顔を見る。オルレアは疑問符を浮かべてブラウンを見返す。一方ハルは視線に気づいていたが敢えて気づかない振りをした。
部屋を巡って視線はまたアンジェへと戻ってくる。不躾とも思えるそれに、アンジェは見透かされた様な気がして小さく体を震わせる。

「ふん……」

だがブラウンはそれ以上何も言わなかった。三人に背を向けて床に散らばった工具の類を拾い上げて一箇所にまとめる。ズボンのポケットからウエスを取り出し、使った工具を拭き始めた。
特に何も無いと判断してオルレアがこの場を辞そうと二人を促し、工場から出て行く。来た時と同じようにサイドカーにオルレアが乗り、バイクの方にアンジェたちがまたがったところで低い声が聞こえた。

「気が向いたら来な。整備くらいはサービスしてやる」







-13-






ザワザワとした騒音にも似た呟きが街を彩る。時刻も昼を回り、朝から人で溢れていた街では更に賑わしさを増している。大通りには変わらず大勢の人が歩き回り、店は人を飲み込んでは吐き出し、それぞれが思い思いの午後を楽しんでいた。
だが一つ道を曲がって奥へ入れば、また違った趣を醸し出す。人通りが減り、落ち着いた雰囲気になる。道の両脇には小さなカフェが増え、テラスに広げられたテーブルに座って人々は穏やかな陽を浴びながらゆったりとした時間を過ごしていた。
その中の店の一つにアンジェとハルの姿があった。そこにオルレアの姿は無い。彼女は今、病院で治療を受けている。しばらく時間が掛かるとのことで、二人はやや遅い昼食をとり終えたところだった。

「ん〜良いですねぇ。こーいうまったりとした空気……」

食事をとる前と後で明らかに形の変わった腹を叩きながらアンジェはとろける。太陽の光がテラスを覆う屋根を透き通り、ほんのりとした温もりを与える。手にはカフェラテの入ったカップ。それを口に運んでほんの少し含むと、再びだらしなく背を椅子に預け、ほえ〜と気の抜けた声を出した。

「ここんところ殺伐とした事が続いてたからな。たまには良いもんだ」

椅子に深く腰掛け、アンジェと比べるとピシッとした様子でハルも同意する。カプチーノで喉を湿らせて午後の一時を満喫する。彼女の様子もいつもの食後と変わりないが、さり気なくズボンのベルトを緩めていた。
二人に取ってはいつも通りだが、オルレアが居たらドン引きするであろう量を二人は食べていた。食べている景色を眺めているだけで満腹を通り越して気持ちが悪くなるほどに。その意味ではオルレアが居ない時にランチをとったのは正解かもしれない。代わりに回りの客たちがドン引きして店を後にしていたが、二人は気づいていない。気づいていても気にしないが。

「オルレアはいつくらいに終わるって言ってましたっけ?」
「確か二、三時間は掛かるって言ってたから……後一時間は掛かるだろ」


腕時計で時間を確認しながらアンジェに応える。オルレアを病院に送ってそれなりに時間が経ったとは思っていたが、ハルが思っていた以上に経っていた。一時間半ほど前に別れて適度にぶらついてこのレストランに入り、二人にとってはそこそこの量を胃に入れただけだが、どうもこの陽気に時間感覚が狂っているらしい。
う〜ん、とハルは唸る。店を出てまたぶらついてもいいが、どうにも時間が中途半端だった。またハル自身歩いて時間を潰すというのが苦手で、気も進まない。普段物を買う時も予め店の場所を調べておいて、目的の物だけを買う性質であり、余計な物には目もくれない。欲しいものが無いわけでは無いが、初めて来たこの街だと店を探すだけで徒労に終わりそうで、とても動く気にならない。
どうしたものか、と考えるが妙案が出るはずも無く、話をアンジェにふる。


「お前はどうする?」
「私はどうでもいいですよ〜。このまんまここに居てのんびりしても良いですし〜」

体勢を変え、今度はテーブルにグデ〜と体を預けてヒラヒラ手を振る。どうやらアンジェも動く気が無いらしく、ならいいか、とこのまま時間を潰す事をハルは決めた。可愛いアンジェを愛でられるし。

「下手に動きまわるよりここにいた方がオルレアも見つけやすいだろ」

こういう時はアウトロバーは便利だと、つくづくハルは思う。ここみたいな大都市だと情報インフラも整備されているだろうし、GPSのような互いの位置を示す機能もロバーなら自由に使える。
人間でもアクセス出来る装備を持っていればアクセスできるが、そういった物は高価で、更にアクセスするだけでも高い使用料金を支払わなければならない。一箇所に定住しているならそれでも良いが、この街の様に復興している所は少なく、アンジェやハルみたいな旅人には使用できるかどうか分からない物を持って動くのは単なる荷物でしか無い。
そこまで考えてハルは考えるのを辞めた。便利だとは思うが、必要だとは思わないし特段欲しいとも思わない。なら考えるだけ無駄だ。

「そう言えば……」

アンジェがのんびりとした口調で話しかける。体勢は変わらずテーブルに突っ伏して、器用にカフェラテを飲んでいる。

「アウトロバーの病院ってあんな風なんですねぇ。もうちょっと、工場みたいな所を想像してました」
「ベルトの上に患者が乗って流れ作業で治療がされてるってか?」
「そこまでは言いませんけど、部品作ってるトコみたいに油の匂いがプンプンするって言いますか……」
「まあ機械だしな。そんなイメージがするって言えばするが」

とは言うものの、ハルもロバー専用の病院に行った経験は無い。特殊なケースは知っているが、そこは人間用と特に目立って変わった場所は無く、強いて挙げればゴツゴツした工具が多かった程度だろうか。
体を起こしてアンジェは冷めたカフェラテを飲み干すと、店の中に向かって声を張り上げた。呼ばれて出てきた店員に今度はコーヒーを頼む。

「ハルはどうします?」
「なら、カラメルマキアートを頼む」


かしこまりました、と告げて店員の女性は奥へと戻り、程なくして二人の元に注文の物が置かれる。

「ごゆっくりどうぞ」

心無しかその声が冷たいような気がしたが、二人とも気づいた風はなく、一口だけそれぞれの物を飲む。

「なのに私たちが行く病院と何も変わらなかったと思うんですけど」

アンジェは病院の事を思い出す。
オルレアに付き従って病院の中に入ると、まず白さが眼についた。ドアも、床も壁も天井も一面真っ白。ほんの少しの汚れも見当たらず、ホコリ一つ無い。入って正面に受付らしき窓口があり、その正面にあるグレーのシートがアクセントになっている。
異常なまでの白さ。まるで映像でしか残っていない大昔の病院みたいだな、とハルは呟いた。
ここでもまた同じようにアンジェは珍しそうに視線を右へ左へと忙しく動かし、もう慣れたのかオルレアも何も言わずにまっすぐに受付に向かった。
その間に二人はソファに座って待つ。周囲を見渡すと、患者の姿は殆どない。会計の所に一人居て、機械に向かって何かを差し出している。
受付にアンジェが顔を戻すと、受付のロバーがオルレアに向かって機械をかざしていた。それをオルレアはじっと見つめ、やがて女性が手を下ろすとオルレアは奥の部屋へと入っていった。

「どこに行くんでしょうね?」
「さーな」

アンジェの問に興味無さ気にしてハルは大きく欠伸をする。そして眠た気に眼を擦り、眼を閉じる。その様子を見てアンジェは小さくため息をつき、席を立つ。

「ちょっとそこらをぶらついてきます」
「あいよー」

眼を閉じたままの気だるそうなハルの返事を背中越しに聞きながら、アンジェは病院の奥へと歩き始めた。
アンジェとしては特に行動に意味はなく、単なる暇つぶしだ。外から見るよりも案外広い病院内を、案内表示に従っていく。
内科と書かれたブースの横を通り過ぎる。流石に診察室を見ることはできず、そのまま素通りすると厚みのあるガラスで仕切られた場所へと出た。
横目で覗きながら歩く。中には患者と医者らしき男が居て、全身を走査する機器を使って異常のある箇所を調べていた。ベッドの上で寝そべっている患者の上を、青く細い光を発しながら機械が動いていく。

(こういう所はやっぱり人間と一緒なんだ)

自身の記憶の中にある病院の景色と大して変わりばえのしない様子に、そんな事を考える。
一本の廊下を通り抜け、階段を下る。先程とは違った、だが似た空間に遭遇し、またアンジェは歩く。時々患者らしき病院服を来た者とすれ違い、また看護師や医師とすれ違う。
いくつもいくつも階段を降りる。地下に潜って当然採光用の窓は無く、白い電灯だけが廊下を照らす。ここまで来ると逆にどこまで続くのかが気になる。行き着く先まで行こう、とアンジェはグルグルと回りながら降りていく。
どれだけ降りたか、数えることをしていなかったアンジェには分からない。だがそれなりに深くまで降りたことは分かる。やがて一枚の扉が行く手を遮る。ドアの隣にはパスワードを入力するような装置が付いている。
アンジェはドアノブを回してみた。すると、何事も無くドアが開いた。ドアの隙間から頭だけを出して中の様子を伺うが、誰もおらず、体を滑り込ませても特に何も起こらない。
入っていいものか迷ったが、いいや、と深く考えずに先に進む。そしてまた階段が続いていた。
長々と続く階段がようやく途切れ、道が分かれる。アンジェは視線を上へと向けるが特に案内表示は無い。どちらに行こうかと逡巡し、すぐに気が向くがままに右へと曲がる。そこには左右にいくつかの部屋があり、いずれも閉じられている。正面に通路はなく、そこもまた部屋だった。
行き止まりか、と思いアンジェは踵を返す。が、その直前の、向かって右側にあるやや開かれた扉が眼に入った。扉には大きく「関係者以外立ち入り禁止」と書かれてある。

(ちょっとくらいは……)

湧き上がる好奇心に抗いもせず、アンジェは手を扉に掛け、そっと開く。
まず左目だけが中の様子を伺う。そして視界に入ってきたのはカーテンの揺らぎ。僅かな空気の流れが小さくカーテンの裾をなで、それと一緒にある匂いがアンジェの鼻腔をくすぐった。
その匂いにアンジェはひどく覚えがあった。病院特有の消毒薬の匂い。上階では全く感じなかったがこの部屋からはクラクラするほどに強くそれが感じられた。
更にそれとは別の匂いをアンジェは感じとった。消毒液に混じってしまい、それほど強くは無いが病院という場所でも違和感は覚えないその香り。
アンジェは懐かしさを覚えた。いつ、何処でかは分からない。分からないが、一時期自分はその匂いを毎日嗅いでいた気がする。強烈な消毒液と共に、体に染み付くほどに。
カーテンがひどく揺れる。左右に上下にと。揺れは激しくなり、しかしアンジェは金縛りにあったかの如く動けず、カーテンばかりを追い続ける。瞬きもできず、眼が乾きを訴えても耳を貸さず、聴覚は機能を失い嗅覚は一つの匂いに囚われ味覚は口から溢れ出る何かに支配され触覚は元より失われ呼吸をすることは叶わずただ息苦しさだけが―――



「誰だ?」

簡潔な問いと同時に肩を叩かれる。震えていたアンジェの体がピタリと止まり、声を掛けてきた男を見上げる。

「ここは関係者以外立ち入り禁止だ。君は……中の物を見たな?」

アンジェは答えない。黙ったまま自分より遥かに大きい男をじっと見つめ、無感動な視線が男の瞳を捉える。
男もまた黙って懐から拳銃を取り出した。それをアンジェの頭に向け、引き金に指を掛ける。
「どうやってここまで来たのかは分からないが、ここは入ることも見ることも許されない。生かして帰すことも許されない」

淡々とアンジェに語りかけるが、アンジェは反応を示さない。ただひたすらに男の眼を見る。恐怖も無く、動揺も無く、驚きも抵抗もせず、身じろぎさえしない。彼女だけ時間を止められてしまったかのように同じ姿勢のまま、彼女は立っていた。

「……メンシェロウトか。銃で殺すと処理が面倒だが、仕方ない。何者かは知らないが、人間なんて街に入れた門兵に苦情を上げておかなければならないな」

不気味な少女を前に彼は、マニュアルで定められた後処理の手順を頭の中で反芻する。侵入者故に上司に報告せざるを得ないが、何を言われるだろうか、と少しだけ憂鬱な気分になり、だが気を取りなおして拳銃を構え直した。
引き金にかかる指に力を込める。その直前、目の前の少女の眼が光ったような気がした。怪しい。早々に排除してしまわなければ。どうせメンシェロウトだし死んでも問題はないはずでああでも可愛い子だ殺シテしまウなんてとんデモナくてどウシテコロしてしまう必要があってこんなに震えておびエてルのかそれトモ病気ナノカもしれなくてどうシテ俺はそんな事を考エてルノか殺さナケレばならナいのに――



「キミ、大丈夫かい?」

背後から掛けられた男の声。低くも優しさを含んだそれに、アンジェはようやく意識を取り戻した。視界に映る床から顔を上げ、カーテンを見る。カーテンは揺れておらず、代わりに床に突かれた腕が震えていた。

「もしもし?返事はできるかい?」

二度目の言葉にアンジェはようやく再起動を果たした。体を起こし、手を何気なく額にやったところで初めてびっしょり掻いた汗と荒い呼吸に気づく。

「は、はい大丈夫です……」

シャツの袖で汗を拭い、二度深呼吸をして気分を落ち着ける。つい数瞬前までが不思議なほどにいつもと変わりは無かった。

「そう?無理はしないでよ。ここは病院だから……と言ってもアウトロバー専用だから人間のキミにはきちんとした治療はできないだろうけど、簡単な治療くらいはできるから気分が悪くなったら言うんだよ?」

白衣を来た医師と思われる男は優しくアンジェに語りかける。気分もすでに元に戻っていて、アンジェは礼と迷惑を掛けた事を謝る。
アンジェの顔色を見て大丈夫と判断したか、男はホッと肺に溜まったものを吐き出す。そしてやや困った様に眉の形を変えると、壁際に体を寄せて通路の方へ手を広げる。

「気づかなかったかな?このフロアは立ち入り禁止なんだけど……」
「ふえ? そうだったんですか?」
「そうだったんですよ」

言われてアンジェは階段の途中にそんなモノがあった気がするのを思い出したが、どこら辺にあったかはよく思い出せない。
それよりも、と勢い良く謝るが男はシっと指を口元に当てた。

「このフロアは結構出入に厳しくてね。黙っておくから早く上に戻りなさい」




「……ぃ、おい、アンジェ、聞いてんのか?」
「うぇ? あ、はい、何ですか?」

ハルに呼ばれてアンジェは顔を上げた。キョトンとした表情を浮かべて、明らかに話を聞いていなかったのが分かり、ハルはわざとらしく深いため息をついた。

「何ですか、じゃねーよ。この後どうするんだって聞いてるんだよ」
「この後ですか?」
「そ。アイツの足の修理が終わるまで三日。アタシの銃もたぶん同じくらい時間が掛かるだろ? だからどうすっかな、と思って」
「ビジェに戻りますか? アグニスさんなら泊まるくらいはさせてくれると思うんですけど」
「ん〜……あのヤローの世話になるのもなぁ……」

露骨に嫌そうな顔を浮かべてハルはアンジェの案を却下し、そのハルの表情にアンジェは苦笑いを浮かべた。
どうしたモンか、と腕を組んでイスにもたれかかりながら空を見上げる。と、その視界を影が遮った。

「待たせたな」
「あれ? 早かったですね」
「ああ、思ったより早く終わってな」

言いながら空いていたテーブルからイスを引き寄せて座り、注文を聞きに来た店員にコーヒーを頼む。

「もういいのか?」
「故障してた内部パーツも交換したしな。後はここだけだ」

そう言って自分の足を叩く。布ずれに混じって硬質な音が響く。

「他に何か用事はあったりするのか?」
「いや、私の用事は全部終わったよ。二人はどうなんだ?」
「私たちも特には……」
「で、これからどうするか、て話をな、今してたところだ」

ふうむ、とハルと同じく腕を組んでオルレアも思案する。そこへちょうど来たコーヒーを受け取って一口飲み、口元に手を当てて小さくうなる。
他の二人は特に希望は無い。二人とも手元のカップを傾けながらオルレアが口を開くのを待った。

「……ならメンシェロウトの街へ連れていってくれないか?」
「メンシェロウトの、ですか?」

思いもしなかったオルレアの言葉に、ハルは怪訝な表情を浮かべ、アンジェは心配そうに見つめた。

「……いいのか?」

ハルは一言だけでオルレアに確認をとる。その意図するところに、オルレアは深くうなづく事で応えた。

「せっかくの機会だからな。見識を広める意味でも実際のメンシェロウトを見てみたいんだ」
人間の汚いところを見れるかもしれないだろ。言い訳のようにオルレアは自分に向かってだけ言い放つ。
ハルは、少しうつむき気味で熟考する。オルレアの意見を取り入れるかどうか。取り入れるなら何処へと向かうか。自身の知識を元に判断を迷う。数秒の時が流れ、小さくハルは息を吐き出した。

「……他に案も無いし、仕方ない、行くか」
「何処にですか?」
「ちょっと遠いけどな」

足元の荷物を抱え上げ、袋の中から大きな地図を取り出してテーブル一杯に広げた。
今自分たちが居るサリーヴからハルの指が滑り、国境を越えて一つの街で止まる。

「スピールト。ここでどうだ?」










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