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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved








 深音のその声に俺は言葉を失った。

「ちょ、ちょっと待った! 待ってくれ! 誰と誰が似てるって!?」
『だからっ! 河合先輩と写真の女の子が成長姿がよっ! 本人そのものじゃないかってくらいそっくりなのよ!』

 そんな馬鹿な!? ンな事があるかよっ! 髪色は確かに同じだが、顔つきだって似てないとは言わないが言われてじっくり眺めて「まあ似てるかも」ってレベルだ。そんなことがあるはずがない。

「ごっちんが先輩の写真を参考にして作ったからそっくりになったって事は無いのか?」
『そこも確認してみたわ。だけどアイツはああいう性格だから全く河合先輩には興味無くって、聞いた時も「その人、誰?」とか吐かしてたのよ。だからその可能性は無いわ』
「何てこった……」

 信じたくは無い。信じたくは無いが信じざるを得ない。それが事実なのであれば。
 絵の女の子=先輩。その等式が成り立つと仮定すれば今の状況は確かに辻褄は合う。絵の女の子も少し紫がかった黒だし、言われてみれば笑顔も時々先輩が見せるはち切れんばかりのものとそっくりだ。顔立ちは似てるっちゃ似てるレベルだが、そんなもん成長していけば全然変わる子だっている。
 それに――

「確かに笑った顔は……」

 この子とそっくりだった。俺の脳内思い出アルバムの中に秘蔵されている先輩の笑顔と写真を見比べてみりゃ一目瞭然だ。

「……ったく、度し難ぇ」

 呆れることこの上ねぇよ。

『えっ!? 何て言った!?』
「独り言だよっ! ……とにかく! もうすぐ先輩んチに着くから確認出来たらまた連絡するっ!」
『う、うん、分かったわ! ……あ』
「なんだ!?」
『そうか! そうよ! ごっちんよ! ごっちんに探させればいいじゃない! もし先輩が外に出たんならアイツに探させれば……』

 そうか、持たせちゃいけねぇ技術をフルに活用すればごっちんなら色んな場所にアクセスできるはずだ! 先輩がスマホを持っていればもしかしたらGPS機能で追跡できるかもしんねぇ!

『すぐに探させるわ! 居場所が分かったらまた連絡する!』
「ああ、頼む!」

 電話を切ってすぐに加速。先を行く凛ちゃんに追いついて呼びかける。

「凛ちゃんっ!」

 だが返事は無い。ただ前だけを見て、俺の声など全く届いていない。

「凛ちゃんっ! 待てって!」

 並走して凛ちゃんの肩に手を掛けた。
 その瞬間、ゾッと鳥肌が立った。
 肩越しに覗く冷たい眼差し。眼鏡のレンズを雨粒が流れて、稲光が反射する。その最中で垣間見える眼はまるで――

「うわっ!?」

 凛ちゃんに腕を掴まれた、かと思った瞬間上下が反転した。恐ろしい凛ちゃんの射殺されんばかりの視線が離れていき、気づけば白閃入り乱れる雨雲が目の前いっぱいに広がっていく。次いで背中に固いアスファルトの衝撃。

「がっ……!」
「邪魔しないで」

 優しさなんてどこにもない。叩きつけられた全身が悲鳴を上げ、突き抜ける衝撃を非難して肺が、心臓が一度動きを止めた。
 あまりの痛みに、濡れたアスファルトの上で俺は体を丸めた。頭から落下しなかったのが不幸中の幸いなのかもしれないが、問題はそこではない。
 凛ちゃんは俺を殺そうとした。いや、その表現は語弊があるな。殺そうとはしなかったが死んでも構わないという眼であり心情だった。未必の殺意、というやつだ。あの凛ちゃんが、だ。

「……」

 俺が震えたのは果たして痛みが原因か、それとも雨による寒さか、はたまた凛ちゃんの殺意か。いずれも衝撃的だった。物理的にも精神的にも。面と向かって殺意を向けられると、しかも信頼している相手から受けるとこんなにもダメージを受けるのか、と痛みとは切り離された冷静な部分が他人事の様に囁いている。
 凛ちゃんは地面の俺を見下すと直ぐに踵を返した。その眼はまるで取るに足らないゴミを見ているようだ。俺は障害物であり、それ以上でもそれ以下でも無い。別に壊す必要は無いが必要なら破壊して進む。今の凛ちゃんからしたら俺なんてそんな認識なんだろう。壁にさえなれやしない。
 そうさ、俺は力ないガキだ。出来ることなんて限られてる。大したことはできねぇ。
 でもな、俺だってやらなきゃいけない事は解ってるんだ。
 立ち上がる。右足首の辺りがひどく熱を持って全身さえ熱くなっていく。

「……離しなさい」

 走り出す前に俺は凛ちゃんの肩をまた掴んだ。凛ちゃんの冷たい眼と声が俺を打ち据える。そうだろう、そうだろう。だけどな。

「やだね」
「……!」

 否定の言葉を吐いた瞬間、凛ちゃんの腕が再び俺に向かって伸びてくる。否、伸びてくるのは腕では無く紛れも無い殺意だ。いよいよ本格的に俺を排除すべき存在と認識してしまったらしい。だがそんなもの、受け止めてやるわけにはいかないな。
 左脚を軸にして体を回転。凛ちゃんの腕の動きを見極めながら半身になって、敢えてギリギリで避ける。掠った喉元の皮膚が薄く避けて微かな痛みが走るがその程度無視だ。
 俺が避けた事で凛ちゃんの目が見開かれる。まさか避けられるとは思ってなかったんだろうが、甘いな。剣道を物心ついた頃からずっとやってたんだ。動体視力と反射神経、それに「勘」には自信があるんだよ!
 驚きで一瞬動きの止まった凛ちゃんの腕を掴む。そして、そのまま凛ちゃんにされた様に俺も背負投げの要領で凛ちゃんを投げ飛ばした。
 あれだけの力を持ちながらも凛ちゃんの体は軽い。当然だ。だって、凛ちゃんもただの女性に過ぎないのだから。

「……っ!」

 投げ飛ばした凛ちゃんを、そっと地面に寝かせる。少々の衝撃はあっただろうが、その程度は我慢して欲しい。
 すぐに立ち上がろうとする凛ちゃん。だが俺はその喉元に腕を押し付け、凛ちゃんの体を抑えこんだ。

「どきなさいっ! 早くしないとっ……」
「聞けよ」 「早く、早く……急がないとヒメ様が……!」
「聞けよっ!」

 喚く凛ちゃんに向かって怒鳴りつけてやる。

「アンタがさっき投げ飛ばしたのは誰だ? 
 ――殺そうとしたのは誰だ?」
「……」
「答えろ」
「……武内、直」
「違う」

 眼を逸らす凛ちゃんの顔を掴んで無理やり俺の方を見させる。

「アンタの、生徒だ」
「ぁ……」

 押さえつけた喉が小さく動いた。

「俺はアンタの生徒だ。俺の、俺らの担任である小野塚・凛が生徒である俺を殺そうとしたんだ」
「ち、ちが……」
「そうだ。違う。凛ちゃんは……俺が知ってる凛ちゃんはそんな事しない」

 だって、学校での凛ちゃんはいつだって優しい。笑顔でいる事が多くて、そうでなくても困ったように笑う顔も可愛い。密かに俺はクラスのマスコットキャラとして認定しているし、そんな凛ちゃんだから俺は凛ちゃんのことが好きだ。転校して凛ちゃんのクラスになれて良かったと心から思ってる。
 例え、それが凛ちゃんが被ってる仮面だとしても。

「取り繕えないくらいに冷静さを失って……もし先輩が誘拐されてたとして、そんな状態で本当に助けることなんて出来るのかよ? なあ?」
「……」
「凛ちゃんが先輩の事を大切に思ってるのはよく知ってる。だけど、大事なのは頭ン中は沸騰してても冷静に状況を見て、絶対に、何が何でも助けだすことなんじゃねぇのか?」

 凛ちゃんは気まずそうに眼を伏せるのを見て、俺は立ち上がる。腕を引っ張って凛ちゃんも立ち上がらせ、落ちた眼鏡を拾って手渡す。

「それに、深音も協力して先輩を探してくれてる。別にアンタ一人でなんとかしなきゃいけねぇわけじゃねぇんだ。俺だって深音だって先輩の事を心配してるんだ。アイツ、超テンパりながら電話してきたぞ?」
「上遠野さんが……」
「ああ。そりゃ凛ちゃんは俺らなんかよりずっと色んな事が出来て、俺もアズミルズに連れ戻してくれてスゲぇ人なんだって思ってる。けど、凛ちゃんだけじゃ出来ないことも有るんだろうし、先生だから生徒に頼っちゃダメなことなんて無いんだ。だから一人で突っ走らないで、俺らを頼ってくれよ」

 どの口がそんな事を言ってんだか。凛ちゃんを諭しながら自分に呆れる。と同時に「ああ、そういう事か」と気づいた。
 この間、咲が言っていた。もっともっと、俺に頼られたいって。俺に頼ってほしいって皆思ってるって言っていた。頼られない方が、ずっと辛いと。
 そりゃ俺だって誰かの為に何かをするのは面倒臭い。自分にとって一銭の得にもならないような事をやりたいとは思わないし、わざわざ俺がやらなくても自分でやれよだなんて思うことも多い。だけど、本心は違うんだ。
 何の得にならなくたって、些細な事でも手を貸した相手が喜んでくれりゃ嬉しい。俺が手伝った事でそいつが何かを成し遂げたなら誇らしい。
 そして逆に手を貸してやりたいって思った相手から拒絶されるのは、辛い。お前の手なんて借りたくないと手を払われるのは寂しい。何より、そいつが助けを本当は欲してるんだとそもそも気づけなかった時、胸に去来する想いは果たしてどれ程の苦しみなんだろうか。

「手を、貸してくれるって言うの……? 私は武内クンを」
「ストップ。俺が今聞きたいのはそんなんじゃない」
「……」
「ただ一言、『助けてくれ』って言ってくれりゃいい。凛ちゃんにも先輩にも散々世話になってんだ。凛ちゃんが嫌だって言っても俺は凛ちゃんに付いて行くぜ」

 ここまで言っても断られるんなら仕方ない。どうせ先輩が拐われたんなら、ここで家に帰ってゆっくりシャワーを浴びて「無事助け出せたわ」だなんて連絡を待つとかっていう選択肢は無い。勝手に深音とごっちんを使って探しまわるだけだ。
 凛ちゃんは未だ考えが揺れ動いているのか、何か言いたそうに口元をモゴモゴとさせて落ち着きなくスカートの裾を握ったり離したりしていた。
 だが、やがて凛ちゃんは俺に向かって深々と頭を下げた。

「お願い……あの子を、姫様を助けてください……もう、ユースティールから解き放たせてあげてください……お願いします」

 絞りだすような、苦渋に満ちた声。やっと言ってくれたな、先生。

「――任せとけよ、凛ちゃん。絶対、絶対に俺らが先輩を助けだしてやるから」

 肩を軽く叩く。そして手を取った。雨と涙で濡れた幼い顔が俺を捉えた。

「ほら行こうぜ? まずは先輩の安否を確認しなきゃな。全てはそっからだぜ?」

 帰宅を妨げたのは俺だが、それは棚に上げておく。
 もう一度凛ちゃんの肩を軽く二度叩く。凛ちゃんは鼻をすすり眼鏡を外して目元を拭うとキッと鋭く前を見据えた。
 そして力強く走り出す。並んで俺も走り出す。

「はぁ……先生失格ね、私。生徒を危ない事に巻き込むなんて」
「おいおい、そいつは違うぜ先生よ。俺が自分から首を突っ込んだんだ。そこんトコ勘違いしないでくれよ」
「そう……そうね、武内クンに免じてそういうことにしておいてあげるわ」柔らかく微笑んで器用にも走りながら戯けた様に肩を竦めてみせる。「姫様の相手じゃなかったら放っとかなかったのに」
「は? 何て?」
「何でも無いわよ」

 最後のところが足音と雨音でイマイチちゃんと聞き取れんかった。ま、笑ってたから大した話じゃなかったんだろう。
 さて、もう間もなく家に着く頃だが、それまでにコイツをはっきりさせとかないと。

「凛ちゃん、走りながらで良いから聞かせてくれ」
「何かしら?」
「エルミルズで話してくれた事だ。先生が連れて逃げたユースティール王国のお姫様――その人が先輩って事で間違いないよな?」

 さっきから先輩の事を「姫様、姫様」って呼んでるし、エルミルズでの話を考えりゃ当然の帰結だ。
 前に孤児院の正くんを探していた時にも土手に座って先輩は言ってた。戦争で両親を亡くしたって。あの時の先輩を見て俺は、ただただ悲しそうだと思ったがそれがヴォルスティニア帝国とユースティール王国の戦争だとすれば、その時に眼差しの中で見え隠れしていた先輩の深い感情にも納得だ。まず間違いなく先輩はお姫様であり、そしてレイレイが探していた女の子なのだろう。
 そんな俺の心中を察してか、それとも今さら隠し立てしてもしょうがないと思ったのか、凛ちゃんは素直に「そうよ」と頷いた。

「姫様……河合・陽芽はアズミルズに逃げてきた後に付けて頂いた新しい名前。ユースティール王国から解き放たれ、新たな一人の女の子としてアズミルズで生きるための。
 姫様の本当の名はオースフィア。オースフィア・マーガレット・ヴィ・ユースティール。今となっては亡国の忘れ形見。ユースティール王国最後にして唯一の王族。それが――河合・陽芽という高校生の正体よ」

 分かってはいたが、こうはっきり言われると感嘆してしまう。現代日本とアメリカで生きてきた俺としては「やっぱ偉い人だったんだなぁ」くらいの感慨しか湧かんが、それでも日本の皇室だとかイギリス王室の出身です、と置き換えてみれば何となくその凄さが分かってくるというものだ。本来なら俺みたいな輩とは縁遠い、遥か遠い存在だってことがな。
 ま、だからって――

「先輩は先輩だしな」

 俺が知ってるのは河合・陽芽であり、オースフィアうんちゃらかんちゃらとかいう少女じゃない。王族とか言う貴き少女なら校舎の二階や三階から毎日のようにポンポンと飛び降りたりはしねぇし、たかがパンを買い求めて校庭を爆走しない。怪しげなパンの名前を叫びながら生徒を蹴散らしていくのも、品がねぇ。そんな先輩が嫌いじゃないけどな。あと、あんなボロアパートにも住んでるはずはねぇよ。
 だが世の中、そうは考えない連中が居るって事も事実だ。例えば――レイレイに先輩を探すよう命令した奴みたいに。

「ならもしかして、先輩を拐った連中っていうのは……」
「しっ」

 先輩の家までもう後僅か、というところで凛ちゃんは急停止した。並び立つ家の塀に背中を押し付け息を殺し、それに俺も従う。

「人の気配がするわ」
「誘拐犯の一味、ですか?」
「どうかしら」

 息を潜め、足音を殺しながらゆっくり近づいていく。こういう時、強い雨音が他の音をかき消してくれるから俺みたいな素人でもバレづらくて助かる。
 少し近づくと俺の耳にも声が届いてきた。高い女の声だ。子供っぽいな。大きな声で騒いでいる。その声の様子は切羽詰まってるようで、取り乱した雰囲気を感じる。
 もし誘拐犯ならそんな大声で騒がないだろう。夜で人気は無いとはいえ、たまたま聞きつけた誰かがやって来るかもしれん。そんな人目に着くような真似はしないはずで、だとしたら関係ない人が騒いでるだけか。

「ん?」

 だがもう目の前、というところまで近づいた時、俺は気づいた。その声を俺は、普段からよく耳にしているという事に。
 そして、その声の主は俺が最も大切としている女の子のものだという事に。

「アストレイさん! 大丈夫ですか!? しっかりしてくださいっ!」

 今にも泣き出しそうな声にいても立ってもいられず、俺は凛ちゃんが止めるのも構わず塀の影から飛び出した。

「雅っ!」
「っ! お兄ちゃんっ!? アストレイさんが、アストレイさんがっ!!」

 俺を見て泣き叫ぶ雅。濡れるのも構わず跪いたそこには、頭から血を流して倒れたレイレイの姿があった。



☆★☆★☆★☆★☆★



「っ、レイっ!!」

 倒れたアストレイに駆け寄って呼びかける。抱き起こして声をかけるが、レイの意識は戻らず小さな苦しそうな呻きだけが返ってくる。
 主な出血は頭からだが、それ以外にも殴られたのか目元は腫れ、口端も切れている。俺が貸したシャツは所々が擦りきれていて、まるで車に跳ねられた後みたいだ。
 見るからに重傷なレイを抱えながらも俺には何も出来ない。とりあえず救急車を、と思いスマホを取り出そうとした時、凛ちゃんが俺からレイを奪い取った。

「凛ちゃん」
「黙ってて」

 凛ちゃんはレイの頭を自分の膝の上に乗せるとスカートの端を持っていたナイフで切り取った。そして手際よく頭の傷に巻きつけて止血していく。
 更にポケットから小さな宝石を取り出して包帯代わりの布の上に押し当てて「――、―し、―まえ」と、エルミルズでも唱えていた呪文みたいなものを呟く。
 淡い光が発せられる同時に、見る見るうちにレイの顔に出来た小さな傷や腫れが治っていく。

「なに、これ……」雅の口から驚きと、恐怖に似た感情が零れた。「お兄ちゃん、なんで怪我がこんなに……この女の人は……」
「雅」余りにもアズミルズの常識からかけ離れた現象に狼狽える我が妹に声を掛ける。「訳分かんねぇだろうけど今は何も心配すんな。後で説明するから」
「う、うん……」

 俺もここらへんは説明されてねぇからよく分からんが、いわゆる「魔法」って事なんだろう。本当は違うのかもしれないが、そう思うことに決めた。物理的に有り得ねぇ事だし、何か良く分からん言葉を喋った後に起こってるから強ち間違いじゃないだろう。落ち着いた時に凛ちゃんに説明してもらおう。

「武内クン、ここは私が。アナタは家の方をお願い」
「……分かりました」
「まだ相手が残ってるかもしれないから気をつけて」

 本当は自分が家の中を確認しに行きたいんだろう。凛ちゃんは一瞬だけ辛そうに顔を歪め、だけどすぐに平静を装って俺に頼んできた。俺としてもレイの容体が気になるところだが、今は凛ちゃんに任せた方がきっといい。なら俺が出来る事をやるまでだ。

「……」

 凛ちゃんによるレイの治療がされている間、俺は立ち上がって昭和荘の先輩の部屋に向かった。夜中だからか、それとも他に住人が居ねぇのかは知らんがどの部屋も真っ暗で静か。人気は無くて、だが先輩の部屋の玄関だけが誰でもウェルカムとばかりに開け放たれていた。

「やっぱり……」

 中に入ってスマホのライトで室内を照らすと、そこはある意味予想通りの光景であり、そして仄かな期待を完膚なきまでに裏切るものだった。
 部屋のガラスは砕けてそこかしこに散らばっている。家具の類が倒れてたりだとか荒らされた形跡は無いが、フローリングと呼ぶには陳腐過ぎる木製の床には無数の濡れた靴跡が部屋の方に向かっていて。
 部屋の中には誰も居らず、吹き荒ぶ雨風に濡れたカーテンだけが物悲しげに揺れていた。
 布団は泥で汚れ、テーブルの上の物が辺りに散らばっているから先輩も抵抗したのだろう。だが複数で来た連中には為す術は無かったということか。
 先輩のスマホに電話を掛けてみる。先輩がスマホを持ったまま連れ去られたかどうか確認するためだったが、室内から着信音やバイブレーション音は聞こえてこない。壊されて散らかった部屋のどっかに転がってるだけの可能性もあるが、幸いにして先輩は持って行ってくれたんだろうと信じたい。
 自然と拳に力が入る。凛ちゃんじゃないけど、心に焦りが生じてくる。先輩は無事で居るか、レイみたく怪我を負ってないか、恐怖に震えていないか。先輩の事だからきっと気丈に振る舞ってはいるのだろうが、早く解き放って自由にしてやりたい。
 凛ちゃんに言ったばかりだろ、俺。落ち着けよ。まだ大丈夫だ。先輩は無事だ。それに、深音とごっちんが絶対に居場所を見つけてくれる。変な奴らだが二人を信じろ。
 自分に言い聞かせながら雅と凛ちゃんの所に戻る。

「……どうだった?」

 俺は黙って首を横に振った。凛ちゃんは眉間にシワを寄せて眼を瞑り、何かを堪える様に天を仰いだ。その様子が俺の胸にずっしりとのしかかってきた。
 だがそれも俺も凛ちゃんも予想出来ていた事だ。頭を振って切り替え、代わりにレイの様子を尋ねようとしたちょうどその時、膝の上のレイが身動いだ。

「う……あ……」
「レイ!? レイ! おい、しっかりしろ!」
「あ……直、と、雅ちゃん、かい……?」

 うっすらとレイは眼を開け、最初は焦点が定まって無かった目も段々と俺の顔を認識できてきたようだ。隣の雅もハラハラしていたが、レイの意識が戻った事で気が抜けた様にへたり込んだ。

「良かった……」
「大丈夫か?」
「ここ、は……? ああ、そうか……」

 ゆっくりと体を起こして雨の住宅街を見回し、頭痛がするらしい頭を抑えて治療がされている事に気づいて、そこでレイは凛ちゃんの姿をようやく認識したようだ。

「これは……貴女が治療を?」
「ええ、素人治療ですが。痛みはどうですか?」
「……うん、大丈夫そうだ。正直、泣きたくなるくらい痛いけど動くことは出来そうだね」
「それなら大丈夫ですね」凛ちゃんは微笑むと眼鏡を掛け直して尋ねた。「それで、貴方たちは我が家へ何用でしたか?」
「待ってくれ。こっちの女の子が俺の妹の雅だ。雅、この人は俺のクラスの担任の小野塚・凛ちゃんだ。ついでに言えば先輩の保護者でもある」
「そうでしたか」
「は、はじめまして。武内・雅です」
「んで今治療してもらったコイツがアストレイ……先輩を探していた男だ」
「……そう」

 もしかしたら凛ちゃんが襲いかかるかも、と思って緊張したが、予想に反して凛ちゃんは静かに立ち上がりながら頷くだけだった。その後に少し間が開いた後に「それで」と切り出した。

「もう一度尋ねますが、我が家へどういった御用ですか? すでに世間では訪問するには非常識と呼ばれる時間です。納得の行くご説明をお聞かせ願いたいのですが」

 凛ちゃんの言葉に続いて俺もレイに向かって顎をしゃくって促すと雅が説明しようと前に出る。だがレイは雅を手で制して、痛む頭に手を当てながら喋り始めた。

「実は、ここに呼び出されたんだ」
「呼びだされた? 誰にだ?」
「分からない。雨が降り始めて間もなくして家のチャイムが鳴らされてね。こんな時間に怪しいとは思ったんだが、雨が降り始めて直が戻ってきたのかと思ったんだけど、ドアを開けて外に出てみたんだが誰もそこには居なくてね」
「本当よ。私も一緒に外に出てみたけど誰も居なかったよ。居なかったんだけど……」
「こんな紙だけが地面に置かれてたよ」

 すっかり濡れネズミとなっている雅がポケットからそっと紙を取り出して俺に差し出した。

「『今すぐ来ないとアストレイさんが探してる女の子が危ない』って……」
「行くべきか迷ったよ。見るからに怪しいし、雅ちゃんを家に残していくのも怖かったからさ」
「だから私がアストレイさんに言ったの。ずっと頑張って探してたし、嘘かもしれないけど確かめるだけ言った方がいいって。私の事心配してくれてたから、家に残るよりはアストレイさんの側に居た方が安全だと思って一緒に着いてきたんだ」

 それで雅も一緒だったのか。兄としては危ない事に首を突っ込んでほしくなかったが、今更どうこう言っても仕方あるまい。

「んで、指示された場所がココだったって事か。だけどそんだけお前がボロボロだったって事は……」
「置き手紙の主が狙ってたんだろうね。辿り着いた時にちょうど……河合さんが連れ去られる所だったよ。――直」レイが俺の方に向き直った。「彼女が……私の探していた少女だった。それで間違いないかい?」
「――ああ、間違いない。俺もさっき知ったばかりだけどな」
「そう、か……」目を閉じると、アストレイは下唇を噛みながら雨空を仰いだ。「私は……情けない気持ちでいっぱいだ。絶対に、絶対に彼女を守ってみせると誓っていたはずなのに……」

 レイの拳が強く握りこまれる。小さく震え、その悔しさが俺にも伝わってくる。
 コイツの心意気は買うが、コイツは弱い。初めて出会った時もヤンキーどもにボコボコにされてたもんな。とても誘拐犯連中に敵うはずが無いんだ。逃げたって、怪我をするよりはいいはずだ。
 だけど、コイツは逃げなかった。現場は見てねぇが、ボッコボコの、それこそ意識を飛ばすくらいまで逃げずに立ち向かったんだろう。そして、だからこそ力及ばなかったのが、目の前で連れ去られてしまったのが悔しい。その気持ちは、分かるとは言いたくないが理解は出来る。

 だが――

「悔やむのは後です」凛ちゃんが声に力を込めた。「一刻も早く姫様を探し出すこと。それが今すべきことです」
「だな」

 悔やむのなんざ後からいくらだって出来る。だが、「今すべき事」は「今やらないと取り返しが付かない事」なんだ。

「雅、先輩が連れ去られてどれくらい時間が経った? 後、連中は車だったか?」
「ええっと……」戸惑いの声を上げながらも雅が答えた。「たぶん十分くらいだと思う。居なくなってすぐにお兄ちゃんたちがやってきたから。それと車は見なかったよ。見えないところに止まってたら分かんないけど……」
「ならまだ遠くには行ってないはずだ」

 どんな連中かは知らねぇが、人一人運んでるんだ。歩きなら急げばまだ何とかなるかもしれん。

「だけど何処を探せばいいんだい? 何も出来なかった私が言うのもアレだけど、手がかりなんて……」
「それはだな……」

 深音の事を説明しようとした時、ちょうどスマホがポケットで鳴り響いた。表示された名前は深音。よし、ナイスタイミングだ!

『見つかった! 見つかったわよ、ぴょん吉っ!!』
「マジかっ!? でかしたっ!!」

 さすが深音だ! 見つけ出したのはごっちんだろうがンな事ぁどうでもいい!

「それでっ!? 先輩は今何処に向かってる!?」
『ちょっと待ってっ!』電話口から深音の声が遠くなると「ほら! さっさとアンタが説明しなさい! このデブっ!!」「あひんっ!!」なんて声が聞こえてくる。ああ、何か情景が簡単に思い浮かぶな。

「もしもし?」
『あ〜もしもし? 君、誰?』

 単なる確認なんだろうが、相変わらず何かムカつく言い方だな、ごっちん。

「俺だよ。武内・直だ」
『オレ? あ、もしかしてオレオレ詐欺の人? まだそんな詐欺やってる人居るんだ? ププッ、今時そんなんで騙される人が居るなんて世の中バカばっかだよね〜』
「武内だっつってんだろうがっ!! ぶっ飛ばすぞテメェッ!」
『っ……! わ、分かってるよぉ、冗談に決まってるじゃないか……そんなに怒鳴んないでよ……』
「こっちが切羽詰まってる時にくだらねぇ事で時間取らせんなっつうの」

 人をバカにする癖に、気がちっせぇんだからやめときゃいいのに。

「んで、先輩は?」
『はいはい、ちょっと待ちなって……ええっと、今は……ああ、山手町の小林さん家の角を曲がったところか』

 誰だよ、小林さん。

『小林さんだよ小林さん。最近かわい〜い女の子が生まれたんだよ。でさでさ! そこの若奥さんがちょ〜美人で』
『んな事はどうでもいいっつうの! もっと分かり易い説明しなさい!』
『あはんっ! 後でもっと罵ってね、深音ちゃん。あ、今、竹葉町に入ったね。移動速度からしてこれは歩きかな? 人を拐ったにしてはのんびりした連中だね』
「とりあえず山手って事はウチの方向か」

 とは言え、大雑把な場所が分かったとしてもな。住所言われても普段行き慣れねぇ場所だと良く分からんし、こっちでマップ見ながらだと時間が掛かっちまう。もっと正確な場所が分かる方法は無いもんか。

『そう言われてもねぇ……僕も男相手にしゃべるなんて唾棄すべき事したくないし。
 あ、そうだ!』

 突然ごっちんの声が途切れる。深音に何をやってんのか聞いてみるが、「さぁ?」と返事がきた。どうやら深音とごっちんは一緒に居るわけじゃないらしく、電話に電話を重ねて話してたみたいだ。
 と、その時だった。

『ほいっと』

 ごっちんの声が聞こえてきた瞬間、辺りが真っ暗になった。
 街灯が全て消え、月も雲に隠れているから側にいる雅達の顔さえ覚束ないくらいだ。スマホの明かりだけが目立って光っている。
 だがそれも一瞬の事。

「すごい……」

 俺らが居る場所を始点として街灯が点滅し始める。一直線に路地が照らされて、街灯が消えたままの道と明確な対比が生まれていく。白く、明るく照らしてくれるそれはまるで俺らが向かうべき道を指し示しているみたいだ。

『いくら君でもここまでしてあげれば迷わないよねぇ?』
「すげぇ! さすがごっちん! やるじゃねぇか!」
『フフン! 男からとはいえ、褒められるのは嬉しいねぇ! ほらもっともっと褒め称えてくれたまえ! 報酬は深音ちゃんから貰っとくからね』
『こっちからだと何が起きてんのか分かんないんだけど……まあいいわ。河合先輩を追いかけられるのね?』
「ああ、バッチシだ!」
『なら……絶対に先輩を連れて帰ってきなさい。絶対よ?』
「ああ……絶対に連れ戻してきてやるよ」

 振り返ってレイと凛ちゃんを見遣る。二人共しっかりと頷いた。雅は……

「私は家に帰ってる。心配だけど、私が居ると足手まといだろうからさ」
「分かった。大丈夫か? 一人で帰れるか?」
「大丈夫だよ。私の事は心配しないで? 家でお兄ちゃんを待ってるから。だから……ちゃんとその河合先輩って人を助けだしてあげて」
「任せとけ」

 雅に向かって親指を立ててやる。雅は笑うと、俺と同じようにサムズアップで送り出してくれた。
 道が開けたせいだろうか、冷えた体に力が戻ってきた気がして、俺ら三人は光の道を力強く走り出した。

「待ってろよ、先輩……!」














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