Top

1-1 
1-2 
1-3 
1-4 
1-5 
1-6 
1-7 
1-8 
1-9 
1-10 
1-11 
1-12 
1-13 
1-14 
1-15 
1-16 
1-17 
1-18 
1-19 
1-20 
epilogue 









現在の閲覧者数:

(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved







 上空を見上げてみれば、そこにはいつもはあるはずの夜空がどこにも無い。時折曇り空で恥ずかしそうに隠れているけれども、雲が無ければ必ずと言っていいほどに僕らを見下ろしている月だって見当たりはしない。
代わりにあるのは何処を見上げても魔術の海だ。

「これは……」

 一歩踏み出したところで立ち止まったスバルが息を飲んだ。ユキヒロ――の顔をした誰かを取り囲んで銃を向けてる軍警察の人たちも同じように唖然として動きを止めてしまってる。当然だ。今まで、誰だってこんな光景なんて見たことがあるはずが、無い。
 地獄を思わせる灼熱の火炎の隣に氷の世界を想像させる氷塊。無数に散らばるそれらの隙間には雷の様な放電現象がそこかしこで発生している。加えて僕の眼には魔法陣の中で圧力を高める不可視の空気の塊が見えていた。
現在開発されている攻撃魔術の、ありとあらゆるものがそこにはあった。眼下で見上げる僕らに向かって牙をむき出しにする肉食獣が居る。そんな錯覚を覚えてしまう。

「クヒヒヒヒ……!」

ユキヒロの顔を持つソイツは楽しそうに嗤った。ユキヒロが決してしないだろう下卑た笑みで不快に声を上げて、僕にはその声が堪らなく不愉快だった。
ソイツはゆっくりと手を上げた。その先に何が起こるか。まともな状態ならばすぐに判断できただろうけれど、もしかしたら精神魔術も合わせて行使されていたのかもしれない。
ただ言えることは、その呪縛から解き放たれて誰かから声が上がったのは、手が振り下ろされる直前だということだ。

「――っ! 散開っっ!!」

 同時に、魔術の嵐が吹き荒れた。
空を覆うほどの数えきれない数量の魔術が一斉に発動して、僕らに向かって襲い掛かってきた。
吹き荒ぶ暴風。爆発。そして頬を掠めていく閃光と弾丸。着弾して僕らの目の前に炎の壁が現れたかと思えばその壁を突き破って氷の刃が腕を斬り裂いていく。その無数の氷は炎に煽られて一気に膨張して、爆弾じみた破裂音を伴って辺り一帯に小規模な、だけれども至る所での破壊をもたらしていった。
弾き飛ばされた僕の体が宙を舞って、そして遅れて痛みがやってくる。けれども直撃を何とか避けられたおかげか、特に動きに支障を来すような怪我はなさそうだ。
動物みたいに四つん這いになりながら着地。すぐ傍でスバルが着地したのが目に入ったけれど、どうやらお得意の無詠唱で空気の壁を張ったみたいで、見た感じスバルも怪我はなさそうだ。
だけども、他の人はそうでも無かった。
包囲網は完全に崩れてしまって、そこかしこに横たわる、ついさっきまで銃を向けていた軍警察の人たち。さすがにみんながみんなやられたワケじゃないけれども、それでも全戦力の二、三割は戦闘不能になっているかもしれない。腕が焼けただれてうめき声を上げる人、腹部を貫通した氷刃に縫い付けられてしまった人、激しく塀に叩きつけられて動かなくなってしまった人でアスファルトは埋め尽くされてしまった。
道路を挟んでいた家々からは火の手が上がっていた。そうじゃない家もまるで数年は誰も住んでいない廃墟の様になってしまって、中には今にも崩れ落ちそうな状態の家もある。中学の時に習った、半世紀以上前の戦争の空襲後の街の写真を思い出した。
地獄だ。そんな言葉が自然と僕の脳裏に浮かんだ。燃え盛る家に囲まれて黒いはずの夜空が赤く染まる。まるで、空自体が燃えているかのように赤い炎が僕ら哀れな子羊に覆いかぶさっていた。
魔術は兵器だ。いつかどこかで呼んだ評論の一節が頭で木霊する。それをただの一個人が持ち得ている。だから魔術師はその運用に責任を持たなくてはならず、周囲は最大級の警戒を以て監視しなければならない。そんな結論だったと思う。それを読んだことはあっても今まで意識していなかった。そしてその論評が正しかった事を僕の友人が証明してしまった。それが堪らなく悔しくて悲しい。幸いなのは、戦闘を見越して周囲の住人を避難させていたことだろうか。

「クヒヒ……次はなぁにをしようかなぁ」

 違う。コイツはユキヒロじゃない。ユキヒロなら決してしない笑い声を聞きながら自分に言い聞かせる。頭の隅で何処か相手がユキヒロだって感覚が残ってたけれど、そんな考えは捨てなきゃダメだ。あくまでユキヒロの顔をしてるだけの真っ赤な他人で、そして危険人物だ。誰かに害しか与えない悪だ。善悪を語れるほど真っ当な人間ではないと僕自身を自覚しているけれど、それを棚に上げてでも認めなくちゃいけない。
コイツは、居てはいけない人間だ。

「……アイツ、もしかして」
「何か気づいたことでも?」

 ユキヒロらしき誰かを観察していたスバルが僕の方に寄って来ながら呟く。

「たぶんだけど……カリスト・アロンソじゃないかと思う」

 カリスト・アロンソ。誰だっただろうか。名前だけは聞いた事があるけれど、それがどこで聞いたのか思い出せない。

「魔術師史上最悪の快楽殺人者だよ。元はFALC――コロンビア民族解放軍の人間だったらしいけど、性格は最低。気分次第で敵どころか味方であっても殺しまくって、世界中で特別指名手配されてたはず。詳細までは覚えてないけど、なんでもFALCの幹部まで殺して組織を追い出されたんじゃなかったっけ? 人格は狂ってるけど、魔術の腕前は天才的で特A級。現在最高の魔術師の一人にも数えられてる。だからFALCから手配された後も雇う組織は多かったみたいなんだけど、どこでも組織の人間を殺しまくって、今じゃその扱いにくさから世界中で二十四時間命を狙われてるって聞いたことがある」
「アイツがソイツだって証拠は?」
「見た目はユキヒロだからね。確証は無いけれど、日本に入国したって噂は聞いた事があるし、前に見た動画での笑い方にそっくり。それに、もしカリストだったらこれだけのドッペルゲンガーを使いこなして魔術を使えるのだって納得はできる……よっ!!」

 スバルの解説が途中だったけれど、襲いかかってきた氷の槍が話を遮ってくる。それを二人で反対側に飛び避け、かと思えば飛び退いた先にはいつの間にか火球が待機していて、何とかかわしたけれど制服の裾を軽く焦がしてくる。

「ああもう! 落ち着いて話も出来やしない!」

 そっちが有利な状況なんだからせめて話をさせてくれる余裕を見せてほしいものだとつくづく思うけれども、そんな話が通じる相手でもなさそうだ。腰に挿していた魔技高標準の剣を僕はようやく抜いて構え、そして次々に襲ってくる氷塊を切り落とす。
剣を振るうことは正直好きじゃない。剣は誰かを確かに傷つけるための物で、もちろん使い様ではあるのだけれどその本質は破壊でしかない。
手の中で感じる重みが何なのか。それを片隅で考えながら友人に向けて刃を向け、魔素をまとわせて親友の体から放たれた氷の槍や炎の塊を叩き落としていく。眼には自信がある。この程度の攻撃であれば、ダメージを受けることは無い。
けれど、問題がある。

「ヒッヒッヒ……お前に俺を傷つける事ができるのかぁ?」
「できるさ。魔術は脅威だと思うけれど、近寄れない程じゃない」
「そうじゃあねぇさぁ……俺はこう聞いてるわけだ。お前に俺を『殺す』ことができるのかってな……この体はお前のたぁいせつなお友達なんだろぅ?」

 僕はその問いに答えない。男――カリストの言葉は至極僕の心実を見抜いていたのだから。
脇構えに構えていつでも斬りかかれる体勢を維持する。けれどそれはハッタリでしかない。睨みつけてみて、そんなの関係無いですよと嘯いてみせても心は迷う。僕に、ユキヒロを斬れるのか、と。
ニヤニヤと神経を逆撫でするような笑いをユキヒロの顔でするカリスト。周囲に倒れている軍警察の人とかには興味がすでに無いらしい。まだ半数以上は残ってるはずで、実際に残ってる人たちがカリストに向かって魔術を構成しようとしてるけれど、カリストは僕に意識を向けながらもドッペルゲンガーの一部をそっちに振り分けて、攻撃の手を緩めていない。十数人にも及ぶドッペルゲンガーをまるで自分の物の様に扱っているその実力は本物。さすがにコウジだとか英雄レベルじゃないにしろ、手加減してどうにかできる相手じゃ無いのは確かだ。

「まったく、どうしてユキヒロもこんな奴のドッペルゲンガーなんて奪ったんだよ……」

 親友を斬る事ができるのか。
 愚痴じみた独り言を漏らして考えを巡らせようとした時。
突風。魔素で作られた鋭い風の刃がカリスト目掛けて飛んで行く。
突然の攻撃は、予め展開していたんだろう風の盾に阻まれてカリストには届かない。けれども風の刃はまるで細い隙間を縫っていく様に壁の薄い所を攻め立て、破裂音を残して壁共々消え去った。

「必要であれば、ボクは殺すよ」

 幾分驚きに眼を見開いたカリストに対して、スバルが歩きながら言い放つ。それを見て、カリストは嬉しそうに嗤った。

「……そうかそうか。かぁわいい顔してるが、お前も俺と同類か」
「お前なんかと一緒にして欲しくないな。ボクはボクの考えで必要だと思うことをするまで。必要なら親友を殺す事だって厭わないよ。ま、ボクが可愛いのは認めるけど、さっ!!」

 続けざまに風刃。鉄も切り裂く威力の刃がカリストに飛んでいく。対するカリストもまた詠唱を口にして同じように空気の壁を展開した。

「この俺に勝てると思ってんのか!」

 壁の展開と同時に、カリストと一緒に詠唱をしていたドッペルゲンガーによる無数の電撃が空間を貫いた。紫電が眩く視界を焼いて、そのままスバルを焼き殺そうと光速で迫る。
だけどもスバルだって負けてやしない。同時に魔術を使えなくても、スバルには無詠唱があるし繊細にコントロールする技術がある。カリストの攻撃をスバルは次々に展開した魔術で防いでいった。
互いに展開する魔術の数はほぼ互角。負けてない。でも。

「ひゃはははははぁーっ!!」
「ぐぅ……!」

 魔術の質が及ばない。一言で言えば、スバルは魔術の才能に恵まれなかった。体質ゆえに扱える魔素総量が少なくて、一つ一つの威力が乏しい。絶え間ない努力で作り上げた技術があるから魔素を最大限効率的に運用してるけれど、それでも一般的な魔術師のレベルを超えてはくれない。
カリストは残念なことに威力も特級だ。それにドッペルゲンガーを手に入れた事で連射性、速射性も特級以上のレベルに達している。カリストの魔術一発を相殺するにしてもスバルの魔術を数発クリーンヒットさせなきゃダメで、瞬時に狙うべきカリストの魔術を選択して対応してるけれど、防ぎきれずにスバルの手足に傷が増えていってる。

「スバルッ!!」

 僕は手にしたばかりの剣を放り捨てた。そしてカリストに向かって地面を蹴った。
僕にはユキヒロを傷つけることなんてできない。殴ったりだとかそれくらいなら大丈夫だけど、一撃で致命傷となり得るような攻撃は到底ムリ。なら下手に武器を使って満足に動けないくらいなら、拳で語り合ってやる。

「今はコイツと遊んでんだから邪魔しないで大人しく待ってな」

 スバルと軍警察相手に割いていた魔法陣の一部が僕の方に展開される。ドッペルゲンガーたちが僕とカリストの間に幽鬼の様に立ち塞がって口が動く。
一瞬の瞬きの間に、無数の魔法陣が空に描かれていく。

「こんなもの……!」

 僕には効かない。拳を使って氷の刃を叩き壊す。炎の塊を殴り飛ばす。その度に拳に痛みが走り、皮膚が破れていくけれど我慢できない程じゃない。
魔術の雨をくぐり抜けてドッペルゲンガーの脇をすり抜ける。カリストに肉薄。あと一歩。
けれども僕の一歩を何かが邪魔をした。見えない壁にぶつかって歩みが止まり、そして空気が固まってしまったかのように僕の体を拘束した。ハッとして周囲を見渡し、気づけば四方から魔法陣が僕を取り囲んでいた。

「くそ……!」

僕の周りの空気の粘性を上げたのか。まるで水中にいるみたいに動きが鈍くなる。
その隙に新たな詠唱が行われて背後から魔法陣の光が微かに届く。
まだ、問題ない。
ねっとりとした空気の中で眼だけを動かして、僕は壁の中心で光り続ける魔法陣を見つけた。そこに向かって手を伸ばして一言、音無き声を心中で呟いた。

解呪ディ・スペル

 触れたと同時に魔素が一気に弾け、囚われていた体が一気に軽くなる。そして目の前には、今度こそ驚愕に眼を見開いたカリストの顔。そこ目掛けて僕は血塗れの右腕を振りぬいた。

「うおっ!? ……ちぃっ!!」

 右の拳に感触。だけれども当たったのは相手の左腕で、腕こそ大きく後ろに弾き飛ばせたけれども意識を奪うまでには至らない。弾かれた勢いを利用してカリストは僕から距離を取り、追撃しようにもすぐに魔術の弾幕が張られてしまって、一隅のチャンスを逃してしまった。けれど、スバルは助けることが出来たわけだし、傷も負わせることが出来た。この結果は悪くない。

「ふぅ……危ねえ危ねえ」カリストは今ので傷ついた掌から流れる血を舐めとった。「そっちのガキと言いお前と言い変な技使いやがって。お前ら本当に学生かぁ?」
「正真正銘ただの学生だよ。それも揃って落ちこぼれの」
「どうだかな。だとしたらこの国の人間ってぇのは随分と見る目がねぇんだな。まぁいい。妙な事になっちまったが、この体も悪くねぇし強ぇ奴にも出会えた。わざわざこんな極東の果てに来た甲斐があったってモンだぜ」
「そこだよ。元FALCのイカレ野郎がどうしてこんな世界の端っこになんて来たのさ?」
「何って、そりゃあ決まってんだろ」

 スバルの問いかけにカリストは口端を歪めた。

「英雄ってヤツの顔を拝みに来たのさ」
「……何のために?」
「何って、戦うためしかねぇだろ? 世界を救った英雄様。一般人どころか魔術師さえも超越した存在。俺は今まで色んな野郎を相手にして全てに勝利してきた。どんな魔術師だって俺には敵わねぇ。魔術師の中で最強だ。なら、次に戦うのは魔法使いしか居ねぇのはオムツが取れたばっかのガキでも分かる事実だ。それにそんだけ強けりゃ――」
「……」
「――魔法使いの肉は、さぞかし美味いんだろう?」

 紅潮した顔でカリストは流れ落ちる自分の血を舐め続けてる。美味しそうに血を嚥下するその様を眺めているけれど、僕には何を言ってるのか理解できない。

「……狂ってるね。字名は伊達じゃ無いってことかな」
「字名?」

 僕が口にした疑問に、スバルは頷いた。

踊る食人鬼カニバル・カーニバル。殺した相手が発見された時にみんな遺体の一部に欠損があったことから付けられた名前だよ。生きながらにして体を食い散らかされてたっていう生き残りの証言からカニバリストだって噂はあったけど、まさか本当にそんな趣味があったとは思わなかった」
「今まで散々人間を食ってきたが、弱ぇ奴の肉は固くてまずい」言いながら辺りで倒れてる軍警の人たちを一瞥。「だが俺を殺しに掛かってくる奴は大概噛み締める程に味が出てきてな。それを知って以来、強ぇ奴の肉を喰うのは趣味になってたんだよ。いや、趣味じゃねぇな。生きがいだ。俺は昔っからグルメでな。マズい肉を喰わせられんのは耐えられねぇんだ」
「それでユキヒロも殺して食べようとしたんだ?」

 スバルが眼を細めて、剣呑な色を濃くした言葉を投げかけ、カリストはニヤ、と笑みを濃くした。

「英雄様を頂く前の前菜のつもりだったんだがな。歩き方からただのガキじゃねぇとは分かったからちょうどいいかと思ったんだが、まったく災難だったぜ」
「食べるつもりが捕食されるなんてとんだ間抜けだね」
「ひゃっひゃっひゃ、まあ否定はしねぇよ。喰われたのが俺様じゃなかったら指差して笑い転げてただろうしな。だが結果は悪くねぇ。体は死んだが、俺自身はこうして生き残って、更に強くなれたんだからな」
「借り物の力のくせに」
「力の源なんざどうだっていいのさ。俺が満足できるならな。
 さて、単なるガキだと思ってたが、どうやらお前らも美味そうだ。ここんとこまともに飯食ってねぇから腹が減ってたまんねぇ。この体コイツを食い損ねたことだしよ、お前らに前菜になってもらうとしよう」

 だがその前に、と言いながらカリストは未だにドッペルゲンガーたちと攻防を繰り返してる軍警察の人たちを見遣った。
何をする気だ?

「全力で遊ばねぇとお前らには骨が折れそうなんでな。邪魔な野郎には退場いただくぜ」

 そう言うと、軍警察に差し向けていたドッペルゲンガーたちが魔術の手を緩めてカリストの元に戻っていく。そしてカリストを中心として周囲を取り囲んで、朗々とコードを唄い上げ始めた。
数十の巨大魔法陣が浮かび上がった。嫌な予感がヒシヒシと警告を発してくる。
このままコードを構築させてはダメだ。その直感に従って、もう一度魔術を解呪しようと僕は動き出そうとした。

「させねぇぜ?」

 けれども声が聞こえたと思ったら目の前にカリストが居た。一体いつの間に、と思う間もなく強化された腕が伸びてきて、腕に何かを纏わせているのか、仰け反ってよけた僕の前髪を斬り裂いていった。
速い。
どうやらカリストは放出系の魔術だけじゃなくて、体術にも精通してるらしい。元の体はユキヒロの体だけれども、ユキヒロ自身にこれだけの実力があったのか、それともカリストだからこそこれだけ素早く動けるのか判別がつかない。でも、少なくとも肉体的にも超一流の域に達してると思う。
素早くも重い攻撃を何とかかわしていく。けれど、僕の実力では全てを避ける事はできない。ブロックして致命傷は避けるけれど、防いだ腕の骨に響く、一撃一撃も重い。

「シッ!」

 僕としても一方的にやられるつもりはない。放たれたフックをしゃがんで避けたのを活かして足払い。それをカリストは予測してたのか、飛んで避けた。そのまま僕に蹴りを加えてくるけれど、逆に思いっきり上空へ蹴り飛ばしてやる。

「ちっ!」

そしてそれが僕の狙い。しゃがんで蓄えた跳躍エネルギーを僕は解放した。
宙に浮かぶカリストに、追撃。この一撃でコイツの意識を刈り取る。そしてユキヒロアイツを取り戻す。
つもりだった。

「ヒヒヒっ!」

 なのにまたすぐ目の前にカリストが居た。そんなバカな。まだ距離があったはずなのに。

「おらよっ!」
「ガハッ!!」

 落下エネルギーを利用した一撃が、僕の頬を捉えた。顔の中から頬骨が奇妙な音を立てるのが聞こえ、カリストの顔を見ていたはずがいつの間にか地面だけが視界に入っていた。
肩に激痛。地面に叩きつけられた衝撃が頭の中を揺さぶってきて、体がバウンドするにしたがって何度も内蔵がシャッフルされる。

「ヒカリっ!!」
「もう一丁喰らえやっ!!」

 いったい何が起こった。訳の分からない状況のままスバルの声が聞こえ、そっちを振り向けばカリストがすでにスバルの方へ接近していた。
単純な体術、身体能力だとスバルの分が悪い。だけれども、見たままのカリストの速度ならば逃げに徹すれば重大なダメージを喰らう事は無いはず。ようやく揺れの治まって焦点の合い始めた視点で逃げ回るスバルの姿を追った。
僕の予想通りスバルは逃げに徹していた。時折無詠唱で牽制して、時に動きを予想してカリストの距離にまで近づけさせない。
口元の血を拭って立ち上がる。まだふらつくけれど動けなくは無い。スバルが逃げ回ったとしてもたぶん体力的にもカリストの方が有利なはずだ。
加勢に行こうと走り始めたその時、捉えた光景に僕は違和感を覚えた。動き続けるスバルの姿があって、それを追いかけるカリストの姿がある。そしてカリストの腕が届く範囲に来たその時だ。

「え?」

 スバルの動きが止まった。それはたぶんコンマ数秒というレベルで、日常だと気にならない時間。だけど戦闘では致命的となる刹那だ。そして、そんな事をしてしまう程にスバルという男は戦闘に不慣れじゃない。そもそも、動きが止まったという意識さえ無い。そんな風に見えた。
当然、カリストはそんな隙を見逃すようなヤツじゃない。

「避けろ、スバルっ!」

 声を張り上げる。けれど、間に合わない。先ほど僕が殴られた様にスバルの体が弾き飛ばされ、鈍い音と一緒に地面を滑り、僕の足元に転がってきた。

「大丈夫か!?」
「なん……とかね……」

 スバルを抱き起こして、カリストの動きに注意を払う。まさに今はカリストにとってチャンスだと思ったんだけれど、ヤツはそれ以上追撃することは無くて、格闘が始まる前の位置に戻っていた。
それを見てハッとして思い出す。ヤツが、ヤツのドッペルゲンガーが何をしようとしていたのかを。
空を慌てて見上げる。そこには夜空が変わらず星が輝いていて、だけど。
――その星は歪み、霞んでいた。

「ちょっと待ってよ……」

 僕とスバルはそれ以上口を開けなかった。蒸し暑い夏の日本。空気中に含まれる大量の水分が広がる夜空から凝縮されて、それがカリストを中心として環状に空に浮いていた。
そしてその水の中にはたくさんの魔法陣。ゆらゆらと揺れるそこに描かれるコードは――

「伏せろぉっっっ!!」
「――Good Night.」

 水中の魔法陣に内包された魔素が変化して赤熱。赤から青へと色が変わって、膨大なエネルギーが一気に水へと触れた。
 そして爆風が僕らへと襲い掛かってきた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 波間にたゆたう小舟の中に居るようだった。重いまぶたを開ければゆらゆらと視界が上下に動き、体の感覚もどこか自分の物では無いよう。ひどく曖昧だった。
ここは、どこだ。ままならない思考の中でヒカリは瞬きを幾度か繰り返す。
 やがてぼやけた視界が色を少しずつ取り戻し始める。目に入ったのは崩れかけの家屋で、無残に破壊された天井板がそこかしこに散らばり、梁らしき太めの柱が半ばで折れて天井からぶら下がっていた。焦点が定まるに伴って軋むような痛みが全身に走り、意識が覚醒するのを加速させる。

「う……」

 体を起こす。意識を失っていたのはどれくらいだろうか。確か、猛烈な爆風に弾き飛ばされて――そこから先の記憶が途絶えている。

「どうなった……?」

 ひりつく顔の皮膚の痛みを堪え、ヒカリは家の外に出て行く。
そこには何も無かった。道幅十メートル弱の道路の両側には家々が並んでいたが、今は塀ごと吹き飛ばさてしまっている。街灯はへし折れ、家屋があった場所は最早更地に近い状態となっていた。円状に、綺麗に整地されていて、更にその外周上の家から炎が上がって昼間と間違う程に夜の街を煌々と照らしだしていた。その景色に、ヒカリは呆然と立ち尽くした。
そしてその中心に立つ人影をヒカリは認めた。

「カリスト……!」
「よう、邪魔なもんはみんな掃除しといてやったぜ」

 彼は飄々とした口調で告げる。ハッとして周囲を見遣れば、彼を取り囲んでいた、まだ相当数残っていた軍警察の人間の姿は見当たらず、銃声も、詠唱を続ける声も何も聞こえなくなっていた。

「やっぱお前も無事だったみたいだな。ま、そうじゃなきゃ面白くねぇ」
「お前はっ……!」
「これを無事だって言っていいのかは微妙だけどね」

 ヒカリが倒れていた隣の家屋からスバルが姿を現した。痛めたらしい左腕を抑えてはいるものの、足取りは問題無さそう。だが、頭部を打ち付けたらしく、流れ落ちる血が左目に流れ込んでいた。

「大丈夫か、スバル?」
「なんとか……残念ながら左眼は使い物になりそうにないけど」

 左腕から手を離して右手で軽くスバルは目元を拭う。しかし流れ落ちる血が眼に入り続け、言葉通り視界の半分はまともに見えていない。痛みに対してか、それとも不明瞭な視界に対してか、顔をしかめながらスバルはヒカリに尋ねた。

「それよりも、周りはどうなってる?」
「見ての通り――最悪だ」

 ヒカリに促されてスバルも周囲を見渡し絶句。平和になった日本だというのに、まるで戦場の爆心地の様、と考えて頭を振った。
否、ここはまさに戦場であり爆心地だった。スバルは直前の記憶を思い出し眉間にしわを寄せた。

「ヒヒヒ、さて、邪魔者も居なくなった事だし――そろそろ本気で殺し合おうぜ」

 カリストのその言葉と同時に、彼の周りで彷徨っていたドッペルゲンガーたちが一斉に振り向き、ヒカリは身を強ばらせた。

「……状況は好ましくないけど、どうする?」
「どうするもこうするも……ユキヒロの体だし、殺さない様に気をつけて何とか意識を失わせるしかないけどさ……」

 生きてさえ居れば、イチハの力を借りてユキヒロの精神だけをサルベージできるかもしれない。本当にそんな事が可能かはイチハに確認しなければならないが、可能なのはイチハくらいしかスバルには思いつかない。その為には何としてもユキヒロを、ユキヒロの肉体を生きたまま戦いを終わらせなければならない。
 今の・・ヒカリが本気で動けば恐らくは何とかなる、とスバルは考えている。だが相手がこちらを殺しに来ており、またこれまでの動きを見る限りでは手加減をして勝てる相手ではない。二人がかりで本気で「殺すつもり」で戦って生き残れるかどうか、というレベルなのだ。それを考慮すればユキヒロを生存させたまま勝つというのはかなり分が悪い勝利条件だ。

(最悪――)

 次善の勝利条件に落とす必要があるかもしれない。すなわち、ユキヒロを殺して自分たちが生き残ること。それを選択すべきか、と冷静に冷徹な判断を選択肢に加える。
ヒカリに任せていたら、ヒカリは恐らくは自分の命よりもユキヒロの命を優先するだろう。ヒカリの周囲に居る誰もがヒカリの命を高く評価している中で、ヒカリだけがダントツで自分の価値を過小評価している。間違ってもヒカリが自分の命を投げ捨てる様な、そんな選択をしてしまわないように、スバルはミサトから言い渡されて以来実行してきた自分の役割を反芻した。

「誰か応援を呼ぶとかは?」

 ジリジリと近づいてくるカリストから距離を取り、視線は外さないよう努めながらヒカリが尋ねる。

「アイツに対抗できるレベルで呼べる人なんて居ないよ」
「コウジは?」
「今はノバルクス社で大暴れしてるはず。連絡つくかも分かんないし、ついたとしてもここまで一時間は掛かるよ。それまで何とか粘ってみる?」
「いや……それじゃ、カイさんとかは?」
「カイ兄が来てくれると思う?」

 研究者として国家機関で働く最後の英雄の名前をヒカリが口にするが、スバルの切り返しに沈黙。魔物との戦いが沈静化して以来、一人部屋に閉じこもって誰とも顔を合わせない最年長者の白衣姿を思い浮かべ、ヒカリは彼を呼び出す困難さに閉口した。

「ヒヒ、作戦会議は済んだか?」

 魔法陣を再度展開しつつ歩み寄るカリスト。多種多様なそのコードにヒカリの背から汗が流れ落ち、スバルはいよいよ決断を促そうとヒカリに向かって口を開きかけたその時。

「きゃっ!!」

 瓦礫が崩れ落ちる音。その直後に女性の悲鳴。
三人が揃ってその声の方を見遣ると、崩れ落ちた廃材の上で軍警察の隊員と思われる女性が尻餅をついていた。

「いたたたた……」
「――まだ残ってやがったか」

 尻と頭をさすりながら呑気に声を上げる女性隊員。その姿を見て、カリストは体の方向を彼女の方へと向けた。思惑通りにいかなかったからか、それとも邪魔をされたからか、初めて苛立った様に舌打ちをし、彼女を排除するために詠唱を開始した。

「――あ」

 そこでようやく彼女は自身の置かれている状況が非常にまずい事に気づいた。眼鏡のズレを直し、身につけた黒のボディアーマーのポケットから慌てて拳銃を取り出そうとするが、焦りのせいで上手く取り出せない。
影が彼女に覆い被さる。魔法陣の影が彼女の顔に浮き上がり、女性は動きを止めた。
見上げた先にいる凶悪な男。文字通り塵芥と彼女を捉えているのか、カリストの眼には興味も無い。その冷たさに彼女はひどく震えた。

「た、助け……」
「やなこった」

 訴えを一蹴。弱者には触れるのも嫌だとカリストは手を前に突き出した。

「クソッ!!」
「ヒカリッ!」

 ヒカリは地面を蹴った。カリストよりも女性の方が距離が近い。ヒカリは咄嗟に判断してカリストに背を向けて女性の元へと走った。

「今度こそ――死ねや」

 腕の前に展開された魔法陣から放電が起こる。それが前兆。間を置かずして全てを焦がす雷電が女性に向かって一閃した。
瞬きの間も無く女性に迫る。動けない。彼女の全身が襲い来る恐怖に硬直し、来る絶望に涙した。
その直前。
女性の体が抱き上げられる。紫電と女性の間に一つの影が割って入り、優しく、だが力強く掴まれて雷から遠ざかる。しかし――

「ぐ、ああああぁぁぁぁぁっっ!!」

 ヒカリの腕に雷撃が直撃。左腕から伝わる苦痛に叫び声を上げ、だが崩れ落ちそうになる膝を右腕の温もりと不屈の意思が支えて崩れた家屋の方へと跳躍した。

「ちっ、邪魔しやが――」
「させないよっ!!」

 追撃を加えようとするカリストだが、それをスバルの魔術が遮る。初弾に風の刃を叩きつけ、それをカリストも風刃を叩きつけて相殺した。だが防がれるのはスバルも折込済み。気を取られた隙に一気に蒸気を発生させて視界を覆い隠した。

「……クヒヒ、やってくれるじゃねえか」

 すぐさまカリストが突風を吹き付けて視界をクリアにするが、すでにそこにはヒカリやスバルの姿は無く、狙った女性の姿も無い。

「次は隠れんぼかぁ〜? ヒヒッ、いいぜ、俺は逃げ隠れてる野郎を見つけるのも得意だからな」

 笑い声を上げながらカリストはゆっくりと歩を進め、自身が破壊した周辺の家屋を調べ始める。一つ一つ丹念に、瓦礫の山を吹き飛ばしながら時間を掛けて、隠れたヒカリたちの恐怖を煽るように探していく。

「……何とかやり過ごせたかな?」

 カリストが反対側を調べ始めたのを確認してスバルはため息を吐き、それを聞いたヒカリと女性も揃って安堵して脱力した。

「あの、助けて頂いてありがとうございます。その……大丈夫ですか?」
「あ、ええ、大丈夫ですよ。ちょっと痛みますけど大したことないです」
「これの何処が大したことないのさ」
「痛っ!」

 申し訳なさ気な女性を気遣ってヒカリは気丈に振る舞ってみせる。しかし隣のスバルは声に怒気を多分に込め、ヒカリの腕を掴んでボロボロになった制服を引き裂いていく。

「……ひどい」

 そこで露わになったヒカリの腕を見て、女性隊員は息を呑んだ。二の腕から手首に掛けて皮膚が赤くただれ、血と滲出液が全体から流れ落ちていた。恐らくは指を動かすだけでも激痛が走るはずで、とても使い物になりそうにはない。

「……君、名前は?」
「え、あ、えっと白瀬です。白瀬・ホノカです」
「そ。んじゃホノカちゃん、一応聞いておくけど治癒魔術は使える? それか治療キットみたいなのは持ってない?」
「えっと、すみません、治癒魔術は使えませんけど、応急処置用の消毒薬と包帯は持ってます」

 年下のスバルに対してヘコヘコと頭を下げて敬語を使いながら、ホノカは腰に付けたポーチから消毒薬と包帯を取り出す。対するスバルは「ありがと」とだけ、年長者に対して横柄とも取れる態度で礼を述べるが、この場でそれを指摘する余裕のある者は居ない。

「痛むだろうけど、我慢してよ」

 言いながらスバルは受け取った消毒薬を腕全体に掛けていく。その痛みにヒカリがうめき声を上げるが「静かに」と叱責する。そして手早く包帯を巻きながらホノカにカリストの動きを見張る様に告げ、その指示に従ってホノカは瓦礫の隙間からソッと様子を伺い始める。
 が、カリストと眼が合いそうになったか、すぐに頭を引っ込めてホッと胸を撫で下ろした。

「ホノカちゃんさぁ、変なこと聞くけど、何でこんな場所に居るの?」
「はい?」
「だってさ、どう見たってこういう戦闘に慣れてないじゃん? とてもこんな場所に連れてこられる様な人間じゃないけどさ、普段は何やってんの?」
「……やっぱり分かりますか?」

 そう尋ねたホノカに対し、スバルが頷き返すとホノカは深々とため息をついた。

「私、普段は裏方の仕事ばっかやってるんです。書類を作ったりだとか、上の人の会議アレンジをしたりだとか。もちろん軍に所属してるわけですから戦闘の訓練とかは一応してはいるんですけど、私、戦闘用の魔術とかも全然使えないですし、実戦なんて初めてで。実を言うと、今晩だって本当は当直でもなんでもなくて、その、同期のサユリ、霧島サユリって子に急に当直代わってくれって頼まれて断れなくて……あの、どうしました?」

 スバルは話を聞きながら頭を抱えた。まさか自分がサユリに働きかけたせいで巡り巡って自分たちにしっぺ返しが降り掛かってくるとは。

「……いや、何でも無いよ。気にしないで」

 人生ってままならないなぁと現実逃避気味に遠くを眺めながらも、包帯を巻く手を止めない。ホノカはその態度に疑問符を頭に浮かべるも、特に気にする事無く続ける。

「ともかく、私はそういう仕事をしてる人間なんで、普段はこんな場所に駆り出される事なんてないんですよ。なのに、いつも通り仕事してたら急にドタドタと人が部屋に入ってきて人手が足りないとかで無理やり連れてかれて……私だって抵抗したんですよ! でもあれよあれよとこんなボディアーマーまで着させられて」
「で、気づいたらこうなってた、と?」
「はい……」

 項垂れて深々とホノカはため息をついた。ヒカリとスバルに会うのはこれが初めてだが、サユリ経由で二人のことは話には聞いていた。詳しくは聞いてはいないが、サユリは「中々の人材」だと評価していた。その時に「いつか会わせてよ」とは言ったが、まさかこんな場所のこんな状況で対面するとは思っておらず、期待もしていなかった。先ほどまでの戦闘を影からコソコソと隠れながら見ていたが、なるほどサユリが一目置く実力だと、戦いの素人であるホノカでも感心していた。とはいえ一応は一般人であるヒカリに仮にも軍人である自分が助けられ、おまけに怪我までさせてしまったのだ。心中では立ち直れないくらいには落ち込んでいた。
それでも、落ち込んでばかりはいられないとホノカは軽く頬を叩いて気合を入れ、「よしっ」と自分を叱咤すると二人にこの場から退避するよう勧める。

「お二人ならあの男に見つからない様に逃げれますよね? 怪我させてしまいましたし、ここは一旦……」
「却下だね」

 しかしスバルはその提案を一蹴した。

「ホノカちゃん一人でどうこうできる相手じゃないし、ここでアイツを逃がせばきっと殺人を繰り返していくはず。人格は違うとは言え、親友にこれ以上そんな真似をさせられないよ」
「ですけど……」
「アイツと約束したんです」痛みに脂汗を流しながらヒカリが言葉を続ける。「絶対助けるって。だからここでアイツを見捨てて逃げるなんてできませんよ」

 お心遣いをムダにして申し訳ないですけど、とヒカリが頭を下げ、それに恐縮した様にホノカがあわあわと手を横に振った。

「止めてください! そもそも私たちが不甲斐ないからこんな状況になったわけですし……」
「ま、そういうわけだからさ。ボクらが逃げるなんて選択肢は却下。何としてもこの場でアイツを止めなきゃね」
「でも、どうやってですか?」
「それを今の内に考えるんだよ」

 独り言の様にああでもない、こうでもないとつぶやき始めるスバル。現状を打破するために必要なピース、それに対して今自分たちの手持ちの武器、取りうる手段、不足するピースを整理していく。
その横でヒカリもまた痛みを堪えながら思考を巡らせる。だが、そうし始めた途端、背筋に寒いものが走った。ヒカリだけが感じることができる魔素の高まり。魔術の行使の前兆を肌で捉え、そしてそれを裏付ける言葉がホノカの口から発せられた。

「……そんな余裕は無さそうですよ」

 そんな様子のヒカリに、ホノカが振り返ってみれば。頭半分だけを瓦礫から出した体勢のまま恐怖故に半笑いで固まり、スバルも思考を中断して顔を上げた。
気づけば、背中に確かにあったはずの瓦礫が無く空に浮かんでいて。
代わりに炎に照らされた影が三人の体に降り注いでいる。
そして、目が合った。

「クヒヒ、見ぃ〜つけたぁ」

 喜色を満面に浮かべ、カリストはスバルを凝視した。空で揺れる無数の瓦礫が彼の合図を今か今かと待ちわび、それに応えるべくカリストは手を振り下ろした。

「Vayase!」
「くっそぉっ!!」

 瓦礫の雨の中、すぐさまヒカリは右腕でホノカを抱えて逃げ出した。直後、三人が居た場所を巨大なコンクリートの塊が踏み潰し、半壊状態だった家屋を完膚なきまでに叩き潰していく。
着弾と同時に砕けた礫がヒカリに襲い掛かる。一つ一つは小さくとも、さながらショットガンの様に広範囲に弾幕が張られ、全てを叩き落とすことはできず体を丸めてホノカを庇った。

「ぐぅ……!」

 雷撃を受けた左腕にも次々と当たり、苦悶の声が上がる。それでもホノカを抱えた右腕の力は緩めず、走り抜ける。

「っ! 上ですっ!!」

 抱えられたホノカが叫んだ。背後ばかりに気を取られていたヒカリは、その声に弾かれた様に上空を見上げた。
そこには、壊れかけの家屋が一軒そのまま魔法陣の上に浮かび上がっていた。

「嘘だろぉっ!?」
「ヒャァッはぁっ!!」

魔法陣が消され、支えを失ったそれは重力に引かれて一気にヒカリに向かって落下していった。

「白瀬さん! すみません!」
「えっ!」

 ヒカリは謝罪と共にホノカを前方に放り投げた。何をするつもりか聞く間もなく空中に放り出されたホノカは受け身もとれず地面を転がった。だが確かに墜落する家屋の圏外に投げ出された事を確認すると、ヒカリもまたその身を地面に投げ出した。
落下の衝撃で激しく巻き上がる砂埃。砕けた建材が四方八方に飛び散り、襲い掛かってくるそれに、ホノカは両手で頭を抱え込んで身を守る。

「つぅっ!!」

一方でヒカリは、直撃こそ免れたが、激しく吹き飛ばされて木の葉の様に宙を舞い、背中から地面に叩きつけられた。数メートルに渡って転がっていくものの、すぐに身を起こして顔を上げる。
そこに現れた人影が、一つ。

「ヒヒ、死ねやぁぁっ!!」

絶叫にも似た叫びと共に煙幕を割ってカリストがヒカリに向かって飛び掛かった。
手の中で一筋の線が煌めく。それは、ヒカリが最初に投げ捨てた魔技高支給の剣。その切っ先が、ヒカリに対して伸びていく。
完全にヒカリは不意を突かれていた。痛みによる集中力の欠如、舞い上がる粉塵、更には攻撃を避けるのに転がったために周囲の状況を十分に把握できていなかった。
カリストの姿を視認し、しかしその時点ですでに避けることができる限界点を超えてしまっていた。

(ダメだ――!)

 来る衝撃にヒカリは眼をつむる。歯を食い縛り、剣に貫かれた自身の姿を覚悟した。
だが、その衝撃はやって来なかった。
代わりに頬に感じる熱。ピシャ、という音を伴って粘り気のある液体がヒカリを濡らした。

「――ちっ!」
「ス、バル……?」

 突き出された剣とヒカリの前に立ち塞がるスバル。使い込まれたヒカリの剣が、目の前でスバルの体を貫いていた。
つ、とスバルの口端から血が流れ落ちる。それを見た瞬間、ヒカリの頭が沸騰した。

「スバルっっ!!」

 気づけばヒカリは焼け爛れた右腕を全力でカリストに向かって振り抜いていた。
目に見える速度のそれを、だが勘のみで反応したカリストは咄嗟に剣から手を離して右腕でガードする。

「ぐげ……!」

だが、ヒカリの拳はそのブロックした腕の骨を砕き、カリストの顔にめり込む。そのまま振り抜いた勢いそのままにカリストの体は地面に叩きつけられ、ボールの様にバウンドして地面を転がっていく。
その感触に我に返るヒカリ。カリスト――ユキヒロを殴った震える拳を見つめ、しかしすぐに右拳を左手で包み込むと、崩れ落ちるスバルの体を支える。

「スバル、しっかりしろっ! スバルっ!!」
「あ、は……ヒカリ? だ、いじょう、ぶ……? 怪我は……無い?」
「大丈夫! 大丈夫だからスバルの方こそ……!」
「そか……良かった。ヒカリ、に怪我させた、ら、何のために、ボクが傍に、居たか分かん、ないから、さ……」

 突き刺さった箇所から流れ出る血液。ヒカリはその剣を抜き取ろうとするが、駆け寄ってきたホノカがその手を止める。

「今抜いたら逆に危険です。急いで治療できるところに運ばないと……」
「――っ! わ、分かりました。病院の手配を――」
「させるかよっ!!」

 怒声と共に閃光。カリストの雷撃がヒカリ目掛けて放たれ、ヒカリはスバルに覆い被さって避ける。耳元を通過した雷撃の余波で耳鳴りを覚え、憤怒で震えながら邪魔をするカリストを睨みつけた。
このままではスバルが危ない。だがカリストは見逃してくれそうにもない。刻一刻と失われていくスバルの命。焦るヒカリの耳に、新たな詠唱が響いた。

「イェ、スペロ、インディシウム、エオ……」

   透き通った声で紡がれる呪文。遅くはない速度で丁寧に編み込まれたコードがホノカによって展開され、発動した途端にカリストの動きに落ち着きがなくなる。
目の前にいるヒカリたちの姿を見失ったように視線をアチコチに飛ばし、苛立ちをそのままに声を荒げる。

「――幻影魔術かっ! クソ! 何処に行きやがった!?」
「今ですっ! すぐにスバルくんと一緒にここから離れてください!」

 汗を額から流しながらホノカはヒカリたちに逃げる様に小声で促した。声を発しながらもカリストから目を離さずに凝視。闇雲に振るい続ける、頭に血が昇ったカリストの腕が時折ホノカの鼻先をかすめて額のものとは違った汗が背筋を流れる。
言われてヒカリはすぐにスバルを肩に担いだ。そして場から離れようと一歩を踏み出すが、ホノカに動く気配がない。

「白瀬さんも早くっ!」
「……私はここで時間を稼ぎます」

 カリストの腕が届く付かず離れずの距離を保ったまま、ヒカリに背を向けたままホノカは振り向かなかった。
戦場に立つのは大人の役目。そして子供を守るのも大人の役目だ。ホノカはそう信じている。
突然連れて来られたホノカは、何故こんな場所にヒカリやスバルが居るのか事情を知らない。だが、今のこの惨状を見る限り他の職業軍人よりも遥かに腕が立つだろうことは理解でき、同時に目の前の男の凶行を止める可能性が高いのも二人だろうことは分かる。二人を逃して、情報系魔術しかまともに使えない自分一人ではこの男と相対した場合、恐らくは瞬きする間もなく殺されてしまうだろう。
でも、それで構わない。
未来を想像したホノカの足が震え、しかし大人の役目、と口の中だけでそう繰り返す事で不思議と恐怖が和らぐ気がした。
中学生だったあの日、魔獣に襲われた自分の命は大人たちによって救われた。助けてくれた大人たちの命と引き換えに。ならば、今度は自分が子供を守る番だ。例え、この身が裂かれようとも。

「そこかぁっ!!」

 精神魔術の効力は対象の抗魔術力に反比例する。抗魔術の高いカリストでは長時間の幻影を見せる事は難しく、朧気ながら正気に戻り始めたカリストの眼がホノカの姿をようやく捉えてしまった。
――ダメ、か。
 目を閉じて、しかし最後まで眼を逸らすな、と自分を叱責。再度眼を開いたホノカはカリストの腕を見つめた。避けようにも体は動かない。それでも最後までホノカは眼を逸らさなかった。
だが想像していた衝撃は来なかった。
代わりに軽い衝撃が腹部に加えられ、地面が見る見る間に遠ざかっていく。かと思えばまた地面が近づき、そして再度遠ざかる。

「ヒカリくんっ!?」

 包帯の巻かれた腕でホノカを抱え上げ、ヒカリは逃げた。燃え盛る家屋を飛び越え、無事な家の屋根やマンションの屋上を足場に全力でカリストから距離を取る。

「どうして!? 私の事は放っておいても……」
「誰かの犠牲の上に生きても、それじゃ意味が無いんです……っ!」

 痛み故か夥しい汗を額に浮かべ、しかし足を緩めず、ホノカを地面に下ろすこともしない。肩に担いだ、すでにほとんど動かなくなったスバルの様子に、熱が失われていくスバルの体に恐怖し、一刻も早く安全な場所に逃げなくてはと焦りだけがヒカリの足を動かしていた。
逃げられたカリストだったが、ホノカがヒカリに抱えられた時点ですでに魔術はほとんど解けていた。遠ざかる三人の背中を追いかけるため、即座に足を踏みだそうとする。
だが――

「あぁ?」

 視界の中にずっと姿を捉えていたはずなのに、気づけばヒカリの姿は遥か彼方。遠ざかる姿も連続的に見ていて、目も一切逸らしていないはずで、しかし不自然にその姿が不連続的になっており、カリストは首を傾げた。

「クヒ、まぁたぞろ変な技でも使いやがったか?」

 それでもカリストは「まぁいい」と焦る様子も見せず、口端を歪める。

「血の匂いは覚えた。クヒヒヒ、今度はオニゴッコってか? 待ぁってな。――すぅぐに美味しく頂いてやるからよ」

 三人の肉を食べた時の味を想像し、カリストは恍惚に顔全体を緩めた。そしてすぐに飛び上がり、炎の壁を跳び越えてヒカリたちが逃げていった方向へと走り去っていく。
その様子を、遠くから眺める影が一つ。いつもと変わらず無表情で君代ヤヨイはヒカリたちの姿を、そして追いかけ始めたカリストの姿を眼で追った。

「あとは、運次第。今回こそは――」

やがて全員の姿を肉眼で確認できないほどに距離が離れると、ヤヨイはそう呟き、クルリと身を翻して暗闇の中へと消えていった。
そして燃え盛る街の姿だけがあとには残っていた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 カリストから逃げるヒカリは、背後に彼の姿が無い事を確認すると地面に降りた。
そこは奇しくも先日起こった大規模な戦闘の跡地。つい先程逃げ出した場所と同じように家屋は廃墟と化し、真黒に焼け落ちた民家がそこかしこに点在していた。スバルとホノカを抱えたヒカリは、一見しただけではカリストから見えないよう、かろうじて焼け残った屋根の影に隠れるようにその一角に身を潜める。

「ちょっと待って下さい」

 かろうじて残っていたテーブルの上にスバルを横たえようとするヒカリを制し、ホノカが詠唱を行う。しばしの間の後にテーブルの上の灰が吹き飛び、そして創りだした真水で洗い流すと、ヒカリに指示してスバルをテーブルの上にそっと横たえさせた。

「スバルっ! 眼を覚ませよっ! スバル!」

 すでに呼吸が浅くなり、弱々しくなっているスバル。月明かりしかない中で見るその顔色は死人に近い。血の気の引く感覚を覚えながらヒカリは必死にスバルに呼びかけた。

「……う、あ……」
「スバル!」

 そしてその声に応える様にスバルは小さくうめきを上げ、細く眼を開いた。だがその焦点は定まってはおらず、急に咳込むと口からは大量の血を吐き出して口元を汚す。

「う、ゲホッ! ゲホッ!」
「喋らないでください!」

 ホノカはすぐに剣をスバルの腹から抜き取る。抜き取った瞬間に血が傷口から飛び散り、ホノカとヒカリの頬を濡らした。ヒカリはその出血に息を呑み、ホノカはまた真水を創りだして傷口を洗浄。その際の痛みにスバルが苦悶の声を上げるが、聞こえないふりをしてヒカリに使った余りの消毒薬とガーゼ、包帯で応急処置をしていく。
 しかし――

「――ダメ! 血が止まらないっ!」

 傷は深く、ひどい出血は止血処置をしても止まってはくれない。多少勢いは弱まったものの、なおも一秒一秒命の危険は迫っており、いくらスバルが魔術師として強靭な生命力を持っていてもこのままでは失血死は免れない。

「早く病院に運んで処置しないと――」
「どぉこにいぃるのぉかなぁ〜!?」

 ホノカは焦燥を浮かべてヒカリに容態を口にしかけるが、それをカリストの子供が戯れる様に楽しげな声が遮った。

「そんなっ! もう追いついてきたの!?」

 思わずホノカは振り返って屋根に遮られている上空を見上げ、ヒカリはギリ、と奥歯を噛み締めながらそっと外に出て空を仰ぎ見た。

「……いや、まだ見つかってはないみたいです。適当に叫んでるだけですね」
「ですけどこのままじゃスバルくんを運び出す事が……」

 外に出て行けば間違いなくカリストに見つかるだろう。ヒカリが囮となる事も頭を過ったが、ホノカ一人でスバルを担いで逃げ切れるか。カリスト一人であればそれも可能だろうが、彼の周りには無数のドッペルゲンガーがいる。ヒカリがカリストと戦っている間にドッペルゲンガーたちにホノカたちが取り囲まれて、そうなれば一巻の終わりだ。
 かと言ってカリストが居なくなるのを待っている程の時間的猶予も無い。スバルの命が後どれくらい持つのか、医者でも無い二人にはその時間は分からず、そんな不確定な未来に身を任せるつもりは無い。
妙案が浮かばず動けない二人。そこにカリストが痺れを切らしたか、夜空に魔法陣が光り、火球の雨が降り注ぎ始める。

「僕らをあぶり出すつもりかよっ……!」

 熱風が荒ぶる。炭と化した廃屋は更に熱せられて白炎となる。空気が滾り、吸い込む熱気がヒカリたちの喉を焼き始める。

「取り囲まれたっ……!」

 そうして作られた炎は巨大な壁となり、三人を逃がすまいとジワジワ包囲網を狭めてくる。
熱に煽られたヒカリの額に冷たい汗が流れ落ちる。ギリ、と自身の迂闊さに歯噛みし、だがどうすることも出来ない。この壁を突破しようにもその瞬間にカリストに襲撃されるだろうし、このまま待機して火が収まるのを待つにはスバルの体力は限界を迎えすぎていた。

「どうすれば……」

 ホノカもまた炎の、ひいてはカリストの圧力に立ち竦むばかり。思考は空回りし、その中でスバルの熱は少しずつ、だが確実に失われていた。
スバルを見下ろすヒカリ。炎の壁、空から探すカリスト、スバルと三点を視線は行ったり来たりするばかりだが、猶予は無い。やがてヒカリは覚悟を決めてカリストの前へ飛び出そうとした。
そこに。

「まったく、見てらんないのにゃ」
「ユキ!」

 どこからともなくユキが現れ、ため息混じりにヒカリたちに近づいてくる。机の上に飛び乗り、応急処置しても止まらないスバルの血をひと舐め。更に意識が朦朧として眼を開けることもままならないほどに衰弱した彼の頬を前脚で叩いた。

「あ、れ……? もしかしなくて、もユキ、ちゃん……?」
「そうにゃ。無様にゃ状態ににゃってしまってるわね」

 死にかけのスバルを前にして辛辣な感想を吐くユキ。治療したホノカはその言い様に眉をしかめた。突然現れたユキが何者なのかは知らないが、ホノカにとってヒカリとスバルは自分を助けてくれた恩人なのだ。少なくとも死にそうな人間に対して嘲笑う様な口を利かれて愉快では無い。不埒な小さな侵入者を捕まえようと歩み寄るが、それよりも先にスバルが小さく自嘲した。

「はは……まったく、ユキちゃんには敵わない、な。ホント、情けないよ」
「でも身を呈してヒカリを守ったのだけは褒めてやるにゃ」
「……ユキ、ちゃんが褒めてくれ、る、なんてね。明日、は雪でも降るかな?」
「明日までスバルが生きてれば自分で確認できるにゃ」

 そのやり取りに満足したのか、ユキはスバルに背を向けて歯噛みしたまま俯いているヒカリの足元に立った。見下ろす彼に対し、彼女は見上げて黄色い眼の中に佇む縦長の瞳をヒカリに向け、そして問うた。

「さて、ヒカリ。単刀直入に聞くにゃ。
 ――スバルを助けたいかにゃ?」
「もちろん! 決まってるだろ!」
「ユキヒロも助けたいかにゃ?」
「当たり前だ。僕は約束したんだ。絶対にユキヒロを助けるって」

 その答えに満足したか、ユキは一度、瞑目。そして再度鋭い眼を見開いて三つ目の問いを投げかけた。

「なら――孤独に耐える覚悟はあるかにゃ?」

 問われたヒカリは言葉を失った。
スバルを助けることと孤独に耐える、その二つに何の関連があるのか。ユキの言葉の真意が何なのか、理解が及ばない。及ばないが、それがこれから大切な事になる事は直感で理解した。
孤独。夜な夜な独りになると襲い掛かってくる恐怖。死さえも解放と思える程の、絶対なる絶望。ヒカリはその時の感覚を思い出した。
怖い。
震える手。それをまじまじと見つめ、ヒカリは強く握りしめた。
だが、それでもスバルとユキヒロ、二人の親友を助けることができるのならば。

「――覚悟は、ある」

 自分は一人じゃ、ない。スバルに、ユキヒロに。ユキにタマキに、そして自分を取り巻く多くの人に助けられて、そして今ここに居る。特にスバルたちには数え切れないくらいに、恐らく自分でも気付かないうちに支えられて生きてきた。
ならば、今度は自分が二人を助ける番。それは命を賭してでは無く、生きるための渇望。自分がこれからも皆と共に並んで生きるために、恐怖と向き合う、そのための決意の言葉だった。

「ユキ、ちゃん……まさか……!」
「そのまさかにゃ。
 ――イチハの封印を、解く」
「ダメ、だ! ユキちゃん、それだけは……ぐっ、ゲホッ!!」
「う、動いたらダメですよっ!」

 それだけは止めなければ。
 ユキを止めるためにスバルは無理やり体を起こして机の上から這っていこうとした。しかしすぐに咳き込み、大量の血を口から吐き出す。ホノカが体を抱き起こしてまた横たえながらも、話にただ一人ついていけて居ないことを嫌ってユキに尋ねる。

「あの、孤独だとか封印を解くとか、一体何の話を……」
「そこのお前」

 だがユキはホノカの声には耳を貸さず、逆にホノカを呼びつけた。その声色と迫力に気圧され、思わずホノカは「はい……」と返事をしてしまい、おずおずとユキに近づいてしゃがみこんだ。

「お前」
「白瀬さん。白瀬・ホノカさんだよ」
「そうかにゃ。んじゃ、ホノカ。お前は精神魔術は得意かにゃ?」
「え? ええ、得意かと言われれば一番得意ですけれど……」
「重畳にゃ。なら、今からわちきの詠唱を復唱して魔素の流れに同調するのにゃ」
「は、はい?」

 魔素の流れに同調する。今まで聞いたこともないその指示にホノカは困惑。そもそも、魔素の流れとは何なのか。ホノカもまた魔技高出身だが、実践でも座学でもそんなものは習った覚えも無いし、誰かが実施していると聞いたこともない。
戸惑ったホノカは指示を仰ぎなおそうとするが、ユキはそれを無視してヒカリに最後の確認をする。

「それじゃヒカリ――何があっても怯えるなにゃ。何を思い出そうとも、ただひたすらに耐えるにゃ。いいにゃ?」
「ダメ、だ……ダメだよ、ヒカリ……ユキちゃん……」

 意識を朦朧とさせ、満足に動かない体の中、必死にスバルは制止の声を上げる。
 しかし。

「スバル」

 ヒカリはスバルに向かって呼びかけ、そして微笑んだ。

「僕を……信じてほしい」

 ヒカリは怖かった。
 今から何が起こるのか。止めどなく不安がこみ上げ、しかし激しく波打つ胸に手を当ててヒカリはその感情を押し殺す。乾いた口内の僅かな唾液が音を立てて喉を流れ落ちた。
 それでもなおヒカリは笑ってみせた。スバルを安心させるため、ユキヒロを助けるため、そして自分が未来へ進むために。
 その笑みを前にしてスバルはそれ以上の言葉を口にすることができなかった。

「……うん、分かった」

 その言葉を聞いて、力尽きたかの様にスバルは眼を閉じた。その顔は、ヒカリが向けたのと同じく笑顔だった。
最後にくれた言葉にヒカリは微笑み、だがすでに時間の猶予が無いと気を引き締めてユキに向き直り、ユキもまた無言で頷き返した。

「――行くにゃ」

 そうしてユキは詠い始める。猫とは思えない清らかな声。聖者を呼び寄せるために選ばれた聖女の如く朗々と、高々に地獄の中に木霊していく。聞くもの全てを癒やす夜の女王は生けるもの全ての視線を集めてコードを空へと描き始める。

「なに、この詠唱……」

 知らない。私は知らない。ホノカは記憶に無い、だがどこか心が洗われる様な詠唱に戸惑い、言葉を失った。しかし、すぐにユキの指示を思い出して大急ぎで初めて聞く呪文を口にする。
そう、初めて聞いた詠唱。ホノカは特別記憶力に優れているわけでもなく、また聞き取り能力に自信があるわけでもない。だが不思議と彼女はユキの詠唱を続ける事ができた。まるで、これまでに何度も聞いたことがあるかの如く。
二つの声が重なる。詩が共鳴し、どこまでも遠く高く、街全体が優しい声に包まれていく。

「……なんだぁ?」

 声は当然カリストにも届く。故に彼の眼からもユキたちの位置は判明していた。だから彼女たちに向かって魔術を行使することもできた。魔術の詠唱を中断させることもできたはずだ。
しかし、カリストはしなかった。できなかった。その声を遮るのは、カリストを以てしても何故か憚られた。
決して犯してはならない聖域。踏み込んではいけない領域。神を信じぬカリストであっても、その声にただ聞き入る事しかできなかった。

地面に描かれていく魔法陣。大きさは僅かに人一人分が立てる程度。だが、その小さな陣の中に編み込まれていくコードの複雑さは、現在開発された魔術を遥かに凌駕していた。

「凄い……!」

 描かれていく陣の中に一人立つヒカリは、高度なコードの構成に思わず感嘆の声を上げた。ミリ単位以下で正確に刻まれていく幾何学文様。有り得ない程に複雑。有り得ない程に難解。コードの理解に自信を持つヒカリでも読み解くのは困難を極め、それ以上にムダの無い綺麗なコード構成にただ魅せられた。

「――ヒカリ」

 たっぷり五分ほど掛けて完成したコード。その秀麗さに見とれていたヒカリに向かって詠唱を終えたユキが声を掛ける。
じっとヒカリを見上げ、ヒカリもまたその鋭い双眸を見遣った。

「――頼む」

 最後の許可を得て、ユキは頷く。そして、起動のトリガーを引く。

「――解放Freisetzung

 声が響いた。それと同時に一際眩い光が魔法陣から立ち上ってヒカリを包み込んでいく。
全てが、満たされていく。腕に走る痛みも忘れ、ヒカリは自然と眼を閉じた。
閉じた瞼の裏には暗闇は無く、太陽が地平線から昇り始める直前の曙光にも似た明かりがあった。靄が掛かっていて、それが普通だった頭の中がクリアになっていき不純物が押し流されていく。空っぽに近かった心の奥底に暖かいものが注ぎ込まれる。人が本来持つべきで、しかし遠く置き去りにしていた、形容できない、言葉にできない「 」をヒカリは取り戻していく。
 ――アタタカイ
幸福感が、包容感が満ち満ちていく。世界と濃密に繋がっていたかつての残滓が押し寄せ、明確にヒカリという枠の中を在りし日の記憶が駆け巡った。
スバルが居て、コウジが居て、イチハが居て、カイが居て、そしてミサトが居る。無邪気に皆で遊び回る、当たり前の日々がそこに居た。
家に帰る。泥まみれになって帰ってきたヒカリを笑顔で迎える父が居た。台所で晩御飯の支度をしながらヒカリの姿を見て困ったようにため息を吐き、しかしすぐに頭を撫でて服を着替えさせる母の姿があった。
そして、満面の笑みでヒカリに駆け寄ってくる――ユキの姿があった。
 ――どうして、どうして
自分は忘れてしまっていたのだろうか。自分にはこんなにも暖かい家族が居て、周りにはこんなにも気心の知れた親友たちが居たというのに。
 記憶の海の中でヒカリは眼を閉じ、歓喜の涙を流し続ける。
だが次の瞬間――それらが全て砕け散った。

「あああああああああああぁぁぁぁっッッッ!!」

 現実世界でヒカリは絶叫した。意識が唐突に現実へと弾き飛ばされ、魔法陣の中で両膝を折る。両腕で互いの自らの腕を掻き抱き、包帯の腕から掻き毟り、喉を切り裂きながら掠れた声で叫び続けて何かから逃れるかのように地面に頭を打ち付ける。

「ヒカリくんっ!?」

 突然の豹変にホノカが叫び、名を呼ぶがヒカリには届かない。
寒い。寒い寒い寒い――
自らの全身を孤独が蝕む。指先から、足先から、耳から口から鼻から侵食してきた孤独が犯していく。蹂躙していく。腸が胃が肺が心臓が切り離されていく。世界から切り離されていく。ありとあらゆるものから隔絶され、存在が書き換えられていく。
耐え難い不快感。耐え難き暗さ。耐え難き絶望。それはこれまでの日々の中でヒカリが体感してきたどの夜よりも圧倒的だった。
苦しい? 違う。
悲しい? 違う。
悔しい? 違う。
誰にも理解されず、誰にも共感できない。言葉では表現できない、形容することすらおぞましい辛苦だけがヒカリの心を砕いていった。
痛みで逃れようと頭を激しく地面に叩きつける。皮膚が裂け、血が流れ落ちるがどれだけ打ち付けても痛みはやってこず、「 」が失われていく感覚だけがヒカリを支配した。

「っ! 大丈夫ですか!? 今行きますか――」
「近寄るな」

 苦痛に悶えるヒカリの姿を見かねてホノカが駆け寄ろうとする。しかしその動きをユキの静かな、だが鋭い叱責が遮った。
反射的に足を止めるホノカ。どうして、と戸惑い、足元の猫を悔しそうに睨みつける。だがユキは何も言わず、じっと苦しみ続けるヒカリの姿を眼に焼き付け続けた。

「う、あ、ああ……」

 ユキの視線の先。ヒカリは呻きながら上半身を起こす。未だ全身は激しく震え、苦痛の針に全身を突き刺され、頭蓋からは赤い血が滴り落ちている。

「そんな……そんな、事って……」

苛む絶望のその中でヒカリは理解した。自分が何者なのかを。自分が何を忘却してしまっていたのかを。



 一片の曇もない暑い夏のあの日。ミサトと、コウジと、イチハと、カイと五人で遊んでいたあの日。
記録にも残っていない、史上初めての特異点の中に五人は飲み込まれた。音もなく飲み込まれ、すぐに意識を失ったため特異点の中がどうなっているのか、自分たちがどうなったのか誰も覚えていない。
唯一つ明らかな事。それは皆等しく――世界から切り離された。
人と同じ身体的特徴を持ち、人と同じく成長し、だがしかし、幼き子どもたちは明らかに人とは隔絶された存在となった。
誰よりも優れた頭脳を持ち、誰よりも優れた身体能力を持つ。そして、誰にも持ち得ない不思議な能力魔法を得た。同時に、属する世界を失って耐え難い孤独の中で生きることを彼らは強いられた。
時を同じくして各地で発生する特異点。溢れる魔物。通じない通常兵器。
少年たちを切り離した世界は、しかし少年たちを必要とし、壊れた少年たちは世界に属する人間たちに請われて世界に手を貸した。
徹底的に行われる身体検査。昼夜を問わず実施される実験。少年たちの手で解き明かされていく魔素の謎。開発される魔術と魔素兵器の数々。時には少年たちが前線に送り出され、最前線で魔物の猛攻を退けていった。そして眠る間もなく使役される日々。
守られるべき子供を戦いの場に送り出す。平時における常軌を逸した行為は、しかしながら危機に晒されていた非常時においては常軌を逸したその行為こそが平常と化していた。
心身とも疲弊し、擦り切れていく五人。その有り様に誰もが異議を唱えず、綺麗事を口にする者は誰ともなく自然と遠ざけられた。そんな中で当初から自身の特性を理解し、それぞれの魔法を体得していた四人とは別に、ヒカリのみが魔法を具現化できていなかった。
熱・情報・電気・空間。四人が四人とも異なる属性の魔法を行使していたため、ヒカリにもまた別の属性を所持していると研究施設の誰もが考えていた。
だが、いつまで経っても、何を試みようとも顕現しないヒカリの魔法。ヒカリ自身も他の四人に心配や負担を掛けられないと必死だった。実験と研究の合間を縫っては一人考え、思い浮かぶことを全て実施した。
それでも発現しない魔法。何故、発現しないのか、そもそも自分の持ち得る特性とは何なのか、それさえヒカリは把握できなかった。
やがて周囲の期待は失望に変わり、ヒカリに対する価値を見出さなくなっていく。
叱責され、殴られる。食糧事情の厳しい当時の状況もあって、ヒカリの食事がこっそりと抜かれる事もあった。罰として独房に放り込まれる事もあった。それは他の四人に対しては絶対に有り得ない仕打ちで、しかしそれがまかり通ってしまっていたのはヒカリが黙ってそれを受け入れていたからだ。
ヒカリは何も言わなかった。魔法は使えなくても図抜けた身体能力を以てすれば暴力に対向することは容易だった。指先一つ、ホンの少し敵意を込めて突けば相手の体に風穴が開く。一度そうしてしまえばヒカリが自分たちとは違う何かである事を職員たちは明確に理解し、二度と暴虐な振舞いをしようとは思わなかっただろうが、しかしヒカリは一切の抵抗をしようとしなかった。
何故ならば、暴力を振るう彼らもまたヒカリにとっては守るべき対象だったから。
幼いヒカリは、しかしその明晰な頭脳故に理解してしまっていた。今、皆を守れるのは自分たちしか居ないと。驕りでも何でも無く、厳然たる事実としてヒカリは明確に理解してしまっていた。
そして、幼い故にヒカリは耐える以外の術を知らなかった。元々の責任感の強い性格に加え、弱い者を助けるべきという正義の味方めいた価値観。そして芽吹いてしまった使命感故に、期待に応えられない自分を責め、誰かに頼る事を知らなかった。
唯一頼れる他の四人の同士は、魔法使いに結託されるのを恐れた国の方針で別々の施設に隔離されていて、魔技開発の為に毎日決まった時間に行われるディスカッション用のモニター越しに、監視が付けられた状況下でしか会話は許されていなかった。だから、独房の中で母の泣く声を聞き、父が必死に何度も扉の向こうで謝罪を口にしているその姿を見ても、幼い妹が泣きそうになっているのを必死で堪えている顔を見ても、ヒカリは微笑みを浮かべる事しか思いつかなかった。
しかし、全ては破綻した。

「僕が…僕がぁっ……!」

 跪いたヒカリは思い出していた。ずっと封じ込められていた記憶と、昏い感情と、自らが為してしまった悲劇を。
 冷遇された状態のままの数年。対魔物との闘争も人類優位に変化したものの、まだ予断を許さない切迫した状況が続いていた。終わらない戦い。人類同様に五人の少年少女も擦り切れきっていた。そんな日。
 屈折した形で積み重なっていく昏い感情は静かに、だが確かにヒカリを蝕んでいた。そして、不幸にも誰もその事に気付かなかった。気づけなかった。
気づこうとする余裕を持ちえていなかった。
ある日、突如としてヒカリの魔法は顕現した。誰もが待ち望んでいた瞬間だった。ヒカリ自身も、研究者も、両親も、そしてヒカリの置かれている状況を気に病んでいた四人の魔法使いもずっと待っていた瞬間は確かに訪れた。
多くの命と引き換えにして。

「僕が、望まなければっ……!!」

 凶報を聞きつけてミサトやイチハがやってきた時、施設内には誰も居なかった。忙しなく歩きまわる研究者も、嫌味をぶつけてくる所長も、入り口を警備する警備員も。
そして、毎日ヒカリに付き添っていたはずの両親さえも。
どの部屋を覗いても誰も居ない。机上や床には書類が乱雑に散らばり、コーヒーメーカーがコポコポと音を立て、割れたコーヒーカップとぶちまけられた中身が書類を茶色に染めていた。まるで、突然持ち主が消えてしまったかのように。
やってきた四人は全ての部屋を隅々まで探し尽くし、そうして最後に辿り着いた部屋の中で見つけた。
ヒカリは泣いていた。呆然と、眼に光を無くして床にへたり込んで、声も上げずに涙だけを流し続けていた。そして膝の上では、一匹の黒猫だけが丸くなって眠っていた。

 ただ一人、孤独に泣き続けていた。



 そして今もまた、ヒカリは涙を流し続けていた。止めどなく冷たい涙が頬を伝い落ち、次々と溜りを地面に作り上げていく。

「僕が、父さんと母さんをっ……殺したっ……!」

 後悔、罪悪、失望。孤独に寂しさ、絶望。ありとあらゆる負の感情がヒカリの中に満ち満ちていく。

「うあ、あああぁぁ……」

 泣き声を上げながらヒカリは頭を地面に擦り付け、両腕を叩きつける。
思い出したくなかった。思い出さなければ良かった。こんな、こんなにも辛い思いをするのであれば、忘れたままでいたかった。
死。死ね。死ね。死ね。死ねよ。死になさい。死ねばいいのに。死死死死死死死死死死死死死死死――

「そうだ……」

 死ねば、いい。死んでしまえば全てが終わる。この孤独からも、絶望からも抜け出して、楽になれる。今の自分ならば、それを為すのは、容易い。
そもそも、だ。父を、母を、そして多くの人を殺しておいて、どうして自分はこうして今も生きながらえているのか。罪を贖わずして、全てを忘れて生き続けるという恥知らずな所業を為し続けているのか。
ヒカリは傍らに落ちる自分の剣を見た。うずくまった体勢のまま手を伸ばし、怪しく光るその剣先に見入った。刃を掴み、上半身を起こすと、その切先を喉に押し当てた。

「やめてっ、ヒカリくんっ!」

 叫ぶホノカ。その傍らでユキは無言のまま、一言も発しない。
喉に剣先を当てたままヒカリは眼を閉じた。あと、少し。あと少しだけ力を込めて喉に押し込めばきっとこの鋼鉄の塊は自分の喉を容易く斬り裂いてくれる。それで全てが終わる。たった、それだけだ。だというのに。

「どうして……!」

 ほんの少しの力が腕に入らない。メデューサに睨まれたように、腕が石と化したみたいに腕が全く動いてくれなかった。

「ヒカリ……」

 か細い声がヒカリの耳に届いた。目を見開き、涙でグチャグチャになった顔を声の方へと向けた。
そこにはスバルが居た。横になったスバルの意識は戻ってはいない。ただ、うなされた様に時折うわ言を口にしていた。

「大丈夫、だよ……ボクが、今度こそボク、が、守ってあげるから……」

 いかなる夢を見ているのか。あるいは幻覚が見えているのか。何度もヒカリの名を呼びながらそう口にし続ける。
――カラン
ヒカリの手から剣が滑り落ちた。クシャクシャに顔を歪め、涙を拭い、しかし溢れ続ける涙を何度も何度も拭う。嗚咽を堪えようと試みるも堪え切れず、しゃくる声が止まらない。
 ヒカリは俯いた。目元を強く抑え、体が震える。それは悲しみか、それとも歓喜か。
乱暴に腕で涙を拭い、歯を食い縛ってヒカリは立ち上がった。

「……負けるな」

 スバルに、そして自分自身に言い聞かせる。自分に、負けるな。僕らは、独りじゃない。

「助けるんだ」

 スバルを、そしてユキヒロを。未だ激しく蝕み、膝を折ろうとしてくる孤独に耐えてヒカリは魔法陣の外へ歩き出し、足元に落とした剣を右腕で拾い上げた。
一歩進む。炎がヒカリを照らし、足元を一迅の風が吹き抜ける。
一歩進む。重かった足取りが幾分軽くなる。踏みしめた砂利が鳴き、確かな足場をヒカリに与えてくれる。
一歩進む。辛そうに前かがみになっていた上半身が起き、真っ直ぐに背筋を伸ばして前を見据えた。

「スバル……」

そうして辿り着いたスバルの横。すでに呼吸はか細く、いつ止まってもおかしくない状態だった。そのスバルの体に、ヒカリはそっと左腕を当てた。
止血しきれなかった傷口から溢れるスバルの命。掌が汚れるのも厭わずヒカリはそこに触れ、そして次の瞬間、スバルの体が淡く輝いた。
決して強くは無く、だが確かな光。暖かく、優しく、そして全てを癒すような、ヒカリ輝き。その光がスバルの体から遥か上空まで立ち昇っていった。
夜の街に走る一本の光の柱。遥か遠くからも確認することができるそれはまるで、天からの希望の光の様でもあった。

「そんな……傷が……」

 ホノカの目の前でスバルの傷が見る見るうちに治っていく。溢れていた血は止まり、ヒカリが巻かれていた包帯を切り取ると、体を貫いていた傷口は最初から何も無かったかのように痕さえ残さず綺麗に治癒されていた。それと共にスバルの呼吸も安定し、今は穏やかな寝息へと変わっていた。

「あとは……」

 ヒカリは容態の安定したスバルから離れ、崩れかけの廃屋から外へ出る。そして肩幅に両脚を広げて立つと、まっすぐにもう一人の親友の体を酷使する敵を見据える。

「ヒヒ、準備は終わったか?」
「……わざわざ待っててくれたのか?」
「クヒヒ、おうよ。俺様はやっさしいからな。で、どうだ? お前はシケた面して今にも死んじまいそうだけどよ、あのガキは死んだか? ん? んん?」
「今しがた治してきた。今は寝てるよ」
「は?」

 ヒカリがそう告げると、カリストは唖然として眼を丸くし、次には大声を上げて笑い始めた。

「こりゃ面白え冗談だ! おいおい、いっくらダチが死んじまって信じられねぇからって現実逃避しても結果は変わんねぇぞ? これまで散々殺しまくってきた俺が言うんだ。あの感触は助からねぇ。間違いなく致命傷だったし、ぶっ刺してこんだけ時間経ってりゃとっくに死んだはずだぜ?」
「お前がそう信じたければ信じてればいい」

 表情こそ辛そうだが、ヒカリの顔色に悲壮の色は無い。決して嘘を言っているわけでも逃避しているわけでもない。絶望に暮れる表情を引き出すため、カリストは事実を突きつけてやったつもりだったが、動じた様子の無いヒカリを見て、そして先ほどの現象を思い出して舌打ちした。

「……さっきの光の柱か。治癒魔術でもあんな光なんざでやしねぇし……お前、本当に何モンだよ?」
「お前が望んでた敵だよ」
「ああ? どういう意味だぁ?」
「さあね。少なくともユキヒロじゃないお前にこれ以上教えるつもりは無い」
「クヒヒ、そうかそうか、そうかよ。俺としちゃ気になるトコだけどよ、教えてくれねぇなら仕方ねぇ。それよりも、だ。俺はもう我慢できねぇ。早く、早くお前とさっきのガキを喰いたくてたまんねぇ。
 だから――さっさと始めようぜ?」

 カリストを取り巻くドッペルゲンガーたちが一斉に詠唱を開始する。瞬く間に空が魔術で溢れ、ヒカリに向かって牙をむき出しにする。それをヒカリはつまらなさそうに見上げた。

「クヒヒ、そぉら行くぞっ!!」

 展開が完了するや否や、カリストは魔法陣から一斉に魔術を発動させた。
降り注ぐ氷の刃に炎の矢。雷の一撃に鋭いかまいたち。膨大な数のそれらが微動だにしないヒカリの元へ集い、着弾して巨大な土煙を上げた。

「ヒヒッ、これくらいで死んでくれるなよぉ?」
「ヒカリくんっ!」

 カリストが笑い、ホノカが叫ぶ。一撃一撃が並の魔術師なら必死の威力。特に魔術が展開された様子も無く、避けたようにも見えない。口では死ぬな、と言いながらもカリストはほぼ確信していた。少なくとも重傷は負っただろうし、死ぬなというのはどちらかと言えば希望に近い。いずれにしても、後は屠殺した獲物の新鮮な肉を喰らうだけ。
 カリストはヒカリ死体の元へ歩き始め、だがその足が半歩踏み出したところで止まる。

「さっきから馬鹿の一つ覚えだよな。ビデオでも見せられてるのかと思ったよ」

 ヒカリは立っていた。一歩も動いておらず、服も元々の傷以上のものは付いていない。舞い上がった砂埃を払うように顔を拭い、ヒカリは冷笑してみせる。

「言ってくれる!」

 魔素が励起。ビデオを巻き戻したようにカリストを中心にして魔法陣が展開される。しかし先程は小さな魔法陣が無数に浮かび上がっていたのに対して、数は減らしたものの一つ一つが数倍はある巨大な魔法陣が複数描き出される。
付近の崩れた家々から折れた柱やコンクリート、それに鉄筋造りだった廃屋から鉄柱が動き出し、ヒカリ目掛けて四方から高速で飛来する。ヒカリに逃げ場は無く、更にはそれぞれの資材に高圧力で圧縮加工を施し、高硬度と化して威力は増している。

「これなら避けられねぇだろぉっ!」

 串刺しにせんとカリストが叫ぶ。
だが、次の瞬間にはその顔が驚愕に彩られた。

「邪魔だよ」

 そうヒカリが呟く。それと同時に飛来していた建材が次々と消失していく。
まるで最初から存在が無かったかのように。あるいは空間に食いつくされてしまったかのように。ヒカリに近づくと同時に何もかもが消え失せていく。

「何が起こってんだよ……」

 有り得ない。世界でも屈指の魔術師であるカリストの頭脳が目の前で起きた現象の解を探していく。あるゆる書物を読みつくし、その知識は膨大。魔術の四元素全てに精通し、魔素方程式についても深い理解がある。その頭脳を余り無く使い尽くし、カリストが答えを探し求める。

「有り得ねぇ……!」

 だが答えは見つからない。方程式をどう組み立てても、どんな仮定を置いても、いかなる初期条件を用いても、想定し得る全ての境界条件を設定しても目の前の現象は導き出せない。
不可解。未知。相手は微動だにしていないというのに攻撃は届かず、傷ひとつ付けることができていない。理解の及ばない現実にカリストは激しく動揺し、戦慄した。

「曲芸は終わったか?」

 嘲る言葉とともにヒカリが一歩を踏み出す。ただそれだけの行為に、カリストは強く気圧された。

「う……うるぁあああああああぁっ!!」

 ただの少年に気圧される。それに反発するようにカリストは大声で叫び、拳を握りしめてヒカリへと殴りかかった。
しかし――

「――動くな」

 ヒカリが発したその一言でカリストの体は硬直した。体全てが鉛の塊と化した様に指一つ動かせない。顔も動かせず、瞬きさえ不可。眼は見開かれたままヒカリだけを捉えて逸らすことができない。
ヒカリの手の中にある剣がカチャリ、と音を立てる。右手で柄を固く握りしめてゆっくりと動けないカリストへと近寄っていった。

「お、俺を殺すつもりか? ひ、ヒヒ、ンなわけねぇよなぁ? この体は、お、お前のダチのもんなんだろ? で、できるわけがねぇ!」

カリストは恐怖した。これまで多くの人間を殺し、その報復として多くの人間に命を狙われてきた。だが本当に命の危険を感じたことは無かった。
しかし今、明確に圧倒的に絶望的に死を目の当たりにしていた。死神の鎌が、まさに今自分の首に掛けられている。ヒカリが自分を殺せるわけがない。そう確信していても、だがカリストは死の恐怖から逃げ出すことができなかった。

「問題ないさ。お前だけ・・を殺せばいい」

 そう言うとヒカリは突然、剣の刃に左手を当てた。何をするのか、と震える声で問うカリストに向かって僅かに微笑むと、次の瞬間に自らの手でスバルの血で濡れた刃を真っ二つに折った。
断面を覗き込んで確認し、指先でなぞる。そして、徐ろに上段に刃のない剣を構えた。
何をしようとしているのか。カリストには全く想像がつかない。ヒカリは振り被り、刃の無いはずの部分が、しかし、不意に仄かな光を発し始めた。幽鬼か、あるいは鬼火を連想させる不気味さをカリストは覚え、だがその実体を持たない刃がいかなる結果をもたらすのか、と刃を凝視した。動けないカリストはそうせざるを得なかった。
果たして、その答えはヒカリが剣を振り下ろした瞬間に明らかになった。
 最初にカリストが覚えた感覚は、「無」だった。不明瞭な刃はカリストの、ひいてはユキヒロの左腕を通過していった。その直後にはカリストは何の痛痒も感じなかった。斬られた痛みも無く、かろうじて動く眼球を必死に動かして腕を見遣れば血が噴き出していることもなく、腕が地面に落ちて血潮をぶちまけることもない。ただ敢えて挙げるのであれば、まるで風が腕の中を吹き抜けて行った。そんな感覚がカリストには残っていた。
だが――

「ぎゃあああああああぁぁぁぁっ!!」
 
 次の瞬間に感じたのは焼ける様な熱と激痛だった。皮が裂け、肉が削ぎ落とされ、骨を絶たれ、神経を焼けたコテで挟まれ、引きずりだされたような痛み。全身が痛みに警報を発し平時であればカリストはのたうち回っていた。だが拘束された体はそれを許さず、何かで気を紛らわせることさえ出来ない。カリストに許されたのは黙って痛みを享受する。それが唯一だった。

「何を、何をしやがったぁ……っ!」

 それでもこれまで多くの修羅場をくぐり抜けてきたカリストは、すぐに痛みを堪える術を覚え、脂汗を流しながらも口を開いてヒカリを威嚇するように吠える。その様子を見てヒカリは、口には出さないものの流石、といった風に感嘆した。しかし、それ以上の感情を与えるものでもない。

「言っただろ? お前だけを殺せばいいって。その為に必要な武器を用意したまでだよ」

 刃のない剣は肉体を斬るに能わず、魂を斬る。ヒカリが望むままに。
もう一度剣を振りかぶり、ヒカリは今度こそ狙いをカリストの頭上に合わせた。

「今度こそ死んで、殺してきた人間全てにあの世で詫てきなよ」
「くそがぁぁぁぁっ! 俺が、俺がこんなガキにぃぃぃっ!!」
「じゃあな。ユキヒロの体を返してもらうよ」

 腕が振り下ろされる。
青白い刃はユキヒロの体を真っ二つに割り、しかし腕を切りつけた時と同様に傷ひとつ体には痕を残していない。
だが、迫る刃に泣き叫び、罵声を浴びせていたその口は刃が通過した直後から閉ざされ、直立していた体は膝から崩れ落ちて倒れ伏した。
それと同時にヒカリの方を向いていたドッペルゲンガーたちは統率を失い、ユキヒロの体を中心として好き勝手に彷徨い始める。寄る辺を失った幼子の様に。

「……お、終わったんですか?」
「たぶんにゃ」

 固唾を呑んで事態を見守るしか無かったホノカは、倒れて動かなくなったユキヒロの姿を見てユキに問いかけ、ユキはそれを肯定する。それを聞いて緊張の糸が解けたのか、ホノカは脱力してその場に座り込んだ。

「でもまだやることが残ってるにゃ」

 ユキも安堵のため息を吐いた。だがそう言うと気を引き締め、不意に詠唱を開始する。突然何を、とホノカが問いかけるが、その前に異変が現れた。
ヒカリの腕から剣が滑り落ち、ユキヒロが倒れた時と同じく両膝を突く。

「う…あ……あああ……」

 ヒカリの口から苦悶が漏れる。記憶が解放された直後と同じく両腕で自身を強く抱きしめ、限界まで見開いた両目からは止め処なく涙が流れ落ちていた。それと同じく全身から夥しい量の汗が流れ始める。しかしながら全身は怖気が襲い、体温は瞬く間に奪われていき激しく震えていた。
そしてヒカリの全身から淡い光が溢れ始める。

「ヤバイっ! 暴走が始まったにゃ!!」

 両手で顔を覆い、何かを濃く深く嘆くような仕草をするヒカリの周りで、足元の砕けた瓦礫の破片が突如として消失した。その後も周囲の小さな破片が、始めから何も無かったかのように消えていく。
ユキの詠唱とともにヒカリを中心として光が溢れ、消失する範囲の拡大速度は減少するが、それでもなお消え続けている。

「ヤバイにゃヤバイにゃ……! 復唱するにゃ、ホノカ!」
「は、はいっ!!」

 詠唱にホノカが加わり、更に拡大速度は低下。それでもゼロにならず、少しずつユキたちに向かって虚無が近づいてくる。

「……あの範囲に入っちゃったら、私たちどうなっちゃいます?」
「心配する必要ないにゃ。最悪、何も感じずに消え去るだけにゃ」
「やっぱりぃっ!!」

 ユキの詠唱を復唱しながらも器用にイヤイヤと頭を振るホノカ。一段と気合を入れてユキに迫る速度で詠唱するが、ヒカリ側からの速度も増大しているのか、拡大速度が拮抗することは無くジワリジワリと広がっていく。
マズい。焦りが汗となってユキの毛を濡らす。いよいよ追い詰められ、ユキの脳裏に過去の惨事の記憶が過る。
 ――もう、あんな惨劇は起こさせないにゃ
必死にコードを描き続け、同時にヒカリへの封印措置を講じようと試みるが、現状維持に魔素を供給するので手一杯であり、魔術の並行行使まで手を回す余裕が無い。
事態はジリ貧。いよいよこの場からの撤退も視野に入れ始めて、そのタイミングを伺っていたその時。

「お疲れ様。後は私に任せなさい」

 頭上から降ってくる声。その声にユキとホノカが反応した時、声の主はすでにヒカリを取り巻く光柱の範囲内へと入り込んでいた。

「うん、ヒカリもよく頑張った。だから今日はもう十分休んでいいわ」

 そっとヒカリの顔に手を当てて上を向かせ、イチハはヒカリと額同士を合わせてそう伝える。顔には優しい笑み。それまで凍えているかの様に自身を抱きしめていたヒカリの両腕が垂れ下がった。
するとヒカリは糸の切れた人形の様に、しかし顔には笑みを浮かべて仰向けに倒れていった。ヒカリの意識が途絶えると同時に付近で発生していた消失現象も止まり、ヒカリを取り巻く魔法陣からの発光も停止した。

「よ、良かったぁ……」

 眼鏡を半分ずり落としながらホノカは大きくため息を吐いた。それは隣のユキも同じで、しかしどこかふて腐れた様に口を尖らせて前脚で顔を洗った。

「来るのが遅いのにゃ」
「せっかく助けに来てあげたのにそんなこと言う? 前々から思ってたんだけど、ユキちゃんはもう少し私に感謝の気持ちを持ってもバチは当たらないと思うんだ」
「ふん、イチハに感謝なんかしてやる義理は無いにゃ。大方どっかで出てくるタイミングを見計らってたに違いないにゃ」
「あら、バレてた?」
「お前の性格を考えれば簡単に想像できるにゃ」

 悪びれず、アイドルの時の様に軽く首を傾げてみせるイチハに、先ほどとは違った意味でため息をユキは吐く。
だけど、と軽く前置きして、ユキはプイッとイチハの方に尻を向けると小声でそっと言葉を紡ぐ。

「……来てくれたことには感謝するのにゃ」

 人であれば赤面しているのが分かるだろうほどにユキは照れていた。
 静寂。
居心地の悪い沈黙にユキが耐えかねてそっと振り向くと、イチハがわなわなと震えている。

「ユキちゃんが……デレた」

 イチハは感動に打ち震えた。

「ユキちゃんがデレたユキちゃんがデレたユキちゃんがデレたユキちゃんがデレたぁぁっ!」
「あーもう! うるさいにゃ!! そんなにわちきがお礼を言ったのが珍しいのかにゃっ!?」
「だってだってユキちゃんがよ!? あのユキちゃんが私にお礼を言ってくれたんだよっ!? しかも恥ずかしそうにそっぽ向いて!! これを奇跡と呼ばずしてなんて呼称すればいいのよっ!」
「知るかにゃ!?」
「今ならいけそうな気がする! お願いっ! 尻尾を撫でさせてモフモフさせて!!」
「死ねばいいのにゃ! むしろ死ねっ!!」
「あの〜……」

 鼻息をフンスフンスと荒く吐きながら手をワキワキさせてにじり寄るイチハと全身の毛を逆立てて威嚇するユキ。そんなワイワイと騒ぐ一人と一匹に向かって、ホノカは恐る恐る声を掛ける。

「お楽しみのところ恐縮なんですが……」
「誰が楽しんでるかにゃっ!」
「ひゃいっ! ご、ゴメンナサイぃぃっ! そ、それで、その人はどなたなんでしょうか? 何だか見たことある気がするんですけれど……
 後、ヒカリくんは大丈夫なんですか……?」
「お前が知る必要は……」
「あ、私のこと知ってる? 嬉しいなっ! 紅葉・イチハ、職業はアイドルやってまーす! これからも応援よろしくねっ!」

 突然アイドルの皮を被って可愛らしくメディア向けの決めポーズを浮かべて自己紹介するイチハ。ホノカは一瞬聞き間違いかと思ったが、ネットで見かけたイチハの容姿と完全に一致しているのに気づき、口をポカンと開けたまま固まった。
「え、え? どうしてここに……」とオタオタし始めたホノカを放っておいて、ユキはビシッとポージングしているイチハの足を前脚で叩いた。

「そんな事より、ヒカリはどうなったにゃ?」
「ん〜、とりあえずまた封印しておいたわ。ただしせっかくヒカリも今回頑張ったんだし、昔の記憶は完全に消去はせずに朧気に覚えているくらいに留めてるわよ。じゃないと命張ったスバルにも悪いしね」
「そうかにゃ……」
「だから今回は能力に関するところだけ封印ね。正直、完全に目覚めたヒカリを相手に封印が効くか微妙なところだったけど、ユキちゃんとそこの白瀬さんがヒカリを抑えこんでてくれたから予想してたよりも楽だったわ。彼女、結構精神魔術の才能があるわよ」
「なら後でスバルに頼んで彼女もこちら側に巻き込んでやるかにゃ。もうわちきだけじゃ苦しいトコにゃ」
「そうね、それがいいと思うわ。それとミサト姉とコウジから伝言。どっちも万事滞りなく完了したって。獏も無事に解放されたらしいから、私はそっちに行ってくるんで後はよろしくね。スバルは早いところ病院で治療させた方がいいわよ。傷は塞がってもヒカリじゃ失った血液までは戻んないんだからね」
「三人を病院に運ぶくらいのアフターサービスを要求するにゃ」
「いやよ。そこまでは今回のサービス外。それくらいは自分たちでやりなさいよ」
「相変わらず冷たいヤツだにゃ」
「あ、でもユキちゃんを抱っこさせてくれるなら……」
「ホノカ、呆けてないで三人をさっさと病院に運ぶにゃ」

 イチハの願望を意図的に無視してユキはホノカを現実に引き戻す。イチハも本気では無かったらしく、小さくフフ、と笑うとその場から姿を消した。
イチハの姿が視界から消えたのを確認すると、ユキは笑顔で寝息を立てるヒカリの元へトコトコと歩いて行く。そうして安らかな寝顔を覗きこんで、その頬を前脚でペチペチと叩いてみる。深い眠りの中にいるヒカリは眼を覚ます様子が無く、ユキは呆れた様に深々と息を吐き出した。

「まったく……世話の焼ける奴にゃ」

 そう言いながらヒカリに口付けた。





激しい戦闘が勃発中。 意識を乗っ取られたユキヒロは無差別に攻撃をする。 ヒカリが囮になったりスバルが魔術を使って被害を防ごうとするけれど防ぎきれず付近の住居に被害が及んでいる。 軍警察も銃撃や魔術師が攻撃を加えようとするが多くのドッペルゲンガーを持つユキヒロはタイムラグ無く様々な魔術を行使して圧倒する。 幸いにして住民は避難済み。 被害を出しながらも少しずつユキヒロを誘導して、先の大規模交戦地域までやってくる。 様々な建材やらが攻撃手段にもなり、防御手段にもなる。 ここで本格的な戦闘が始まる。 ユキヒロの精神を主として乗っ取ったのは、多くの魔術による殺人・誘拐事件を起こして広域国際指名手配をされていた男(カリスト・アロンソ)。理性的な面は失われているが、その残虐性、攻撃性、嗜虐性は健在。またその魔術行使技術も健在だった。 軍警察では相手にならず、一方的にやられる。また、魔術の使えないヒカリ、威力の乏しいスバルでは優位に立てない。 「何でユキヒロはあんな奴のドッペルゲンガーを奪ったんだよ!」 「あんな奴だからだろ!」 様々な魔術の攻撃が弾幕のように四方八方に加えられる。 防戦一方のヒカリたち。そんな中で軍警に居た女性隊員が回避中に転倒。絶体絶命。 そこをヒカリが拾って回避。だが、攻撃を喰らってしまい負傷。 それに気を取られたスバルも攻撃を受けてしまう。 それでも何とか廃墟とかした家屋の壁に隠れて、一旦やり過ごす。 「コウジとかは呼べない!?」 「ムリだよ! ノバルクス社に行ってて、今から呼んでも一時間は掛かっちゃうよ!」 「ならカイさんとかは!?」 「カイ兄が手を貸してくれると思う!?」 「このままじゃまずい……」 街の被害と、もし高位の魔術師を呼ばれたらユキヒロ自身の命も危うい。 そう考えた矢先、一発の銃声がユキヒロの体を貫く。それを皮切りに弾丸が襲い掛かる。 肩を撃ち抜かれながらもユキヒロは薄ら笑いを浮かべて最初の一発以外は防ぎ、遥か遠方のスナイパーを空気の弾丸で逆狙撃していく。 だがユキヒロからの出血は激しく、更に時間制限が厳しくなる。 だがユキヒロはそれを気にした様子もなく、生き残りを探して歩きまわる。 「みぃ〜つけたぁ」 再戦闘。スバルに狙いをつけたユキヒロは集中して攻撃。 ヒカリが助けようとするが、それが狙いだったユキヒロはヒカリに致命的な攻撃をする。 それをスバルがかばい、スバルは重傷。 先ほど助けた女性警官が気を引いている間にヒカリが救助。 いよいよ追い詰められた時、ユキが登場。 「ユキ! どうしてここに……」 「そんな事は後回しにゃ」 対面する一人と一匹。 「スバルを助けたいかにゃ? ユキヒロを助けたいかにゃ?」 「もちろんさ」 「……孤独に耐える覚悟は、あるかにゃ? 辛い記憶と向き合う覚悟は?」 「まさか! ユキちゃんダメだよ……!」 「覚悟は、ある」 封印していた記憶の一部を解放。それと同時に第五の魔法を思い出す。 自分が、かつて何者であったか。おぼろげに断片的に思い出す。 (身体能力アップ、欲しいものを何でも創りだす。ただしそれは副産物で本来の使い方では無い) スバルの傷が癒え、元気な状態になる。 そしてユキヒロと直接対決へ。 「ユキヒロを、返してもらうよ」 描かれる魔法陣をことごとくディスペルで反故にしていくヒカリ。 恐慌状態に陥るユキヒロ。 創りだした炎の剣で斬りかかるもユキヒロは自分の体を人質にする。 「なら、お前だけを殺せばいいんだろ?」 アイツだけを殺せる武器がほしい。願うと不可視の剣が現れる。 不可視の剣でヒカリは斬りかかる。 斬られると、精神だけが苦痛を受け、消失する。 ユキヒロを倒すと同時に、ユキによって意識を失わされる。 残された最後の魔法ラスト・マジック、願い。
それがヒカリの唯一の魔法ユニーク・マジックだった。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送