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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






 散々セツの胸の中で涙を流し、泣き喚いて陽が完全に登る頃に家に戻ったトモキはそれから数日、熱を出して寝込んだ。原因は夜の山の冷え込みと雨に打たれた事、そして足の捻挫による発熱だ、とはセツの診断結果だ。大人しくしとれば大事無いだろうという言葉にトモキは布団で横になり、氷枕の上に頭を寝かせながら胸を撫で下ろした。
 そんなトモキを見下ろして、セツは特製の苦い薬を手にしてニヤリと口端を歪ませた。熱で朦朧とする意識の中でトモキは、魔族と相対した時とは異なる危機を感じ、暖かい布団の中で戦慄に震えた。

「また寝てばかり居られては妾もツマランからな。喜べ、トモキよ。妾特製のどんな怪我もたちどころに直してくれると評判のこの薬を特別に妾が手ずから飲ませてやろう。ぬ、味はどうか、じゃと? 心配するな、ちゃんとそこら辺も考えておる」広げた薬包紙の上に新たに薬草らしき粉末を追加する。「一等苦しい味を経験させてやろう。何、大丈夫じゃ。豚どころか古代大鷲エンシャントイーグルさえも啄んだ瞬間に卒倒するらしいからの。お主なら口に含んだ瞬間に意識がぶっ飛んでよく眠れるはずじゃ」

 それは大丈夫とは言わない。そんな抗議の声も虚しく、トモキの口の中に薬が無理やり突っ込まれる。
 瞬間、味が爆発した。爆発というか、舌が沸騰した。侵略し、蹂躙し、虐殺する。口の中のありとあらゆる味覚が破壊されていくのをトモキは自覚した。自覚したと同時にトモキの意識は広い青空の上に飛んでいき、死んだはずのシオが一生懸命トモキの脚に重りを縛り付けて地上に引きずり降ろそうとしている。そんなデタラメな夢をトモキは見た。

 眼を覚ました時には、二日が経っていた。

 そして更にそれから一週間が経過した。
 トモキの体調はすでに万全に回復し、足の捻挫も踏み込めば少し痛みが走るが歩いたり梯子を昇ったりする分には問題ない程度には治っていた。相変わらずセツの薬が凄いのか、トモキの回復力が優れているのかは分からないが、たぶん両方の相乗効果だとトモキは思うことにした。セツもトモキの回復力には既に突っ込むことを止めてしまった。

「ぃよっと!」

 そうして今はトモキは畑に植わった大根を勢い良く引っこ抜いた。それを背中の籠に放り込み、一歩前に進んでまた次の大根を抜いていく。
 すでにトモキはここを離れるという考えを捨て去っていた。
 セツに信頼を寄せ、いつかは元の世界へ戻る方法を探して旅に出ようとは考えてはいるが、それでもあくまで拠点はこの場所だ。この荒屋をこの世界での「帰って来るべき場所」と定めていた。

(それで……いいよね?)

 次の大根を抜くと陽気で汗ばんだ額を拭い、トモキは畑から十メートル程離れた所にある墓標を見た。

(だから――これからもずっと僕を見守っていてね、シオ)

 手についた土を払い、墓標に向き直るとトモキは静かに手を合わせて眼を閉じた。
 数秒だけそうして眼を開き、トモキは小さく微笑む。

「さぁて、さっさとこの大根達を皆引っこ抜いてしまいますか!」

 大きく太陽に向かって伸びをして、再び収穫作業を再開した。



「うぅむ……」

 しばらくして背中の籠が瑞々しい大根やその他の野菜で満たされた頃、セツが深刻そうな表情を浮かべて唸りながら家から出てきた。

「どうしたんですか?」
「うむ、ちっと、な」

 セツは言葉を濁した。だがその様子は何処か落ち着かない様子だ。前髪を掻きあげて右手で頭を抱え、視線をうろつかせる。

「……何かあったんですか?」
「そうと決まったわけではないんじゃが……いや、何かあったと言えばそうなんじゃろうな」セツはトモキを見上げた。「どうにも村の様子が妙での」
「妙、ですか?」
「そうじゃ。フェデリコが昨日来んかったから村の動きを見てみたんじゃが、どうにも人の数が減っておっての。それに村人達があまり村の中も出歩いておらんようじゃ。もしかすると野盗の類に襲われたのかもしれん。或いは、魔獣が村に入り込んだか……」
「それだったら大事じゃないですか。もっと詳細に調べることは?」
「そうしたいんじゃが、これも妙でな……この間までは地下の魔素の流れパスを利用して村の様子くらいは可視化できたんじゃが、パスが途中で乱れておっての。ノイズが掛かって上手く見れぬのじゃ。おまけに村の向こうから変わった魔素を持った何かが近づいて来とるみたいでの」
「変わった魔素?」
「うむ。詳細は省くが、魔素は人によって微妙に異なっておっての。特徴を覚えておけば魔素を感じるだけで何処に誰が居るかを妾は判断できるんじゃ。変わった魔素、というのは妾が記憶しておる村人の誰とも特徴が一致せず、しかもかなり大きな魔素を内に蓄えておるのが一人。時折周囲の魔素を集めるような流れを作っておるのが一人。恐らくは魔術を行使してるんじゃと思うが……」

 要は指紋みたいなものか、とトモキは元の世界の常識と照らし合わせて納得した。
 セツの説明を聞く限り、彼女が感じている通り何か異変が起きている。トモキもまたそんな印象を受けた。何も起きていない、もしくはセツの杞憂だと聞き流すには色々な要素が重なり合いすぎている。トモキは背中の籠を下ろすと急いで家の中へ戻っていく。
 畑作業用の長靴を脱ぎ捨て、囲炉裏部屋の壁に掛けられた制服の袖に腕を通す。箪笥に立てかけてあった剣を腰に挿し、一度鞘から抜いて刀身を確認する。問題は無い。
 沓脱ぎ石の横に置かれていた魔技高標準装備の頑丈なブーツを履きこみ、土間に置かれてあった燻製肉の塊を乱暴に紙に包んで上着のポケットへ突っ込んだ。

「とりあえず僕が様子を見てきます。本気で急げば多分日暮れ前には着けると思いますから」
「う、む。妾もそれを頼もうと思っておったところじゃ。フェデリコの奴が予定通り来んことなぞ今まで無かったからのぅ……」

 不安そうにセツは村の方角を見遣った。眉間に皺を寄せ、厳しい表情で唇を噛み締める彼女の様子はフェデリコへの心配が強く読み取れる。その事にトモキは微かな嫉妬を覚えて苦笑いを浮かべた。

(こういう人だからこそセツを信頼する気になれるんだろうけどね)

 こんな時だというのに顔を覗かせた自分の中の独占欲を心の奥底にしまい込み、トモキは笑顔を敢えて浮かべて見せる。

「大丈夫ですよ。仮に魔獣とかに村が襲われたんだとしてもフェデリコさんなら上手いこと村の人を指揮して撃退してますよ」
「だと良いがのう……そうじゃ」

 今度はセツが家の奥に駆け入っていく。一分ほどすると彼女は幾つもの薬包紙を握って戻って来てトモキに差し出す。

「この前お主に飲ませた薬じゃ。自己治癒力を高めてくれる。もし怪我人がおれば飲ませてやってくれ」

 トモキは頷き、ポケットに突っ込む。

「それじゃ行ってきます」
「頼んだのじゃ。お主も気を付けて、戻ってくる時もまずは自身の安全を第一にの」

 心配してくれるセツの声にトモキは微笑むと手を挙げて応える。そして自分の頬を軽く叩いて気合を入れるとトモキはシエナ村へ向かって全速で走っていった。




 夕暮れ前、一気に山道を下って麓のシエナ村に辿り着いたトモキは走る足を一度止め、呼吸を整えると緊張した面持ちで近づいていった。
 少し離れた場所から見る限り、目立って村に異変が起きている様子は無い。野盗に襲われたのであれば建物が壊れていたりだとか、村を囲う柵の一部が破損していたりしていてもよさそうなものだが、そういった所は見て取れなかった。村の入口にはいつもと同じように門番の村人が立っていて警戒している。トモキにとって既に見慣れた風景だ。
 しかし目に見えない異変をトモキは何となく感じ取っていた。門番をしているのは初めて村を訪れた時と同じジャスパーだ。普段から真面目に番をしている彼だが、今日は遠目からもいつも以上に緊張している様子が見て取れた。

「ジャスパーさん!」

 トモキは声を張り上げて呼びかけた。するとジャスパーはさっと手にした槍を構え、しかし来訪者がトモキであると気づくと安心した様に肩の力を抜いて笑顔で迎えてくれた。

「やあ、トモキ。どうしたんだい? まだ今日は君が来る日じゃ無かったと思うんだけど?」

 気の良い先輩の様に笑って話し掛けてくるジャスパーだが、どうも声に張りがない。顔色も何処か悪く見え、元気が無さそうだ。やはり、何かが起きている。トモキは半ば確信しながら返事をした。

「昨日フェデリコさんが来るはずの日だったんですけど来られなかったので。セツ様が心配してまして、様子を見に行くように言われたんですよ」
「ああ、そうか。そういえばそうだったね……」
「何かあったんですか?」
「ん、その、まあね」

 トモキが尋ねると、ジャスパーは困った様に言葉を濁して村の門を開けた。

「トモキなら教えてもいいかな。実は村で病気が流行っていてね」
「病気、ですか……?」怪訝に眉根を寄せ、トモキはジャスパーの顔を見て尋ねた。「ジャスパーさんは大丈夫なんですか? 見たところ顔色が悪いみたいですけど」
「そうかい? ここのところずっと一日中こうして立ってるからかなぁ。門番の交代要員も何人か病気にやられててね。今動けそうなのが僕くらいしか居ないんだ。だから少し疲れてるだけだよ」
「ならいいんですが……その病気って危険な感じですか?」
「若い男連中だと数日寝込めば動けるようにはなるみたいだけど、年寄りや体の弱い人なんかはやばそうだ。もうすでに何人か年寄りは亡くなってしまった。フランシスカの婆さんも先日亡くなったよ」
「そんな……」

 フランシスカとは初めて村を訪れた際に涙を流してセツに感謝していた老婆の名だ。トモキを自分の孫と同じく可愛がってくれていて、村を訪ねる度にお菓子を手渡してきていた。小さい子供扱いされているみたいでトモキとしては複雑だったが、良い人だったことは違いない。そんな彼女の訃報を聞いて小さくない衝撃を受けつつも、トモキは眼を閉じて黙祷を捧げた。

「婆さんの為にわざわざありがとう、トモキ」
「いえ、僕もお婆さんには良くしてもらいましたから……」
「まあそんな訳でな。今は村全体があんまり元気が無いから、村の様子を見ても驚かないでくれ。フェデリコさんは多分自分の家に居ると思うが、もしかしたら村の様子を見て回ってるかもしれない。家に居なかったらそこらに居る誰かに聞けばきっと教えてくれるよ」

 丁寧に教えてくれたジャスパーに礼を述べるとトモキは村の中に足を踏み入れた。
 目抜き通りも一見して異変は無い。しかしいつもに比べて歩く人の数が明らかに少ない。たまにすれ違う人も、トモキが声を掛ければ返事をしてはくれるが俯き気味でそそくさと離れていってしまう。

「……皆結構参ってるみたいだ」

 それも仕方ないか。そこまで人口の多くない村だ。村人全員が家族の様な感覚だろうし、よく知った人が何人も亡くなれば落ち込むのも当然の話だ。まして、その病がいつ自分に牙を向くか知れない、となれば怯えてしまうのも仕方なしか。
 村人からも話を聞きたかったが、無理に聞き出せば心の傷を抉る事になる。村長であるフェデリコならまだしも、単なる住人に根掘り葉掘り聞くのは控えるべきだろう。
 トモキは諦めてフェデリコの家に向かった。すれ違う人は皆暗く、不安そうだ。

「おい、オメェは確か……」

 そうして目抜き通りが終わって肉屋の前を通り掛かったところでトモキに声が掛かる。
 トモキが振り向くと真っ先に目に入ったのは山賊のようにモミアゲから顎下まで髭を伸ばした特徴的な容姿だ。体つきも熊の様に大柄で、手には巨大な肉きり包丁を持っていて、その下の作業台の上には真っ二つに両断された動物の肉が転がっていた。
 威圧的な双眸にトモキは少し竦み上がるが、声の様子と肉屋という情報から男が先日、フェデリコに肉を勧めていた肉屋だと思いだした。

「……ジョセフさん、で良かったですっけ?」
「おう! ジョセフ・ガーファンドルだ! アンタはトモキって言ったけなぁ? そういやぁアンタと話すのは初めてだったな! 宜しくな!」

 体と同様に豪快な口調で話す様は完全に山賊の親分、といった感じだが、ニッと歯を見せて笑う様子は何処か愛嬌があった。

「いつもアンタが店の前を通るのは見てたんだがいつもさっさと通り過ぎちまうもんだからよ。ところで今日はどうしたんだい? またセツ様のお遣いか?」
「いえ今日は別件ですよ。村の様子を見てこいって命令を受けまして」
「そうか……セツ様はいつも気にかけて下さってんだな。ありがてぇ事だ。村の連中もそれを聞きゃあちっとも元気が出るだろうよ」
「そうだと良いですけど。でもジョセフさんは元気そうですね」
「おうよ! 肉屋がショボくれた顔してたら売れるもんも売れねぇからな! いつでも笑顔で元気一杯が俺のポリシーよ!」

 満面の笑みを浮かべて力こぶを作ってみせる。しかし「だがなぁ……」と表情を曇らせた。

「ウチも女房がやられちまってよ。今も奥で伏せってるんだわ」
「それは……お気の毒ですね。お加減はどうなんですか?」
「いつもは体調崩しても『寝てりゃ治る!』なんざ抜かして俺に店を開けるようケツを蹴り上げるような奴なんだがな、今回はそんな元気もねぇみたいで昨日からずっと眠ってばっかで熱も一向に下がらねぇ。いつもならセツ様の薬を飲みゃその日の夜には元気になるくらいなんだが……正直どうにも効き目がねぇみてぇなんだよ」
「……何か特別な病気が流行ってるのかもしれませんね。セツ様に伝えてみます」
「そうしてくれりゃ助かる。頼んだぜ。……しかし本当に、最近はどうなっちまったのかねぇ……」
「他にも何かあったんですか?」
「ん? ああ、これもここ最近なんだがよ、魔獣が村の近くまで寄ってくるようになってな。幸いにも小鬼ゴブリンとか魔素狐イービル・フォックスくれぇだから村に居る連中で何とかなっちゃいるんだがな。これまで奴らが山から出てくることなんて無かったから村の連中も皆ナーバスになっちまってんだよ。お陰で辛気臭ぇったらありゃしねぇ」
「魔王が復活したんじゃ」

 そこに割って入る声。振り返れば腰が大きく曲がり、皺だらけの顔で険しい表情を浮かべる老婆が居た。

「おう、クリス婆さんじゃねぇか。魔王がどうしたって?」
「魔王が復活した、と言ったんじゃ。魔王が復活したせいで魔族の連中が世界中で勢いづいておって、それはここらも例外じゃないんじゃ。魔族に追いやられたせいで魔獣が行き場を無くして、その結果村にまで近づいてきておるんじゃよ」

 神経質そうな面持ちで手足を震わせながら老婆は言い放った。老婆の口調は真面目そのものだ。トモキは彼女が本気でそう言っているのが分かった。
 しかしジョセフはそんな彼女の言葉を鼻で笑い飛ばした。

「はん、随分と面白ぇ事言うじゃねぇか。婆さんのジョークにしちゃ笑えた方だぜ」
「冗談では無いわ! 儂には理解るんじゃ。古の時代に封印された魔王が蘇り、それを待ちわびておった魔族が今に人類に向かって反旗を翻し、一斉に襲いかかってくる。今は様子見しかしとらんが見とれ、今に人類は滅ぶ。この村に今こうして不知の病が流行っとるのがその証じゃ」
「そうかいそうかい。俺は魔王なんざ生まれてこの方聞いたことも見たこともねぇけどよ、まあ居るとしようぜ。んで、それと村で流行ってる病気に何の関係があるんだ?」
「まだ分からんのか、お主は! 魔王の眷属である吸血種が魔獣を操っておるんじゃ! 魔獣に病の元を持たせ、村の人間に感染させておるんじゃ。その証拠にグスマンも魔獣に噛まれて、その後見たことも無い病気で死んだでは無いか!」
「おいおい、魔族に追い立てられて魔獣が村に近づいて来たんじゃなかったのかよ? それにグスマンのジジィが死んだのは去年の話じゃねぇか」

 呆れた様子でジョセフは溜息を吐いた。一年も前の村の事情をトモキが知る由も無いが、少なくとも老婆の話が支離滅裂であることは分かった。年老いた老婆の戯言、と聞き捨ててもいい類の話だろうが、しかし吸血種という単語が出てきた以上捨て置く事はできなかった。
 無論、老婆の話が正しいとは微塵も思ってはいない。しかしこうして騒ぐ人間が居ると、話が何処でどう捻れて広まるか分かったものではない。元の世界でも単なる噂話の話が真実とはかけ離れて伝わっていき大騒ぎになった事例を知っている。まして、今は村全体が不安に押し潰されそうになっている時期だ。不安を振り払うために非論理的で非倫理的な行動に出てくる様な者が居ないとも限らなかった。

(これも念のためセツに伝えておくか)

 そうしてトモキが思案している間に老婆はジョセフに向かってしつこく自らの主張を繰り返し、やがてよろよろと杖を突きながら歩き去っていった。

「……すまねぇな、変な話を聞かせちまってよ」
「いえ、気にしないでください。
 たぶん不安なんだと思います。悪いことが重なってますからね。こじつけでもなんでも理由があればある程度安心できますから」
「ちょっと前まではクリス婆さんも元気だったんだがなぁ……旦那に先立たれちまってから一気に呆けが進んだみたいでな。ああして出鱈目な話を村に撒き散らす様になっちまった。
 と、立ち話が過ぎちまったな。アンタ、これからどうするんだ?」
「フェデリコさんの所に行こうかな、と。村長なら他にも知ってることがあるかもしれませんし」
「そうか! ならちょっと待ってくれ!」ジョセフは一度奥に引込み、すぐに手に袋を持って戻ってきた。「今朝トリヴィーノから仕入れた肉だ。これをフェデリコに渡してくれや。他の人間がどうなってもいいってわけじゃねぇが、村長であるアイツが倒れたらもっと困るからな。なんだかんだ言って村の連中はアイツに期待してんだ。だからこれでも食って精を出せやって伝えといてくれ」
「分かりました」
「あと、アイツが自分ちに居なけりゃ多分隣のアイリスん嬢ちゃんのトコだ。少なくともどっちかには居ると思うぜ」

 ジョセフから肉入りの袋を受け取ると、トモキは礼を述べて手を振って別れた。そして村の中心にあるフェデリコの家へと脚を向ける。程なくして広場が見えてきて、その奥にある彼の家が姿を現した。
 フェデリコの家の前にある広場にはいつも人が集まっている印象をトモキは持っていた。夕暮れ前になれば商店が簡易的な出店を開き、夕飯の材料や惣菜を売りに出し、それを狙う女性の姿が目立っていた。しかし今は通りと同じく人の姿はまばらで、活気の欠片も感じられない。陽が落ちかけ、トモキの長く伸びた影が広場を黒く塗り潰していく。

「フェデリコさん!」

 村の中では大きめに分類される家の前に立ち、戸を三度ノックする。しばらく待つが返事は無い。もう一度中に向かって声を掛けるがやはり反応は無い。
 そのままトモキは隣の家に眼を向けた。ジョセフが言うには、自宅に居なければ隣家に居る、との事だったが。

「アイリスって女の人っぽい名前だけど……」

 フェデリコとの関係は何だろうか。「嬢ちゃん」と呼んでいた事から少なくともジョセフから見れば子供の様な年齢ということか。トモキは当たりを付けた。そうであればフェデリコとさして変わらない年齢の可能性もあるが。

「恋人、とかね」

 ジョセフにそこら辺をもっと聞いておけば良かった、とトモキは小さく歯噛みした。そうであればフェデリコをからかうネタがまた一つ増えただろうに、と思う。まあそこは本人達に聞けばすぐに分かることだが。

「……戸を開けた瞬間甘い空気だったらどうしようか」

 飄々として卒なく何でもこなすフェデリコだが、そんな彼がデレデレと鼻の下を伸ばしていたらどうしてくれようか。トモキは想像してみたが、「やあ、君も早く良い人を見つけなよ」などとにやけ顔で宣ってきたので顔面に全力パンチをお見舞いしてやった。

「いや、実際には殴らないけど」

 トモキが本気で殴れば頭が吹っ飛ぶ。流石に村長殺しは言い訳できなくなるので自制しよう、と強くトモキは念じた。自信は無いが。
 くだらない想像を、頭を振って振り払うとトモキはアイリス嬢の家と思われる戸をノックして声を張り上げた。

「ごめんくださーい! フェデリコさん居ますか!?」

 返事は無い。しかし中から人が動く気配がしたためトモキがそのまま待っていると戸が開かれ、中からフェデリコが姿を現した。

「はい、どなた……あれ、トモキ?」
「どうも。ジョセフさんからこちらだと聞きましたので」

 トモキの姿を認めるとフェデリコは愛好を崩した。だがその顔色は悪く、濃い疲労が見て取れた。

「……大丈夫ですか? 何だか調子が悪そうですけど」
「そうかい? ……そうかもね。村の状態が状態だからね。君も聞いてるんだろう?」
「ええ……大変な事になってるみたいですね。セツも心配してましたよ。フェデリコさんは予定の日になってもやって来ないし、村の様子を見ると何か異変が起きてるみたいだって」
「それで君を寄越したわけか」

 フェデリコは溜息を吐いた。それは呆れと言うよりは安堵の色合いが強い。表情は暗いが、家から出てきた時よりは幾分和らいでいる。そしてトモキから目線を外してしばし考える仕草をした後、手招きをして家の中に招き入れる。

「いいんですか? アイリスさん、でしたか? ここ、その人の家なんじゃないですか?」
「いいんだ。彼女は……今はとても対応できる状況じゃないからね」フェデリコは眉間に深い皺を刻み、何かを堪える様に下唇を噛み締めた。「それに、君には彼女の状態を見せておきたいんだ」

 その言葉でトモキは何となく状況を察した。唾を嚥下し、喉が上下に大きく動いた。
 フェデリコに付き従って家の中に脚を踏み入れる。廊下を通り、奥の部屋に入る。
 そこは八畳程の広さの部屋だった。中央からやや端よりに四人がけのテーブルがあり、上には花瓶が一つ置かれ、しおれた花が一輪刺さっていた。奥には窓があり、夕日が微かに部屋に差し込んでいる。その下にはシングルベッド。ベッドの中には独りの女性が眠っていた。

「アイリス、お客さんを連れてきたよ」

 フェデリコはアイリスに向かって声を掛けた。だが女性から反応は無い。苦しげに浅い呼吸を繰り返し、堅く閉じられた目頭には皺が寄っている。
 傍らに置かれた椅子にフェデリコは力なく腰を下ろした。両肘を太腿に乗せ、背中を丸めている様はまるで老人の様だ。彼は、眠ったままのアイリスの手を取ると両手で握りこみ、祈るように彼女の手を自分の額に当てた。

「二日前から眼を覚まさないんだ」

 夕陽で横顔に暗い影を落とすフェデリコは、声を震わせた。トモキは言葉を返せない。

「その前からずっと熱を出してて食欲も無かった。最初は風邪を引いたのかと思った。昔からすぐ風邪を引く子だったから。矛盾した言い方になるけど、心配してたけど余り心配してなかった。深刻に捉えてなかったんだ。横になっていればすぐに快復すると思ってた。でも、治らなかった。状態はどんどん悪くなっていって、それと同時に村でも病死する人が出始めた。そこでようやく僕は村で蔓延している病気が彼女にも牙を向いたんだと気づいたんだ」

 遅すぎたんだ、と呟き、フェデリコは奥歯を悔しさに噛み締め、軋む音がした。

「もっと早くおかしい事に気づくべきだったんだ。ずっと高熱を出して、暖かい布団の中で彼女は寝てるのに、汗を一滴も・・・掻いていないんだ。そんな事はあり得ないのに。水分が足りないのかと思って水を飲ませてもすぐに吐き出してしまう。どうしたらいいか分からずにいる内にこのザマだ」
「……セツの薬は飲ませてみたんですか?」
「当然だろ。最初に調子を崩した時から飲ませてる。けれど、全く効果が無いんだ。村の連中だってセツがこれまでに渡してくれた薬を飲んでる。なのに、なのに……全く効果が無い。村の医者だって診察してくれたけど、こんな病気は聞いた事が無いって匙を投げた。トリヴィーノまで人を遣って医者を連れてきて見てもらったけど、答えは同じだった。このままじゃ……」

 フェデリコは強くアイリスの手を握り締めた。小さく嗚咽が混じる。心の中で渦巻く熱を冷ますようにフェデリコは大きく息を吐き出すと、眠ったままのアイリスの頬を撫でて愛おしく見つめた。

「……セツにも相談しようとも思った。今までの薬じゃ効かなくても彼女ならきっと新しく有効な薬を創りだしてくれるんじゃないかって……だけど、僕は彼女の傍を離れる勇気が持てなかった」

 虚ろな瞳をフェデリコはトモキに向けた。潤んだその瞳は彼の葛藤を深く湛えていた。

「僕と彼女は、アイリスは幼馴染なんだ」
「そう、だったんですか……」
「そして……今は婚約者でもある」
「っ! …………」

 言葉を失うトモキからフェデリコは視線を外し、彼女の金色の髪を優しく撫でた。

「このまま僕がここに居たからって彼女の病気が良くなるわけじゃない。そんな事は分かってる。僕は村長だ。このシエナ村の村長だ。村の皆の為にやるべき事は分かってるんだ。だけど、出来なかった。もし僕が村を離れている時に彼女にもしもの事があったら……そう思うだけで脚が震えてくるんだ。この椅子の上から立ち上がれなくなるんだ。
 情けなくて笑っちゃうだろ?」

 そうフェデリコは自嘲するが、トモキは笑えるはずも無い。彼は彼女を真摯に愛し、快復を願っている。彼女を失う事を何より恐れている。そんな彼を誰が笑うことができるだろうか。そんなフェデリコを見るのが辛く、トモキは顔を彼から逸らした。
 そんなトモキの様子を察したか、フェデリコは「すまない」と小さく謝罪を口にした。

「だからトモキ。君が来てくれてホッとしたんだ」

 そう言ってフェデリコは徐ろに立ち上がると、眠ったままのアイリスに掛けられていた掛け布団を剥がした。

「フェデリコさん?」
「そして君にも見て欲しい。彼女に何が起きているかを」

 そしてフェデリコはアイリスの寝間着のボタンを外していき、されるがままになっているアイリスの胸元を大きく曝け出した。

「ちょ、ちょっと! フェデリコさん!」
「セツに伝えて欲しいんだ。この症状に心当たりが無いか。そして、この病気を治す薬を知らないか訪ねてくれないだろうか」

 突然の暴挙にトモキは慌てて目元を自分で隠してアイリスから眼を逸らした。しかし続いたフェデリコの言葉にそっと手をずらしてアイリスの胸元を見た。
 トモキは息を飲んだ。横になったアイリスの胃の辺りから首元まで青紫色の痣の様なものが覆い尽くしていた。元がかなり色白なだけによりその痣が際立つ。彼女の体に降りかかっている明らかな異常にトモキは圧倒された。

「これ……は……」
「最初はたぶんお腹からだったんだと思う。そこは特に痣が酷いんだ。彼女が眼を覚まさなくなった時には胸の辺りまで来てて、痣はまだ今も広がり続ける」

 トモキは緊張しながらアイリスの臍の上の辺りに軽く触れてなぞった。指先から伝わる感覚だと皮膚が変色しているだけで腫れは感じられない。

「頼む、トモキ……! セツに一刻も早く伝えて欲しい。そして彼女を、アイリスを……」

 フェデリコは立ち上がり、トモキの肩を掴んだ。トモキが軽い痛みを覚える程に強く掴まれたその腕は震え、声色からもフェデリコが相当追い詰められている事が感じられる。
 だからトモキはその手を取り、しっかりと握り返して力強く答えた。

「分かりました……! すぐに戻ってセツに話してきます。大丈夫です。セツの事ですからすぐに手を打ってくれるはずです」
「トモキ……」フェデリコは顔を上げてトモキの顔を見つめ、眦に溜まった涙が頬を伝って落ちていく「ありがとう……それから、ごめん。宜しく頼みます……」

 頭を下げて全身を震わせながらフェデリコは感謝の言葉を述べた。












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