Top

1-1 
1-2 
1-3 
1-4 
1-5 
1-6 
1-7 
1-8 
1-9 
1-10 
1-11 
1-12 
1-13 
1-14 
1-15 
1-16 
1-17 
1-18 
1-19 
1-20 
epilogue 









現在の閲覧者数:

(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved







イチハに手を引かれた僕は為す術も無く、半ば引きずられながら走り続けた。

「何処に行くんだよっ!?」
「ちっさい事はきにしないっ! 私に任せときなさいっ」

 走りながら問いかけても返ってくるのはそんな返事。警察から逃げ出してる時点で僕からしてみれば全然ちっさい事ではなくてむしろ重大事なんだけれど、どうやらイチハにとってはそうじゃないらしい。走りながらも落ち着いて振り返ってみれば、さっきからずっと迷いなく細い路地を駆け回ってるし、なんというか、逃げ慣れてると言うか。もしかしてコイツはこういう状況に慣れてるのか?

「まーねー! 何処行っても誰かに追いかけられてるからね」

 ……一体普段何をして過ごしてるんだろうか?できれば逃げてる相手が警察とか国家権力じゃなくてコイツのファンであって欲しいと切に願ってしまう僕は間違ってるのだろうか?
そんな事を考えながらイチハから逃げ出すのをすっかり諦めてしまった僕だけれど、その脚が不意に止まった。
何処をどう走ったのか、どれくらい走ったのか全くもって覚えていないけれど、顔を上げてみればそこには一軒の店。薄汚れたビルの壁とは似つかわしくないくらいに可愛らしいドア。どっかのアニメで見たことあるようなデフォルメされた女の子の顔がデカデカと描かれてて、軒先には小さな看板が垂れ下がってるし、そこでもカチューシャをつけたピンク色の髪の釣り目がちの女の子が睨みつけてくれてる。どう考えても一見さんにはハードルが高そうな店だ。

「やっほーっ! マスター、奥開いてるーっ?」

 何度扉と看板を見なおしてもお兄さん方が集まりそうな店で、女の子が入るには勇気のいるだろうし、少なくとも僕の中のアイドルはこんな店には入りそうもない。
だというのにイチハは一切合切の何の躊躇いも無くドアを開け放って開口一番に颯爽と要件を叫んだ。いや、アキバの町にはあまり来たことがないけれど、もしかしたら知らない間にマスコミの報道に毒されてるのかもしれない。町の特性を考えれば女性がこういう店に来るのも普通なのだろうか?

「なんだ、イチハかよ。相変わらずやかましい奴だな。挨拶くらいまともに出来ねーのか?」
「そんなの別にいいじゃない。そんなの私とマスターの仲じゃん」
「俺は常識を説いてんだよ。乳臭えガキじゃねぇんだからそれくらいちゃんとしろよ」

 そしてドアの向こうから出迎えてくれたのは二人。
一人は今こうして眉を潜めて文句を垂れている、イチハが「マスター」と呼んだ男の人。たぶんこの人が店主なんだろう。茶色がかった短髪で、ラグビーでもやってたのか結構いい体格をしてる。無精髭を生やした、少し強面のその見た目は外装とは違って落ち着いた内装の店内の雰囲気と似合ってる。そして喫茶店のマスターといえば真っ先に思い浮かぶ仕草がムダにコップを磨いてる光景だけれど、この人もその想像に漏れずにピカピカにグラスを磨いてた。
ただ――

「いや、人前にそんなシャツで出てるマスターに常識説かれたく無いし」

 白地にアニメのキャラがデカデカと描かれたシャツを着てる姿には違和感しか感じないけれど。

「バカ野郎。この町じゃこの格好が正装なんだよ」
「……そうだっけ?」

 そんな事はありません。いや、強ちそうとも言い切れないけれどさ。

「そんな事よりお前がここに来たって事はまた何かやらかしたのか? 今度は何だ? 電波ジャックか? それとも国会議事堂にでも潜入してネット中継でもしたか?」
「今回は違うわよ。ただちょっと駅前でゲリラライブしたくらい」
「なんだ、今回はずいぶんと大人しいんだな。てっきり総理大臣のヅラを国会中継中に剥ぎ取ったのかと思ったぜ」

 お前はホントにこれまで何をやらかしてたんだよ。
 それはともかく、もう一人が――

「あの、後ろのお客様が困ってらっしゃいますのでお話は後にした方が……」

 メイドさんだった。それはもう紛うことなきメイドさんだった。綺麗な黒髪をショートボブにカットしていて、映画やアニメで見るようなカチューシャを着けてて、そしてエプロンドレス。よくあるようなミニスカートっぽい丈じゃなくて、足首近くまでスカートがあるオールドタイプのメイドさんがそこに居た。

「むう、ヒカリが見とれてる……」
「ヒカリお兄さんはこういう人が好きなのですか?」

 すぐ後ろから聞こえてきた声に僕はハッとなる。振り向けばスバルとユキがメイドさんを「敵だ!」と言わんばかりに睨みつけてるし、リンシンはきょとんとしてつぶらな瞳で僕を見上げてきていた。

「あの、何か……」

 コホン。
別に僕は彼女に見とれていたわけじゃない。ただ由緒正しきメイドスタイルをこんな場所で見てしまったからちょっと驚いただけだ。べべ別にメイドさんが好きなわけじゃない。……嫌いじゃないけど。

「いえ、何でもないです」
「お、ボウズももしかしなくてもメイドスキー属性持ちか? いいぜ別に。マコトをお持ち帰りしても」

 マスターの粋な提案に心が揺り動かされないでもないけれども、僕は紳士である。そっと遠目から愛でることができれば十分だ。女性を物扱いしては紳士の名が廃ってしまう。
だからここは紳士らしく振る舞って丁重に笑って流そうと思ったんだけれども。

「ちょっと黙ってろやこのろくでなし変態マスターが」

 ・・・は?
 はて、聞き間違いだろうか? 今、目の前のメイドさんから言葉が発せられたような。

「相変わらずマスターには辛辣よね、マコトは」
「甲斐性なしですから仕方ありませんわ、イチハ様。ご覧の通り、店内は閑散としていて今月の私の給料すら払えない有り様ですのに、せっかく来られたお客様の相手も満足に出来ない無能者ですから。ムダにグラスばっかり磨いてないで少しは客を呼びこむ方法の一つや二つ考えでもすればいいのにその程度のことさえしようとしないゴミクズにはこれでも優しいくらいですわ」

 言葉遣いは丁寧だけどひどい言い草だ。いや、それだけストレス溜めてるんだろうけど。

「見た目は完璧なのにね」
「お恥ずかしいところをお客様にお見せ致しました。このクソッタレ店主の相手をしていると耳が腐っていきますし目も腐り落ちてしまうでしょうから、すぐにお席にご案内致します」
「あー、三人とも私のツレよ。だからそんなに気を遣わなくていいわ。それよりも奥の部屋を使わせてもらたいんだけど、空いてる?」
「そうでしたか。すぐにご案内致します。お飲み物はいかが致しましょうか?」
「あ〜、いつもので宜しく。あとはココアを二つにコーヒー一つ、後、そのネコ用に少し温めたミルクをお願い」
「畏まりました。それではこちらへどうぞ」

 メイド――マコトさんはそう言って恭しく一礼すると、僕らを引き連れてイチハの言う「奥の部屋」に案内してくれた。チラリと歩きながらマスターを見たけれど、特にマコトさんの暴言は気にしてないらしい。鼻歌を歌いながら注文を受けたココアを入れ始めてた。

「あれもいつもの風景だから。気にしたら負けよ?」

 らしい。まあ人の趣味はそれぞれだからこれ以上言及するのは遠慮しておくか。

「どうぞ」

 マコトさんがドアを開けてくれて、イチハを先頭に部屋に入る。特別な部屋っぽいけれど特に何か変わったところは無くて、まあ何の変哲もない部屋だ。少し調度品が高級っぽいけれど、部屋の中心にテーブルと二人がけのソファが一つ、三人がけのソファが一つあるだけ。ただ店内と違ってBGMも何も流れていないから誰も喋らないとひどくもの寂しい感じがする。
一度マコトさんが部屋を辞して、そしてすぐにトレーの上に注文の品を乗せて戻ってきた。特に口を開くわけじゃなく、淡々と落ち着いた仕草でカップを僕らの前に並べていって、無言のまま一礼してまたマスターの方へと戻っていった。

「ふぃ〜、や〜っと落ち着けるわ」

 部屋の中に僕らだけ――つまりは身内だけになった途端、イチハはソファに思いっきり背中を預けてだらけると、飲み物と一緒に置かれたおしぼりで首周りやら顔を拭き始めた。スカートにも関わらずあぐらをソファの上で組んで、そして運ばれてきたばかりの飲み物を「ングっングっ!」と喉を鳴らしながら一気に飲んで「ぷはぁっ!!」と声を上げてジョッキをテーブルに置いた。

「くぅ〜!! やっぱ一仕事終えた後のビールは最高ねっ!」

 言いながら枝豆をつまむ姿はどこまで行ってもオッサンだった。アイドルは何処行った、アイドルは。

「ん? あんなの外向きの顔に決まってるじゃん」

 ケロッとした顔で言いやがる。この姿を見ればさぞファンの人は幻滅するだろうな。
 あと、さらっと未成年が飲酒してんじゃねえよ。

「いいじゃん。今日び十六にもなって酒飲んだこと無いやつなんて居ないって」

 そういう問題じゃ無いんだが。

「一応法律で酒は二十歳からなんだけどな」
「そんなの関係ないって。ウチのシマじゃノーカンだから。知らなかった? 私の周りでは治外法権なの」

 知らねえよ。イチハに法律うんぬん説いても無意味なのはさっきのマスターとのやり取りで判ってたけど。
僕らの眼なんて関係ねえってばかりにもう一度ビールを飲み干して、額に浮かんだ汗をおしぼりでひと拭き。化粧はいいのかって思うけれど、まあいいや。とりあえず僕らもそれぞれ前に置かれた飲み物を一口飲んで喉を潤す。誰かのせいで急に走らされたからな。

「さぁて」

 喉が潤って満足したのか、イチハが話しかけて来る。

「バタバタしちゃったけどこうして面と向かって会うのも久しぶりよね、ヒカリ」
「そうだね。まあ、まさかこういう再会になるとは思ってもみなかったけど」

 まさか警察に追われながらの再会とは流石に想像してなかった。できればもう少し落ち着いた状況でこうして話したかったけれど、まあ、なんだ、何処に居るか分からなくて皆で途方にくれてた事を考えれば会えただけでも幸運だったんだろう。

「ユキちゃんも久しぶり。スバルは……久しぶりってほどでも無いか」
「ま、ね。それでもボクとは三ヶ月ぶりくらいになるはずだけど」
「……わちきは会いたくなんてなかったにゃ」
「も〜、ユキちゃんってホントにツンデレよね」
「こ、こら! わちきを離すにゃ!」
「ん〜、この肌触り! 毛並み! 肉球のプニプニ感といいやっぱりユキちゃんってネコとして完璧じゃない! ね、ね、私と一緒に生活しない!?」
「ぜぇ〜ったいお断りにゃ!」

 イチハはいつの間にかテーブルの上でミルクを飲んでたユキを抱えてて、さっきからしきりにモフモフしてる。ユキは嫌がって手足をジタバタさせたり爪をイチハの腕に突き立てたりしてるけど、イチハには一向に効いてない。結局ユキの方が折れて憮然とした顔でコッチを睨んできた。いや、僕を睨まれても困るんだけど。

何事も無ければこのまま旧友との友好を深めていきたいところではあるのだけれど、残念ながらそういうわけにもいかない。僕らには時間が無くて一刻も早く問題の解決策を見つけなければならなくて、そしてその為にイチハの元に来た。

「あのさ、イチハ」

 早速聞くべきことを尋ねようと僕は口を開きかける。けれど、イチハは掌をコッチに向けてきてそれを制止してきた。

「いいわよ、別に言わなくても。ヒカリが私のトコになんて用が無きゃ来てくれないだろうし。それに、聞きたい事も分かってるから」
「そっか」

 流石はイチハ、と言うところだろうか。耳が早いと言うべきか、情報の扱いに関して僕はコイツの右に出るやつを知らない。

「それじゃ早速だけど……」
「そう焦りなさんなって。ヒカリの友達が来てからでもいいじゃない。タマキとユキヒロだっけ? もうすぐ来るからさ」

 それもそうだな。もうすぐ着くっていうんなら、同じ話を何度もするよりはそっちの方が良いし、何か情報があるんなら僕からの又聞きよりもイチハから直接聞いたほうがタマキも納得するだろう。
しかし。

「何で二人がもうすぐ来るって分かるんだよ」

 走り始めた段階ですでに僕らと二人は逸れててどこに居るのか分からなかった。二人とは連絡も取ってないし、そもそもこんな路地にある店を知ってるとも思えない。だから二人だけでここに辿り着けるとは到底思えないんだけど。
疑問をぶつけてみるけれど、イチハは「フフン」って得意気に鼻を鳴らすだけだ。答える気はないらしい。予想してみるに、おおかたファンか誰かがここに案内する手はずになってるんだろうか。

「それよりもさ、せっかく会ったんだからもう少しおしゃべりしましょうよ」

 眼をキラキラさせながらそんな事を言ってくる。はて、確かに僕とイチハが会ったのは数年ぶりだけれども、そんなに僕と話すのが嬉しいのだろうか?僕みたいな人間と話してて楽しいとはまったく思えないけれど。
 まあしかし、イチハがそれを望むのであれば僕としてもそれに応じるのは吝かではない。だからとりあえずの話題としてついさっきのライブの話を振ってみた。

「しかし、流石の人気だったな。あんなにあっという間に人が集まるなんて。別に前もって告知してたワケじゃないんだろ?」
「……すごい人が集まってたのです」
「フフン。まあね。やっぱりアレかな? 私からにじみ出る魅力とオーラって言うの? 後は人徳? そういうってのは黙ってても伝わってしまうのよね。まったく自分の事ながら怖いわ」
「ふん、よく言うにゃ。全員に思考操作掛けてたくせに」

 思考操作?なんだ、それ。響きからして何だか不穏な言葉だけれど。

「失礼ね。私だって誰彼構わず操作してるわけじゃないわよ。ただ、元々私の事が好きだった人がもぉっと好きになって私を見てくれる様に、ちょっちだけその気持ちを前面に押し出しやすいように背中を押してあげただけよ。あ、ヒカリとかスバルには魔法は掛けてないから安心してね」
「それはどーも。ていうか、それって別に掛ける必要が無かったからだよね?」
「ふん、人の気持ちを簡単に弄んぶ様な奴は死んでしまえばいいのにゃ」
「えー、私が死んだらユキちゃんだって困るくせに」

 イマイチ事情が分かっていない僕を放って三人でだけ話が進んでいくけれど、何だか雲行きが怪しくなってきたな。
言葉の字面から察するに、さっきあんなに人がすぐに集まったのは、純粋にイチハを見たかったからじゃなくて、イチハが人々の思考を誘導して集めたって事なのか。
だとしたら、イチハとはいえそれは許される事じゃない。人の意思を無視して自分の思い通り操るなんて、なんて傲慢。人の意思は、絶対に他人に侵されてはいけない領域だ。そんな事、イチハだって解ってるだろうに、どうして。

「そう怖い顔しないでよ、ヒカリ。さっきも言ったでしょ? 私がしたのはホンの少し気持ちを表に出すのを手伝っただけ。言ってみれば迷ってる人の相談に乗ってやりたいことを肯定してあげただけ。たいしたことじゃないわよ。
 それにもう話はお終いみたいね。二人が来たわよ」

 強引にイチハは話を切って、そしてそれと同時にドアがノックされる。
「どうぞー!」とイチハがドアに向かって声を掛けると、開かれたドアからまずマコトさんが見えて、その後ろからどこかボンヤリした様子のタマキ、そしてユキヒロが部屋の中に入ってきた。

「タマキ。ユキヒロ」

 声を掛けてみるけれど、二人はボンヤリとしてて僕の声にも反応しない。
この様子を僕は見たことがある。一度、授業の一環として精神感応系の魔術を掛けられた時に、その症例を見学するという名目でビデオを見せられた。精神を弄られた患者が、まさに今の二人の様だったはずだ。
そのことに思い至った途端、戦慄が走った。

「まさか二人にも思考操作を……?」
「すぐに解けるからそんなに心配しなーいの」

 パンッ!とイチハが柏手を鳴らした。乾いた音が部屋の中に響いたのと同時、これまでの生気を失ったように虚ろだった二人の瞳に光が灯ったのが分かった。

「あ、あら?」

 まるで意識を失ってたかのようにタマキが声を上げて辺りをキョロキョロする。ユキヒロも同じだ。

「何でここに……いや、確かにここに来ようと思ってたんだが……」
「です…わよね……どうしたというのかしら……?」

 首を捻る二人。どうも状況に理解が追いついてないみたいで、ソファに座ってる僕らの姿は眼に入ってないみたいだ。

「いらっしゃい。気分はどう?」
「え、ええ……何でしょうか、気分が先ほどまでよりもずいぶんとスッキリした様な……」
 イチハの声に何気なくタマキが応えた。けれども、僕らの方を振り向いて姿を認めた瞬間、タマキが固まった。

「イ、チハ……ですの……?」
「そーよ。はじめましてー」

 笑顔を浮かべて、タマキに向かってブンブンと腕を振るイチハ。対するタマキはさっきから固まったまま血走った眼を見開いてイチハを凝視してる。
何かヤな予感が……

「ホンモノ、ですの?」
「そーよ。良かったらこの場で『神様なんて大っ嫌い』でも歌ってあげよっか? それともまだ発表前の新曲の方が良いかしら?」

 そう言ってイチハが指をパチンと鳴らすと同時に、どこからか曲が流れ始めてイチハが踊り始めた。
狭い部屋で軽快にリズムを刻むイチハ。それを見てようやく目の前の女の子がホンモノの「アイドル・イチハ」だと頭の理解が追いついたらしく、みるみるうちにタマキの表情が綻んでいって、最終的にはそれなりに長い付き合いだけども今まで一度も見たことがないような、笑顔というにはだらし無さ過ぎる顔になった。詳しい描写は本人の為に控えるけれども、一つ分かったのは、多分、小学生の女の子を見てる時のイチハはこんな顔をしてるんだろうなということ。そりゃ捕まるわ。
で、美少女と接したイチハの身に起こることといえば、付き合いのある僕らからしてみればもう自明の理であって。

「ぎゃあああああああああっ!!」

 ぶしゅうううううっ!とこれまで見たことないような勢いで鼻血情熱を出しながらもイチハに向かってぶっ倒れるタマキと、とてもアイドルとは思えない悲鳴を上げているイチハの姿がそこにはあった。
さすがにタマキの生態までは調べてなかったらしい。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 どうやらタマキという生物は普通の人間では違うらしい。
 最早致命的とも言える程の情熱を撒き散らして血の海に沈んだに関わらず、リンシンに介抱される事わずか十五分で落ち着いて話を聞けるくらいには回復したらしい。とは言っても昨日とは打って変わってリンシンに横で支えられてる状態だし、両方の鼻の穴にはすでに定番となったティッシュが詰められてて場の雰囲気を何とも言い難い微妙なものにしてしまっているけれど。

「……イチハ様には大変お見苦しい物をお見せしてしまい、どうお詫びしていいか判りませんわ」

 深々と、それこそ五体投地しかねないほどに頭を下げるタマキ。ちなみに部屋は駆けつけたメイドマコトがすぐに掃除してくれた。流石は現代日本に蘇ったメイド。半端ねぇ。

「まさか魔法も使わずにファンを血の海に鎮めることがあるとは思わなかったわ……」

 顔を引き攣らせながらそう漏らすイチハだけど、さすがに血に染まった衣装のまま話を続ける気にはならないらしくて、今は着替えて白いブラウスにグレーのフレアスカート姿になってる。どうやらこの店で何日も過ごす事もあるらしくて、着替えに加えて専用の日用品も備えられてるようだ。

「……それじゃそろそろ話を始めよっか」
「やっとかにゃ……時間が無いんじゃなかったのかにゃ?」
「うう……面目ないですわ」

 うなだれるタマキの頭をリンシンが「よしよし」と撫でてあげる。ほんわかする光景でしばらく眺めておきたくもあるけれど、スバルが言う通り話を再開するとしよう。

「だが、言っちゃ悪いが、ただのアイドルのイチハさんが本当に俺らの知りたい事を知ってるのか?」

 ユキヒロの懸念も最もだと思う。イチハの事をアイドルとしてしか・・・・・知らない人ならまず間違いなくそう考えるよな。
けれど、イチハは幸か不幸か「ただの」アイドルじゃないんだよ、ユキヒロ。

「へえ、疑うんだ。まあそうよね」

 楽しそうにイチハは微笑んだ。そして怪訝な顔を向けてくるユキヒロを見ると、「そうだなぁ……」と呟いてニヤッと笑った。

「染矢・ユキヒロ。昨日は寮近くのコンビニでバイトしてた。そうよね?」
「あ、ああ、そうだが……」
「学校の授業が終わってからバイトの時間までは図書室で調べ物。過去の魔物がらみの事件についてまとめられたファイルを片っ端から漁っていくも目ぼしい情報は無し。午後七時からバイトのシフトに入るけれども着替えの際に小銭入れを落として中身をぶち撒けてしまった。その時にズボンの裾を踏んづけて転んで右側頭部を打ち付ける。
 午後十時半、レジで四十二歳の中年男性が来店。弁当を購入するけどその客は慌てていて釣り銭を受け取らずに出て行ったから、お釣りの四〇二円を自分の左ポケットに押し込む」
「え、ちょ、ちょっと待て……」
「午後十時四十八分、厨房で唐揚げを揚げていた時にボンヤリしていて唐揚げを焦がしてバイトの先輩に怒られる。午後十一時にバイトが終わって帰宅。その途中にネコに出会って、晩御飯の焦げた唐揚げをあげようとするけど、引っかかれて逃げられる。どう? これでもまだ『ただの』アイドルだと思ってくれるかしら?」

 得意気にユキヒロに尋ねるイチハ。ユキヒロは項垂れて頭を抱えて、そして顔を上げた時は苦虫を噛み潰したような顔をしてた。

「マジかよ……何でそんな事細かく昨日の事を知ってんだよ? まさかストーカーか?」
「む、失敬ね」
「まあでもストーカーでもおかしくないよね、やってることは」
「スバルまでそんな事言う?」
「自業自得にゃ」

 口々にみんなユキヒロの感想に同意していって、どうやら味方が居ないらしい事を察したイチハは口を尖らせて黙り、胡座を掻いてビールのジョッキを傾けた。イチハには悪いけれど、残念ながら僕も同意だ。

「で、ただのアイドルじゃないとしたら、スバル、この人は何者なんだ?」
「そだね、改めて紹介するよ」

 スバルはソファに座りなおしてユキヒロとタマキに向かって、最も重要なイチハの肩書を告げた。

「紅葉・イチハ。今は亡きはずの情報の魔法使いだよ」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 魔素技術の基礎となる元素は全部で四つある。
空間、熱、電気、そして情報。それぞれに魔素方程式が存在してて、そのそれぞれの名を関した四人の魔法使いもまた居る。
空間を掌握する柏木・ミサト。
灼熱で全てを焼きつくす別所・コウジ。
稲妻で敵を穿つ真玉・カイ。
そして全てを把握する紅葉・イチハ。
僕の幼馴染である彼らは、全員が誰もが憧れる世界の英雄であり、魔素技術が普及したこの世界におけるヒエラルキーの頂点だ。世界を巻き込んだ魔物との闘争に終止符を打ち、そして僕ら戦う術を持たなかった人類に魔素技術という力を分け与えた。だからこその英雄であり、戦いが収束した今となっては皆その力を奮う機会は少なくなって穏やかに暮らしてるはずだ。コウジみたいに未だに敵を求めて戦い続ける奴もいるけれども。
だけどイチハは違った。彼女だけは全てが終わる直前に心を病んで隔離された。世界に仇なす前に厳重に拘束されて監視下に置かれ、けれども一瞬の隙を縫って彼女は自ら自分の命を絶った。
幼い頃からの世界の尖兵として戦った英雄の悲劇の死。その死は彼女の庇護を受けた世界中から悼まれて、そして少しの安堵を世界に与えて時の流れの中に消えていった。
英雄の本名は伏せられているから誰も彼女の事は知らない。ただ「情報の魔法使い」として歴史書に刻まれ、そのまま書物の一部にだけ存在していた事を記録されているだけ。世間的にはそうなっている。

「……ちょっと待って下さいですの。理解が追いつきませんわ」

 だから頭を抱えたタマキの反応はひどく正しい。タマキを始めとして世間一般ではイチハはすでに「故人」であって、今まさに目の前に居るのはその居るはずが無い人物だから。その隣を見れば、ユキヒロもタマキと同じように頭を抱えて必死に理解をしようとしてるみたいだ。

「……つまり、何だ。俺らは普段からネットとかライブで、死んだはずの英雄様を見て熱狂してたって事か?」
「ま、そういうことね」
「で、でも! でもですわっ! 情報の英雄は死んだはずではなくて!? 派手に国葬が行われてテレビでも中継されたのを覚えてますわ!」
「あー、アレ? 確かに盛大だったわね。世界中の首脳だけじゃなくてローマ法王とかも来て神妙な顔で弔辞とか話してたわね。想像以上に盛大だったから見てたコッチも引いたわ」

 まあ、事情を知ってる人間から見たらそうだよな。死んだはずの当のご本人様は家のソファで寝そべって枝豆を摘んでるんだからな。

「つまり、アレは嘘だったと?」
「そ。いい加減英雄なんて立場に嫌気が差してたから、さっさと死んだことにして自由になろうと思ってね。まさかあそこまで大事になるとは思って無かったけど、やっぱそんだけ私のカリスマっていうのが凄かったって事かしら?」

 中身はビール飲んでアグラ掻いてるおっさんだけど。見た目はチンチクリンだし、どう見てもカリスマ性は皆無に思えるんだが。

「な、なら、あの時のお葬式に居た人たちは皆本当の事を知ってたの!?」
「そんなわけ無いじゃない。世界の誰もが私が本当に死んだって未だに信じてるわよ」
「だがどうやって騙したていうんだ? おそらく精巧な作り物の死体を作るか何かして誤魔化したんだろうがいくらなんでも……」
「別に何の準備もしてないわよ?」
「え?」
「私を誰だと思ってるの?」イチハは嘲る様に笑う。「こう見えても『魔法使い』よ? あの頃は一応政府の建物に住まわされてたけど、そこから居なくなってスバルの家に転がり込んでただけ。もっとも、関係者全員の記憶を捏造して、棺の中に私の死体が転がってるように認識させたけどね。あの時あの場に居た人間には全員私の死体が『そこにある』って認識してたはずよ。実際は棺の中なんて空っぽなのにね」
「……もう何を聞いても驚け無いな」

 ユキヒロが疲れた声を出して、隣のタマキも同意する。対するイチハは得意げで、「どう? 私の凄さが理解できた? できた?」とか言いながらほとんど無い胸を張ってる。
確かにイチハは凄い。流石は英雄だって、魔法どころか魔術さえ使えない僕からしてみればただただ純粋に感嘆するしか無いんだけれど、イチハの本当に凄いところはそこじゃない。

「でもそれってとんでもない秘密なのでは無くて? いえ、もちろん口外するつもりは毛頭無いのですけれども、不意に口を滑らせてしまう可能性も無いとは言い切れませんわ。なのにワタクシたちに教えてしまっても良かったですの?」
「ああ、別に構わないわ」

 心配はない、と軽い口調で告げる。そして事もなさ気に言った。

「だって、いざとなれば全員の記憶を消せばいいじゃない?」
「え?」
「何を驚いてるの? 単純な事じゃない。私の事を知って利用しようとする人間が現れたらその記憶を消せばまた元の通り。別に消さなくても書き換えてもいいしね。少なくとも重大ごとにはならないから」
「だ、だけど今の世の中情報なんてあっという間に広まるぞ? それも世界を揺るがすような重大事だ。ネットに出れば止める間もなく世界中に……」
「あら、そうなら世界中の人間の記憶を消せば良いんじゃない?」

 イチハが英雄だって理解させられるのはその魔法の範囲だ。
誰がどこに居ようとも、それこそ世界の裏側に居ようともその気になれば彼女の意志一つで全てを書き換える事ができてしまう。本人は家のソファで寝そべってテレビを見ていても、指先一つ動かすこと無く自分が望むままに世界を書き換えてしまう。
だからこその英雄。
だからこその――世界の敵。

「本当に反則的な力にゃ」
「とは言ってもそこまで力を行使したことはないけどね。流石に世界中の人間相手の情報を書き換えるのはかなり疲れるとは思うからそんな事態にはしたくないわ。それに、私だって自分に好意を持ってくれてる相手を魔法で干渉したくは無いし。だから二人共他言無用で頼むわよ?」
「今の聞いて話せるかよ」

 お手上げ、とばかりにユキヒロが本当に両手を挙げてみせる。まあ、今の話を聞いておいそれと誰かに話すなんてできるわけないよな。言ってみれば今のだって「なんならあなたの記憶を消しましょうか?」って脅しかけてるのと同じようなもんだし。

「と、悪い。すまないけど俺はそろそろお暇させてもらう」
「え? どうして?」
「あらあら、気分を害してしまった?」
「まあ色々と気分を害される事はあったけどな」

 苦笑しながらユキヒロが席を立つ。話す内容に対して、その表情にはイチハに対する嫌悪とか、そういったのは僕には読み取れない。

「今日もバイトなんだ。本当ならシフトじゃないんだけど、急に欠勤が出たらしくて頼み込まれてな」
「そうなんだ。まだ目的のこと何も聞いてないんだけどな」
「本当に悪い。また後で仕入れた情報を教えてくれ」

 時計を見てみればすでにアキバにやってきてから一時間半近く経っていた。イチハのライブといいタマキの情熱暴走といい本筋から離れた出来事が多すぎたな。
 残念そうにユキヒロは後ろ頭を掻いて、そしてもう一度「スマン」って謝罪の言葉を口にして部屋を出て行った。別に謝らなくてもいいのに、とは思うけど、そこがユキヒロの責任感の強さを表してる。

「はあ、行ってしまいましたわね」
「仕方ないよ。ユキヒロも生活するだけでも大変なんだし」
「その分、僕らが聞き出せばいいよ。それで、イチハ。最初に僕らが知りたいことは分かってるって言ってたけど」
「ええ、そうよ。しばらくここらに居なかったし、聞いて・・・無かったからタイムリーじゃないけれど、ここ数日で今ヒカリたちの周りで何が起きてて何をどうしてるか全部把握してるわ」
「でも、ユキヒロの言葉じゃないけどさ、いったいどうやって……」
「……もしかしてヒカリって私の力知らなかったっけ?」

 そう言われると返事に困るな。全く知らなくは無いけれども正確に知ってるわけじゃない。情報の魔法使いであるわけだから当然情報、一般的には精神魔術と呼ばれるもの全般は使える事は知ってるし、もの凄い広範囲、それこそ世界中に渡ってそれを行使できるのも知ってる。でも今のイチハの口ぶりから察するに、まだ知らない事はあるみたいだし、それにどうやって僕らの行動を把握したのかその手段も知らない。

「なら幼馴染のよしみとして教えてあげる。序にタマキにも、ね。私に会っただけであんなに興奮してくれるくらいに私を好いてくれてるんだもの。あ、リンシンちゃんにもね」
「……いいなのですか?」
「いいわよ。さっきも言ったみたいにいざとなればどうとでもなるわけだし」

 そこで一区切りつけて、イチハは僕の知らない彼女の力を口にした。

「私はね、知りたい・・・・事を知りうるの」
「知りたい事を、知りうる?」
「そ。私が知りたーい事はなーんでも分かっちゃうの」

 言いながら右手の人差し指を一本、ピンっと立てた。

「例えば今帰ったばかりのユキヒロが何処に向かっているか、例えば地球の裏側の小さな田舎の町で誰と誰が夫婦げんかをしてるか。ああ、今、魔素エネルギー庁の研究機関でどんな研究がされてるかなんていうのも分かるし、望むなら高級フランス料理の作り方だって分かるわよ」

 そして。
イチハは一番重要な事を口にした。

「君らの友達である四之宮・ユズホを元に戻す方法も」
「本当ですのっ!?」

 タマキがテーブルに体をぶつけながら立ち上がった。テーブルの上に置かれた飲みかけのコーヒーが零れて木製のそれに広がった。
イチハはその反応を察知してたように予めビールのジョッキを手にしてて、タマキとは対照的に落ち着いた様子でジョッキを傾けてた。

「うん。嘘は言わない主義なの、私」
「だったら! お願いします! ユズホをっ……ユズホを治してっ!」

 俄にタマキは床の上に座った。そして頭を床にこすりつけるように下げた。
もし、もしイチハが言うことが本当なら、問題は一気に解決する。ユズホさんも元に戻って、他の被害者も治せる。犯人が見つからない限り事件は続くだろうけど、喫緊の問題じゃなくなるし、後は警察とか自衛隊とかに任せてしまえばいい。リンシンの疑いを晴らしてあげたいけれど、これだって事件が起きた時にリンシンの傍に居れば解決だ。獏だってこれ以上数を減らさないようにコウジたちが上手くやってくれるよう頼み込めばいい。
タマキに続いてスバルも隣に座って同じように頭を下げる。僕もその隣で頭を下げて、リンシンまで頭を下げた。

「頼む。彼女を救いたいんだ。時間が無いし、他にアテも無いんだ。お願いします、イチハ」

四人が並んで土下座して頼み込む。きっと、これが最初にして最大の機会。これを逃せば、きっと、ユズホさんを治す機会は永久に失われる。だから、これを逃すわけにはいかない。

「……止めなさいよ、そういう事」

 僕らが顔を上げると、イチハは詰まらなさそうに顔を上げた。その表情は不愉快だって言わんばかりで、だけどもどこか困った風で。

「人に傅かれるのっていっちばん嫌いなの」
「普段からアイドルとしてチヤホヤされてる人間が何を言ってるにゃ」
「もてはやされるのと傅かれるのとは違うの。傅かれるのって私自身の実力とか魅力じゃなくて、単なる地位や権力で強制させてるみたいじゃない。そういうの嫌いなのはユキちゃんだって解ってるくせに」

 ジョッキの中身を一気にあおって大きく一息つくイチハ。手に持ったそれをテーブルの上に置くとガシガシと金色の髪を掻きむしった。

「言っとくけど、そんな風にして頭下げられても私はドッペルゲンガーを元に戻せないわよ」
「そんなっ!? 治し方を知ってるって言ったじゃありませんの!」
「ええ、私は戻し方も知ってるし実際に戻すこともできるわよ。素材が揃ってるならね」
「素材?」

 スバルがオウム返しに聞き返して、イチハは「そうよ」と言いながら顎でしゃくって全員を立ち上がらせる。
土下座した全員がソファに座り直したのを見計らってイチハは話を続けた。

「いかな私でも本来その子が持ってるドッペルゲンガーが無いと戻せるわけないじゃない。別に作り物のドッペルゲンガーを作って憑依させてあげてもいいけど、そんな事はみんな望んでないでしょ?」

 当たり前だ。そんな事をしたら、それで治ったってユズホさんじゃない。それはもう別の人であって、そもそも作られた人格だとしたら「人」として認識していいか、それさえも曖昧だ。

「結局は犯人を見つけないといけないのか……」
「ユズホのドッペルゲンガーがどこにあるのか、判りませんの?」
「どーかしらね。人に関してはだいたいは知りうるけど、生物外は難しいかもしれないわね。ましてやドッペルゲンガーなんて魔術師には見えないものだし」
「ならせめて犯人の居場所を……っ!」
「あのさ」

 タマキが何とか情報を得ようと食い下がろうとする。それは人一倍ユズホさんを助けたいタマキからすれば当然の事で、僕が同じ立場に置かれたら、例えばスバルがユズホさんの状態になったら必死にすがりつくと思う。
けれど。

「どうして私がそこまでしなきゃなんないの?」

 イチハはそんな事を言い放った。

「え……?」
「何で不思議そうな顔するのよ? 私は一言も『手伝ってあげる』とも『助けてあげる』とは言ってないわよ? なんで人の手を借りるのが当たり前に思ってんのか知らないけど、私は四之宮・ユズホとは面識も無いし話したことも無い。助けたところで私にメリットは無いし、犯人を探してあげる義理も無い」
「そりゃそうかもしれないけど、でもこのままだと被害者だって増えるし……」
「それがどうだというのよ」

 どうだ、だって?そんな事決まってる。被害者が増えればそれだけ悲しむ人が増える。苦しむ家族が増える。辛い思いをたくさんの人がしてしまうなんて、そんな事が許されるわけ無いじゃないか。

「そうね。ヒカリの言う通りだと思うわよ。誰だって辛い思いなんてしたくないもの。で、私はそういう辛い思いをしてる人の一人一人に手を差し伸べればいいわけね? 世界中の犯罪者を探し出して警察に突き出してやればいいわけね? 世界中の被害者を一人残らず助けてやればいいわけよね? 分からない問題を全部解決してやればいいわけね? 転んだ人間一人一人の手を引っ張って抱き起こしてやればいいわけね?」
「そこまではいかないけど……」
「そういうことよ、ヒカリが言ってるのは。良い、ヒカリ。普通、人が誰か一人に世界中の人間を助けてくれ、なんて求めないのは何故だと思う?」
「それは、そんな事は不可能だし……」
「そう、その通りよ。日本に居てアメリカの人間に手を差し出すなんて普通は不可能だし、それだったらアメリカの人間に頼む方がよっぽど効率的で建設的だわ。隣に居ても自分の能力を超えた問題だったら解決できる人間に頼むべきで、出来ない人間に出来ない事を頼むなんて非効率。じゃあもし、どこに居てもどんな問題も解決できる人間が居たら?」
「みんなこぞって頼るだろうねぇ。そして断ったらすぐに非難し始めると」
「スバル、いくらなんでもそんな事は……」
「そんなもんよ、世の中。それか拘束して無理やり問題解決に当たらせるか、といったところね。そして自分というものを奪われていく。イヤよ、私は。また・・そんな風に世界中から利用されるのは。私は私の為だけに生きたいもの」

 反論の言葉が出てこない。イチハが言った内容は極論の様でその実、極論じゃないから。
僕らは弱くていつだって力不足。何をするのでも一人じゃ手が足りなくて、だからこそ色んな人が協力して問題に取り組むし、誰かに頼れば誰かに頼られもする。そうして世界は回っていく。それが当たり前の話。
けれども、それは強大な能力を持った人間の存在で一変する。世界は力を持った人間に極限まで協力を強要し、脅迫し、強制する。力を持てば持つほど負担を求め、そこに個人の意思は介在しなくなって、個人をすり潰していく。
そして、その様を僕はかつて眼にしていた。

「世界は一握りの天才に寄生して生きている。そのくせに恩はすぐに忘れて天才の反逆を許さない。
 あんな生活に戻るのは絶対にゴメンよ……」

 だからその呟きは、ひどく重く、僕にのしかかった。
けれども――

「だけど……僕は、僕は僕にできる事をやりたい。もし困っている人がいて、それで僕が手を差し伸べて助かるのなら手を差し伸べたい。僕が身を削って助かるのなら僕は身を削りたい。僕は……人を助けたい」
「所詮それは力無き者の考えよ。一方的に搾取される側の立場に立たない弱者の願望でしかないわ。ヒカリ、アンタは実行力の伴わない、身の丈に合わない無様な妄想を押し付けるだけの、弱者の立場を傘に来て自ら動く事を放棄したクソッタレに成り下がるっていうわけ?」
「イチハの言う事は分かるよ。確かにイチハもコウジもカイもミサト姉もみんな苦しんでた。イチハが頼られるのを拒むのも、その、僕はイチハじゃないから完全に理解しきれてるとは言えないけれど理解できるつもりだ」

 薄ぼんやりとした頼りにならない昔の記憶。最近思い出し始めた虫食いだらけの記憶。楽しかった、無邪気で溢れていた記憶のその先にある重い過去未来。その中の英雄たちは少しずつ、でも確かに病んで狂い始めていた。手に余る期待に、けれどもかろうじて手に収まってしまう力に侵されていっていた。その様を僕は見ているしかできなかった。

「僕はイチハの言う通り無力だ。弱者でしかない。イチハが出来る事に比べたら僕にできる事はとても些細で、ちっぽけで、助けるどころか誰かに助けてもらってばっかりのクソッタレだ。反論の余地もどこにない。だけど、いや、だからこそ僕にしかできない、僕にならできる事を、僕にでも出来る事をしたいんだ」
「そう。なら勝手にやってればいいじゃない」
「イチハ」
「何よ?」
「対価に何を払えば、ユズホさんを助けてくれる?」

 情けないけれど、悔しいけれど、今ユズホさんを救えるのは間違いなくイチハだけだ。ならば、イチハをその気にさせる必要がある。
さっき彼女は「メリット」について口にした。であれば彼女が手を差し伸べてくれるメリットがあるはずだ。
もちろん単なる言葉の綾、という事もありえる。だけども彼女が嫌がるのは「利用される」事で、その関係が崩れるのであれば助ける気になってくれる可能性は高い。

「そうね、なら……ヒカリ」
「何?」
「私と一緒に来なさい」

 幼い見た目にそぐわない、妖艶さを感じさせる仕草で首を傾けながらイチハはそう言った。

「何もかも捨てて私と一緒に来てよ。今の生活を、学校も、人間関係も全部捨てて、私と一緒に好き勝手に生きましょ? ずーっと私と一緒にいてちょうだい。必要な事は全部私がしてあげるから。私と一緒に『死人』になって世界中に遊びに行きましょうよ。それなら助けてあげてもいいわよ。どう?」
「イチハっ!」
「ユキちゃんは黙ってて。私はヒカリに聞いてるの。さあ、どうする?」
「それは……」

 答えようとして息が詰まる。喉元まで言葉が出てて、だけどもその先へ出ていかない。言葉は反射的。けれど僕は、何と答えようとしてるのだろうか。
ユキの方を見る。黒猫はこんな問いかけをしたイチハを噛み殺さんばかりに睨みつけてる。
タマキを見る。僕とイチハの方を交互に何度も繰り返し見て、その顔には有り有りと苦渋が滲んでる。
スバルを見る。コイツだけはいつもと変わらず平静な顔で、まるでどっちを選んでも構わないと言わんばかりだ。
もし、イチハを選べばユズホさんは絶対に助かる。自分で言ってたみたいに嘘は吐かない奴だし、そこは信用も信頼もできる。その代わり、僕はスバルやタマキ、ユキヒロを捨てなければならない。彼らと築き上げてきた友情も信頼も全て投げ捨てて、『誰かの役に立つ』事は、きっとできなくなるだろう。おそらく、イチハはそうすることを許さない。
どうする。どうする、僕。

「どうしたのよ? 自分ができる事をするんじゃなかったの? 簡単じゃない。ただ『行くよ』って言ってくれればそれでいいのよ?」

 そうだ。イチハの言う通りじゃないか。僕は誰かを助けるために出来る事をする。例え、自分がどうなろうとも、誰かの役に立ちたい。
なに、別に本当に死ぬわけじゃないし、僕がいなくなってもたまにはスバルたちにだって会えるさ。だから、僕の答えは一つしか無いじゃないか。
一緒に行くよ。
僕はそう答えようと息を軽く吸い込んだ。けれども、それよりも早くスバルが口を開いた。

「それくらいにしときなよ、イチハ。どっちにしたって助けるつもりなんでしょ」
「え?」
「えー、もうバラしちゃうの? つまんないじゃない。もう少し悩むヒカリを見てたかったのに」
「悪趣味だね」
「男のくせにヒカリが好きなスバルに言われたくないわね」
「それもそっか」

 どういう事だ? さっきの条件は、冗談だったって事なのか?
さっきまでの空気はどこかに霧散して、イチハもスバルも楽しげに軽口を叩き合ってる。その雰囲気の変化に付いて行けなくて、僕は言葉に詰まった。それでも、確認しておかなきゃいけない事は一つで。

「助けて、くれるのか……?」
「良いわよ。他ならぬヒカリの頼みだもの。少しくらいは手伝ってあげるわよ」
「ほ、本当ですの……?」

 恐る恐る、けれども隠し切れない喜びが表情に滲ませながらイチハに尋ねるタマキだけど、その喜びを爆発させる前に「ただし」と釘を刺してきた。

「私はドッペルゲンガー探しも犯人探しも手伝わない。代わりに、ユズホの延命処置を施してあげる。それなら私も対して苦労はしないしやってあげるわ。ちょうど獏のリンシンちゃんも居ることだし」
「私、なのですか?」
「そうよ。まだまだ子供みたいだけど、情報魔術の扱いはそこらの魔術師よりよっぽど上手いはずだし手伝ってもらう。これが条件よ」

 どう?とイチハが胡座を組み直しながら尋ねてくる。リンシンさえ手伝うのが構わないのなら、僕としては特に言う事はないのだけれど。

「延命処置、というのは何をするのでしょうか?」
「そこは企業秘密。だけど別に治ったら別人になってたりとか後遺症が残るとかそういう事にはならないから心配しなくていいわ。ここは完全に私を信用してもらうことになるけど」
「それは構いませんわ」

 宜しくお願い致します。タマキは立礼で深々と頭を下げ、その後で申し訳なさそうに眉根に皺を寄せた。

「それで、申し訳ないのですけれどもすぐにその処置をお願いしたいのですけれども。もしかすると今日にでも危険な状態に陥るかもしれませんの」
「ああ、それは大丈夫よ。今も状態をチェックしてるけれど、特に異変は無いわ。もちろん医学的な見地だけじゃなくて魔技的な意味でもね。よほど生き汚いのね。当分処置しなくても生きていけるでしょうね。少なくともここ一日二日で逝ってしまう状況じゃないから安心しなさい」
「アンタはもう少しマシな言い方ができにゃいのかにゃ」

 いや、まあイチハも安心させようとしてくれてるんだろうけど、ユズホさんも頑張って生きようとしてるわけだしね? せめてもう少し言葉は選んで欲しい。ほら、タマキも隣で怒りたくても怒れない事を如実に表してる微妙な表情してるし。

「今晩中に処置はしとくから、ヒカリたちはさっさと犯人探しでもしてきなさい。リンシンちゃんも今日は帰っていいわ。後で処置しに行く時に拾ってくから」

 今日はもう帰れと言わんばかりに右手をヒラヒラと僕らの方に向かって振ってくる。
そうだな。協力も取り付けられたし、これ以上イチハの時間を占有するのも気が引けるし、今日はもう引き上げて後はイチハに任せよう。きっと悪いようにしないだろうから。
 ソファから立ち上がって、僕はタマキを促し、左手でリンシンの手を引いて部屋を出ようとする。けれどもスバルとユキはソファに座ったまま動こうとしなかった。

「ヒカリたちは先に帰ってて。ボクはイチハとちょっと話したい事があるからさ」
「そう? 分かったよ、先に寮に帰ってる」
「今晩の集合場所と時間は後でメールしておきますの。遅れたら承知致しませんわよ?」
「うん、分かった。それでオッケーだよ」

 話が付いてスバルとユキに背を向けて部屋の扉を空ける。その途端に部屋の中に店内のBGMが入り込んできて急に立っている場所が変わった様な、そんな気がした。

「ヒカリ」

 部屋の外に一歩出たその瞬間、僕はイチハに呼び止められた。首だけイチハの方に向けると、イチハは無表情の眼差しを僕に向けていた。

「本当の事を知りたかったら人に頼るばかりではなくて、自分の眼でも確認してみる事をオススメするわ」
「え、あ、うん」
「間に人が入れば必ず情報は歪められるわ。必ず自分でも調べてみなさい。そうすればきっと見えてくるものがあるはずよ」

 イチハにしてはひどくまともな諫言だ。そして珍しくその表情も真面目。具体的に何を言いたいのかは今ひとつ掴めないけれども、でもこのタイミングで伝えてくるって事はきっととても大切になってくるんだろう。

「分かった。心に留めておくよ。ありがとう。それから改めて。
 今日は本当にありがとう。それに久しぶりに話せて良かったよ」
「いーえ。そんじゃ頑張ってきなさい」

 開いた右手でイチハに手を振って別れを告げる。白塗りの扉が閉じられて、それで今日の僕とイチハの邂逅は終わった。



連れて来られたのはアキバにあるメイド喫茶。 「奥の部屋借りるよ〜!」 部屋の奥で落ち着く一同。 「久しぶりだね」 遅れてユキヒロとタマキ到着。イチハがいることに驚く。(思考操作でこの店にくるよう誘導) 「さっきの騒動は何?」 思考操作でファンを作り出した。 事情を話そうとするけれど「全部知ってるから」 ユズホを治す事ができるか?→ドッペルゲンガーがあれば可能と返答。 「この子は何者だ?」 「元英雄」 途中でユキヒロはバイトで退席(実はバイトは無い) ユズホの延命処置はできる。(魂の欠落によって劣化していく情報を逐一補充してやる。ただしそれも精々一週間) 犯人は誰か知っているか? 「さあ?私は最近この町に戻ってきたばっかりだからね。大体の予想はできるけれど、まだ裏が取れてないからね。教えないよ」 どうしても教えてくれないイチハ。 その後、ヒカリとリンシン、タマキは帰宅するが、スバルとユキは残る。





前へ戻る

目次

次へ進む







カテゴリ別オンライン小説ランキング

面白ければクリックお願いします







SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送