Top

第0章(09/11/03)
第1-1〜1-2章(11/02/12)
第1-3〜1-4章(11/02/12)
第1-5〜1-6章(11/02/12)
第1-7〜1-8章(11/02/26)
第1-9〜1-11章(11/02/26)
第1-12〜1-13章(11/02/26)
第1-14〜1-15章(11/02/26)
第1-16〜1-17章(11/02/26)
第1-18章(11/02/26)
第1-19章(11/02/26)
第1-20章(11/02/26)
第1-21章(11/03/06)
第1-22章(11/03/06)
第2-1〜2-2章(11/03/06)
第2-3章(11/04/24)
第2-4〜2-5章(11/05/15)
第2-6章(11/06/12)
第2-7〜2-8章(11/07/21)
第2-9章(11/08/01)
第2-10章(11/08/29)
第2-11〜2-12章(11/09/14)
第2-13〜epilogue(11/11/06)









現在の閲覧者数:

(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved







-14-





朝日が差し込む。カーテンの隙間から入り込む光が部屋を照らし、容赦なく朝の到来を告げる。部屋は広くない。一人用の、それも子供向けの小さなベッドで三分の一が埋まり、残りも勉強机とタンス、そして母親にねだって買ってもらった本棚でほとんどが占められている。
ベッドの上では少女が眠っている。幼く、まだあどけない寝顔は可愛らしい。眼を閉じたまま何事かを呟くように口元を動かすと寝返りをうち、だらしなく口を開いて布団がはだけた。長くサラサラとした金髪が枕一杯に広がって朝日を反射させて輝いている。
やがて少女の長いまつ毛が小刻みに動き始めた。まぶたが開き、その下から大きな青い瞳が現れる。半開きのまま瞬きを二、三度繰り返し、それでもなお寝ぼけ眼のまま何もない天井を見つめた。

「あー……」

小さく呻いて枕元の時計に手を伸ばす。デジタル表示の時刻を半分寝たまま見つめる。ボサボサの髪に注意が行くわけでも無く、明らかに脳はまだ寝ていた。時計を見たまましばらくぼーっとして、ようやく活動を再開するがすぐにポテ、とベッドから落ちる。

「ふにゃ……」




綺麗に洗濯されたシャツをタンスから引っ張り出し、もがきながら頭から被る。慌ただしく服を着替え、ゴムを手に取って長く伸びた髪をポニーテールに縛る。机の上に広がった勉強道具を乱雑にお気に入りのカバンの中に突っ込んで背負った。昨日もらったプリントがあったのを思い出したが気にしない。多分クシャクシャになってるだろうけど。
カバンと同じくお気に入りの靴を履き、少女は部屋から飛び出した。お腹が可愛く鳴いているけど、朝食を食べている時間は無い。
部屋を飛び出し、玄関へ続く廊下をダッシュ。開いた扉からいい匂いが少女の嗅覚とすきっ腹をくすぐるがガマン。

「行ってきまーす!」

通り過ぎ様にキッチンで準備しているであろう母親に向かって声を掛け、玄関のドアノブを回す。まばゆい太陽の光に眼を細めた。

「ちょっと、アン!」

再び駆け出そうとしたアンと呼ばれた少女を、後ろから母親が呼び止めた。

「なに?」
「なにって事は無いけど……寄り道しないで真っ直ぐ帰ってくるのよ」
「うん、分かってる。大丈夫だよ」
「最近、変な人が出るって噂だから……殺人事件も増えてるみたいだし、お母さん心配だわ」
「もぅ。心配性なんだから」
「だって……」
「大丈夫大丈夫! いざとなったら走って逃げるから」

私の足の速さはお母さんも知ってるでしょ、とアンは駆け足の仕草をして見せる。母親は頬に手を当ててため息をついた。

「ホントに気をつけなさいよ? もしアウトロバーが犯人だったら……」
「もう、お母さんったら! アウトロバーの人はみんな良い人だよ? そんな事言っちゃダメだよ!」
「でもこの間事件に巻き込まれた人も言ってたのよ? 腕とかが金属で出来てたって」
「それってヤンのお母さんが言ってた噂でしょ? 噂で判断しちゃダメってお父さんも言ってるし、良くないよ」
「……そうね。ゴメンナサイ、アンの言う通りね。
ダメだわ、お母さん。人を疑ってばっかりで」

嫌だわ、と母親はため息をついた。アンが壁に掛かっている時計を見ると、ずいぶんと時間が経っていて慌ててドアを押し開けた。

「それじゃ行ってきまーす!」
「とにかく、気をつけるのよ!!」

後ろからの声にアンは手を振りながら駆け出していった。




「よう、アン」

息を切らして走るアンの横に頭半分大きい影ができる。アンのスピードに合わせて隣に並び、同じように息を弾ませている。

「お、はよう、キルネ」
「大丈夫かよ、おい。そんなんで学校までもつのか?」
「だい、じょうぶ、だよ」
「本当かよ」

アンは足は速いが体力は無い。アンの途切れ途切れの返事に半信半疑ながらも、自身も懸命に走る。キルネはアンに比べて余裕があるとはいえ、時間的にはギリギリ。遅刻に対して担任は厳しい。今日の罰は何だろうか。冷たい廊下に素足で立たせるやつか、はたまた居残りのマンツーマンでの補習だろうか。いずれにしても勘弁願いたい。アレは拷問だ、と遅刻常習犯のキルネは走りながら器用に身震いした。


「先、に、行ってて、いいよ……」
「バカ、気にすんな。俺が一緒に走った方がペース上げやすいだろ?」

少しだけ前に出てニヤ、とキルネは笑った。汗で髪を額に張り付けながら、それを見てアンも笑顔を浮かべる。
学校の建物が見えてくる。白い壁にピカピカに磨かれた窓。太陽の光が反射してまぶしい。入り口にはアンたちと同じくギリギリに登校している子供たちが集まって楽しそうに笑い声を上げていた。
入り口にデカデカと掲げられた時計を見ると、チャイムにはまだ数分だけ余裕があった。走る速度をゆっくりと落としていって、汗だくの額を拭い、大きくアンは深呼吸をした。キルネも歩き始め、荒くなった呼吸を整えていく。
校舎に入りかけていた少女の一人がアンに気づき、手を振る。それを見て他の子も手を振り、アンも大きく振り返す。
止まってくれていた友人たちにようやく追いつき、アンは荒い息をつきながらも笑顔を浮かべて朝の挨拶をした。友人たちもまた「おはよう」と返して笑った。
それはいつもと同じ一日の始まり。誰も疑いもせず、基本退屈で、時々楽しい毎日が続くのだと信じていた。続くはずだった。
そう、続くはずだった。

彼女たちの後ろで突如として爆発が起こった。ついさっき通り過ぎた家が吹き飛び、瓦礫が舞い上がり、太陽以上の熱を持った風が打ちつける。
爆発音についでパンパン、と乾いた音が響く。そしてまた爆発。壊れる景色。崩れる世界。見慣れた町が見る見る間に姿を変える。
崩れかけた家からアンもよく知るおばさんが慌てて出てきた。いつも朝に挨拶をしてくれるおばさんだ。だけどもすぐに固い地面に倒れ込んだ。そこに崩れた瓦礫の山が覆いかぶさり、おばさんは見えなくなった。
三度目の爆発。砂埃がこれでもか、というほどに舞い上がり、視界を塞ぐ。遠くから悲鳴と怒号だけが聞こえてきた。
アンもキルネも、他の子も何が起きているのか分からない。いつも通り学校に来ただけで、何も変わったことはしていないのに、何も悪いことをしていないのに。
校舎の中も騒然とし、外で遊んでいたクラスメートたちが校舎の中に逃げこむ。先生はアンたちに向かって何か叫んでいたが何も聞こえなかった。ただ得体の知れない恐ろしさだけが彼女たちを襲っていた。
あちこちから火が上がり、その光景をアンは昔読んだ絵本の地獄の様だと思った。空まで真っ赤に、赤と黒で塗り固められた地獄の絵。眼に見える世界は絵本の世界と同じだった。
何かがアンのすぐそばを通り過ぎる。小さな悲鳴が上がり、ちょっと前までアンの正面にいたクラスメートが倒れた。白い壁には紅い花が咲いていた。
後ろから手を引かれ、アンはバランスを崩しそうになったが踏み止まって顔を上げる。そこにはいつもは優しい先生が怖い顔をして立っていた。
先生はアンたちをかばう様にして校舎に向かって押す。その力に抗うことはせず、みんな成されるがままに重い足を動かし始めた。
直後、先生の頭だったものがハジけた。そこから何かをまき散らし、ちょうど見上げたアンの顔を真赤に染め上げた。
何が起こったか。理解できず、悲鳴を上げる事さえアンは出来なかった。
次の瞬間。
何かがアンの体を持ち上げ、宙へと放り上げる。アンの意識はもうすでに無かった。







-15-






三人がスピールト近郊まで到着した時、すでに辺りには暗闇が足を伸ばしてきていた。
目的地を決定して一晩時間を置き、翌日の午前には出発したのだが、ハルの予想以上に時間が掛かっていた。オルレアのナビゲーションに従って最短ルートで向かっていたが、途中の山間の道路が崩れていてとても通れる状況では無かった。近くに川があり、見るからに増水していたので恐らくは浸食で崩れてしまったのだろうと見当をつけたが、だからと言って状況をどうこうできるわけでもなく、仕方なく迂回ルートで進んでいくハメになった。
だが迂回ルートといっても予定のルートは一本道で、しかもそれでかなりの道程を進んでいたために大幅に戻る必要があった。
田舎の道路に街灯があるわけもなく、舗装も整っているわけでもない。夜になれば危険なモンスターも活動を始めるし、野盗の類も動きが活発になる。もちろんそういった輩に遅れをとるつもりは毛頭ないが、何事にも絶対は無い。例えアンジェやオルレアが十二分に戦えると分かっていても。
だからハルとしては危険な夜道を避けるつもりで、かなりの余裕を持って残り二人を早朝に叩き起したのだが、結果としてそれも徒労に終わっている。
時刻はすでに夕方というより宵の口と言った方が近く、葉の生い茂った山道は平地よりもかなり暗い。付近に家屋は無く、バイクの明かりだけが道を照らしていた。

「なんだか……不気味ですねぇ……」

心持ちいつもよりも強くハルの背中に抱きつきつつ、アンジェは呟いた。だがオルレアは不思議そうな顔をしてアンジェを見返した。

「田舎だし、夜が近づけばこんなものだろう?」

基本的に田舎の方ではみな小さな集落を狭い範囲に作る。よって山では居る所には比較的多くの人が住んでいるが、そうでない場所だと極端に人気が無くなる。今走っている場所もそういった場所に当たると考えれば、静けさに特に疑問は無い。

「それはそうなんですけど……何か変な感じがします」
「ははっ、結構怖がりなんだな、アンジェは」

笑ってオルレアはアンジェを茶化すが、アンジェの表情は優れない。ゴーグルを外し、緊張した面持ちで辺りに注意を払う。その顔は恐怖、というよりも警戒の意味合いの方が濃い。オルレアの顔からも笑みが消え、幾分声を潜めて尋ねた。

「……何かあるのか?」
「分からない」

バイクの音にかき消されそうな程のオルレアの問い掛けに、ハルが応える。あまり顔を動かさず、前だけを見て運転する様はいつもと同じ。しかし、その声はいつもよりも硬い。

「ただ……何か胸騒ぎがするな……」

それが何に依るものか、ハルにもアンジェにも分からない。形の無い不安。何の根拠も無いが、やけに現実感を伴って二人の中で粟立つ。
ハルの強張った口調にオルレアもそれ以上何も言えず、風に吹かれた木々が三人が通り過ぎた道に向かって奇妙な悲鳴を上げた。





速度を落としながら慎重にバイクを走らせること数十分。開けた台地上の土地が遠くに現れ、家々の明かりも密集して点いている。
夜の帳はすっかり落ちて、バイクのライト無しだとほとんど何も見えない状態にまで暗くなっていた。いつもなら、こういった山道を走れば遠くからは野犬の様な遠吠えが聞こえてくるが、今はそれも無い。
アンジェとハルが警戒するに合わせ、オルレアも片目を暗視モードに切り替えて周囲に注意を払っている。今のところは近くに人の気配は無く、集落に近づくに連れてその静けさが増しているようにも思える。
まるで嵐の前の静けさだな。
ハンドルを操作しながらハルはそう思った。
山の夜道にしても異常なまでの静けさ。当たり前が当たり前に感じられない。違和感ばかりが残る。

「……気をつけろ、正面に誰かが居る」

オルレアが警告を発した。
緊張が高まる。暗闇のせいでオルレア以外の二人からは姿は見えない。手には明かりを持っているらしく、光源が揺れながら時にハルの視界を遮る。

「向こうは……五人だな。全員武装している。場所を考えると恐らく国境警備兵だと思うが検問所からは少し離れ過ぎている気もするな……
どうするんだ?」
「相手の身分を確認できるか?」
「流石にそれは無理だな。制服は着ているが、細かい意匠までは確認できない。だが物々しい雰囲気だ。当たり前だが友好的には見えない」
「ならとりあえずゆっくり近づいてみる。こっちは旅行者だからな。抵抗しなきゃいきなり発砲はされないだろ」

ハルもゴーグルを外し、やがてアンジェからも姿が確認できるほど近づいていった。
向こうも近づくこちらに気づいたのか、銃を構え、ハルたちには上手く聞き取れないが何か言葉を発しているらしい。

「停止命令みたいだな」
「なら大人しく従うとしますか」

バイクを止め、エンジンを切る。だが警戒は怠らず、いつでも銃を抜けるよう心構えだけはしておく。
兵士たちは銃を構えながらゆっくりと近づいてくる。バイクのライトに照らされて次第に姿がはっきりとしてきた。
兵士たちは全員モスグリーンの制服を着ていた。長い銃身の銃を構え、腰には帯剣をしている。視線は鋭く、帯びている雰囲気はピリピリとしていて少しでも動けば躊躇なく発砲しそうだ。

「私たちはただの旅行者だ。怪しいモンじゃない」
「何か身分証明できる物は?」

言われてハルはマントの内ポケットからギルツェントの登録証を提示した。兵士の一人が顎で他の兵士を促し、銃を構えたままハルの手から証書を受け取る。

「ハル・ナカトニッヒ、ノイマン……か」

人種を確認したとき、兵士たちの表情がやや強張り、警戒の色が強くなる。その向きも三人からハルの方へと集中する。

「他の二人は?」
「私はオルレア・バーチェス。アウトロバーでヘルゴーニ共和国のビジェでギルツェント常駐職員をしている。入国目的はただの観光だ」
「えっと、アンジェ・ユース・エストラーナです。えっとぉ、その、身分を証明するものはありません……」

段々アンジェの声が小さく消えていく。代わりに疑惑の眼は強く、引き金に掛かる兵士たちの指に力がこもり始める。ナハハハ、と笑ってごまかしてみるが当然ながら疑惑が緩むわけでも無く、逆に一層厳しさが増す。

「こいつはまだ見習いなんだ」

兵士たちとアンジェの間にハルが立つ。アンジェの頭にいつも通り手を置くと明るい口調で割って入る。

「来月からオルレアと同じビジェのギルトで働くことになっていてね、まあ見ての通りマヌケでドジなんだが」

ムッと口を尖らせてアンジェはハルに噛み付こうとするが、ハルは頭の上の手を拳に変えてグリグリと押し付けて黙らせた。

「証明書を持って来いって口を酸っぱくさせて言ったのに忘れてしまってるんだ。だから申し訳ないけど、ビジェのアグニス・グラードマンまで連絡を取ってくれないかな? ビジェでギルトの支部長をしているから身分保障の相手としては十分だと思うんだけど」
「そんな言い訳を信じろと言うのか?」
「とは言われてもな。こっちとしてはもう他にどうしようもない」

銃の照準をハルの頭に合わせる兵士と無手で笑って立つハル。だが互いは確実ににらみ合っていた。

「……まあいい」

先に折れたのは兵士の方だった。銃を下ろし、それに従うように取り囲んでいた他の兵士も警戒を緩める。

「助かるよ」
「勘違いするな。見逃すだけだ。例え身分保障があったとしても入国は許されんからな。すぐに立ち去れよ」
「入れないって、どういう事だ?」

持ち場に戻ろうと背を向けた兵士たちに、今度はハルが呼び止めた。

「今言ったとおりだ。入国は認められない」
「それじゃあ納得できないね。
私は何度かこの国に入った事があるけど、ここまで厳しくはなかったぞ? せめて入国拒否の理由くらい教えてくれないか?」
「理由はお前たちがノイマンとアウトロバーという事だ。現在、この国へはメンシェロウト以外の入国は認められていない」
「だからその理由をこっちは聞いているんだ」

進まぬ問答に、被った猫がわずかに剥がれ、ハルの口調が徐々に苛立に満ち始める。だが兵士の方は逆に呆れ顔で軽くため息をつく。


「敵国の人間をどうして入れる必要がある? 今、この瞬間にも攻撃があるかもしれないのにお前たちに構っている暇は無いんだ」
「攻撃とはどういう事だ? ギルトではそんな話は聞いていないが……」
「実際にもう始まってるんだ。北側の国境でな」
「そんなバカな……」

さっさと去れ、と言わんばかりに手で割って入ったオルレアを追い払い、町の方へと戻っていく。
オルレアは兵士の言葉に立ち尽くし、そして表情を厳しくする。
それは他の二人も同じだったが、ハルはすぐに立ち直ってバイクの方へと足を向けた。


「……行こう。ここに居てもしょうがない」
「ですけど……」

「あいつの言う通りだ。もし話が本当ならここに居たら危険だ。ヘタをすれば戦闘に巻き込まれる。戻るしかない」
「……はい」

ハルに諭され、アンジェもバイクの方へと戻り始める。歩き始め、一度オルレアの方を振り向いた。オルレアは兵士たちの後ろ姿を見送り、そして二人の方に向き直ると義足を鳴らして戻ってくる。

「気にするな。今回は運が無かっただけだ」
「そう……だな」

当分お預けか。
残念そうに呟き、二人の間を抜けてサイドカーへと乗り込む。
バイクのエンジンが掛かり、低い音が響き始める。静かだった森に色が生まれ、時を再度刻む。
アンジェは先程の兵士たちを見遣った。もう大分遠くへと進んで、姿が小さくなっていた。こちらにはもうあまり注意は払っていないようだった。
その時、不意に何かを感じてアンジェは脇に広がる森に向かって振り向いた。その先に暗闇しか無く、バイク以外に音は無い。しかし確かにアンジェは一瞬だけ何かを感じ取った。
眼を凝らして奥の方を見つめる。それでも特に何も見えない。見えないはずなのに、何処か確信めいた感覚がアンジェの中にはあった。アンジェ・エストラーナという個を形成する、何よりも重要なモノがアンジェをかき立て、それに抗えずアンジェは叫んだ。

「逃げて下さいっ!!」

その声が引き金となった。
森が動き、突如として生命の躍動が顕となる。彼らはその身に宿していた殺意を明確にして森から飛び出した。
アンジェの声に振り返った兵士たちもまたその姿を認めた。暗闇に包まれた森から動き始めた幾つもの影を。

「敵襲だっ!!」

訓練された彼らの行動は素早い。即座に反応し、影に向かって躊躇い無く発砲する。それと同時に信号弾を打ち上げ、町全体に異常発生を知らせる。
事が公になり、影たちは姿を隠すことを辞めた。動き辛い迷彩装備を脱ぎ捨て、彼らの持てる最大戦速、最大火力で人間たちに迫った。
アンジェは駆けた。両脚に力がこもる。一歩踏み出す毎に加速し、ブーツが地面に足型の穴を空け、狙われた兵士たちに手を伸ばす。
だが届かない。両者に空いた距離はあまりに遠かった。
迷彩を外したロバーたちの腕から次から次へと弾丸が飛び出し、兵士たちの武装を貫いていく。一人は蜂の巣の様に至る所に穴が空き、また別の兵士は近接されて袈裟に切り落とされる。
血の匂いが満ちる。オイルでは無い、人間の命が抜けていく。血しぶきが宙を舞って走り寄ったアンジェの体を濡らした。
アンジェは悟った。先日、病院で気を失いかけた時の、懐かしくも体を震わせる匂いの元を。
それは血だった。鉄臭く、こびりついた油の様に拭っても拭っても落ちない強固な匂い。ベチャリとアンジェの顔の半分近くにかかり、アンジェの呼吸を止める。
意識が白濁する。白と黒の世界が明滅し、辺りを染める赤さえも色を失ってモノクロへと変化していく。

「うあああああああああっ!!」

アンジェの口から雄叫びが弾け飛んだ。呪詛の言葉にも聞こえる叫び声を撒き散らし、襲ってきたロバーたちへとそれを叩きつける。
ロバーたちの幾人かが近づくアンジェに気づき、発砲する。秒間何十発もの弾がアンジェに向かって吐き出される。
コンマ数秒にも満たない世界。弾丸がアンジェに肉薄したその刹那、アンジェの脚が膨れ上がり、蓄積されたエネルギーが爆発する。
ブレーキを掛けることも無く、反作用に耐え切れ無かった地面をえぐり、有り得ない角度でアンジェは右へと跳躍して弾丸を避けた。
次の一歩で再び前へ。そして次は左に。ジグザグに動き、蹴り砕かれた地面を巻き上げながら数瞬の内に十メートルもの距離をゼロへと変え、肉薄した男の一人に向かって空中から脚を上段に振り上げた。
襲撃者は咄嗟にガードをする。だがアンジェの蹴りはその腕ごと容易に男の頭を蹴り潰して地面に叩きつけた。
ガチャリ、ともグチャリ、ともつかない音が山に広がる。金属片をばら撒き、瞬間的に遅れて循環液が吹き上がる。
息を飲む。一瞬だけ全員の動きが止まり、状況確認に普段以上の時間を要する。
その中でアンジェだけは止まらない。蹴りつけた反動を利用して軽い体が跳ね上がり、そのまま周囲がわずかに呆けてできた隙を狙って拳を突き出し、蹴りを叩きつける。
二の腕が裂け、刃が飛び出る。鋭い切れ味を持ったそれは容易くロバーの関節部に突き刺さり、潰されているはずの刃を用いて力任せに根元から切断する。
アウトロバーにも痛覚はある。その痛覚を切断する暇も無く腕を切り離され、全身を駆け巡る激痛に断末魔の悲鳴を上げて倒れた。
三人。瞬きにも等しい時間の中でアンジェは三人を行動不能に追い込んだ。と同時に、それが勢いに任せられる限界でもあった。
ロバーたちの注意が完全にアンジェへと変わり、弾幕が張られる。本能的に危機を察知したアンジェは、倒れていたロバーを掲げた。流れ出ていたオイルが体を濡らすが、それさえ気にせず盾として時間を稼ぐ。だが盾を貫通した弾がアンジェの頬と脇をかすめ、紅い筋が白い肌に幾つも浮かぶ。
しかしアンジェは顔色一つ変えない。理性を失った頭で冷静に次の行動を練る。
いかに速やかに現状を打破するか。いかに効果的に敵を無力化させるか。

いかに、争いを停止させるために全てを破壊するか。

次なる行動に移るため、アンジェの四肢に力がこもる。履いているズボンがはち切れんばかりに張り詰め、それを解放しようとしたその瞬間、アンジェの後方からエンジン音と銃声が聞こえた。
左手で銃を構え、右手だけでバイクを操作させながら発砲。振動で揺れるバイク上からロバーの装甲の薄い、ほんの数センチを狙って精密な射撃をハルは行っていた。

「あいつらの回収は任せたからな!」
「分かっている!」

フルスロットルで集団にバイクごと突っ込み、塊を散らす。すれ違いざまにハルは空中に飛び上がり、その状態で引き金を何度も引き続ける。
だが敵も自らの弱点は熟知している。わずかに体をずらし、装甲を以てしてハルの銃弾を弾く。そして宙に浮いた、無防備な目標に向かって弾丸を返信する。
しかしそれもハルは想定していた。例え隙間なく銃弾が自らに迫っていようとも、それを一瞬でも視認できるのであればハルにとってそれは問題では無かった。

ハルの瞳孔の形が変化する。
ラスティングを発動させた状態では反応はできなくとも、弾丸を視認することは可能。そして一度視認してしまえば、全ては終わる。
ハルの視界にある全ての弾丸が空中で突如として弾けた。何かを爆発させて蹴散らしたのではなく、一つ一つの弾が何も無いところで爆発して消えていく。
何事もなく着地。そして顔を上げたところで視線を水平に、ロバーたちの腕に高さを合わせてスライドさせた。
次の瞬間、それぞれの装備した銃が小さな爆発を起こす。その爆発により銃身が歪み、また運が悪かった物は折れて地面に落ちる。

「こ、こいつは……!!」

驚愕の声と共にロバーたちが後退る。その声には幾許かの恐怖が混じり、動きを鈍らせる。
その隙を見逃さず、ハルはロバーの弱点の一つである顎を蹴り上げた。頸部に強烈な衝撃が加わり、内部の回線がショートして意識が刈り取られる。
蹴り上げた脚を今度は水平に薙ぐ。ロバーたちの壁に隙間が生まれ、通り過ぎていったオルレアの運転するバイクの姿を捉えた。
不意に背後に鋭い気配をハルは感じ取った。ロバーたちとは違った気配。絶え間なくこめかみでうずく鈍痛を堪え、感覚の赴くままに身を反転させ、迫り来る拳を受け止めた。

殺意を明確に、アンジェは振りかぶった拳をハルへと向けていた。今の彼女の世界には彼女以外の者は無く、全てが物に過ぎない。与えられた衝動に従い、全てを終わらせる。原因たる全てを破壊し尽くす。それだけが彼女のレゾンデートル。
だがハルはそれを受け止めた。激しい衝撃がハルの体を貫き、腕からは細かく皮膚が切れて血が流れ落ちる。
しかしハルは顔色一つ変えなかった。逃げること無くアンジェを受け止め、離さないとばかりにその拳を包み込む。
拳をつかんだまま、ハルは力任せにアンジェを引き寄せる。軽いアンジェの体は容易く浮かび上がり、真っ直ぐにハルに向かって行った。

「ふん!!」

ゴス、と鈍い音がした。思い切り頭を振り下ろしてハルは一撃の元に正気を失ったアンジェの意識を刈り取った。
倒れこむアンジェの首元を乱暴につかみ、引きずるようにしてハルはロバーの囲みを抜け出した。




「くそっ!無茶をさせてくれる!!」

無人となったハンドルを制御するために、オルレアは悪態をつきながらバイクの方へと乗り移る。生まれて初めて運転する、荒れるバイクを何とかコントロールし、真っ直ぐに走らせる。
戦闘能力の限られた彼女に課せられたのは、彼女の目の前で倒れているメンシェロウト側の兵士の回収。流れ弾とオルレアを狙う銃弾が飛び交う中を、目的のために走っていく。
バイクを止め、血を流して倒れている兵士たちの元へ駆け寄る。五人が五人とも攻撃を受け、身動き一つしない。体に手を当てて確かめてみるが、すでに事切れていた。
その中で一人だけ小さなうめきを上げる。重傷を負ってはいるが、オルレアの見る限りでは急所は幸いにして外れているようだ。
生き残った一人を抱え上げ、いささか乱暴にサイドカーへと放り込んで、再びオルレアはバイクをスピールトの町に向かって走らせた。そして思わず鼻で笑ってしまう。
ヘルゴーニ人である自分が敵国の兵士を助ける。しかも嫌いなメンシェロウトを。そして自分と同じアウトロバーを、ハルとアンジェが蹴散らしている。
自分の行動が正しいのかどうか、オルレアには判断がつかない。人としては正しく、人種としては間違い。
本当にそうなのか。自分はヘルゴーニのギルトに所属するアウトロバー。だが国の兵士では無い。ならば助けたことは善なのか。正義なのか。もし、本当に戦争が始まったのならば、都市間の争いでは無く国として争うのならば、いつか戦場へと招集されるかもしれない。そうすると今度は助けたメンシェロウトを殺して回るのだろう。何という矛盾か。何という偽善か。
アクセルをひねる。加速し、景色が瞬く間に流れる。弾がオルレアの体をかすめ、時折バイクに当たって甲高い音を立てる。
町との境を作るゲートは目の前。しかしゲートの前にはたくさんの兵士が並び、中にはランチャーの様な武器を抱えている者も居た。
小銃が構えられ、オルレアに向かって引き金が引かれる。弾が迫り来る中でオルレアは必死にブレーキを掛け、ハンドルを切ることでなんとか避ける。が、制動を掛けた結果、車体は逆を向き、追い打ちの弾丸が飛んでくる。仕方なく元の道を戻り始めた。

「バッカヤロウ!! こっちはお前たちの仲間を積んでいるんだぞっ!!」

町の方を振り返り、オルレアは叫んだ。だが相手は聞こえていないのか、それとも聞く気が無いのか、散発的にではあるが発砲の手を緩めない。

「っ!!」

歯を食いしばり、オルレアは腕をハンドルへと叩きつけた。何度も何度も叩きつけ、その度にハンドルと腕が金属音を立てるが止まらない。
どうして!
こちらはお前たちの仲間を助けてやったのにどうして攻撃するんだ!どうして話を聞いてくれないんだ!どうして、どうして!!
訳の分からない悔しさがこみ上げ、呼吸が苦しい。胸が詰まり、息を吸うことさえままならない。
バイクを一度止め、サイドカーの中の人間を見た。血に汚れ、埃に塗れてすでに虫の息に近いほどに衰弱している。放っておけば、すぐに死んでしまうだろう。
じっとその男をオルレアは見つめた。冷めた眼で見つめた。
それは時間にしてほんの数秒で、やがてオルレアはバイクを降りて男を抱え上げた。
体を背を向けていた町の方へ反転させ、ガシャガシャと義足を鳴らしながら走り始めた。
それと同時に止んでいた銃声が鳴り始め、オルレアの体に当たって服に穴を開けていく。表皮が傷つき、血に似た濃い液が流れる。だが当たる場所さえ気をつけていれば並の銃弾ならば重大なダメージには至らない。男に弾が当たらないように腕でガードしながら進む。
ダメージが無いことが向こうにも分かったのか、それまで静観していた、ランチャーを持った兵士が動き始める。
その瞬間、オルレアは抱えていた男を高く掲げた。兵士たちはオルレアの意図が読めず、警戒からかわずかに銃撃が弱まった。
そのタイミングを見計らってオルレアは走る脚を速めた。本来の脚ほどの速度は出ないが、それでも一気に距離を詰めて抱えていた男を十メートルほど先の仲間の元へとできるだけ柔らかく投げた。
銃撃が止み、投げられたのが仲間だと分かって慌てて数人で駆け寄って受け取る。そして生死を確認しているのか、肩を揺すりながら声を掛けた。
その様子を確認すると、オルレアは踵を返してバイクの方へと戻っていった。後ろからオルレアを呼ぶ声がするが、彼女は聞こえない振りをする。

これで良い。
オルレアは自身に言い聞かせた。それ以上何も考えず、湧き上がる思考を遮断する。これで、良いんだ。
自らを説得した直後、突如として背後から激しい爆風が彼女の体を跳ね飛ばした。アウトロバー故の重い体を容易く跳ね上げ、数メートルに渡って地面を転がっていく。

「くっ……」

着ていたシャツは汚れ、衝撃にぐらつく視線を上げてゲートの方を彼女は見た。
そこには炎があった。轟々と真っ赤な炎が立ち上がり、数メートルの高さからオルレアを見下ろしていた。
ゲートはすでに無い。兵士たちの姿も無い。全てを炎が飲み込み、その存在を誇示するかの様にユラユラと揺れる。
再度轟音がオルレアの耳を打つ。繰り返される爆発音の度に町中から火の手が上がり、世界を焦がさんとばかりに夜空を赤く染め上げる。
その光景を呆然とオルレアは眺めていた。立ち上がることもできず、いたずらにゲートのあった場所を眺めることしかできない。
不意に片腕が引っ張り上げられる。ユルユルとした動作で振り返ると、ハルが脇にアンジェを抱えて立っていた。

「……行くぞ」

ただ一言、そうオルレアに伝えてハルはサイドカーにアンジェを放り込む。頭を下にした状態になり、意識を失っているのかそれでも動きもしない。
次々と着弾の音が聞こえる。空を見上げれば光のラインが遠くから弧を描いていて、それらが町中へ落ち、炎を高々と立ち上らせる。
攻撃が本格的に始まったためか、ロバーたちは地面に転がっている一人を除いて誰も居なかった。代わりに町の方から爆発に混じって銃声が聞こえてくる。

「早く乗れ。置いていくぞ」

立ち上がったものの、それでもオルレアの視線は町に向けられたままだった。次第に広がっていく炎の壁に魅入られたようにその場にオルレアを固定する。

「バーチェス!」

厳しい口調でハルはオルレアを呼びつけた。その声にゆっくりと動き始め、ハルの後ろにまたがる。

「……しっかり捕まってろよ」

傷ついた車体のバイクをハルは走らせた。昼間のような明るさが遠ざかり、山の静けさが戻ってくる。
オルレアは額をハルの背中に押し付けた。回されたオルレアの腕がハルの体を締めつける。表面は皮膚で覆われて、だがその下には固く冷たい金属が広がっている。少しだけオルレアの腕に触れて手を離し、それからハルは何も言わず、ひたすらにハンドルを握りしめた。
アンジェはサイドカーの中で身じろぎせず、しかし右腕だけがアンジェの目元を覆い隠していた。
誰も一言も発せず、バイクのエンジンだけが山道に響いた。








前へ戻る

次へ進む








カテゴリ別オンライン小説ランキング

面白ければクリックお願いします







SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送