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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved









 町の中は夕暮れ時ということもあって非常に賑わっていた。一番の大通りと思われる、町の入口から真っ直ぐに伸びる道の両脇にはほとんど隙間なく店が並び、その軒下を借りる形で露店も出店されている。景色の中に高い建物は無く、せいぜいが三階建て程度であり、そのためか店が密集している割りに圧迫感は無い。その建物の僅かな隙間を埋めるようにして街灯が一定の間隔で並び、茜色の町並みを白く照らしている。買い物客が店先の商品を物色し、気の早い者達は酒場やレストランに足を運んで仲間達と楽しそうに歓声を上げていた。
 トモキは町の入口に立ってその町並みを眺めていた。賑わっている、といってもそれはこれまでの道程に比べての事であり、元の世界の様に人が溢れかえっていて耳を塞ごうとも話し声が鼓膜を震わす喧騒とは比べるべくも無い。それでもトモキにとっては久方ぶりの人の営みであり、目を細めて元の世界の事を思い出していた。

(家とか町の作りはレトロな感じだけれど、町の人達の雰囲気っていうのはそう変わんないもんだな……)

 道行く人を眺めて湧き起こる郷愁染みた感傷を胸に秘め、トモキは隣に立つシオに優しく話し掛けた。

「それじゃ行こっか。まずは食事を取らないとね。もうお腹ペコペコで倒れそうだよ」

 トモキが歩き出し、やや遅れてシオが動き出す。その際にシオは小さな右手をトモキの左手に伸ばして握る。突然のシオの行動にトモキはやや面食らったがすぐに微笑むと何も言わずにシオの手を引いて大通りを町の中心に向かって歩いて行く。

「さて、ご飯を食べるにもまずは金策をしないと……」

 石畳の上を歩きながらトモキは周囲の店舗に目を配り、自分の持ち物を思い浮かべた。
 学校で特異点に飲み込まれてしまったため、トモキが持っている物は殆ど無い。ニコラウスから貰った唯の鉛筆と、大切な剣。後は動きを止めたままの腕時計と、ポケットの中にはバッテリーの切れた携帯電話、財布があるくらい。当然現金は、日本円だけで、こちらの通貨は知らないが間違いなく使えないだろう。

「こっちの技術ってどのくらい進んでるんだろ?」

 町に初めて来たのでその点を十分に推し量る事は出来ないが、酒場と思しき店からは陽気な音楽がスピーカーから流れてきている。だがテレビの様な物は無く、音楽の元はラジオだろうか。
 道を歩く人に眼を向ければ、基本的に服装は男性はシャツと長ズボン、女性はワンピースやブラウスに単色のスカートなどだけであまりバリエーションもなさそうに思えた。道行きながら何かを手で操作していたり、電話をしていたりという事も無く、ニコラウスの馬車を見て感じた通り、あまり発達はしていなさそう。半端に魔素技術のような技術があるせいか、中世と近代が入り交じっている、そんな印象だ。

「売れるとしたら時計と携帯電話くらい……かな?」

 あるいは財布か。思い入れのある剣は絶対に売りたくはないし、鉛筆なんて価値があるとは思えない。ニコラウスの言を信じるならば魔技高の制服もそこそこ価値はありそうだが、今後の事を考えると防御の手段を失うことは避けたい。
 売れる物は全て売ってどれくらいの値段になるだろうか。出来れば何処かの宿に泊まれる程度には、そこまで行かなくともせめて数日分の食料代くらいにいってくれれば良い。後は、店に買い叩かれないように注意しなければ。

(あまり人を見る目には自信が無いけど……)

 ニコラウスにあっさりと騙された自分だ。人の良さそうな店員は居ないか、と不安をシオには見せないよう留意しながら日暮れの町を目移りさせながら歩いていく。

「……やっぱり人が治める町なんだね」

 数多くの人影があれども、道を歩く人の殆どは純粋な『人』だ。トモキの世界にも居た獣人や鳥人など、所謂『亜人』と呼ばれる人間は少ない。それでも居ないわけではないのだが。

「あの人も獣人……なのかな?」

 トモキの眼に止まったのは熊の様な獣人だった。だがその姿はトモキの知る獣人とは違っていた。
 元の世界での獣人は、基本的には人と変わらない姿をしている種族が多かった。見た目は人だが、その端々に種族の特徴があり、犬系の獣人であれば動物の耳だったり鋭い爪を持っている。猫系であれば感覚器官である細い髭が生えていたし、その他にも尻尾があったり口だけ嘴だったりと、あくまで人の延長線上の容姿であった。
 対してトモキが注目している熊らしき獣人は、大柄な肉体を活かして人力車の様な車を引いているその仕草は人間と変わらない。だがその全身は焦茶の体毛に深く覆われていて、まるで動物園やサーカスの熊が達者に人間の真似をしているみたいだった。その他にも道端の清掃をしている栗鼠猿の獣人、買い物袋を両手いっぱいに下げて歩いている猫の獣人などざっと数人が目につくが、いずれも動きや仕草、一見した体の作りは人間そのものだが全身を覆う毛並みといい、動物の顔そのままの容姿は、元の世界のただの動物が二足歩行している、そんな印象だった。

「そういえば、あの馬車の中に居た子供達もそうだったような……」

 ニコラウスに攫われていた獣人の子供達も似たような容姿だった、とトモキは思い至った。子供故に体毛が薄いのか、顔は人間のような皮膚が露出していたし、首周りなどもそこまで毛深くなかった気がするが、服の裾から覗く手の甲は毛が覆い尽くしていたし、掌にも肉球のようなものがあった。
 トモキは手を繋いでいるシオの姿を見た。今はフードの下に隠れてしまっているため見えないが、髪の毛の上には突き出したような、それでいて先端が少し垂れた犬の耳があった。しかし顔自体にははっきりと分かるような毛は無いし、繋いでいる右腕も人と見た目は変わらなければ、犬を思わせるような掌の感触も無い。全くの人の手としかトモキは思えなかった。
 シオと似た容姿の獣人も町には僅かに目に付くことから、殊更にシオが珍しいということは無いのだろう。獣を思わせる容姿の獣人がこの町では多いが、また場所が変われば比率も変わるかもしれない。云わば、個性のようなものだろうか。歩きながらトモキはそう結論づけた。

「テメェ! 何処見て歩いてやがるっ!!」

 ツラツラと考えながら歩いている時、通りに怒号が響いた。辺り一面にその声は届き、近くに居た通行人たちは一斉に振り向き、トモキもまた声の主を探した。
 振り向けば人集りが出来ており、トモキは野次馬の合間を縫って様子が見えるところへと移動して騒動の中心を見遣った。

「も、申し訳ありません! 少し、そ、その、荷物が重くてふらついて……」

 そこでは人族の体格の良い男が、先ほど見かけた猫の獣人の女性を捕まえて怒鳴り散らしていた。昼間から酒を呑んでいたのか顔は夕日とは違う色に赤らんでいて、大声を上げながらも足元は覚束なくフラフラとしている。そのくせになまじ体格が良いため威圧感がある。女性はオロオロしながら立ち尽くしていたが、男は逆に女性を思い切り突き飛ばした。

「言い訳なんざ要らねぇんだよっ!!」
「きゃっ!!」

 突き飛ばされた女性は両手に持っていた荷物をまき散らし、袋の中のパンや野菜が砂に塗れていく。女性もまた汚れの目立っていた、裾の擦り切れたシャツを更に汚し、その猫人の目の前で零れた野菜を踏み付けた。

「くそ、どいつもこいつも人を馬鹿にしやがってっ! この獣人風情のくせによっ!」
「あ! うっ! も、申し訳……」
「誰が人の言葉を喋って良いっつったっ! お前らみたいなのは地面を這いつくばって惨めに鳴いてりゃいいんだよっ!!」

 猫人は苦痛に顔を顰めるが男は踏み付け、まるで何かの憂さを晴らすかの様に執拗に何度も何度も蹴り飛ばす。それを見て集まった野次馬たちの中からクスクスという忍び笑いが漏れ聞こえてくる。

「おうおう、またあの猫絡まれてるよ。つくづく運が無いねぇ」
「まあ別にいいんじゃねぇか。所詮出来損ないの亜人だからな。どうせ俺らのストレス解消くらいにしか役に立たねぇんだからよ」
「違ぇねぇ違ぇねぇ。ストレスでも溜まったら俺も何処ぞの犬ころでも蹴飛ばしてすっきりするかねぇ」

 野次馬の男二人の話にトモキは歯軋りし、拳を握りしめていた。見ていられない、と止めに入ろうとするが、その手をシオが掴んで離さない。
 離せ、とシオの手を振り切ろうとするが、シオはフードの奥からトモキの眼を見て首を横に振った。
 そうしている内に男性も気が済んだのか、息を切らしながら暴行を止め、去り際には顔に痣を作って丸くなって動かない猫人に向かって唾を吐き掛けて去っていった。
 気づけば、野次馬の人たちもいつの間にか居なくなっており、倒れたままの女性を見ても誰一人助け起こそうともしない。喧騒は騒ぎの前のままと変わらず、ただ日暮れだけが進んでいた。
 しばらくすると暴行を受けていた女性が独りで起き上がる。蹴られている時に付いた傷から赤い血が流れ落ちて白銀の体毛を濡らしていた。痛む素振りは見せるものの、女性はそのまま足を引きずりながら荷物を集め、穴の空いてしまった袋を抱える様にして路地の方へと引っ込んでいった。微かに窺えたその瞳には根深い諦めが貼り付いていた。

「もしかして、これが……普通なの?」

 これが当たり前。これがこの町の日常。これが……紛れも無い現実。トモキは唖然としてその場から動けないでいた。暴行を見ても誰一人止めるでも無く、逆にありふれた娯楽と化している。一方的に蹂躙し、他方は受け入れるだけ。
 他の獣人の様子を見る。よく見れば、人の身形は程度の差はあれ皆小奇麗な服装で、獣人は皆草臥れた、あちこちに擦り切れや破れのある服装ばかり纏っている。職業も馬車引きやゴミ拾いなど、肉体的にきついものばかりでその割に実入りは少なそうなものばかりだ。
 あの熊の獣人も栗鼠猿の男も今の女性への暴行に憤るでも悔しさを噛み殺すでもない。日常の光景の一つとして、ただ生かされるだけの存在として受け入れてしまった諦念だけが瞳に横たわっている。
 シオが袖を引っ張って促す。トモキは顔を歪め、しかしすでにこの場に残っているのは二人だけ。何か出来る事があるわけでも無い。シオに引っ張られる様にしてその場を後にした。
 これが、人の在り方なのか。俯いたトモキは、黒く長く伸びる自らの影を踏みながら衝撃を受け止めきれずにいた。
 人が人を傷つけることを当然として認めている。誰も良心の呵責に苛まれている様子もない。
 人とはここまで残酷だっただろうか。
 人とはここまで深い業を背負っていただろうか。
 人とはここまで……斯くも醜い生き物であっただろうか。
 傷つける相手は、人からしてみれば「敵」だ。元の世界でも人と魔物で対立しているし、更に歴史を遡れば人同士でさえ互いに傷つけ、殺し合ってきた。ただ国が違うというだけで、ただ肌の色が違うというだけで、ただ信じる宗教が違うというだけで憎しみを抱くことができる。それが人間である。そう言ってしまえばそうなのかもしれない。
 しかし、だ。トモキは強く石畳を踏み付けた。
 同じ町に住む隣人を、自分とは違うというだけで殴れるのか。毎日顔を合わせる人を殴打できるのか。直接的な憎しみを抱かなくても尊厳を踏み躙れるのか。そしてそれを誰一人としておかしいと感じることができないのか。異常を感じ取れないのか。
 将亦、それほどまでに人と亜人の間の溝は深いのだろうか。ただ存在する、その事すら許容することが出来ない程に誰もが狭量なのだろうか。そして、自分もそんな連中と同じ「人」で在らなければならないのか。その中でこれから生きていかなければならないのか。
 息苦しさがトモキを襲った。気管が締め付けられる様で呼吸がままならない。胸が締め付けられ、トモキは強く胸の辺りを握り締めた。そして苦しさから逃れる様に、シオの頭を撫でた。トモキの手が触れた瞬間、シオはフード越しでも分かる程に体を震わせた。尚更それがトモキの胸を締め付けた。
 苦しさから逃れるようにトモキはシオから視線を外した。そこにあるのは店のガラス戸。繁盛していないのか木製の建屋は古びていて、ガラス戸には広告の様な張り紙が幾つもされていた。その中の一枚は、トモキの世界にもあったように犯罪者らしい指名手配犯のイラストが描かれていた。「こういうところも変わらないんだ」と、陰鬱な気持ちを紛らわすように歩きながら何気なく眺めていた。

「え……?」

 しかしその中の一枚がトモキの足を止めた。
 手描きで作られたと思しき何処か雑な似顔絵。金やブロンド、茶色の髪の犯罪者達が並ぶ中で一際目立つ黒髪の男。埃が張り付いた窓ガラスに映る人相とそっくりな顔。
 「トモキ」と書かれた指名手配犯の顔が、そこにはあった。

「何で……」

 意図せず零れた言葉はひどく粘ついていた。自分の似顔絵から眼が離せない。息は浅く、辛うじて飲み込んだ唾に、喉が不自然なまでに大きく跳ねた。通りのざわつきが遠く聞こえた。
 落ち着け。トモキは震える手で頭を抑えた。どうして自分が犯罪者になっているのか? 何も悪いことはしていない。そもそもこの世界にやってきてまだ三、四日しか経っていない。人里にやってきたのもここが初めてで、何か咎められる様な事をした、誰かに恥じる様な振舞いをした記憶など何一つ無い。あるとすれば――
 トモキは目元を抑え、指の隙間からもう一方の手に繋がれている先を見た。シオだ。そして、トモキとアルフォンスが逃した獣人達の件だ。瞬間、トモキは朗らかな笑顔で悪意を口にするニコラウスの姿を幻視した。

「それにしたって早過ぎるだろう……」

 ニコラウスしか考えられない。トモキは指名手配した犯人を断定し、しかしその手際の良さに歯噛みした。似顔絵の下に書かれた罪状欄には強盗、傷害、殺人未遂、窃盗といった、他の強面の指名手配犯にも劣らない凶悪犯罪の名称が並んでいる。そんな馬鹿な、と思うが何度見返しても書かれている文字は変わらない。
 確かにニコラウスの立場からすればトモキは自分の商品を奪った犯罪者だろう。彼の指す商品が売買が禁止されている獣人の子供であることを除けば。事実、自分は加害者として世間に認識され、ニコラウスは被害者と扱われている。それはニコラウスが警察――この世界にあるのかは知らないが――に訴えたからだろう。彼に取って都合の良い部分だけを切り取って、自らの誘拐犯罪は棚に上げて。
 そこまで考えた時、トモキの背筋に強烈な戦慄が走った。
 ニコラウスの言い分が通った。それは取りも直さず彼の証言に反論する人物が居なかったということ。つまり――

「アルフォンスさん……」

 彼が、敗れたということ。そして、その上で彼が無事に何処かに逃げ果せたとは、そんな楽観的な考えを抱くにはトモキの眼に焼きついたアルフォンスの傷は深過ぎた。意図してあまり思い出さないようにしていたが、昨夜の強烈な記憶がトモキの感情を強かに揺さぶった。

「う、ああ……」

 喉から勝手に溢れ出る嗚咽。それをトモキは必死に押し殺した。感情が溢れていた。怒り、悲しみ。たった一晩にも満たない、短い付き合い。しかし彼は確かにトモキに希望を与えてくれた。励ましてくれた。些細で、特別難しい事をしてもらったわけではない。だが、それだけでもトモキにとっては十分過ぎる程だったのだ。
 目尻に滲む涙。何度も拭い、強く奥歯を噛み締めて耐える。こんな人通りの多い場所で目立つわけにはいかない。自分に言い聞かせる。
 自分の黒髪はここでは珍しい。ここで泣けば通り行く人たちの注目を浴びてしまい、自分が犯罪者だとバレてしまう。そうすれば、アルフォンスが自分に託してくれた最後の願いを叶える事が出来なくなる。まだ、まだ自分はここで終わるわけにはいかない。最低でもシオを里に届けるまでは。
 制服の袖で涙を拭う。唇を強く噛み締め、そして睨むように辺りを見回した。
 この人達は、敵だ。信じ難いが自分は犯罪者。捕らわれても反論に耳を傾けてくれるならば然程問題ないだろうが、行商人ニコラウスと何処の馬の骨かも分からぬ自分ではどちらの言い分を信じるかは明白。
 今の僕は追われる者であり、自分を探すのは全ての人間。今、自分は敵のど真ん中に立っているのだ。意識を切り替え、トモキは足早にその場を後にした。
 周りの人間に顔を見られないよう顔を伏せ、気配を町中に溶け込ませていく。ただの通行人と化して、自然を装って必要最小限の物だけ買って、すぐに町を出よう。そうなると物の売買はシオにさせた方が良いだろうか。トモキは思考する。幸いシオの容姿は、耳さえ隠していればこの世界の一般的な人族と変わらない。小さい子のお遣いとしてやり取りさせれば、自分が人前に堂々と立つよりは問題が起きにくいだろうか――

「そこの君、ちょっといいだろうか?」

 トモキの足が止まる。通行人とは別に、背後には三人の気配。

「……何でしょうか?」

 掛けられた声に振り返らず、冷静を装って平坦な返答をする。

「我々はこの町の警らを行っていて怪しい者ではない。だからそう警戒しないでもらいたい」

 だがそれは悪手だったようだ。鉄鎧を纏ったリーダーらしき男が柔らかい口調で話し掛けてくるが、その後ろで二人の警備兵が剣に手を掛ける鞘擦れの音をトモキは聞いた。

「見慣れない格好だが、旅人の方かな? だとすれば知らないかもしれないが、昨夜近くの街道で行商人が強盗の被害にあってな。護衛の傭兵を殺害し、商品を奪って西の方へ逃走した様で、この町にも手配書が回ってきている。この町に犯人が逃げ込んでいる可能性もあって、こうして探して歩いているんだがこちらを振り向いてもらえないだろうか。もし疚しい所が無いのであれば問題ないはずだ」

 ――気づかれている。
 逡巡は一瞬。刹那の間を置き、トモキは走りだした。

「逃げたぞ! 追えっ!!」

 一瞬遅れてすぐに警備兵もトモキを追い掛ける。金属鎧が擦れる音がすぐ後ろで聞こえる。
 シオを小脇に抱える形でトモキは町の外に向けて疾走する。体調さえ万全ならばシオの体くらいは軽いはずなのに今は重い。本気で走った時は滑るように景色が流れるのに、今はそれに比べれば遥かに遅い。トモキは舌打ちして前に向かって叫ぶ。

「どいてくださいっ!!」

 雑多な人混みは走るには向かない。道行く人を弾き飛ばして進むわけにもいかず、怒鳴って道を開けさせ、通行人もトモキの剣幕と「何かが起こっている」という非日常性を察して言われるがままに道を開けていく。後ろの警備兵達も怒鳴り声を上げながら追い掛けるだけだ。町中で戦闘になって被害が町民に及ぶのを避けるためだろうか、と走りながら推測した。

「――見えたっ!」

 トモキと警備兵の距離は付かず離れずのまま、やがて視界の中に町の中と外を区切る門を見つけた。だが――

「門を閉めろっ!」

 追い掛ける警備兵隊長の号令とともに地面を削りながら門扉が閉められていく。門扉は木製だがかなりの太さの丸太を繋ぎあわせて作られており、それなりの重厚さを持っている。当然門扉前にも兵士が居て、突き破って進むのは難しい。

「入り口には兵士なんて居なかったくせにっ!」

 町に入った時は偶然なのか門扉は半端に開けられたままだった。ちょうど交代の時期だったのか門兵も居らず、トモキとシオは誰にも咎められずに町中に入ることが出来た。こっちにも兵士なんて居なかったら良かったのに、と吐き捨てながらもトモキは走る速度を緩めない。

「このまま突破する気かっ!」
「やらせん! 弓を放てっ!!」

 門兵達の一人が弓を構え、トモキ目掛けて矢を放つ。トモキは屈んでそれを避け、直ぐ耳元を風切り音を残して矢が突き抜けていく。ずっと余裕を持ってかわしたつもりだったが体が思い通りに動いてくれない。予想以上に反応の鈍い体に舌打ちをした。

「おおおっ!!」

 門側から鉄の鎧と兜を被った大柄な兵士が叫びながらトモキに向かっていく。そして大剣を振り被ると、渾身の力を込めてトモキに振り下ろす。

「くっそぉぉぉっ!!」

 腕で受け止めるわけにもいかず、背後では追い掛ける兵の一人が脚を止め弓を構えている。已む無くトモキは鞘から剣を引き抜いて相手の振り下ろしを受け流した。そしてそのまま肩から男の腹目掛けて体をぶつけて弾き飛ばした。

「おおおおおっ!?」
「ごめんなさいっ!」

 小柄なトモキに弾き飛ばされるとは思わなかったのか、戸惑いの声を上げながら大柄な兵士は地面を転がっていく。それに謝罪しながらトモキは再度加速しようとするが、足を止めて振り返り、振り下ろされていた剣を受け止めた。

「ぐぅ……っ!」
「これを受け止めるかっ!」

 鍔競り合いになりながら隊長の男が驚嘆の声を上げる。しかしシオを抱え、体力も低下している今、それ以上の反撃をする余裕は無い。

「こ、のおおぉぉぉっ!!」

 トモキもまた声を張り上げ、最後の力を振り絞る。膂力に任せて警備隊長を押し返し、彼のバランスが崩れたところを見計らって門へ走る。

「追い込まれて血迷ったかっ!」

 突っ込んでくるトモキに対して、門の前で待ち構えていた兵達の頬が緩む。そして眼前に迫ってきたトモキに対して彼らは手にしていた槍を鋭く突き出した。

「なんだとっ!?」

 槍先がトモキを捉える直前、トモキは大きく上へと跳躍した。夕日を背に風を切り昇る。そのまま門上の物見に剣を突き刺して登り、再び跳躍して町の外へと飛び出していく。
 子供一人を抱えて軽業師の様なその行いに兵たちは驚きに口を開け、しかしその中で隊長の男だけは鋭くトモキの後ろ姿を見据えて吼えた。

「逃がさん! ――我が光の精霊に命ずる。この身に宿る力を借りてかの敵を撃ちぬかん! 『ブリッツ・ランサー』!!」

 右手を空に掲げて詠唱。それと同時に瑠璃色の中に眩い閃光が一筋走った。

「つぁ……!」

 稲光を思わせるそれはトモキの腹を掠め、だが直感に従って僅かに早く身を捩っていたおかげで直撃を免れる。しかしその直後に鋭い痛みがトモキの左腕に走った。

「ぐぁ……!!」

 地面へと落下しながら眼を遣れば、二の腕に一本の矢が突き刺さっていた。
 それでもシオを落とすまいと必死にシオの体を抱き寄せ、トモキは地面へと落下する。背中を強打し、呼吸が一瞬止まるがそれでも直ぐに起き上がると町の外に広がる藪の中へ逃げこんでいく。木々が林立し、茂みが鬱蒼とするその中にトモキたちの体はあっという間に溶け込んで見えなくなった。

「……逃したか」

 門を開けさせ、警備兵達が駆けつけるもすでにトモキの姿は無く、辺りは静まり返った後だった。

「どう致しますか? 追い掛けますか?」
「……いや、止めておこう。直に日が暮れる。魔獣が蔓延る夜の山を探すのは危険過ぎる」
「では……」
「已むを得んが朝まで待つ。矢には痺れ薬を塗ってあるからそう遠くへは逃げられんはずだ。それと通信陣を使って近くの街や村に情報を発信しておけ。後で色々と勘ぐりをされるのも堪らんからな」
「はっ!!」

 敬礼をして去る兵士を見送りながら隊長は門の前の様子を見遣った。そこでは先ほどトモキに弾き飛ばされた男が巨体を仲間の兵士たちに助け起こされていた。

「あの少年が人殺し、か……」

 剣は抜けども兵士達を斬り付ける事は無く、加えて常に抱えた小さな少年を守っていた。これだけの人数で囲って置きながら逃げられたのは間違いなく失態だろうが、手配書に書かれた様な凶悪犯罪を引き起こしたとは彼には思えなかった。

「とはいえ、このようなご時世だ。意図せず罪を犯す事などザラか……」
「は?」
「いや、何でもない。ただの戯言だ」

 隊長はフッと小さく笑い、事後処理を副長の男に任せるとその場を後にする。またいつ新たな事件が起きるか分からない。一つの事件にばかり意識を割いてばかりいるわけにはいかない。
 それでも彼の胸には凝りが残り、妙な気持ち悪さがあった。鉄鎧の下のズボンのポケットから今朝方緊急で送られてきた手配書を取り出して覗き込む。

「ともかく、この少年の事は気に留めておくか」

 そう呟くと再び丁寧に折りたたみ、ポケットへ仕舞うと詰め所へ向かって歩いていった。



 トモキは逃げる。足を引きずる様にして、剣を杖代わりに使いながら林の奥へ奥へと移動する。その直ぐ後を、不安そうな顔をしたシオが付いて行く。
 全身が痺れていた。一歩を踏み出す度に頭が痛み、視界が揺れる。その状態のまま一時間程もすでに歩き続けていた。

「逃げなきゃ……」

 口から出る言葉はそれだけ。譫言に近く、何かに取り憑かれているかの様だ。飢えも渇きも感じない。あるのは耐え難い苦痛と、果たさなければならない使命だ。

(使命……ってなんだっけ……?)

 何も思い出せない。思考が働かない。だが、今はこの場を離れなければならない。何処へ行くのかも分からない。ただ強迫観念に突き動かされてトモキは進んだ。
 そしてどれだけ進んだか、聳え立つ木々の密度が下がり、狭くなった視界の中で少しだけ景色が開けた。土の中に混ざる水の匂い。サラサラという流れる音。それを耳にしてトモキの口元が緩んだ。

「やった……川、だ……」

 呟きが溢れ、それと同時にトモキの体が傾く。受け身すらとれず、シオが手を伸ばすが届かない。頭から斜面を滑り落ち、川縁の中でトモキの意識は途絶えた。

「……、……」

 シオが直ぐに駆け寄り、トモキの体を必死で揺らすが意識を取り戻す事は無い。シオは困った様に泣きそうな顔をして助けを探すが、その時、シオの動きが止まった。
 響く遠吠えの声。山の中全体に轟き、それを合図として森の中に一対の鋭い眼差しが現れる。
 林からトモキとシオを見つめる紅い眼。それらが一つ、また一つと増えていく。一歩一歩ゆっくりとにじり寄り、仄かな月明かりの下へと十数匹の野犬の姿を持つ魔獣が現れた。
 シオはトモキを庇うようにして立ち塞がった。足を震わせながら、恐怖と心細さに目尻に涙を浮かべながら対峙する。

「グルルルルゥ……!」

 シオを嘲るように野犬達は喉を震わせる。だがシオは下がらない。身を震わせて自身を鼓舞し、髪と耳を逆立てて大声で吠えて威嚇する。
 向かい合うシオと野犬達。そして野犬ストレイ・ウルフ達は一斉にシオに向かって躍り掛った。












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