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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






 東の空から陽が昇る。
 曙光が山奥の小屋を照らし、古びた木板の壁が黒から朝焼け色に変わって眩い光で白く染まる。傍らに作られた十五メートル四方程度の畑からは、湿った土を蹴破って人参や芋類の茎が伸びていて、深緑の葉が陽に照らされて萌黄色にも彩られる。前夜に僅かに振った雨の雫が葉っぱの上を滑り、乾きかけた地面に潤いを追加する。
 小屋の中では香ばしい料理の香りが巡っていた。和風の竈の上には鍋が置かれて重い蓋が蒸気でカタカタと鳴き声を上げる。蓋を開ければ炊立ての米の薫りが立ち昇る。しゃもじを突き入れれば、粘り気のやや少ない白米の隙間から一層の湯気が吹き出す。
 鼻歌を歌いながらセツは米を茶碗に装った。その上から特製の白いソースを掛けていく。別の汁茶碗には鍋からスープを注ぎ、それぞれ二つずつを盆の上へ乗せると沓脱石くつぬぎいしを踏んで隣の部屋の前に立つとすぅ、と一度息を吸い込み、引き戸を開けた。
 部屋の中は静まり返っていた。囲炉裏の炭は焼け落ち、朝冷えの空気に土間の温められた風が流れ込む。囲炉裏端には布団が一つ敷かれていて、その中の膨らみが一定のリズムで上下している。それを見てセツは頬を緩めた。
 セツは横目で布団の主を見ながら窓へと向かった。背伸びしながら窓を開け、更に外側にある木の雨戸を押し開けた。途端、曙光が部屋の中へ一気に差し込み、モノクロだった室内が鮮やかに彩られていく。爽やかな山の空気をセツは胸を大きく吸い込んで胸を膨らませ、窓の外から布団の方へと向き直ると白く細い両腕を左右に広げてパン、と柏手を鳴り響かせた。

「さあ、今日も一日が始まったのじゃ! 起きる時間じゃぞ、トモキ!」

 元気よく張り上げられた声が部屋中に響き、もぞもぞと布団の中身――トモキは身動ぎを始めた。上半身を起こし、寝ぼけ眼を両手で猫が顔を洗うように掻き、肺の中の腐った息を吐き出した。

「目が覚めたかの? トモキ、おはよう!」
「……おはようございます」

 自分とのテンションの違いに、心底うざったそうな眼をトモキは向けるが、セツはそれに気づいていないのか弾むような足取りで土間へと戻っていく。

(やっぱり年寄りは朝が強い……)

 セツの年齢を思い出しながらトモキはそんな悪態を吐くが、それが聞こえたかの様にセツが振り向いてトモキを睨んだ。

「何か妙な発言がした気がするんじゃが、気のせいかの?」
「さあ、気のせいじゃないですか?」

 しれっとした顔でトモキは嘯く。「歳だから耳が悪いんだよ」と内心で付け加えるのも忘れずに。

「ふむ、そうか。まあ良いわ」

 そんなトモキの呟きに当然気づくはずもなく、セツは首を傾げながらもそれ以上気にしても仕方ないと気を取り直し、準備しておいた盆を部屋の中に運び込む。

「ほれ、いつまで寝ておる。朝餉じゃ朝餉じゃ。さっさと布団を片付けんとお主は朝飯抜きじゃぞ?」

 それは困る、とトモキは未だ重さの残る瞼を揉みほぐして生え際が赤黒くなり始めた髪の毛を掻き毟って布団から立ち上がった。トモキにとって食事エネルギー補給は生きるためには何よりも大事な時間だ。
 急々と布団を抱え、土間を通って外に出る。畑の傍にある物干し竿に掛けると、薄着のせいで感じる肌寒さに体を震わせながら家の中に戻る。
 するとセツはすでに二人分の朝食を並べ終え、残りのスープが入った鍋を自在鉤に引っ掛けているところだった。

「戻ってきたか。それでは頂くとしようかの」

 囲炉裏を挟んで向かい合い、香ばしい薫りを吸い込みながら二人はどちらからともなく手を合わせた。

「えっと、確か……」
「いただきます、です」
「そうじゃそうじゃ。どうにも覚えにくくての」
(そうか? かなりシンプルな言葉だと思うけれど)

 やはり歳か。当然口には出さない。ともかく、今、優先すべき事は食事だ。

「それでは」

 いただきます、と二人の声が揃った。
 新しい一日がまた、始まった。




 トモキがセツの正体を知り、すでに新たに十日が経過していた。
 ずっとセツの家で寝泊まりをし、割り当てられた仕事をこなす。仕事は主に力仕事で丸太から手頃なサイズに薪割りをし、更には古くなった家屋の補修や畑仕事の手伝いだ。また近くの森の中に分け入って囲炉裏で燃やすための薪にする枝を拾い歩いたりもした。
 他にも、先日(強引に)取り決められたように十日に一度、シエナ村へ作成した薬を収めに向かう事もした。帰りには背嚢一杯に食料を詰め込み、険しい道を登り歩く。フェデリコであれば片道一日ずつの往復で二日間要するが、トモキの場合は朝に出て、その日の夜半には戻って来ることができた。それを知ったフェデリコは驚きを隠さなかったが、トモキにしてみればリハビリに近い感覚だ。
 腹の傷も肩の傷もすでに完治し、一人でシエナ村を往復しても体力的な不安は感じられない。道中、試しに道から外れて魔獣を誘い込んでみたが剣の切れ味も自身の動きにも特に違和感はなく、一撃で斬り伏せる事が出来た。
 トモキの調子は万全と言って差し支えない。だがセツの元を去ることは無かった。
 何度か夜中にこっそりと出て行くことも考えた。だが起き上がると何故だかセツの顔を見たくなり、隣の調薬室で穏やかな寝息を立てている彼女の寝顔を見ると出て行く気が失せた。そして夜が明け、一日彼女から頼まれた仕事をこなしていく内に体が生活に馴染んでいく様な気がするのだ。

(こんな……生活をしててもいいのかな……?)

 ここまで心身とも落ち着いた生活を送るのは、元の世界を含めても久しぶりだった。最後に何の不安もなく一日を過ごせたのは果たしていつだっただろうか。トモキは家の屋根の上で、板に釘を打ちつけながら記憶を探る。少なくとも高校に入学してからは記憶に無い。

「……まあいいや」

 トモキは深く考える事を止めた。考えれば考えれば不安になってくるのだ。アルフォンスやシオが亡くなったというのに自分だけこんなに穏やかな生活を送っていていいのか。いつかまた災厄が自分に降り掛かってくるのではないかと、そんな考えが湧き起こってくるのだ。自分だけならばまだしも、セツまで巻き込んでしまうのではないかと。逆に、何も考えなければ心穏やかに過ごせるというもの。

「セツはここで何も考えずに過ごしていれば、やがて心も癒えるとは言ってたけど……」

 トモキ自身、自分の在り方が正常では無いと気づいていた。こうして静かに落ち着いて過ごしていると、自分の事も客観的に見つめる事が出来る。そうして振り返ってみると、他人を誰も信用せずに剣を向ける様な人間性がとても異常な事の様に思えてきたのだ。

「誰彼構わず信用するのは問題だろうけど……」

 自分がフェデリコに言ったセリフだ。手当たり次第傷つけるのは違う、と。信用できる人間とそうでない人間を見分ける力を付ける。それが今自分に必要な事だ。まだ未熟なその見極め力を頼るならば、セツとフェデリコは信頼できると言って差し支えないだろう。
 それでもトモキは怖かった。信頼できなかった。人を信じるのが怖かった。優しく接してくれる彼と彼女が突然豹変するのでは無いかと恐れた。
 新しい釘をケースから取り出して板の隅に小さく打ち込んでいく。
 彼らを恐れると同時に、二人に迷惑を掛けるのがトモキは怖かった。今はこうして何事も無く過ごせているが、果たしていつまでこれが続くのか。いつまでも続く保証は無い。アルフォンスやシオの様に自分と関わる事で死んでしまうかもしれない。呪われた様に自身と自身の周囲の人間に振りかかる悲劇の列にセツ達が加わるのを想像してトモキは身を震わせ、その感情を抑えこむように強く金槌を釘に打ち付けた。

「……ふぅ」

 傷んだ屋根板の取替え作業を終えてトモキは額の汗を拭いた。空を見上げれば雲ひとつ無い快晴で、朝の寒気が何だったのかと思えるくらいに陽光は厳しい。
 釘や金槌を道具箱に仕舞い、トモキは立てかけてあった梯子を降りていく。折りたたみ式のそれを半分に畳み、足場の隙間から腕を通して肩に引っ掛け、左手に道具箱を掴んで家の裏手にある納屋へと向かった。
 取っ手に手を掛け横にずらす。だが開こうとするが立て付けの悪い古い扉はガタガタと音を立てて思い通りに動いてはくれない。

「……これも何とかしないとな」

 右腕に力を込めて無理やり戸を引き開ける。中には竈などで燃やすための大きめの薪が保存してあり、一部にはまだ薪割り前の短い丸太の状態の木材などが乱雑に置かれていた。それでも少し大きめに建てられた納屋にはスペースは十分にあり、適当な場所に梯子を立てかけ、道具箱を棚の上に置いていく。

「あー、そっか。そういえばもうほとんど残ってないんだっけ……」

 補修作業の次は薪割りを、とトモキは丸太を手にしようとしたが、納屋の中にはもう殆ど残っていなかった。あるのはすでに割られた薪が数本と、薪割前の丸太が一本だけ。さて、どうしようかと頭を掻きながら思案していると後ろから声が掛けられた。

「何をしとるんじゃ、こんな所で唸りおって」
「セツ」
「ああ、薪の残りがもう少なくなっておったか」

 トモキが見ていた先を脇から見て合点がいったセツもまたふむ、と顎に手を当て、耳元の白い髪をクルクルと指先で弄ぶ。

「ちょっと待っておれ」

 数瞬考えた後にセツは納屋から出て畑の方へと歩いて行く。トモキもやや遅れて追いかけると、セツは畑脇の道の上に立って眼を閉じていた。
 そして詠唱が始まった。

「地よ、風よ。その身に宿る力を妾に貸し与え、その身に刻んだ知を妾に分け与えよ。『聖霊は知を語るファントム・ウィスパー』」

 詠唱と同時に胸を抱えたセツの両手が光り、白い髪が舞い上がる。それは幻想的な光景で、トモキは思わず息を飲んでセツの後ろ姿に魅入られた。
 詠唱が終わると掌の上の光をセツは手放し、足元の地面に落ちる。瞬間、魔法陣が爆発的に地面の上で膨張し、円状に光の線が走り抜けていった。畑の盛り上がった土を越え、森の木を駆け上り、葉が風に揺られてガサガサと音を奏で、その上を巡る。それはトモキが呼吸を忘れた一瞬の事で、風はすぐに止み、逆立っていたセツの髪もまた重力に引かれて下へ伸びていく。

「ふぅ……どうした、呆けた顔をして?」
「いや……今のは魔術?」

 未だ呆然とした様子の抜けないトモキの質問に、セツは左様と頷いてみせた。

「この間伝えたであろう? 妾達吸血種は固有の魔術を以て情報を知り得ると。今は魔素を山全体に飛ばしての。山の持つ温度や湿度、空気の流れと雲の位置を探ってたんじゃ。これでこの後の天気が理解るんじゃよ」
「そんな事、本当に出来るんですか?」
「ぬ、疑っとるんか?」

 口を尖らせるセツに、トモキは少し眼を逸らして口籠った。

「いや、まあ、出来ないとは思いませんけど……」
「なら証明してみせようかの」

 そう言うとセツは一度家の中に戻り、土間に置いてあった背負うタイプの籠を引きずるようにして持ってきて、ズイとトモキに向かって差し出した。

「今晩から大雨になりそうじゃ。もしかしたらもう少し早いかもしれん。しかも数日続きそうじゃから今の薪の量じゃと足りんじゃろう。ちょっとひとっ走り森へ行って適当に木樵ってきてくれんかの?」
「……まあ別に構いませんけど。だけどどうやって切るんですか? ……まさかあの斧を使って樹の幹を切ってこいって事ですか?」

 不承不承ながら承知するトモキだが、納屋の壁に立てかけられていた斧を思い浮かべながら訝しむように尋ねた。
 納屋の斧は、普段トモキが薪割りに使っているものだが、その刃はかなり錆び付いていた。刀身のほぼ全域が錆で褐色に染まり、刃自体に欠けも見える。トモキが薪割りで使っている以上、木樵る事は出来なくは無いだろうが、太い丸太を一本切るのだって相当な手間になるだろう。

「何を言うとる。そんな物使わんでもお主の腰に立派なもんが挿さっとろうが」
「……もしかしてこの剣で木を斬れ、と?」
「他に何があるんじゃ? お主の股間の粗末なもんで樵ってこいと言うとるかと思うたか?」

 セツからのセクハラにトモキは閉口した。これ以上何か口を開くとダメージが大きくなるのは自分であると判断したトモキは死んだ魚の眼をして納屋へと向かった。

(粗末じゃない……はず)

「剣は木樵の為にあるんじゃないんですけどね。斬れ味は普通の剣より良いとは思いますけど」

 それでもトモキはせめてもの抵抗とばかりに文句を口にした。だがセツはすでに不思議そうにトモキの顔を見て首を傾げた。

「切れるんならなんでも一緒じゃ。それに――人を斬るよりかはマシじゃろう?」

 違いない。
 一縷の反撃の余地も無いセツの言葉に、トモキは今度こそ無言で籠を背負った。

「ああ、そうじゃ。序に森の中で食えそうな山菜とか木の実を見つけたら持って帰ってきて欲しいの。種類が分からんかったら手当たり次第でも構わんからの。どうせ妾が後で判別するでの。それと分かっとるじゃろうがあんまり森の奥には行くんじゃないじゃぞ? 魔獣やら魔族やらが跋扈しとるからの。あと、夕方までには帰ってくるんじゃぞ。さっきも言うたが早ければ夕方くらいから雨が降り始めるやもしれん。ついこの間も雨が振っておったから地盤が弱っているところもあるようじゃからの。寄り道をせんで早く帰ってくるんじゃぞ。いいの?」

 小学生ガキの遣いか。セツの声を、嘆息しながら聞きながらトモキは森の方へと踏み入って行った。





 森に分け入ったトモキの頬を風が掠めていく。葉擦れで森がざわめき、心地良い音を立てる。空を見上げれば、木陰から見えるそこには雲は無く、セツの予報は果たして本当だろうか、と疑う気持ちも出てくるが、そうしたところで意味は無く、またトモキも予測の正確性に余り興味はなかった。
 ただ、そういえば今日は何月何日なのだろう、と思った。異なる世界で暦が同じだとは限らないが似たようなものくらいはあるかもしれない。周囲を取り囲む新緑の葉を見ながら考える。葉の瑞々しさから恐らくは今は夏なのだろう。山の中故に朝はそれなりに冷え、また昼間でもこうして木の下で過ごしていれば十分に涼しいが畑仕事や薪割りなどを日光の下でしていると時折汗ばむ事もある。踏みしめている足元の土も少し湿っていて、空気も、日本の夏ほどでは無いが少し湿っぽい。だからこそ風が吹き抜けるとそれが清涼感を与えてくれているように感じる。

「ん?」

 ガサ、という風とは趣が違う葉擦れが直ぐ脇から聞こえ、トモキは振り向いた。もしかして魔獣か、と一瞬考えて剣の柄に手を掛けるが敵意や悪意といったものは感じられないため柄から手を離す。
 それと同時に草の陰から何かがピョン、と飛び出した。野うさぎだ。灰色の毛で覆われたうさぎは、口をモグモグと動かしながら、トモキからすれば何も無い土の上に鼻先を押し付けている。直ぐ側にトモキが居るというのにあまり警戒した様子が無い。その仕草にトモキは顔を綻ばせながらしゃがんだ。

「ここら辺にはあまり外敵が居ないのかな?」

 近くの葉に顔を擦り寄らせるうさぎはトモキに撫でられても気にせず葉に噛み付いた。或いは、トモキに害意が無い事を感じ取っているのか。首元を指先で擦ると黒目が細まって微かに身を捩った。
 やがてうさぎはもっと良い餌場を求めてか、トモキに背を向けてあっという間に走り去った。何となくトモキはうさぎに向かって手を振った。そしてトモキも歩き始める。今度、ここら辺で絵を描くのもいいかもしれない、と思いながら。
 しばらく辺りを見回しながら、薪にするに適した手頃な木を探していくが、調度良いものが中々見つからない。

「これは……ちょっと太いか」

 一本の幹を撫でながらぼやく。結局薪割りを行うのだから、極端に太い樹で無ければどれでも良いのだが、トモキが気にしているのは腰の剣で斬り裂けるかどうかだ。もっと言えば、樹を斬っても剣にダメージが及ばなさそうな樹であるかどうか。剣の斬れ味はこれまでの魔獣を斬った時の感触からかなり優れているのは分かっているが、硬い樹の幹に振り下ろした時は果たしてどうか。上手く斬らないと刃が折れてしまいかねない。そもそもの用途として樹を斬るのには向いていないのだ。最低でも刃毀れや刃折れだけは避けなければ、とトモキは慎重に選んでいく。

「まずはこれくらいから試してみるか」

 そう言ってトモキは、自身の二の腕ほどの太さの樹を軽く叩くと抜剣し、脇構えに構えた。肩の力を抜いてリラックスしつつも、腰を落として体勢を低くし、呼吸を整えながら集中を高めていく。

「ふっ!」

 一閃。鋭く振り抜かれた剣は、微かに抵抗を受けたものの呆気無く右から左へと通り抜けていった。
 一拍遅れて樹の幹に線が入る。細長い幹が少しずつずれ、やがて大きな音を立てて地面に向かって倒れていく。
 トモキは呆気に取られてその様を見ていた。まさかここまであっさりと、しかも一撃で切り倒せるとは予想していなかった。刃を見てみても、刃毀れは一つもなく、刀身が曲がった様子も無い。

「……マジで?」

 あまりの切れ味に顔を引き攣らせながらも、トモキは更に太い樹に当たりを付けた。今度は一気に太くなりトモキの胴回りくらいだ。先ほどと同じように腰溜めの姿勢から剣を振るうと、幹の太さなど関係ないかのように簡単に両断してしまった。

「これって……」

 もしかしなくてもとんでもない業物なのでは。マジマジと剣を見下ろしながらトモキは思った。
 剣は父であるケンジから、魔技高の入学祝いとして貰ったものだが出自は不明だ。

「知人から、お前が入学した時に渡すよう頼まれてたんだよ」

 かつてケンジに尋ねた時はそんな回答が戻ってきて、その時はそうなんだ、としか思っていなかったが、とんでもないものを譲り受けてしまったのでは無いかと今更ながらにトモキは恐縮した。そして、粗末な扱いをしてこなくて良かったと一人胸を撫で下ろした。雑に扱っていれば、もしプレゼントしてくれた人と会う時に合わせる顔が無い。

「だとしても異常な切れ味だよね……」

 当然ながら魔素技術が使われているのだろうが、それにしたって切れ過ぎだ。トモキはそっと幹の切断面に指を這わせてみるが、断面はとても滑らかで剣で斬ったとは到底思えない。

「誰なんだろ。こんなに凄い物をくれるなんて」

 ケンジの知り合いにも何度か顔を合わせた事はあるが、皆魔技とは関係のない普通の人達で、失礼だが羽振りよくこんなものをくれる程に裕福そうな人も居ない。またケンジに誰何したこともあったが、ケンジははぐらかすばかりで、決して名前を明らかにする事は無かった。それは母アカリに聞いても同じで、くれた人物を知っているようであったが、決して口にしない。普段はおしゃべりな母だが、口にしないと決めたことは絶対に守る性格なのでトモキもそれ以上追求はしなかった。

「元の世界に戻れたらもう一度聞いてみようかな」

 切り倒した木を手頃なサイズに切り分けながらトモキは呟いた。こうして、今は木を切っているがこの剣には何度も助けられた。これが無ければ、恐らくは最初の猪獅子に襲われた時点で命を落としてしまっていただろう。元々大事にしている愛剣だが、こうして振り返ってみるとますます愛着が湧いてくる。「こんな使い方して、ゴメンな」と刀身を撫でてみると、「気にするな」とでも言うかのように射光で煌めいた。

「……さて、こんなもんでいいかな?」

 大雑把に丸太を切り分け終え、数日は保つ程度に適当な量を背中の籠に放り込んでいく。残ったものは、また後日取りに来るため分かり易く付近で一番太い木の下に並べ置いておく。

「後は……山菜取りか」

 セツの依頼を思い出しながらトモキはグルリ、と周囲を見回した。正直なところ、トモキには山菜の種類も知らないし見分けもつかない。セツの家で食事をするようになって毎食何らかの山菜が出てはくるが、それがどんなもので名前が何だとかさっぱり不明だ。随分と無茶な要求をしてくれる、と溜息を吐き、だがどうせセツが分別するのだから、と思い直した。

「あんまり気にしないでいいみたいな事言ってたし、適当に食べれそうなのを採っていくか」

 そう独り言を呟きながら、手始めに、とばかりにトモキはすぐ脇にあるヨモギみたいな草を千切って籠の中に放り込む。同じ要領でこれは食べれそうだ、あれはダメっぽいな、などと言いながら少しずつ森の奥へとトモキは進んでいった。
 歩くにつれ、次第に藪が深くなっていく。足元も土から草が主に変化していき、空を覆う木の茂みも濃くなって段々と光が入りづらく暗くなっていく。それでもトモキは、途中から楽しくなってきた山菜拾いに夢中になって奥へ進んでいく。

「ちょっと奥に来すぎたかな?」

 トモキは足を止めて籠を下ろし、中を覗き込んだ。すでに籠の中は薪と野草の類いで三分の二程が埋まっている。

「もう十分だろうし、そろそろ戻るか」

 よっと、と声を出しながら籠を担ぎ直し、元来た道を引き返していく。と、何気なく空を見上げた時にトモキは「あっ」と声を上げた。
 右隣の木の遥か上、微かに陽が当たる程に高い場所に赤い実がなっていた。それも一つ二つでは無く、数えるのも面倒な程にたわわに生って枝がしなっている。

「確かあれは……ハジの実って言ってたっけ?」

 数日前の夕飯時に出た時の事をトモキは思い出した。食事を終え、食後のデザートとしてセツが一つだけ土間から持ってきた真っ赤な果物だった。形は木通あけびに似ているが、皮を向けば香り高く部屋中に甘い匂いが充満するほどだ。一口だけ貰ったが、口の中に入れた途端に濃厚な果汁が口いっぱいに広がり、舌の上を甘みが滑っていく。しかし決してしつこくなくサラリとした味わいだ。野性味が強く、表現に困るがまさに「自然な生育」をしたと思えた。
 いつもであればセツは二人で半分こに、もしくはトモキが多くなるように何でも分けてくる。だがこの実に関しては扱いがまるで違った。

「このハジの実に関してだけはお主にはやらんからな」

 真面目くさった顔で強い口調で告げてくるセツだったが、その視線は早く齧り付きたいと言わんばかりにチラチラと実の方に散っていて、持ち方も赤子を抱く様に優しそうだった。貰った一口も、本当に「一口」だけでそれもまるで鼠が齧ったかの様にホンの僅かだ。それ以上は頑なに許してくれない。
 トモキはからかうつもりで大口を開けて齧り付く素振りをした。どんな顔をしているか、と薄ら笑いを浮かべながらセツの様子を窺うと、セツは真っ赤に熱せられた火箸を握りしめてただでさえ赤い眼を更に赤く血走らせていた。般若もかくや、な憤怒の表情で白い肌も赤く染め、トモキの頭をかち割ってでも取り返す勢いだったため、トモキは顔を引き攣らせながら怖ず怖ずと実を差し出すしかなかった。

「……あれは怖かった」

 普段は優しいセツの、その時の表情を思い出してトモキは身を震わせた。それほどセツが大好きなハジの実だが、中々手に入らないのが非常に残念だと後でセツは教えてくれた。山の中に自生しているがその数は少なく、また木の高い場所に生るため採ることもできない。森の中に入った時に偶然地面に落ちているのを拾うしか無いのじゃ、と語るセツの表情は心底悔しそうであった。
 しかし今、トモキの目の前にそのハジの実がたくさん生っている。

「……まあ、セツにはお世話になっているし」

 せっかく直ぐ側に生っているのだ。採らない、という選択肢は無いだろう。ハジの実に齧り付きながら心底幸せそうなセツの表情を思い浮かべ、トモキは頬を緩ませる。そして背負っていた籠を下ろして、実の生っている位置と見比べながら籠の位置を調整していく。
 そうして今度は上を見ながらトモキは屈んだ。真上に跳躍すると、三メートルは上にあろうかという高さの枝に簡単に手を掛け、まるで曲芸師の様に軽やかに更に上へと登っていった。
 するすると、しかし慎重に。トモキは高くなるにつれて細くなる枝の強度を確かめながら上へ上へと進み、あっという間に七、八メートル程の高さまでやってきた。

「よっと」

 手頃な距離にある実に手を伸ばし、千切り取る。二個の内一個は制服の上着ポケットに何とか押し込み、もう一つは枝の上から遙か下にある籠を確認すると手を放した。赤い実は重力に引かれて落ちていき、やがて山菜で満たされた籠の中に柔らかい音を立てて収まった。

「よしっ!」

 小さくガッツポーズを取るトモキだが、今の位置から手の届く範囲にあるのは精々二、三個だ。トモキは腰から剣を引き抜き、刃先を使って身を傷つけない様に実の根本を切り下ろしていく。次々に実が落ちていき、籠や地面にぶつかる。もしかしたら実が傷ついているかもしれないが、少なくとも一個は綺麗なものは確保したのだ。それくらいは許してもらおう。
 あと一つ、あと一つ、と少しずつトモキは枝先の方へ移動していく。歩を進める度に枝が撓ってヒヤリとするのだが、それよりも実を採取したいという気持ちが勝った。たくさん持って帰ればセツもきっと喜ぶだろう。
 そう思って更に半歩、前に出たトモキだったが、不意に背後からミシ、と嫌な音が聞こえた。ゾッとして振り返れば、枝の根元の表皮が裂け、白い断面が見え隠れしていた。
 ヤバイ、と思った時はすでに遅し。慌てて戻ろうと焦って脚に力を込めてしまい、枝は根本から呆気無く折れ、トモキと共に落ちていってしまった。

「くっ!」

 トモキは体勢を崩して後頭部から落ちていった。落下時の浮遊感に弄ばれながら、しかし藻掻くようにして何とか体勢を整えて足の方から着地する。それでも十全の着地、とはいかず、右に傾いていたために衝撃を殺しきれず横に投げ出されるようにして転がっていく。
 だが、トモキが転んだ先は急な山肌になっていた。手前まで藪が濃く茂っているため直前まで気付かなかったがトモキが手を突いた先には足場は無く、もんどり打ちながらトモキは転げ落ちていく。

「……っ!!」

 そこは崖とも言える程に急な下り坂だ。転がり、視界が目まぐるしく空と地面とで切り替わる。時に滑り、時に転がりながら滑落していった。

「ぐっ……が、あ……!」

 両手両足を地面に押し付け、止まろうとあがく。しかし急な斜面で勢いのついた体は滑ることを止めない。
 そして視界の先で高速で近づいてくるのは、山肌から突き出した大岩だ。

「と、まれぇぇぇぇぇっっ!!」

 トモキは叫んだ。だが無情にも体はそのまま滑り続け、足先から岩に衝突した。
 トモキの体は大きく投げ出された。風に吹かれる木の葉の様に弄ばれ、背中から土の上に叩きつけられる。そのまま数メートル転がり、やがて坂が終わってトモキの体は止まった。
 大の字になって、気づけばトモキは空を見上げていた。放心し、呆然として口をポカンとしたまま何度も瞬きをした。

「……生きてる?」

 そんな問いが口をついて出てくるが、当然答えを返してくれる様な者など居ない。トモキも返事を期待したわけでは無く、今更ながらに痛みを主張してくる全身にムチを打ちながら蹌踉めき、立ち上がる。

「っつぅ……」

 体を起こし、両足に体重を掛けた時、鋭い痛みがトモキの右足を襲った。座り込み、ズボンに着いた汚れを軽く払うと裾をたくし上げ、足首を見る。すると踝の辺りが紫に変色し、見る間に腫れ上がっていく。

「捻挫ならいいけれど……」

 もしかしたら骨が折れているかもしれない、と痛みと不安にトモキは顔をしかめた。そして泥の着いた顔を拭い、辺りを見回すとポツリ、と呟いた。

「……何処だ、ここ……?」

 トモキは独り、山に残された。












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