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epilogue 









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved





 朝の新鮮な空気を吸い込みながら空を見上げれば、雲がまばらに見える程度には晴れ渡った空。遠くには微かに朝焼けの名残が伺えて、よく朝焼けだと天気は悪くなるとはいうけれど、そんな話が信じられないくらいには快晴だ。

「行ってきまーす、高校生のおにーちゃん!」
「いってらっしゃい! 車には気をつけるんだぞーっ!」

 僕は今日もまた朝から小学生の通学路で、ご近所の体調を崩してしまった権田さんの代わりに交通整理員をしていたわけで、元気に小学校に向かって走って行く子どもたちの背中を見送っていると朝特有の気怠さもどこかに吹き飛んでいってしまいそうだ。
 もう一度瑞々しい空気を吸い込みながら大きく背を伸ばせば、バキバキと骨が鳴って何とも気持ちいい。さて、今日も一日頑張りますか。

「いつも悪いねぇ、ヒカリくん」
「あ、おはようございます、村上さん」

 定番の「交通安全」と書かれた黄色い旗を片付けてると、ここのところ一緒に交通整理をしてる村上地区長さんに話し掛けられた。目元に深い笑い皺が刻まれたその顔は好々爺然としていて、まるで福の神みたいだ。だからか、失礼ながら村上さんと話してると知らず知らずのうちにこっちまで笑顔になってきて、僕は彼と話すのが結構好きだ。

「本来なら儂らみたいな爺がやるべきことで、君みたいな若者に頼むことじゃないってぇのは解ってるんだが……」
「そんな事ありませんよ。子どもたちの元気な様子を見てると元気を貰える気がしますし。それに、権田さんだってまだ若いじゃないですか」

 今は体調を崩してしまってるけど、確か権田さんはまだ四十代半ばだったはずだ。元々は魔術師だったらしく、世界が混乱してる時期には戦場魔術師として活躍したってこの間も自慢してたっけ。今は当時のケガが原因で自衛隊を辞めて、のんびり過ごしてるらしいけど、昔とった杵柄でまた何か魔技に関する仕事を始めてみようかって言ってたな。もう体調崩して一週間になるけど、大丈夫だろうか。

「そうそう、その権田さんなんだけどね……」
「どうですか、権田さんの様子は? もう一週間になりますけど、その、そんなに悪いんですか?」
「亡くなったらしいよ」
「え?」

 死んだ?権田さんが?一週間前はあんなに元気に振舞っていたのに?
信じられずにオウム返しに問い返してしまった僕だったけれど、それは村上さんも同じだったらしい。私も信じられないんだけどね、と前置きして話し始めた。

「特にそれまで何処かが悪くなったとかじゃないらしいんだよ。突然倒れて病院に担ぎ込まれたみたいでね。人伝に聞いた話だからどこまでが本当かは分からないが、そのまま意識が回復する事無く昨晩息を引き取ったいう話だ。それに原因も分からない様でねぇ……まったく、怖いねぇ。まだまだ若い権田さんでさえこうなっちまうんだから、儂もいつ天に召されてしまうか分かったもんじゃないな」

 そういえば権田さんに交通整理員を進めたのも村上さんだって言っていたし、新しい仕事をするよう勧めてくれたのも彼だって生前に権田さん自身が言っていた。どうも村上さんは権田さんに色々と世話を焼いていたみたいで、だからか、話している村上さんはひどく気落ちした様子だ。

「ああ、すまないね。朝からこんな話をしてしまって。ただヒカリくんも権田さんとは一緒に交通整理をしてくれてるからね、教えておいた方が良いと思って」
「いえ、教えてくれてありがとうございます」

 人が亡くなるのは誰であれ悲しい。ましてそれが言葉を交わした事がある人であるなら、またその人の為人、希望、願い、これまでの人生に一端であっても触れたことがあるのであれば尚更。胸中に去来する寂しさと悲しさに軋む感情を胸の奥に押し込めて僕は学校へと向かった。
今日は、良い日にはなりそうにも無い。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 権田さんの訃報を聞いた僕は陰鬱な気持ちのまま学校に向かった。時折、始業時間ギリギリで大急ぎで駆けて行く小学生とすれ違う。初夏が近づいてるとはいえ幾分肌寒い風が僕の首筋を撫でた。
 魔技高専の朝は比較的遅い。始業時間は八時四〇分だけど、近くの小学校は八時始業だから交通整理の手伝いをしてるとどうしても小学生の生活リズムに合わせないといけない。必然、まだ人気の少ない校舎で僕は過ごすことになる。
 静かなのは良いことだけど、僕はどちらかと言えば多少賑やかな方が好きだ。人がいればそこに僕という存在は埋没はしてしまうのだけれど、それでも僕を認識してもらえるのは嬉しいものだ。だから一人で教室に居れば何となくもの寂しさを感じてしまう。
 下駄箱で靴を履き替えながら権田さんの事を考える。
僕と権田さんとは特別仲が良かったわけじゃない。と言うよりそこまで接点があったわけじゃない。数カ月前から時々朝に顔を合わせて、挨拶を交わしたり、小学生の列が途切れた時に世間話をした程度だ。元軍人らしく立派な体格で、強面だから迫力はあるんだけど、真面目な性格らしくあまり無駄口を叩いたりはしない。けれど時折小学生に向ける笑顔が魅力的な人だった。魔術師に特有の人を見下したりはしない、人をありのまま受け入れられる人でも在り、気を遣うのが上手い人でもあった気がする。缶コーヒーをおごってもらったのも記憶にまだ新しい。

「村上さんの言葉じゃないけど、何があるか分かんないもんだよね……」

 いつか魔術についても教えてもらおうと思っていたし、彼が亡くなってしまったのはとても残念だ。それと同時に、こんなことを思うのは不敬とは思うのだけれど、なんだか不吉な予感がしてしまう。
何か、何かが終わってしまう様な、そんな予感。特に根拠も何も無いのだけれど、そんな不安を抱いてしまう。いつもと違う出来事があったら、それを何かの予兆の様に感じてしまうのは誰だってよくある事だし、今日は悲しいことがあったからそう思ってしまうんだ、と一笑に付してしまうのは簡単だけれど、何となくそれで済ませてしまうのはダメな気がする。それに昨夜だって、昨夜だって――

「あれ?」

 そういえば昨夜も何か違う事があった気がする。気持ち悪い、何か恐ろしい事があった気がする。いつも起こってるのに、いつも起こっていない。日常的なのに非日常的な何か。何を言ってるのか自分でも分からないけれど、そんな矛盾に満ち溢れた何かがあった気がする、の、だけれど。

「……思い出せないな」

 何という使えない脳みそだ。たった一晩経っただけでまともに記憶に残っていないなんて。まあ、そんなすぐに忘れてしまうのならばたいした内容じゃないのだろうし、もしかしたら変な夢を見て、その時の感情が残ってるのかもしれない。悪い夢を見るのは今に始まったことじゃないのだし。
とは言え、全く昨夜の事を思い出せないのも気持ちが悪い。だから一人廊下を歩きながら記憶を探っていけば、すぐに思い出せた。昨夜は見回り当番でスバルたちと行動してたんだっけ。そうだ、確か霧島さんが指導員という形で付き添ってくれて、魔物もあっさり倒せて霧島さんや雪村さんに評価を改めてもらうことに成功したんだ。ちょっとやり過ぎのところもあったけれど。

「そういえば――」

 その時も、何かいつもと違う事があった気がする。見回り自体は特段目新しい事は無かったと思うけれども、何だっただろうか。
はっきりと思い出せなくて、歯の隙間に食べ物が引っかかったような気持ち悪さを覚えて首をひねりながら教室に入る。そこで僕はその違和感の正体を突き止める事ができた。
この時間に教室は基本的に人は少ない。けれども、必ずしも僕一人というわけじゃなくて、何らかの理由で早めに登校してきたクラスメートもいる。
そして、必ず僕より早く教室で座っている人も。

「おはよう――君代さん」

 教室の窓際、最後列。その席が彼女、君代キミシロ・ヤヨイの定位置だ。僕らが入学したその日から。
魔技高専の特任コースは学年で一クラスしかない。だからクラス替えは無いけれども、定期的に席替えは行われる。にもかかわらず、彼女は常に同じ席だ。席替えはクジで行われるけれども、どんな強運かはたまた何か不正をしているのかそれは判然としないけれども、一度足りとも今の席から動いた事は無い。何が楽しいのか、一日の殆どを窓の外を無表情に眺める事に費やし、授業もまともに聞いている素振りも無い。今もまた長いストレートの黒髪を窓から入り込んでくる朝風にたなびかせながら、黒いアンダーフレームのメガネの奥の瞳を外に向けている。
かと言って話を聞いていないかと言えばそうでは無いらしく、教師に当てられたら逡巡すら見せずに応えてしまう才女。そのくせ、定期試験だと及第点ギリギリの点数しか取らない。実技も問題ないみたいだし、ハッキリ言えば謎めいた女性と言えるだろう。自発的に言葉も発しないし、表情の変化も乏しいから彼女が何を考えているのか分からなくて不気味だからか、クラスメートも誰も近づこうとしない。

「……おはよう」

けれども、彼女が印象通り冷たい人間か、と言えばそうという訳では無いらしく、今もこうして挨拶の声を掛ければ確かに返事を返してくれる。まあ、返事をした後にはすぐにまた窓の外を向いてしまうんだけれども。
僕は来る者拒まず去る者追わずな人間だから特に用も無ければ話し掛けたりはしなくて、いつもならこの朝の挨拶の後には僕も席についてのんびりと朝の時間を過ごすのだけれど、でも今日は彼女に聞きたい事がある。
何故、昨夜に僕らの見回りコースに居たのか。それも遠く離れた家の屋根の上から僕らを監視するかのように。
きっと昨日あの場にいたメンバーで僕の他に誰も気づいていない。僕でさえ気づけたのはきっと偶然であって、しかも彼女はすぐに僕の位置からは視認できない位置に移動してしまったから気づけ無いのは仕方ない。だけれど、僕に気づかれて姿を隠したという事は紛れも無く僕、もしくは僕らを目的に監視していた証左であり、また気づかれたく無かったということだ。だから、彼女は偶然見つけた僕らを何となく見ていた訳ではなく、何らかの目的があって見ていたということ。
 ……いや、もしかしたら本当に偶々僕らを見つけたから見てたのかもしれない。彼女が立っていたのは自分の家の屋根かもしれないし、夜空を眺めるのが趣味なのかもしれない。夜の屋外は危険だけれど、魔術師でもあるわけだし、彼女なら何とか出来るだろうし。こっそり遠くから見ていたのを気づかれたらついうっかり隠れてしまうなんてこともあるだろう。いけないな、どうも権田さんの件があるせいかナイーブになってるらしい。何の根拠もなくクラスメートを疑うなんてあるまじき事だ。
とはいえ気になるのも事実だし、それにこれは彼女と交友を深めるチャンスだ。これまで殆ど彼女と挨拶以外の会話をしたことは無いし、せっかくだから話し掛けてみよう。冷たくあしらわれたら、その時はその時ということで。

「えっと、君代さん。ちょっと良いかな?」
「……なに?」

 近づいて声を掛けると君代さんは無言でこっちに振り向いて見上げてくる。今までマジマジと彼女の顔を見たことが無かったけれど、こうしてみると結構美人だと思う。だけれど、そんな美人な彼女から無表情で見られると、ちょっとたじろいでしまう。

「用がないなら話し掛けないで」

 少し言葉に詰まっただけで何とも冷たい返答を頂いてしまった。これが彼女以外なら「嫌われてるんだ」とすごすごと下がってしまうのだけど、彼女の対応はこれがデフォルトだ。たぶん。そう信じたい。
 腹の下に力を込めて挫けそうになる心を叱咤。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだと繰り返してもう一度話し掛けた。

「いや、用はあるよ。ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「そう。なら早く言って」

 ……少し挫けそうだ。だけどもここでまた口ごもってしまうとまたそっぽを向かれてしまう。

「えっと、あのさ、昨夜……」
「ヒカリっ! ヒカリぃっ!!」

 やっと聞きかけたというのに、今度は廊下から僕を呼ぶスバルの声に邪魔されてしまった。何と間が悪い。別にスバルが悪いわけじゃないんだけど、ちょっとこのタイミングにイラッとしてしまった。まあ、グズグズしてた僕が悪いんだけれど。
しかし、この時間にスバルが来るなんて珍しいな。いつも始業時間ギリギリに駆け込んでくるのに。それに、声の様子も何だか切羽詰まってるみたいだったし、何かあったんだろうか?

「居たっ! ヒカリっ! 大変だよ!」

そんな事を考えてると、慌てた様子のスバルが教室に駆け込んできた。勢い余って入り口のドアにぶち当たって「イテッ!」なんて声を上げてるけど、それどころじゃないらしくてそのまま僕にしがみついてきた。

「落ち着いて、スバル。どうかした?」
「どうかした、じゃないよ! 大変だよ、大変なんだよっ!!」
「分かった、分かったから。だから何がどうしたか教えて」

 朝からホント元気だなぁと思いながらスバルを落ち着かせる。まるで今朝も見送った小学生みたいだ。スバルくらいの体格の子も居るし。
さて、それにしても何が起きたのか。ついにタマキが小学生に手を出して捕まってしまったとか。……十分ありそうで怖いな。一応「淑女」を自称してるからそんな事は無いとは思うけれど、否定出来ない。
 そんな風に気楽に考えてた。だけど、スバルの言葉を聞いた途端、周囲から音が消えた。

「ユズホちゃんが……意識不明だって……!」

 日常が崩れる音が、聞こえた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 病室は静かだった。それは極々当然の事で、病院で騒がないというのは誰もが守るべきマナーだ。
だけども今はその範疇を越えて静寂。無言。病室にいる誰もが言葉を失い、それは僕もまた同じで、ただ立ち尽くしてベッドの上に横たわる新しい友人の姿を見下ろすことしかできなかった。

「どうしてこんな……」

 タマキが嘆く声が聞こえた。問いかけにも似たその声色に応える人は何処にも居なくて、彼女がまだ生きている事を示す心電図からの規則的な電子音が音を失った病室に響いてる。
スバルが僕の所へ駆け込んできた時、アイツは「意識不明」だと言った。今こうしてユズホさんの姿を目の当たりにして、確かにそれは嘘では無いと思う。でもそれは正確では無くて、だけれども僕は今の状態をどう表現すれば良いのかは分からない。
真っ白な、光さえも真っ白なんじゃないかと思える病院の灯りに染められた彼女は、やっぱり白いシーツで包まれたベッドの上で眠ったように微動だにしない。元々白かった肌を病的なまでに白く染めて、でもその顔にどこまでも深い穴が空いたかのように真っ黒な瞳が僕を見上げていた。
起きてるのか、寝てるのか、ユズホさんは遠目でも分かるくらいに眼をハッキリと開けてて、でも彼女は何にも反応を示さない。
僕らが病室に入っても、声を上げても、彼女の顔に触れても何も応えることは無くて、ただ真っ直ぐにシミ一つ無い天井を見るだけだ。

「何が起きたの? 事故かしら? それとも事件? ヒカリ、アナタ何か知っていて?」
「いや、僕もスバルから意識不明としか……」
「意識不明ならまだ良かったですわ。これじゃ、これじゃまるで……」
「まるで、ドッペルゲンガーを喰われたみたいだな」

 ユキヒロがポツリと漏らした。
なるほど、確かにそうかもしれない。ドッペルゲンガーを失った人の姿を見たことは無いけれど、ドッペルゲンガーは云わば自分の半身。内なる、普段僕らが対峙する表層的な人格とは別の、その人の本質とも言うべき存在だ。
魔術とドッペルゲンガーは切り離すことができない存在だ。魔術を使うためには、世界に干渉できるそれを比較的表層部分まで引き上げてやる必要があって、世界に干渉できる能力と並んでどれだけ表層近くまで引き上げられるかどうかが魔術師としての適正となってる。
けれど、魔術師だけがドッペルゲンガーを持っているのではなくて、僕ら人は誰だってドッペルゲンガーを持ってるし、「もう一人の自分」とも称されるドッペルゲンガーを失えば、今のユズホさんみたいな状態になるのは理に適ってると言えるかもしれない。
とはいえ、まだ原因も何も分かってないから断言することはできないんだけれど。まさか本当にドッペルゲンガーを失った、なんて事は無いだろうし。
考えられるとすれば頭を強打したか、それとも何かしらの精神に働きかける魔術を受けたか、だけど、魔術でこんな症状になるものは聞いたことはないしな。

「それで、スバルは何処に行ったのかしら? ワタクシもスバルから聞いたし、あの子が一番事情を知ってそうなのですけれども」
「スバルなら今情報を集めに行ってる……っと、噂をすれば帰ってきたな」

 ユキヒロの声と同時に病室のドアがスライドして、そこからスバルが小柄な体を滑り込ませてくる。「ただいま……」と小声で話す様子からは、何故だかひどく疲れた様子だ。

「どうだ? 何か分かったか?」
「何とかね。まったく、あの医者口が堅いくせに口説こうとしてくるんだもん。やんなっちゃうよ。あ、ボクはヒカリ一筋だから安心してね、ヒカリ。キチンと魔術で口を滑りやすくさせて聞き出してきたから特に約束とかしてないからさ」
「口説かれた話はともかくとして、医者が口が堅いのは当たり前だからな?」
「スバルの話はどうでもいいですわ。それよりも、ユズホは? ユズホは眼を覚ますの? どうなの? そこが重要ですわ」

 一般人に魔術を使ったこととかスバルは男だとか突っ込みたいところは多々あるけれど、そこは置いておこう。タマキの言うとおりユズホさんの事の方がよっぽど大事だ。
だけど、スバルは大きくため息を吐き出した。

「……分かんないって。何故こんな植物人間みたいな状態になってるのか、運び込まれてひと通り検査は行ったけど、まだ何も分かってないみたい」
「そうか……」
「何か分かってることはありませんの?」
「とりあえず今のとこ医学的には何の異常も無いって。外傷は無いし、脳にダメージを受けた様子も無し。まったくの健康体だから突然元に戻る可能性はあるとは言ってたけど……あと、医者から聞き出せたのは簡単な発見状況くらいかな? 道端で倒れてた所を見回りの人が見つけたらしいんだけど、運び込まれた時からすでにこの状態で何の反応も示さなかったって言ってた」
「見回りって、昨夜僕らがやったあの見回り?」
「という事は彼女は夜中に外に出てたのか?」
「うん、そういうことになるね。時間は深夜二時過ぎくらいで、どうも部屋着のまま外に出てたみたい。何でそんな時間に部屋着で外に出てたのかは、まあ、当人に聞かなきゃ分かんないけど」
「でも、でしたらユズホは魔物にやられたということですのね?」

 ギリ、と歯ぎしりの音をさせながらタマキが確信を持った口調で誰にともなく尋ねた。その手はキツく握られてて、小さく震えていた。

「だろうな。しかも医学的に異常が無いというのなら精神系の魔術を行使する魔物だろう」
「ユキヒロ。アナタのその膨大な知識を頼って尋ねるのですけれど、何か心当たりはありませんの?」
「……残念だけど、俺の知識の中には役に立ちそうなものは無いな。精神系の、しかもこれほどの威力の魔術を行使する魔物となればかなり高位の魔物になるだろうが、こういった症状を引き起こす魔術を使う魔物は知らないし、そもそも魔術でこんな状態にするものすら知らない」
「そうですの……」

 「歩く魔技辞書」とも言えるユキヒロでも知らないのか。ひどく落胆した様子のタマキだけど、ユキヒロが慰めるようにタマキの肩を叩いた。

「そう落ち込むな。俺にだって知らない事はあるし、帰ったら色々と文献を漁ってみるさ。そしたら何か分かるかもしれんし、もし科学的に分からない症例となれば魔技医療技術の方も動いてくれるさ」
「……そうですわね。でももっと手っ取り早い方法がありますわ」
「手っ取り早い方法?」
「ええ。要は、ユズホをこんな風にした犯人を捕まえれば良いということですのよね?」
「ちょっと待った」

 確かにそれは手っ取り早いかもしれないけれど、危険だ。タマキの魔術の実力は知ってるけれど、でもユキヒロの言葉によれば相手はもしかすると高位の魔物かもしれない。言っても僕らはまだ学生で、本職の魔術師でも無い。経験も無いし、昨日聞いた話だとこれまでに本職の魔術師でさえ襲われてる。

「だからきっと自衛隊とか魔素エネルギー庁でも動いてるから、専門家に任せた方が良いよ」
「ですけれどヒカリ、アナタはこのまま指を加えてこの状態のユズホを見ていろと言いたいという事ですの?」
「そうは言わないけれど……」
「ねえ、タマキさ。気持ちは分からないでは無いけどさ、どうしてそこまで怒ってるのさ。言い方は悪いけど、タマキとユズホちゃんは昨日初めて会ったばっかりでほとんど話さえしてないじゃん。そこまでタマキは正義感が強い人間じゃないってのはボクも知ってるし、本気になる理由が分からないな」

 その言葉にタマキは顔をしかめてスバルを睨みつけた。でもスバルの言う通りだと思う。小さくて可愛い女の子が好きで色々と問題行動を起こすタマキだけど、それ以外に関しては結構ドライだ。言い寄ってきた男子生徒には暴言の限りを尽くして心をへし折ってきてるし、今でこそ僕らとは気兼ねなく話してはいるけれど、最初の頃はひどく素っ気なくてまともに会話すら成立しなかった。今でもクラスでコミュニケーションを取るのは僕らくらいだし、自分に関係が無かったらタマキはほとんど感心を示さない。だから、スバルの言った通り彼女がここまでユズホさんに感情を露わにするのがよく理解できない。
 しばらくタマキは唇を噛み締めてスバルを見つめていたけれど、不意に観念したようにため息を吐いた。

「……確かにそうですわね。ええ、客観的に見ればワタクシ自身もおかしいとは思いますわ。普段のワタクシであれば『そう、運が無かったですのね』の一言で終わらせてるに違いないですわ」そう言ってタマキは視線をスバルからユズホさんに移した。「実はワタクシ、昨夜ユズホと話しましたの」
「え? そうなの?」
「ええ。昨日の見回りから帰った時に寮でバッタリお会いしましたの。これから一緒に過ごす時間も増えるでしょうし、せっかくの機会ですから、その、半ば強引に彼女の部屋にお邪魔して色々と語り合ってきましたわ」

 それは……なんともタマキらしいかもしれない。僕もユキヒロも苦笑を浮かべ、タマキも釣られたのか同じように苦笑いした。

「それで、何を話してきたんだ?」
「本当に色々と、ですわ。単なる世間話からスバルというこの変態のどこを好きになったか、という話までとりとめなく話しましたの」
「変態は余分だよ。ボクはボクの心のままに行動してるだけだもん」

 スバルが抗議の声をあげるけど、タマキは無視して話を続けた。

「それで、話して分かったのですけれども、あの子は今時珍しいほどいい子でしたわ。真面目で一途で親切で愛嬌があって。もちろんあのように小さくて可愛い子に悪人は居ないのは理解していましたけれど、話してみて更にその確信を深めることができましたわ」
「お前にかかれば小さくて可愛ければどんな奴でも善人だろ?」
「あら、そんな事はありませんわ。ワタクシにとってはこの上ない正義であっても世間的にはそうとも限りませんもの。中には自分の容姿を逆手に取ったどうしようも無い子も居ますもの。
 ああ、話が逸れましたわね。その時にね、彼女の家族の話もしましたの」
「それはずいぶんとユズホさんも心を開いてくれたものだね」
「ええ、ありがたいことですわ。正直ワタクシは自分がウザったい性格してるのは自覚してますの。にもかかわらず邪険にするどころか、腹を割った話をしてくれるところに彼女の性格の良さが現れてると思いますわ。ところで、アナタ方は彼女のご家族の姿をご覧になられて?」
「いや、見てないよ」
「俺もだな」
「ボクはさっき戻ってくる時に少し見てきたな。今は警察の事情聴取を受けてたけど、うん……ひどく憔悴してて、お母さんは眼を真っ赤に泣き腫らしてたよ」

 そうだろうな。自分の娘がある日突然こんな状態になってしまったら、胸中はどんなに辛いことだろう。何を話し掛けても、触れても声一つ発せず、身動ぎ一つしない。まるで生きているのか死んでいるのか分からない。どれだけ泣いても苦しみは軽くならないだろうと思う。それが、ユズホさんを愛していれば尚更。
そこまで考えて僕はタマキがここまで彼女の為に動こうとする理由に察しがついた。

「ユズホの話を聞く限り家族仲はとても良好ですわ。彼女のご両親は羨ましくなるくらいユズホを愛してますし、ユズホもその愛情に応えようと努力を重ね、彼女もまたご両親と妹をとても愛してるのを、彼女がご家族の事を語るその口調や話し方からヒシヒシと感じましたの。知ってまして? 彼女はご家族に経済的な負担を掛けないためにわざわざ遠方から魔技高専に入学してきてるのですわ」
「そうなんだ……」
「こうしてユズホのプライベートを影で話すのは気が引けるのですけれど……あまり経済的に好ましい状態では無いみたいなのですわ。御存知の通りウチの高校はそれなりに入学金や授業料は高額ですけれども支払い猶予制度がありますし、防衛省や魔素エネルギー庁に入ればそれは全て免除になりますもの。元々は地元の高校に進学するつもりだったらしいのですけれども、そういう事情で必死で勉強して特進コースに入学したらしいですわ」
「うん……ホントに凄い人だね」
「ええ、それも全てはご家族のため……本当に羨ましいですわ。正直、妬ましいほどに」

 妬ましい。最後に零したその言葉がそのままタマキの本音だと思う。
もう一年以上の付き合いではあるけれど、タマキは彼女自身の事を殆ど語ろうとはしない。だから僕が知るのは今こうして向き合ってるタマキの事しか分からないけれど、一度だけ彼女の家族について話してくれた事がある。
彼女は、自分の両親の事を殆ど知らない。
元々家族関係が良好では無かったみたいで、加えて幼い頃から度々虐待めいた暴力を受けていたらしい。
理不尽で、意味もないそれを一身に受け、意味も分からずに体を丸めて彼女は耐え、体と心に刻まれた傷は単調に増えていく。
周囲の温かい家庭を見ては期待し、家の中では裏切られ、周りと自分の置かれた環境を妬みながら尚も希望を捨てられず、やがて特異点の発生による混乱の中で両親は亡くなり、その機会は永遠に失われた。
彼女の運動能力が低いのはその時に運動をまともにしなかった事と、ケガが原因で足の骨が少し変形して成長したためだと笑いながら語っていたその時の表情を見て、僕は語り掛ける言葉を持たなかった。
そんな彼女だからこそ温かい家庭を持つユズホさんを妬ましいと思うと同時に、守るべきものだと認識してるんだと思う。自分が持てなかった輝かしいモノを失わせるべきでは無いと。
「……タマキの考えは分かったよ。ボクも父や母が悲しんでる姿は見たくないし、治せるなら一刻も早く治してあげたいのは確かだし」
「とはいえ、具体的にどうするつもりだ? 闇雲に動き回っても遭遇するかは分からないし、非効率的だ。それに恐らく警察や自衛隊も動いているだろうから、夜中にアイツらに見つかれば面倒な事になる」
「それは……」
「はいはーい、ちょーっとお邪魔するよー」

 タマキが口を開きかけたちょうどその時、まるで割って入るかの様に扉の外から男の人の声が聞こえてきた。僕らは一斉に振り向き、そして誰も何も言わないのに勝手に扉が開く。

「あら? 君ら誰?」

 ドアの向こうから姿を現したのはまず一人の男。ひょろっとした体躯の上にまともに洗濯してないのか、少し薄汚れた白衣をまとったその人は気怠げな雰囲気を醸しながら尋ねてきた。

「……僕らは四之宮さんの友人ですけど」
「ふーん、そ」

 自分から聞いてきたというのにこの人は興味なさ気に簡単に聞き流すと、僕らの不審な視線を気にも留めずに大きなアクビをしながらズカズカと病室の中に入ってきた。
そして続いて真っ黒なスーツに身を包んだ男たち。強面でガッチリとした体格の彼らは全くの無表情で、白衣の男の後ろに従う様にして僕らを一瞥だにせず、威圧感を振りまきながら前だけを見て歩いてくる。

「ちょっと待てよ。勝手に入ってきてアンタら何者だよ?」
「我々は魔素エネルギー庁の者だ。関係無いものはすぐにここから出たまえ」

 黒ずくめたちのリーダーだろうか。一際威圧感のある大男が僕らを見下ろしてきて、冷たくそう言い放つ。

「魔素エネルギー庁の人がユズホちゃんに何の様なのさ?」
「君らが知る必要は無い」
「怪しい人間を彼女の傍には置きたくないな。自分たち自覚ある? コッチから見たら本当に役人さんかどうか怪しくてたまんないんだけどさ」
「……邪魔するようなら強制的に排除するぞ」
「まーまー、両方ともそうピリピリしなさんなって」

 険悪な雰囲気になりかけたけれど、それを遮ったのは白衣の男だった。

「しかし……」
「こーんな少年少女にとっちゃ君らみたいなオッサン連中なんて胡散臭い存在の象徴みたいなもんなんだからさ、ちょーっとは愛想良くしなって。な?」
「どっちかっていうとそこの怖いオジサンよりお兄さんの方が胡散臭いけどね」
「言うねー、君。ま、いいさ。とりあえず俺だけ自己紹介させてもらうよ」
「主任」
「うっさいなー。健気にもこんなオッサン連中から大事な友だちを守ろうって身構えてる立派な子たちなんだからさ、少しくらい妥協してあげたっていいじゃない? それに、せっかくの優秀な魔術師の卵がこの事で不信感抱いちゃって民間とか他の国に流れてちゃったら国の損失だよ?」

 そう白衣のお兄さんが黒ずくめに言うと、難しい顔をした大男は押し黙った。それを見てお兄さんは満足そうに頷いて白衣のポケットに手を突っ込んで何かを探し始めるけど「ありゃ?」って声を上げながら色んな所を探してく。でも結局見つからなかったのか、ポリポリと頭を書いて軽くため息を吐いた。清潔そうに見えないし、頭からシラミとかが落ちてきそうだからあんまり頭を掻かないで欲しいんだけれど。

「んじゃま初めまして。俺は榛名・ナオキだ。胡散臭く見えても一応魔素エネルギー庁で働いてる。めんどくせー規則であんまペラペラ喋れねーけど、まあなんだ、医者の真似事みてーな事をしてる。それで君らの名前は?」

 まだ警戒心はどうしても解けないけれど、相手がキチンと名を名乗ったんだ。ならこっちも礼儀として名前くらいは名乗るべきだろう。

「初めまして。染矢です。宜しくお願いします」

 ユキヒロを皮切りにスバルたちも名前だけを簡潔に名乗っていく。最後に僕が名乗ったところで「へえ、君が」とか意味ありげな呟きをしたけれど、その意味を問いただす前にタマキが声をあげた。

「それで、魔素エネルギー庁の人がユズホに何の用ですの? お医者様の様な事を仕事として為さってると仰いましたけれど」
「あー、その前にちょーっと待ってな。
 なあ、オッサン。ちぃっとばかし席を外してくれねーかな?」

 お兄さん――榛名さんは眠たげな眼で首だけを動かして黒ずくめにそう頼んだ。けれど、まあこれまでの会話の流れからして――

「……それはご命令ですか?」
「出来ればそうしたくねーけどな」
「ならば仕方ありません」

 て、あれ?
てっきり「それはできません」とか言って拒否するかと思ったけれど、意外にもあっさりと黒ずくめは病室から退室していった。
予想外の展開に呆気に取られてると、榛名さんは肩の荷が降りたとばかりに首を回して「ふう」とため息を吐いて、そして壁に立てかけられていたパイプ椅子を広げると脚を投げ出して座った。

「さて、こうるせーお舅さんも居なくなったトコで話を続けるとすっか」
「……もしかして結構ヤバい話をする気ですか?」

 ユキヒロが少し顔を引き攣らせてるけれど、榛名さんは「まさか」と一笑した。

「たいした話じゃなくても無理やり規則に当てはめて制限してくっからな、アイツら。しかも頭が顔面と同じでガッチガチで融通聞かねーからとっとと退場してもらったってわけ。その方が君らも話しやしーだろ?」
「お心遣いに感謝しますわ。それで、お仕事のお話を聞かせて下さるのですのよね?」
「詳細までは流石に話せねーからそこは勘弁してくれな? さっき医者の真似事って言ったけど、まあ、そのまんまだ。医者がこれまでの医学的な見地で人の体を見てるとすれば、俺は魔素技術的な観点から人の体をチェックするってわけ。外傷とかだったら魔術で受けた奴でも普通の薬とかで直せるけど」榛名さんはチラッとユズホさんを見て「この嬢ちゃんみたいに精神系魔術の疾患だと現代医学はほぼ無力だからな」
「やっぱり、ユズホさんは魔術を受けて……」
「普通の検査しても何の異常も見つからねーんなら十中八九そうだろうな。そして出来れば予想は外れて欲しいんだが――」

 話しながら榛名さんはパイプ椅子から立ち上がって、ユズホさんの横たわるベッド脇に歩いてく。その姿を僕らは見送る横で、榛名さんはポケットから何かを取り出した。

「――何をする気ですの?」
「そうこえー顔しなさんなって。せっかくの美人が台無しだぜ? 安心しな、ちょっとばかし検査させてもらうだけさ」

 言いながら何気ない仕草でユズホさんの着てた病院着の胸元を開けさせた。

「なっ!?」

 突然の事に僕は慌ててユズホさんから眼を離して背を向けた。そうするんなら一言くらい声を掛けて欲しいと思うのは贅沢だろうか?
意図せず眼にしてしまう事を避けられて一息吐いてると、ユキヒロもまた一拍遅れて背を向けて、ズレたメガネを直してた。落ち着いたフリしてるけど、少し頬が赤いのは見てない事にしてやろう。武士の情けだ。あと、タマキに蹴り飛ばされたのか視界の端でスバルが転がっていったけどそれもまた見ないふりをしておく。

「女性の体の扱い方がなってませんですわ」
「ソイツぁ失礼……やっぱりか。ああ、もうコッチ向いてもいいぜ」

 榛名さんの声に平静を装って振り向くと、彼はポケットから取り出したらしい掌サイズの機械を指先でつまんで覗きこんでた。

「何が見えますの?」
「覗いてみっか?」

 そう言って気安い様子でその機械をタマキに手渡した。タマキが覗きこんでみるけど、段々と難しい顔に変わっていく。

「あの……何も見えないのですけれども?」
「そりゃそうだ。何も映ってねーんだからな?」

 なんじゃそりゃ。
からかわれたのかと思うけれど、でも榛名さんは至って真面目な表情で言った。

何も映ってない・・・・・・・事が問題なんだよ」
「……意味が解りませんわ。もったいぶらずに教えて頂けますこと?」

 少し苛立った口調でタマキがやや睨みつけると、榛名さんはタマキからさっきの機械を受け取ってユズホさんの体にしたように胸元に押し付けた。
そのまま待つこと、しばし。榛名さんはもう一度機械をタマキに渡してもう一度覗くように促した。
タマキは促されるままにもう一度片目で小さなレンズを覗きこんで、そして「あっ」と声を上げた。

「これは……」
「俺のドッペルゲンガーだよ」
「なっ!?」

 タマキがユキヒロに手渡しながら病室にも関わらず驚きに声を張り上げた。
 タマキからユキヒロに、そしてユキヒロから僕にと渡されたそれの中に映っていたのは、一人の男だった。今にも泣き出しそうな顔で佇む男の顔は、小さいから見難いけれど確かに榛名さんで、けれどもひどく儚い印象を受けた。

「あんまりジロジロ見んなよ? 恥ずかしーからさ」
「そんな馬鹿な事があるわけ無いですわっ! ドッペルゲンガーの存在が確認できるなんて……」
「人間の眼だけだと無理だろうな。こう言う風に専用の機械を使って初めて確認できるんだ。喜べ。君らが俺以外で初めて他人のドッペルゲンガーを見た人間だからよ」

 さらっと榛名さんは言ってるけど、これはとんでも無い事だ。歴史的な発明と言っても良いかもしれない。
これまでもドッペルゲンガーの存在は認められてきた。魔術師の中でも、言葉だけなら一般の魔術とは関係ない人の間でも常識と言えるほどに浸透した存在だ。けれどもそれはあくまで理論上、あるいは概念上の存在であって現実に光学的・物質的に存在するわけじゃない。いわゆる形而上の存在というのが常識だった。
だけどこの小さな手のひらサイズでしかない魔素技術の結晶はその常識を覆してしまった。形而上の物を形而下に落としこんで目に見えて理解できるところまで存在を身近にした。言い換えれば「魂」を観測してることに等しい。タマキが大声を上げて否定するのも当然だ。
だけど――

「ま、これに驚くのはしかたねーことだよな。けどよ、君らが今気にすべき事は別にあるんじゃねーのか?」
「え?」
「タマキちゃんよ。最初に渡した時にそのレンズを通して君は何を見た?」
「――っ!!」

 そうだ。タマキが始めに渡された時にはレンズの奥には何も映しだされていなかった。その直前にユズホさんのドッペルゲンガーを透視していたはずだというのに。

「そ、んな、まさか……」
「残念ながら、そのまさかなんだよな」

 絶望的な考えに達したタマキに向かって榛名さんは、一度ため息を吐くと彼女の考えを肯定してみせた。
あるいは、誰もが言葉にし難い、けれども容易に想像できる未来を。

「四之宮ユズホは近い未来に死ぬ」
「ふざけないでっ!!」
「タマキっ、よせっ!!」

 椅子に座っていた榛名さんにタマキが掴みかかって胸ぐらを掴みあげようとするけど、何とか後ろから羽交い締めにして抑える。タマキは必死でもがいて僕の腕から逃れようとするけれど、ここは離すわけにはいかない。
僕がタマキを抑えてる隙にスバルが二人の間に割って入って、絞りだすようにして榛名さんに尋ねる。

「……助ける方法は無いの?」
「スバルっ! アナタまでそんな戯言を信じるのですか!?」
「落ち着きなよ、タマキ。胡散臭い人だけど、たぶん言ってる事は真実だ。タマキだってそれが分かってるからそんなに怒ってるんでしょ?」
「そ、んなことっ……!」

 信じない、信じられない、信じたくない。信じてしまったら、それが真実だと認めてしまったらそれこそ取り返しの付かない現実が襲ってきそうで、だから頭ごなしに否定する。だから声を張り上げて、榛名さんの発した言葉それ自体を無かった事にしたい。
 タマキの気持ちはよく分かる。僕だって信じたくない。ユズホさんが、死んでしまうなんて理解したくない。
死は孤独だ。究極的に独りだ。声も温もりも何もかもを失って、何も残らない。例え想像であっても、考えるだけで抉るような胸の痛みに襲われるし、イキを吸うことさえも難しい事の様に錯覚してしまう。
だけども、眼を逸らしちゃいけないんだ。

「大事なのは否定することでも喚くことでも無くて、現実を直視して、ありのまま受け入れて、その上で彼女を救う方法を考えることじゃないの? 違う? それとも榛名さんに食って掛かって喚き散らしたらユズホちゃんの眼が覚めるっていうの?」
「分かってますわ、そんなことっ! ですけれど、ですけれど……」
「スバルもそうタマキを責めるな。お前の話は正論だが、かと言って理屈で感情を全て制御できるほど人は強くない。だからタマキの気持ちも汲んでやれ」

 ユキヒロがスバルを宥めると、スバルは珍しくバツの悪い表情を浮かべた。そして、頬を右手で何度か掻いてから口を開いた。

「……そだね。ゴメン、タマキ。どうやらボクもちょっと余裕ないみたいだ。ユキヒロもありがと」

 スバルが素直に謝ったら、今度は僕の腕の中のタマキの方がバツが悪く表情を歪める。
スバルが言った通り、今、この場にいる誰もが平静じゃない。僕もユキヒロも平静であろうとは努めて、表面上は繕ってるけれどもそんなものちょっとした事ですぐ剥がれ落ちる安物のメッキだ。今回はスバルのそれがたまたま剥がれただけで、僕だって表皮を少し剥がしてみれば感情が荒れ狂ってる。
恐怖、喪失、悲しみ、そして怒り。それはタマキの感情には及ばないけれど、感じてるものはみんな同じだと思う。

「いや、俺はまだ彼女とキチンと話したことは無いからな。言葉は悪いが、まだ赤の他人でしか無いし、どちらかと言えば他人事な感覚が強いから落ち着いてられるだけだ。
 それよりも榛名さん」
「何だい?」
「今もスバルが尋ねましたけど、彼女を回復させる方法に心当たりは無いんでしょうか?」
「『ある』……って専門家だから断言してあげたいところではあるんだけどねぇ、ドッペルゲンガーを奪われた、もしくは失ってしまった患者はまだ彼女で七人目で、事例が少ないんだよ」

 七人も。
榛名さんは「まだ」って修飾したけれど、僕からしてみればそんなにもう被害者が出てるのか、という感覚だ。原因や治療法を探る上では事例数としては十分じゃないのだろうけれど、その感覚の違いが僕はやり切れない。かといって僕の感覚が正しい訳じゃなくて、そんなのはあくまで感性の問題だ。僕が不快に思ったからって榛名さんを責めるのもお門違いで、でも普段ならそういう結論のままスルーできるけれど、今の僕は冷静じゃない。八つ当たりで榛名さんを責めてしまいそうで、だけれどもそうすれば後で悔やむのは僕だって事を知ってるから僕は何も言わずに口を噤む。

魔素エネルギー庁ウチでも原因究明と治療法を探ってるけど正直芳しくない。残念ながら今の段階では何も分かってないに等しいね」
「何か、何か分かってる事はありませんか? もちろん僕らに話せない事があるのは承知していますので、差し障りのない程度で構いませんので教えて下さい。不確かなことでも結構ですから」

こういう時にユキヒロが居てくれるのは心強い。コイツは僕らの中で誰よりも自制心が強くて、誰かに求められる役割を察して買って出てくれる。たぶんユキヒロが居なかったら話を中々進められなかっただろう。

「そうだねぇ……今ハッキリと言えるのは……おっと、これは吹聴しないでくれよ? 特に彼女のご家族にはね。ドッペルゲンガーを失った人が生きていられる期間は、今のところ――」

 言いながら榛名さんは人差し指を立てた。

「一週間だ」
「一週間……」

 タマキが感情を失った様に呻いた。
たった一週間。それがユズホさんに課せられたタイム・リミット。なんて、なんて――

「短いね……」
「言っとくけどこれは平均値だからな。もしかしたらそれよりも長く保つかもしれねーし、逆もまた然り。一応、仮のドッペルゲンガーを定着させて延命させるって試みもあることはあるんだが……」
「上手く行ってないんですね?」
「ていうよりもまだ問題が多すぎて実験すらまともに行えてねー段階だな。ドッペルゲンガーは魔技的なものだから恐らくは魔技、魔術で解決できる問題だとは思うから時間さえ掛けりゃ何とかなるってのが今のところの見解。とは言っても今は時間との勝負だからな。さっさと解決策を見つけなきゃならんがさすがに人道的な問題を無視すりゃ方々から総スカン。少なくとも机上では問題ね―事を確認しなきゃな」
「問題というのはなんですの?」
「人工的な存在とは言え、本人の本質を表すからな。他人が仮のドッペルゲンガーを与えたところで人格的に同じ人間になるのか、定着させた後でより作りこまれたドッペルゲンガーが出来た場合、付け替える事ができるのか、そもそも一度引き剥がされたドッペルゲンガーをもう一度定着させることができるのか……」

 ドッペルゲンガーを顕現させる技術は確立されてすでに数年が経ってるけれど、その視認技術はまだ開発されて間もないし、人の本質であるドッペルゲンガーを「切り離す」ことが可能だなんて今の今まで誰も想像だにしてなかった。「顕現」じゃなくて「再定着」の試みも例は無かっただろうから、この進捗状況は当然といえば当然だ。おかしいところは無い。だけども、それじゃダメなんだ。

「……一週間じゃとても解決できそうに無いですわね」
「悔しいし面目ねーがその通りだ。こっちも別に遊んでるわけじゃねーんだけど、まだ被害者も少ねーからこの研究に人も予算も掛けられねーしな」
「……っ!」

 腕の中でタマキの体が強張った。
 こんな事件が世界各地、あるいは日本各地で起きてるなら、あるいは局所的であっても何十人何百人って被害が起きてるなら国だって迅速に対応しようとするだろう。でも、これは特殊な事例だし、決められた予算内で何かを為そうとするなら優先順位が当然あって、まだ被害がそれほど大きくないのなら優先順位が下がるのは至極当然。一方に人もお金も掛ければどこかを削らないといけなくて、その分対処が遅れて何かの被害が増すのは避けられない。
でも当事者からしてみればそんな都合なんてどうでもいいんだ。身近な人が傷ついてるならすぐにでも手を差し伸べたいと思うし、助ける力を持ってる様に見えるのに手助けをしてくれない人を恨みもする。お門違いと理解しても、感情のはけ口をどこかに求める。それが当たり前で、堪えることができる強い人はそうはいない。

「……そんなに力込めなくても大丈夫ですわ、ヒカリ。もう掴みかかったりはしませんわ」

 でもタマキはどうやら強い人だったらしい。感情を吐き出すみたいに肺から息を思いっきり吐き出して、「よしっ」と気分を変えるかのように頬を自分で叩いた。

「お話は分かりましたわ。納得はできませんが、納得せざるを得ないのでしょうね」
「俺としては別に殴り飛ばされて済むくらいなら構わねーんだけどな。商売道具の手とか頭にダメージさえ残らなきゃ」
「それはユズホが助からなかった時まで待ってあげますの。もっとも、その機会は永遠に訪れないのでしょうけれど」
「って事は何か手立てでも思いついたのか?」

 ユキヒロが尋ねるけれど、タマキは頭を振って、でも口を真一文字に結んだ厳しい表情で宣言した。

「別に何も。単なる決意表明ですわ。必ずユズホを助けるという。その為にワタクシができることは何でもやりますの」
「協力してくれるんなら構わねーが、できれば法に触れる方法は止めてくれよ?」

 少し渋い顔をしてる榛名さんがそう言うけれど、タマキは曖昧に笑うだけだ。
それからタマキは僕らの方に向き直った。

「というわけで、ワタクシはこれからユズホを襲った犯人探しを始めますわ。ああ、危険ですし、ヘタすれば退学処分になりかねませんから別に協力しろとは言いませんわ。でも、できれば止めるような真似をするのは控えて頂けると嬉しいですわ」
「……ま、結局それが一番早いんだろうな。乗りかかった船だし、俺も手伝うさ」
「ボクも手伝うよ。せっかくの数少ない友達だからね」

 ユキヒロもスバルも間髪入れず協力を表明した。でも、最初にタマキが言ったように手伝いを頼んでくることも無ければ、スバルたちも僕に要求してくることも無い。あくまで自然体で、手伝っても手伝わなくてもどっちでもいいよ、と言わんばかりだ。
でも、僕の答えは決まってる。ユキヒロみたいに知識があるわけでもないしスバルみたいに情報収集力があるわけじゃない。タマキみたいに強力な魔術が使えるわけでもない。魔物と遭遇した時に壁役くらいにはなれるかもしれないけれど、それだって別になくちゃいけないわけでもない。僕が居なくたって三人なら何とでもするだろうし、結局のところ僕は必ずしも居なければならない程の存在でもない。
それでも僕にだって出来る事はきっとあるはずだと信じたい。無かったら探し出したい。僕はスバルたちに助けられてばっかりで、迷惑を掛けてばっかりで、だからこういう時にこそ少しでも手伝って恩を返したい。
僕も、とタマキに応えようと口を開きかけたその時、トントン、と病室のドアがノックされた。数瞬の間を置いて少しだけ扉が開かれて、黒ずくめの一人が顔をのぞかせた。

「患者に面会を希望の方が」
「OK。こっちは大体話は終わったから入れていいよ」

 榛名さんが許可を出して大きくドアが開かれた。開いたそこから入ってくるのは一人。綺麗な黒髪をタマキみたいにツインテールにまとめた少女だ。

「……ユズホちゃんの妹さんだよ」

 耳元で小さくスバルが教えてくれた。まだ小学生低学年くらいに見える彼女は病室にオドオドしながら入ってきて、キョロキョロと誰かを探してるみたいに見回してる。でも結局探し人が誰か分からなかったんだろうか、不安げに歪めた顔を少し伏せて、そして声を張り上げた。

「あ、あの! この中にヒカリさんっていますか!?」
「僕?」

 ユズホさんの妹さんが僕に一体何の用があるんだろうか。疑問に思いながらも彼女の方に進み出て、顔の高さを合わせるために屈みこんだ。

「えっと、僕に何か用かな?」
「え、あ、男の人……」

 名前の響きからたぶん女の子だと思ってたんだろうか。彼女は僕が探し人だと認めると途端に怯えた様に口を噤んで、僕としては精一杯優しく声を掛けたつもりだったんだけれどこうも怯えられるとは少しショックだ。
そんな僕は他所にして、小さな彼女は意を決したみたいに顔を上げて、僕を真っ直ぐに見つめた。

「お姉ちゃんを助けて下さいっ!」
「えっ?」
「お願いします! 昨日お姉ちゃん電話で言ってました! ヒカリさんって新しい友だちが出来たって言ってました! 親切でとってもいい人だって言ってました! だから……だからお願いします! お姉ちゃんを、お姉ちゃんを助けて下さい……」

 張り上げてた声は最後には涙声になってとても小さくて。だけど彼女の真摯なお願いはひどく僕の胸を抉った。
僕は何を考えてタマキを手伝おうとしていた?何の為に犯人探しをしようとしていた?
タマキはユズホさんを助けるため、スバルもユキヒロだってユズホさんの為だ。榛名さんだってユズホさんだけじゃないにしろ犠牲者を助ける為に色々と調べてる。この小さな妹さんだって姉を何とか助けたいから、勇気を振り絞って僕にお願いしてきてる。
だというのに僕は何だ?何の為に手伝おうと思った?僕はユズホさんの事を考えていたか?
断じて、否。僕はいかにスバルたちに嫌われないか、スバルたちの助けになるか。そればかりを考えて判断してた。そこに、「友達」だって言ってくれた、僕が最初に友達になったはずの彼女に対する想いは一切なかった。どこまで言っても僕は僕の事しか考えていなかった。
何て、自分勝手。何て、自己中心的。こんなだから僕は皆に嫌われる。こんなつまらない人間だから皆が離れていくんだ。そしてこの思考でさえも自分の事でしか無い。

「あの……ダメですか?」

 不安げな声に僕は我に返る。ひどく落ち込んで、自己嫌悪に塗れた心を作り笑いで覆い尽くして妹さんの頭を撫でる。

「大丈夫。絶対にお姉ちゃんを助けてあげるから」
「本当ですか!? ありがとうございますっ! ありがとうございますっ!」

 僕の内心を知らず、彼女は無垢にパアッと笑顔を浮かべて何度も僕なんかに礼を言ってくれて、それが尚も僕を苦しめる。
だけど、まだ良かった。まだ間に合う。まだ僕は僕の為じゃなくてユズホさんの為に動くチャンスを持ってる。それが救いだ。
僕はそう言い聞かせて僕を慰める。

「僕もユズホさんの為にタマキを手伝わせて」

 スバルたちと同じように。けれども、胸の奥でうずく澱みはいつまで経っても取れてくれなかった。




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