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(c)新藤悟 2005 - All Rights Reserved











――瞬く間に時間は流れて二日後
――だから日曜日


「ホホホホホホ! よくぞここまで辿り着いたわね、ジャスティスマンブラック! その根性だけは褒めてやろうじゃないかい」
「ふん! 先ほどまで私の前に立ち塞がっていたのはやはりお前の部下達だったか、バッドマーザー! しかし私のこの正義の心を止めるにはいささか役者不足だったな」

 互いに仁王立ちで向き合う二人の女性。世の中の母親たちを時に言葉巧みに惑わせ、時には怪しげな術で洗脳して悪の道に引きずり込むバッドバーザーは、巨大な体躯に似合わないツインテールを揺らしながら、傲慢な態度でジャスティスマンを嘲った。
 肩には世紀末な世界よろしくトゲトゲのついたパッドをはめ、よくやられてはお仕置きを食らっている女幹部もつけている鋭く尖って端がつり上がっているメガネのズレを直した。
 吹き荒ぶ風が黒いマントを揺らし、ジャスティスマンを見下ろすその様は堂に入っていて、如何にもな悪役だ。
 対するジャスティスマンもまた腕を組み、悪の道を邁進せんとするバッドマーザーの前に立ちはだかった。
 だが自信満々なその態度に反してその身はすでにボロボロだ。本来であれば顔全体を守るための仮面は、今は目元が砕けてその素顔の一端を露わにしているし、口元のマスク部も半分ほど掛けてしまっている。
 純情な市民の嘆きの声をキャッチするためにある、額部から伸びる∨の字型の受信アンテナは左側が半分ほどで折れてしまっていて、黒いボディスーツもたいそう豊かな胸元や尻を残して破れてしまって、守るべき乙女の白い柔肌が露出してしまっていた……と思ったが、ジャスティスマンブラックは元々必要最低限の場所以外はこれみよがしに露出させてるんだった。なんでも「私には隠すべき恥ずべきことなど無い!」とのことだ。だったら何故顔を隠しているのか、なんてツッコミは野暮というものだ。

「そんなボロボロの姿でよくもそんな減らず口を叩けるもんだね! 遠慮なしにぶちのめしてしまえば傷も負わずに楽だっただろうに」
「あの部下達もお前が洗脳してしまった、元は善良な母親たちだったのだろう? であれば正義の味方であるこの私が傷つけることなど出来るはずもない。それに、お前もそれを狙ってあの者たちをけしかけたのだろうが」
「まったく、そうと分かっててもノコノコと助けにやってくるんだから呆れたものだよ。この上なく――ムカつく野郎だね」

 仮面舞踏会で使われるような蝶々メガネ越しでも分かるくらいに濃い化粧をした顔を不敵に歪ませてバッドマーザーは笑った。その醜悪な顔は不気味で、その不気味さを際立たせるかのように低く雷鳴効果音が辺りに鳴り響いた。
 いよいよ始まる決戦クライマックスの香りに、舞台下で集中して見つめている子供達が固唾を呑む音が聞こえた。

「さあついにバッドマーザーの下に辿り着いた正義の味方、ジャスティスマンブラック! だがその体は既に傷ついており、無事バッドマーザーを倒すことが出来るのか!?」

 舞台袖を見ればマイクを片手に深音が場の空気を煽っている。絶叫しながらナレーションを読み上げ、それを聞いた子供達の体が狙い通りに自然と前掛かりに動いていく。
――で、さっきからどうして俺がこんなモノローグを話しているかというと、だ。

「そんなにこの男が大事かい?」

 バッドマーザーがジャスティスマンブラックに見せつけるように左腕を高く掲げる。それに伴って俺の視界も普段より遥かに高い所に上がっていく。
 それを見たジャスティスマンブラックは切羽詰まった様子で叫んだ。

「や、止めろ! その男を離せ!」

――俺も囚われの姫ヒロイン役で出演しているからで。
 どうしてこうなった。


 事の始まりは深音が持ち込んだ話で、まあ商店街のイベントスタッフとして働かないか、というものだ。
 日曜はせっかくのバイトも休みだから家でゆっくりするつもりだったのだが、先輩が喜んで承諾したものだから断る事もできずに嫌々ながらも参加せざるを得ない。善意のボランティアだからバイト代も出ないのだが、だからこそ余計に断りづらかったというのもある。
 で、そのイベントというのはいわゆるヒーローショーで、会場は深音の住む地区にある保育園を兼ねた孤児院だ。一番広い教室を使い、商店街の方々が作成したオリジナルヒーローの活躍を普段寂しい思いをしている子供達に見せ、元気になってもらおうという魂胆らしい。
 急に人手が足りないという話だったもんだから、俺はてっきり裏方のスタッフさんが必要なんだと思っていたんだが、深音から事情を聞いてびっくり仰天摩訶不思議。出演者をお願いしたいと言うではないか。どんだけ見切り発車だよ。お前らちょっと来い。

「どうしてこうなった……」

 バッドマーザーの掌に頭を掴まれながら思わずそんな呟きが漏れてしまうが、そんな俺をどうして責めることができようか?
 だがどうやらバッドマーザー役のあの巨漢女ゴンザレス――これもびっくりなのだが――は聞き咎めたらしく、俺の頭を掴んだ掌に力がこもっていった。

「あだだだだだだっ!」
「余計なセリフは言わなくていいんじゃなくてぇ?」

 くっそ……後で覚えてやがれ。
 演技が半分しか混ざっていない悲鳴を上げ、涙目でゴンザレスに批難がましい視線を向けてみるが、どうやらお気に召さなかったらしく余計に力が込められて、俺は更なる悲鳴を上げるハメになった。

「ふふふ、やはりこの男がよほど大事らしいねぇ」
「……それ以上彼を傷つけてみろ。何処まででも追いかけて、生まれたのを後悔させてやる」

 で、俺が悪の手に落ちたジャスティスマンブラックの想い人役であるならば、当然の流れでヒーローの中の人は河合先輩となる。ゴンザレスは、どうやら俺らとは別口で急に呼ばれたらしいが、出演者三人が三人共急に呼び出された学生であるのはどういう訳だ。スタッフに小一時間問い詰めてやりたいものだ。
 しかしだ。横のゴンザレス、そして正面で仮面をかぶっている先輩を見てみる。こうして間近で見ると、中々どうして、先輩もゴンザレスの野郎も迫真の演技である。先輩は、露出した衣装でそのスタイルの良さを存分にアピールしつつも、恋人を捕らえられて追い詰められたヒーロー役を熱演しているし、ゴンザレスはゴンザレスでその巨体と容姿を活かしてあっぱれな程に見事な悪役っぷりだ。

「安心しなさいな。彼を捕まえたのもすべてお前をこの場所へおびき寄せるためだけ。傷つける気は無いわ」
「へぶっ!」

 急にゴンザレスが俺の頭を手放し、俺は舞台と強烈なベーゼ。これから始まるジャスティスマンとバッドマーザーとのアクションの邪魔にならないように、舞台上で大の字になったまま舞台袖のスタッフに脚を引っ張られてフェードアウト。扱いが雑過ぎる。泣いてもいいですか?
 そんな俺の嘆きを他所に、先輩とゴンザレスの息詰まるにらみ合いが続き、それに合わせて雷鳴の効果音と舞台袖で回している送風機の風がいい具合に雰囲気を醸成している。そんな雰囲気に引っ張られていよいよもって子供達も舞台へ飛び出して行ってしまいそうだ。
 果たして、二人のヒーローがぶつかり合った。
 互いに跳躍。天井スレスレまで飛び上がった二人の拳が合わさり、けたたましい効果音がタイミングよく鳴った。
 位置を変えて着地した二人の衣装の一部が揃って裂け、一瞬だけ不敵に笑いあうとまたパンチとキックを恐ろしい速度で繰り出し始めた。二人共恐ろしいほどに本気だ。揃いも揃ってガチで相手を殴り飛ばそうとしているとしか思えないんだが。

「ふっふっふ……やるじゃないか」
「そっちこそ。私の動きについてこれる相手は久しぶりだ」

 二人の楽しそうな表情に加えて会話だけ聞いてるともう少年漫画のバトルジャンキーだな。お互いに認め合うかのように笑い合って、アクションスターも真っ青な、人間離れしているとしか思えない様な動きで戦い始めた。果たして、この激しい動きにハリボテの舞台は耐えられるのか心配だ。

「いけー! ジャスティスマン!」
「負けるなーっ!!」
「バッドマーザーなんかやっつけちゃえっ!」

 そんな場違いな感想を抱く俺を他所に、子供達の方から一斉に声援が上がった。そのどいつもがジャスティスマンを応援するもので、まあ当たり前だがバッドマーザーへの声はゼロだ。ちなみにここまでの劇中、俺に対する声援の声なぞも微塵も無かったことも付け加えておく。

「まあ当たり前っちゃあ当たり前だがな」

 悪い奴が居てそれを懲らしめる正義の味方が居る。この上なく分かり易い二元論だ。子供達は純粋に――舞台袖で見ている俺や商店街のオッサン連中は汚れた心で先輩の美しい姿を役得とばかりに堪能している――正義の味方ヒーローを応援して、正義が勝つのを待っている。悪は破れ、正義は必ず勝つ。それを信じて疑わない。
 だがそれでいいのだと、全力で応援している子供達を見て思った。辛い現実に傷つき、悩み、頭を垂れる時がいつかは絶対来るのだ。だけど、少なくとも今だけは子供達に今を楽しんでもらいたいと、何故だかそんな事を思った。

「……っておっさんか、俺は」

 いかんな、どうにも親を亡くしてからというもの、純粋な子供を見るとナーバスになっちまう。頭を軽く振っておっさん臭い思考を振り払う。俺はまだ十六だ。
 と、頭を振りながら何気なく子供達の方を見ていると、端っこの方で見ていた少年が一人、席を立って部屋から出て行くのが見えた。
 小学一、二年生くらいだと思うが、どうやらその子にとってこの舞台はお気に召さなかったらしい。出て行く時の顔は何処かふてくされているようにも見えて、俺は頭を掻いた。

「皆が皆、楽しんでくれてるわけじゃないってことか……」

 残念ではあるが、何にしてもそんなもんだろう。或る物を全員が賞賛すればそれは評価でなくて狂信だ。別に見たものを魅了する魔法を掛けているわけじゃないし、ましてこちらは素人軍団。子供のファン一人や二人取り零すだけで済めばそれは上出来も上出来だろう。そう諦めて俺はまた意識を舞台に戻した。
 その後も舞台は続いていってて、クライマックス中のクライマックスでは子供達から盛大な歓声があがった。
 バッドマーザーは床に倒れ、ハリボテ舞台にはあちこちに穴が開いていた。一際激しい攻防の末、ジャスティスマンとバッドマーザーの戦いが決着したのだ。

「……私だって良き母親になりたかったわ。だけど何をやっても上手くいかなくて、子供を不幸にして、そのまま死なせてしまった。こんな母親で無ければ、あの子はもっと幸せに生きていくことができたはずなのに……」
「それで、アナタは子供と仲の悪い母親ばかりをさらっていったのか……」
「悪い母親ならば、引き剥がさないと子供が不幸になる。私はそれが許せなかったの。まるで昔の自分を見ているみたいで、ね」

 なんかよく分からんが、どうやらバッドマーザー側にも聞くも涙、語るも涙な事情があった、という設定らしい。妙にしんみりした雰囲気だが、ジャスティスマンもすっかり素顔が露わになった顔でバッドマーザーに語りかけている。先輩は完全に役になりきって、神妙な表情と口調で横になったバッドマーザーに言葉を投げかけ、ゴンザレスもスタート直後の尊大さが鳴りを潜めて、憑き物が落ちたように穏やかだ。

「……親は子供を選べない。子供も親は選べない。だけど、自分が幸せかどうかを判断するのは子供達だ。私達の様な大人ではない。それをアナタは忘れていた」
「ふふっ、そうだね……私が間違っていたんだろう」
「確かにバッドマーザー、アナタの行動は間違っていた。しかしだ。アナタの心の奥には子を想う大切な、優しい気持ちがある。苦しんでいる子供達を何とかしたいという気持ちだ。弱い者、子供達の味方である私は何があってもアナタのその感情を否定しないし、尊く思う」
「あら、私は世界を股にかけて悪行を働いた大罪人だよ? そんな優しい言葉を掛けてもいいのかい?」

 観客、スタッフ一同が見守る中、ジャスティスマンは少し考える素振りを見せ、だが先輩はバッドマーザーの悪戯な問いかけに答えてみせた。

「如何なる罪でも、本気で悔いていれば贖うことはできる。
 いつだって、やり直すことは出来るのだと、私は信じている」

 微笑んで、先輩はバッドマーザーに手を差し出した。バッドマーザーも一瞬ためらい、だがジャスティスマンの細い手を掴んだ。それが物語の最後の一幕だ。
 だが俺は先輩の笑顔が気になった。悪のバッドマーザーを笑顔で許すシーン。台本通りで何処にもおかしい所は無い。だけども俺にはその時の先輩の顔が、どうしてだか泣き顔に見えてしまった。泣きたいのを堪えて無理矢理に笑っているような、そんな風に受け取ってしまった。

(気のせいならいいんだが……)

 果たして先輩はあんな風に笑う人なのだろうか? しかしこの間に生徒会室で見せた笑顔は屈託のない素敵なものだったと思うんだが……
 そんな疑念は俺の中に残ったものの、ともかくも生徒会初の対外活動は平穏無事に幕を閉じたわけである。




「おっつかれーっ!!」
「ぐふぇっ!?」

 ヒーローショーが終わって舞台から全員が降りるや否や、深音が叫びながら俺と先輩に向かって飛びかかってきた。
 ちっこい体を目一杯広げてラリアットしながら全体重を掛けてくるのはいいんだが、首にいい具合に入って思わず何かを潰してしまったような声が出てしまった。中々の攻撃力である。

「うむ、そっちもご苦労様だったな。急な話だったからセリフを覚えるので精一杯だったんだが、どうだった?」
「とんでもない! すごかったよ! どっかで演劇の経験があるんじゃないかってくらい。ね、直。アンタもそう思わない?」
「俺もそう思う。本当に本職の人かっていうくらい見事でしたよ、先輩」

 ずっと間近で見ていた俺だが、お世辞抜きでそう思う。演劇の世界の事はよく分からんが先輩は美人だし、下手なアイドルがする演技なんかよりよっぽどすごかった。本気で取り組めば麗しい見た目もあるから全然そっちの世界でやっていけるんじゃなかろうか、この人は。あと、そろそろその衣装を着替えてくれないだろうか? 目の遣り場にすっかり困るんだが。

「ふふ、直にそう言われるとお世辞でも嬉しいものだな」
「俺は世辞は言いませんよ」

 まったく、謙虚なお方だ。容姿端麗才色兼備。普通ならもうちょっと鼻に掛けそうなもんだが、たまに奇想天外な行動を取る以外は全く以て完璧超人だ。剣道以外にこれといった取り柄のない俺だがここまでくると嫉妬さえ起きないよ。

「ちょっとぉ、アタシはアタシはぁ?」

 俺と深音が口々に先輩を褒め称えていると俺の背後に覚えのある巨大な影が降り注いだ。間延びした、恐らくは普通の女の子であれば可愛らしいと思える口調で、しかしながらその野太さのせいでついに悪魔がこの世に降臨させあそばれたとしか思えない声が俺の体を恐怖に震わせた。おかしいな、滅亡の予言は俺が生まれた頃に外れたという話だったはずだが。
 竦み上がった体を叱咤して恐る恐る振り返れば、予想通りミス・ゴンザレスが俺達を見下ろしていた。

「うん、そっちも凄い良かったよ! ワケありの悪役としてもうばっちしだった!」
「ああ、私から見てもフローラの演技は素晴らしかった。君を紹介した甲斐があったというものだ」
「本当っ!? よかったぁ〜!」

 先輩たちの褒め言葉を聞いてゴンザレスはその巨体をピョンピョンと跳ねさせて全身で喜びを表現させる。それはいいんだが、こいつが着地する度に反動で俺の体が軽く浮かび上がるんだが。てかなんで二人共この人間辞めましたな奴がもたらす怪奇現象を受けても平然としてられるのか、誰か教えてくれ。

「てか名前フローラかよ!」

 あら可愛い名前だこと。詐欺だ。

「何か言ったかしらぁ〜?」
「あだだだだだだだだっ! い、いえ何も言ってないでございまする!!」

 だから頭を潰そうとするのは止めてくれ。

「直、私は君がお人好しの好ましい人物だとは思っているが、少しデリカシーが足りないな」
「まあ、直だしね。空気読もうとして失敗するタイプだし。ぴょん吉だから仕方ないか」
「ぴょん吉? なんだそれは?」
「ああ、そっか河合先輩は知らないよね。実は――」
「あーあーあーあー! 今日は実にいい天気でしてねー!?」

 頼むからあの黒歴史は黒歴史のままで永遠に封印させておいてくれ。いや封印させてくださいお願いします深音サマ。

「ああ、居た居た!」
「和郎叔父さん」

 そんな感じで騒いでいると一人の中年太りのおっさんが俺らを見つけるなり声を掛けてきた。どうやら深音の知り合いらしいが、深音と並んで俺らの前に立つと汗に濡れた額を汗で拭いながら頭を下げてきた。

「今日は本当にありがとう! いやー他のイベントで事故があったらしくてね。話を通してあった劇団の演者さん達が揃いも揃って怪我で参加できなくなって困ってたんだ。けど、君らのおかげで子供達をがっかりさせずに済んだよ。ありがとう。
 これは少ないけれどお礼だよ」

 どうやら今回の企画の責任者らしいな、このおっさん。呼ばれ方から深音の親戚なんだろうが、礼もいうのもそこそこに俺らに向かって茶封筒を差し出してきた。たぶん本来の演者に支払うはずだった謝礼なんだろう。うっすらと「英世さん」が透けて見えるが、そもそも今回の劇はボランティアのはずだし、先輩なら恐らく――

「礼なら不要です。こちらは受け取れませんよ」

 額の汗を先輩も一拭いすると、腰に左手を当てて口元を少しだけ柔らかく緩め、和郎氏の差し出した手をやんわりと押し返した。
 まあ先輩ならそうだろうな。

「しかし……」
「困った時はお互い様という奴です。そちらのお役に立てたのであれば私としてもこの上ない喜びですし、子供達の笑顔を見れただけでも十分な報酬です。それに、私自身も楽しかったですから」
「女優気分を味わえたんだしぃ、それが報酬ってところかしらぁ?」
「まあ、俺らもそれなりに楽しめましたし。一生懸命応援してる子供達の姿を見てると元気を貰った気がします。だからどうせならそのお金をここの子供達の為に使ってあげてください」
「ふむ、それはいい考えだな、直」
「確かにそっちの方がいいわね。たまにはいう事言うじゃない、ぴょん吉」

 たまには、て。深音の中ではいったい俺はどういう評価がされてるのか一度話し合わなきゃいかんな。
 ともかく、俺らが口々に考えを伝えると和郎さんは眼を瞬かせながら呆気に取られていたが、やがて豪快に笑い出すと深音の頭をガシガシと撫で始めた。

「……皆さんの気持ちは分かった! うん、確かにそっちの方が良いだろう。後でここの経営者の人にキチンと渡しておこう。深音ちゃんもいい友達を持ったなぁ!」
「まだ知り合って数日しか経ってないけどね。人を見る目には自信があるんだ。それじゃあ叔父さん、寄付はよろしくお願いします」

 話が分かる人で良かった。是非ともウチの親戚連中にもこのくらいの心の広さを見習ってほしいもんだ。まあ、もう二度と会うことは無いだろうが。

「深音ちゃんには今回色々と頑張ってもらったしね。しっかり役目を果たさせてもらうよ。
 ああ、そうだ。皆さんいっぱい動いたから喉が乾いてるだろう? せめて飲み物だけは奢らせておくれ」

 和郎さんからそれぞれ渡されたスポーツドリンクを揃って一気に飲んでいくと乾いた体に水分が染みこんでいく感じがたまらない。ペットボトルの中身を半分ほど飲み干してようやく一息ついて先輩を見ると、たぶん一番動いたからだろう、先輩の顔はまだ赤く紅潮してて、汗がしっとりと額に張り付いて、なんとも扇情的だ。

「おやぁ〜? 何を見てるのかなぁ、直くんは〜?」
「……何でもねーよ」

 そんな俺の視線に目ざとく気づいた深音がからかい度百%で耳元で囁いてきたくる。俺は顔を見られないようソッポを向いて素っ気なさを装ってみるが、そんな俺の態度が奴の悪戯心をくすぐってしまったらしく、俺の背中に飛び乗ってチェシャ猫のような笑顔を浮かべて耳元に口を寄せてくる。

「重ぇんだよ……」
「女の子に対しては嘘でも軽いっていうのが男ってもんよ。あと女の子がせっかく背中に居るんだからちっとはドギマギしなさいよ」
「あいにく妹を背負って生きてきてっからな。お前のちっせぇ胸じゃドキドキしようがねぇんだよ」
「あっそ。そりゃ申し訳ありませんでした。
 そ・れ・よ・り・も! アンタ河合先輩の事どう思ってんのよ? あれだけ熱い視線を送っといて何とも思ってないって事はないでしょ?」
「どうって言われてもなぁ……」

 最初の出会いからして中々強烈だったからな。まあ凄い人だとは思う。それに魅力的な人でもある。美人だから気を抜くとつい眼を奪われちまうこともあるし、性格もさっぱりとしてて、強引なところは玉に瑕だとは思うが嫌いじゃない、というか人として好きなタイプだ。
 こうして付き合わされてはいるが、嫌味は無いし、面倒事は嫌いな性質なんだがなんというか、付き合ってみて良かったと最終的には思わせてくれる人だと思う。
 だが深音が望んでいる類の回答で言えば……残念ながらまだそういう対象にはなっていないと言うのが本音だ。お前の顔で何偉そうなこと言ってんだ? とか言われそうだが。

「ただの会長と副会長(仮)だよ。それ以上でもそれ以下でもねーし」
「むー。そうなの?」
「だいたい俺はまだ転校してきたばっかだぞ? そんな、漫画の世界じゃあるまいし、会った瞬間に一目惚れとかありえねーっつうの」

 それに、色恋だとかにうつつを抜かしてる余裕なんて無い、という言葉が流れで出てきそうだったが、何とか踏みとどまった。ダチに家の事で変な心配なんてされたくねーしな。
 俺の返答に、深音は不満そうだ。顔はキチンと見えねーけど何となく雰囲気で分かる。
 仕方ない、と俺はこっそり溜息を吐くと、ちょっとだけ言葉を付け足してやった。

「まあ尊敬できそうな人だし美人だしな。気にならねーとは言わねぇよ。ただ、まだ十六、七のガキが出会ってすぐに愛だの恋だのとかの感情をハッキリ抱けはしねぇっていうだけさ」
「……直ってさ、たまにすっごくオジサン臭くなるよね。特に考え方が」
「余計なお世話だ」

 最後の一言が余分だが、とりあえずは矛先を収めてくれたらしい。深音は俺の首に巻きつけた腕を解くと、「よっと」と声を上げながら着地して、しかし俺に向かって手招きして耳打ちしてきた。

「でもたまには余計な事は考えずに恋に全力になるのもいいと、アタシゃ思うんだな」
「だから――」
「なんの話をしてるんだ、二人共」

 ニヤリと笑う深音に、そんなつもりはない、ともう一度否定する前に先輩がこっちに話しかけてきた。

「いや、別に……」
「ふっふー、内緒だよ」

 話題だった先輩が突然話に入り込んできたため多少しどろもどろな対応になった俺とは別に、深音の方は意味深に笑ってそんな事を言った。
 先輩に対する気持ちを話してた、とかそんな恥ずかしい事を言えるわけもないから、誘いこむような口ぶりの深音を俺は横目で睨みつけるが、先輩は踏み込んでくる気はないらしく、「そうか」とだけ言って特に追求はしてこなかった。

「それで、先輩の方こそどうしたんですか?」
「なに、そういえば私からも君にお礼を言ってなかったと思ってね」

 まだ少し赤らんだ顔で先輩はそんな事を言ってきた。はて、礼を言われる様な事はあっただろうか?

「生徒会に入部してくれたことが一つ。それに、今日こうして私のわがままに付き合ってくれた事に対してもだ。どっちもまだ礼を言ってない。本来ならばもっと前に伝えなければならなかったが、遅くなってしまった詫びも今伝えておきたいんだ」

 なんだ、そんな事か。生徒会に入部――まだ仮入部だが――を決めたのは俺の意思だし、入部した以上はその活動方針に従うのは当然だ。別に礼を言われる様な事じゃない。
 そんな感じの事を先輩に伝えると、先輩は「ふふっ」と小さく笑った。

「それでも私は感謝を伝えたいのだ。これは私の気持ちの問題だ。それに、これからも君には私のわがままに付き合ってもらうことが多いだろうしね。今後の迷惑料だと思って受け取ってくれないだろうか?」

 言い終えると先輩は俺の返事を待たずして「ありがとう」と頭を下げた。
 そう言われると俺も無理に固辞する理由は無い。たいした話でも無いが、やっぱり先輩からお礼を言われるのは何処かむず痒いと同時に嬉しいものだ。
 顔を上げ、少し微笑みながら俺を見る先輩もまた嬉しそうに笑う。その顔はまだ少し赤い。汗は引いたみたいだが、火照りは残ってるみたいだ。まあ、多少部屋の中も蒸し暑いしな。あるいは、初めての演劇を終えて気分が昂ってるのかもしれないな。

「どうした? そんなに私の顔を見て。何か付いてるか?」
「いえ、顔がまだ少し赤いんで気になっただけです。汗もいっぱい掻いたみたいですし、もう少し水分を摂った方が良いんじゃないですか? 俺、貰ってきますよ」
「そうか? ならお願いできるかな?」
「直! 私のもお願い! ダイエットコークで! 無かったら外で買ってきて! どうせアンタは大して働いてないんだし」
「アタシのもぉ頼めるかしらぁん? トクホのお茶を要求するわぁ。女たるものいつ何時でも美に気を遣わなきゃいけないんだものぉ」
「お前ら……」

 好き勝手言いやがって。俺は先輩の為に貰ってくるって言ったんであってお前らの為じゃねぇんだよ。あと、ちっとは遠慮しやがれ。ゴンザレス、お前には是非とも鏡を買ってきてやろう。
 深音の頭をひっぱたいてやりたい衝動に駆られるが、まあいい。今日は特別にパシられてやるか。
 ただで買いに行くのも癪なのでこれみよがしに溜息を吐いて見せつつ財布を手に外へ向かおうとした。
 その時だ。

「正くーん! 正くーん、何処に居るのー!? 聞こえてたら返事してくれないかなー!?」

 正くん、というのはこの施設の子供の名前なんだろうか。端っこに何かのキャラクターがデザインされたエプロンをした、たぶん三十過ぎくらいの施設の職員らしき女の人が名前を呼びながら歩き回っていた。

「子供でも居なくなったのかな?」

 深音が女の人の様子を見ながら呟いた。オロオロと、不安に苛まれた表情をしながら他の職員にその「正くん」を見なかったか尋ね、話を聞いた職員も慌てた様子で足早に去っていった。

「もしもし、何かあったのですか?」

 そして我らが会長様がそんな明らかに困ってそうな人を見捨てておけるはずがない。女性の傍に素早く歩み寄っていくと凛とした様子で話しかけていく。

「あ、えっと……」
「失礼。私は稜明高校二年の河合・陽芽。今日は先程まで劇をさせて頂いておりました」
「は、はい。私も見させてもらいました。本日はありがとうございました。子供達もとても喜んでおりました」
「それは何よりです。それで、先ほどからどうやらその子供を探している様にお見受けしますが、何かあったのでしょうか? もし差し支えなければぜひ教えて頂けないでしょうか?」
「い、いえ! お客様にお話するような事では……」
「様子から察するに、子供が一人居なくなったのではないですか?」

 畳み掛ける先輩の話に、女性は一瞬言葉に詰まり、少しの間迷う素振りを見せて、だが観念したように首肯してみせた。

「……仰るとおり正くん――子供が一人姿が見えなくて……ですが、建物の中の何処かには居ると思いますので。ご迷惑をお掛け致しま……」
「ハァ、ハァ……ダメです! 何処にも居ません……」

 先輩の追求をかわそうとするが、やって来た別の職員の報告によって落胆したように口元を覆った。

「……もしかしてマズい状況?」
「かもな」

 深音が呟くが俺もそう思う。
 ただ単純に施設の大人に黙って遊びに行っただけなら何の問題も無いんだが――

「ともかく、私達も探しましょう。建物内はお任せしますので、我々は外を探してきます」
「しかしお客様にわざわざ……」
「失礼ながら」

 職員さんは困ったように口ごもりながらも難色を示そうとするんだが、先輩はそれを遮った。

「何を心配されているのかは私には解りかねる。今我々がすべきは姿が見えない少年の安否を確認すべきではないでしょうか? 本日私達がこうしてこの施設を訪問させて頂いてショーを行ったのも子供達に喜んでほしいから、子供達の笑顔が見たいからだ。そしてショー自体は終わったが、終わったからといってそのすぐ後に笑顔が曇るような事はあってほしくない」
「俺らの事を気にして下さってるんなら別に構いませんよ。別に無駄足に終わろうと、子供が無事に見つかるんならそれはそれで喜ばしい事ですから」

 先輩に続いて俺も援護射撃じゃあ無いが、渋る職員さんを説得に掛かる。今言った通り何事もなかったならそれで別に良い。
 舞台を見ながらざっと見てみたが、ここの子供は大体が小学生になるかならないかくらいの子が多かった。そんな子供が勝手に外に出て行ったとしたら、車に跳ねられたりだとか、何かと心配になるもんだ。遊びに行っただけだとしても、きちんと居場所が分かるそれだけでも安心できるしな。

「……分かりました」

 悩んでいた職員さんだが、ようやく決意してくれたらしい。
 俺らに向かって深々と頭を下げると、待ち望んでいた言葉を口にしてくれた。

「あの子を……正くんを探してあげて下さい。あの子は傷つきやすくて繊細で、だけど傷ついても私達を頼ろうとせずに自分で抱え込みがちな子です。もしかしたらあの子の心を傷つける何かがあったのかもしれません。もしそうなら……私達が気づいてあげなければならなかったのでしょうが」
「であれば尚更私達に任せて頂きたい」

 悔やむように言葉を漏らす職員さんに、だが先輩は胸を張って言ってのけた。

「帰ってきた時に、ぜひ正くんを暖かく迎えてあげて下さい。そして思い切り叱ってやってください。もし、貴女が本当に悔やんでいるのであればその後に……思い切り抱きしめてやって下さい。それは私達に出来ないことですから」

 そう言うと先輩は「若輩者が差し出がましい事を言いました」と一礼すると俺らの方に向き直る。腰に手を当てて、大きな胸を張ると会長らしく高らかに宣言した。

「さて、それでは稜明高校の諸君! 親を泣かせる迷惑な少年を探しに行こうか!」






 















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