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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved








 子供の心なんてもんは単純な様でいてその実、複雑だ。
 実際に口に出してそんな事を言えば、弱冠十六のお前みたいなクソガキがわかったような事を言うなとひどく怒られてしまいそうなもんだが、俺はそう思ってる。雅が生まれてこの方十一年間、毎日あいつの姿を見てきた俺が言うんだから間違いない。
 アイツを喜ばせようと思ってプレゼントを買ってやれば、「趣味が悪い」と一刀両断されたり、そのくせその時のストラップを毎日使う鞄に付けて登校してたり。
 ちょっとした手伝いをしてやれば喜ぶくせに、ガッツリ手伝おうとすれば「私の仕事を取るな」とガチギレされたり。かといって何もしなければ「少しは手伝え」と、「お前はオカンか」と突っ込みたくなる小言を聞かされたりだとかな。
 まあそんなのは比較的分かり易い方で、アイツは辛いことがあっても心配させまいと無理やり笑うような妹で、表面上を取り繕うのは最近では特に上達してくれて、そうなるとずっと一緒にいる俺でも中々雅の内心を汲み取ってやるのは難しい。取り繕えてなかったら、それはマジでやばい状況だということだが。
 とまあ、子供心は大人が思う以上に複雑だ、という一例として我が可愛い妹を挙げたわけだが、当然それはまだ見ず知らずの「正くん」にも言える事だと俺は考えている。

(ましてや孤児だしな)

 孤児になってしまったのには何らかしら重たい事情があるんだろう、と想像する。それこそウチみたいにな。
 世の理不尽を幼いながらも感じて、幼い思考ながらも色々と考えてしまう。そうすると自然と同世代の子と比べて成熟が早くなるし、年齢と精神性のアンバランスが起きやすいんじゃないだろうか、と一応孤児に分類されてしまう俺は愚考するわけで。
 そんな浅はかな俺の思考が正しいとするならば、正くんも普段から色々と、普通の少年なら感じないようなところも色々と感じ取ってしまうわけだ。
 例えば小学校での周りの子との違いであったり。
 或いは自分を見る先生の視線に含まれる感情であったり。
 他の子と違う。アメリカじゃあそれを個性として誇れる部分もあるっちゃあるが、それでも他人と違う事は、他の子から無邪気な悪意にさらされる事が多い。まして日本なら尚更だ。
 それは多分ストレスで、だが精神が大人であるほど誰か周りの大人に頼ることも躊躇しちまう。まして、周りにいる子供が自分と同じ様な境遇だとすれば余計に相談しにくいはずだ。
 だいたい大人なんてのは、関わり合いが弱いほど「何でも分かってますよ」的な訳知り顔で子供を馬鹿にしているもんだしな。
 別にあの職員の人がそうであるとは思わないが、小学校に入学して大人の人を目にする機会が増えれば、悩み事を抱えていても誰に頼ればいいか分からなくなっちまう、なんてこともあるんじゃなかろうか。
 だが、一方で。
 起こす行動はひどく単純だ。
 気分を害すれば怒るし、悲しければ泣く。一人になりたければ勝手に一人になる。
 別に何か隠蔽工作じみた事をやるわけでもなくて、感情の赴くがままに動く。当たり前だ。悪知恵を働かせるほど経験があるわけでもないし、そこまで複雑な事を考えてるわけじゃないしな。
 で。
 ここまで長々と語ったのは「子供の考えることだからすぐ見つかるだろう」なんて数十分前までの俺の浅はかな思考を反省するためである。別の名を「現実逃避」とも言う。マジで何も考えずに手当たり次第に探しまわり始めた自分を殴り飛ばしたい。
 つまり。

「どこにいるってんだよおぉぉぉぉぉぉっ!?」

 まだ正くんを誰も発見できていないわけである。



 正くん捜索隊を緊急結成した俺達はそれぞれ四手に分かれて孤児院近くを探しまわる事にした。孤児院を中心にして東西南北に地図を四等分し、先輩は北、深音は南でゴンザレスは西、そして俺が東という割り振りだ。
 職員さんから借りた正くんの写真をスマホで撮影し、職員さん達には「任せとけ!」とばかりに胸を張って勢い良く飛び出した俺達は住宅街の中を走り回った。ショーの途中で抜けだしていたあの少年だ。小学一年生ということだし、短時間ではそう遠くへは行ってなくて、四人で探せばすぐに見つかるだろうと高をくくってたんだが――

「この有り様である」

 たかが子供一人、と侮っていたのは否めないがまさかここまで苦労するとは思わなかった。
 よくよく考えてみれば四人揃いも揃ってこの土地に来たのは初めてなわけだし、子供が集まる場所がどこであるだとか、何処にどんな建物があるかだとかそういった土地勘は皆無。一応地図だけは見せてもらってスマホに保存はしたが、何処を探せば居そうだとか、そこら辺の情報も聞き集めることすら無く飛び出していったわけだ。
 今更な話だが、見つけ出せる気がしない。我ながらよくもまあ、ああも自信満々に啖呵を切れたもんだ。先輩の無鉄砲さが早くも移ってきてしまったのかもしれん。まだ転校して四日目だけどな。
 走り回る脚を一度止めてスマホを見てみるが、まだ誰からも着信は無い。探し始める時に何か情報が入ったらすぐに連絡を入れ合うように示し合わせて別れたから、連絡が無いってことは誰もまだ何も分かってないということだ。

「さて、どうしたもんか……」

 お空では季節外れの真夏日を演出してくださっている太陽様が俺らを嘲笑うかのように燦々と紫外線を振りまいている。ただ立っているだけで汗が滲み出てきて、流れる汗のベタつきが余計に不快感を増長させてくれやがる。
 ここまで見つからないとなると――。
 少し悪い想像が浮かび上がってくる。もしかしたら変な奴に誘拐されてたりしないか。事件に巻き込まれてたりしないか。子供が排水溝に落ちた、なんてニュースもたまにあるし、水路に転落したとかって話も聞く。
 いかん、そんな事考えてたら余計に不安になってきた。
 水路の中で顔を下にして浮かぶ雅の姿が頭ん中に浮かんできて血の気が引いていく。冷静に考えれば今居なくなってんのは正くんであって雅は関係ないとは分かるんだが、こういうのは感情だからな。
 一刻も早く正くんを探しださねば。正くんの身もそうだが、このままだと俺の精神がヤバイ。
 頭を振って想像の雅を振り払った時、突然手の中のスマホが鳴り出した。全然別のことを考えてたからビビって落としそうになったのを慌てて捕まえる。
 モニターを見ればそこには「真枝 咲」と表示されていた。

(こんな時に……)

 一体何のようだ、と怒鳴り散らしそうになる八つ当たりに近い気持ちを何とか抑え、通話表示を押した。

「もしもし!? 直くん?」
「咲か? ワリィけど今は……」
「直くん今何処にいる!?」

 後で掛け直す、と言うつもりだったんだが、それよりも早く咲の方が切羽詰まった様子で尋ねてきて、思わず口ごもってしまう。

「何処って、川崎だけど……」
「もうちょっと詳しく!」

 言われて俺は近くにある電柱に駆け寄った。取り付けられた住所表示板を見て住所を咲に伝えると、咲は「ちょっと待ってて! そこから動かないで!」とだけ一方的に叫んで電話が切られた。

「ちょっと待てって言われてもな……」

 そんな悠長に待ってる余裕は無いんだが。
 一瞬、一方的に取り付けられた約束をブッチして正くん捜索を再開しようかと思ったが、そんな思考を実際に行動に移すよりも早くこっちに向かって全速力でダッシュしてくる幼馴染の姿が。

「ごめん、お待たせ!」
「なんでやねん」

 なんでお前がここに居る。まさか、横浜からこの短時間に走ってきたというのか!?

「んなわけないじゃん。たまたま近くに居ただけだよ」

 そりゃそうだよな。

「でもなんでお前がここに……?」
「深音ちゃんから連絡があったの。行方不明になった子供を探すのに人手が足りないから手伝って欲しいって」
「深音が?」

 すでにアイツの方で手を回してたか。つーかお前ら知り合いだったのかよ。

「直接会ったことは無いんだけどね。それよりも! 私はどうすればいい?」
「はぁ!? 深音から何も聞いてねーのか?」
「んーと、私が教えてもらったのは子供が居なくなって、探すのに人手がほしいから近くに居たら来て欲しいっていう緊急連絡だけだよ。後の細かい話は直くんに聞けって」
「あんにゃろう……」

 全部俺に丸投げかよ。まあ、いい。人数が増えただけでも大助かりだからな。

「そうだな……もう居なくなって結構時間が経ってるし、早いとこ見つけてやらないといけないんだが」
「それじゃ急いで探さないといけないよね!? じゃあ私はこっち行くから直くんはあっちを探してみて! 見つけたらスマホに連絡するから!」
「あっ、おい! 咲!」

 俺の呼ぶ声も聞かず咲の奴は「ビューン!」とあっという間に今やって来た方向に向かって走って行ってしまった。
 まあ探してくれるのはいいんだが。

「あいつ、正くんを知ってんのか?」

 写真もすでに深音から貰ってるならいいんだが。
 んな事を思いながら咲を見送ってたが、行きと同じ勢いでUターンして戻ってきた。

「ゴメン、直くん! 誰を探さないといけないんだっけ!?」

 ……やっぱり戦力になるのか不安だ。





 結局俺と咲は一緒に探して回る事にした。
 理由は二つあって、一つは咲が孤児院近くに来る途中に商店街を見かけたらしくそこに案内してもらうため、もう一つはその商店街の店の中を含めて集中して探すためだ。通りをトボトボと歩いてくれてるならともかく、店の中に居たら外から見ただけじゃ分からんしな。そうなると中まで踏み込んで見てかないとならないし、一人で探すには時間が掛かり過ぎる。
 出来ればここで見つけ出したい。

「もう一時間か……」

 いい感じの時間になって、陽も傾き始めている。頭の上から差し込んでくる光は熱をやや失い始めて、うっすらと黄味がかった色に商店街の建物を染めている。
 正くんが「お腹空いたら帰ってくる」みたいな脳天気な少年だったら周りも余り心配しないんだろうが。

「咲……」
「はぅ! な、なんでもありません! 別にパフェを見てヨダレ垂らしたりなんかしてませんヨ?」

 こいつみたいにな。
 俺は盛大に溜息を吐いてみせた。

「デートじゃねぇんだからな。真面目に探せよ」
「でででででーとっ!?」
「だから意識してんじゃねぇよ」

 顔を赤くしてうろたえる咲の頭をぱかん、と叩く。その間ももちろん俺の眼は咲では無く商店街の店やすれ違う人達の姿をチェックしていく。
 叩かれた咲が「いったぁ〜い!」と叫びながら恨みがましく俺を見上げてくるが無視だ。お前何しに来たんだよ。
 そんな俺の内心が伝わったのかどうかは知らんが、咲はそれ以上何を言うでもなく真面目にスマホの正くんの写真を見ながら正くんを探し始める。相変わらず表情は少しふてくされてるようでいて、それでいて少し嬉しそうだ。
 その様子を見て俺も咲とは反対側の店を探しながら口を開く。

「ワリィな。せっかくの休みのとこ、急に呼び出したりして。どっか出かけてたんじゃなかったのか?」
「え? ううん、別に大丈夫だよ。昨日が練習試合だったから今日は部活も休養日だったし。深音ちゃんから連絡貰ったのも買い物終わって帰りの電車の中だったからちょうど良かったし」
「そっか」
「それに、直くんが困ってるんだったら力になってあげたいんだもん。この前お父さんが言ってたもん。困ってる時は手を貸してあげなさいって」

 別に親父さんはこういう時を想定して言ったワケじゃないと思うが。

「それに……」
「……なんだよ? 人の顔ジロジロ見て」
「うーんー。なんでもなーい」

 人の顔を覗きこんだかと思えば咲はすぐに首を横に振って、上機嫌に鼻歌混じりにまた店の中を覗き込み始める。
 何がしたいんだか、と軽く嘆息して俺もまたすぐに捜索を再開する。
 その後しばらく商店街を中心に正くんを探し続けるが、一向にそれらしい子供の姿は無い。時々店の中に入り込んで写真を見せてみるが、誰も見ていないとの返事だった。

「居ないね、正くん……」

 隣で咲も肩を落とし、俺も頭を掻く。
 商店街に来てないなら良いんだが、他の連中からも連絡ないし、もしかして、冗談じゃなくてマジで何か事件に巻き込まれたんじゃないだろうか。
 不安が胸を締め上げ始め、いよいよ本当に警察に相談するのを提案してみようかと思ったその時、俺らの行く先から誰かが走ってくるのが見えた。

「直!」
「先輩……」

 先輩は俺らの直ぐ前まで走り寄ると乱れた呼吸を整える様に何度か深呼吸をして、顔中を流れる汗をマントで拭った、って――

「なんで衣装のまんま出歩いてるんスかっ!!」

 先輩は破れた黒のタンクトップっぽいシャツにスラリとした脚を露出した黒いホットパンツ姿だった。汗びっしょりで微かにシャツは透けてるし、正直目の遣り場に困る。若干年齢層が高い商店街において結構場違い感がある格好で、数少ない俺らと同い年くらいの少年が先輩を見て視線を引き寄せられながら通り過ぎて行く。あ、一人電柱にぶつかった。

「衣装を着替える時間も惜しかったからな。最初にも言っただろう? 今優先されるべきは少年を見つけることだと」
「いや、まあそれはそうですけど」

 一緒にいるこっちも恥ずかしくなるんですけどねぇ。幸いにしてマントのおかげで扇情的な姿を目の当たりにするのが俺らくらいなのが幸い、と言っていいのかは分からんが幸いと言っておこう。とは言ってもマント姿は目立つので周囲の注目を集めがちなのだが。

「……誰、この人?」
「ウチの生徒会会長の河合先輩」

 先輩の格好が恥ずかしいのか、少し顔を赤らめながら尋ねてくる咲に説明する。が、その眼差しには多大なる興味の色が含まれているのが気になるんだが。

「私のことはどうでもいい。それよりもだ。直、そっちはどうだった?」
「いえ、まだ何処にも……
 あ、コイツは真枝・咲っていいます。ウチの隣に住んでる奴で、正くんを探すのを手伝ってくれる事になりました」
「真枝です。よろしくお願いします」
「河合・陽芽だ。申し訳ないな。わざわざ来てもらって」
「いえ、どうせ暇だったので」

 先輩の方から手を差し出してとりあえずの自己紹介が終わり、先輩は綻ばせた表情を引き締めた。

「しかし、これだけ探しても見つからないとはな。一体何処にいるのやら……」
「先輩は北側を探してきたんですよね? 店の中とかも覗いてみました?」
「いや、北側は住宅地ばかりでな。路地も含めて全部探してみたが、少年が一人で入れそうな店舗は一件も無かったよ」
「……全部、ですか?」
「ああ、全部だ。細い路地が結構多くてな。マンションの屋上に昇って見下ろしてみたりしたが見つからなかった。できるだけ急いだが公僕の邪魔が入ってしまってここまで時間掛かってしまったが」

 どうやら先輩はこの短時間で地図上の全てを網羅してしまったらしい。なるほど、であればこの汗の量も納得だな。ついさっきまで舞台で激しい攻防を繰り広げていたというのに何だこの体力お化けは。あとアンタはお巡りさんに何をした。

「なら少し休憩しましょう。俺、ジュース買ってきますから先輩は咲とここで待ってて下さい」
「いや、少年がどういう状況かも分からんのだ。こんな所で休んでいる暇は無い」
「なら作戦でも練ってて下さい。このまま闇雲に探しても見つけられるか分かりませんし、ここは一度情報収集なり対策を考えるなりした方がいいと思います」
「それはそうかもしれないが……」

 俺がそう主張すると先輩は少し考えこむ様に口元に手を当てて軽く頭を振った。

「……いや、そうだな。少し焦っていたようだ。急いては事を仕損じる、ともいうしな。少し落ち着いてフローラや上遠野にも連絡を取って、少年が行きそうな場所を考えてみよう」
「お願いします」

 溜息みたいな吐息を吐きつつ先輩は言った。どうやら少し疲れてるように見えたのは間違い無さそうだ。ぱっと見はいつもどおりな感じはするけれど、なんというか、覇気みたいなものが今の先輩からはあまり感じられない。
 咲に先輩の相手を任せて近くにあった自販機にジュースを買いに行く。適当にスポーツドリンクやらお茶やらを購入して、急いで二人のところへ走っていった。
 が。

「ねぇねぇ、君たちィ〜。ちょっと付き合ってよぉ〜」
「一緒にさぁ、お茶でもしよ? 高校生でしょ? 結構今日暑いしさぁ、どっかのお店で涼もうよ? もちろんオレらの奢りだし」

 二人の前に何だかチャラチャラした連中が二人立ち塞がっていた。どうやら昼間っから酒を飲んでるらしく、手にはビールの缶が握られていた。日本人のくせに金色に髪を染めて鼻やら唇やらにピアスを着けてやがるし、だらしなく着崩したシャツにはデカデカと「LOST LOVE!」だとか「KICK MY ASS!」とか書かれてる。お前らそれくらい英語の意味は分かってて着てるんだよな、と突っ込んでやりたい。
 そいつらを見た途端、俺の頭に急速に血が昇っていく。そもそもああいう遊び歩いてるような奴らはアメリカに居る時から大嫌いだったし、何より腹が立つのが先輩と咲の二人をだらしなく鼻の下を伸ばしていやらしい眼で見てることだ。そんな男連中に先輩は顔を顰めてるし咲は怯えた様に身を縮こませてる。

「アイツらぁ……」

 自然と右腕の握り拳に力が入っていく。二人との間に割って入って、相手の対応次第ではぶっ飛ばしてやるつもりだった。相手が年上だとか、そんなのは関係ねぇ。

「私達はやらねばならんことがあるんでな。申し訳ないが遊び相手を探しているのであれば他を当たってくれないだろうか?」
「まぁ〜たまた。そんなエロい格好しちゃって、実は誘ってんだろ? 俺らみたいなのがやってくるのを待ってたんだろぉう?」
「なんだそうだったのか! よし、なら話は早ぇ! さっそく……」

 気丈にハッキリと先輩が断りを入れたにも関わらず野郎どもは都合の良い解釈をして離れようとしない。うざったらしい癪に障る話し方をしながら、男の一人が先輩の腕を掴んだ。
 それを見て、俺は我慢できなかった。問答無用で殴りかかるつもりでダッシュしかけた。
 その時だった。

「……今、私の腕を掴んだな?」
「え?」

 先輩の口元がニヤリ、と笑って、男の口から戸惑いの様なものが漏れたと同時に。
 男の体が宙に舞った。

「……は?」

 目の前で先輩の体がぶれたと思ったら次の瞬間には先輩の体は、何処ぞの格ゲーキャラ宜しく空中で一回転していた。そのままシュタッ!と危なげなく着地すること、僅かに遅れて顎先を盛大に蹴り上げられた男がベチャリと落ちて地面に貼り付いた。人ってあんなに飛ぶんだな。初めて知った。

「な、夏のお塩キック……」
「……あの技、人間でも出来るんだ……」
「生きててよかった……」
「あの生足ペロペロしたいでござる」

 先輩の軽やかな御業に慄く咲の言葉をきっかけに、辺りを取り囲んでいたやじ馬連中からざわめきが広がっていく。あと最後のセリフ吐いた奴、あとでちょっとツラ貸せや。

「な、な、な……っ!」

 獲物だと思っていた女の子の突然の凶行に呆然とするもう一人の男。その隙を逃すはずもなく、素早く先輩は地面を滑る様に懐に潜り込むと突然目が眩むような眩い光が周囲の俺らの眼を焼いた。

「うおっ、まぶし!?」

 俺も含め周りに居た全員が眩しさに眼を逸らす。その直後に何やら連続して何かが潰れる音だったり切羽詰まった悲鳴が聞こえたりしたが、その時の様子は誰も目撃できなかった。
 顔を上げた時には、ただ一人先輩だけがマントを風にはためかせながら何か波動の残滓の様なものを漲らせながら男らしい仁王立ちでボコボコにされた男たちを見下している姿だけがそこにあった。

「さて、私の気持ちはたった今明確に示したつもりだが、これ以上更に言葉が必要だろうか?」
「ず、ずびばぜんでじた……」

 先輩のにこやかな笑顔に、腫れ上がった顔を青ざめさせると動かないままの相方の男を引きずりながら泡を食って逃げ出していった。その判断だけは全く以て懸命な判断だったと言っておこう。

「先輩、大丈夫でしたか?」
「ん? ああ、直か。もちろんだ。あの程度の輩に遅れを取るほど柔な鍛え方はしていないからな」

 知ってます。家の屋根の上を走って登校してますもんね。
 今の動きといい、そろそろ俺は先輩を人間と考えないほうがいいのかも知れないな。
 そんな感想を抱きながら先輩と咲の二人に買ってきたドリンクを手渡す。

「咲も、怪我は無かったか?」
「え? ああ、うん。大丈夫だよ」

 受け取りながら咲はそう生返事をする。その視線はさっきからずっと先輩に釘付けである。頬も若干赤らんで、何だろうか、先輩を見るその眼が恋する乙女の様に見えるんだが。腰に手を当ててスポーツドリンクを豪快に飲む先輩の一挙手一投足を見逃すまい、とばかりに熱視線を送るが、先輩は気づいてないのかそれとも気づいてない振りをしてるのやら。

「しかし余計な時間を食ってしまったな」
「……何か思いつきました?」
「いや、さっぱりだ」深く溜息を吐いた。「上遠野にも電話で状況を尋ねてみたが状況は芳しくない。途中で見かけた公園とかにいた子供にも聞いてみたが今日は見てないと言っていた。すれ違う人にも尋ねてみたりもしたんだが、正くんを見た人は一人も居なくてな。フローラに至ってはろくに聞き込みすら出来なかったらしい」

 そりゃそうだ。あんなのに近寄られたら迷わず逃げるわ。

「何処かの店の中にでも居るのかもしれんが、小学一年生の子供が一人でそう長時間店で過ごせるとも……」

 悩ましげに眉根を寄せていた先輩だったが、何気なく顔を上げたところで不意にその声が止まった。先輩を凝視していた咲もつられて同じ方向を見て同じく動きを止めた。
 そして俺もまた。

「あ」

 声を上げて固まった。
 俺ら三人が向けた視線の先にある喫茶店の中には。
 見知らぬ老人と向き合ってジュースを飲んでいる正くんの姿があった。

















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