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epilogue 









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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved





「それじゃ、また明日」

 見回りが終わった夜十時過ぎ。僕ら四人は無事に今夜のお勤めを終えて寮に戻ってくることができた。
猿鬼との戦いで、とりあえずタマキやスバル、ユキヒロの実力を霧島さんたちに見せつけることができて多少は彼らを、特に元生徒会長さんの見る目を変えられたかと思うし印象を決定づけたかったのだけれど、残念ながらその後に魔獣たちが出てくることは無かった。いや、残念では無いのか。世の中的には特異点なんて発生しないほうが良いのは当たり前で、僕らとしても別に戦うことが目的では無いのだから、戦闘が発生しなかった事を喜びこそすれ、残念に思う必要は皆無だ。戦闘でやり過ぎ感はあるけれど(主にタマキが)、今日もまた無事に見回りが終わった。ケガ一つ無く問題なく終わったのだからそれを喜ぼう。道路の再舗装とかは霧島さんたちにお願いするとして。

「ああ、また明日」
「うん、おやすみー、ヒカリ」

 夜十時過ぎはまだ高校生の感覚からすれば早い時間だ。寮の廊下には明々と電灯が点いてるし、各々の個室からはまだ寝るには早いとばかりに歓声や音楽が漏れ聞こえてくる。ただ早寝早起きをモットーとしている僕からしてみれば十時十三分という時間はすでに深夜も深夜であって、ひどく眠い。頑張れば起きていられるのだろうけれど、無理して起きている必要も無い。ならばさっさとベッドの中に潜り込んでしまおう。

「ただいま」

 タマキは女子寮だから一足早く別れてて、スバルとユキヒロに別れの挨拶をした僕はドアを開けて部屋に向かって声を掛けた。そうしたら六畳一間の昏い室内に僕の声が木霊して、僕の隣を駆け抜けてあっという間に開け放たれたドアから出て行った。反響さえも消え去って、ドアを閉めればそこは僕だけの空間。独りだけの部屋があった。

「っ……!」

 一人になった途端に急激に体が冷えていく。イキの吸い方を忘れたみたいに、溺れた魚みたいに、失う重みの無念に言葉を失った若人みたいに口をパクパクと動かして生き方を思い出そうとする。
夜はダメだ。独りの夜は寒い。何故だか分からないけれども、夜になれば昼間が嘘だったかのように急激に独りを実感してしまう。体が、重い。気持ちが重い。頭が重い。心が重い。風邪を引いた時みたいに寒くて体が痛くて、けれども風邪なんかよりももっと症状はひどい。
風が吹き抜けていく。寒さに体を震わせながら部屋奥の、ベランダへと続くサッシを確認するけれどもサッシは開いてなんかいない。だから風なんか吹いてくるはずは無いのに、吹き込んできた感覚的な何かはひどく僕を震わせる。
孤独。そう、僕は孤独だ。世界に一人しか居ない、誰とも違う「世界からの嫌われ者」だ。誰とも違う、誰にも属さない、何にも属さない一人ぼっちの存在だ。周りに身を寄せるものが何もなくて、僕の周りを囲って温めてくれる何物も存在しない。僕という存在はむき出しで、吹き抜けてくる風は常に僕から体温を奪い取ってしまう。

「落ち、着け…よ……」

 声に出して自分に言い聞かせる。そうだ、慌てる必要は無い。こんな感覚は慣れ親しんできただろう?僕は常に一人。ひとりぼっち。周りに誰か居てもひとりぼっち。生まれてこの方、十数年孤独だった。ならもういい加減慣れてもいいだろう?
けれども頭の中はグルグル。思考はぐにゃぐにゃ。ままならない思考と体は言うことを聞かないから冷たいフローリングに膝を突く。体が倒れそうだ。胸が痛い。苦しい。胸の奥には、心臓の奥には何がある?
思考、黙考、そしてアンサー。等号の右隣には、答えきれなかった数学の問題みたいに何も無い。空っぽ。空白。だから何かを入れて埋めようとしてもすぐに通り過ぎて何も無くなってしまう。
まとまらない思考回路を何とか正してベッドへと這っていく。一歩手を着く度、床板が僕から熱を奪い去ってしまう。
それでも何とかベッドの中に入り込んだ僕は、制服も脱がずにそのまま頭まで毛布を被る。ブレザーがシワになるのを気にする余裕も無くて、ただひたすらに体を丸めて、両手で膝を抱えて、まるで亀みたいに、いじめられっ子が全てから耳を閉ざして殻に閉じこもってしまうみたいにして僕は眠る。眠ろうと努力する。
けれども眠れない。なのに眠れない。
寒くて眠れない。キツくて眠れない。胸が締め付けられて、縛り付けられて、何かに囚われて、そして何者かに心臓を掴まれて潰されそうになってるみたいだ。
皆、皆こんな恐怖に毎日怯えてるんだろうか。明けない夜に体を震わせて、布団の中で丸くなって朝をひたすらに待ってるんだろうか。孤独な時間を、ただただ静かに自分と闘いながら打ち勝って生きてるんだろうか。

「有り得ない、有り得ないよ……」

 そんな事考えられない。こんな苦しい毎日を送ってるなんて信じられない。きっと寄る辺のない恐怖を、一人ぼっちになる恐ろしさを知らないんだ、みんな。
眼を開ければ一人の静寂が眼を突き刺してきて、眼を閉じれば一日の出来事が頭の中では巡り巡って、その中で悪意だけがライブの様な高解像度と高音質で再生されていく。
実践魔術の授業中の教師のゴミを見るかの瞳。クラスメートたちの蔑んだ眼差し。
人を見下すことに慣れた昏い眼。格下だと認められれば誰だってあの虐められてた中学生みたいに虐げられるだけの立場に成り下がる。そして僕は成り下がった。何をしたわけでも無いのに、ただ皆とは出来る事が少し少ないだけなのに。
「もう慣れた」なんて嘯いてみても所詮は戯言だ。一人で居ることに慣れるなんてそんなの出来るわけが無い。

「何でお前まだこのクラスにいんの?」

 耳の中で反響する暗い声。声以上に雄弁に物を語る視線。うるさい、僕だって辞められるなら辞めてる。けれど、周りがそれを許さないんだ。僕のせいじゃない。だけども皆、そんな事に耳を傾けてくれはしない。
だから僕は僕の価値を証明しないといけない。僕はここに居てもいいんだと認めてもらわなきゃいけない。役に立つ奴だって思ってもらわなきゃいけない。そうすれば僕は一人じゃないって思えるから。僕が居なきゃダメだって、必要だって思ってもらえれば僕はここに居ても良いって信じれるかもしれないから。世界から嫌われてはいないって思えるかもしれないから。

(大丈夫。今日もいっぱい人の役に立った。失敗もしたけれど、それはしょうがない)

 所詮僕は人だ。スーパーマンでも無ければ完璧超人でも無い。できる事は限られていて、求められる全てをこなせるわけじゃない。多少掌から零れ落ちる事は許容できなくちゃいけないんだ。だから今日は乗り越えられたんだ。

(だけど……)

 だけど、明日は?明日はどうだ?今日と同じようにこなせるのか?皆の役に立てるのか?皆から求められる事ができるのか?
もし、応えられなかったとしたら。認められなかったら。僕から離れていってしまったら、その時は。
ユズホさんはまた元気に笑いかけてくれるだろうか。
ユキヒロはまだ皮肉気に笑いかけてくれるだろうか。
タマキはまだ僕の前でバカをやってくれるだろうか。
スバルは、まだ一緒に居てくれるだろうか。
四人は明日も今日と同じように変わらず一緒に過ごしてくれるのだろうか。
 ――そんなわけないだろ。
誰かが囁いた。
ハッと眼が開いた視界に映る影。カーテンの奥から現れるソイツ。長く垂れた前髪が片目を隠して、顕になっているもう一方の眼差しが鋭く僕を射抜く。

「お前は最初から一人。この世で一人。誰にも認められない」

 足音も無くソイツは僕にゆっくりと近づいてくる。舐めるように、嘲るようにベッドの中の僕を見て口元を嘲笑で歪ませた。

「そんな当たり前の事を始めから知ってるくせに、無理やり希望を創りだして縋ってんなよ。見苦しい。第一、一人で居ることなんて――」

 胸を抉るような言葉を僕に投げつけながら僕の顎を撫でて、愛おしそうに慈しむように蔑むように視線で屍姦する。
そして言った。

「お前が望んだことだろ?」

 そして彼は消えた。

「はっ!?」

 同時に僕は眼を覚ました。全身がグッショリと汗で濡れて、汗は乾き始めてるというのに体表面はひどく熱くて、そのくせ体の芯はひどく熱を求めてる。
今のは夢だったのだろうか。胡乱でデタラメで、未だ微睡みの中から抜け切れていない感覚に囚われたままそう思い、事実、今の今まで目の前にいた見覚えのない彼の姿は無くて、彼が何かを言っていた気はするけれどもすでに僕の中には何一つ残っていない。だから僕は夢だと決めつけた。
ただ一つ。どうしようもない恐怖だけは残っていた。
全身に篭った冷たい熱を捨てるように深い深いため息を僕は知らず吐き出した。これ以上夢の事を考えてはならない。そんな根拠も証拠も無い妄想に急かされて無意識に髪を掻き上げた。
カーテンが揺れる。めくれ上がったカーテンの奥から光が微かに反射して、暗闇の中で瞳孔が開ききった僕の瞳に届く。些細な眩しさに眼を細め、僕は光を反射した犯人の姿を探した。
それは机の上にあった。机と洋服箪笥とテレビくらいしか無い簡素な部屋の中で、比較的賑やかな机上に置かれたペン立ての中にあるカッターナイフ。普段から何度も手に取り、何度も使ってきた変哲も無い普通のカッター。だというのにソイツは、今は無闇矢鱈に僕の関心を引いて心を奪って已まない。狂おしいほどに欲しい。手にとって見てみたい。手にとって使ってみたい。僕自身に使ってみたい。
だから僕は願った。
次の瞬間、それは僕の手の中にあった。ペン立てに入ってたそれは消え、代わりに僕が持っている。その摩訶不思議現象を僕は一切の合切の疑問を抱かず当たり前の事として受け入れる。
同時に世界が壊れる音が聞こえた。
僕は自分の腕にそれをあてがった。力なんて要らない。ただ無心にカッターを持った手を手前に引けば良い。それだけで明日にバイバイが可能。それだけが、僕の望み。
 なのに。

「ちょーっとそれは困るにゃ」

 ユキの声が聞こえた。瞬間、眼の前には光り輝く魔法陣。綺麗な光に眼が眩んで、体から力が抜ける。そのまま柔らかくて温かい布団の上に倒れて、滲んだ視界の端で黒い一匹のネコが頬を舐めてくれた。

「ヒカリは心配しすぎにゃ。人の為に頑張るからヒカリではにゃくて、誰かの役に立つからヒカリを見捨てにゃいのではにゃい」

 じゃあ、どうして皆僕の傍に居てくれるの? どうして僕は――こうも寂しいの?

「ヒカリは何をしようとヒカリ。ヒカリだからわちきもスバルもヒカリの傍に居るのにゃ。ヒカリが感じる寂しさは、そんにゃのは幻想にゃ。寝て起きたら夢だったと忘れてしまう類の儚い錯覚に過ぎにゃい。だから――今夜はもう寝てしまいなさい」

 気持ちが落ち着いていく。体が温まっていく。心地よい暖かさが全身を覆って微睡みが僕を支配していく。

「――おやすみなさい」

 今夜は、良い夢が見れるかもしれない。
そんな事を思いながら、僕は今日の僕に幕を下ろした。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 展開した魔法陣から放たれた淡い光がヒカリの全身を優しげに包み込んでいく。仄かな光から受ける印象の通り、ようやく眠りについたヒカリの今日を癒してくれれば良いな。無理して行使した魔術の反動で感じる気怠さに自分も寝そべりたい衝動に駆られながらユキはそう思った。
前足を思い切り投げ出し、気持ちよさ気な吐息と共に伸びをして凝り固まった体を解す。そしてユキは毎晩の定位置であるヒカリの枕元に移動し、黒い体を柔らかく丸めた。ヒカリの温かい、生きていることを証明する寝息が微かに体毛を揺らし、くすぐったさに姿勢を変えた。
そうやって居心地の良い場所を見つけ、ユキもヒカリに並んで息を吐き出して眼を閉じた時、トントン、と部屋のドアを誰かがノックした。
こんな夜更けにやってくる奴なんて知らない。ユキは片目だけで一度ドアを見て、またすぐに寝息を立て始める。

「……ユキちゃん、まだ起きてるかな?」

ドアの向こうから聞こえてきたのはスバルの声。もう一度控えめなノック。ユキは「やれやれ」と呟きながら体を起こしてドアに向かった。
ドアの前に到着すると体を屈めてジャンプ。ドアノブの上に乗って器用にバランスを取りながら鍵を開けると、四肢を使ってノブを回した。
 音を立てない様に静かにドアを開け、神妙な表情のスバルが中の様子とユキの表情を伺う。

「ヒカリの様子はどう? 大丈夫だった?」
「大丈夫、とは言えにゃいけどね。とりあえず今は魔術で眠らせたにゃ。明日の朝にはいつも通りに誰かの手助けをしてるにゃ、きっと」
「そう。そっか、良かった……」

 スバルは胸に手を当てて大きくため息を吐いて、そして部屋の中に入ってヒカリの寝ているベッドへ近寄る。
スースー、と穏やかに眠る様子は先程までの異変を感じさせず、スバルはニヤニヤと笑いながらヒカリの寝顔を覗きこんだ。だが目元が涙で濡れているのを認めると、一度瞑目し、指先でそっと痕を拭った。

「好きな相手とは言え、寝顔をマジマジと見るのはいい趣味とは言えにゃいにゃ」
「ユキちゃんはいっつも見てるじゃんか」
「わちきは特別にゃ」
「ぶー。ズルいなぁ」

 スバルはユキの返しに口を尖らせてみせるが、すぐにその表情を消した。

「なら、まだ『魔法』は掛け直さなくても大丈夫って事でいいのかな?」
「今のところはにゃ。けど、もう殆ど解けかかってるから近々スバルには無理をして貰う必要があるのは確かだにゃ」
「前回掛け直したのが二ヶ月くらい前だっけ?」
「正確には六十四日前にゃ。更に言うにゃらその前は八十二日、そのもう一回前が八十四日前にゃね」
「段々短くなってるって事か……」
「それもここ数年で急激に短くにやってるにゃ。昔は半年に一度で良かったからにゃ。だからスバルには余計負担が掛かるとは思うんにゃけど」
「ヒカリの為だからね。それは別に大丈夫だけど、でも魔法が解ける期間が短くなってる原因を探らないと、そのうち回復が追いつかなくなるよ。どうする? ミサト姉とイチハに知らせた方が良いかな?」
「別に必要にゃいにゃ。イチハの事だから今の会話を盗み聞きしてるくらいはしてるはずだし、イチハからミサト姉にも連絡が行ってるはず」ため息混じりにユキは吐き捨てながら、自分の体を毛繕いする。「それに原因も幾つか推測は出来てるのにゃ」
「さっすがユキちゃん。頼りになるね」

 スバルは苦笑いを浮かべながらユキの体を抱き上げて自分の膝の上に置いて、そしてリラックスさせるように首元を撫で回す。抱き上げた瞬間、ユキは嫌そうに身を捻って逃げ出そうとするが、首を触られた瞬間に力が抜けて蕩けるように眼を細めていった。

(ユキちゃん、昔からイチハの事好きじゃないもんね)

 ユキを撫でながら、まだ自身も小さい時の事をスバルは思い出した。
幼い頃、親が長期休みの度にスバルはヒカリの両親と一緒に彼らの田舎へと遊びに連れて行ってもらっていた。
元々ヒカリは神奈川の郊外住宅地に住んでいて、スバルはそのご近所さんであった。引っ込み思案で気が弱く、友達が居なかったスバルにとってヒカリは唯一とも言える友達であり、同時に自分を引っ張ってアチコチに連れて行ってくれる頼りになる親友でもあった。自然、スバルはヒカリと常に行動を共にし、当然の流れとしてユキとも交友を深めていき、またスバルの両親も徐々に明るくなっていくスバルの様子にヒカリとユキに感謝し、本来なら関係のないスバルも一緒に田舎に行くのが常となっていた。
紅葉・イチハとはヒカリの田舎で出会った友人だ。スバルと同じように大人しい性格で友達が少なかったせいか波長が合い、スバルとイチハは長い付き合いとなって今でも連絡を取ることが多い。
 スバルとイチハは似たもの同士だった。だからスバルがヒカリにベッタリになったようにイチハもまたヒカリにベッタリとくっついて回る様になったのは自然の流れだった。それがユキにとっては気に入らないらしい。

(たぶん、ヒカリを取られてしまった風に感じたんだろうなぁ)

 思い返すまでも無くユキはヒカリが大好きであり、また幼かったから尚更イチハの事が敵の様に思えたのかもしれない。幼い割に聡明だったけれども、情緒的な面では歳相応だったから、よくイチハにユキは突っかかっていっていたなぁ、とノスタルジックな感傷に浸る。もっとも、友人が出来て生来の明るさを取り戻したイチハにとっては、ユキの嫉妬も「可愛い」などと言って喜んでいたのだけれど。

「それで、ユキちゃんが推測した原因って?」

 ユキを撫でる手を止めること無くスバルは尋ねる。ユキは気持ち良さ気に眼を閉じていたが、黄色い眼をゆっくりと開けると億劫そうに口を開いた。

「一つはヒカリの魔術や魔法に対する抵抗力が成長しているから、にゃ。元々抵抗力は常人離れしていたけれども、まだ十七歳に過ぎないのだし、魔素技術的にも高校生くらいの時期が一番成長する時期でもあるにゃ。だからここ数年でヒカリの抵抗力が著しく伸びた結果、効果が弱まる期間も短くなったとしても不思議では無いにゃ」
「まだ成長してるのかぁ……さすがヒカリというべきかな? 喜んでは居られないけど」
「でもわちきはその可能性は低いと思ってるにゃ」
「え?」
「コッチの方が可能性が高いと思ってるのだけれど……たぶん、ヒカリは無意識に記憶を取り戻す事を欲してるにゃ」

 途端、ユキを撫でていたスバルの手が止まる。

「それ、本気で言ってる?」
「本気も本気にゃ。むしろ逆に聞きたいにゃ。どうして本気で無いと思ったにゃ? 魔法の効果は魔術とは比べ物にならないほど強力にゃ。例えヒカリが普通では無いとしても魔術にゃらともかく魔法に対して単なる抵抗力で話が片付くようなものじゃにゃいのはスバルもよく知ってるはずにゃよ?」
「それは知ってるよ。でも、ヒカリがそれを望むなんて……」
「信じられにゃいか?」

 スバルは頷く。
眼を閉じれば今でも当時のヒカリの様子を思い起こす事ができる。部屋の隅で憔悴し、ガタガタと震えていたヒカリ。時折胸を斬り裂かれるような叫び声を上げて、狂ったように自傷行為に走り、血に塗れていた。そして、いつだって駆け付けてヒカリを落ち着かせるのはスバルの役目だった。今、この瞬間だって耳の奥底でヒカリの悲痛な慟哭が響いている。だから、ヒカリがあの時の記憶を取り戻したいと思っているなんて到底思えなかった。

「……記憶を押し込めたのはあくまで緊急避難的な措置にゃ。どれだけ辛くてもいつかはそれに向き合う時が来るのは自然な話。それが今だっただけの事にゃよ」
「だけどさ……」
「いつかは受け入れてくれにゃいと、あの時あの場にいた皆が浮かばれにゃいのにゃ。例え、不幸な事故だったとしても、心底呪い殺したくなるクソみたいにゃ人間だったとしても、にゃ。それに、本当にヒカリが記憶の回復を望んでるのにゃら、それはヒカリの方で準備が出来てきたと言うことにゃ。それともスバルは今の危なっかしいヒカリの方が良いと思うのかにゃ?」
 
幾分棘のある言い方に、スバルは少し深く息を吐き出し考えこむように一度眼を瞑る。そしてしばしの逡巡の後に言い聞かせるように言葉を返す。

「……分かったよ。ユキちゃんがきっと正しい。正直、まだ感情的には受け入れ難いところもあるけれど、一人の時のヒカリを一番見てるのはユキちゃんだからね。従う事にするよ。
 それで、ヒカリが記憶を取り戻したがってるとして、どうするの?」
「しばらくは様子見になるにゃ。一気に記憶を取り戻してしまうと流石にどうなるか分からにゃいからにゃ。それに、完全に魔法が解けるまでどれだけ時間が掛かるのかも分かんにゃいから、少しずつ魔術で精神を制御していくことににゃると思うにゃ」
「リョーカイ。それならボクも毎晩様子を見に来た方が良いかな?」
「不測の事態に備えるにゃらそれがいいにゃ。あんまり夜更かしはさせたくはにゃいけれども」
「そうだよー。この綺麗な肌を保つのだって苦労してるんだからね。まったく、いつまで経っても人に苦労させるんだから」

 言いながらスバルは寝ているヒカリの頬をツンツンと突く。「ううん」と寝顔をしかめ、寝返りをうつヒカリ。それを見てスバルは嬉しそうに笑った。
一頻りヒカリの顔で遊んで満足したスバルはベッドから立ち上がった。そしてひざ上に乗せていたユキを抱き上げ、「ヒカリを宜しくね」と親愛の情を込めてキスをしようとした。が――

「……痛い」
「レディの唇はそんな安いもんじゃにゃいのにゃ」

 鋭い爪による引っかき傷を頬にこさえてスバルは肩を落とすが、一方のユキはといえばどこ吹く風。スバルの手からスルリと抜け出ると、また定位置であるヒカリの枕元で丸くなって「さっさと出て行け」とばかりに尻尾を振った。
その態度と若干のヒリヒリした痛みに苦笑交じりに頭を掻きながらスバルはドアノブに手を掛けた。

「ねえ、一つ聞いてもいいかな?」
「……何にゃ?」

 ドアノブを掴む手が強張るのを感じながら、スバルは尋ねた。

「ヒカリを、恨んでないの?」
「……またその質問かにゃ」呆れたため息混じりの声が返ってくる。「この前も同じ質問して答えたはずだにゃ?」
「解ってるさ。だけど、確認しとかないと怖いんだよ。いつか……いつかユキちゃんが、ヒカリの敵に回るんじゃないかって」
「愚問だにゃ。スバルがヒカリを大好きであるようにわちきもヒカリの事が大好きにゃ。ヒカリが今のヒカリで居る限り、わちきはヒカリの味方にゃ」

 満足したかにゃ?
体を捻って、声には出さずに視線でユキは問い返した。

「なら、記憶を取り戻してヒカリが変わってしまったら?」

 無言。
ユキは何も応えず、再び体勢を戻して眼を閉じた。

「ゴメン、余計な質問だった。けれど、ボクは何があろうともヒカリの味方で居続けるし、それは記憶が戻ろうとも変わらない。でもそれは盲目的じゃなくて、もしヒカリがまた過ちを犯そうとするのであれば、ボクはボクを犠牲にしてもヒカリを正す味方で在り続ける。例え――ヒカリを殺す事になろうとも」

 それじゃおやすみ。
そう言ってスバルは今度こそ部屋から出て行った。そして再び静まり返る室内。規則正しく小さな寝息だけが聞こえてくる。
ユキは薄く眼を開け、ヒカリの寝顔を見ながら呟く。

「……憎んでないわけないじゃない……」









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