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epilogue 









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved





「ふぅーん、なら明日からはユズホちゃんも一緒なんだね」
「ああ、コースが違うから僕らみたいに四六時中ってわけにはいかないだろうけど」

 夜間見回りの集合地点に向かう道すがら、スバル達と合流した僕はついさっきユズホさんと交わした約束を皆に話した。すでにユキヒロやタマキとは一年以上の付き合いになるし、スバルに至っては十年以上にもなるからそれなり皆の性格も理解しているつもりで、だから僕が勝手に話を進めても特に何も言ってはこないだろうとは思ってる。けれどもやっぱりキチンと返事を貰うまでは不安でもあり、特にスバルはついさっき振った相手で気まずさもあるだろうから特別了承が貰えるか気になってた。

「どう、かな? やっぱり嫌かな?」
「別に。いいんじゃないかな? そりゃボクはヒカリ以外に付き合うつもりはないからユズホちゃんがしつこく言い寄ってくるのならともかく、友達として付き合う分にはボクは何の不満も無いよ? さっき話したくらいしか付き合いが無いけど、何となくユズホちゃんとは仲良くできそうな気がするし」
「そっか。それを聞いて安心したよ」

 胸を撫で下ろしつつ僕はユキヒロ、そしてタマキと順に顔を見ていく。二人共特に不満は無いようで、これでユズホちゃんの加入、と言っていいのかは分かんないけれど、今後も付き合っていくのが決まった。

「しかし、スバルも意外と手が早いんだな」
「え?」

 ユキヒロがメガネのズレを直しながらそんな事を口走り始めた。

「そうですわね。ワタクシたちが先生方愚か者たちに怒られている間にあんなに可愛い少女と二人っきりになるのですから。きっとあの手この手で傷心少女の幼気な心の隙間に入り込んで手篭めにしてしまったに決まってますわ! 嫌がる少女を言葉巧みに唆し、当人が知らぬ間にそっと当たり前の様に心の片隅に、しかし確かにその存在を住まわせるなんて! なんて……なんてうらやましい御人なのでしょう! その役目、ワタクシが担いたかったというのにっ!」

 ……なんでだろう、タマキの話は僕の実際の行動と別に大きく間違ってるわけじゃないのに聞いてると自分がホントとんでもない悪党に思えてくるのは。下心が全くゼロかと問われれば答えに窮するところではあるけれども、そんなタマキが思ってるようなやましい想いは無いというのに。

「だよねっ。ヒカリはボクと一心同体のはずなのにさっ、一人だけとっとと逃げちゃうなんてホントひどいよっ! おかげでカラオケにも行けなかったしさ」
「いや、怒られたのは二人して派手に魔術を使い始めたせいだと思うんだけど……」
「そうだぞ、二人共。ここで怒っていいのは見捨てられた俺だけだ」

 それも何か違う気がするんだけど。

「それよりユキヒロはケガとかは大丈夫だった? なんか派手に飛んでってたけど」
「ん? ああ、問題ない。幸いにしてメガネは壊れなかったからな」

 お前の本体はメガネかよ。

「はぁ……ヒカリはそんな楽しい時間を過ごしたというのに、ワタクシたちと言えば怒られた上に憂鬱な時間を過ごさなければならないなんて、それを考えるだけで憂鬱ですわ」
「どうした突然って……ああ、指導員たちのことか」

 タマキがため息を吐くけれど、その気持ちはよく分かる。
 指導員――正確に言えば対異形生命体攻勢訓練指導員というのだけれど、彼らと接するのは確かに僕としてもできる限り遠慮したいところで、僕だってため息吐きたいし、このまま寮の部屋に帰って寝てしまいたい。恐らく、魔技高専の特任コースの生徒であれば誰もが進んで彼らと接したいとは思わないだろう。つまりは、そういう人たちということだ。
今から約十年前、この世界に現れた魔術。そしてその主要因である魔素が溢れかえった時、世界は混乱で満ち満ちた。
魔素は元々この世界に存在していたものでは無くて、かと言って突然「無」から現れたわけじゃない。
あの日。
僕らの住むこの世界に現れた特異点。異常事態。世界の各所に顕現したらしいその特異点は僕らの誰も知らない、それこそ数々のフィクションの中で空想として語られていた誰も本当に存在するとは想像さえしていなかった異なる世界と繋がっていた。
いわば異世界。そこには魔素なんて僕らからすれば未知の物質が溢れていて、突然繋がったその穴から吹き出した魔素はあっという間に世界を覆った。でも魔素自体が僕らに何か影響を及ぼしたかと言うとそういうわけでは無くて、世界が混乱したのはその異世界から溢れでたもう一つの存在。
魔物。モンスター。怪物。獣人。亜人。人によってその呼び方は様々だけれど、どれも指し示すのはその特異点を通じてコッチの世界にやってきた異形の生物たち。血の気が多くて好戦的な彼らと僕らの世界がぶつかり合うのは最早必然と言ってもおかしくは無くて、彼らとの間に戦端が開かれるのに誰もが予想してたように時間は掛からなかった。
彼らが犯人である事件が日常的に起き、街は血の海と化して、実際にいくつかの街は彼らに占拠されて人類は逃げ出さざるを得なかった。
それでも最初は誰もが楽観視していた。溢れでた、とは言っても人類の数に比べればその数は少なくて、彼らの大多数はそこらの獣と同じように理性を持たない存在であって、感覚としては熊やライオンが街に現れた様なものだろうか。戦う術を持たない一般市民からすれば脅威ではあるけれども、それなりに武器さえ手にすれば十分に対抗できる。そう信じていた。
だけども彼らは強かった。
僕らよりも遥かに強靭な肉体に眼を疑うような身体能力、何より、彼らは僕らが持たないある武器を持っていた。
それが、魔素だ。
体は常に魔素で出来た膜の様な物に覆われていて、これまで僕ら人類が所持していた武器は、全くの無力というわけではないけれども、ただの一撃で致命傷を与えられる程の威力を発揮したわけでもない。でもそれだけで彼らは僕らにとってとんでもない脅威になるわけで、僕ら人類は少数である彼らに追い詰められていった、というのが昨今の学生なら誰もが習うここ十年の歴史だ。一時期はかなり追い詰められていたらしい。
それでも僕らがこうしてまだ世界で大手を振って歩ける理由。
それはただ一つ、魔術の存在。
魔素を生まれつき纏う彼らに有効なダメージを与える為にはこちらも魔素を用いた反撃手段を用いるしか無かった。その術が魔術であり、編み出した四人は今では「四英雄」として世界中から崇められてるけれど、その彼らが編み出した魔術は世界各国の援助もあって瞬く間に一つの技術として確立されていき、結果、彼ら魔物の侵攻を食い止め、世界は以前の様に落ち着きを取り戻すことができた。
もっとも、完全に異世界からの来訪者を駆逐できたわけでも無くて、ある特定の地域に隔離されてるだけであり、また彼らの全てが僕らと殺し合いをしたがるような好戦的で危険な存在でも無いから、一部の種族は僕らと同じように町中で何事も無いように暮らしてる。というか、彼ら彼女らの中の一部は愛くるしい容姿からあっという間に受け入れられて、日本だと一部の層には熱狂的に愛されてる。この点に対しては「流石はとてつもない国、日本」だとだけ僕の感想を述べるに留めよう。
そして、これが本題だけれど、まだ世界には特異点がある。
特異点はどうやら一定の期間が過ぎると勝手に閉じてしまうらしくて、と同時に不規則な場所に不規則な周期で開いていく。そこら辺の法則は現在進行形で研究者が解析しようとしてるみたいだけれど成果は上がってない様だ。今も世界のあちこちで小さな特異点が発生して、そこから魔物が現れてるのが現状。だからこそ夜な夜な見回りが必要であるわけで、けど何処で発生するかも分からないから人手が必要なわけで、したがって僕らの様な魔術的素養がある魔技高専の学生が駆り出されるわけで。
かと言って僕らはまだ所詮学生であり学生でしか無い。言ってみれば半人前もいいところであり、しかしながら将来的には有望とされていて、そんな嘱望されている人材を単独で見回りに送るのは世間的にも人材的にも不安が残る。だから僕らには指導員として現役の自衛官でかつ異形生命体に関する部署の隊員さんが付き添いとして同行するのだけれど。

「ええ。それなりに優秀なのは認めますけれども、暇さえあれば人を侮辱するあの性格破綻者たちはどうにかならないのでしょうかしら?」

 そう。端的に言えば彼らは非常にプライドが高いのだ。
勿論かの混乱時期を切り抜けた自負もあるだろうし、対異形生命体に対しては専門家であり、一般人よりは遥かに戦闘力として優れているのは事実で、大多数の国民・市民は彼らによって安全な生活が確保されていると言って良い。けれどもそれがどう拗れたのか、彼らは誰彼構わず人を見下すし、暇さえあればバカにするし、恩着せがましい。どうやらその根底には、他の人たちとは違うっていう「選民思想」があるらしい。
自分たちは優れていて、自分たちが守っているのは自分で身を守ることもできない「劣等人種」。だから一般人は自分たちを尊敬し崇め、傅かなければならない、というのは言いすぎかもしれないけれども、傍から見ているとそんな雰囲気を醸していて、だから大多数の人は彼らの事を好んでないし、けれども彼らが守ってくれてるのは事実であるから言葉で非難はできてもそれ以上の行動を起こすことはできていない。たまたま彼らの素養が時代のニーズとマッチしているから持て囃されてるだけであって、別に彼らが人間的に優れているわけじゃないとは思うんだけれど、彼らはそうは思わないらしい。歪んだ依存関係で馬鹿馬鹿しいとは思うけれども、残念ながらそれが現実だ。

「ハーケンクロイツでも胸に飾っとけばいいのにな。きっとヒゲの伍長殿がエルベ川から祝福してくれるぜ」
「あら、魔術師がアーリア人ばかりじゃ無い事に憤慨するかもしれませんわよ?」
「それか魔術師の起源はアーリア人だって主張しだすかもな。それはともかく、アイツらの人格について言っても仕方ない事だ。実際彼らに指導を請わなければならないんだからな」
「それでも人としてもっとキチンと接するべきですわ」
「コッチが大人の対応を取ればいいさ。バカな振りしてヘラヘラしとけば大して突っかかってくることもないしな。それよりも三人とも、『使い魔』はちゃんと持ってきたか?」
「モッチのロン! ほら、今回はちゃんと持ってきたよ!」

 ユキヒロが宥めながら使い魔について聞いてくる。そういえば、前回の見回りの時に突然「使い魔を持ってきてないとは何事だ!」とかって随行の先生に怒られたんだっけ。それまで「使い魔に頼るとは何事だ!」とか言ってたくせに。その程度の理不尽はもう諦めたけど。
その事を思い出したのかタマキは顔をしかめてたけど、スバルは気にした様子も無くポケットから僕そっくり・・・・・の人形を取り出して見せつけてくる。
使い魔について簡単に一言で言えば、仮想人格搭載型ロボットで、本来の目的は魔術を使うための魔素を大気中から取り込んで貯めたり、またすでに開発された膨大な数の魔素方程式を記録させておいて、使用者の魔術使用を補助したりするためのものだ。元々は戦時中に未熟な魔術師を一端の人材として活用するために魔素励起補助機能をつけてたり、敵である魔獣たちの情報をいつでもどこでも取り出せるようにと単なる記録装置として開発されたものらしいけれど、最近だと元来の情報科学技術と魔素工学の融合が進んで今や立派な自立型ロボットになってる。初期型だと如何にもな機械機械した見た目だったみたいだけれど、最近は有機素材が使われるようになって見た目は生物と判断が付かないくらいに精巧になってて、ペットとしても人気が高い。ネコ型やイヌ型、果てはイグアナみたいな爬虫類タイプも発売されてて、おまけに人格も搭載されててしゃべることもできるから、魔術とは全く関係ない一般の女子高生や一人暮らしのご老人宅でも人気だとか。
それはともかく。

「……スバル、貴方がヒカリの事を大好きなのはワタクシも大層存じてますわ。確かにヒカリはワタクシから見ても……少々度が過ぎているところはありますけれども、尊敬できなくもない程度には素晴らしい人物というのは認めましょう。でも、それは無いと思いますの……」
「えー? いいじゃん、ほら、ヒカリそっくりでよく出来てるでしょ? でしょ?」
「そっくり過ぎるから皆引いてんだよ」

 うん、繰り返しになるけどスバルに好かれてるのは僕としてもイヤじゃないけど、これは流石に無い。人形らしく手のひらサイズになるようにデフォルメされてはいるけれど、何処からどう見ても僕でしか無くて、しかもいつの間に録音したのか声や言い方まで僕そっくりだ。

「日々集めたヒカリ語録から編集するの大変だったのに」
「しかも自作!?」
「あ、ちゃんとヒカリの寝言も入ってるからね」

 おまわりさんコイツです。早く何とかしないと本当に僕の貞操が危ない。

「ストーカー行為も程々になさいな。行き過ぎた愛情が行き着く先はロクでも無い結末ですわよ?」
「ぶー。そういうタマキの使い魔は何なのさ?」
「ふふん、よくぞ聞いてくれましたわ!」

 言いながら颯爽とタマキが取り出したのは――

「やっぱりそっくり人形じゃねえか!」
「何を仰るの!? このつぶらな瞳! ツインテールの輝く金髪! どこからどう見ても小学生にしか見えない平べったい胸にトレードマークの黒ネクタイ! 勝ち気にコチラを見下す強気な眼差し! ワタクシが持てる限りの財力と技術と時間をつぎ込んで作り上げたこの『THEアイドル・イチハちゃん』をそんなド変態の手作り人形と一緒にしないで頂けるかしら!?」
「あーっ! ボクが丹精に作り上げた作品をバカにしたなっ、タマキ!」
「ワタクシの努力の結晶をそんな人形と同列で語られることの方が耐えがたい侮辱ですわっ!」

 ただ単に使い魔を確認しただけなのにどうしてこうなるのか。タマキの口が悪いのは今に始まったことじゃないんだからスバルも軽く受け流せばいいだろうに。まあ、これも二人のコミュニケーションみたいなものか。

「実際に作ったのは俺だけどな」
「……僕はたまにユキヒロが恐ろしくなるよ」

ちなみにタマキの言う「アイドル・イチハ」は世の男性のみならず女性をも虜にする、今世間で一番人気のアイドルだ。常にテレビのどれかのチャンネルに露出してるから、世情に疎い僕でも知ってる。

「まーたくだらない事で言い争いをしてるのかにゃ、あの二人は」

 ぎゃあぎゃあと罵り合う二人をボンヤリと眺めてると、肩に軽い衝撃。フサフサとした尻尾の毛が耳たぶを撫でるのがくすぐったくて肩に眼を遣れば、一匹の黒猫が呆れていた。

「ユキ」
「まぁーったく、いい加減飽きてもいい頃だと思うんだわさ、わちきは」

 街頭の光でさえ反射して輝くほど毛並みの良いこのネコ。ユキ、と僕が呼んだコイツこそが僕の使い魔だ。ピンクの首輪がトレードマークで、ネコにも美人という概念があるならたぶんコイツの事を言うんだろうなというくらい可愛らしいコイツだけれど、一体どういう仮想人格がインストールされてるのか、面白いほどに僕の言うことを聞かない。いつだって自由気まま。気づけばふらっと居なくなっていつの間にか今みたいに僕の傍に戻ってくる風来坊。もっとも、僕がコイツに指示を出すことなんてほとんど無いし、僕が必要としてる時にはちゃんと戻ってくるから問題は無いのだけれど。

「逆にあの二人の言い争いが無くなったらソッチの方が不気味だがね、俺は」
「言えてるかも」
「ふん、みゃあそんにゃもんかしらね」
「あ、ユキだ」
「あら、ホント。ユキちゃん、お久しぶり」
「久しぶりもにゃにも昨日会ったばかりにゃ」
「ワタクシにとって可愛い子と一日会わなかったらもうお久しぶりなのですわ」

 低レベルな争いをしてた二人だけど、ユキを見つけるとあっさり意識をコッチに向けて近づいてきた。ユキが来るといつもそうなんだけど、どんなに激しくじゃれあってても二人はすぐに何事も無かったかのようにユキの所に寄ってくるんだよね。ユキにはケンカを止める不思議な才能でもあるんじゃないかとつくづく思う。ロボットだけど。

「そいつは光栄にゃ。それより、早く行った方がいいんじゃにゃいかにゃ?」
「え?」
「怖いおっさんが待ってるみたいニャよ?」

 ユキの言葉に振り向いてみれば、気がつけば僕らはすでに集合場所の眼の前まで到着してて、そして集合場所では今回の筋骨隆々の随行教師(四十二歳)が腕組みしてコッチを睨みつけてた。
さてさて、特に怒らせる様な事をした覚えは無いんだけれど、開口一番に何を言ってくるやら。とりあえず覚悟だけはしておこうか。

「遅いっ!! 貴様ら一体何時だと思っている!?」
「……時間通りのはずですが?」

 ポケットから携帯を取り出してみれば、デジタル表示は午後八時前を示してる。指示された集合時刻は八時だから全然問題ないはずで、僕らは皆互いの顔を見合わせて不思議そうな顔を浮かべるしか無い。

「何を言っとるんだ、貴様は! 七時半に集合だと伝えただろうがっ!」

 その言葉を聞いた瞬間僕らは以心伝心、一心同体とばかりに一斉にため息を吐いた。
こうして嘘の集合時間を伝えられるのは今に始まったことじゃない。見回りで騙されるのは初めてだけど、何かイベントがある毎に、事もあろうに教師が僕らを陥れようとするのは如何なものかと思うけれど、どうにかして教師連中は僕らを退学に追い込みたいらしい。全く、理不尽だ。ちょっとばかし魔術が使えないだけじゃないか。そこまで嫌う必要無いとは思うし、嫌いならば徹底して無視してくれればコチラの心の平穏も保てるというのに、敢えて構おうとしてくるなんて全く以て非生産的でお暇な事だ。

「まあそこまでにしておいてください、時津教諭」

 なおもガミガミと、まるで日常のストレスをこの時の為に発散もせずに溜め込んでるんじゃないかとばかりに説教という名のストレス発散行為を実行しようとしてた時津先生(名前は今思い出した)だったけど、彼にとっては不幸にも、僕らにとっては幸運にも今回の指導員らしき女性の自衛隊員が止めてくれた。

「しかしですな……」
「もう時間も押しています。彼らへのお叱りは私たちが引き継ぎますから、どうぞもう辞して頂いて結構です」
「分かりました……おい、お前らっ! 絶対に迷惑を掛けるんじゃないぞ!」

 最後まで何か言いたげだったけど、時津先生は渋々と言った感じで僕らの方を何度も振り返りながら路地の向こうに消えていった。

「べーっだ! 何だよ、あの先生! 自分が騙した癖に! 今度後ろから蹴飛ばしてやろうかな!」
「よしなさいな、スバル。あんな小者に付き従って自分まで同レベルに堕ちる必要はありませんわ。どうせ家庭で奥方に尻に敷かれてる腹いせよ」
「そういやあの先生、奥さんに離婚届突き付けられたって噂だったな」
「それくらいにしてやってくれないか? あれでも一応私の恩師でもあるんだ」

 女性隊員の宥める声にスバルたちは口を突いて出てきそうな言葉たちをどうにか飲み込んでくれたらしく、その様子を見た女性も少しホッとしたように肩の力を抜いて、そして僕らに向かって手を差し出してきた。

「初めまして、今回指導員を担当することになった霧島サユリだ。階級は三尉。君らの様な有名な後輩を担当できて光栄だよ」
「よろしくお願いします。あー、霧島三尉、早速ですけど一つ質問が」
「何だ? ああ、今回君等とは指導員と学生という関係だが、元は私も魔技高の学生だったんだ。だから遠慮無く質問してくれて構わないよ」
「お心遣い痛み入ります。それで、あの……僕らってそんなに有名なんですか?」
「あったりめーだろ」

 霧島さんに尋ねると、その後ろから呆れた様子の男の声が割り込んできた。にゅ、とばかりにやや小柄な霧島さん(女性としては大柄ではある)の後ろから顔を差し込んできて、次いで僕らとの間に体ごと割り込んでくるニヤけた、人を小馬鹿にしたその顔に僕はどこか見覚えがあった。

「理事長の覚えめでてぇ、栄えある魔技高専特任コースきっての劣等生だもんな、テメェら」

劣等生。見下す彼の顔にはその他の魔術師と同じく悪意に塗れていて、端正な顔立ちにも関わらずその顔が醜悪に見えてくる。だからすぐに僕は顔を背けた。
言いっぷりに思うところはある。けれども残念ながら僕ら四人は彼の言う通り劣等生という言葉が適切な成績だから反論しようは無いし、そもそも成績的に落ちこぼれであることに別に不満も苛立ちも無いからどうでもいい。
それよりも一体何処で彼を見たんだろうか、と一人頭を悩ませてるとユキヒロの方から答えが返ってきた。

「これはこれは。雪村前生徒会長じゃないですか。先輩も今日は俺たちのご指導を?」
「そういうこった。俺だって気に食わねぇがそこの」

 言いながら僕を指さして。

「魔術の使えねぇ出来損ないに」

 次にタマキを指して。

「運動神経の死んでやがる百合女」

 今度はスバルを見て。

「威力の半端な使えねぇガキに」

 最後はユキヒロを見下して。

「頭でっかちで何もできねぇ半端野郎がそのまんま魔技高出身として世の中に送り出されちまったら俺ら卒業生の評価まで下がっちまうからな。だからわざわざ先輩として指導してやろうとクソ面倒くせえ事を引き受けてやったんだよ」
「はあ、そうですか」

 そんなバカにしきった態度と口調で言われても何の有り難みも感じないけど。アクビをしながらめんどくさそうに頭掻いてるし、そもそも実際に指導なんてする気はないのかもしれない。大方、僕らが今晩の見回り当番であるのと同じように単に順番が回ってきただけなんだろう。

「雪村。言葉が過ぎるぞ。彼らはまだ学生なのだから未熟なのは恥では無い。ならば私たち先達が適切な指導をしてやればいい話だ」
「へいへい。分かりましたよ、三尉殿」

 霧島さんの諫言にもどこ吹く風、とばかりに不遜な態度と口調で大きなアクビをする雪村さん。それを見て霧島さんは「はぁ……」と一際大きなため息をついて、だけどすぐに気を取り直してコッチに向かって手を差し出してきた。

「不快な思いをさせて申し訳ない。後で私の方から彼には言っておくから許してほしい」
「別に結構ですわ。甚だ不本意ながらワタクシたちはこういった扱いに慣れておりますもの」

 タマキの返答に霧島さんは少し顔をしかめるけれどもそれも一瞬の事。笑顔で僕らと次々と握手を交わしていく。最後に僕が手を握ったわけだけれども、その手は印象通りに柔らかくて優しい。

「今日はよろしく頼むよ、紫藤」
「コチラこそよろしくお願いします」

 表情には彼女たち魔術師がいつもどこかに隠し持ってる悪意や侮蔑がどこにも見当たらなくて、ただ純粋にフラットな気持ちで僕らに接しようとしてくれているのが分かる。それはきっと人としては当たり前で、でも魔術師たちの中ではとても珍しいこと。そして、ありがたいこと。さぞかし変人で性格が残念な人達の中で過ごすのに気苦労が絶えないことだろう。

(世の中こんな人達だったら楽しく過ごせるだろうにな……)

 人生ままならないものだ。つくづくそう思いながら霧島さんたちと一緒に僕らは今晩の見回りをようやくスタートした。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 夜が暗くなった。見回りしながら住宅街を歩く僕は、記憶の中の昔を思い出しながらそう思う。
僕がまだまだもっと小さい時、つまりは世界に特異点だとか魔獣だとかが生まれるもっと前、あくまで記憶だから実際は違ったのかもしれないけれど、夜でももっと華やかだった気がする。
別に今の夜の街に光が無いとかそういうわけじゃない。実際に今僕らが並んで歩いている片側一車線の細めの路地だってアチコチに街灯が立てられて、光度の強い灯りが数歩歩く度に僕の影が後ろから前へ移り変わっていく。遠くにそびえ立つ高いビル群に眼を遣れば、綺羅びやかなネオンやオフィスの煌々とした灯りがハッキリと見えるし、夜空を見上げれば、街の灯りのせいで雲一つ無い晴れ渡った空だっていうのに星は一つとして見えやしない。たぶん、僕ら人類は昔よりもずっと光を求め、好むようになったと思う。
だけど人が居ない。
ここが住宅街だから、という事もあるのだろうけれど、僕らが見回りを始めて小一時間。その間にすれ違った人は――零人だ。
夜になると人類は皆屋内に引きこもるようになってしまった。陽が傾き始めると誰もが帰宅する準備を始めて目もくれずに真っ直ぐに家路に着く。家に帰り着けば固く鍵を掛け、遮光性の高いカーテンで外と内を明確に区別する。そして頑として外に出ようとしない。それは、世界が変わった事と無関係じゃない。

「ホント、すっかり皆夜に出歩かなくなったよねー」

 隣を歩くスバルの独り言に僕は黙って頷く。

「仕方ない事だ。誰もが戦う術を持ってるわけじゃないからな」
「誰かを傷つけたいと思ってる人も少ないですもの。手にした力に飲み込まれずに使いこなす、そんな自信なんて早々持てるものでも無いですわ」

 特異点の多くは夜に発生する。そのサイズは大きかったり小さかったり様々で、そこから出てくる魔物の種類も様々。そして、世間の大多数の人間は彼らに対抗する手段を持っていないわけで、だとすればヘタに夜出歩けば怪物の魔の手に掛かることは残念なことに幼稚園児だって今や知っている。
これまでの研究で特異点が発生しやすい場所っていうのは大方目星がついてるらしい。魔物の多くは人工的な灯りを嫌うし、特異点も暗い場所に発生しやすい。加えて、人が多くいる場所には発生した例はこれまでに無いって授業でも言っていた。
だから人は家に篭もるし、街の至る所に二十四時間照らす灯りを作っていった。都心部には昔以上に人が集まってお祭り騒ぎの様な華やかな空間が次々と作り出されていって眠らない街になる。誰もが夜を恐れて夜が空けるのを心待ちにし、常軌を逸した勢いで光を求めて技術を発達させてきた。少なくとも、かつての混乱はそれくらいには人類に傷を植えつけた。人気の無い夜の町をこうして出歩くのは僕らの様な魔術師か自殺願望者くらいか。
それと――

「……ここにもいるの?」
「……みたいだ」

 主を亡くしたドッペルゲンガーの成れの果て。青白い顔を白光りの下で照らされながら何をするでも無く町の中をさまよい歩くその姿はひどく孤独で一人ぼっちだ。半身を失って、なのにそれに気づかず死んだ自身を探して徘徊し、誰にも認められずに自然と消えていくのを待つだけ。世界から嫌われたその姿を見る度に、僕は胸の奥底を掴まれた様な錯覚を覚えて呼吸の仕方を忘れてしまう。
そっと肩の上に乗ったユキが僕の頬に頭を擦りつけて、ザラザラとした舌で舐めてくる。僕は右手でユキの喉を撫でて、ユキがゴロゴロと気持よさそうに喉を鳴らした。
 彼は、僕とは違う。
頭の中だけで僕は僕に言い聞かせて息を吸い込む。大丈夫、僕はキチンと世界の上に立っていて世界と繋がってるから。

「そういえばさ」

 スバルが僕を見上げた。

「聞いた事がある? 最近起きてる事件」
「事件?」
「もしかして魔術師ばかりが襲われてるという噂の事件かしら?」
「そー、その事件。魔術師の自衛官ばっかが夜に見回りしてる最中に倒れて意識不明で見つかってるって話」
「俺も聞いた事があるな。熟練の魔術師が一人で見回りをしてる時を狙って襲われてるらしいが、目撃者は今まで居ない。連絡が取れなくなって駆けつけた仲間が発見した時にはすでに自身のドッペルゲンガーを失って倒れている被害者だけだとか」

 む。どうやら皆話は聞いたことがあるみたいだ。テレビもまともに見ないから情報弱者という有難くも無い称号を謹んで拝承することも吝かでも無いけれど、流石にニュースくらいは多少は見聞きはする。どうも結構な事件みたいだし、有名な話なら少しくらいは僕の耳に入っても良さそうだけれど、タマキは「噂」って表現したし、まだそこまで世間には広まっては無いのかもしれない。

「ちょっと待て、お前ら」
「はい? 何か?」
「どこでその話を聞いた? まだ世間には公表されてないはずだ」

 あれ、まだ公開されてない情報なのか。その割にはスバルもユキヒロも結構具体的に知ってたみたいだけど。
僕の疑問を他所にスバルは「フフン」と鼻で軽く笑って、人差し指を口元で左右に振った。

「チッチッチ。甘いなぁ、サユリちゃんは」
「さ、サユリちゃん?」

 突然の「サユリちゃん」呼ばわりに霧島さんが眼を白黒させてるけれど、スバルは話を続ける。ま、スバルだし、そんな事気にする奴じゃないしな。

「自衛隊がどのくらい本気で隠してるのかは知らないけどさ、もうこのくらいの情報はネット上じゃ皆当たり前の様に知ってるよ?」
「……そうなのか?」
「そうだよ。人の口に戸は立てられないからね。誰かがちょっと油断して漏らしちゃえば後はもう光の速さもかくや、ってなスピードでネット上じゃ広まっちゃうよ。ましてやみんなみんなだーいすきな魔術師『様』に関する事件だからね。面白可笑しく脚色されてネット上で楽しんでるのさ。ま、だからこそ真実を探し当てるのが難しいんだけどさ」

 そういえばスバルはパソコン部だったっけ。実質所属してるのはスバル一人で特にやることも無いからずっとパソコンの前に座ってネットサーフィンばっかやってるって前に言ってたな。
 スバルの中々にキツイ皮肉が効いたのか、霧島さんは難しい顔をして黙りこんでしまった。魔術師が世間の嫌われ者なのは確かに事実で、僕としても中々に腹に据えかねる事もあるから気持ちは分からなくは無いんだけれど、何も霧島さんに言わなくてもいいだろうに。でもスバルはまだ何か言いたげに口を開きかけてる。
 仕方ない。せっかく霧島さんは僕らに対して偏見もなく接してくれてる稀有な人物だし、手遅れかもしれないけれど悪い印象を持たれたままにするのも僕としては嫌なので、そろそろスバルを宥めるとするか。
そう思って僕がスバルの頭を撫でようとした時だった。

「……っ!?」

 その時、唐突に頭を過ぎった世界が崩れる感覚。フラッシュバックするかの様に見たことも無いはずの、世界に穴が開いて深淵がコチラを睨む映像が視界をジャックしていく。前触れも無く訪れたその刹那の挿入に僕は立ち止まり、そして振り向いた。
振り向いた先。そこには当たり前のように僕らが歩いてきた道があって、そこに立っている人は居ない。空虚さがあるだけだ。
だけど――

「……え?」

 遠く離れた民家の屋根の上。そこには人影が一つ。本来なら居るはずのない人が僕の方をじっと見ていて。
 どうして、彼女が……?
疑問に染まる僕の視線に気づいたのだろうか。その人影は何をするでも無く、すぐに僕に背を向けて消え去っていく。

「どうした、紫藤?」
「……いえ、何でもありません。誰かに話し掛けられた気がしたんですけど、気のせいだったみたいです」
「ハッ! 夢見ながらでも見回りは大丈夫ですってか? さっすが理事長のお気に入りは違うね」
「雪村」
「……ちっ」

 何かと絡んでこようとする元生徒会長だったけれど、やっぱり階級の差は大きいのか、舌打ち一つで矛先を引っ込めた。上官に対して舌打ちするのも本来なら叱責モノだと思うんだけれど、これもやっぱり魔術師たちが皆こんな性格だからなのか、霧島さんもそれ以上言葉は重ねはしないみたいだ。代わりに深々とついたため息が彼女の苦労を物語ってるけれど、部外者の僕には心の中でソッと同情するくらいしかできないのが申し訳ない。
奇妙な居心地の悪い静寂の後、明るくも静かな街に携帯が鳴って誰もがその音源に意識を注目させる。霧島さんは迷彩服のポケットから取り出して折りたたみ式の携帯を開いて耳に当て、「はい」と肯定を示す返事を何度も繰り返す。
手短な会話(そもそも会話と呼べるのかは怪しいけれど)を終えると彼女は、これまでより一層表情を引き締めて僕らに告げた。

「特異点の発生が確認された。これより我々は現場に向かって対象の情報収集、もしくは殲滅を行う」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 静かな街中を僕らは一斉に走り抜ける。
僕を除いて皆は魔術で身体能力を強化して、車と遜色ない速度で移動ができる。しかも車と違って無理に道にそって移動する必要もないから実際には遥かに迅速に目的地に着くことができる。
塀を蹴り、屋根を飛び越えて僕ら六人は夜空を飛び回る。煌々とした灯りを眼下に従えて、数キロ離れた目的地へあっという間に近づいていった。

「ちょっと待ちなさい! ワタクシを置いて行く気!?」

 元々の運動能力が低いタマキが、少し遅れた後方から叫んでくる。魔術で筋力とか防御力とかは著しく向上するけれども、流石に体の動かし方が上手くなったりはしない。どのタイミングで、どういった角度で力を加えれば上手く動けるかは言葉で説明するのは難しいし、そこら辺は運動神経の問題になることの証明例といえるかもしれない。
タマキの声が聞こえてないのか霧島さんは振り向きもしないし、雪村さんはわざわざスピードを落としてタマキの横に並んだ後、「ハッ!」って鼻で笑って先に行ってしまった。どうしてそういうことが出来るんだろうか、とあの人の神経を疑いたくなるけれど、それを言っても詮なき話だ。大体が「魔術師たるもの知力・体力・魔力ともに優秀たれ」みたいな考えを持っててそれを当たり前で疑ってない人たちだからな。

「タマキ」
「ん。悪いですわね」

 代わりという訳じゃないけれど、僕が速度を落として彼女の手を掴んで引っ張っていく。
一体どういう構造になってるのかは分からないけれど、僕は魔術を使わなくても問題ないくらいに運動能力が高い。勿論人体の構造的に全くの身体能力だけで魔術師と同程度の動きが出来るはずが無くて何らかの魔術的要素が体に作用してるんだろうけれど、今のところその原理は我が体ながら不明だ。気にならない、と言ったら嘘だけれどもたいして不利益がなくてむしろご利益が多いから文句はない。ただし、魔技高専を辞めさせてもらえない点に関しては閉口させてもらう。

「どうやら到着したみたいだよ」

 スバルの声に意識をタマキから証明に戻すと、霧島さんが手を上げて停止の合図を出していた。その合図にならって僕らもまた地面に降り立つ。

「……着地の補助をしてくれるのは紳士として立派とは思うのですけれども、この体勢は如何かと思いますわ」
「失礼」

 着地の時に転びそうになってたから咄嗟に掴んだんだけど、ネコの様に首筋を掴まれた格好で不服を口にするタマキを下ろし、音を立てない様に静かに霧島さんの元に近づいていく。

「あそこだ」

 霧島さんが声を殺して指差す。その先に僕らは視線を送る。
眩いばかりに過剰な灯りをバラまく街灯が立ち並ぶ細い路地。けれどもその一角に薄暗い領域が存在した。たぶん電灯が切れてしまったんだろう、夜間ということを考えれば十分明るいけれども光を失った街灯の下にたむろする様に固まって蠢く幾つかの影がそこに居た。

「どうするんスか?」
「そうだな……」

 霧島さんは腕を組んで数秒考え込んで僕らの方に向き直った。

「この程度であれば彼らに退治してもらおうか」
「へっ? コイツらだけでやらせるんスか?」
「そうだが、何か問題が?」
「いやいや! 三尉だってコイツらの話は聞いてるでしょ!? この出来損ない連中だけじゃ無理ですって!」
「何故そう思う? 君は彼らが実際に戦う所を見たことがあるのか?」
「見なくたって分かりますって!」
「優秀な君は見なくても分かるかもしれないが、残念ながら私は君ほど優秀では無くてね。実際にこの眼で見てみたいんだ。なに、もし彼らが上手く行かなかったら我々がフォローしてあげれば問題ない。優秀な君の事だ、それくらいは朝飯前だろう? それとも自信が無いのか?」

 最後に霧島さんがいたずらっぽく笑って雪村さんを煽ると、雪村さんはムッと顔をしかめて渋々首を縦に振った。穏やかでいい人な雰囲気を醸してるけれど、意外と霧島さんもいい性格してるのかもしれない。まあ、単にいい人ってだけだとあの世界で生きるのは辛いのかもしれない。

「というわけだ。早速準備に取り掛かってくれ」
「二人が話してる間にもうとっくに準備出来てるよ」

 スバルが応えた様に、僕らはただ突っ立って話が終わるのを待ってたワケじゃない。僕とスバルは腰に下げてたプログレッシブ・ソードにバッテリーを装着していつでも起動できる様にしてるし、ユキヒロは魔銃に魔弾を挿入し終えてる。タマキの「イチハちゃん人形」は魔素励起がいつでもできるようアイドリング状態になってる。いつ戦闘に突入できても問題は無い。タマキの人形のせいでどこか緊張感に欠けてはしまうのだけれど。

「そうか。ならまずは君たちだけでやってみてくれ。もちろん危険と判断したら我々がバックアップするから気にせず自分たちの判断で動くように。ただし、建物に被害が及ばないようそこだけは気をつけてくれ」
「心遣い感謝しますわ。もっとも、霧島三尉たちの出番は無いままでしょうけれど」
「そーそー。黙って安心して見といて大丈夫だよ」
「それは頼もしいな」

タマキが自信満々に応えるけれど、それも過信とかそういったものじゃない。僕らなら何の問題もなく達成可能だという当たり前の事を当たり前に述べてるだけだ。個人的には何度戦っても不安が残るけれども、だからこそタマキやスバルの自信が頼もしい。視界の端で忌々しそうに舌打ちしてるあの人は無視だ。
僕らは四人、影に向き直って並び立つ。どれだけ霧島さんが期待してるのかは分からないけれど、スバルにタマキ、ユキヒロの足を引っ張らない程度には期待に応えないといけないな。
「ヒカリ。敵の姿はどれだけ見える?」

 魔銃の引き金に指を掛けた状態で、ユキヒロがメガネのレンズに光を反射させながら僕に尋ねてくる。その奥から覗きこんでくる眼差しに乗り込んで向かってくるのは確認だ。薄暗くておまけに奥の街灯のせいで逆光になってて、普通なら影にしか見えないけれど僕になら見えるだろう、という信頼だ。だから僕は当たり前の様に答える。

「数は四匹。体のサイズはタマキが好きそうな大きさ。見た目は猿だけど、猿にしては手足が不自然に長いし、手にも脚にも鋭い爪が付いてる。外見からの情報はこれくらいだけど、分かる?」
「俺をバカにするなよ、ヒカリ。それだけ分かれば十分だ。
 ――恐らく相手は悪猿鬼。群れで現れる事が多くて仲間意識が強い。純粋な膂力は他の魔獣に比べれば強くは無いが、動きの重心が低くてすばしっこい。爪は鋭いが魔術で強化した肉体を貫く程には硬くないから、精々引っかき傷くらいしかつかないだろうな。ただし小猿鬼と似てるが、小猿鬼と違ってコイツらは気づかない内に精神感応魔術を使ってくるから要注意だ。前後不覚に陥ってコッチに攻撃してきたら迷わずお前らの頭を撃つからな。精々気を付けてろよ」
「ふふん、ユキヒロ、誰に対してそんな事言ってるのさ? ボクを誰だ思ってるのさ?」

 スバルの後ろに仄暗く誰かの顔が浮かび上がった。スバルと全く同じ顔をした黒髪のソイツは実体のスバルとは違って気弱そうにオドオドとしていて、けれどもどことなく懐かしさを覚える。この姿こそが僕の知るスバルだ。
ドッペルゲンガーのスバルが現れると同時に周囲の魔素が励起されて動きが活発になる。そして、スバルの目の前の何もない空間上に膨大な数の魔法陣が一瞬で描かれていく。
一つ一つが複雑怪奇な模様であって、だけどもよく見れば、遠目には単なる線に見えるその一本一本が魔素方程式となってる。詠唱に依る言霊の補助も無くて頭の中だけでこれを描けるスバルは、やっぱり凄い。

「家の方へ逃げられたら面倒だからね。アイツらの目の前に獲物が居るように幻覚を見せてコッチの方に誘導するから、ヒカリとタマキで攻撃宜しく」
「分かった」
「夜更かしは乙女の肌には毒ですわ。さっさと終わらせてしまいますわよ」

 光の帯が一直線に敵に伸び、するとスバルの言葉通り悪猿鬼たちが僕らの方に向かってくる。小柄な体躯を一瞬屈めて、けれどもそれは一瞬。一斉に、まるでバッタが跳躍するみたいに瞬きも許さないくらいの速さで僕らに近づいた小さな猿たちは鋭い爪を振り下ろす。
けれどもそれは幻想。
何も無い空間を僕らの居場所と認識していた彼らは、突然消え去ったであろう僕らの姿に驚いて体勢を崩す。もっとも、僕らには彼らの表情なんて分かりはしないけれども。

「さて、派手に行きますわよ。今日のワタクシは機嫌が宜しくなくってよ」

 隣に立っていたタマキが詠唱を開始した。使い魔「アイドル・イチハちゃん」人形から高密度の魔素が供給されて、それがタマキのドッペルゲンガーによって指向性がもたらされていく。同時に、スバルよりは数は少ないけれどもより一層複雑な魔法陣が魔素を使って描かれて夜の街に怪しい光を発し始めた。
そして僕は跳躍する。
タマキは優秀な魔術師だ。それは誰もが認めるところで、仮に悪意を持った誰かがそれを否定したところで僕は彼女が優秀だと認める。だけどもそんな優秀な彼女を以てしても、彼らモンスターに対して威力を発揮する魔術を行使するにはしばしのタイムラグが生じてしまう。普通の魔術師であれば強化された身体能力で敵から距離を取りながら詠唱を続けるのだけれど、元々の運動能力が低いタマキだとラグは単なる隙となってしまう。
その隙を埋めるのが僕の役割。手に持ったプログレッシブ・ソードのスイッチを入れて大気中から取り込んだ魔素を刀身に供給する。刃渡り一メートルに及ぶ狂気を手に僕は脚に溜め込んだエネルギーを一気に解放した。

「んなっ!?」
「ほう……!」

 背後からの声を聞きながら僕の体が風を切り裂いていく。僕と猿鬼の距離は高々十数メートル。その距離は僕にとって無いに等しい。

「ギュエアァァァッ!!」

 未だに僕らの正確な位置を把握できて居なかった猿鬼たちに剣をかわす術は無い。一体の鬼を一刀のもとに袈裟に切り捨てて、斬り裂かれた鬼は耳障りな断末魔を上げて光の粒子となって消えていく。

「ギャギャギャギャッ!!」

 一体が倒されたことでようやく僕の居場所を認めた悪猿鬼たちは、長い手を使った攻撃で僕の頭に襲いかかる。街灯に照らされて反射する爪は、ユキヒロは大したこと無いみたいな事を言っていたけれど、どう見ても凶悪。殺傷力を有するのは明らかで、だけども。

「当たらなければどうという事は無いんだ」

 スウェーでかわして、目の前を鋭い爪がゆっくり・・・・通り過ぎるのをじっくり見て、僕は右足を思い切り蹴り上げた。
脚に掛かる軽い反動。左から着た悪猿鬼が上空に直角に消えていく。そして僕は残る一匹を視界に捉えた。
無言のまま空中に展開されていくデタラメな方程式の類。でもそれはあくまで僕ら人類から見た時の話。魔獣たちは僕らとは違った法則の中で生きていて、だから人類が式を理解できなくても仕方がなくて、それは僕ら人類が人類を理解しようとするのとどちらが難しいのだろうか、などと関係ない疑問が頭に浮かぶ。けれどそんな事は重要ではなくて、大切なのは今猿鬼は魔術を行使しようとしているその事実。

「ユキヒロ!」

 僕の呼び掛けにユキヒロがすぐさま反応した。構えた銃の照準は猿鬼の口で、瞬時に放たれた魔弾は猿鬼の口に寸分違わず吸い込まれていく。

「フリーズ」

 ユキヒロの短い詠唱が響き、同時、魔弾に込められた、加工された魔素が弾けて悪猿鬼の口元を氷で縫い付けた。
 そして僕もまた駆け抜ける。魔弾はその弾速と詠唱不要というメリットはあるけれどもその威力は魔術に到底及ばず、例え相手が耐久力と防御力に乏しい猿鬼だとしても致命傷足り得ない。単に猿鬼の口を封じただけに過ぎなくて、でもこの場合はそれで十分。
展開されていた魔法陣にヒビが入り、魔素が拡散していく。接近した僕の腕が真っ二つに割れた魔法陣の間に入り込んで、その奥にいる眼の真っ赤な猿の顔を掴み、そして空へと放り投げた。

「グギャゲッ!?」
「スバル!」
「分かってるよっ!」

 僕が投げた個体が、さっき蹴り上げた個体とぶつかり合う。猿鬼たちの口から悲鳴が零れて、そこでまた新たな魔法陣が取り囲んでいく。

「クオド・バインド」

 スバルの声が響き、光の輪が二体をそれぞれ空中で縛り上げた。
――さあ、仕上げだ。
お膳立ては全て終わった。なら最後は彼らを魔素へと返すだけ。
振り返って朗々と唄い上げるタマキを見る。両手を広げて楽しげに笑った彼女は、発動を決定づけるフレーズを宣言した。

「イグニス・バースト」

 瞬間、眼も眩まんばかりの閃光が僕の瞼を焼いた。
地面のアスファルトに描かれた最終魔法陣から真っ直ぐ空へと炎の柱が伸びていって、神の怒りを思わせるような指向性を持った熱量が瞬時に猿鬼たちを灰へと戻していく。立ち昇った光柱は月を貫かんばかりに矢のように空を駆け上がり、夜空はまるで昼間みたいに明るく照らされてさぞかし遠くからも目立ったことだろう。
相変わらず本気のタマキの魔術の威力はえげつない。どう考えても猿鬼たち相手だとオーバーキルだ。にも関わらずタマキは額の汗を拭きながら「ふぅ……」と満足気だ。ストレス発散ができて気持ち良かっただろうな。
眼を見開いて空を見上げていた霧島さんと雪村さんの二人に向かって、ズレたメガネのフレームを押し上げながらユキヒロが問いかけた。

「さて、こんなものだけれどこれでもまだ不満かな?」
「いや……正直驚いたよ」呆然としてる雪村さんを放っておいて先に意識をコッチに戻した霧島さんが手を叩きながら褒めてくる。「まさかここまで出来るとは思わなかった」
「一人で対処しろ、と言われると困ってしまいますけどね」
「ワタクシたちは一芸に秀でてるから仕方ないですわ。だからこそ組む相手を選ばないといけないのですけれども」
「まったく同感だ。君らはいいグループだと思う。私としても正直侮った気持ちも無かったとは言えない。謝罪させてもらうよ。雪村も見直したことだろう」

 名前が出てようやく我に返ったらしい雪村さんは最初羨望に近い眼差しを僕らに向けていたけれど、つい今しがたの光景を作り出したのが散々バカにしていた僕らだってことを思い出したらしく、すぐに忌々しそうに顔をしかめてそっぽを向いてしまった。たぶん、この人は単純に強くかったりだとか凄い事ができる人が好きなんだろうなって思う。さっきの気を抜いてた表情は完全に悪意は消え去ってて、純粋に楽しそうな表情だったし。意外と雪村さんも分かり易い性格なのかもしれないな。

「周囲の民家に影響を及ぼさないようにする心配りもあったし、互いが互いの役割を理解していて連携も完璧だ。本来、我々もこうあるよう訓練すべきなんだろうが……」

 言いながら霧島さんはチラ、と雪村さんを見遣ってため息を吐いた。言い方に苦労してる感が滲み出してて、訓練の様子が眼を閉じればまざまざと浮かぶようだ。その想像が合ってるかは別として。

「だが、やはり我々のフォローは必要みたいだな」
「……ワタクシたちの戦い方にご不満でもお有りですの?」

 口を尖らせてタマキが抗議する。タマキの不満ももっともで、今までの霧島さんのコメントっぷりだと特に問題はない様に思えるんだけどな。
と思ってると、僕とタマキの肩をユキヒロとスバルがトントンと叩いてきた。何事、と揃って振り返る僕らに向かって奥を親指で指し示した。

「あれ、どーすんだ、お前ら?」

 言われて見た先にあったものは。
僕が踏みしめたことで砕けたアスファルト。タマキの魔術ですっかり煤けてしまった家の塀に、蹴り飛ばした猿鬼がかすった事とタマキの魔術で焼き切れて垂れ下がった電線。複線供給のおかげで消えてはいないけれど、明らかに周囲よりも光量の落ちた街灯が時々チカチカと点滅してた。
流石にすぐ傍であんな魔術を使われて家の中に篭っていられるはずもなくて、付近の家々の窓からは続々と住民たちが顔を覗かせ始めていた。
まあ、有り体に言えば派手にやり過ぎたわけで。
こうなってはできる事は限られてくるわけで、タマキと僕はお互いに顔を見合って、どちらともなく小さく頷く。

「申し訳ございませんでした」

 二人揃って丁重に土下座で霧島さんに頭を下げました。









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