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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved






 一晩中フェデリコの様子を監視し続けたトモキだったが、結局フェデリコは何の動きも起こす事は無かった。
 夜中、暗闇の中でジッと息を潜める野獣や魔獣が、道の近くまで寄ってきてトモキを捉えて離さなかったが、それらが結界内に入ろうとする度にバチリ、と電磁音に近い音を立てて前足を弾き飛ばしていた。そして彼らは入れないことを悟るとしばらく惜しむ様にトモキの周りをウロウロして、やがて去っていった。
 トモキは、魔獣達が近づいて来る度に緊張を強めていた。やはりフェデリコの話は嘘だったのでは無いか、自分だけは安全でトモキを何らかの理由で亡き者にしようとしているのではないか。

(――この人を、信じていいのか……)

 そんな考えばかりが過り、トモキは傍らの愛剣を離す事が出来なかった。
 こんな不安に怯えて過ごすくらいならば。何度も剣を鞘から引き抜き、寝ているフェデリコの首に剣を押し当てては我に返って元の場所に戻って座る。朝までそんな時間を過ごしたトモキは、肉体的にはともかく精神的にはかなり疲弊していた。
 それでもトモキは前を歩いているフェデリコには平静を装い、全てを偽り隠した。弱みを見せたくなかった。弱みを握られることを恐れた。握られた弱みによって、何かしらトモキが利用される事があってはならない。だから努めて疲労を押し隠し、黙って淡々とフェデリコの後ろを歩き続けた。

「見えたよ。あれが僕の村だ」

 声を掛けられ、トモキは顔を上げた。
 いつの間にか山道は消えて広い平野道に二人は出ていた。背の高かった木々は低木へと変わり、雑草や野草が生い茂る草原がそこにあった。
 爽やかな風が吹き抜ける。自然の薫りの中、トモキは空を見上げた。雲ひとつ無い青空が広がり、高くまで昇った太陽が燦々と陽光を地上に注いでいる。草木は光を反射して瑞々しい碧をトモキの瞳に投影してくる。
 鼻を微かに擽る薫りを吸い込み、遠くをトモキは見た。風に揺られて左右に首を振る草の向こうにうっすらと影を現した村。幾つもの家が手前から奥へと並び、村の周囲を木で出来た、大人の背丈よりも高い柵が取り囲んでいた。
 トモキとフェデリコが近づくと、村の入口に当たる門の前で槍を携えていた若者の姿が大きくなる。フェデリコが手を振り、すると向こうも掲げかけた槍を降ろして手を挙げて近づいてきた。

「なんだフェデリコさんか。お帰りなさい。今回は早かったんですね?」
「やあ、ジャスパー。見張り番ご苦労様。まあね、忙しいからってセツさんに早々に追い立てられちゃったんだよ。お陰でクタクタさ。早く家に帰って一息吐きたいね」
「そうでしたか。それで、そちらの方は?」

 ジャスパーとフェデリコが呼んだ門兵は、荷物を背負ったトモキを一瞥するとフェデリコに尋ねた。トモキはフェデリコの横に立つと、咄嗟に無害な笑顔を貼り付ける。それは、魔技高で生活する中で自らに襲いかかる被害を小さくするために無意識に身につけた悲しい習慣だった。だがそんな事を知らないフェデリコはその表情を見て一瞬顔を引き攣らせ、しかし気を取り直すとジャスパーに紹介した。

「ああ、彼は客だよ。トモキっていって、セツさんの所で暮らしてるんだ。今後彼も交易の為に村にやってくるから覚えておいてくれ」
「分かりました。それでは……」ジャスパーは槍を石鎚を地面に打ち付けて敬礼した。「ようこそシエナ村へ、トモキさん。何もない小さな村ですが、滞在中はごゆっくりお過ごしください」
「ありがとうございます」

 ジャスパーと握手を交わし、丁寧にトモキは礼を述べた。呆れ顔でフェデリコはその様子を見ていたが、ジャスパーに辞去の挨拶を述べると村の中心部へとトモキと共に向かう。

「意外と整ってるんですね。村って聞いてましたのでもっと田舎を想像してましたし、人ももっと少ないと思ってました」

 トモキは村の様子を眺めながら呟いた。
 門から真っ直ぐにメインストリートとも言える道が伸びていて、その両隣にはポツポツと野菜を売っていたり、日用品を売っていたりする店が点在していた。店同士の隙間から見える村の奥側には畑が広々とあって、農作業をする農民達の姿も見える。道端には、今は消灯しているが街灯があって、警察らしき制服に身を包んだ人物が剣を腰に携えて警らをしている。他にも傭兵だろうか、軽鎧と弓や剣で武装した幾人ともすれ違っていく。

「君はここを未開の地か何かと勘違いしてやいないかい? 幾ら辺鄙な場所だからってそれなりに発展してなきゃ生活はできないからね。それに、道中で話した通り傍の山には野獣や魔獣の類も居るから最低限の武装は必要なんだよ」

 トモキを連れ立ったフェデリコだが、道行く人とすれ違う度に彼らに声を掛けられ、挨拶を交わしながら歩いて行く。

「やあフェデリコ。今回は早いんだね」
「ああ、セツさんにさっさと帰れって追い返されちゃったよ」
「あら村長。いつもご苦労様」
「ヨハンナさん、こんにちは。お元気なのは結構ですけど、農作業で腰を痛めないでくださいよ」
「おう、村長。トリヴィーノから良い肉仕入れといたぜ」
「本当かい、ジョセフ! 後で寄らせてもらうから安く売ってくれよ!」

 誰もが気安い様子でフェデリコに話し掛け、フェデリコもまたそんな村人の態度を気にした様子も無く気軽に応じる。そこにフェデリコが村長だという威厳や畏敬の念は見られないが、代わりに身近な存在であり、村人全てにとって家族であるかのような、そんな優しさがあるような気がトモキはした。

「……ん? どうかしたかい?」
「いえ、何でもありませんよ」

 もし、こんな村で生まれていたら――そんな「if」がトモキの頭を過ったが、どうせ詮無き事だ、と考えを放り捨てた。過ぎた事を、まして自分ではどうにも出来ない出自を悩んでも仕方ないのだから。

「皆、耳が早いなぁ」

 フェデリコが何処か呆れを含んだ口調で溜息を吐いた。それを聞いてトモキは正面に眼を向けた。フェデリコの視線の先には他の家よりも少しだけ大きな家があり、そしてその家の前には十人程の村人達が集まってフェデリコの帰りを待っていた。
 住民達の暖かい出迎えを見て「参ったなぁ」と呟きを漏らすフェデリコだが、その声は呆れと言うよりもその実、照れくささと恥ずかしさ、そしてそれを遥かに上回る嬉しさが入り混じっていた。

「待ってたよ、フェデリコ! 今回の首尾はどうだったかい?」
「悪くない結果だったよ。ちょっと待ってくれ」

 フェデリコが我が家に近づくと一人の壮年の男性が進み出て、セツとの取引結果を尋ねてくる。それに応えながらフェデリコは背負っていた荷物を下ろし、中身を取り出そうとするが、集まった村人達の怪訝そうな視線がトモキに注がれているのに気づいた。トモキは村人達の視線に居心地の悪さを覚えるが、そこに見知らぬ人物への不審以上の感情は無い様に思えた。どうやら自分の顔はこの村までは伝わっていない様だ、と少し安堵を覚えていると、トモキの背がフェデリコに軽く叩かれる。

「皆気になってるようだから先に彼を紹介させてくれ。
 彼はトモキ。今後彼もセツさんとの取引に参加する事になったから顔を覚えておいてくれ」

 そうフェデリコが告げると幾分皆の視線が和らぐ。が、未だ誰何の視線は強く、得体の知れない部外者に不安を覚えているようであった。

「彼は最近になってセツさんの元へ住んでいる、云わば彼女の弟子だよ」

 だが村人達にフェデリコがそう告げた瞬間、全員のトモキに向けた視線が目に見えて柔らかくなった。何処か遠巻きだったトモキとの距離が近くなり、表情も怯えが混じっていたものが暖かいものに変わっていく。中にはトモキの傍に寄ってきて手を握り、「いつもありがとうねぇ……」と涙ぐみながら(トモキからすれば)見当違いな礼を述べてくる老婆も居た。

「なんだ、そうだったのかい。てっきり何処の馬の骨ともしれない行き倒れでも連れてきたのかと思ったよ。フェデリコはお人好しだからねぇ」
「ははは……」

 フェデリコはトモキの素性を知らない。まさにどこの馬の骨ともしれない人物なのだが正直にそれに応えるわけにはいかず、乾いた笑い声を上げてフェデリコは誤魔化した。
 その一方でトモキは恨みがましくフェデリコを睨みつけていた。
 トモキはこの場に長いするつもりなど毛頭なかった。セツに村との交易役を押し付けられたとはいえ、それは一時的なものだ。傷が完治し、このまま周辺地理の情報が集まったら出て行く身だ。それ故に村の人達と親密になる気は無く、また親しまれる気もない。ましてセツの弟子になったつもりなど欠片も無く、かと言って次々にセツに対する感謝を口にする年配の方に対して、面と向かって否定するのも躊躇われた。結果、トモキは村人達を騙すような事を言ったフェデリコを非難がましく睨みつけるしか無かったのだが、そんな視線を向けられたフェデリコはどこ吹く風と肩を竦めるだけだった。

「フェデリコ」
「小父さん」

 そんな中、村人達の間を割るようにして一人の男性がフェデリコの前に歩み出た。トモキが見る限り、男性はすでに老年に差し掛かろうという頃合だ。短く切り揃えられた髪にはかなり白髪が混ざり、顔に刻まれた皺は彼の人生の苦難を表している様だった。
 村人達の相手をしていたフェデリコはその男性の方へ向き直ると、どちらともなく手を差し出して握手し、軽く抱き合って互いの顔を見た。

「どうやら今回も無事に辿り着けた様だな」
「はい。でも心配しすぎですよ。父について行っていた頃からもう十年は経つんですから」
「何事も慣れた物事に落とし穴が待ち受けているものだ。ましてあの道はこの辺りで最も危険なのだからな。お前なら油断することは無いだろうから問題ないのだろうが、送り出す身としては毎回不安で堪らんよ。ましてお前の父が命を落としてからまだ数年しか経っておらんのだから」
「分かっています。あの道ではちょっとした油断が命取りになりますから。これからも十分に気を付けて行きますよ」
「そうか。ならば良い。もうこれ以上悲しい思いはしたくないからな」
「ええ。せっかく父から受け取った役割ですから。まだまだ精進が必要な身でもありますし、おいそれと他の人に譲る気はありませんよ」
「理解った。ならばこれ以上は改めて言うまい。
 それはそうと、山の様子はどうだったか? 何かセツ様は仰っていたか?」
「いえ、特には。特に魔物や魔族の動きに異常は把握されていない様です。ただ、ここ一ヶ月は雨が多くなりそうなので山裾や川へ近づく時は注意するようにと」
「ふむ……ではその旨を集会場の壁に張り出しておくか」

 そんなやり取りを交わすフェデリコと男性の様子を、一人困惑しながら村人の中に取り残されていたトモキは眺めていたが、不意に制服の裾を引っ張られた。その感触に足元を見遣れば、トモキの腰くらいの背丈の子供達が二人、真ん丸な眼をトモキに向けていた。

「ねーねーお兄ちゃん」
「……何かな?」

 全く似ていないはずなのにその姿がシオのそれに重なる。心臓を直接鷲掴みにされた様な錯覚を覚え、息苦しさに喘ぐ。しかしそれも一瞬の事で、苦しさは刹那に過ぎ去る。トモキは笑顔の被り物をしたまましゃがみ、子供達と目線を同じにして努めて穏やかに声を発した。

「お兄ちゃんってセツ様のお弟子様なんだよね?」
「そうだよ」

 認めたくはないけれど。内心だけでそう吐き捨てて頷いてみせる。

「セツ様ってどんな人?」
「どんな人、か……」

 トモキはセツの姿を思い浮かべた。印象としては、どこまでも白い人物。白い髪に白い着物を纏って、幼い容姿にも関わらず何処か老成し、何故か蠱惑的な眼を向けてくる時もある。非常にアンバランスな想像だが、見た目は置いておいて――

「得体の知れない人、かな……?」

 川に流されてやってきた見知らぬ男を何喰わぬ顔で自分の家に住まわせる。普通の神経では考えられないが、果たして彼女は何を考えているのか。そもそも彼女は何者なのか。一週間一緒に過ごしていても一向に分からない。

「……?」

 だがそんな回答をしたところで小さな子供達が理解できるはずもない。不思議そうな顔をしてトモキの顔を見上げる子供達。

「とっても素晴らしい方だよ」

 だがそんな子供達の疑問に、男性との会話を終えたフェデリコが応えた。

「素晴らしい人?」
「それってスゲーって事!?」
「ああ、そうだよ」フェデリコは男の子の頭を撫でてにこやかに笑う。「村の皆があの人の作ってくれた薬のお世話になったんだ。病気になった時や怪我をした時に飲むとすーぐよくなるんだよ。マルコとジェシカも飲んだこと無いかな?」
「飲んだことあるのー?」
「もしかして、あの苦いやつ?」

 マルコが顔を思い切り顰めてみせ、フェデリコは苦笑いをした。

「そ。あの苦いやつ。飲んだことあるだろう?」
「私、あの薬嫌い〜」
「僕もー!」
「だけど、その薬のお陰で二人共こうして元気に遊べてるんだからね。だからセツ様には感謝しようね?」
「分かったぁ! あ、けど僕達、セツ様に会えないから『ありがとうございました』って言えない……」
「そういう時はじゃな」

 眼に見えて落ち込んだマルコとジェシカの二人に、先ほどトモキに向かって涙を流して感謝を述べていた老婆が近寄ってきた。そして子供達二人の頭を皺だらけの手で撫でると、目元の皺を更に深くした。

「自分の心の中で『ありがとうございました』と唱えるんじゃ。そしてフェデリコか、そこのトモキ殿に感謝の気持ちを伝えるがええ。二人の気持ちはきっとセツ様にも伝わるじゃろう」
「え……」
「ホントー?」
「ああ、本当じゃとも。のう、トモキ殿?」

 自分を巻き込まないで欲しい、とトモキは貼り付けた笑顔を固めたまま思いつつも曖昧な返事をした。自分はセツの弟子でも何でもない。そう言えたらこの心苦しさから解放されてどれだけ楽か、とは思うが、子供達から向けられる純粋な眼差しを前にしてノー、とは言えない。どうせフェデリコもセツの所へやってくるんだから、と敢えて視線をフェデリコに向けてみるがわざとらしく肩を竦めるだけで、困ったような笑みを老婆に向けてもニコニコと穏やかな微笑みを返してくるばかりだ。

「……うん、伝えておくよ。マルコとジェシカ、だったかな?」
「そうだよ!」
「ちゃんと伝えてね! 絶対だよ!」

 仕方ない、と観念したトモキは極力マルコ達の顔を見ないようにして二人の髪を撫でた。

「儂等村人達もみーんな感謝しとると伝えておくれの。
 それはそうとフェデリコ。セツ様の様子はどうだったかの? 息災か?」
「ええ、元気も元気。僕を蹴り飛ばそうとしかねないくらいの勢いで元気でしたよ」
「それは重畳じゃ。村に医者は居れども結局は薬が重要じゃ。あの方の作る薬が無かったら儂等もこうして元気で生きては居らんじゃろうからの」

 朗らかに笑う老婆。確かに彼女の薬は良く効く、と効果をよく知るトモキも頷かざるを得ない。彼女の薬を讃え、誇らしげな老婆だったが「じゃが……」と不意に口を濁らせた。

「後、どれだけセツ様の薬を享受できるかのう……」
「何か、不安があるんですか?」

 老婆の不安そうな言葉にトモキはつい尋ねた。老婆は軽く首を振って少し寂しそうに笑った。

「セツ様ももう相当な高齢じゃろうと思うてな。儂ももう六十になるが、ジェシカと同じ年頃から彼女のお世話になっておる。当時のセツ様がお幾つじゃったかは知らんが、少なくとも儂よりか年上じゃろうて。そう考えると不安でのぅ……」

 老婆の言葉を聞き、トモキは眼を見開いてフェデリコの方を振り向いた。老婆の言う「セツ様」がトモキの知るセツと同じであれば、セツは相当な老齢のはずだ。しかしトモキを助けたセツはどう見ても幼子でしかなく、老婆の言うような高齢にはとても見えない。
 しかし、トモキが見たフェデリコは驚いた様子は無い。老婆の話を聞きながら相槌を打ち、平素と変わらぬ様子だ。老婆の他の村人達も同じ様に老婆の言葉に頷いていることからも老婆が呆けているというわけでもあるまい。

「フェデリコさん、セツは……」
「トモキ君」

 些かの混乱を覚えながらトモキはフェデリコからの答えを欲した。しかしフェデリコはトモキの言葉を遮ると、トモキに横顔を向けたままで言葉を発した。

「世の中、謎のままで居た方が良いこともあるんだ」

 その口調はひどくトモキの心を握りしめた。だから「トモキ殿、お頼みます」と期待の篭った言葉を老婆から告げられても、トモキはそれに応えることが出来なかった。



 トモキはゆっくりしていくよう求める村人達に頭を下げてセツの家へと急いだ。セツの弟子を粗雑に扱うことは出来ない、と言って引き留めようとする村人達だったが、トモキはそれを振り切った。

「セツ様のお手伝いをしないといけませんから」

 困った様な表情を作り、その中で笑みを浮かべてみせる。すると集まった村人達は残念そうにしながらも、フェデリコを急かすと薬の代金として支払う野菜や肉類を集めてトモキに渡した。それを受け取って背嚢へ押し込み、トモキは足早に村を出る。

「セツ様に宜しくお願いします!」

 口々にそう伝えてくる彼らに手を振り、逸る心を押し隠して歩いて山へと向かっていく。そして村から離れて見えなくなると、トモキは一気に速度を上げた。
 風を切って駆け、瞬く間に草原を抜けて山道へ入る。獣道に入ると、転倒を逃れるため走ることは止めたが、上り坂にも関わらず行きよりも遥かに速いペースで登っていく。
 怒りと不安がトモキの内を占めていた。やはりセツは自分に隠し事をしていた。老婆とフェデリコの態度からトモキはそう決めつけた。セツが何者なのか、重大なその事実を隠していた。無害さを装って、やはりトモキに対して何事か謀り事を胸に抱え込んでいたのだ。騙されていたという怒りがこみ上げ、しかし同時に不安が首を擡げる。
 何故、隠していたのか。それは知る必要がないからではないのか。フェデリコが言っていたように「謎のままで良いことだってある」のだ。それに「彼女の事を知ってどうなる?」と疑問が沸き起こる。
 どうせ、長居するつもりの無い相手だ。下手に藪を突いて蛇を出す必要もあるまい。セツにどんな秘密があろうと構わない。しばらく大人しくしていれば、何事も無かったかの様に平穏に彼女の元を辞する事ができるだろう。

(僕は……何を怖がっている?)

 彼女が、自分を害する事をか? 何かを隠し、油断したトモキを害そうとしているのか? 或いは何かに利用しようとしている?
 何か、とは何だ? 分からない。衰えたトモキでは利用できない事か。元気であることに意味があるのか。
 そういえば、とトモキは彼女の作業部屋にある巨大な機械を思い出した。ゴツゴツとして随分と家に不釣り合いな物だった。あの時は何か分からなかったが、フェデリコから話を聞いた今、あれもまたロストアーツなのでは無いかと考えた。薬を調合する作業場に在ったことから恐らくは、トモキや村人達に処方している薬を作り出す魔技機械だ。
 しかし、だ。トモキは眉根を寄せた。俯いて歩く視界の先の足元は、日がすっかり傾いた今ではほとんど見えなくなっている。
 よく効くのは村人の話から間違いない。自分も身を持って実感した。それで、その薬の材料は何だ? あの魔技製品を使う以上、普通の工程で使うような材料ではあるまい。何か、特殊な材料を使っているのだろう。ではその特別な材料とは?
 まさか、人間では無かろうか? もしくは生物の血や肉。生き物の体には多くの栄養が含まれているものだ。そして、魔素などもまた然り。健康で若い肉体ほど含まれる魔素は多く、薬の材料として優れているはずだ。その為に、セツはトモキの世話をし、栄養を与え、健康な体を取り戻させようとしているのだ。まるで、美味しい肉の為に豚を肥え太らせるかのように。

「……馬鹿馬鹿しい」

 妄想にも程がある。小さく首を振り、溜息と共にトモキは吐き捨てた。この世界よりも遥かに魔技が発展したトモキの世界に置いてさえ、当たり前だが人を材料とするような魔技機械など存在していない。それなのにこの世界で想像した様な機械があるはずなど無い。
 それに彼女がトモキを害そうと考えているのであれば、対処は容易い。彼女の元に戻らず、シエナ村で情報収集をしてそのまま居なくなってしまえばいいのだ。このまま再び坂道を下り、村の門を叩けばいいのだ。そうすれば彼女の不明さに怯えることの無い生活が望めるだろう。

「だっていうのに……」

 今、こうしてトモキはセツの家へと赴いている。律儀に村からの荷物を背に抱えて、だ。どうしてそうしているのか、トモキ自身分からない。

「恩だけは返さないと……」

 そう呟くが、果たしてそれだけか。義理堅くありたいからか、それとも何か気づいていない理由があるのか。結局、自分が何に突き動かされて行動しているのか、その根因に思い至る事は遂に無かった。
 やがて、視界の前を遮っていた木々が途絶え、窓から光が漏れる荒屋が見えた。トモキは無性に走りたくなり、否、家に帰りたくなって走り出した。
 見る間に大きくなるセツの家。トモキは入り口のドアの前に辿り着くと乱れた息を整える事もせずに引き戸を思い切り引き開けた。
 バンッ、と音を立てて扉が全開になった。土間に満たされていた裸電球と竈の光が一気に外に溢れ出し、眩しさにトモキは眼を細めた。

「ト、トモキか?」

 音に驚いたらしいセツは、どうやら土間で料理をしていたらしい。白い着物の上に割烹着を纏い、ミトンをはめた両手の中には小振りな土鍋が抱えられていて、その体勢のまま固まっていた。何とか、といった様子で言葉を捻り出すも、驚いているその姿は歳相応といった感じで、何故かトモキは安堵を覚えた。
 蓋に開けられた小さな穴からは細く湯気が立ち昇り、トモキの鼻腔を微かにくすぐる。そういえば村を出てから何も食べていなかった、とトモキは今更になって気付き、現金な胃は空腹を殊更に主張し始めた。

「……驚かすな。びっくりしたわい。別に家のドアを開けるのにノックしろとは言わぬから、せめてもう少し大人しく開けて欲しいのじゃ」
「すいません、そんなに力を込めたわけでは無かったのですが」

 驚かされた事に対して拗ねる様にセツは口を尖らせて文句を口にする。トモキは息を弾ませながらも謝罪を口にした。

「まあ良い。それにしても帰ってくるの早かったの。もしかしてフェデリコと逸れでもしたか?」
「いえ、きちんと村に言って食材も貰ってきましたよ」

 そう言いながらトモキは背嚢を下ろし、紐で縛っていた口を広げてセツに見せる。セツはその中を覗き込み、中身を取り出そうとして自分が鍋を抱えたままであったことを思い出し、鍋とトモキを見比べた。

「中身は後で検めるとしようかの。しかし、随分と急いだようじゃの。もし明日の分まで作ってなかったらトモキは飯抜きになるところじゃったわ。
 ともかく、ひとまずは夕飯とするかの。風呂でも入って汗と汚れを流してこい。お主が出る頃には鍋も煮詰まっていよう」

 セツは履いていたサンダルを脱ぎ、囲炉裏部屋へと入って行くと手にしていた鍋を自在鉤に引っ掛け、囲炉裏の中で燃えている火との距離を調整していく。そして入り口の前で立ったままのトモキに向かって「早うせんか」と急かし、急かされたトモキは難しい顔をしながら頭を掻き、土間の奥の浴室へと向かっていった。
 浴室に入る直前でトモキはセツの方を振り返った。割烹着姿で忙しなく皿に料理を盛り付けたり、釜で焚いた米をかき混ぜたりしている。その顔は一生懸命で、しかし何処か楽しそうとも嬉しそうとも取れる顔色をしていた。
 トモキはその様子をジッと見つめ、俯いて強く眼を閉じ、何かを振り切るようにして浴室の中に消えていった。



 パチパチと囲炉裏の中で薪が音を立てて燃える。炎は自在鉤に吊るされた鍋底に当たって鍋を包み込む様に回りこみ、中身を温める。木蓋の取り除かれた鍋からは暖かな湯気が昇り、炎は部屋全体を照らすと共に空気を温める。
 トモキとセツは囲炉裏を挟んで向かい合っていた。二人揃って汁茶碗を手に取り、静かに夕餉を突く。牛の乳を使った白いスープを啜り、山の夜で冷えた喉を、そして胃を優しく温めていく。

「……うむ」

 セツは自らが作ったスープの味わい、満足そうに頷いた。しつこくなく、それでいてコクがあり野菜と肉の旨味が濃厚に舌を滑っていく。

「どうじゃ? 中々の味じゃと自負しとるんじゃが」
「はい、凄く美味しいです」

 即座にトモキは答えた。だがそれは何処か予め決めていた返事を口にした様であり、実際、答えたトモキの視線は料理にもセツにも向いておらず、表情も固い。

「そうじゃろう、そうじゃろう」しかしセツは気にせず嬉しそうに頷いた。「これまでは腹の傷の事もあって負担の少ない物しか食わせてやれんかったが、もう大丈夫じゃろう。後は旨いもんをいっぱい食って体力を回復させるがよい」

 そう言いながら鍋の中に掛けてあったお玉を手にとってかき混ぜると、「ほれ、さっさと食え。お代わりが注げんでは無いか」とトモキを急かす。トモキはどうしようかと迷い、器をセツに差し出しかけるがすぐに手を引っ込めた。

「いえ、この一杯でまだ大丈夫です。いっぱい食べるにはまだ胃が本調子じゃないですから」
「む? そうか。それもそうじゃの。どうも気が急く。ゆっくりと食うのが良かろう」

 苦笑いを浮かべてセツは少し気恥ずかしそうに顔を背けた。そして鍋の中身を覗き込み、白い髪が鍋の中へと落ち込みそうになっているのに気づくと、懐から紐を取り出して長い髪を縛った。

「どうじゃったかの、村の様子は? 皆、息災じゃったかの?」

 トモキは器を抱えたまま数瞬、考える素振りをする。迷い、空いた手で脇の鞘を撫でた。

「ええ、皆さん元気そうでしたよ。どの方も皆セツへの感謝の言葉を述べてました」
「そうかそうか。であれば妾も作った甲斐があったというものじゃ。では次も頑張るとするかの」
「皆さんそれを望んでました。お婆さんも不安がっていましたし」

 トモキは喉を鳴らし――一歩を踏み込んだ。

「――子供の頃から飲んでいたセツの薬が無くなるのを」

 ピタリ、とセツの手が止まった。

「教えてください」一度出た言葉は止まらない。「セツは――セツは、何者なんですか?」

 畳み掛けるトモキに、セツは抱えたばかりの茶碗をじっと見つめて押し黙った。
 沈黙が流れる。トモキもまた押し黙り、じっとセツの返事を待つ。重苦しく薪が崩れる。
 どれだけの間を置いたか、やがてセツは大きく溜息を吐いた。フーっと長く吐息の音が響き、軽く瞑目して空を仰いだ。

「……聞いてどうする?」
「……分かりません。本当の事を知らずにどうするか、なんて決められません」
「知らずに居ることが幸せな事もあるのじゃぞ?」
「フェデリコさんも同じことを言ってました。ですけど――」

 トモキは脇に置いた鞘を握り締めた。

「騙されたままで居られる事を僕は我慢できません」

 そう言い切って、セツを睨みつけた。
 そうして再び静寂が立ち込める。薪が音を立てて弾け、一瞬だけ炎が大きく立ち昇る。炎が、生気の乏しい白いセツの頬を赤く染めた。

「全く……フェデリコの奴め。肝心なところで抜かりおって」溜息混じりにセツは吐き捨てた。「いや、注意を失念して居った妾の責任か」
「セツ」
「そう急くな」逸るトモキを諌める。「急がんでも妾は逃げぬわ」

 コトリ、と手に抱えていた器を床に置き、居住まいを正す。そして腕を組み、数回瞬きをしてトモキを見つめた。

「まず、お主に妾の事を黙っていた事を謝ろう。だが理解して欲しいのは、別にお主を謀ったりするために語らなかったのではないと言うことじゃ。だからその剣を握り締めた手の力を抜いてくれぬか?」

 言われてトモキははっとした。左手は堅く握られており、筋が浮き出ている。ギシギシと鞘が軋んで悲鳴を上げ、トモキは力を緩めかけた。だが首を横に振る。

「……それは出来ません。僕はセツが良く理解らない。何を考え、何を狙っているのか。それが分かるまでは気を緩める事は出来ない」
「ぬぅ、頑なじゃな。そんなに妾が信用できんか」
「出来ませんね。少なくとも今は」

 即答するトモキに、セツは肩を落とした。項垂れた頭を抱え、だがふっ、と短く息を吐くと気を取り直す。

「冷たい言葉じゃな。まあしかし、因果応報、自業自得という奴か。それに、お主も中々に難儀な性格をしとるようじゃが、妾がお主を誰かに売り払う・・・・というような心配は無用じゃ」
「それはどういう……」
「単純な話じゃよ。そうして得られる利益より不利益の方が大きいからの。
 のう? ――賞金首の久遠トモキよ」

 ――バレた。
 ほくそ笑むセツに向かってトモキは跳んだ。鞘から剣を引き抜く。鋼糸の如く鋭い一閃がトモキとセツに介する間を斬り裂いた。自在鉤に吊るされた鍋を剣の柄で殴り飛ばし、重い鍋が鞠の様に弾き飛ばされてセツの頬を微かに掠めていく。
 その直後、トモキは鋭い眼差しをセツに向け、切っ先をセツの顔目掛けて突き出した。
 何も考えられない。何も思わない。訳のわからぬ衝動に押されて、深く考える間も無くこの敵を殺せと叫ぶ小心に操られる。操られるがままに剣をセツの顔に突き立てる。
 だが剣がセツに届く刹那の前、トモキの眼前に亡きシオ幻影が立ち塞がった。
 眼を剥くトモキ。咄嗟に剣の軌道を変え、シオの左頬を僅かに斬り裂くに留まった。シオの姿が消えさり、ハラリ、と白い髪が宙に舞った。
 息が掛かる程に二人の顔が肉薄する。止められていた時間が動き出したかのように今更に鍋が床に転がって中身をぶちまける。何時間も走ったかの様な荒いトモキの息がセツの前髪を揺らし、セツは鷹揚とした態度を崩さないまま真っ直ぐにトモキを見上げた。

「……気の短い奴じゃな。今のは妾もヒヤリとしたぞ」
「貴女は――お前は、何者だ」

 先ほどと同じ問いかけをトモキは繰り返した。しかし持つ意味合いは変質した。最初よりもずっと重く、苦い味わいだ。苦虫を噛み潰したような渋い表情で、だが泣きそうな声でもう一度尋ねた。

「言ったじゃろう? 利益よりも不利益の方が大きい、と。妾もまたお主と同じく人に追われる立場なんじゃよ」

 寂しそうにセツは言った。一瞬だけ濃い憂いが赤い瞳に混じり、息を吐き出す。

「どういう意味、ですか?」
「それを話す前に剣を収めんか? 妾を殺そうとされたままじゃおちおち落ち着いて話も出来ぬ」

 言われてトモキは剣を引いた。逡巡し、ゆっくりとセツの動きに注視しながら剣をセツから離し、鞘に収める。それを確認すると、セツは後ろに転がった鍋の傍に膝を突き、零れた中身を片付けながら話を再開した。

「まず、じゃが……妾はお主の考えている通り見た目通りの年齢では無い。これが人に知れただけでも人は離れ、恐怖を覚えるであろうな」
「実際は、何歳なんですか?」
「数えてはおらんが、そうさのう……もう六十年にはなろうかの」
「六十……!」

 話し方などから薄々察してはいたが、想像以上の高齢にトモキは面食らって言葉を失った。セツはその様子に苦笑を浮かべつつ、「そう驚くことでは無い」と述べた。

「どういうことですか……?」
「人間ならすでに老齢であろうが、妾の様な種族では六十ではまだこの通り幼子よ」
「その言い方だと人じゃ無いように聞こえるんですが……」

 かと言って、獣人の様にも見えない。耳が毛に覆われているわけでもなく、羽が生えているわけでもない。獣人なら人の姿に化けれる者も多いが、人を嫌う獣人は人に化ける事も嫌う。そもそも、獣人が人に化けたとしてもその時の容姿は年齢相応にしかならない。理解が及ばず、トモキは惑った。

「左様。妾は人では無い」

 セツは首肯した。

「なら……獣人ですか? ですが獣人は……」
「そうよ。人が獣人を憎むのと同じく獣人もまた人を憎む。故に獣人が人の姿に化ける事も無い」
「そうです。しかしセツは――」
「人にしか見えぬ、か。しかも齢六十には到底見えぬ、といったところか」

 今度はトモキが頷いてみせた。

「それも道理であり、しかし過ちでもある。確かに妾は人では無い。だが獣人でも無い。無論鳥人でも無いぞ」

 それでは、如何な種族か。その問いをトモキが口にする前にセツが答えようと赤みの乏しい唇が動く。だが一度止まり、迷う心中を表現するかのように音も奏でず眼を伏せた。それでも平静を貼り付け、彼女は言った。

「妾は吸血種。すでに絶えて久しい『怪人』の一種じゃ」












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