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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved







――同日、放課後
――稜明高校内教室棟三階廊下



「うーむ……」

 部活名が書かれた手元のメモを見ながら、俺は唸っていた。
 一応ここまで一通りリストにある部を見学させて貰ったわけなんだが、どれもどうにもしっくり来ない。
 文学部は……そもそも本を読むのが好きじゃないから却下。別に嫌いじゃないんだけどな。
 天文部も、別に星に興味はない。物理部や化学部は、名前だけ聞いて少し期待しながら部室に行ったんだが……
 部室には誰も居らず、どうやら名ばかりでまともに活動してはないらしかった。
 吹奏楽部はまず無理だ。楽器を買う金を捻出するのは現在の我が家の経営状況を分析するに、難しいし、どうしても入りたいというほどのやる気もない。
 他の部も覗いてはみたが女子ばっかりだとか、居心地悪そうだったりだとかで食指が進まない。

「なんだかなぁ……」

 というわけで、今こうして頭を悩ませて居るわけなんだが。
 どれも俺の中ではイマイチな印象で決めきれない。どうせ幽霊部員になることは確実なんだから、どこでもいいじゃないか、と思わないでもないんだが、どうせなら居心地の良い所に所属したいと考えてしまう。

「……」

 ふと窓から校庭を見下ろせば、まず目に付くのが野球部。グラウンドいっぱいに広がって懸命に練習している。それなりに距離が離れてはいるのだが、気合の入った掛け声がここまで届いて来る。深音が言うには、野球部、サッカー部など、いわゆる「メジャー」な球技はみんな特待生で構成されてるらしい。みんな将来的にはプロ選手子供の頃の夢を目指しているだから地方大会、全国大会への出場は最低限の目標で、だからこそ結果を残すために、夢を叶える為に必死になっているんだとか。
 他にもグラウンドの隅で色んな運動部が活動しているが、そっちはどう見ても遊びに近い。それなりに練習はしているが、本気度がまるで違っているのがここからでも分かる。だが気分転換に体を動かすには良いんだろう。ウチのクラスの連中の顔も見えたが、授業中とは打って変わってその顔は随分と楽しそうだ。
 俺自身もグダグダと頭を使うよりは体を思いっきり動かす方が性に合ってる。俺もそっちに混じりたいが――。

「……痛っ!」

 左腕を上げていくと、瞬間的に腕を貫かれた様な痛みが走った。脱力した後も腕全体に疼痛の様なものが残って痛怠い。思わず肩を抑え、何とも言えない寂寥感に襲われた。

「淳平にはワリィけど……」

 まだ、ハンデを受け入れる気分にはなれねぇな。そう呟いて俺は足元に落ちたメモを拾い上げた。

「さて、と……」

 いつまでも悩んでいても仕方ねぇ。まあ決めるまで一週間あるんだし、とりあえず今日はメモの部活を全部見て回って、家で落ち着いてゆっくり考えてみるとしよう。

「で、後残りは……コンピュータ研だけか」

 コンピュータ研の上に「漫研・アニ研」の文字が見えるがそこは意図的に無視だ。放課後まで深音に弄くられるなんざゾッとしねぇ。
 さっさと見学してしまおうとコンピュータ室に向かって歩きながら何気なくメモを眺めていたんだが、ふと俺はその更に下に手書きで「生徒会」と書かれているのに気づいた。

(生徒会って……部活動扱いなのか?)

 俺の中の常識では全然別モンなんだが。それとも誰かが凛ちゃんのメモにいたずら書きでもしたのか?
 まあ、いいか。

「どうせ生徒会なんて面倒な役割はゴメンだからな」

 それこそ組織の運営だとかそういうのに興味がある奴がやればいい。生徒会なんざ所属しちまえば、それこそ幽霊部員なんざ許されないだろうしな。遊びじゃあるまいし、そんな適当な事は許されまい。であればハナっから俺は除外されるべき人間だ。例え俺が入りたいと思ったとしても向こうからお断りをありがたく頂戴するだろう。

「……っと、ここか」

 ンな考え事してて危うく通り過ぎかけた。ドアの上に「PC室」と書かれたプレートを見つけ、その下に「コンピ研部室!」と何とも達筆な筆文字で書かれたプレートが下がっていた。

「……」

 少々顔が引きつるのを自覚しながらマジマジと見てみれば、おまけにその下には鉛筆でノートの切れ端に書かれた様な感じで「生・徒・会・室!」とも書かれている。俺は頭を掻いた。どっちだよ。

「……まあ、いいか」

 入る気は無いが、自分の学校の生徒会がどんな面子で構成されているのか確認しておくのも悪くは無かろう。ただでさえ変な時期に入学して目立ってるからな、俺は。挨拶くらいはしておくか。

「すいませ〜ん、見学……」

 ギロッ!!

「け、けんが、く、したいんですけど……」

 ドアを開けて入った早々にガン付けられた。俺が何をした。
 気圧されながらも一応俺の意思は伝えたはずなんだが、部屋に居た四人とも誰一人として俺に関心を示すことはなかった。
 窓には遮光性が最大のカーテンが引かれて、良く見てみれば入り口のドアのところにも黒いカーテンが引かれてあった。おかげで部屋の中は昼間だというのに真っ暗だ。そのせいで中央に置かれたモニターからは煌々と明かりが煌めいていて、不気味な程に部員らしい連中の眼鏡を薄暗く照らしていた。

「ぐふっぐふっぐふっ……」
「クク、ククククク……」
「うふ、ウフフフフフ……」

 訂正だ。不気味なのは部屋がどうこうじゃなくてこいつらのせいだ。よくよく確認すると全員ヘッドホンを付けていて、どうやら集中してパソコンで何かをしているらしい。部屋に入ってきた俺に気づいていないのか、モニターとキーボードから一切離れようとしない。

「あ、あの……」
「ぶぅらららぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっしょぉぉぉいっっっっっ!!!」
「ひぃぃぃっ!?」

 ガターン!と音を立てて椅子を蹴倒したかと思うと、突然一人が奇声を上げて頭を抱えた。

「どぉぉぉしてだぁ! どぉしてあのタイミングでブレスを打ってくるんだぁ!!??」
「だからぁ、言ったじゃないですか。あのドラゴンの行動は乱数テーブルで決まってるんですって」
「いやそんなはずはない! 僕の、僕の研究成果だとあそこは『凍りつく波動』以外には無かったはずなんだぁっ!」
「あ、あの〜……」
「いや、実際に部長の成果外してるじゃん」
「そーそー、この前も『研究は完璧だ! 僕に付いて来い!』って堂々と言っときながら森で『ワイルドマンキー』の巣に突っ込んで全滅したし。せっかく新しい武器買おうと思って溜めてたお金、返してほしいな〜」
「あ、あの……」
「のぉぉぉおおおおおっ! ノンたぁぁぁん! 皆が僕を苛めるぅぅ! 慰めてぇぇ!」
「あー、はいはい。よしよし。みんな冷たいですね〜」
「希美は部長を甘やかし過ぎ」

 ザ・ガン無視である。さっきから訳の分からん単語ばっかり出てきてるんだが、ドラゴンだとか何だとか言ってるし、ゲームでもやってんのか?

「ああ……責められるのもいいけど甘やかされるのも悪くない……ぬ? 何だね、君は?」

 ようやく俺に気づいたらしい部長が眼鏡の位置をクイッと直しながら尋ねてきた。その質問はまさに俺がしたいところなんだが。
 だがようやく本題に入れる。咳払いを一つ。改めて口を開く――

「おっと、ゴメンよ。何処から情報を仕入れたかは知らないけどうちの『クラン』は少数精鋭の方針を取っていてね。もうすでにパーティメンバーの席は埋まってるんだ。だから他をあたってくれ」

 口を開く前に、ブヨブヨとした体に似合わない、所謂「いい声」で部長(?)にそう言われた。

(これは、断られたって事でいいのだろうか……?)

 まだ何も言ってないんだがな。別に入る気もあまり無かったから別に構いはしないんだが、何かムカつく。
 しかし断られた以上、これ以上ここに居ても仕方あるまい。今日は帰るか、と踵を返したところでこのコンピ研の部長が別の方向を指さした。

「ああ、それともう一つ。ついでに教えとくと、そこが生徒会室だから」指し示してきた方向を見ると、教室の黒板に向かって右端に、一枚のドアがあった。「用なんて無いと思うけど、もし出入りする時はこの部屋を通らないといけないから、可及的速やかに可能な限り物音を立てずにドアを開けてくれ。集中を乱されたくないからね。
 よーしっ! それじゃもう一回クエに挑戦するぞーっ!」 「おーっ!!」

 何をやるのかは知らんが鬨の声を上げて元気なことだ。深音じゃないが、ダラダラと怠そうに時間を消費するよりかはやる気に満ち溢れている分、遥かに健康的だろう。部屋の状況に眼をつむれば、だが。

「さて……」

 せっかく教えて貰ったことだし、生徒会にも顔を出して帰るとするか。ドアの前に立って腕時計を見るとすでに五時前。バイトに行くなら十分十五分くらいが限界だが、流石に生徒会で十分も時間を消費することはあるまい。

「おおかた……」

 眼鏡を掛けて視線の鋭い会長だったり無口で寡黙な書記の女の子が居たりするんだろうか。そんなステレオタイプな想像を巡らせつつ俺はドアを開けた。
 ドアを開けた途端、眩しい夕陽が白刃となって俺の眼を焼いた。
 一瞬目が眩んで目の前が真っ白になっていく。その中を、眼を細めながら中に入っていった。
 途端。

「すみませーん、見学しに……」
「ぬああああああああああぁぁぁぁっ!!」
「な、なんだ!?」

 唐突な雄叫びにギョッとして中を覗き込む。
 広さは予想外に狭くて六畳くらいだろうか。壁際には所狭しとぎっしりと段ボール箱が置かれていて、他にもホワイトボードやら何やらよく分からんもんが置かれたりしてて随分と乱雑な印象だ。窓も一箇所しか無くて、まるで倉庫みたいだな。
 で、先ほどの奇声の主はというとだ。

「何故だっ! 何故計算が合わんっ!!」

 などとわけの分からない供述をしながら頭を掻きむしっている状況です。

(もう帰ろうかな……)
「くそぅ、もう一回、もう一回だっ!!」

 そう言うと窓に向かって椅子に座っていた女子生徒は紙にガリガリと書き始めた。
 だが――

「あっ!」

 窓から急に風が吹き込み、机の上にあった書類が一斉に舞い上がった。椅子に座った彼女は慌てて手を伸ばす。が、あっという間に彼女の頭の上を越えていった。
 背もたれを支点にして仰け反る彼女。そこで俺と初めて目が合った。

「あ――」
「――あ」

 声が重なった。
 吹き込んだ風に彼女の長い黒髪が大きく靡いた。少し釣り上がった彼女の大きな眼がひどく印象的だった。

「お? おおおおぉぉぉっ!?」

 仰け反り過ぎたせいで椅子のバランスが崩れた。彼女は手を必死に振り回してバランスを取ろうとしたんだが、まあ重力には勝てないよな。
 ガッシャーン!という盛大な音を立てて椅子ごと背中から床に倒れた。舞った書類がヒラリ、と彼女の顔に乗っかった。

「あいたたたたた……」
「だ、大丈夫ですか……?」
「あ、ああ。問題ない……」

 頭を軽く振りながら俺が差し出した手を取って立ち上がると、スカートに付いた埃を払って、コホン、と軽く咳払いをした。その顔は少し恥ずかしそうに赤くなっていた。

「失礼。恥ずかしいところをお見せした」
「はあ……」

 立ち上がった彼女の姿を改めて見た。
 身長は俺の口あたりまであるから女子にしてはやや高いくらいだろうか。他の女子生徒に比べて顔に化粧っ気は無いが、少し釣り上がり気味の大きな眼と長い眉毛は意志が強そうだ。大き過ぎず小さ過ぎない口と鼻といい、俺自身はとても人の容姿を評価していい立場では無いが、十分過ぎるほどに美人と言っていい。
 とそこまでつい観察してみて気づいた。

(ってこの人昼間の――!)

 窓から飛び降りた女子じゃねぇか!
 スカートから覗く黒いタイツの包まれた脚は細く長いんだが、この足の一体何処にあれだけの脚力があるのか。実に謎だ。そしてぱっと見いいとこのお嬢様っぽい雰囲気も醸しているんだが、何処に何のためらいも無く三階から飛び降りる程のバイタリティがあるのか、それも実に謎だ。
 だがそれ以上に謎なのが――

(――でかいな)

 彼女の胸だ。自信あり気に張られた胸は、彼女が何か仕草をする度に大きく揺れて俺の眼を捕らえて離さない。別に俺は女性の胸に特別な興味を示す性癖があるわけでは無いが、そんな俺でもつい不躾な視線を送ってしまうほどだ。ブラウスはボタンがはち切れそうなほどに膨れ、胸元のネクタイが浮き上がるくらいに主張している。アメリカでも胸の大きい女性は眼にしてはいたが、一体何をどうすればここまで大きくなるのだろうか、実に――謎だ。

「? どうした? 私の胸に何か付いているか?」
「い、いえ……」

 いかん、見ているこっちが恥ずかしくなってくる。思わず俺の顔も赤くなってしまって、彼女からつい顔を背けてしまう。

「と、ところで、ここが生徒会室でいいんですよね?」
「む? ああ、そういえば自己紹介がまだだったな」

 そう言うと彼女は机に向き直って散らばったプリント類を掻き分けると腕章を取り出して自分の腕に幾つも・・・はめていった。

「私が稜明高校生徒会の会長兼副会長兼書記兼会計の河合かわい陽芽ひめだ」
(――!?)

 会長兼副会長兼書記兼会計……?

「……えっと、確認なんですが」
「何だ? なんでも聞いてくれたまえ」
「会長は……」
「私だ」
「副会長は……」
「私だ」
「書記……」
「それも私だ」
「会…計……」
「もちろん私だ」
「つまり……?」
「うむ。君の考えている通り、生徒会は現在私一人で成り立っている」

 ぷるん、と胸が揺れた。いや、そんなに堂々と言われても。

「……それで成り立ってるんですか?」
「ふむ……成り立っていると言えなくもないな。というのもまだ生徒会自体が発足して間もなくてね。生徒たちの不満の解消などに役立てないかと思って四月に私が立ち上げたんだが、どうにもまだ誰も何も言ってこないのだよ。
 私自身一年この学校で過ごしてきて物申したいことが山ほどあって、しかし誰に申し上げればよいものか分からなくてな。その橋渡しみたいな事を出来たらいいと思って作ってみたのだよ。
 しかし同じように他の生徒たちにも色々と言いたいことあるように思えたのだが、一体どうしてなのだろうな?」
「俺に聞かれても……」

 それじゃ今は何をしてるんだ?

「私としても伊達や酔狂で立ち上げたわけではないからな。何か役に立てる事は無いかと先生方に相談したところ、生徒に関わる仕事なら、ということでこうして部活の予算の配分やチェックを任せてもらっている」
「へー……」

 だがいいんだろうか?

「ん? 何がだ?」
「さっきから踏んでますよ」
「ぬおっ!?」

 仁王立ちの先輩の上履きの下でクシャクシャになってますが。

「す、すまないが集めるのを手伝ってくれないだろうか!?」
「まあ、いいっスけど」

 やれやれ、何とも不安な会長さんだ。
 しかしこの学校は今まで生徒会というものが無かったのか。てっきりどこの高校どころか中学校にでもあるもんだと思っていたのだが。
 そう思ったが、学校の空気を考えてみればそんなもんか、という気もしないでもない。
 やる気は無く、やる事といえば勉強くらい。後は息抜きレベルでの部活動。まあ、とても生徒会を必要とするほど活気があるとは思えないな。

「ところで、君は初めて見る顔だが、もしかして武内・直クンで合ってるかな?」
「え? あ、はい。……どうして俺の名前を?」

 まだ自己紹介もしてないはずだが。

「ふふふ。あまり私を侮らないでほしいな。これでも私は会長だぞ? 生徒の顔と名前くらい全員分覚えているに決まっているだろう」
「……」

 何か今、サラッと凄いことを言った気がするんだが。

「……本当に全員分覚えてるんスか? 一年生から三年生まで全員?」
「当たり前だろう? 生徒会会長だぞ? トップに立とうという人間がたった数百人程度の生徒を覚えられなくては話にならんだろう」
「いやいや! 普通全員なんて無理ですって!」
「本気になれば大抵の無理は引っ込むものだ。それに私とてそれなりに努力はしたのだぞ? 最近は何と言ったかな? 個人情報の取扱に関する規制が厳しくてな、私一人では生徒の個人情報には触れる許可が得られなかったから小野塚先生のアカウントのメモをこっそり拝借して夜中にこっそり忍び込んで学校のデータベースにアクセスしたりだとか、顔写真と名前のリストをプリントアウトしたりしたんだ。うん、校務員さんの眼を盗んでのスニーキングミッションという奴は中々スリリングな体験だったな」
「堂々と犯罪を暴露しないで下さい」
「しかし夜な夜な寝る間を削ってデータを全て頭の中に叩き込む作業が一番きつかったな。何せ覚える作業をひたすら夢の中でも繰り返していたからな。必要な事とはいえ、数学教師の授業眠り魔法に耐えるのと同じくらい入学してから最大の苦行だったかもしれん。
 ああ、もちろん生徒の住所も全て覚えているから、もし君が異性に告白したくなった時は遠慮なく頼ってくれていいぞ。その子の自宅前までナビゲートしてやろう」
「いえ、結構です」

 何だこの人。
 昼飯の為に二階から飛び降りたり生徒の名簿全部記憶したりだとか絶対おかしいぞ。いくら生徒会長(自称)とはいえやることが突拍子も無さ過ぎる。

(これは早々に退散した方がいいかもしれん……)

 この人に付き合っていたらどんな犯罪に付き合わされるか分かったもんじゃない。さっさとプリント拾い集めて撤収するに限る。

「――ん?」

 そう思って先輩と紙束を集めていた俺だが、ふと筆算が所狭しと書かれていた紙を見て気づいた。

「先輩、この計算、間違ってますよ」
「ん? どこがだ?」
「ここです、ここ。経費の所は消費税が内税のものと外税のものが混ざってるんで……ああ、これ最初にリスト作った人も気づいてないな。全部外税で計算しちまってる。だから、えーっと……サッカー部の収入は月々の部費に保護者会の分を足して、んで経費は備品購入と遠征費用と……先月分で六万千二百二十九円だから三千とんで十九円の赤字ですね」

 これでも計算には自信があるからな。もう一度パッと眺めて検算してみたが、まあ間違いないだろう。
 と、答えてしまって俺は気づいた。

「あ……」

 世の中、まずいと思った時には大抵はすでに手遅れになるもんだ。
 この場合も例に漏れず、紙から顔を上げたら、目の前で先輩が眼をキラキラさせながら俺を見つめていた。

「あ、じゃあ俺は忙しいのでこれで……」
「まあ待ちたまえ」

 そそくさと退散しようとしたが、俺の腕を先輩はがっちりとホールドすると俺の体を持ち上げた。

「おおおおぉぉっ!?」

 低い天井スレスレを頭が通過して俺を椅子に座らせ、瞬く間に机の上の紙束を片付け始めた。

「実はだね」

 三角錐の役職表示札を机に叩きつけ――

「こう見えても私は計算が苦手でね」

 三角柱の名前表示札に達筆で俺の名前を書き――

「君の様な人物を待ち望んでいたのだよ」

 驚くべき速度で腕章を腕に巻きつけた――。

「おめでとう! 君を我が生徒会の副会長兼会計に任命する!」
「はああぁっっ!?」

 何言ってくれてんの、この人!?

「いやいやいや! 無理ですって! 俺は今日編入してきたばかりなんですよ!?」
「大丈夫だよ。会計業務は数字の計算だけしてくれればいいし、副会長の仕事に関しては私の補佐をやりながら少しずつ慣れていけば問題ないさ」
「そういう問題じゃないですよっ! だいたい俺はまだ生徒会に入るとは一言も……!」
「直は」

 異を唱えかけた俺だが、先輩は言葉を遮って俺の名前を呼ぶと同時に顔を見上げてきた。

「生徒会に入るのは嫌なのか……?」
「うっ……」

 拗ねた様に口を尖らせながらも何処か泣きそうな表情で俺の眼を覗きこむ先輩。勝ち気そうな瞳が潤んでその中に言葉に詰まった俺の顔が映った。

「そういう訳じゃ……」
「じゃあどういう訳なんだ……!」

 じわっ、と先輩の瞳に涙が滲み始める。
 うう、気まずい……。女の人の涙には弱いんだよなぁ……。

「せっかく後輩が出来ると思ったのにな……」
「……」

 残念そうに呟く先輩。潤んだ眼を見てると、こう、罪悪感がものすごくこみ上げてくる。なまじ美人なだけに尚更だ。
 断りたい。けど断れない。確かに先輩一人だけっていうのは寂しいだろうし、生徒の役に立ちたいっていうのは本当のような気がする。その心意気は尊重するべきだし、手伝ってあげたいとも思うしな……

「……」

 先輩は尚も黙って俺を見つめてくる。
 うう……

「……な、なら、仮入部で……」
「本当かっ!?」

 結局俺が折れた。
 途端に先輩は一気に破顔して、俺の手を握ってブンブンと上下に振って喜びを露わにする。そしてイタズラっぽい笑みを浮かべると、急にご機嫌に鼻歌を歌いながら入部届けに光の如き速さで俺の名前を書き終えた。
 まさか……

「もしかして今の……演技ですか?」
「ふっふっふ! もう言質はとったからな! もう今更取り消しは出来んぞ!」
「ズルいっすよ! ウソ泣きまでして人を騙して恥ずかしくないンすかっ!?」
「何を言う。女の涙というのはそれだけで武器だからな。目的を達成するのに有効だと分かっているものを使わずしてどうする? せっかくの有望な生徒なのだからな。私は全力を尽くしたまでのことだ。恥じることなど一片も無いっ!!」

 くそっ、堂々と言い切りやがった。なんてだ!
 俺の名前が書かれた入部届を見せびらかし、俺は頭を抱えた。

「確かに泣いてみせたのは演技だが……」

 彼女の声に右手で頭を抱えたまま、俺は顔を上げて先輩を見た。

「直が入ってくれて嬉しいというのは演技じゃなくて本当なんだからなっ」

 そこにあったのは先輩の満面の笑顔だった。
 まさに「花が咲いたような」という表現がピッタリとハマるような一点の曇りもない微笑み。思わずその顔に俺は見とれ、自分の顔が熱くなるのを感じながら髪を掻き毟った。

「あー、もうっ……」

 そんな風に笑われちゃ何も言えないじゃないか。赤くなった顔を先輩に見られないよう手で覆いながら、俺は自分の敗北を悟った。

「時にだ、副会長。さっそくなんだが」
「あー……、なんスか?」
「生徒達の不満だとか困っている事を広く集めたいんだが、何か良い方法はないだろうか?」
「急に言われても俺も困るんスけど……目安箱でも置いといたらいいんじゃないスか?」

 実際に不満があるかは知らねーけど、本気で困ってんなら投稿場所さえ設けときゃ勝手に集まってくんだろ。
 そんな感じで適当に答えただけだったんだが、先輩の方は感心したように声を上げた。

「なるほど、目安箱か……かの吉宗公が民の意見を聞くために設置したというものだな。温故知新というわけか。うむ、歴史から古き教えを学ぶというのは良い考えだ」

 いや、そんなに大層なもんじゃないんだが。そんな内心を知る由もなく、先輩はうんうんと何度も頷いていた。

「分かった。では……」
「陽芽!」

 話してる途中で突然バァン!と勢い良くドアが開いて、バスケウェアを着た女子生徒が入ってきた。

「梨花か。どうした?」
「練習試合をしたいんだけどメンバーが足りなくって! 入ってくんない!?」
「承知した! すぐに行く!」

 先輩は嬉しそうに大きな声で返事をすると、出て行った生徒の後を追いかける様にして部屋を飛び出していく。

「あ、ちょっと! 先輩!」
「目安箱は私の方で作っておくからもう帰っていい! ああ、君の入部届は私の方で先生に出しておくから! それではまた明日な!」

 一方的にまくし立てると先輩は廊下だっていうのに砂埃が見えそうな勢いで走り去っていった。慌てて俺も追いかけて部屋から顔を出してみるが、すでに先輩の姿は無くて呆然と見送るだけだった。

「……はぁ……」

 誰も居ない廊下を眺めて俺は肩を落とした。
 参ったな。先輩は期待してくれてるみたいだが、少なくとも先輩ほど本気で活動に取り組む気は無いんだが……
 まあ、いいか。ちゃんと仮入部って言ってあるし、事情を話せば先輩も分かってくれるだろう。
 そう独りごちた俺だが、不意に俺が入るって言った時の先輩の笑顔が頭を過る。改めて思い出しても惚れ惚れする笑顔だが、その顔が曇ってしまうかと思うと言い出しづらいな。

「とりあえず……」

 バイト行くか。
 溜息混じりに腕時計を見て、俺は問題を棚上げすることに決めた。






















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