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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved








 翌朝。

「はあ? アタシに手伝えって?」

 週一くらいの頻度で早朝に登校してきた深音を捕まえるや否や、昨夜に咲にしたものと同じ相談を持ちかけた俺に対して、深音は素っ頓狂な声をあげて胡乱げな眼で俺を見上げた。
 対する俺は深音のそんな反応に「まあそうだよな」と内心で思いつつも、両手を顔の前でパチンッ、と合わせながら軽い頭を真摯な態度で下げた。
 転校して一ヶ月以上が経つが、数少ない友人の中で深音は一番頼りになる奴だと思っている。出会って最初の頃に俺の事について色々と見ぬいた様に洞察力や推察能力に優れているし、昼間はずっと寝ているせいで俺と違って時間もたっぷりある。更に聞いた話でしか無いが、夜通し色んな連中とチャットをしているとか。だとすれば交友関係も広いだろうし、コイツに手伝ってもらえれば何かしらの妙案や幅広い協力を期待できる。そう思っての依頼だったのだが――

「頼むっ! お前が反対の立場なのは分かってるが、そこをなんとか」
「嫌よ。なんでアタシがそんな怪しいことに首突っ込まなきゃならないのよ?」

 予想通りあっさりと断られたわけである。

「それには俺も全力で同意はするところだが、お前の力を借りたいんだ。女の子の身の安全を確保するためにも一刻も早く探し出したいんだ」
「ダーメ。そんなのぴょん吉が自分でやりたくてやってんでしょ? 河合先輩もアタシが心配してやってんのにそれを振りきって人探しを継続してるってんでしょ? そんなのにアタシが手伝う義理はないわよ。
 それに! アタシは忙しくてアンタの手伝いなんてしてる暇ないの。アンタらが色々とやってるのを横目で見ながらグダグダと気軽に口をはさむ程度で十分なの」
「それでも良いんだよ。俺達だけじゃいい案が浮かばなくてさ。手伝わなくてもいいから、せめてアイデアだけでも」
「そんなことに頭のリソースを割く余裕は無いっての。んじゃアタシは眠いからおっやすみ〜」

 けんもほろろである。取り付く島もないとはこういうことを言うのかね。
 話は終わりだと言わんばかりに深音は手をヒラヒラと振って机に突っ伏そうとするが、俺としてもこれで引き下がる訳にはいかない。明確なタイムリミットというものは無いのだが、深音の手を借りられなければ俺らとしては行き止まりだ。おそらくは空っぽの頭を捻りながらも名案など浮かばずいたずらに時間を消費していくだけになってしまうのは目に見えた未来だ。
 故に俺は深音の体を抱き起こした。

「えっ、ちょっ、ちょっと!?」
「頼む、お願いだっ! 俺にはもう深音しか頼れる奴がいないんだよ」

 困惑はごもっともだが、俺としても引くわけにいかんのだよ。
 深音の困惑を無視すると、睡眠モードに入りかけていた体を椅子の背もたれに抑えつけて再度深々と頭を下げる。手は深音の肩に押し付け、「YES!」という返事が貰えるまでは離さない所存だ。

「ちょ、わ、分かったから手を離しなさいよ!」
「お、手伝ってくれるのか!?」

 深音からの返事に期待を込めて頭を上げた。何故か深音の顔が赤くなっているんだが、はて、抱き起こす時に何処かぶつけてしまっただろうか? だとしたら申し訳ない。

「あと顔も近いっての!」
「ふぁい」

 む、そうだったか。イカンイカン、どうやら勢い余ってしまったようだ。
 深音に顔をグイと押し返されて体勢を元に戻す。まだ少し顔が赤らんでいるが、深音はコホン、と咳払いをすると両腕を組んでソッポを向いたまま口を開いた。

「と、とりあえずアンタのその熱意は伝わってきたわよ」
「なら……」
「でもアタシの貴重な夜の時間を奪うんだから熱意だけじゃ、ね」

 夜の時間とか、いやらしいな、オイ。
 とはいえ、深音が何らかの要求をしているのは分かった。

「分かった。んじゃ、俺は何をすればいい?」

 金なら……余裕は無いが、まあ何か奢ってやるくらいなら全然オーケーだ。貴金属類だとか高級なもんを要求されたら断念せざるを得ないんだが。
 そう尋ねると深音は「んー」と唸りながら考えこむ。出来ればお手柔らかに願いたいものだ。
 そんな俺の内心の希望が伝わったのかどうかは分からないが、深音は「あ、そうだ」と両手を軽く叩き、俺の顔を見るとニヤ、と悪戯っぽく笑った。
 そして徐ろに右足の上履きを脱ぎ、更には白い靴下も脱いで俺に向かって日焼けしてない白い足を差し出してきた。

「アタシの前で跪いて足を舐めなさい」
「む」

 ニヤニヤとイヤラシイ笑みを浮かべながらそう宣った。
 そういえばこないだもそんな事言ってたな。深音の要求に、自然と眉間にシワが寄ってしまうが深音はニタニタと笑っていてそれ以上は何も言ってこない。
 朝の誰も居ない教室で女の子の足を舐める。何とも背徳的な響きである。舐めるということは深音に屈服することであり、精神的な上下関係が出来てしまうだろう。男としてのプライドの問題もある。普通ならばそんな要求をされれば断るだろうし、おそらくは深音も俺が難色を示してそれを口実に手伝いを断るつもりなのだろう。
 だが――

「嫌ならいいのよ? それならそれで所詮アンタの熱意なんて――」 「舐めればいいんだな?」
「え?」

 残念だったな。俺には男の尊厳だとかそんなものに対するプライドなどとうの昔に捨て去ってしまっているのだよ。雅によって胃袋を常に人質に取られているからな。の機嫌を損ねては男は生きてはいけんのだよ。
 深音の足元に跪いてそっと踵の下に手を添える。ゆっくりと腕をあげていくと同時に顔を足に近づけていく。視界の中ですべすべとした足が大きくなっていき、俺は静かに舌を出して――

「止めろっつてんでしょうがこの変態っ!!」
「にゅるんべるぐっ!?」

 顎を蹴飛ばされた。

「舌が!? 舌がぁっ!?」
「このバカっ! 変態っ! スケベッ! 本気で舐めようとするなんて何考えてんのよアンタはっ!?」

 口を抑えて床の上を転げまわる俺に向かって深音から罵声が浴びせかけられるが俺はそれどころじゃない。大丈夫か? 俺の舌はちゃんとまだくっついてるか? 良かった、ちゃんとまだ舌は引っ付いてるな。

「痛つつ……何すんだよ! お前が舐めろっつったんじゃねぇか!」
「アンタ馬鹿でしょ!? 何処の世界にクラスメイトに足を舐めさせる奴が居るのよ!? 冗談に決まってんでしょうが!」

 なんだ、冗談だったのかよ。深音の事だからてっきりホントかと思った。普段の言動ってのは大事だな、うん。

「そっか、そりゃすまんかったな」
「ったく……今日はたまたま早く登校してたからいいものの、クラスの連中が居たらどんな眼で見られてたか……」

 赤い顔のまま眼鏡のずれを直しながらぼやく深音。それに合わせたみたいに廊下の方から話し声が聞こえてきて、ウチのクラスにも何人かが無言で入ってくる。
 それを見て深音が明らかに安心したように胸を撫で下ろすんだが、そんなに嫌だったのか? いや、まあ恥ずかしいのは恥ずかしいだろうが、別にコイツは注目を浴びるのを気にしないタイプだと思ってたからちょっと意外だ。

「アタシには何のためらいもなく実行に移すその感覚が信じらんないわよ……はあ、朝から何か疲れたわ」
「一晩中起きてるからな。そりゃ疲れっだろ」
「アンタのせいでしょうが! もう、まったく……いいわよ、手伝ったげる」
「おっ、マジでかっ!?」
「ちょっと! そんな大きい声出さないでよ!」

 スマンスマン。これだけやっといてオッケーが貰えるとは思ってなかったからつい声に出てしまった。危うく舌を噛み切りそうにまで体を張った甲斐があったというものだ。

「ぴょん吉、アンタ今日の放課後は? 時間あるの?」
「ん、今日か? いつも通りバイトはあるけど、授業も早く終ることだし一時間位は生徒会室で過ごすつもりだったから時間はあるぞ」
「そ。なら放課後は教室で待ってなさい。それと授業が終わる時間に合わせてあのなんとかレイってアンタの家に居候してる奴も呼び出しときなさい。色々改めて聞きたい事があるから」
「お、おう、分かった……ってそれってアストレイを呼び出すってこと……」
「んじゃそゆことで。いい加減眠いから、昼まで起こすんじゃないわよ。いいわね? 絶対よ! 手伝ってほしかったらね!」
「あ、おい……って寝ちまったか」

 一方的に捲し立てて起こさないよう俺に厳命すると、深音は青ダヌキの世話する眼鏡少年も真っ青の入眠速度で小さなイビキをかき始めた。こりゃ起こしたら後が怖いな。ま、協力の約束を取り付ける事が出来たわけだし、良しとしようじゃないか。
 軽く鼻から息を吐き出して、深音の頭を軽く撫でて礼を言って自分の席に戻る。途中でいつの間にか淳平もやって来ていたが、ここ最近と同じくすでに深音と同じく机に突っ伏して寝ていた。
 アストレイと女の子のこともそうだが、コイツのことも心配だな。深音と違ってこうして突っ伏しても熟睡出来てないみたいだし、日に日に顔色が悪くなってるもんな。

「それに……」

 クラスは四十人だが、すでに十人くらいは体調不良を繰り返して登校したりしなかったりになっている。残ったクラスの連中も、中には俺みたいに元気な奴もいれば淳平みたいに何とか登校してるってレベルの奴が多い。先生連中の中にも体調不良で休んでる人が出てるみたいで、職員会議を開いて対策を練ったりだとかで最近は午後の授業を短縮する頻度も高くなっている。ま、だからこそ今日もバイト前にゆっくり出来るってもんだが。

「さて、と」

 腕時計を見てみれば、まだ朝のHRが始まるまでは時間がある。とはいえすでに八時は回っているし、すでに雅も学校に登校した時間だ。深音の指令を実行すべきか否か少し迷ったが、ともかくも家の固定電話に電話を掛けてみるか、とポケットからスマホを取り出した。
 しかし……アストレイは電話に出てくれるだろうか? 掃除機にビビったくらいだからな。突然電話が鳴り始めたら心臓止まるんじゃないだろうか、と心配してみるが、町中でも皆携帯くらい持ってるもんだし、さすがにそれは無いか。
 スマホを耳に当ててコール音を聞く。と、程なくそれが途切れ、続いて「はぁい……スカーレットでふ」という、寝ぼけ声が聞こえてきた。心なしかいつもより声が可愛く聞こえて少しドキッとした。それと、お前の手にある電話はウチのだからな。ちゃんと「武内です」と答えろ。
 苦笑が思わず浮かんでくるが、それを押し隠してアストレイに要件を告げた。

「アストレイか? 俺だ、直だけど……今日の三時半くらいに学校に来れるか?」




☆★☆★☆★☆★☆★☆★




 そして時間は流れて放課後。
 今日も早くに授業が終わり、クラスメイトたちが三々五々と散っていく中で俺は朝に深音に言われた通り教室に残っていた。
 のんびりと窓の外を眺めながら深音の目覚めを待ち、時折一人二人と減っていって放課後特有の物悲しさに若干心を震わせながら欠伸をする。
 深音は一向に起きる気配が無くて、また誰も起こしてやる人間が居ないのは果たしてクラスの人間が皆冷たいのかそれともアイツにそんな友達が居ないのか判断に迷うところだが、そこは追求しないでおいてやろう。
 とはいえ、このまま深音が寝っぱなしで時間が過ぎていくのも困る。そろそろ起こしてやるか、と立ち上がった俺であったが、教室に残ったのが俺と深音の二人だけになると深音はむくりと体を起こして大きく伸びをした。

「んん……ぁあ、良く寝た。あ、ぴょん吉、おはよう」
「おぉ、おはよう。ってそんな時間じゃねぇけどな。つかよく一日中そんな姿勢で寝てて疲れが取れるよな?」
「慣れればそんなにきつくないわよ? まあちょっとばかし肩と首が凝るのが難点なんだけどさ」

 言いながら深音が肩を回して首を勢い良く倒すと「ゴキゴキッ」と景気の良い音がする。やだ、男前。

「それで、あのなんちゃらストなんちゃらさんは呼んだの?」

 お前絶対アストレイの名前覚えてるだろ。

「アストレイな。ちゃんと朝お前に言われた通り呼び出したから……」

 視線を下に落とす。腕時計の針はちょうど三時半を指したところであった。予定通りなら……

「もうそろそろ来る頃だと思うんだが……」
「もう来てるよ」
「うおっ!?」

 突然背後から声を掛けられて思わず飛び退いた。振り返ってみればアストレイがいつも通り薄っすらと笑顔を浮かべて立っていた。

「やあ、直。言われた通りやってきたよ。それから君が深音さんでいいのかな? 初めまして、アストレイ・スカーレットです」
「これはどうもご丁寧に。初めまして。上遠野・深音です。今日はわざわざ来てもらってありがとうございます。話には聞いてたけど、日本語が上手なんですね」
「いや、私がお願いする立場だからね。こちらから出向くのは当然の話さ。日本語はどういう訳か気づいたら話せてたんだ。
 それと別に私にはかしこまらなくていいよ。堅苦しいのはあまり好きじゃないんだ」
「そう? ならいつもの感じでいかせてもらうわ」

 俺が一人戦いてる間に顔合わせと自己紹介を終わらせた二人だが、至極あっさりと深音も改まった態度から平常運転に戻ったあたり、どうやら相性は悪く無いらしいな。ま、お互いオープンな性格だし、アストレイも人当たりは良いからそんなもんか。
 しかし……

「お前よく入り口で止められなかったな……」

 俺はアストレイの全身を眺めつつ思わず呟かずにはいられなかった。
 さすがに学校に入るのに私服だと目立つだろうと思って、朝電話した時にアストレイには俺の制服を着てくるように指示したのだが、こうして見てみると違和感バリバリである。
 そもそもがコイツはすでに高校などとっくに卒業している年齢であるから制服には雰囲気が馴染まない上に、その特徴的な肌と髪色ゆえに日本の伝統的なカッターシャツと黒いスラックスが似合わない。加えて俺よりも十センチほど背が高いため、シャツの裾は短くてスラックスもどんだけ裾上げしてんだよ、とツッコみたくなるほどに寸足らずである。
 と、ここで深音が俺の肩に手を置いた。その眼は生暖かさが混じっていやがる。

「……なんだよ」
「気にする必要ないわよ。日本人に合わせた服を着れば誰だってああなるもの。別にぴょん吉が悪いわけじゃないわ」
「やかましいわ!」

 決して俺の足が短いわけではないと信じたい。アストレイは今のやり取りがよくわからなかったらしく首を傾げているが、そのまま気づかずにいてくれ。

「コホン……まあいい」

 一応我が稜明高校は進学校だしな。海外からの留学生も何人か受け入れているし、アストレイみたいな奴がいてもおかしくないのかもしれない。ゴンザレスことフローラも在学していることだし、案外この学校は生徒の質に似合わず懐が広いのかもしれんな。

「それで、私はどうすればいいかな? ここで話をするのかい?」
「いえ、ここで話をしてもいいんだけど何度も話を聞くのも面倒だし、迎えに行くわよ」
「? 俺らだけじゃねーのか?」
「ま、ね。というよりも残ったアイツが今回のキーパーソンって言っても良いわよ」

 俺もアストレイと同じく首を傾げてみせるみせるが、深音はそんな俺らに向かってバツが悪そうにショートの髪を掻くと何処か重そうな足取りでため息を吐きながら教室を出て行った。

「まあちょっと……いや、違うわね。かなりクセがある奴なんだけどさ」
「何か不安になる説明だな、オイ」

 深音が協力を取り付けてくれるんだろうが、なんだか心配だな。学校にアストレイを呼んだって事はウチの学校の生徒なんだろうが、果たしてウチに深音が頼るような奴が居ただろうか?

「ま、アタシが一肌脱ぐから大丈夫よ。少なくとも協力はしてくれると思うわ」
「なら良いんだが……」
「たぶんぴょん吉も知ってる奴よ……たぶん紹介してもちょっと……多大に不安になるだろうけど、実力は保証するから」

 何とも不吉な言葉を残しつつ深音は俺らの前を歩いていく。
 俺の知ってる人物……はて、深音や淳平、先輩以外にそんな人物が居ただろうか。
 一抹の不安を覚えつつ、ともかくも深音の後に付いて行った。



☆★☆★☆★☆★☆★



 さてさて、深音に連れられて校舎の中を歩いていった俺達だが言っても稜明高校の中である。さほど歩くことも無く、時折深音、アストレイ、俺の三人で雑談をしながらも進んでいくウチに程なく深音の足が止まった。
 で、見上げた先にあるプレートには見慣れた達筆な筆文字が書かれていて――

「って、生徒会室じゃねぇか」

 正確にはコンピ研の部室だけどな。俺の中ではただ通過するだけの部屋になってるし、もっぱら奥の部屋にしか用がないからそんな感覚は無くなっちまってるが。

「おいおい、深音。まさかお前」
「心配しなくても河合先輩じゃないわよ」

 なら良いんだが。幾らなんでも先輩に頼ったところで頑なな先輩が助けてくれるはずもなく、むしろ女の子との関係を考えれば俺らを妨害する側だしな。
 ちなみに今日は、先輩は生徒会室に居ないことは確認済みである。なんでもソフト部の大会前らしく、助っ人として駆り出されているので今日の活動は無しだとメール連絡が来た。まあ、普段から活動しているかと問われれば俺としては首を捻らざるを得ないが。

「でもこそこそするよりは河合先輩に前もって言っておいた方が良いわよ、ぴょん吉。アタシ達がしようとしてる事を知ったって別に邪魔なんてしてこないだろうし」
「分かってるよ。そのうち伝えるさ」
「そ。ま、どうせ絶対バレると思うけど」
「分かった分かった。後でキチンと話して誤解がないようにしておくよ。
 それより先輩じゃないって事は……」
「ぴょん吉の考えてる通り、コンピ研の人間よ。はぁ……気が重いわぁ……」

 さっきから随分な態度だな。ため息混じりの深音の様子からすると相当会いたく無い人間みたいなんだが、さて、深音をしてそこまで気を滅入らせる奴が果たしてコンピ研に居ただろうか、と常日頃横目で流しているコンピ研の連中の姿を思い浮かべてみるが――

「……どいつもまともに話すのが気が重くなるな」

 全員が個性的過ぎる、というか全員の個性が一般とはかけ離れたところで没個性というべきか。
 俺まで気が重くなり始めたところで隣の深音が一度大きく息を吸い込み始めた。そして小声で「よしっ」と軽く気合を入れると取っ手に手を掛けて、一気にドアをスライドさせた。

「ごっちーんっ! 居るーっ!?」

 バシーン、とけたたましい音を立ててドアを開けるや否や、深音は大声で叫んだ。突然の行動に俺もアストレイも眼を丸くするばかりだが、深音は気にする事無くずんずんと中に押し入っていく――

「ふひひ……」
「げへへへへ……」

 ――のだが、コンピ研の連中はいつもの如く暗い室内でヘッドホンを着け、モニターのブルーライトのみを栄養としているかのごとく怪しい笑い声をあげてこちらの侵入には一切気づいた様子は無かった。
 気づいたのは――

「あ、深音ちゃんだー。やっほー」
「おひさー。たまにはここにも顔を出しなよー」

 パソコンに向かっておらず、教室の隅でメンバーのモニターを観察していた女子生徒二人組だけだ。深音のことに気づくと笑いながらこっちに向かってブンブンと手を振って話しかけてくる。どうやら知り合いみたいだが、どういう関係だ?

「アンタが転校してくる前に色々あったのよ……」

 どんよりとした空気を漂わせて肩を落とす深音。どうやら触れてはいけない話題らしい。

「まあ気が向いたら遊びに来ますよー。それより今日は……」
「ぶちょーだよね? ゲームやってるけどいいよー。テキトーに蹴倒しちゃっていいからー」
「はいはーい。んじゃ遠慮無く……」

 気を取り直してヒラヒラと女子組に手を振ると、深音は部長と呼ばれたぽっちゃり男の後ろに真っ直ぐ立った。そして腰を落として右足を一歩引いた。
 空気が、変わった。
 部員連中の熱気で少し湿っぽかった教室の温度が下がったような錯覚を覚え、深音の方を見れば全身から怪しいオーラみたいなものが立ち上っていた。
 半身になった深音の顔に暗く帳が落ちる。影を作った前髪の奥で深音の双眸が怪しく光り、その口からは「コホォ……」と何処かの武闘家を髣髴とさせる呼吸法で息を吐き出した。
 そして体が宙を待った。

「跳んだ……っ!?」

 空高く深音の体が舞い上がり、両足を胴へ引き寄せる。背筋を十全に使って体を空中で捻り、俺が朝方舐めかけた白く細い脚の上に筋肉の線で鬼の顔が描き出された。

「おおー、深音ちゃんのオーガだー」
「久々に見るけど相変わらず筋肉の曲線が見事ねー」

 のんきな女子ーズの解説を他所に部長さんはパソゲーに熱中していて気づかない。深音の目が鋭く光って部長さんの体を捉える。口からは裂帛の声が響き、限界以上にまで引き絞られた右足に溜まったエネルギーが今――

「チェェェェェェェェストォォォォォォォォォォッ!!!」

 部長の横っ腹で解放された――っ!

「ちぇげばらッ!!??」

 蹴り飛ばされた部長さんは某革命家のような叫び声をあげて椅子から吹き飛んでいき、PCに繋いだヘッドホンのケーブルを引き千切りながら転がっていった。そして教室の後ろにある黒板の下の壁にぶつかるとそのまま動かなくなった。
 うむ、見事な一撃である――

「ってそうじゃねぇっ! いきなり何してやがるっ!?」

 あんまりにも見事すぎてついつい見入ってしまったが、今の吹っ飛び方は常人なら死んでる可能性があるぞ!?

「だいじょぶだいじょぶ。あれくらい大したことないって」
「いやいや! 今のは死んでもおかしくねぇよっ!?」
「さ、さすがにアレはまずいんじゃないかな?」
「あー、大丈夫だよー」
「ぶちょーだしね」

 焦る俺とアストレイを他所に、深音と女子部員たちは呑気なもんだった。
 そして、そんな女子ーズの言葉を裏付ける様に、ぐったりと床に転がっていたぽっちゃり部長が何事も無かったかのように立ち上がった。

「ひっ……!」

 誰かの堪え切れなかった悲鳴が聞こえた。それほどに部長の様子は異常だった。
 ゆらり、とまるで幽霊がそこにいるかのように奇妙な雰囲気を纏い、フラフラとしながらこちらへ一歩、また一歩と近づいてくる。
 先ほどの深音のケリで負ったダメージなのか、口からはダラダラと赤いものを垂れ流し、ヒビ割れた眼鏡はパソコンのモニターの灯りを怪しく反射していた。レンズの奥にあるはずの表情は全く読み取れない。それどころか、こうして向き合っているだけでも俺の背筋を冷たいものが走り抜けていく。

「…………」

 目の前の男の口元が怪しく歪んだ。いや、笑ったのだ。アストレイが俺の後ろで後ずさって、俺も思わず身構えてしまう。それほどにこの部長という男の存在は危ない。
 だというのに女子部員は状況を無視して平然と二人で談笑を続けていて、深音もまた平然としている。が、さすがに平気では無いらしく、深音の顔は気味の悪いもの(実際そうだが)を見るように顔をしかめて、口からは「うわぁ……」とうめいた。
 その時、動きが変わった。

「……何だ?」

 不意に部長が床に這いつくばる。カエルの様に四つん這いになると「ハァッ、ハァッ……」と気持ち悪く息を荒げた。
 そしてその体勢のまま深音に向かって突進してきた。

「ひぎぃっ!?」

 誰かの口から今度こそ抑えきれなかった悲鳴がはっきりと聞こえた。カサカサと、まるでいつでもどこでも現れる某黒い生物その名もGの如き動きだった。すっごい気持ち悪い。
 電光石火の速さで深音に接近。そしてそのまま深音の脚に向かって抱きつく――

「ふんぬっ!!」
「かすとろっ!?」

 ――直前で深音がその背中を踏み抜き、動きを止めた。
 そして部室世界は再び平和となった。

「な、なんだったんだ……?」

 部長――もう人として扱うのもはばかられるが――は背中に深音の白い脚を乗せたままビクンビクンッと体を震わせて恍惚を満面に浮かべていた。だらしなくよだれを垂らし、何とも幸せそうだ。それを見て鈍い俺でも察した。つまり――

(あ、もうダメだこの人)

 ――極めつけのド変態であると。

「はぁ……こうなるからコイツに頼りたくなかったのよねぇ」
「えっ!?」

 まさかとは思うんだが……

「もしかしなくてもお前が言ってたキーパーソンって……」
「そ。それがコレ。コンピ研の部長にして極めつけの超がつくドM。自称『すーぱーハカー』のごっちんこと後藤くん。こんな奴だけど、IT関係だと結構頼りになるのよ?」
「……」

 深音に踏まれたまま絶頂している後藤くんを見下ろす。
 何とも幸せそうな気持ち悪い笑顔で伸びているその男を見て、俺は無言で頭を抱えるしか出来なかったのである。












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